原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人気とは“砂上の楼閣”に過ぎない

2009年08月31日 | 時事論評
 やはり、多くの国民は民主党に“札束で頬をはたかれて”しまったのか?

 片や、札束で国民の頬をはたいた側の民主党は、実は“打出の小槌”は持ち合わせていなかったことに今になってしどろもどろしつつ、「マニフェストとはその実践が遅れることもあるが、国民の皆様にはご理解いただけると考えている」などと既に尻込みし始めている。
 開票早々こんな気弱なことで、今後国政の要の政権としてリーターシップを取っていけるのか?


 人気とは、そもそも“砂上の楼閣”に過ぎない。
 なぜ今回の総選挙で民主党が圧勝したのかを、民主党自らが早急に分析するべきである。
 私に言わせていただくと、その理由は“札束で国民の頬をはたいた”ことと、マスメディア報道や周囲の雰囲気に流されやすい主体性のないこの国の国民性がもたらした一時のブームに過ぎないのだ。

 今まで野党であった民主党の政治力など、誰にも未知であるはずだ。 にもかかわらず、これだけの大量票を集めるに至ったのは、政権交代により世が変わると信じつつ貧乏にあえぐ国民の他力本願な生き様をまんまと利用する戦法で、とりあえず票を取る事に民主党が徹したからに他ならない。
「国民の皆様が民主党にこれ程大きな期待をしていただいていることに、怖さすら感じる」などと今さらながら尻込みしている場合ではない。 期待とはそれを裏切られた時の反動も大きい事を肝に銘るべきである。


 今回の総選挙で政権をとった民主党が、既に破綻しているこの国においてやるべき改革は盛りだくさんである。 
 予期せぬ大量得票におののいて、弱気になっている暇など一切ないはずだ。
 選挙公約とは選挙民との約束であり、必ずその約束は果たされるべきである。

 民主党が国政を建て直しすばらしい国家を築き上げる日は間近い、との健気な庶民の期待を裏切ることなく、新たな国民の真のリーダーとして遺憾なくリーダーシップ力を発揮して欲しいものである。
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ワクチンの有効性と安全性の公表を

2009年08月28日 | 医学・医療・介護
 新型インフルエンザが国内でも流行期に入っているとのことで、特に学校等の集団内においてマスク姿が目立つようになってきた。
 既に2学期が始まっている学校も多いようだが、9月になって全国的に新学期に突入後の学校等における集団の場を介しての感染のさらなる拡大が懸念される現状である。


 新型インフルエンザに関しては、5月に国内において初めて感染者が確認された当初の、政府の旗振りによるマスメディアの不必要な大騒ぎと国民の過剰な反応が思い出される。
 その後、今度は各自治体において観光収入による経済復興等の目的で、感染の拡大が終結したかのような“宣言”が各地で続々と発表され、人々は新型インフルエンザの存在を既に忘れ去っていたことと思われる。
 実際には感染拡大が終焉した訳ではなく、行政の対応が変化したことにより一時マスメディアが騒がなくなっていただけのことなのだが、正確な情報とは発信されにくいものであり、また情報の受け手である国民側も表向きの情報のみに左右され易いことを実感させられる。

 そんな中、先だって国内での新型インフルエンザによる初めての死者が出たことが発表され、現在までに死者が3人に上っているようだ。合わせて幼児の発症者の重症症状等についても報道されている。 
 こんな真夏の時期のインフルエンザによる死者や重症者の存在はあまり例のない事態であり、新型インフルエンザの得体の知れなさがこの私ですら不気味である。 とにもかくにも、国民一人ひとりが今後も心して感染予防に心がけ、感染経路を絶つべく行動をとるべきであろう。


 そのような新型インフルエンザの感染の拡大に伴い、現在「ワクチン」に関する様々な報道を見聞する。
 どうやらワクチンが足りないらしい。 そこで、輸入に頼るという報道もある。 また、その足りないワクチンを誰に優先的に接種するかに関しても様々な議論が展開されている模様である。

 ちょっと待って欲しいのだ。
 これらの報道が「新型インフルエンザワクチン」を求めて国民が“我先に!”と医療機関へ殺到するのを煽ってしまうことを懸念するのは、私のみなのであろうか?

 当然ながら、私はこのワクチン摂取を一切希望しない。(これに関しては、医学関係の職業経験があるが故に私が“医療嫌い”であることをご存知の読者の皆様には、周知の事実であろうと思われるが。) 
 そして、実際のワクチン接種に当たっては医療機関には慎重に対応して欲しい思いである。 なぜならば、さしあたってそのワクチンの“安全性”が現在のところ不明であるからだ。(“有効性”に関しても何らの情報もない現状であるが…)


 どうやら今回の新型インフルエンザワクチンの場合、厚生労働省は「任意接種」とする意向のようで私など一応は一安心である。
 その場合に、ワクチン接種による副作用等で極端な例として死者が出てしまったような場合どう対応するのかに関しても、厚労省は事前に明確にしておくべきであろう。
 
 8月27日(木)朝日新聞朝刊トップ記事で、私の上記の懸念と一致する記事が取り上げられていたので、以下にその一部を紹介しよう。
 新型インフルエンザのワクチン接種で副作用による被害が生じた場合について、厚労相は国による補償制度を検討している事を明らかにした。今回のワクチンの場合「任意接種」であるが、副作用が起きた場合に医薬品医療機器総合機構を通じて給付金が支払われるが、国が補償する(任意ではない)接種の場合、死亡一時金などの金額が数倍になる場合がある。(通常の)季節性インフルエンザのワクチンの副作用の頻度は100万人に2人程度という報告もある。
 厚労相は9月にも接種の優先順位を決める方針だが、誰を優先すべきかについては意見が分かれる可能性がある。日本小児科学会は小児の中でも対象を絞って優先接種とすることを要望し、経済的理由で不公平が出ないよう無料化が必要と指摘している。
 また、ワクチン輸入の際には、小児はけいれんなどを起こしやすいため、有効性と安全性を確かめる臨床試験を実施するよう求めた。
 (以上は朝日新聞記事の新型インフルエンザワクチンに関する記事の一部抜粋である。)


 持病等を持つ小児やお年寄り等の医学的弱者のワクチン接種に関して、その副作用を第一に懸念する私である。
 上記朝日新聞記事によれば、輸入ワクチンに関してはその臨床試験をするとあるが、重ねて国産のワクチンについてもその有効性と安全性の臨床試験結果を早急に公表して欲しいものである。
 ワクチン接種を国民に煽るごとくの報道よりも優先して成されるべきは、当該ワクチンの有効性と安全性の報道であるはずとするのが私論である。
      
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終わりゆく夏の夜に過る夢

2009年08月25日 | 恋愛・男女関係
 今朝方の東京地方の最低気温は、21℃程だったのだろうか。

 夜中の3時頃、夢を見ている途中だった私は、東側の窓から忍び込んでくる“肌寒い”とさえ感じられる冷気を含んだ風がさわさわと窓のカーテンを揺らす音で目覚めた。


 おそらく今夏一番の涼しい朝を迎えた夏の終わりの夜に、私は不思議な夢を見た。

 その夢の登場人物は私の過去の恋愛相手である。 当該恋愛相手が私の夢に登場したのはおそらく30年ぶり程のことと思われるほど、私の潜在意識の中にさえ存在するはずはないと自分では認識している人物の夢だった。
 すっかり忘れ去ったはずの恋愛なのに、何故にこの夏の終わりの涼しい夜に私の脳裏に突然その恋愛が蘇ったのか、私自身が実に不思議なのだ。


 夢の内容といえば例外なく夢特有に曖昧模糊としているのみで、摑みどころがない展開である。
 少し端折ってその内容を振り返ると、どういう訳か私がその人物と国際航空便で海外旅行に向かっていて、その機内の風景が夢の舞台である。 そしてまたどういう訳か、小中学校時代の幼馴染の男の子達も数人出演してくれている。 そんな中、これまたどういう訳か機内放送で私達カップルが紹介される場面になるのだが、乗客の皆が我々を祝福してくれるのだ。(さらに詳細部分もあるが、これを公開するとその人物が特定されてしまうため以下は略すことにしよう。)
 いずれにしても“いい夢”だったことは確かだ。 きっと、涼しい夜に心地よく眠りに付いていた私の脳裏に、一時の安らぎがもたらされたのであろう。


 ところが実際のその恋愛自体は、決してハッピーエンドの道を辿ってはいないのだ。
 当時、片田舎の学生同志だった若かりしカップルは、若気の至り故に羽目を外しては無茶をしたりもしつつ、若き日の青春の日々を二人で綴っていた。
 悲しい事に、若き日の恋愛とは必ずや別れが訪れるものである。 その“別れ”の想い出が美しいならば、もしかしたらすばらしい過去の恋愛の歴史として、顕在的にその歴史を自らの脳裏に刻み続けることが可能だったのかもしれない。
 ところが私のこの恋愛はそうではなかった。 私の認識では、なぜ二人が別れたのか捉えどころがないまま自然消滅したとも言えるのだ。
 当時の私は、相手の男性の方が“悪い”からそういういきさつになったと信じて疑っていなかった。 私はその恋愛を続行したいと思っていたのに、相手が自分勝手だったから故に訳がわからないまま恋愛が終焉せざるを得なかったのだと、ずっと認識していた。

 その時の私の相手に対する“恨み”にも似た心情すら、時間の流れと共に潜在意識の中で既に消滅しているはずだった。


 そんな時、昨夜の窓のカーテンを揺さぶる冷気を含んだ風が、眠る私に事の真意を再考するように促したとも思えるのだ。
 その登場人物と綴った様々な恋愛風景が、長い年月を経た今になって、涼しい夏の終わりの真夜中にフラッシュバックしたのだ。 私の方こそが自分勝手な行動を散々取ったその頃の日々の奔放な風景が、私の脳裏に走馬灯のように駆け巡ったのである。
 一例を挙げると、当時学生だったダンス好きな私は学生主催の“ダンパ”(ダンスパーティ)を好んでいたのだが、それに私が参加するのを嫌う恋愛相手が「出来ればダンパには行かないで欲しい」と言うのを軽く蹴散らして、ダンパに参加し続けていた。そこで知り合った別の男子学生と軽いノリでドライブを楽しんだりもした。 そんな若気の至りの軽薄過ぎる私の行動を、表面上は「いいよ」と許してくれた相手の心中に、私に対する不信感が徐々に募っていたことは今振り返ると明白である。

 そんなこと、30年以上も経った今となってはもうどうでもよさそうなものなのに、何故か今年の夏の終わりの冷気を含んだ風が私に“みそぎ”を迫るかのごとくに、私のかすかな潜在意識に吹き込んだとも受け止めることができる、何とも不思議な今朝方の夢である。

 いや~~~。(“みそぎ”が終わった後の)今朝の目覚めのすばらしいこと。
 何だか少し身軽になった気分で素敵な秋を迎えられそうだなあ~。
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みみっちい男

2009年08月22日 | お金
 長~~~い独身時代を謳歌、堪能した私であるが、その頃、もしも将来結婚を考える場合、相手の男の条件としてこれこそが最重要!とこだわっていた事項が一点あった。


 それは相手の男の「金銭感覚」である。

 私が独身だった頃は「三高」「四高」という言葉が流行り、女性の男性に対する“高望み”志向がまだまだ蔓延っていた時代だ。 結婚相手の男性の条件としてもちろんそれらも揃っているに越した事はないのであろうが、それよりもまず、一生共に生計を立てていくパートナーと「金銭感覚」が合わないことには共同生活が立ち行かないと私は当時より考えていた。

 独身同士でお付き合いをする場合は、当然ながらお互いに“独立採算制”である。
 そんな中、気前が良くて大盤振る舞いの男は正直なところ“美味しい”存在だった。 お互いに“独立採算制”の基本原理の下、あちらが主体的に大盤振る舞いしてくれる分には、こちらとしては相手に対する責任もない立場であるし、“美味しいところ”だけ享受させてもらっていれば済んだものだ。

 ところが、相手の男が将来結婚を考慮する対象となると話は一変する。“大盤振る舞い”男とは要注意人物でしかない。その人物の経済力にもよるが、それに見合わず“大盤振る舞い”する男に関しては、私の場合、結婚相手としては却下対象となったものである。 いい大人が自分の経済力に相応しい「金銭感覚」を持ち合わせていることは結婚に際しては必要不可欠の条件なのだ。
 と言う訳で、独身時代は“美味しい”思いを享受させていただきつつ、その条件を満たしているかどうかを水面下で虎視眈々と審査していた“我が身息災女”の私であった。
 
 その逆バージョンも当然ながら考慮していたぞ。
 私が独身時代に購入し独力でローン返済も済ませていた私名義の住居物件にまんまと転がり込んでそこを二人の新居にしよう、などと安直に狙う“お気軽男”など門前払い!の意思も強靭だったものだ。(幸いな事に、当時は時代背景的な要因か、私の周囲にはその種の“お気軽男”は一人として存在しなかったものだ。)


 少し前の記事になるが、朝日新聞8月8日(土)の朝日新聞別刷「be」において“ケチで、みみっちい夫に幻滅”と題する相談が取り上げられていた。

 早速、37歳共稼ぎ主婦によるこの相談を以下に要約して紹介しよう。
 同い年の夫と結婚して4ヶ月になるが、結婚してすぐに家を買った。夫婦共有名義でそれぞれがローンを組んできっかり半額ずつローン返済しているにもかかわらず、やれ、ローンが大変だから生活費を多く家計に入れられない、云々と夫がほざく。 自分の欲しいものも夫婦共有名義の講座から引き落としたり、自分の知人からもらったものは“おれのものだ!と恩着せがましい。 最初は我慢していたが、勇気を出して夫同様に“これは私のものだ!”と言い返すようになったが、心がだんだんすさんでゆき、みみっちい夫に対して愛情がなくなってしまい離婚も頭をよぎる私は考えが甘いのか…。
 以上は、朝日新聞「be」“悩みのるつぼ”に寄せられた結婚わずか4ヶ月の女性の相談である。


 この相談を読んで、私は愕然としてしまった。
 今や“草食男”と“肉食女”が増殖しつつあり、女の経済力を当てにしてそれを結婚条件にする男まで出没している時代のようである。(本ブログのバックナンバー「『正社員』は結婚の条件だよ」を参照下さい。)
 そのように、女性が経済的能力を磨き社会において男と対等な力を身につけつつある時代へと変遷している世の中にあって、何故に経済力ある女性が結婚以前に相手の男の素性を見抜く能力を身に付けられないのであろうか。

 あくまでも私の主観的感想であるが、この相談者女性の結婚は失敗である。
 私が十数年前に結婚に踏み切ろうと決断した年齢がこの女性と一致するのだが、長い独身期間中に自分自身の経済力を養うと共に、将来の自分の人生を築いていくべき観点も同時に養っておくべきではなかったのか。 40歳近い年齢にもなって、結婚しようとする相手の男性の「金銭感覚」さえも把握せずに結婚に踏み切ってしまったのか? 結婚前に両人で家計のあり方についての話し合いを持たなかったのか?
 厳しい見解だとは思うが、結婚4ヶ月にしてこの状態では、この女性相談者の結婚生活の先はないものと私は判断せざるを得ない。


 参考のため、今回の“悩みのるつぼ”の回答者でいらっしゃる作家 車谷長吉氏の回答の一部を以下に紹介しよう。
 あなたの夫は駄目な男です。ことお金のことに関して愚痴・小言・泣き言の多い男を救う道はありません。女だって同じです。この世は黙って働くことが一番大事です。最低限飯が食えれば、あとは貧乏がよいのです。


 最後は私論で締めくくるが、結婚に際しては男女両人共に“人格的に自立”していることが最低限の条件だと私は捉える。 その人格的自立を前提として、恋愛結婚であれ見合結婚であれ、とにもかくにも結婚前に両人で話し合いを持ち、今後の長い共同生活のあらゆる要素に関して一応の合意をしておくべきである。
 “話し合い”“合意”などという表現を用いると事が大袈裟であろうが、デートで仲良くしている時にそういう話題を楽しめる時間を二人で共有できてこそ、将来の幸せな結婚生活に繋がるのではなかろうか。 
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損得勘定は論理的に

2009年08月20日 | 時事論評
 第45回総選挙が18日に公示され選挙戦がスタートした今、各政党の選挙公約を見聞していると、やれ、子ども手当ては所得制限を設けずに全家庭に支給、いやいや、幼児は教育費無償化、なんのなんの、社会保障費カットは廃止、どっこい、消費税は全面廃止……

 いやはや、いずこの政党も、どうやら “打ち出の小槌” をお持ちの様子だ。

 これはまた羨ましい限りなのであるが、“打ち出の小槌”を恐らく持ち合わせていない庶民にとって日頃の経済生活に欠かせないのが“論理的な損得勘定”であろうか。

 既に財政破綻しているこの国の選挙戦における政党間の議論に関しては、各政党共に“財源案”こそを明確に!! と申し上げたい思いの原左都子である。
 それに関してはまた別の機会に記事として取り上げることにして、今回は庶民の日常生活における損得勘定について取り上げることにする。


 (既に前回の記事のコメント欄でも記載済なのだが)先だってカラオケ店を訪れた時に、「携帯の裏面にICカードが埋め込んである携帯の場合、それを“ピッ”とかざすだけで簡単に会員登録が出来てカラオケ料金が割引になるので、登録して下さい。」と店員に勧められた。
 前回の記事の通り、携帯を買い換えたばかりの私の携帯にもその裏面にICカードが埋め込まれているのは認識していたのだが、その機能を使用する機会など私には今後の人生において皆無であろうと考えていた。 そんな旧人類の私にも早くもその機会が訪れるほど、世の中が携帯漬け社会となっていることを痛感させられる。
 様々な理由的背景があって(前回の記事のコメント欄を参照下さい。)私なりに登録を戸惑っていると、若き親切な店員が私に代わってデータ読み取り器に私の携帯をかざしてくれた。そして、マニュアルに従って諸情報を入力するように促してくれる。
 さらに私が戸惑ったのは、会員登録に必要な情報を入力するために携帯がウェブに接続されたことだ。(ちょ、ちょっと待ってくれよ! なんでこれしきの会員登録に高額の携帯通信料を私が支払わねばならないのだ!!?) と、とっさに慌てて途中で接続を切り、親切な定員に申し出た。 「申し訳ありませんが、携帯の扱いに慣れていませんので、今回は会員登録は見送ります。」 店員さん曰く「そうですか。会員登録すると室料が25%割引となってお得なのですが…」

 この店員さん(本当に親切な方でしたよ)の言い分に関しても、実は落とし穴があることにも私は気付いていた。平日昼間の場合、カラオケ室料は2人1時間でわずか100円程度なのだ。 たかが25円割引いてもらうより、携帯ウェブ接続でデータを入力するのに要する通信費の方がよほど高額であることは間違いない。なぜならば、私の携帯の場合、前回の記事のごとくパケット関連オプションを一切契約していないことにより通信費が“至って割高”なためである。
(参考のため、以前、携帯メールアドレスを変更するためにやむなくウェブに接続して、扱いに不慣れなため必要情報入力のために時間を要したこともあるが、たかがそれのみの通信料に¥2000- 程もの追加料金の請求が来たのである。)

 しかも、「お得ですよ~」との利益享受側の勧めに単純に応じることにより、めくら滅法”会員登録してしまうことによる、個人情報の自らの流出によるその後の潜在的損失こそが膨大であることにも思いを馳せて消費者は我が身を守るべきである。

 それにしても、現在はすべての日常的な消費取引においてIC化が進展している時代である。
 個人情報を登録した上でIC化されたカードが渡されるのは承知の上だが、「お買い物の際にはカードの呈示によりポイントが加算されお得です」と言われて、この私でさえもある程度の個人情報を記載の上、カードを申し込んでいる始末である。
 例えばの話、たかが近くのスーパーで食料品を買うがためにスーパーの経営戦略上使用される目的で個人情報を提供しているのであれば、せめてそのポイントは是非共有効利用したいものである。
 (まあとにかくポイント制の場合、そのポイントをまめに使うことで個人情報提供の損失も含めた元を取るしかないでしょうね。)
 それにしても、庶民にとって民間業者のポイント制度が大してお得でないことが現状とも推測する。


 話題が総選挙から庶民のみみっちい普段の生活にレベルダウンしてしまい恐縮だが、日頃の庶民の経済生活と各政党のマニフェストにも共通項はあろう。

 経済的安定あってこその家計であり国家財政である。
 “打ち出の小槌”など夢物語にしか過ぎないことを、国家のリーダーたるべき立場に立候補した人物から、全国民に対し理路整然と選挙公約で語って欲しい思いだ。
 ましてや、国民にその場しのぎの“ポイント”でも授けるがごとくの一時の金銭手当支給よりも、近くのスーパーのポイントでも溜める方がよほど信憑性があって役立ちそうなのが、これまた虚しくて末恐ろしい思いだ……

 とにもかくにも、“既に膨大に破綻している国家財源”から尚も安直な損失を計上し続けることだけは、何がなんでも避けて欲しい切実な思いの一国民の私である。 
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