原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

一期一会の出会いこそが旅の醍醐味 -その2-

2015年06月29日 | 旅行・グルメ
 (写真は、今回宿泊したホテル室内から撮影した我が郷里県庁所在地の街の風景。 後ろの山が眉山。 中程を流れているのが新町川。 川沿い手前が公園となっているが、ここで現在、夜間の時間帯のみ阿波踊り連有名各連が8月の阿波踊本番に向け練習をしている。)


 私は郷里へ帰省した際には必ずホテルを予約し、決して母が一人暮らす実家には泊まらない事に決めている。

 これには理由がある。

 その一つは、ここ数年高齢域に達した母の我儘・愚痴言いたい放題が聞くに忍びない故である。
 実の母娘と言えども礼儀はわきまえるべきにもかかわらず、それを既に実行不能となっている母の傍若無人ぶりに辟易とさせられるのだ。 それに耐えつつ実家で寝泊まりした時期もあったが、結局大喧嘩バトルとなり後々まで尾を引き両者の関係が悪化するのが常だ。 そこで私の判断で、たとえ実家に帰省しようが必ずやホテルを予約し、母との接触時間を短くするように配慮している。
 この事情に気付かない母は、私の帰省時に必ず主要駅近くのホテルを予約してそこに戻る理由を、酒好きの私が“夜遊び”したい故と信じている事に、こちらとしては救われる。

 これぞ二つ目の理由だが、確かに私は昔から“夜遊び”エンジョイ派だった。
 遠き学生時代など、週末には当時県内きっての歓楽街だった秋田町界隈(今でも歓楽街なのだろうか?)で真夜中まで飲んだくれては、友人の部屋に転がり込んで朝帰りしたものだ。 その記憶が未だ母の脳裏にあるらしく、今現在も自分の娘を“飲兵衛遊び人”と認識しているようだ。
 とは言えども、まさか今となってはたまに郷里に帰省した折に朝まで飲んだくれる事はない。 宿泊ホテル内あるいは近辺の食事処で(大方が22時頃までには閉店する)飲食を楽しむ程度だ。


 さて今回の旅行一泊目にも、宿泊ホテルとは別ホテルの会席処(昨夏にも当エッセイ集にて紹介した地産地消の阿波会席料理を提供している飲食店)にて飲み食いした。
 二度目に訪れた今年の印象としては、お酒が美味しくて飲兵衛の本領を発揮出来たと言える。
 特に感銘深いのは、生ビールの後に注文した「芳水吟醸なまざけ」と銘打つ冷酒だ。 淡麗辛口が好みとの我が要望に応え、店が選んでくれたのがこの日本酒だった。
 その後「すだち酎」を何杯かお替わりしたのだが、焼酎が違うのか?すだちが違うのか?、これが自宅で作るより断然美味しい!  同行した娘に「これアルコールが入っていないよね? 何杯でも飲めるねえ。」と言うと、「十分入ってるよ…」との呆れたご回答だ。
 既に酔いが回っている事を自覚させられ、そろそろお開きと相成った。

 宿泊ホテルへの帰り道、何処からか“よしこの”(阿波踊りのお囃子)のリズムが聞こえてくる。
 ホテルのフロントにて「阿波踊りのお囃子が聞こえていますが、どこかで阿波踊りを踊っているのですか?」と尋ねると、「すぐ前の公園で阿波踊り連が練習中です。」との事だ。 「それは見学できますか?」との我が問いに対し「見学出来ると思いますので、行ってみて下さい。」

 生来の音楽好き、ダンス好きな私が「阿波踊り」を好まない訳がない。
 ここで少し注釈すると、郷里に暮らす皆が「阿波踊り」好きであらねばならないなどあり得ない。 たとえ郷里が誇る伝統芸能と言えども、そんなもの、興味がない人はとことん興味がない事は我が幼き頃より心得ている。
 そんな中、私は物心ついた頃より「阿波踊り」大好き派である。 あの“よしこの”のリズムを耳にすると体が自然とスイングしたものだ。 
 時代が流れ、特に子供を産んだ頃よりこの「阿波踊り」好きが再燃したとも言える。 私のDNAを引き継いで音楽好きな娘に是非共「阿波踊り」を伝えたく思い、幾度も郷里を訪れては阿波踊りを見せて来た。


 そして我々母娘は、ホテルすぐ前の新町川沿い公園へ出向いた。
 暗くてよく見えないのだが、数連(阿波踊りの一グループを「連」と呼ぶ)の有名連らしき団体が熱心に練習に励んでいる。
 最初は後方でそれを見学していたが、酒が入っている私が“よしこの”のリズムに合わせて踊り出すと、娘もそれに追随する。 
 少し時間が経過した頃だろうか。  二人の男性が我々に近づいて来て声を掛けて下さる。

 「阿波踊りがお好きですか?」  私応えて「はい、大好きです! 向かいのホテルに宿泊中の東京から来た者ですが、私は元々郷里の出身です。 とにかく“よしこの”のリズムが流れているのを耳にして、いても立ってもいられず急いでこの公園に来ました!」 
 おそらく40代程と思しきイケメン男性応えて曰く、「我々は『殿様連』の者ですが、もしよろしければ一緒に練習しませんか?」 
 これぞ何とラッキーだ!
 その後男性方のご指導に従い、ほんの少しばかり基本姿勢や足の動きの練習を後ろについてさせて頂いたのだが、これぞ究極に高度の技だ。
 ここは練習時間中に我々に付き合い貴重な時間を裂いて頂くのはご迷惑と判断し、後ろに退き見学する判断を下した。


 エッセイの最後になるが、あの時、新町川沿い公園にて我々に声をお掛け下さった阿波踊り有名連の一つ「殿様連」の男性の方々に、この場で今一度御礼を申し上げたい。
 おそらく我々母娘は一生「阿波踊り」のファンであり続けることであろう。 今後もしも8月の阿波踊り本番を見る機会があれば、是非とも「殿様連」を応援申し上げたい意向だ。

 「殿様連」の皆様、貴重な練習時間にお邪魔して誠に申し訳ございませんでした。
 今後共「阿波踊り」発展のために精進されますように!

一期一会の出会いこそが旅の醍醐味 ーその1-

2015年06月28日 | 旅行・グルメ
 (写真は、四国88カ所霊場 第五番札所地蔵寺にて撮影したもの。 手前の後ろ姿が原左都子。 決して幽霊ではありません…?? 


 私は旅先に限らず、日常生活のあらゆる場面で比較的見知らぬ人からお声をかけてもらえるキャラのようだ。
 例えば道を尋ねられる等々。

 その要因を分析するに、おそらく常に周囲の人々の行動に興味を持ちその行動を観察したいとの視点を失っていない事が第一の理由と捉える。
 要するに人との出会い・かかわりの原点とは、まずは見知らぬ他者と視線が合う事ではないかと思うのだ。
 そして視線が合った暁には決して視線を反らさずに、相手の意向を慮る余裕も肝心と心得ている。


 そんな私にとって、国内外を問わず旅をする一番の楽しみとは、まさに見知らぬ人との“一期一会”の出会いである。

 今回の旅に於いても、複数の見知らぬ人との“一期一会”の出会いを経験出来たのが何よりの収穫だ。

 ­­­­ーその1- として、今回は四国霊場五番札所にての女性との出会いを綴ろう。


 上記写真の四国霊場五番札所とは、60代の若さにして急性心筋梗塞にて突然死した我が父の「永代供養」の場である。
 実母の希望により、郷里に帰省した時には必ずやこの地蔵寺を訪れ、永代供養納骨堂に眠る我が父を供養するのが習慣となっている。


 今回地蔵寺を訪れた時には、四国霊場を巡る観光客は比較的少数だった様子だ。

 そんな中、(おそらく私と同年代と思しき)遍路衣装に身を包んだ女性が私に声をかけて下さる。
 「お若いのに、霊場を巡っておられるのは感心ですね。」
 私としては、「お若いのに」の一言がまんざらでもない。
 応えて私曰く、「霊場をよく回っていらっしゃるのですか?」

 女性曰く、「今回が3度目となります。 ところでこの納札入れの意味合いをご存知ですか?(上記写真参照) これは霊場巡りの回数が増える程に納札の色が変わる仕組みです。 一番トップが“錦色” その次が“金色” その下が“銀色”と続きます。 もしも“錦色”の納札に出会えた場合、それを持ち帰る事によって自分自身がそのご利益に与れます。 もしよろしければ貴女もそのご利益を目指しては如何ですか。」
 私応えて、「霊場巡りとはそんな楽しみもあったのですね! 興味深いお話を伺えて大いに参考になりました。 どうか引き続き良い巡礼の旅を続けて下さい。」


 いやはや、正直に言えば、私自身は四国霊場88カ所巡りにはさほど興味がない。

 それでも、実母が帰省時に必ず地蔵寺に眠る父の永代供養墓参りを強要するからこそ叶った、一期一会の見知らぬ女性との一つの出会いだったとの今回のエッセイです。

瀬戸内海を特急マリンライナーにて縦断の旅

2015年06月27日 | 旅行・グルメ
 (写真は、本州中国地方岡山県と四国地方香川県を結ぶ本四架橋の一つ 瀬戸大橋 の下部を通るJR瀬戸大橋線特急マリンライナー内から撮影した岡山県側の風景。)


 冒頭から、瀬戸大橋及びJR特急マリンライナーに関してネット情報を引用しつつ紹介しておこう。

 まずは、瀬戸大橋に関する情報から。
 瀬戸大橋は、瀬戸内海をまたいで本州(岡山県倉敷市)と四国(香川県坂出市)を結ぶ10の橋の総称である。 なお、「瀬戸内海大橋」という誤記が見られることもあるが、これは本来西瀬戸自動車道(瀬戸内しまなみ海道)のことである。かつて2橋の混同を避けるため、瀬戸大橋のことを「備讃瀬戸大橋」と呼称することもあった。
 1978年の着工から9年6ヶ月を経て1988年4月10日供用開始され、総事業費はおよそ1兆1,338億円。
 橋梁上部構造部分は、上部に4車線の瀬戸中央自動車道が走り、下部にJR本四備讃線(愛称:瀬戸大橋線)が通る2階建ての構造であり、用途が2通りあることから「鉄道道路併用橋」と呼ばれている。
 塩飽諸島の5つの島の間に架かる6つの橋梁と、それらを結ぶ高架橋により構成されており、橋梁部9,368 m、高架部を含めると13.1kmの延長を持つ。 これは鉄道道路併用橋としては世界最長で、人工衛星写真でも確認できる。 橋梁は吊り橋・斜張橋・トラス橋の3種類を併設。
 工事の際には当時世界初の技術が導入され、「海底無線発破」「設置ケーソン工法」などが実用化された。 また、気象条件や荷重による変形が著しいこの規模の吊り橋への鉄道の敷設は世界初の事例であり、橋梁の変形から線路を保護するための技術が新規に開発された。
 下部の鉄道は新幹線・在来線合わせて4線を敷設できるようになっているが、現在は在来線用に中央寄りの2線分のみが暫定的に敷設され、使用されている。 計画中の四国横断新幹線が建設される際には2線増設され、東側2線を在来線に、西側2線を同新幹線として使用する予定だった。 今のところ新幹線用のスペースのほとんどは何も設置されていないが、一部スペースに建設当初想定されていた新幹線用設備分の死重が設置されている。
 (以上、ウィキペディア情報より一部を引用。)

 次にマリンライナーに関する情報。
 平成15年10月のダイヤ改正にあわせ、高松と岡山を結ぶ快速「マリンライナー」が一新。JR四国がJR西日本と共同で導入した新型車両は、先頭車両に2階建て車両を導入し、特に2階部分のグリーン車からは瀬戸内海の眺望が楽しめる。 また最高速度を130km/hにアップし、高松~岡山間を平均約55分で結んでいる。 マリンライナーの2階建て車両(5000系5100形)は、鉄道友の会選定の「2004年ブルーリボン賞」に輝いたほか、(財)日本産業デザイン振興会が主催する「グッドデザイン賞」にも選ばれた。
 (以上、ネット情報より要約して引用。)


 さて、我が旅行記に入ろう。

 前回のエッセイ内で記した通り、私は去る6月23日より、片道道中列車を5つとバスを一つ乗り継ぐ国内旅に出かけた。  その所要時間とは、列車・バス乗車時間トータルが片道9時間也!

 数十年来国内外問わず航空便利用旅行に慣れ切っている身にして、一昨年頃より新幹線を利用した国内旅行を幾度か経験した。 今回の旅の場合も、航空便を利用すれば現地まで“一っ飛び”で行けるにもかかわらず、何故あえて列車乗り継ぎ旅を志したかと言えば、それは航空便旅に比して鉄道旅の方がずっと心地良いとの感覚を得たからに他ならない。

 それに加え、今旅の最大目的が久しぶりに“瀬戸内海を見たい”事にあったのも確かだ。
 数十年前の上京後間もない頃、一時郷里に帰省する際に、東京から新幹線利用にて岡山より宇高連絡船に乗船し高松経由で実家を訪れた事が何度かある。 
 我が記憶によれば、当時その片道所要時間とはおそらく12時間程だったのではなかろうか?  とにかく純粋に帰省目的であるにもかかわらず、何故これ程の長時間と重労働を課せられるのかと若気の至り故に嫌気がさしたものだ。

 ところが一旦“瀬戸内海を見たい”と旅の目的を180度好転すると、これが実に楽しめるのだ!
 今回は瀬戸大橋鉄道経由にての旅だったが、これがもしも 宇高連絡船乗船だったならばもっとサプライズだったのではないかと思えるから、不思議だ。 


 最後に、今回の我が旅の最終目的に関して説明しよう。

 血縁親族が高齢に至れば至る程、直系子孫への負担が重圧としてのしかかって来るのは、何処の高齢者を抱えるご家庭も同様ではあるまいか?
 
 要するに今回の我が旅の最終目的とは、郷里の実家に一人暮らす高齢実母宅訪問に他ならなかったという結末だ。
 そうだとして私としては、せめて郷里への道中のみでも快楽を享受しつつ自分自身が活性化したいとの思いの旅だったが、その活性化が十分に叶ったとの結論で締めくくろう。

列車を乗り継ぐ旅に出ます。

2015年06月22日 | お知らせ
 (写真は、明日から出かける列車乗り継ぎ旅チケットの一部。)


 明日(6月23日)から、片道道中列車を5つとバスを一つ乗り継ぐ国内旅に出ます。

 その所要時間とは、列車・バス乗車時間はトータルで片道9時間也!


 航空便を利用すれば現地まで“一っ飛び”で行けるにもかかわらず、今回何故あえて列車乗り継ぎ旅を志したかと言えば、それには複数の理由がある。

 数十年来国内外問わず航空便利用旅行に慣れ切っている身にして、一昨年頃より新幹線を利用した国内旅行を幾度か経験した。

 これが何とも心地よいのだ。


 以下に航空便旅と列車旅を比較しつつ、列車旅の“優位性”につき列挙しよう。

 ○ 航空便の場合自宅から空港まで時間がかかる。

 航空便の場合、空港にて飛行機に搭乗後は確かに短時間で現地空港まで到着する。 
 ところが例えば都心に位置する我が家から羽田空港までのルートは、たとえリムジンバスを利用しようとて一度電車を経由せねばならない。 しかもリムジンバスが交通渋滞に巻き込まれた場合、恐らく浜松町よりモノレールを乗り継ぐよりも時間がかかる。
 ずっと以前の事だが、リムジンバスが高速道路内で事故渋滞にはまり、羽田空港に到着した時点で既に目的便が離陸していたとの不運に遭っている。 その反省から、航空便にて羽田出発時は必ずや鉄道路線に頼ることが習慣化していた。
 それに比し、列車便の場合(台風や大雪被害がない限り)時間通りに新幹線等特急列車に乗れる。 

 ○ 列車便の場合、保安検査所を通過せずに済む。

 これぞ、絶大なる列車便の長所だ。
 航空便の実に鬱陶しい保安検査所にて、私は何度“危険物所持”にて引っかかり時間を要した事か。
 思い出すだけでも、「腰にしめていたベルトの金属部分が反応した」 「ボストン鞄内に入れていた液体物の再調査を受けた」 「同じく眉毛剃り用カミソリの長さが機内持ち込み基準より長いため没収」 
 極めつけは、海外旅行時にスーツケース内に入れていた「衣料用洗剤」を“危険薬物”と勘違いされ、入国審査に手間取った事もあった。

 ○ 列車便の方が、断然 自分が予約した座席の心地良さを期待出来る。

 航空便座席の場合、そもそも飛行機内の座席配置が窮屈な事態が“諸悪の根源”と把握する。
 ずっと以前よりネット上から自分の好みの航空機座席を予約しても、当日客対応とはおそらく空港係員氏が勝手気ままに空席に入れ込むのであろう。例えば窓側希望の乗客にはそれを実行する等。 これが耐えられない。  特に空席が多い航空便にあえて乗ったのにもかかわらず、我が母娘予約席の窓側に執拗にまで当日男客を押し込まれた時には、許し難き怒りに満ちた経験は「原左都子エッセイ集」バックナンバーにても公開している。
 その点、列車旅(特に新幹線)の場合、あらかじめ2名、3名、4名等々に即して、他人客が入り込まない座席をこちらから指定出来る事が幸いだ。

 ○ 列車旅の場合、車窓が楽しめる。

 これぞ、列車旅の最大の利点だ。
 航空便の場合も昼間晴天だと、たとえば国内便の場合富士山が美しく雲の上に浮かんでいる姿を見る事も叶う。 あるいはずっと昔にアンカレッジ経由でヨーロッパまで旅した時には、飛行機内よりオーロラを観察出来たものだ。  ただそんな場面に出くわすのは単に偶然に過ぎない。 
 それに比し、列車旅は確実に車窓が楽しめる。 とは言えども新幹線の場合、何処も周辺住民に配慮して高層の遮蔽壁を施している事が現実とも言えるのだが… 


 いずれにせよ、私は明日から列車乗り継ぎ旅に出かけます。
 留守中「原左都子エッセイ集」執筆をお休み致します事を、読者の皆様にお伝えしておきます。

絵むすび (朝日新聞2015.6.20編)

2015年06月21日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2015年6月20付 別刷「be」 パズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)


 朝日新聞パズル「絵むすび」ファンの皆様も、既に「絵むすび」解答に慣れ親しんでいらっしゃるものと推測する。

 と言うのも、「原左都子エッセイ集」編集画面にて見る限り、朝日新聞がパズルコーナーにて「絵むすび」を取り上げた直後のアクセス数が減りつつある故だ。


 昨日の朝日新聞課題の場合「レベル3」でもあるし、特段私の方から解法を説明するでもないであろう。

 今回の「絵むすび」は、最初から上部アイテム すなわち(4.洗濯ばさみ、2.トマト 5.なす)と、下部アイテム すなわち(6.旅行かばん 3.水筒 1.テルテル坊主) を仕訳けしておけば、解答が容易だったと推測する。


 ここで話が大幅に飛ぶが、現在の安保関連国会論争はまさに上部アイテム(自民党及び公明党の現政権に加え、既に政治家引退を表明している橋下徹氏?) v.s 下部アイテム(民主党、共産党、社民党に憲法学者達も加えて)の対決場面との様相を呈していやしないか??

 原左都子自身は(長年の「原左都子エッセイ集」読者の皆様は既にご存知の通り)、当然ながら当該論争に関しては 「安倍内閣安保改革案『違憲』」! の立場を貫き通している!


 そんな立場から改めて上記「絵むすび」を眺めてみると、上部アイテムの繋がりようは実に“安直”だ。
 それに対し、下部アイテムは意見を交錯しつつどうにか「違憲」の安保改革案を廃案に持ちこみたいとの切磋琢磨力を呈している感がある。


 後日、上記与野党国会論争に関しましては改めて当該「原左都子エッセイ集」にて私論を展開する予定でおります。 今回は中途半端で誠に申し訳ないのですが、悪しからずこれにて失礼致します。