原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

左都子コレクション -旅行絵はがき編-

2017年04月29日 | 旅行・グルメ
 (写真は、某国内大手旅行会社が毎月自宅宛に送付して来る月刊誌より切り抜いた「旅行はがき」コレクションの一部。)


 「左都子コレクション 第2弾」はゴールデンウィークのこの時期に合わせて、旅行絵はがきを公開する事とした。

 前回の「コースター」同様、決して価値ある立派な代物をコレクションした訳ではなく、ただ単に旅行月刊誌よりチマチマと毎月切り取って収集しただけの話に過ぎないのだが。

 もっと数多くの絵はがきをコレクションしているのだが、公開する写真サイズの関係ですべてを被写体とすると一枚ごとの絵はがきが小さくなり過ぎるため、36枚のみ撮影する事とした。

 
 上記絵はがきの中で、私が今までに訪れた事のある場所を挙げてみよう。

 「西湖と富士山」。(スミマセン。この絵はがき上下逆に配置してしまいました。
 富士山は、我が今までの人生に於いて旅行中に近くを通ったり飛行機から眺め降ろした事は数え切れない程にあるが、実際に行ったのは一度だけだ。 高校の修学旅行中にバスで5合目まで上った。 大学受験重圧の疲れでバス内で寝てばかりの、実り無き修学旅行だった記憶しかない。

 イタリアは2度行ったが、ベニスとドロミテには残念ながら立ち寄ってないなあ。

 北海道の美瑛は娘が小6の夏に連れて行った。 
 娘は比較的元気だったものの、私がバス集団行動に疲れ果て激しい下痢をして小樽観光中に苦しんだものだ。

 栃木県のあしかがフラワーパークへは夜のライトアップ時に訪れた。 故に、未だかつて満開の藤を見ていない。

 埼玉県秩父市の祭会館も訪れたが、実際の夜祭は見学していない。

 ギリシャのイドラ島へはエジプト・ギリシャ旅行中にクルーズにて行く予定だったが、娘がギリシャのホテルで高熱を出し、ホテルで1日半寝込むのに付き添い行きそびれた。


 とまあ、我が旅の失敗談ばかりを思い起こすはめとなったが、後で思えばすべてが順調だった旅よりも、苦労した旅の方が思い出深いものでもあるから、旅とは不思議だ。


 さて、本日昼のニュースによると、本日(4月29日)成田空港から海外へ旅立った人々が4万何千人かに達したとの報道だ。

 ここは一旦、連休を利用せねば旅に出る事が叶わない現役職業人達の日々のご活躍の程をねぎらうべきだろう。

 その一方で、我が国の休暇のあり方を真に再考するべく法制度の立ち上げが今尚実施されない現状を、如何に考察するべきなのか戸惑う私でもある。
 特に欧米諸外国のごとく、日本の労働界がドーーーンと!! ビジネスマンには個々が好きな時に1、2ヶ月の長期休暇を与えるべく法制度に辿り着けない元凶とは何処にあるのだろう?

 それはもしかしたら、日本人の “集団主義志向の根強さ” 故であるのか? 
 あるいは我が国日本が核家族時代に変遷したとは言えども、今尚この国に於いては季節時分には帰郷するとの慣習が根付いている故かもしれない。

 どうやら私論が発展し過ぎたようだが、ゴールデンウィークを楽しもうと志している国民皆にとって有意義な連休であればそれでよいのだろう。


 えっ? 原左都子はこの連休を如何に過ごすかって??
 
 ヘッヘッへ。 意外と今年の5月の連休に関しては、まめに小イベントをネットで検索して既に予約を入れてあるのよ。

 この天邪鬼で名高い私がまるで俗人のごとくそんな行為に及ぶとは、いやはや私も年老いたと感じざるを得ないよなあ。

実写版 「美女と野獣」 が発信するメッセージを如何に捉えるか?

2017年04月27日 | 芸術
 (写真は、現在映画館にて上映中の ディズニー映画「美女と野獣」の新聞広告を転写したもの。)


 昨日、久しぶりに映画館で映画を見て来た。

 元々映画鑑賞趣味があると言う程には映画を見ない私だが、自宅から石神井川沿いに桜並木を歩いて30分程の位置に映画館が存在するため、この地に引っ越して以来、気が向いた時に散歩がてらこの映画館を訪れている。

 昨日見て来たのは、表題の実写版「美女と野獣」である。
 これまた私は特別ディズニー映画ファンでもなければ、是非共不滅の名作を見たいとの事でもなかった。
 あくまでも水曜日がレディースディだし、連休前の空いているこの時期に映画館へ行ってみようとひらめいただけの話だ。


 冒頭より、先程ネット上で発見した当該「美女と野獣」に関する情報の一部を以下に紹介しよう。

 ディズニー・アニメーション『美女と野獣』が、ベル役にエマ・ワトソンを迎えついに実写映画化。 アニメーション公開から26年の時を経て、2017年4月21日(金)日本公開となる。
 ディズニーがアニメーション映画『美女と野獣』を公開したのは、1991年のこと。 1740年にヴィルヌーヴ夫人によって最初に書かれた「美女と野獣」は、これまで文学やテレビドラマ、バレエ、舞台など、様々な解釈によって感動の物語を綴ってきた。 映画化は幾度となく行われ、1940年代にジャン・コクトー監督が、2014年にもレア・セドゥ主演で実写化されている。 

 公開から25周年を迎えたディズニー『美女と野獣』は、実写映画化され現代へ。 主人公ベルを演じるのは「4歳からベルに夢中!」とキャラクターの大ファンであるエマ・ワトソン。 『ハリー・ポッター』シリーズのハーマイオニー役で世代や性別を超えて人々に愛された彼女が、抜群の歌唱力を手に21世紀のニューヒロインを演じる。
 ベルの相手役・野獣には、TVドラマ『ダウントン・アビー』で脚光を浴びたダン・スティーヴンスが抜擢。 フェイシャル・キャプチャーとパフォーマンス・キャプチャーといった映像テクノロジーを用いて、現代版野獣がリアルに描かれる。
 『美女と野獣』は、魔女の呪いによって野獣の姿に変えられてしまった美しい王子と、一人の少女ベルとの物語。 ”人と違う外見に縛られ”本当の自分を受け入れられない野獣が、”人と違うことを自分の輝きに変える”ベルと出会い、人を愛し愛されることを学んでいく。 実写映画化に伴い、大きなテーマとなるのは「なぜベルは野獣を愛したのか?」という一つの問いだ。

 日本公開に先駆け、監督ビル・コンドンが来日。 映画『シカゴ』『ドリームガールズ』と数々のミュージカル映画を世に送り出してきた彼が、ディズニー作品をどう描いたのか。『美女と野獣』実写化にかける思いについて話を聞くことができた。
 Q:数多くのディズニー作品の中から、なぜ『美女と野獣』が実写化されたのでしょう。
 コンドン:ディズニーにとって大きなチャレンジだったと思います。 ここ数年、ディズニーは、いわゆる古典と呼ばれる作品を実写化して現代風にリメイクしてきました。
 これらの作品と比べると『美女と野獣』は近年のもの。 早い段階で、舞台・ミュージカル化され、もちろん日本でも上演されています。 またアニメーション映画『美女と野獣』が生まれた時期は、ディズニースタジオの中でルネッサンスを迎えた時期でした。 そういう点で、他の過去のアニメーション作品と『美女と野獣』は立ち位置が異なる。 近代作品を実写化することはもちろん、人気のある『美女と野獣』を選ぶことは、ディズニーにとって大きな決断に繋がったと思います。

 Q:人気作品を実写化する上で、ビル監督が挑戦したことはどんなことでしょうか。
 物語をリアルに描くこと。 私が実写化する上で必要だと思ったことは、主人公のベルや野獣、そして城の住人たちであるルミエールやポット夫人といったキャラクターたちに新たな観点からさらなる深みを与えることです。 アニメーションで描かれているキャラクターたちは、いわゆる「典型」という形でしか表現されていない。 様々な側面やニュアンスを持った人間味が描かれているわけではないんですよね。
 今回、本物の役者たちに演じてもらうということで、各キャラクターに人間性を持たせました。 バックストーリー、心理描写を掘り下げることによって、それぞれのキャラクターたちの個性をきちんと描き出す。特にベルが野獣に恋に落ちるところは、現実世界のようにリアルに映し出したかったんです。

 Q:ベルと野獣はどういった人物だと捉えましたか。
 ベルと野獣に共通しているところは、喪失感を持っているのに、未だそれが解決していないことです。ベルに関しては、頭の中に雲がかかっているというか。 現実を飛び出して冒険に出たいんだけれど、彼女の中にあるいくつかの疑問を脱ぎされない。 父親がなぜ彼女に対して過保護なのか。どうしてパリからこの小さな村へ引っ越したのか。母親の死因は何なのか。 父親はベルを大切にするあまり守ることしか考えていない。結果、彼があまりに秘密にしすぎたため、ベルは自分の過去や母親について疑問を抱いてしまうんです。 野獣の方も、母親を失ったことによって、愛情を感じられる唯一の相手がいなくなってしまった。その後はひどい父親と残されてしまう。
 本作では、ストーリーを通して二人の過去を解いていく。 野獣はベルの母親の死因を知り、ベルは母親を亡くして野獣が変化したことに気付く。 二人がお互いを理解していく中で心の接点を見つけ、互いに心の傷を癒していく。 そして、似たような過去の心の痛みを持っている人と出会うことで、自分の問題も解決できるように成長していきます。

 Q:二人の成長シーンに、込めたメッセージとは。
 基本的なメッセージは、「美女と野獣」で語り継がれているもので、「表面的なものにとらわれず、さらに深いところを見ることが大切だ」ということです。 現代は表面的なものが明るみになりやすいく、そういったものばかりが取り上げられやすい。 だからこそ、特に若い世代には作品を通して表面に惑わされずちゃんと知識を持つ必要があることを感じて欲しい。 愛の道筋は見つけ出さなくてはいけないものですので。 と同時に、ベルと野獣は互いに心を開くことによって、自分でも知らなかった自分自身を知る。 その当たりも作品から感じとって欲しいですね。

 (以上、実写版「美女と野獣」 に関するネット情報の一部を引用紹介したもの。)


 ここから、原左都子自身の映画の感想及び私論に入ろう。

 最近の実写映画はとかく特撮ものが多い。 大スペクタクルやエンターテイメント性で観客を魅了し続ける構成となっていて、確かに上映時間内飽きずにダレずに見られるという意味では、娯楽の一端としての役割を果たせていると結論付けてよいのだろう。

 その一方、子どもを連れてアミューズメント施設へ行った時のごとく、映画に関しても飽きずに楽しめたが、何かが得られたのかどうか? なる疑問符が常に頭にもたげたるのは私だけだろうか?? 
 これに関しては、我が家特有の事情があったのかもしれない。 何分我が子生まれ持っての事情故に、特に幼少の頃は何に対しても反応が鈍いとの特質を抱えていた。 それをカバーするがごとく映画を含め何処のアミューズメント施設へも我が子を誘った時は欠かさずサリバン母の私が、あれが面白かったよねえ! あの場面は感動したね! と大袈裟な演技力で我が子の感情を引き出すべく努力を要したのだ。 それが私自身が真に楽しめた時は演技力が冴えるのだが、どう演技力でフォローせんと志しても無理が出るような、つまらない娯楽が増えつつあることを近年懸念し続けていたとも言えるのだ……

 昨日見た「美女と野獣」は私一人で観賞したため、我が子の感情を引き出すべく演技力の苦労からは最初から解放されていた。

 そうだとして…。
 あくまでも原左都子の感想だが、せっかくの実写版特撮ものにして、何故か物足りなさが否めない感覚が拭い去れないのだ。

 今日になって上記のネット情報を見ると、監督であられるコンドン氏の熱意の程は十分に伝わるし、実際の映画画面でも監督氏の方針は隅々まで表現されていた事は確かだ。
 例えば特写の技術力の程は間違いなく素晴らしいし、主人公ベルや相手役野獣をはじめ、出演者皆の演技力や歌唱力、ダンス力は目を見張るものがあった。 特にクラシックバレエファンでもある私としては、お城での豪華絢爛舞踏会の風景などまるで舞台でコールドバレエを見るがごとくの迫力があった。

 その一方で、後に残るものが無いのだ…。
 昔見た映画には、必ずやそれがあった気がする。 “いや、違う。” “私はこう思う。” “私ならばそうはしない。” 等々、とにかく映画を見た後で、自分なりに考える時間が自然と取れたものだ。
 単に映画の部門にもよるのかもしれない。 ただ私の記憶によれば、昔は部門を問わず映画を見た後で、その感想等を一緒に見た人と酒でも飲みながら語り合え、更なる自己発展に繋げられたような記憶があるのだ。 

 娯楽は娯楽であってよいのだろう。
 ただ、娯楽が永遠に人類の娯楽であり続けるためには、人間に“考えさせる”作業を提供する事も視野に入れつつ発展し直すべきかと思ったりもする。

 3D、4D  ……  一体何処まで映画は最新技術に支えられ発展を続けるのだろう。 
 “最新技術の発展” と “人間の脳の退化” が同時進行しない事を私は望む。

生命体を育む喜びと住民の苦悩

2017年04月25日 | 時事論評
 (写真は、私の自宅がある集合住宅南側道路を挟んで前面に今冬設営された「区民農園」。)


 我が家の南側に程近い土地が都主要道路計画地に指定されている事は、本エッセイ集バックナンバーにも記した事がある。

 当該都道路計画は、十数年前に我が家が現在の集合住宅物件に買替購入したずっと以前より存在していたようだ。 そのため物件売買契約に当たり重要事項説明書にもその旨が明記されていたし、販売営業担当者も繰り返しそれを伝えてくれた上で我が家は契約締結に至っている。

 ところが何処の道路計画も同様なのだろうが、この計画がいつまでも“宙ぶらりん状態”でほとんど進展しないのだ。
 おそらく道路計画反対派市民が多い実情なのだろう。 我が視察及び推測に寄れば、道路計画に賛同する該当物件より取り崩しを着手しているようだ。 計画地の所々に既に建物が撤去され空き地になっている箇所がある一方で、反対派住民はこの地にそのまま住み続けている様子だ。
 まったくもって一旦自己所有物件が道路計画などに運悪く引っかかったものならば、賛同派、反対派にかかわらず長年に渡り理不尽にも不自由な扱いを強いられるものだ。


 写真の「区民農園」の前身は、都心にして珍しく「農地」だった。 土地所有農家が昨年まで野菜中心の農作物を細々と育てていた様子だ。
 これまた我が憶測だが、都道路計画に一部がかかっているこの土地の転売を都から禁止されていたのか、あるいは片隅が道路計画に引っかかっている土地など誰も購入しなかったのであろう。

 事態が急変したのは、昨年末の事だ。
 私が住む自治体である都内23某区より、「区民農園のオーナー募集」のチラシが自宅ポストに投函された。  それを見ると、まさに我が家の目の前の農地を区民農園にするとの事のようだ。
 要するに、やっとこの地を区が農家から買い取ったのであろう。 そしておそらく道路計画が実行に移される事が決定した暁には区が自らの施設でも建設するか、あるいは転売しようとの魂胆と憶測する。


 さて、このチラシをみた我が亭主が目を輝かせながら、「僕がその一角のオーナーになる!!」と言い始めるではないか!
 これは大変!  “根がお気軽かつ新しもの好きミーハー三日坊主”で名高い我が亭主が、その“生業”を全う出来るすべもない。
 私応えて、「ちょっと勘弁してよ。 やるなら一人でやって。途中でギブアップして私にバトンタッチと言われても引き継がないよ!!」と捨て台詞を吐くしかない。

 それでも亭主未練タラタラ状態の中、幸いにもすぐさま「区民農園募集」は応募総数に達したようだ。


 さてさて年が明けた今冬、「区民農園」は開園した。
 まだ真冬の厳寒の下、少しずつ区民農園のオーナー達がやって来る。 この様子を日々ベランダから興味深く見学している私だが…。

 驚かされたのは、農作業の大変さだ!  区民農園オーナー皆様の働きぶりが凄いのだ!!
 狭い区画農園とは言えども、まず皆さん土を耕すところから取り掛かる。 凄い人は、地下1,5m程まで掘り下げている。 (えっ? こんなに深いところまで掘り下げて、まさか死体を埋めるのでは…)  なる私の心配はご無用のようだ。

 どうやら皆さん、農園経験者であろうと推し量るのだが、とにかくその手際の良さは素人には真似が出来ないと私は結論付けた。
 我が軟弱亭主にもその姿を一見させるべきと考えた私は、早速その「農作業」の様子をベランダから亭主にも見学させたのだが…  案の上「こりゃ、無理だ。」とすぐに納得してくれた事に安堵した。


 土地を耕す時期から3,4か月の月日が流れ……

 春の訪れと共に、当該「区民農園」の農作物のそれぞれが成長を遂げている。
 ある区画は色とりどりの綺麗な花が咲き、また別の区画は野菜が青々と育っている。 冬の時期から本格的にハウスを設営した温室栽培の農園では如何なる食材が実っているのだろうか。

 特に春満開になったこの頃は家族総出で「区民農園」に来園する一家も多く、近頃の週末など狭い農園が人出ラッシュ状態だ。 おそらく「区民農園」で育む農産物と共に、ご一家皆が存分に“にわか農場主”として成長されている事であろう。

 その一方で一体いつ、この「都民農園」は都道路計画の実行と共に消え去る運命にあるのだろうか? 
 都政としては道路計画など今まで通り一番後回し政策として放置し、実行に移される日の見通しがつかないものと推測する。

 そんな地域住民の苦闘を知ってか知らずか、いつまで存続するのか見通しがつかない「区民農園」を楽しんでいる区民の姿をベランダから日々垣間見る私だが……。
 今後の道路計画の行く末を懸念しつつ、もしかしたら遠い未来までも共に農園にて育ちゆく生命体の姿を楽しませて頂くはめと相成るのだろうか??

「幼稚園バスに乗るのが嫌だ!」と毎朝泣き叫ぶ幼児を救いたい

2017年04月24日 | 教育・学校
 私が住む集合住宅南面ベランダ側が、幼稚園バスの停留所となっている。

 4月の新学期が始まった2、3週間程前からだろうか。
 毎朝午前9時15分頃より、幼稚園バス停留所から幼児の泣き叫ぶ声が我が家の室内までけたたましく響き渡る。
 「幼稚園バスに乗るのが嫌だ!」「幼稚園へ行かない!」 「ママが好きだ!」 「ママがいい! ママと一緒にいる!!」
 そんな幼児の“命からがら”の訴えを完全無視して、幼稚園バスはママから幼児を引き剥がしバス内に強制収容して連れ去っていく……

 この"惨たらしい”までの仕打ち” に耐え切れず、私は日々幼児と共に涙している。
 そして、今日こそ下の停留所へ行って幼児を救おう! と決断しかけては、「他人が出過ぎた真似をしてはならないよなあ…」と思い直し諦める日々だ。


 物心ついて間もないかと思しき幼児相手に日々こんな惨劇を繰り返していると、幼児の人格を歪め後々までトラウマとなってしまいやしないか…。
 と、本気で頭を悩ませる私自身の私事と私論に入ろう。

 私自身は元々集団嫌いの気質があったものの、幼き頃よりどういう訳か客観力が育っていて理性で自我を押し殺す事を暗黙の内に学んでいた事もあり、自分の意に反してひたすら真面目に健気に幼稚園や小学校へ通ったものだ。

 片や、我が姉は全く異なった。
 “集団嫌い”という面では私と同質なのだが、姉は自分の感情を常に素直に表出していた。 毎朝「幼稚園へ行かない!」と母に告げつつ泣きじゃくっていたことを記憶している。
 ただ我が姉の素晴らしさは、その嫌悪感を実行に移した事だ。  一度、姉が4歳頃に幼稚園から一人で家まで帰って来たことがある。 それをこっそり後から付けて来てくれた幼稚園の先生が、姉が庭に干してあった布団の間に隠れているところを発見して、「どんなに上手に隠れても、可愛いあんよが見えてるよ♪♪」と歌ってくれたとのエピソードは、我が家で後々まで語り継がれている美談だ。
 小学校へ入っても姉は、学校から途中で一人で家へ帰るとの(私には真似が出来ない)“実力行使”を何度かやり遂げていたものだ。
 今に至って尚自我が強く自分の心に素直に生き抜いている姉は、国際結婚にて米国に渡った後、「2度と嫌いな日本の地を踏まない!!」意思が強靭だ。 その徹底した日本嫌いは、学校等が全生徒に集団生活を強要する日本の教育体質に馴染めなかったことに苦しめられた怨念かと、私は理解している。


 我が娘に話を移そう。

 娘の場合、これまた事情が大きく異なる。 若干の事情を持ってこの世に生まれ出ざるを得なかった娘のサリバン先生として、母である私は娘幼き頃よりずっと二人三脚でかかわって来ている。
 専門家筋からも相談・指導を受けつつ、某相談所にて「幼稚園へ早めに行かせた方が今後小学校へ上がるに当たって娘さんのためにプラスになる」とアドバイスを頂いたのだ。
 これに大いに迷ったサリバンだ。 何分、娘の能力が何ら開花していない時期だった。 もう少し母であるサリバンの手元に置いて、私が1対1で一心に育てたいとの思いが強靭だった。 それでも専門家筋のアドバイスを尊重し、結局3歳時に娘を幼稚園へ入園させた。
 結論としては、すぐさまいじめに遭うわ、幼稚園教員との意見はすれ違うわ、途中幼稚園転園を余儀なくされるわ、でサリバンとしては散々要らぬ苦労をさせられたとのマイナスの思いしか残っていない。

 それでも素晴らしかったのは、我が娘が一日足りとて幼稚園へ行くのを嫌がるでもなく泣き叫ぶでもなく、サリバン指導に素直に従順に3年間に及ぶ幼稚園通いを全うしてくれた事実だ。

 そんな娘に比較的最近、サリバンとして問うた事がある。
 「貴女は本当に素直に幼稚園通いをしたのだけど、あの時どんな感情に基づいてそうしてくれたの?」
 既に成長を遂げている娘が応えて曰く、「何も覚えていないと言うのか、何のために幼稚園へ行っているかとか、とにかく何も分からずにただお母さんが連れて行ってくれるから行ったし。 本当にまったく何も分からずに行った。」
 この娘の回答に心底安堵した私だ。 結局、娘が生来的に抱えている事情に助けられる思いさえ抱く。
 と言いう事は、娘が過去に受けた「いじめ」や「周囲の無理解」に対しても、サリバン母が懸念し今尚心を痛めている程には、本人にとっては鮮明な記憶がないという事なのだろう。
 サリバンの方針として、こんな娘の特質を再認識しつつ、今後共良き社会人生活を全うさせてやりたいものだ!


 さて、議論を表題の「幼稚園バスへ乗るのが嫌だ!」と泣き叫ぶ幼児に戻そう。

 この幼児は我が娘とはまったく異なり、元々何らの瑕疵なくこの世に生まれ出た“お利口さん”の様子だ。
 そして、「ママが好き。いつもママと一緒にいたい!!」 なる自己のポリシーが明白でもある。

 そんな自分の感情を素直に表現出来る幼き子供を、何故、その叫び声に背いてまでも幼稚園バスに乗せる必然性があるのだろう!?!
 もしも、この幼児のお母様が現在自宅で養育可能な環境にあるのならば、是非ともご自宅で幼児が大好きなママとの時間を共有して欲しいものだ。
 
 日本の旧態依然とした(特に幼児分野教育学者)からの得体の知れない“集団主義教育”の言い分など聞き捨てては如何か? (我が国に於いては、森友学園問題が発生したばかりだろう??)

 泣き叫ぶ可愛い我が子を力づくで幼稚園へ預けるよりも、親自らが自身が培ってきた豊かな教育を成した方が、よほど子どもの未来があるのではないかと私は訴えたい。 

絵むすび(朝日新聞2017.04.22編)

2017年04月23日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2017.4.22 パズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)


 「原左都子エッセイ集」少し前の2017.4.3 バックナンバーに於いて、私は「メンサ」と題するエッセイを綴り公開している。

 ここで、今一度その一部を掲載させて頂こう。

 実はこの私も、昔 “IQ168” を誇っていた時代があった。
 それは、今から遡る事60年近く前の幼稚園時代だ。
 過疎地出身の私だが、どうやらその頃私が住む過疎地では、子どものIQを教師陣が大っぴらに公開していたようだ。 何でも母が幼稚園の面談に行った時に、その話を聞いたのだと言う。 「〇ちゃん(私の事)が今回の幼稚園でのIQテストで当該幼稚園過去最高の“IQ168”の記録を樹立したのだが、ご自宅で何らかの特別教育をされていますか?」 母は「いえ、何もやっていません」と応えたらしい。
 その後時が過ぎ、子どものIQを非公開にするべく学校教員指導がなされた様子だ。 にもかかわらず、相変わらず教員とはそれを口外したい生き物のようだ。 我が中学校卒業時点で同級生より「〇ちゃん(私の事)は県内有数の名門高校に進学する生徒の中で一番IQが高いと、担任が言ってたよ」と聞いた。
 それだけ周囲から私自身のIQに関して聞かされれば、私本人とて「私って、IQが高いんだ」と自覚するのは必然だったと言えるだろう。

 さらに、ウィキペディア情報より「メンサ」に関して少し以下に要約して紹介しよう。
 メンサ(英: Mensa)は、人口上位2%の知能指数 (IQ) を有する者の交流を主たる目的とした非営利団体。 高IQ団体としては最も長い歴史を持つ。 会員数は全世界で約12万人。支部は世界40か国。イギリス・リンカンシャーにあるケイソープ(英語版)に、本部(メンサ・インターナショナル)を持つ。
 イギリス人科学者で弁護士でもあるランス・ウェアと、オーストラリア人弁護士のローランド・ベリルによって、1946年10月1日にイギリスのオックスフォードで設立された。
 メンサの組織は、各国のナショナル・メンサとナショナル・メンサが存在しない国を統括するメンサ・インターナショナルからなる。 各国のナショナル・メンサの代表者とメンサ・インターナショナルの役員とから構成される国際評議会において様々な方針を決定している。 また資金管理団体としてメンサ・インターナショナル・リミテッドが存在する。
 メンサには以下の3つの目的がある。
 1.知性才能を、認知、育成し、人類の向上に役立てること。
 2.知性の原理、性質、そしてその適用などを研究することを激励すること。
 3.メンバーのための知的、かつ社会的活動を促進させること。
 その活動としては、一般会員向けの「International Journal」や、幹部会員向けの「Mensa World」、非会員向けの「Mensa Research Journal」などの発行が行われている。 成績優秀な学生のための奨学制度、学校に適応できない児童の支援、会員向けの旅行案内、金融機関と提携したクレジットカードの発行、レンタカーやホテルの割引、パズルや書籍の販売、就職の斡旋などの活動を行っている支部も存在する。
 メンサに入会するためには人口上位2%に属する知能指数(IQ)を有することを証明しなければならない。
各国基準が違い、それぞれの国の上位2%である。 試験問題もアメリカのメンサと日本のメンサでは違う。Flynn effect(フリン効果)を考慮せず、違う年齢の人間を同じ基準で比較する。つまり20歳でも50歳でも、ある一定以上のスコアを出せば入会可能。
 入会資格を得る方法として最も一般的なものは、メンサの実施する入会テストに合格することである。なお、受験回数には制限が設けられており、1年の期間を空けて、生涯に3度までしか受けられない。 日本はメンサによる入会試験と申請前1年以内に受けたwais-Ⅲ wais-IV wisc-III wisc-IVの検査証明書による入会を対象としている。 テストに合格しても会員となるわけではなく、入会する場合は年会費を支払う必要がある。 ジャパンメンサのように支部によっては入会しなければ合格そのものが取り消されることもある。
 最後に、原左都子の私論を語るならば。
 要するに「メンサ」会員になろうと志し試験を受けても、その後大したメリットがないという事だ。
 しかも「年会費」が必要!?!
 これ、単に「メンサ組織」が私利を得ているとの結論に達しそうだ。
 そんな事に会費を支払ってまで自分のIQを誇る必然性が無いばかりか、自分がIQが高いと信じた愚かさを会員になることにより暴露して、世からの信頼を失わないとも限らなそうにすら思える。
 日本の著名人の多くもこの「メンサ」会員になっているようだが…。
 いやはや一庶民の私は、今まで通りテレビでクイズを楽しむ事を堪能しよう! 

 (以上、我がエッセイ集より「メンサ」と題するエッセイの一部を再掲載させていただいた。)



 と言う訳で、私は本日も朝日新聞パズル「絵むすび」解答を楽しんだという事です。
 
 そんな私が最近ネット上で、毎日パズル(クイズ?)を楽しんでポイントを稼げるサイトを発見しました!
 その会費が無料ならば、要するにCMサイトであり画面の動きが遅いのにイライラさせられつつ、日々時間がある時に「脳トレ」「頭の体操」等々に励んでいます。 (これがまるで過去に幼稚園や学校で受けた“IQ検査”のごとくです!)

 まあ、「メンサ」に登録して年会費をぼったくられるよりは、チマチマとネット無料の「脳トレ」「頭の体操」に励みポイント稼ぎをするのがマシかな…… レベルのくだらない話題で大変失礼致しました。