原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

朝日新聞 パズル「推理」 ー 2022.04.30 編 ー

2022年04月30日 | 自己実現
 (冒頭写真は、朝日新聞2022.04.30付 パズル「推理」に、原左都子が解答したもの。)



 今回のパズル「推理」は難易度3にして、それ相応の解き易さでしたね。

 特段の解説は必要無いことでしょう。




 ところで、今回の課題テーマは「ラーメンライス」のようですが。

 私め原左都子は、子供の頃からこの「ラーメンライス」が大嫌いで……

 家族で行楽に出かけた時に、田舎の小さな食堂で親が「ラーメンライス」ならぬ「うどんライスにする」と言い始めて。😱  
 
 (何で、炭水化物ばかりを摂取しなきゃいけないのよ!)と、怒りにも似た思いを親にぶつけ、私はカレーライスにしたかな?

 まあただ、今考えてみるにカレールーだって小麦粉が沢山使用されているし、カロリーはカレーライスの方がずっと高いだろうね。😵 



 確かに、今現在も「ラーメンライス」ファンは世に多いような気もする。



 かく言うこの私も、子供の頃は「味噌汁ライス」「すき焼きライス」等々を好んでいた記憶があるかも?!?!😖 


口と肛門が一本でつながっているのは残酷か??

2022年04月28日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、朝日新聞2022.04.27付記事「口と肛門 一本でつながる残酷さ 現役医師の朝比奈秋さん、デビュー作「私の盲端」より写真を転載したもの。)

          
 こちらは、「私の盲端」著者の朝比奈秋氏。 ご本人からの写真提供らしい。
           


 今回の記事も「書評」に分類されるのかもしれないが。

 とにかく表題に大いなるインパクトがあったため、興味をそそられて記事を読んだ。


 以下に、その記事の内容を要約引用しよう。

 昨年「潮の道」で林芙美子文学賞を受けた朝比奈秋さん(40)。 デビュー作『私の盲端』は、身体のままならない残酷さを描きながら、生命力に満ちた作品集だ。
 朝比奈さんは消化器内科の現役医師。 青森の病院でひと月ほど働いた経験は、へき地の高齢者医療を描いた「塩の道」にいかされている。 患者の戸惑いや医師の諦念が的確に物語に挿入されるが、ふいにタブーに突き進む大胆さに驚かされる。
 表題作は、直腸の腫瘍を取る手術で人工肛門になった女子大学生が主人公。 全編を通して便の気配が漂う。 バイト先の飲食店での描写が秀逸だ。 食べることと排泄が同時に起こり、チャーハンと便の匂いは混然一体となり、さらにエロスが混ざり合う。 絶妙なさじ加減で、下品でも露悪的でもない。
 「口と肛門が1本でつながっていることを日常で実感はしない。 あの場面を書いて初めて、腸管すべてで便の存在を感じている、口と肛門は一体なんだ、と実感しました。 僕自身にも衝撃的なシーンでした。」
 小説を書き始めたのは5年ほど前。 「文学には親しみのない一切無い人生だった」という。 論文執筆中に、ふと思いついて書いたのが原稿用紙400枚分の小説だった。 (中略)
 創作への衝動が収まらず、3年前に勤務医をやめてフリーランスの非常勤に。 
 救急病院での勤務経験もあり、多くの死を見てきた。 「死に様はみんな同じで、多くの方は意識が無いまま死を迎える。 しかしときどき、最後の一呼吸まで意識がしっかりしている人がいる。目力にやられそうになる。 あなたはどう生きてきましたか、どんな声をしていますか、と聞きたくなるのです」
 自身についてもひとごとのように語る、淡々とした語り口は作品にも通じる。 「研修医、専門医と進み、社会に適応してこれまでやってきたのに突然、小説を書かざるを得なくなりました。 35歳でいきなり。 人生何があるかわかりません。」




 原左都子の私見に入ろう。

 この私も医学部出身のため当然ながら解剖学も学んでおり、口と肛門が一本で繋がっている感覚が日々健在している。
 いえいえ一般の皆さんもそれくらいのことは重々ご存じで、おそらく食と排泄に関してそれぞれが留意しつつ食生活を送られていることであろう。

 それを、朝比奈氏は「食べることと排泄が同時に起こり、チャーハンと便の匂いは混然一体となり、さらにエロスが混ざり合う。」と表現されているが、これ、この私も至極同感だ!

 食物に“便の匂い”を想像することはしょっちゅうだ。 
 例えば、沢庵など見方を変えればとてつもなく臭い食物であろう。 子供の頃などは、あの“臭さ”が嫌で毛嫌いしていた頃もあった記憶がある。 それが美味と思えるようになったのは、成長と共に育つ“経験則感”に基づき後の事だっただろう。
 朝比奈氏の場合は、チャーハンと便の匂いが混然一体だったらしいが。
 それも何となく分かる気もする。 確かに沢山の具材を混ぜて作るチャーハンとは、一瞬“便の匂い”が混在するかもしれない。

 エロスとて、その集合体が成す人間の営みの素晴らしき光景の一部と私も捉えつつ、それを堪能してきた(いく)つもりだ。


 話題を変えて、医師の皆さんは患者さんたちの臨終場面に立ち会えるとの“特権”を得ているようにも、今回の朝比奈氏の記事を読んで感じさせていただいた。
 私の場合は自分の意思であえて就職先として医療現場を避け通し、あくまでも基礎医学分野にこだわったが故にその経験を一切していない身だ。


 朝比奈氏の場合は患者の「死を看取る」との貴重な体験をされた事実こそが、小説家への転向を決意された大きなきっかけとなったことと想像申し上げる。
 それでもまだまだお若い世代の朝比奈秋氏の、今後の人生選択を見守っていかせていただきたい思いだ。


再掲載 「ネット世界におけるウチとソト」

2022年04月27日 | 人間関係
 つい先ほど、我が「原左都子エッセイ集」内で、興味深いバックナンバーを発見しましたので、それを以下に再掲載させていただきます。



 今回の表題エッセイは、少し前の朝日新聞記事を大いに参考にさせていただくことをあらかじめ記載しておく。
 
 (申し訳ない事に日付不明だが)先だって見た朝日新聞記事 メディア空間考 「ウチ」と「ソト」 「何でも言える楽園はない」の一部を、以下に要約引用させていただこう。

 ネット空間はどこまでが「ウチ」で、どこからが「ソト」なのだろうか。 新しいSNSが現れるたび、「ここでなら言いたいことが言える」と話題になる。 しかしそのSNSが広まれば、そこはすぐに仲間だけでなく他者も存在する「ソト」になる。
 今まで感じていた「ウチ」という意識は何だったのか。 誰も傷つけず誰からも非難されず、何でも言える楽園なんてそもそもあったのか。 それは錯覚ではなかったか。
 そして、私たちは気づきつつある。 暴言も「冗談だよ」で許され、しかも見知らぬ人に自分の言葉を都合よく届けられる場所なんて、ないのだと。
 
 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)

 私事に入らせていただこう。

 私め原左都子の場合は、最初にネット関与した時点で既にある程度年齢を重ねていたこと、そして、我がネット活動は当該「原左都子エッセイ集」のみである事実が功を奏したと言えよう。 (現在Facebookも利用しているが、そこではほとんど他者との関わりは無く、単に我が「原左都子エッセイ集」記事の公開場所として利用しているに過ぎない。 有り難い事に、今尚Facebookページにてお読み下さっている希少な方々がおられるのは嬉しいことだ。)

 それでも我がエッセイ集が“オピニオンブログ”であるがばかりに、開設後半年程から4年目程にかけては、歓迎しないコメントや明らかに誹謗中傷と判断可能なコメントが押し寄せたものだ。😨
 その対応に頭を悩ませた挙げ句、当初“コメント承認制”を採用した。 それでも尚、歓迎しないコメントが後を絶たなかった。 (あれを非公開状態で読ませられるのも、心が傷ついたものだ…)

 我が決断は早かった。 こんなことで心を痛めている場合では無いと!
 (実際、我が娘のサリバン指導教育がまだまだ大変な時期だった。私が今優先するべきは娘の成長であるはずだ!)
 いやもちろん「原左都子エッセイ集」執筆は我が生き甲斐でもあり、それを続行するには“コメント欄閉鎖”に限る!!

 そうこうして、我が「原左都子エッセイ集」はコメント欄閉鎖後既に10年の年月が経過している。

 そんな私の、今現在のネットおける「ウチ」と「ソト」との区別感覚とは??
 正直言って今尚その区別感の実感が掴めない、と言うのが正解だろうか??

 「原左都子エッセイ集」開設初期時にはそれが確かにあった。
 (現在の若造達の例外ではなく)、我がエッセイ集に素晴らしい、あるいは肯定的なコメントをお寄せ下さる方々は「ウチ」。
 そうでなかったり、誹謗中傷コメントを寄せる奴らは「ソト」…

 ただ、今現在この事案を考察するに。
 考察する程に困難な課題である事に気づかされる。
 というのも、所詮“ネット世界”での課題に過ぎない。
 一度とてお会いしたことがない相手と少なからずの年月ネット上にての会話が叶ったとして、それが「人付き合い」と言えるのか???
 との不信感に、どうしても現在尚苛まれてしまう私だ。

 つべこべ言っていないで、たとえネット上であれお会いした相手が気に入ったならば、その付き合いは「ウチ」と自身が認めた故だからそれでいいのではないのか。との我が心からの返答もあるのだが…

 そう言ってみても我がFacebookにいつまでも反応を頂くのは、現実世界で直接お会いしている少数人物に限られている。
 これぞ、ネット世界の「ウチ」と「ソト」をも如実に表現しているのかとも思えたりもするし…

 (最後に追記だが。  たとえキーボードの一部が欠落していようが、記したいと欲したテーマのエッセイ記述に際しては障壁が感覚的に無いものですね。)



 2022.04.27現在の私見を述べるならば。

 1年前と、まったく同様であるどころか。
 
 その思想が、更に確固と我が体内に築かれている事実に気が付く。


大国の指導者が独裁色を強め暴走すると抑える手立てがない…

2022年04月26日 | 時事論評
 ネット上で一般の方々が公開しているブログ記事を拝見するに、「プーチンによるウクライナ侵攻」に関する記載がほとんど無いことに気付かされる。

 この原左都子が当該ウクライナ侵攻関連エッセイを公開しても、残念ながら他のカテゴリーエッセイを綴り公開した日より訪問者数が減少する現象が起きる。😰 
 皆さんがこの歴史的惨状に関心が無い訳ではないのだろうが…… 

 とにかく私は力足らずとも、この「歴史的過ち」を私の能力が及ぶ範囲で叩き続けたく欲している。



 本日は、朝日新聞2022.04.24付「社説・プーチン大統領 歴史的な過ち直視せよ」の一部を、以下に要約引用する。

 ロシア軍が隣国のウクライナへの侵略を始めてから、2か月が経過した。 第二次大戦後の欧州の歴史で例を見ない規模の人道危機は、いまなお終わりそうにない。 だれの利益にもならない戦争がなぜ起こされ、なぜ止められないのか。 冷酷な現実を前に、国際社会は苦悩している。 いまは何より戦闘の中止と人命の救出を急ぎ実現するべきだ。
 南部のマリウポリでは、住民2万人が死亡したとされる。 全国でどれだけ犠牲になったかは不明だ。 国外に逃れた人は500万人を超えた。 両軍の兵士も、それぞれ死者が1万人を超えたとみられるが、実態は明かされていない。
 侵略の責任はひとえにプーチン大統領にあり、実質的な個人支配が20年に及ぶロシア政治の停滞が背景にある。 大国の指導者が独裁色を強め暴走すれば、抑える手立てがない現実を露呈した。 (中略)
 いまプーチン氏の念頭にあるのは、5月9日の対ナチスドイツ戦勝記念日であろう。 だが、今の侵略こそが、ナチスの再来を思わせる世界秩序への挑戦である。 ロシア国内の支持は表面上保たれてはいるが、一般の知識人やロシア財界からは批判の声が出てきた。 (中略)
 占領地を無理やり広げられたとしても、その代償は甚大だ。 失墜した国際的信用は長年取り戻せず、地元の抵抗と各国の制裁は続く。 人材は流出し、国力の衰退は免れない。 (中略)
 国連事務総長や各国首脳に改めて外交努力の強化を求める。 これ以上、虐殺と破壊が続くことを許してはならない。

 (以上、朝日新聞「社説」の一部を要約引用したもの。)



 原左都子の私見に入ろう。

 実際、何をどうしたらこのプーチンの虐殺と破壊の続行を止められるのか!?!

 それは上記社説の最後の部分に書かれている通り、国連事務総長や各国首脳に改めて外交努力の強化を求める。 
 それしかないと私も結論づけてはいるものの。
 ニュース報道を見聞していると、それはそれなりに実行されている様子ではあるが、何らの実効手段とはなっていないように見受けられる。😫 


 つい先だって現在のローマ教皇・フランシスコ教皇が、サンピエトロ寺院より大々的に当該プーチンによるウクライナ侵攻に対する批判メッセージを述べるのをテレビのニュース報道にて見聞した。
 このフランシスコ教皇は、ウクライナ訪問を検討中とも見聞する。
 ただあくまでも、フランシスコ教皇のこれらの行動は宗教面からの支援に過ぎす。 
 それが実現しても、プーチンの独裁・暴走を抑える手段とはなり得ないと予想されるのが悲しいところだ…



 となると一体全体、世界中の誰がプーチンの虐殺と破壊を止められるんだ!?!?

 それは、世界人民の一人ひとりの反戦の叫びでしかないように思えてくる。

 今はそれが可能な時代背景だ。
 
 世界人民がもっと、独裁者プーチン批判を強化するべきだ!
 ネットを通じて、個々人なりのこの理不尽なプーチンによるウクライナ侵攻に対する反論をしませんか!!

 その世界人民の圧力がプーチンに届く時を、私は願っている。


今朝、エメラルドグリーン色の綺麗な蜘蛛を発見しました!

2022年04月25日 | 雑記
 (冒頭写真は、今朝7時頃我が家のバルコニー洗面台の縁にご訪問いただいたエメラルドグリーン色の蜘蛛。)



 冒頭写真はかなり拡大した写真だが、実際の大きさは体幹部が7㎜程度、足を含めた全身が2cm足らず程度。 
 エメラルドグリーン色が実に美しい蜘蛛だ。


 早速、ネットにてこの蜘蛛の名前を探索してみた。

 そうしたところ、似たような写真を2枚発見した。

         
 こちらは、ウロコアシナガグモと命名されているようだが。
 どうも、私が今朝撮影した蜘蛛とは体の模様が異なるようだ。


         
 こちらはエゾアシナガグモと命名されているようだが、都会でも見られるらしい。
 体長も冒頭の私が発見した蜘蛛と同程度の長さのようだ。

 という訳で、私が今朝発見した蜘蛛はエゾアシナガグモと結論付けておこう。


 今、バルコニーに確認しに行ったら、まだ洗面台の同じ場所にいました!

          

 ほとんど動きが無い様子のため、夜行性で昼間は睡眠中なのでしょうかね???