夜遅い時間帯になりましたが。
本日の我が編集画面にてアクセスが多かった上記表題のバックナンバーを、以下に再掲載させていただきます。
表題は、作家 辺見庸氏が1994年に出版した著書の題名である。
本文に入る前に、しつこくも我が「いいね!」やり取りに関するポリシーを再掲載させていただこう。
そもそも私は見知らぬ人達と “いいね!ポチポチごっこ”をして喜べる人間ではありません。 プロフィール欄にも「相互扶助目的の読者登録はご遠慮下さい。」と明記させていただいております。
そのポリシーは強靭ですので、何卒ご理解いただけますように。
さて、この表題の著書だが。
娘の大学時代の課題として、本の論評が課せられたことがあった。
その手伝い(というよりもサリバンの私一人でこの課題に取り組んだのだが…)をした文書が、やはりパソコン内娘の文書管理コーナーに保存されていた。
つい先程この本を探したのだが、娘の部屋にも書棚にも見つからない。 おそらく論評課題をこなした後にすぐ廃棄処分したのだろう。
本文に入る前に、しつこくも我が「いいね!」やり取りに関するポリシーを再掲載させていただこう。
そもそも私は見知らぬ人達と “いいね!ポチポチごっこ”をして喜べる人間ではありません。 プロフィール欄にも「相互扶助目的の読者登録はご遠慮下さい。」と明記させていただいております。
そのポリシーは強靭ですので、何卒ご理解いただけますように。
さて、この表題の著書だが。
娘の大学時代の課題として、本の論評が課せられたことがあった。
その手伝い(というよりもサリバンの私一人でこの課題に取り組んだのだが…)をした文書が、やはりパソコン内娘の文書管理コーナーに保存されていた。
つい先程この本を探したのだが、娘の部屋にも書棚にも見つからない。 おそらく論評課題をこなした後にすぐ廃棄処分したのだろう。
早速、その論評を以下に掲載させていただこう。
今回読書課題に選んだ「もの食う人々」とは、元ジャーナリストである筆者が世界中の各国・地域を訪ね、それらの地の様々な食文化に直接触れた体験を綴った本である。
第1章から読み進めていきながら、私の頭には中学生の時に家族と一緒に行ったエジプト・ギリシャ方面旅行の様子が真っ先によみがえった。 成田から搭乗したエジプト航空の機内では、アラブ人男性乗務員が「beef? chicken? or fish?」と尋ねつつ機内食を配りに来た。
これから私が訪問するエジプトとは、豚肉厳禁等厳しい教義により統治されているイスラム教の国であることを実感させられた風景だった。
現地カイロに着くと空港にはマクドナルドがあれば、宿泊ホテルの巨大ショッピングセンター内は、アラブ石油王国からの日本人よりもけた違いにリッチそうに見える観光客で溢れている。
ところがその敷地内から一歩外に出ると、「もの食う人々」に登場するような貧民層で溢れかえっているのだ。 中には当時の私よりも年下と見える子ども達が観光客相手に物乞いに来たり、お土産品を売りつけるなどして働いている。
エジプトでは観光客に対してはイスラム教の教えを強制されることはなかったのだが、慣れない食事に激しい下痢と発熱をして、次に訪れたギリシャのホテルで寝込んでしまった私である。 既に働いていたエジプト現地の子ども達と比べて、自分の軟弱さを思い知らされた旅行だった。
同じく第1章で、マニラでは過去に「ジュゴン」を食べる習慣があった話を読んだ。
これを読んで私の頭に浮かんだのは、日本の和歌山県太地町では今尚鯨イルカ漁が行われているとの話題である。 2010年に米国アカデミー賞を受賞したドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」でこれが取り上げられたがために、太地町は世界中の反捕鯨団体から一時非難を受ける事となった。
その現地の痛手を受けてNHKが「クジラと生きる」と題するドキュメンタリー番組を放送し、これを見たことを思い出した。 私は鯨など食べた事のない世代であるし、それを食用に捕獲することが残酷な気もしていた。 だがNHKの番組を見て、太地町において今でも捕鯨・捕イルカ漁により生計を立てている漁民の思いが理解できそうな気もした。 現地で代々鯨漁を営む家族の中学生の娘さんが「牛や豚を殺して食べても誰もバッシングしないのに、何で鯨はダメなの?」と訴えていた切実な思いがとても印象的だった。 これが世界的に一般に認められている食材だったならば、太地町の漁も世界中からバッシングされずに済んで、この女子中学生も今後今まで通りの普通の生活ができたのだろう。
マニラでは「ジュゴン」は美味しいからこそ過去に食べられたとの話だ。 私も食べ物は美味しい方が好きだが、今後世界標準での食文化のあり方を探究したい気もする。
(以上、娘の大学時代の課題「もの食う人々」論評を掲載したもの。)
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我が家が抱える事情をご存知ない方々からは、「何で親がいつもいつも娘の課題の手伝いをしてるんだ! 自分でやらせろ!」との非難を頂く事だろう。
ところが我が家の場合、サリバンの支援なくして娘の人生が成り立たないとの事情がある。
とにかく娘が抱える課題の優先順位を付け、重要度の高い課題から娘にこなさせない事には娘の人生が立ち行かないのだ。
娘には、大学卒業必修課題である資格試験合格ゲットを最優先して励ませた。
その甲斐があって、我が娘は「フードスペシャリスト」「フードコーディネーター」「食生活指導士」の資格試験は自力にて合格ゲットしての卒業が叶っている。
本も読ませたいが、それを娘に強制したのでは4年間との年数制限内での卒業が叶わなかった事だろう。
で、娘はそれらの資格を取得しておきながら…。
自分の専門とはまったく異なる業種企業への就職のため大学卒業間際にその専門職種の国家資格を取得し、現在日々その業務に励んでいる。
まあ、その資格一本で身を立てられる程のバリバリ専門性が高い強力な資格でも取得しない限り、そういうことになるのだろう…
とは言え、我が娘としてはよく出来た結末でもある。
今回読書課題に選んだ「もの食う人々」とは、元ジャーナリストである筆者が世界中の各国・地域を訪ね、それらの地の様々な食文化に直接触れた体験を綴った本である。
第1章から読み進めていきながら、私の頭には中学生の時に家族と一緒に行ったエジプト・ギリシャ方面旅行の様子が真っ先によみがえった。 成田から搭乗したエジプト航空の機内では、アラブ人男性乗務員が「beef? chicken? or fish?」と尋ねつつ機内食を配りに来た。
これから私が訪問するエジプトとは、豚肉厳禁等厳しい教義により統治されているイスラム教の国であることを実感させられた風景だった。
現地カイロに着くと空港にはマクドナルドがあれば、宿泊ホテルの巨大ショッピングセンター内は、アラブ石油王国からの日本人よりもけた違いにリッチそうに見える観光客で溢れている。
ところがその敷地内から一歩外に出ると、「もの食う人々」に登場するような貧民層で溢れかえっているのだ。 中には当時の私よりも年下と見える子ども達が観光客相手に物乞いに来たり、お土産品を売りつけるなどして働いている。
エジプトでは観光客に対してはイスラム教の教えを強制されることはなかったのだが、慣れない食事に激しい下痢と発熱をして、次に訪れたギリシャのホテルで寝込んでしまった私である。 既に働いていたエジプト現地の子ども達と比べて、自分の軟弱さを思い知らされた旅行だった。
同じく第1章で、マニラでは過去に「ジュゴン」を食べる習慣があった話を読んだ。
これを読んで私の頭に浮かんだのは、日本の和歌山県太地町では今尚鯨イルカ漁が行われているとの話題である。 2010年に米国アカデミー賞を受賞したドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」でこれが取り上げられたがために、太地町は世界中の反捕鯨団体から一時非難を受ける事となった。
その現地の痛手を受けてNHKが「クジラと生きる」と題するドキュメンタリー番組を放送し、これを見たことを思い出した。 私は鯨など食べた事のない世代であるし、それを食用に捕獲することが残酷な気もしていた。 だがNHKの番組を見て、太地町において今でも捕鯨・捕イルカ漁により生計を立てている漁民の思いが理解できそうな気もした。 現地で代々鯨漁を営む家族の中学生の娘さんが「牛や豚を殺して食べても誰もバッシングしないのに、何で鯨はダメなの?」と訴えていた切実な思いがとても印象的だった。 これが世界的に一般に認められている食材だったならば、太地町の漁も世界中からバッシングされずに済んで、この女子中学生も今後今まで通りの普通の生活ができたのだろう。
マニラでは「ジュゴン」は美味しいからこそ過去に食べられたとの話だ。 私も食べ物は美味しい方が好きだが、今後世界標準での食文化のあり方を探究したい気もする。
(以上、娘の大学時代の課題「もの食う人々」論評を掲載したもの。)
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我が家が抱える事情をご存知ない方々からは、「何で親がいつもいつも娘の課題の手伝いをしてるんだ! 自分でやらせろ!」との非難を頂く事だろう。
ところが我が家の場合、サリバンの支援なくして娘の人生が成り立たないとの事情がある。
とにかく娘が抱える課題の優先順位を付け、重要度の高い課題から娘にこなさせない事には娘の人生が立ち行かないのだ。
娘には、大学卒業必修課題である資格試験合格ゲットを最優先して励ませた。
その甲斐があって、我が娘は「フードスペシャリスト」「フードコーディネーター」「食生活指導士」の資格試験は自力にて合格ゲットしての卒業が叶っている。
本も読ませたいが、それを娘に強制したのでは4年間との年数制限内での卒業が叶わなかった事だろう。
で、娘はそれらの資格を取得しておきながら…。
自分の専門とはまったく異なる業種企業への就職のため大学卒業間際にその専門職種の国家資格を取得し、現在日々その業務に励んでいる。
まあ、その資格一本で身を立てられる程のバリバリ専門性が高い強力な資格でも取得しない限り、そういうことになるのだろう…
とは言え、我が娘としてはよく出来た結末でもある。
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このエッセイを公開して後、既に数年の年月が流れている。
我が娘は卒業間際にゲットした専門業種の正社員として、勤続6年目の春をこの4月に迎えようとしている。