原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

絵むすび (PartⅡ)

2013年07月29日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞一昨日7月27日付別刷「be」に掲載されていた パズル「絵むすび」 に原左都子が解答したもの。  朝日新聞さん、応募締切日に先立ちネット上で解答を度々公開し申し訳ございません。


 3か月程前の「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて、「絵むすび」に関するエッセイを綴り当該パズルを紹介し、当エッセイ内で私は元々パズル遊びが趣味の一つである事にも触れた。

 一昨日7月27日付朝日新聞「be」内で、3か月ぶりに再び「絵むすび」レベル4問題が出題されたため、早速原左都子がチャレンジした結果が上記の写真である。
 レベル3の「絵むすび」に関してはその間にも掲載されチャレンジしたが、何と言っても“レベル3”と“レベル4”ではその難易度に格段の差がある。 パズルファンとしては、“レベル4”問題を回答できてこその醍醐味だ。


 さて、早速上記「絵むすび」の原左都子流解答の経緯を以下に紹介しよう。

 まずは設問図の全体像を観察する。
 今回の設問の場合、左上から右下に(仮に)引いたとする対角線の左下部分の空間が大きいのが特徴のようだ。 この空間内の線の扱い方こそがキーポイントとなりそうだ。

 それでは、いよいよ“原左都子流解答”解説に入ろう。

 ① まず右上の「ひとで」に注目すると、これはとりあえず下に線を伸ばすしか選択肢がない。 これを思い切って素直に最短距離で繋げてみた。

 ② 次なる注目点は、左下のマス目に如何なる物体から線を通すか?だ。 候補としては「ビーチボール」と「浮き輪」が挙がるであろう。 両者共チャレンジしてみたが、「浮き輪」をこのマス経由にすると、上部で「ビーチボール」や「足あと」の線がどうしても交錯する。 そこで思い切って「ビーチボール」から線を真下に下ろして左下マスを通す方策とした。 ところがこの線を左下から右折させて最下段をまっすぐに伸ばすと、これまた他物体の線と交錯するため、まっすぐには伸ばせない事を悟る。 そこで「ビーチボール」線は右折した段階で一旦作業を止める。

 ③ 次なる注目点は、最上段と2段目にも空間が多いことだ。 原左都子案としては「ビーチボール」の線は既に下降させる決定を下しているため、最上段を横切る線は「足あと」から引くしかない。 右上2番目の「足あと」から素直にまっすぐ横線を引っ張り、「うきわ」の左横を下に向かって通過させぐるっと回してもう一つの「足あと」と結んだ。
 この段階で私の脳内ではすべての線の全体図が描け、既にパズルは完成したも同然だ。

 ④ 上から二段目の空間こそが「浮き輪」が通るラインと判定して「右下」の浮き輪から「ひとで」の周囲をぐるっと回して線を結び、後はその合間を「ビーチパラソル」と「貝」、そして「ビーチボール」の線を「ビーチパラソル」周囲をぐるっと回して通せば、これで今回のレベル4「絵むすび」は完成である。 

 今回の原左都子の解答所用時間は約10分間であった。
 さすがに3ヶ月前の朝日新聞“レベル4”設問に苦労してチャレンジした経験が活きている事を実感させられる。 人間の脳とは、日々活性化を続ける事により健全に生き延びることを再確認でもある。

 参考のため、上記解説はあくまで“原左都子流”の範疇内であることをお詫びしておきたい。 皆さんそれぞれの“解答法”がある事は重々承知している。
 
 加えて上記の“解法”を綴った事により、言葉による解説とは実に難儀な事を実感させられる次第でもある。
 教員経験がある私だが、生徒相手に授業をする事とは、実に教える側の“身勝手”、かつ一体全体生徒達に何を伝える事が出来たのか、今更ながら再考させられる思いだ。
 元々“学業とは一人で成すべき!”なる私論を展開し続けている原左都子だが、どうか皆さんも、「絵むすび」解答に当たり、ご自身の解法こそを楽しまれますように!


 ここまで朝日新聞レベル4「絵むすび」に対する“原左都子流解法”を解説してきて、一体この我がエッセイ誰が読むの??? との観点に、客観力を売り物としてる私の思いが及ばない訳がない。

 ところが何故か、3ヶ月程前に公開したバックナンバー「絵むすび」が「原左都子エッセイ集」内において頻繁にお読みいただいているエッセイの一つの位置付けのようなのだ。
 昨日お読みいただいた「原左都子エッセイ集」ベスト10内の“トップ2”の位置付けが、3か月前に綴った(元祖)「絵むすび」であることに私自身が驚かされた始末である。


 それだけパズルとは、世の皆様方に人気を博している事象の一つということではなかろうか。
 おそらく人それぞれの個性に応じたパズルの楽しみ方があるのだろうが、パズル愛好者皆さんにとっての共通項とは、一時の脳内活性化により心身共にプラスの時間を過ごせることに他ならないであろう。

 現在の原左都子自身のパズル解答の効用と言えば「息抜き」の位置付けにあると言えるが、今後年老いても、我がパズル好きはその形や趣旨を変えつつ一生に渡り続く予感がある。

「いつやるの?」 「私の勝手でしょ!」

2013年07月27日 | 時事論評
 私はそもそも「流行語」なる俗言葉が基本的に嫌いだ。

 特に、言葉としてさほどの意味をなさないにもかかわらずメディアが殊更取り上げ、故意に流行語に仕立て上げられたような言葉は断じて受け入れ難い。
 人が私的会話内で使うのは勝手かもしれないが、その種の言葉とは聞かされて“気持ち悪い”し、聞く側こそが恥ずかしい感覚すら抱かされる。

 一例を挙げると現在流行中の 「いつやるの?」 「今でしょ!」 などはその典型である。
 これを流行らせたのが東大出身の予備校塾講師というから、さらにアホらしさが増強される…

 「今でしょ!」 に関する話題は後回しにしよう。

 
 先程、年末に発表される「新語・流行語大賞」の歴代受賞語をウィキペディアにて調べてみたところ、中には、単なる“流行り言葉”の域を超えて、後々までも立派な「国語」として生き残っている言葉もあることを再認識させられた。
 その事例を挙げよう。
 1986年の「究極」「新人類」、 88年の「ペレストロイカ」、 89年の「セクシャル・ハラスメント」、 90年の「ファジー」、 95年の「無党派」、 2000年の「IT産業」、 03年の「マニフェスト」、 09年の「政権交代」……

 へえ~~、これらに関しては「原左都子エッセイ集」内でも多発している言語であるが、すべて元々の由来が“世の流行り言葉”だと知りプラスの意味で少なからず驚かされた。
 “流行り言葉”が時代の変遷に係らず受け継がれ、新たな時代にもマッチし続ける場合もあり得る事を再確認である。
 ちなみに、原左都子の予想では今年の流行語大賞は 「アベノミクス」 と結論付けている。 アベノミクス政策自体を肯定していない私だが、今年年間を通して世を一番揺さぶった現象がこれであることには間違いない。


 さて、話題を表題にも掲げた 「いつやるの?」「今でしょ!」 に戻そう。

 皆さんは既にご存知であろうが、この言葉を最初に発したのは、上述の通り予備校塾講師である林修氏であるようだ。 当講師が衛星予備校国語科授業内でこの言葉を使用したのが事の始めで、当該予備校内では林氏のことを「今でしょ先生」と呼んでいるそうだ。

 別に、この人物の経歴を「原左都子エッセイ集」内で殊更紹介する必然性など全くないのだが、東大関連記事が多い我がエッセイ集は、どうやら「東大」検索で数多くの人々に“愛読”?されているようでもある。
 そういった私的事情により、少しだけ林氏の経歴を紹介すると、確かに1988年に東京大学法学部を卒業されている。 新卒入社した銀行を半年で退社し、その後様々な商売にことごとく失敗後予備校講師に転身。 その後東進ハイスクールには1992年より所属。2009年からは当該予備校で東京大学・京都大学の入試現代文対策授業などを中心に授業を担当している。「いつやるか?今でしょ」の名言で、予備校講師としては異例の国民的有名人物となった。
 (以上、ウィキペディア情報より一部を引用。)

 どうでもよい話題を何故執拗に取り上げているのかと言うと、実は原左都子は過去において東進ハイスクールと多少の接点があるためだ。
 それは我が娘が高3直前の話である。 それまで美大進学目指して受験に励み美大予備校に夜な夜な通っていた娘が、突然、進路を大幅に変更したいと「お抱え家庭教師」である母の私に涙ながらに訴えた。(その理由等に関してはバックナンバーでも記述済みのため、ここでは割愛するが。)
 娘の嘆願を聞き入れ、今こそ進路変更ラストチャンス時と承知した私は、すぐさま変更進路先を視野に入れた対策を練った。 それこそが、娘の新たな進路希望先大学の秋の“公募制推薦”だった。 これにターゲットを絞り込み、まずは高3一学期の成績を確実なものにしようと志した。 幸い日頃より着実に努力を続けている我が娘のそれまでの学業成績は、志望大学の“公募制推薦”の最低条件をクリアしていた。

 母である私の懸念は、今まで「美大予備校」で過ごしていた高校放課後の時間帯を我が娘が如何に過ごせるかであった。 下手に家に帰宅してダラダラと過ごされては元も子もない。 ここは民間受験塾に頼り、娘を強制的に夕方の時間帯を塾ででも過ごさせようかと愚かな私は考えたのだ。 ちょうど娘の登下校道中のターミナル駅近辺に東進ハイスクールがあり、娘が通い易いであろうと判断した。 
 ところが娘は塾通いを当初から渋っていた。 「家で今まで通りちゃんと勉強するから…」と心細そうに訴える娘の思いを振り切って、私は東進ハイスクールへ娘を同行した。
 そうしたところ、東進ハイスクールでは(上記のごとく)「衛星授業」(要するにDVDによる授業)を中心としている事が判明した。
 担当者の話によると一応、担任を付けると言う。 ところがこの「担任制度」こそに失望した私だ。 バックグラウンド不明の担任とやらに、これまた生徒本人のキャラも志望先も不明の“ごっちゃ混ぜ”受験生集団の会合を月に1度持つとの事だ。
 この話で、娘お抱え家庭教師である私の決断も迷いなく下せた。 この実態ではある意味で個性豊かな娘は潰されるのみで、何らの有益性もない。 今後は娘の希望通り、自宅で“公募制推薦”に向けて自助努力させよう!!
 その判断は大正解だった。 娘はその秋難なく第一志望大学の“公募制推薦”合格をゲットして、現在大学2年生になり学業に励んでいる。


 だからこそ、たかが予備校一講師に「いつやるの?」と問われても、 「私の勝手でしょ!」と返すしかないのだ。

 あの時本当に娘の自主性を優先して大正解だった我が家だ。
 
 「いつやるの?」「今でしょ!」 なる一予備校講師がホザいた言葉を、メディアが殊更取り上げた実態に依存するしか今後の発展を望めない予備校塾に、あの後我が娘を託していたならば、明らかに娘は潰されていたであろう。
 あの時娘が私に訴えた、どこで勉強しようが「私の勝手でしょ!」の嘆願を結果として親である私が受け入れられたからこそ、娘の今があることを実感させられるのだ。

 現在東進ハイスクールの取締役にまで昇格しているらしき林修氏は、今後メディア上に出現する事を控えるとのコメントを(メディアを通して)発しているらしい。

 今後林氏が“芸能人”ではなく、東大卒業後に紆余曲折してゲットした現在の東進ハイスクール取締役の立場を死守したいのならば、受験に向けて頑張っている生徒達個々の希望に沿う事こそが、40代という若き貴方に残された今後の唯一の使命ではなかろうか??

誰でも“芸能人”になれると言いたいドラマなの??

2013年07月25日 | 時事論評
 今年4月から始まったNHK朝の連ドラ 「あまちゃん」 は、どうやら番組開始早々より現在に至るまで高視聴率をゲットし続けているらしい。

 このドラマシリーズを、いつも昼の天気予報とニュースをチェックする流れで昼間の再放送を見る習慣がある私だ。
 ところが論評好きな原左都子にして、「あまちゃん」に関しては放送開始後4ヶ月が経過しようとしている7月下旬の今現在尚、残念ながら論評に値する程の価値が見出せないでいる。


 ただ個人的には、女優 鈴鹿ひろみ役の薬師丸ひろ子氏がドラマに出演した頃より、(あくまでも私的嗜好範囲内で)物語が面白くなった印象はある。

 薬師丸ひろ子氏とは、1978年の角川映画「野性の証明」のヒロイン役で芸能界デビューした時からインパクトがある少女だった。 (残念ながら私は上記映画を観ていないが)、とにかく童顔小柄の一少女にして、映画界を震撼させるがごとくのパワーを内面にみなぎらせている類稀な逸材との印象を私も抱いた。
 後に映画「セーラー服と機関銃」に主演した薬師丸氏だが、機関銃を乱射するシーンで有名な「カ・イ・カ・ン…」のセリフは薬師丸氏本人のアドリブであるらしい。 (これまた映画を観ずして論評する立場にないのだが)薬師丸氏が歌ってヒットした同名の主題歌には、映画のその場面とは対照的な繊細なイメージを、歌との表現手段で伝える薬師丸氏の類稀な力量に心を揺さぶられたものだ。

 「あまちゃん」に於ける薬師丸氏の役処といえば、芸能界においては遠い昔にピークを過ぎ去った中堅女優の立場だ。 既に大した役には恵まれないものの、未だ何とこさ女優生命を芸能界で繋ぎつつある程度の地位を保ちながら、陰で付き人に文句を垂れ、常連寿司屋の客全員の会計が可能程度の比較的高いギャラを保持している女優との設定のようである。

 片や、主人公である「あまちゃん」(役名 天野アキ)に話を移すと、こちらは信じられないことに、“「AKB48」レベル”の女子集団タレントグループの最下位一員と“成り下がる”現在のドラマ展開だ。

 
 ここで原左都子の私見を述べよう。

 今回放映中のNHK朝ドラとは、2011年3月に勃発した「東日本大震災」により壊滅的被害を受けた東北地方に暮らす人々を、「あまちゃん」(東北の海女さん達)の活躍により活気付ける趣旨と、大いに勘違いしていた。

 ところがなんと「あまちゃん」の主役である天野アキは、海女に成り立てホヤホヤにして東北地方から離れ、東京上野の「AKB48」レベルタレント集団の一員に“成り下がる”ために過去に住んでいた東京に再び上京する。
 ドラマはその後、すっかり上野に位置する“アメ女”なる「AKB」類似の若年女子タレント軍団集合場へと移り行った。
 意表を突くドラマ展開に大いに驚き失望した私は、(この物語を面白いと感じるのは、低レベル芸能界タレントを目指す幼き小中高生女子のみであろう)と推測していた。

 ところが何と「あまちゃん」は現在に至って尚高視聴率をゲットし続けているではないか!?!
 おそらくNHK連ドラの主たる視聴者層であろう(原左都子世代の)オバサン達も、この物語が面白いのだろうか??  あるいは、もっと若い世代の小中高生子育て中の母親連中も、虎視眈々と我が子を第二の「AKB」メンバーに仕立て上げたい意向でこのドラマを見守っているのであろうか???


 現在「あまちゃん」の舞台が東北リアス海岸地方からすっかり離れ、東京上野のタレント事務所を主たる撮影の場としているドラマ展開に辟易とし続けている私だ。

 当初私は、2011年3月11日に勃発した世紀の「東日本大震災」を、当該ドラマの脚本担当及び監修者でもある宮藤官九郎氏が如何に描くのかを大いに楽しみにさせていただいていた。
 宮藤官九郎氏とは、宮城県のご出身であるらしい。 ご本人出生地の親族の方々も「東日本大震災」の被害をある程度被られたのではなかろうか?
 そんな大震災の一被害者たる思いを、今回のドラマ物語内に描写されている事にも期待申し上げていた。

 ところが、若き世代の宮藤官九郎氏がNHK連ドラ内で今後3.11大震災を描くに当たり、自らの地元の被災状況など二の次の位置付けなのであろうか? (東京上野に場面が移って久しい現在までのドラマ展開では、一般視聴者としては今後の展開の見通しすらつかず、そのように解釈せざるを得ないのだが…)
 今後も引き続き、宮藤氏の(3.11大震災など今後この世に生き抜く若き世代にとっては二の次の位置付けとの)思いが、これから放映されるNHK連ドラ「あまちゃん」において綴られ公開され続けるのであろうか??

 もちろん、世代や日本国内の地域により格差が大きく、3.11「東日本大震災」に対する思いや対応が異なって何ら不思議ではないし自由にすればいいのでもあろう。

 「あまちゃん」脚本家及び監修者であられる宮藤氏の、芸能界に焦点を置いた脚本にはまった視聴者の人気に支えられ、現在「あまちゃん」は高視聴率を維持していることと私は判断する。
 「あまちゃん」を放送しているメディア媒体である“国営放送”たるNHKがそれを「よし」としているのならば、一視聴者として不服ながらもやむを得ないと判断するしかない。
 ただ原左都子としては、今後の「あまちゃん」に於ける“東日本大震災”の描き方如何によっては、今後NHK連続テレビ小説すら見ない生活を志すであろう…

 
 早いもので、高視聴率をゲットし続けている「あまちゃん」も後2ヶ月少しの放送を残すばかりである。 
 一体全体、大震災被災地東北を舞台としている今回のドラマが、宮藤氏の脚本により如何に展開し、如何に転ぶのやら……。

 後2ヶ月間我慢して、このドラマを視聴しよう。
 最後には素晴らしいばかりのどんでん返し展開があって、10月初旬には当該「原左都子エッセイ集」に於いて、内容の濃い「あまちゃん総評」が綴れることに期待したいものだ。

「ねじれ国会解消」と言うけれど…

2013年07月22日 | 時事論評
 私は「原左都子エッセイ集」に於いて、2010年7月に実施された第22回参院選直後に 「国会はねじれてていいんじゃないの?」 なるバックナンバーを綴り公開している。


 早いものであれから3年の年月が流れ、 昨日7月21日、第23回参議院選挙の投票が実施され即日開票された。(一部開票が遅れた自治体もあるようだが。)

 その結果は皆さんも既にご存知の通り、与党である自民・公明両党が非改選議席も合わせて過半数を獲得し、国会の「ねじれ」が3年ぶりに解消される事となった。

 自民党安倍首相は今回の参院選勝利を受け、昨夜開口一番「ねじれが解消された。これからの自民党はこれまでの経済政策をしっかりと実感のあるものにしてほしいとの、国民の声に応えていかなければならない」とテレビ番組を通して述べたようだ。
 昨年12月の衆院選で民主党から政権を奪回した安倍政権が、衆参で多数派が異なる「ねじれ」の解消により、これまでの「決められない政治」と決別して、消費税率引き上げや環太平洋連携協定(TPP)交渉参加、憲法改正といった国論を二分する重要課題をどう舵取りしていくかが注目される。 
 (以上、ネット情報も参照しつつ記述)


 今回の参院選に際して、メディア情報は上記「ねじれ解消」を殊更取り上げていた印象がある。
 安倍政権自体も当初より、国会の「ねじれ解消」こそが自民・公明与党の真のスタートラインであることを強調し続けていた。 アベノミクス経済政策をはじめとして、消費税引き上げ、TPP交渉参加、憲法改正等々、の重要法案を今後野党の反対をもろともせず成立させていく魂胆のようだ。

 
 ここで、原左都子の私論に移ろう。

 国会のねじれ現象が、それ程までに“諸悪の根源”だとは私は決して思わない。
 単に与党政権が自分達に都合の良い政策に関連する諸法案を、国会で好き放題通過させる事が出来ない故に困惑するだけの状態でしかない。
 ちょっと待って欲しい。 私は基本的に「憲法改正」にも「消費税増税」にも「原発再稼働」にも絶対反対だ。 自民党の中韓外交政策に関しても受け入れ難きものがあるし、アベノミクスに関しては当初から疑義を抱いている立場だ。 故に、今後も各政策に関して私と思想が一致する野党には、是非共自民公明与党政策法案成立打倒に向けて反対議論を白熱させて欲しいのだ。
 
 もちろん、自民支持派にとっては「ねじれ国会解消」こそが理想像だったのであろう。 そして国政選挙を経て自民与党が支持されたならば、国民皆が与党政策に従うべき、との論理である事も理解は出来ている。

 ただ、現実を見てみよう。
 今回の参議院選挙の場合、最終投票率は52、61%。 これは戦後3番目の低さだったらしい。
 しかも、自民・公明党とは昔から産業界や宗教団体の“組織票”に支えられているのが現実ではなかろうか?  要するに、お上からの「自民党・公明党」に票を入れよ!との指示に従っての組織所属弱者の投票行動でしかない。
 もちろん、国民個人の判断で自主的に自民党を支持した選挙民も存在するであろう。 ところがその行動の背景とは、自民党政権政策を重々吟味した訳ではなく、「なんだかよさそう」とのニュアンスが否めないような感覚すらある。
 実際問題、選挙戦に際して何処の政党及び候補者も、その種の国民の“弱み”に訴えるしかないのが現実だ。
 結局、今回与党が過半数を取ったとは言え、その数字上の名目支持率は全国民の1/4程度、実質支持率はそれよりもずっと下回る事が明白だ。 逆の立場から考察すると、(私も含め)今回自民与党政権を実質支持しなかった選挙民こそが国民の大多数であるという事実である。


 それだからこそ、原左都子は思うのだ。
 国会などねじれていた方が健全かと。

 本エッセイの最後に、冒頭で紹介した我がバックナンバー「国会はねじれてていいんじゃないの?」 の一部を以下に要約して紹介しよう。

 国政選挙などというものは、選挙対策や直前のわずかの期間の選挙運動のみで勝てるものでは到底あってはならないはずである。
 昨夏(2009年)の衆院選において国民から奇跡的とも言える大量得票を得た民主党は、真っ先にその大量得票の“根拠”を分析するべきだった。 なのに民主党はその大量得票に有頂天になり国民の真意の分析を怠り続け、その後国政運営を国民の“バブル期待”のみにすがってしまった。 後に党首をすげかえ菅政権となった後、菅氏は国政において何の実績も国民に提示しないまま参院選に突入した。 就任直後菅総理は消費税10%を国民に言及した訳だ。 当時の参院選における敗北の要因に関して菅氏が“自らの消費税に対する言及”だと釈明している事実自体に、表立っての一政策に左右され投票行動に出る多くの国民の“浅はかさ”を思い知らされる思いだ。
 ところで、私論は今回の「ねじれ国会」を歓迎している。 国会において二院制をとっている先進国自体が多くないようであるし、また今後我が国においても国会議員の定数削減と平行してこの二院制自体が議論されることであろう。  一般市民には想像もつかない高額の歳費特権を享受している国会議員の定数削減を早期に実施して欲しい思いは、私とて強靭なものがある。 
 今尚二院制を採用している国において「ねじれ国会」とはある意味で理想型であるようにすら私には思えるのだ。  国会とは国政における最高最大の議論の場であり、そこで各党がとことん話し合った結果を現状で切磋琢磨しつつ国政を実行していくことこそが国の理想像であろう。
 「ねじれ国会」こそが今後の我が国の革新力となり得るのかもしれない!
 (以上、「原左都子エッセイ集」2010年7月バックナンバーより引用)


 日本国家が「選挙制度」を法律上採用している以上、理屈上は選挙に行かない国民こそが一番の悪者かもしれない。

 ただ正直に言うと、「この政党を“全面的に”信頼したい」と思えた事が今までの我が選挙民人生において、この原左都子とてただの一度もない。
 政策の一部にのみ妥協してでも選挙権を行使するか、「棄権」との選択肢を選ぶか、常に我が内心はそのせめぎあいである。

 国を操ろうと志す人材を真に育成して欲しい思いだが、現在の我が国の教育力の貧弱さにも辟易とさせられ続けている。
 結局は、世襲や本人の単なる“勘違い”で国政選挙に立候補した輩に、嫌でも投票せざるを得ないのが現在の我が国の選挙制度の実態だ。

 そうだとすると、むしろ国会とは「ねじれ」ていてこそ、今後我が国が真なる民主主義を貫くための理想像と考えるのが揺ぎ無い我が私論である。
 ついでに言うと、自公与党は組織票のみに依存している故に今後のその生命が脆いとも聞く。 
 この国は今後一体いつの日に、日の目を見る事ができるのか??

見知らぬ猫と給食の残りのパンを分け合った遠い日

2013年07月20日 | 雑記
 中3の春、私は父母そして姉と共に転居をした。

 それまで我々一家は祖父母と同居していたのだが、父と祖父が不仲で、事ある毎に二人が歪み合うのに幼き心を痛めてきた。
 母もフルタイムの仕事を持っている共働き家庭だったため、幼稚園の頃より我々姉妹は昼間祖母の世話になっていた。

 中2の冬、父と祖父が大喧嘩をした記憶が真新しい頃に、父母から転居をする意向を告げられた。 「新しい家を建てて、家族4人でこの家を出て行く事になる。」
 ところが新築の家が出来上がるまで待つ余裕がない程、父と祖父の関係は険悪だったようだ。 新居の完成を待たずして、我々一家は一旦アパートを借りて引っ越す事になった。
 姉は既に高校生、私も春から中3。 おそらく親達は、今後は祖母の世話にならずとも二人共もう大丈夫、と判断したのでもあろう。


 私は中3の秋まで中学校のブラスバンド部で活躍した。 その活動のため学校からの帰宅時間が大抵は親よりも遅く、家の合鍵を持たずに過ごしてきた。
 秋の文化祭の舞台を最後に中3ブラスバンド部員には学校から「引退」勧告が下る。 早春の高校受験に備えるためだ。
 その頃より受験補習のない日等、たまに下校時間が親より早い日がぼつぼつと出現するようになった。


 秋も終わりに近いある日、親の帰宅時間より早い時間帯に下校した私だが、あいにく家の合鍵を持ち合わせていない。
 玄関前で親の帰りを待って当てどもなくウロウロするより、既に肌寒い時期でもあるし、西日が当たる裏の勝手口近辺で受験勉強でもしながら時間を過ごそうと考えた。 勝手口の直ぐ前には畑が広がっていて人目にも付かない。

 案の定、裏の勝手口は晩秋の西日の日差しがポカポカと心地よい。
 台所前の外壁にもたれ掛かって座り、通学鞄から教科書を取り出したその時だ。


 裏の畑から見知らぬ野良猫が顔を出し、私の方を見ている。
 体の大きさから判断して既に大人、(記憶によれば)無彩色、おそらく白地に少し黒模様のあるメス猫と私は直感した。 何故メスと判断したかと言うと、私を見るその眼差しが柔らかかったためだ。
 その猫にこちらから言葉をかけた記憶はない。 おそらく同じような柔らかい眼差しで見つめ返していると、猫は私の方へ近づいてきた。

 何をねだるでもない。 その猫が「ニャー」とないた記憶すらない。
 どうも、静かで落ちついたタイプのよく似た二人(正しく言うと“一人と一匹”)である。

 (あっ、そうだ。 鞄の中に給食の残りのパンがある。 これをこの猫ちゃんは食べるだろうか?) などと思いながら私はそのパンを取り出して自分から一口食べてみた。 そうしたところ猫ちゃんがその様子を興味深そうに見ているため、一口あげてみると美味しそうに食べてくれた!  
 それがとても嬉しくて、また一口私が食べた後猫ちゃんに一口あげると、また美味しそうに食べてくれる。 それを繰り返して、給食のパンはなくなった。  お利口さんの猫ちゃんはすぐさまパンが全部なくなった事を理解したようだ。
 「もう畑に帰るのかな?」と思ったところ、猫ちゃんは壁にもたれて座っている私の膝にちょこんと座り、気持ち良さそうにしてくれる。 昔家で祖母が猫を飼っていた経験がある私は、猫の顎を撫でてやると気持ちいいことを知っていた。 それを実行してやると、猫ちゃんはグルグル……… と喉から音声を発しながら少し眠りについたようだ。

 どれ程の時間が経過しただろうか、我が親が表玄関の鍵を開ける音が聞こえた。
 それに反応した私と同時に、膝の上の猫ちゃんの体もピクリと反応しすぐさま私の膝から飛び降りた。 そして畑に戻る道すがら、お互いに何度も何度もその姿を見返しつつその日の(似たもの同士の)出会いは終わった。

 あの猫ちゃん、今度私が早く下校した時にも会いに来てくれるだろうか…
 なる期待感と共に、私はその後も親には「裏口で勉強しながら待ってるから」と言って、合鍵を作ってもらうことを嘆願しなかった。

 そうしたところ、確かに猫ちゃんは必ずや来てくれるではないか!!!
 ある時は給食パンの残りが多く、ある時は少なかった。 それにもかかわらず、まずは私がパンを一口、猫ちゃんが一口を繰り返し、そしてその後私の膝の上でグルグル…… その法則と習慣は何ら変化せず、私と猫ちゃんとの勝手口での“秘密の関係”は続いた。


 時は流れ、その後私は県内有数の名門校受験に合格し、遠距離通学の高校生となった。
 申し訳ない事に、その頃には既に猫ちゃんの存在すら忘れ、新たな高校生活の環境下で勉学に励む日々だった。

 もう既に夏の日差しが照りつける頃であろうか。
 ある日私が高校から下校した時の事だ。

 西日が当たる台所の隣に位置する自分の部屋に入り、勉強机の引き出しを開けた途端 「ギャーーーー!!!」  なるドデカい叫び声を上げた私だ。
 既に帰宅していた両親こそが驚いた。 何故ならば、普段私がこんな大声を出す機会が皆無だからだ。
 「何かあったか!?」との両親の問いかけに、 「なんか分からないが、私の引き出しの中に動く物体がある!!!」
 私の引き出しの中身を一見した父の回答こそに驚いた。

 「これは猫の赤ちゃんだよ」

 その時開けていた我が部屋の西側の窓の外に、昨年の秋冬に私と給食のパンを分け合ったあの利口なメス猫ちゃんがいるのを発見し、さらに仰天した!

 この時、初めて父に伝えた。
 窓の外から見ている猫ちゃんと私は昨秋から冬にかけて一時仲良しで、給食のパンを分け合った事実を。
 それを聞いて父が言うには、「窓の外の猫こそがこの生まれたての赤ちゃん猫達の母親に間違いない。 動物の母親とは自分が産んだ子どもを“一番安全な場所”に置きたい習性があるものだ。 きっと、○子(私のこと)と赤ちゃんの母親猫は十分な信頼関係が築けていたからこそ、○子の机の引出しに生まれたての赤ちゃん猫を運んだのだろう。」 「それにしても我々はもうすぐ転居するし、2匹の赤ちゃん猫は母猫の生息地の裏の畑に帰してあげよう。」
 父の意見に同意し、我々は母猫が私の机の引出しに運び込んだ赤ちゃん猫2匹を裏の畑に運び返した。
 その成り行きすべてを親猫である我が友のメス猫ちゃんは、寂しい目をしてずっと見ていた…。

 その後、高1の夏休み中に一家4人で新築住居へ引っ越した。
 せっかく“信頼関係”を築いたお利口さんの母猫ちゃんを裏切った思いの後を引いていた私も、転居後すぐさまその事実を忘れ去る事と相成る……


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 本日「原左都子エッセイ集」に於いて上記物語を綴らせていただいたきっかけとは、昨夜(7月19日)テレビにて放映された、2002年宮崎駿氏企画の映画 「猫の恩返し」 を観た事による。

 上記映画とは、主人公が昔空腹の子猫にエサを与えた事に対する、猫よりの「恩返し」を趣旨とした物語であったようだ。
 
 私の場合まったく逆で、昔給食の残りパンを通して信頼関係を築いた母猫の“切実な思い”を裏切った記憶ばかりが、この映画によりフラッシュバックしてしまい辛い心境だ。
 今更ながらではあるが、私が中3の頃に知り合った“お利口さん”母親猫の心理を、当時未熟故にすぐには理解できず大騒ぎしてしまった事を、ここで今一度心より詫びたい思いである。