原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

パズル「推理」 ー朝日新聞2018.04.28編ー (プラスα時事論評)

2018年04月29日 | 時事論評
 (写真は、2018.04.28朝日新聞別刷 「be」 パズル推理 に原左都子が解答したもの。)


 朝日新聞パズル「推理」ファンの皆様、お待たせ致しました。

 今回の「推理」解答は、比較的簡単だったことでしょう。

 ところがこの原左都子にとりましては、他の関心事に心が向いていたため、パズル解答に際し集中力が欠けていたのか少々手こずりました。

 そして本日解答が叶ったのですが、我が失敗はパズル登場者一人一人が語る内容を十分に読み込んでいなかった事にあったと反省です。

 その一つが、石田さんが語っている「東京に行く人は両親といっしょだそうです」でした。
 この文言に従って、図に〇✖を改めて書き入れますと、すぐさま回答が叶いました。

 やはり、人(相手)の発言は誠意を持って聞くに限る!、との結論が導かれるとのことでしょう。


 そんな私の“関心事”とは、一昨日開催された「南北首脳 板門店会談」に他なりません。



 ここで大幅に話題を変えさせていただくが。

 本日もネット上に、その会談に対する後日“波紋”と思しき記述を数多く発見した。
 その中で、つい先ほど見た情報を以下に引用させていただこう。

 韓国の文在寅大統領は29日、安倍晋三首相と電話会談し、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が
27日の南北首脳会談の際「いつでも日本と対話を行う用意がある」と述べたことを伝えた。 韓国大統領府が明らかにした。 文氏は南北会談で、日本人拉致問題や日朝関係について提起し、首相の考えを伝えたと説明。 首相は共同宣言に「朝鮮半島の完全な非核化」が明記されたことを評価した。
 首相は文氏による拉致問題言及を巡り「誠意に感謝したい」と官邸で記者団に語った。
 電話会談後、首相は来日した韓国の徐薫国家情報院長と官邸で面会し、南北首脳会談のやりとりの詳細について説明を受けた。
 (以上、本日先ほど見たネット情報より引用したもの。)


 上記ネット情報に関するテレビニュースを、本日昼の時間帯にも見聞した私だが…。

 ここで原左都子の私論を語らせて頂くならば。
 “出遅れアベ” が必死に南北首脳会談に追いつきすがろうとしている姿に哀れ感すら漂う…
 この期に及んで今朝安倍氏から韓国文大統領に電話を入れ、「拉致問題に関して金正恩氏に伝えてくれたか?」と確認したらしい。
 それを受けての金正恩氏からの解答「いつでも日本と対話を行う用意がある」、が韓国文大統領を通して世界に発信されたとのことだろう。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。
  
 今後の南北朝鮮及び米朝首脳会談に関する私論は既に前エッセイ内に簡単に述べているため、それをご参照頂きたい。

 それにしても、今回また安倍晋三氏は更なる“墓穴を掘った”としか、私の目には映らない。

 安倍晋三氏との人物には、そもそも「人の話をじっくりと聞く」なる能力が全面的に欠落していると私は判断していた。 その欠落ぶりにしてよくぞまあ国民からの支持(票取り)を受けつつ長年政権が続行したものだ、と私など今更ながらに呆れ果てるしかないのだが…。

 しかも安倍氏の真なる関心とは、自分の“お友達”等身近な人物にしかないことにも辟易とさせられていた。(森友・加計問題を揶揄しての我が見解だが。)
 
 今回の南北会談にて「人の話をじっくりと聞く」能力に長けている韓国の文在寅大統領に先を越され、こんな場で拉致問題を持ち出す事により、安倍氏は更なる自身の惨めさを晒した感もある……


 あっとっと。 

 朝日新聞パズル推理ファンの皆様、大変失礼申し上げました。
 ただ、“原左都子の神髄とはここ(時事社会問題論評)にある!” 事実をこの場で宣伝したく考えまして、あえて今回は「パズル解答」を「時事論評カテゴリー」に位置付け公開する事を策略致しました。

 今後共に、パズル解答にも精を出して参ります所存です。
 

南北首脳会談で世界の“蚊帳の外”に置かれた安倍首相と日本

2018年04月28日 | 時事論評
 冒頭から、上記表題に関するネット情報を要約引用して紹介しよう。


 外交の成果をアピールしてきた安倍晋三首相が、朝鮮半島情勢の激変に置き去りにされている。
 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は27日、板門店(パンムンジョム)の韓国側施設で共同宣言に署名し、「南北は完全な非核化を通じて、核のない朝鮮半島を実現するという共通の目標を確認した」と発表した。
 昨年までの戦争危機から一変、南北和解ムードが高まっている。だが、そこに安倍首相の存在感はない。
 会談終了後、首相官邸で記者から「日本は蚊帳の外に置かれているのでは」と質問された安倍首相は、「それはまったくありません」と語気を強くして反論。 米国や韓国と連携して北朝鮮外交に取り組んでいると説明した。 それは本当なのか。
 「日本はこれまで圧力一辺倒で、ウラ側で直接交渉を探る動きはほとんどなかった。 今は朝鮮総連を通じて日朝首脳会談の打診をしていると言われているが、今さら手のひらを返しても相手にされるわけがない」(外交筋)
 北朝鮮だけでなく、韓国からも軽視される日本。 
 韓国国内では南北首脳会談を成功させた文在寅氏への評価は高まっていて、保守派も含めて好意的に受け止められているという。 一方、日本への関心は低い。
 「今回の会談は、6月にも開かれる米朝首脳会談の地ならしのようなもの。金正恩氏と文在寅氏の二人きりの30分の会談も、今後の米朝交渉に向けての話だった可能性が高い。 韓国、北朝鮮、米国でここまで話が進んでいる中で、日本を枠組みの中に入れようとは考えていないのが実情です」(韓国の裴氏)
 年が明けてから金正恩氏は「威嚇」から「交渉」に一気に舵を切った。 平昌五輪では「ほほえみ外交」を駆使して南北協力をアピール。 米朝首脳会談の合意など、北朝鮮と韓国の望むシナリオが次々実現していった。
 その動きを見て、中国とロシアも北朝鮮との連携を着々と深めている。
 3月下旬には習近平(シー・ジンピン)国家主席と会談するため、金正恩氏が北京を訪問。 両国の関係改善や朝鮮半島の非核化で一致した。
 ロシアのラブロフ外相は4月10日、北朝鮮の李容浩(リ・ヨンホ)外相とモスクワで会談。 時期は明示しなかったが、ロ朝首脳会談開催の可能性も示唆した。 6月に予定されている米朝首脳会談の前に、プーチン大統領と金正恩氏の会談が実現する可能性もあるとの談話もある。
 激変する北朝鮮の動きに安倍首相が行動できたのは、トランプ米大統領や文在寅氏に拉致問題を会談で取り上げるよう求めたことぐらい。 両氏から同意を得ることはできたが、南北首脳会談の板門店宣言では拉致について触れられずじまい。 成果に結びつくかは不透明だ。
 「トランプ氏は約束した以上は会談の場で取り上げるでしょうが、それで拉致問題が進展するとは思えません。この問題は直接交渉でしか解決しませんから」(外交筋談話)
 金正恩氏の巧みな米韓中ロへの外交攻勢に、日本は八方塞がりの状態だ。 前出の裴氏は、こう話す。
「金正恩氏は緻密な計算によってシナリオを実現させたが、米朝首脳会談がどこまで成果を挙げるかはいまだ不透明なまま。 こうなると安倍首相が独自に動くのは難しく、朝鮮半島情勢の行方を見守るしかないのではないか」
 (以上、AERA dot.編集部・西岡千史氏によるネット情報より一部を引用したもの。)


 原左都子の私見に入ろう。
 
 昨日、私は時間の許す限り、板門店にて実施された南北朝鮮首脳会談のテレビニュース報道を見守った。
 70年間近くに及ぶ南北朝鮮の分断と対立を乗り越え、史上3度目の実施だった南北朝鮮両首脳の言動の様子を、是非ともこの目で凝視したかったからだ。

 板門店の軍事境界線を越えて韓国に訪れようとする北朝鮮の金正恩委員長を、満面の笑みで待ち受ける韓国文在寅大統領。
 金正恩委員長も最初は護衛と共に歩いていたが、南側で手を振る文在寅大統領の満面の笑顔を確認するなり一人で足早に歩き始め、軍事境界線を挟んで固く握手を交わす。

 その後、私にとって感激の場面があった。
 「ようこそ韓国へ!」と南へ招かれた金正恩氏だが、まずは南側で二人で握手と挨拶を交わした後の事だ。
 文在寅氏に対しまるで「我が国北朝鮮へもどうぞ!」と言わんばかりに、再び軍事境界線を二人でまたぎ、今度は北側で同じように二人が挨拶と握手を交わしたのだ。
 あの時の映像は元々のスケジュールには無く、金正恩氏のサプライズ・アイデアであったと私は推測する。
 
 別のニュース報道で見た映像は、既に両首脳が着席した場面だった。
 その時に、メモを見る事無く発せられた金正恩氏からの“本音と思しき”挨拶談話にもプラスの意味合いで驚かされた。
 文在寅氏と面と向かった場面に於いて、金正恩氏からの初めて「正式談話」だったようだが、その談話内容が自然であり饒舌だったことにも衝撃を受けた。

 ずっと以前に遡るが。  金正恩氏が未成年の頃、海外(スイスだったと記憶しているが)留学している映像がテレビ報道に取り上げられた場面を私は思い起こした。
 金正恩氏は今現在太っている。(これに関しては先々代の金日成主席に似せるために故意にあの体型を作り出している、との情報に触れた事もある。)  その留学映像内の金正恩氏はごく普通に可愛らしい青年(少年?)であり、周囲の諸外国からの留学生と流暢な英語で打ち解けつつ楽しく暮らす様子が放映されたのだ。
 その後時が経過し、北朝鮮労働党委員長として金正日氏の死後を受け継ぐ後継者に金正恩氏が指名された時に、我が脳裏に過った事実とは。 3名存在する後継者の中で、おそらく金正恩氏が一番優秀なのだろう、との憶測だった。

 昨日の「板門店」で私が再認識させられたのは、やはり金正恩氏とは元々聡明な人物なのではなかろうか、との事実だ。
 そして同様に、その金正恩氏を南側に招く事に成功した文在寅氏もまた、優秀な人物であろう。(韓国にて弁護士でもあられるようだが。)

 そんな元々聡明かつ優秀な人物二人の個々の触れ合いが招いた結果の、今回の「南北朝鮮・板門店会談」の成功であったのではないかと結論付けたい。

 おっとっと。 ここで安倍晋三氏を引き合いに出したいものだが、それはいくら何でも失礼であろうから慎むべきだろう。
 

 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 その場が国家間であれ、ごく身近な庶民間であれ---
 とりあえず人と人とが誠意を持ってきちんと話し合うためには、快い会話の場が設定・提供されねばならないのが第一の条件であろう。
 その意味で、韓国文在寅大統領の「板門店首脳会談」は大成功を遂げたと私は大いに評価する。

 ただ…。
 上記ネット情報が提示している通り、今後の課題が膨大であるのも事実だ。

 実際問題、金正恩氏は既に北朝鮮に帰った。
 その金正恩氏が北朝鮮国家最高責任者として抱える課題は膨大だろう。 何分、今まで「非核化」と正反対の政策を国民に信じ込ませて来ている。 昨日文氏とそれはやらないと約束したとて、未だ若き金正恩氏が一体今後如何に身を振るのだろう。

 あるいは、6月には米朝首脳会談を控えている。
 トランプ氏とは文在寅氏とは正反対に、相手を容赦なく斬り捨てる人物だ。 
 実際問題、米朝首脳会談が真に開催される事を、私は未だ想像出来ないのだが…

 それにしても……
 かの安倍晋三氏が、これら首脳会談とは縁の無い空間で“ノーテンキ”に彷徨うばかりの「不甲斐ない国家主席」である実情を、再度一国民として叩きつけられる思いだ……

根拠不明の似非科学に膨大な国家予算を注ぎ込むな!

2018年04月26日 | 時事論評
 不祥事続きの“インチキ安倍政権”だが、国民の視野に入りにくい科学分野に於いても許し難き不祥事を繰り返している様子だ。


 本日2018.04.26付 朝日新聞社説の一つは、元科学者の端くれである原左都子にとって大変興味深い内容だった。
 早速、「研究と成果 前のめりを戒めよ」と題する社説を以下に要約して紹介しよう。

 「常識をくつがえし、産業や社会に大きな変革をもたらす」 こんなうたい文句を掲げ、安倍政権のもと4年前に鳴り物入りで始まった研究開発制度で、根拠が不十分なまま成果を強調したと受け取られてもしかたがない事例が相次いでいる。
 カカオ成分の多いチョコレートを食べると脳が若返る可能性がある――。 内閣府と大手製菓会社は昨年初めにこう発表したが、30人に4週間チョコレートを食べてもらった結果をまとめたもので、食べなかった人との比較をしていなかった。  まだ論文にもなっておらず、予備的な実験だったという。 科学的な裏付けが十分でないとの声があがり、検証した有識者会議が「『脳の若返り』という言葉が独り歩きしてしまい、発表には慎重さが必要だった」と指摘したのは当然だろう。
 昨年秋には、新たに開発された計算機を「量子コンピュータ」と呼んだことに異論が出た。 現在のスパコンを超える高速計算を可能にする量子コンピュータは、まだその定義がはっきりしておらず、「拙速に量子コンピュータを語るべきではい」との意見も出て、当面そう呼ばないことになった。 この研究開発制度には総額5500億円の基金が設けられ、内閣府が所管し、首相を議長とする政府の総合科学技術・イノベーション会議が、研究テーマ設定やプロジェクト責任者の最終的な決定に当たっている。
 国の産業競争力を高め、国民生活に貢献するという視点が明確に記され、責任者に巨額の予算と大きな権限が与えられているのが特徴だ。
 リスクを伴う研究開発に産学官が協力して取り組む仕掛けは必要だ。 しかし、成果の発表には正確さと慎重さが欠かせない。 説明に行き過ぎた表現や誇張があれば、科学への信用を損ねることになる。 公的資金を投じた研究が特定の商品の宣伝につながりかねない危うさへの目配りもいる。
 客観的な立場からチェックするのは、資金の出し手である政府の役割でもある。 ところがその政府自身が、経済成長につながる成果を求めるあまり、前のめりになっていないか?
 根拠に基づいた冷静な情報発信に徹する、そうした態度が科学の基本であることを、関係者は肝に銘じてほしい。
 (以上、朝日新聞本日の「社説」より要約引用したもの。)


 ここで、一旦私見だが。

 アホ臭いことこの上ない。
 何だって?? チョコレートをたった30人に4週間食べさせた結果をまとめ、「脳が若返るからチョコレートを食べろ」だと!?!
 まだ予備的実験段階で論文にもなっておらず科学的裏付けが無いに等しい段階で、内閣府もからんでこれを国民に発表したんだと??!  何ともまあ、驚くべき“科学ド素人”対応だこと!
 これ、明らかな政府と製菓会社との癒着だ。
 事が「チョコ食え!」であり、国民の間にさほどの健康被害が発生しないであろう点のみが救いだが。
 製薬会社と政府との癒着など当の昔から悠然と行われているが、皆様もご存知の通り、副作用死者を出し続けているのが実情だ。

 別の視点からの考察だが。
 過去に於いて基礎医学分野で医学実験経験を重ねて来た私だが、特に“サンプリング実験”の場合、そのサンプル数を出来る限り多く集めるのが大変な作業だったものだ。 実験対象が「健常者」の場合は比較的サンプルが集まりやすい。 反面、特殊疾患患者等々の場合、その数を集めるのに難儀したものだ。
 上記チョコレート実験では、サンプル数がたったの30人、しかも4週間のみチョコを食べさせただけで、よくぞまあ「脳が若返る」なる突拍子もない結論を平然と導いたものだ。
 とにかく最低限論文にして世に発表するべきだろう。 それをしてくれない事には、実験の手法や手技、サンプルの実態、「脳が若返る」との結論を導いた過程等々がまったく捉えられない。

 片や、「量子コンピュータ」の事例では、なんと! 巨額基金創設と共に研究プロジェクト責任者には巨額予算付与と大きな権限が与えられているというではないか!
 いやはや、これまた、STAP事件を彷彿とさせられる。
 あの事件の場合、小保方晴子氏がメディア報道に喜んで応じて“かっぽう着”姿ではしゃいだがために、科学素人の国民間でも論文の改ざん・捏造が早期に表沙汰になった事が幸いした。(私はそのように理解している)
 一方、「量子コンピュータ」の場合、まさか研究員のどなたかが“かっぽう着”ではしゃがないであろう。 そうすると、メディアの目に触れない水面下で、如何なる研究が成されているかの検証もままならないまま、その国民の血税による巨額の予算が消費され続けるであろう事実が目に見える。
 安倍首相がその研究開発会議の議長であるらしい。 これまた、一体どれだけの巨額国家歳費が膨大を続けることであろうか…  空恐ろしい話だ……


 その安倍さんはこの5月の連休も昭恵夫人を引き連れて政府チャーター機で外遊し、国民からの血税を訪問諸国にばら撒いて来る様子だ。 

 どうしてこうも、安倍氏とは“ノーテンキ”なのか?
 自身の進退を問われて久しい身にして、その傍若無人ぶりに呆れ果てるしかない。

 ここはやはり、安倍氏の「精神鑑定」をその専門医氏にお願いしたいものだが……

そろそろ、ガラケーをスマホに切り替えるべきか…

2018年04月24日 | 自己実現
 最近(というより、既に2,3年前からだが)、電車に乗って鞄からガラケーを取り出すのが恥ずかしくて躊躇してしまう。

 都会の電車事情をご存知の方々は周知されているだろうが、満員電車の中で人々が手に持っているのは99,9%がスマホだ。
 今となっては私よりもかなり年配と思しきお年寄りですら、鞄から取り出すのはスマホだ…
 そんな中、実年齢よりもずっと若く見える(?? 1人で勝手に言ってろって?!?)私が、とてもじゃないが鞄からガラケーを取り出せない…

 いえいえ私の場合、ネット使用は全面的にパソコンに依存している。
 写真機能に関しては、いつもカメラ(昨年わざわざ購入した比較的高性能のデジカメ)を鞄に入れているし、それで外出時は特段不便も無く過ごせている。

 要するに外出時に使用したいのは、メール機能のみだ。
 これとて現在仕事に従事している訳でもなく、重要事項の緊急連絡の必要性はほぼ無い。 まあ、待ち合わせ時間に遅れそうな時にメール連絡を入れる程度だが。 それをするために電車の中でガラケーを取り出すのに躊躇するとの話だが。


 負け惜しみで言う訳ではないが。
 私は庶民であることには間違いないが、決してスマホ購入及び月々の支払いが出来ない程貧乏してもいない。
 それでは何故、いまだかつてガラケーをスマホに買い替えないのか??

 その第一の理由は、ネットに翻弄され過ぎている現在社会への反抗・警鐘とでも表現するべきだろうか?
 現在の私にとってはパソコン利用により十分にネット利用も叶っているし、何も敢えて外出時にスマホに依存してまでネット依存せんとの発想が無い。
 それが証拠に、特に旅行中には私は決してネット接続しない主義を貫いている。 ガラケーメールにての必要連絡のみで十分だ。 むしろ旅行中にガラケーに重要性・緊急性の乏しいメールが届いたりすると、興ざめの気分に陥れら迷惑な気分にもなる。
 
 もう一つの理由は、我が亭主も私以上にガラケー派であることだ。
 私同様にパソコンネット派の亭主は私よりも徹底していて、外出時にガラケーを携帯しない主義だ。(何のために“携帯電話”と名付けられているのか、少しは考えて欲しいものだが。)
 そんな亭主は、我が苦悩が理解できないようだ。 電車内でガラケーを鞄から取り出すのが恥ずかしいなる苦悩が。 「そんなもの持って行かなきゃ済むだろう」と返されるのが関の山だ。
 で、そんな亭主がスマホに関して語るのはいつも、「電車内で皆がスマホをいじっているが、そのほとんどがゲーマーだよ。 あれをして皆時間を潰しているよ。」
 まあその実態である事は私も想像が付いているが、亭主が外出時にガラケーを携帯しない事実には私が困惑させられる。 「今日は重要な連絡があるかもしれないから、ガラケーを持って出て!」と私側からの“指導”を要するためだ。 その指導には素直に従ってはくれるものの…。
 

 ここで話題を変えて、朝日新聞「声」欄より77歳女性よりの投稿を要約して紹介しよう。
 世の中、便利便利といろんなものが変わっていくが、それでいいのだろうかと考える。 私にとって一番身近な問題は携帯電話のことだ。 ガラケーを使って同年代の友人とメール交換や電話のやりとりを楽しんでいた。  
 ところが、「母さんはこれが便利だよ」と娘からスマホを渡された。 使ってみると通話のやり取りすらなかなか理解出来ない。 間違えてボタンを押すのも怖い。 
 やはり、ガラケーが使いやすい。 世の中がスマホに移り変わって以降、友人もスマホを使いこなせず、メールのやりとりがすっかり疎遠になってしまった。
 (以上、朝日新聞「声」欄より一部を引用したもの。)


 最後に、私論に入ろう。
  
 直ぐ上に紹介したシニア女性投稿者は、メール仲間に恵まれておられるとの事。 私にとっては羨ましい限りだ。 それならば、せっかくの娘さんのスマホ提案を断固と断りガラケーに戻せば済む話ではなかろうか。
 それにしても、高齢者相手にスマホを奨励する若き世代にも、少しは高齢者が置かれている身体面での不具合の程にも思いが至って欲しいものだ。

 この私に話を戻すと。
 私の場合、上記高齢女性のごとく、身体的事由によるスマホ出遅れ派ではなかろうと自己分析している。
 おそらく遅ればせながらでも、近い将来にはスマホに移行するのであろう。

 ただ実際問題、日々パソコンによりネット交流にかかわっている身として、スマホ移行への不安感も大きい。
 その一番の不安が、文字入力だ。 私の場合、20代に英文タイプ2級を取得している関係でキーボード入力がブラインドタッチによる超高速だ。 それにスマホが対応出来るのだろうか??  そうでなければ、我がネット生活は結局キーボード入力可能なパソコンに依存するしかないのだろう。

 それに私の場合、上記77歳の朝日新聞投稿女性と比較して、メールにての友達付き合いなど無いに等しいのが現実でもあるし…。

 まあそんな私にとっても、スマホに切り替えるメリットは少しはありそうな気もしないでもないのだが。
 結局、自宅から離れた場でも「原左都子エッセイ集」への反応を確認出来る、ってことかな?
 ただ今の私にとっては、さほどの反応も無い我がエッセイ集のチェックは、自宅のパソコンからで十分だしねえ……
 

人間関係を斬り捨て、また斬り捨てる我が人生…

2018年04月23日 | 人間関係
 昨夜、私は現実世界でつい最近までかかわりがあった“ある人物”との人間関係をメールのやり取りにより斬り捨てた。(柔らかく表現すると、終焉させた。)
 
 この事件、私本人にとっても“ホット”な出来事であり、これを論評するには未だ冷静さに欠ける段階だ。
 そんな状況下で下手に論評をしても公平さの観点から相手の人物に失礼であろうから、今回のエッセイで取り上げるのは慎むべきだろう。

 またの機会に冷静に捉えられる段階に入って以降、エッセイとして綴る事としよう。


 さて、そもそもこの私は、人間関係続行に関し執着があまりない方だと自己分析する。

 その最たるものが、恋愛関係だ。
 バックナンバーでも再三述べているが、恋人との別れの決断は早い人間だ。 「別れの予感」がし始めたら即刻こちらから「別れ話」を持ち出す女だったかもしれない。

 そして、それを推奨するエッセイも公開している。
 以下に、当エッセイ集 2017.01.07 公開バックナンバー「恋人との別れ方が下手な女」より、一部を以下に引用しよう。

 恋愛相手とスマートに別れねば、下手をすると命を失うやもしれぬ物騒な時代である。 そんな危険な環境下に於いて、特に若き世代の男女は如何なる恋愛行動を取り身を守るべきか?
 長き独身時代を謳歌し恋愛三昧を繰り返した私であるが、幸いな事には切羽詰まって身の危険に陥るような出来事には遭遇しなかったと言える。 それもそのはず、そもそも私には結婚願望が希薄だった。 意に沿わぬ恋愛をいつまでも引きずる必然性が無いのだ。
 加えて私には常に「破局の予感」と表現出来そうな感情が背中合わせだった。
 その一例を本エッセイ集 2008.5.25バックナンバー 「傘を返して欲しい…」に於いて綴っているため、以下に一部を要約して再掲載しよう。
 出逢いにはいつも別れが付きまとう。 どうせ別れるのならきれいに後腐れなく別れたいものであるが、なかなかそうはいかないのが別れというものの特質でもある。 (中略)
 ただ私の頭の片隅には、彼との関係は長くは続かないであろうとの不安定感がいつも蔓延っていた。 お互いに自立心旺盛でお互いに自分の夢を描いていて、お互いに自己主張が強過ぎるのだ。  いつかは別れが来る、その別れは意外と早いかもしれないという不安定感が、返って二人の関係を加速させていたのかもしれない。
 そして何ヶ月か経過し、表向きの付き合いの楽しさと脳裏をかすめる不安定感とのギャップはさらに深まっていた。
 ある日、もう潮時かと悟った私の方から別れ話を持ち出す決意をした。 彼の脳裏にも同様の考えはあったはずだ。 だが、唐突に私の方から具体的な別れ話を持ち出された彼は動揺した。 負けん気の強い彼は別れを認める。 それも私は計算済みだった。 そして二人は別れることになり、私は彼の部屋を出ようとした。
 その時、彼が言う。 「傘を返して欲しい…」 と。
 雨の日に彼の部屋から帰る時に借りていた安ビニール傘をまだ返していなかったのだ。「わかった。今度届けに来る。」そう言って私は去った。  後日、私は彼の留守中を狙って彼の部屋を訪れ、鍵のかかった玄関先のドア付近にビニール傘を届けた。傘には再度お別れの手紙を綴って巻き込んでおいた…。
 (原左都子エッセイ集バックナンバー「傘を返して欲しい」より一部を引用したもの。)
 この事例など、明らかに「破局の予感」があった。 しかもその感情がお互いに内在していた事が幸いして、恋愛早期に綺麗に別れられたのかもしれない。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより引用したもの。)

 一旦私論だが、恋愛関係の終焉も「人間関係の斬り捨て劇」に他ならないだろう。 が、どんな別れも後で思い出せばドラマチックで美しくすらある。


 それに対し……

 親族等身内の「斬り捨て」とは難儀なものだ。
 何が言いたいのかと言えば、前エッセイ「郷里実母からの手術入院連絡騒動」の続きになりそうだが。

 そもそも私は、遡る事40年程前に実家も郷里も“捨て去って”単身上京している。 少なくとも私側の感覚はそういう事だ。
 ところが、実家側(要するに両親)としては娘の私に“捨てられた”感覚は一切無い様子だ。 あちらとすればいつまで経っても可愛い娘であり、反面、いつまでも自分達は成長した娘に助けてもらえると信じ切っている様子だ。
 いや、父に関してはその感覚がさほど強くはなかったようだ。 「自分は誰の世話にもならない!」との生前の宣言通り、60代の若さで急性心筋梗塞発作による突然死で忽然とこの世を去っている。 
 片や、母の私への依存度は一体どうしたことかと嘆かわしくなる。 とは言え、結果として母も父亡き後20年間程郷里での一人暮らしを全うし、一昨年高齢者自立支援施設へ入居してくれたのだから、文句を言える筋合いはない。

 ただ前回のエッセイで記述したように、手術入院等何らか有事の際には、必ずや次女の私に泣きついて来る。 それも当然の権利と言いたげに…。
 本音を言えば、「上京後40年間、こちらは一切アンタの世話にはなっていないよ。 なのに何故、アンタ側はそれが私の当然の義務と言わんばかりに私に依存するのよ。 少しは私の立場も考えてよ。」と口先まで出るのを堪えている。
 今回はラッキーにも母の手術入院は回避出来たが、今後母が歳老いる毎に私への依存心が強まる事が目に見える。 斬り捨てたいが斬り捨てられないこの親子関係が、母の死まで続くのだろう。


 冒頭の話題に戻るが。

 昨夜斬り捨てた(終焉した)相手は、決して実母ではない。
 そうではなく、まったく赤の他人だ。

 いやはや赤の他人との人間関係とは、いつでも“斬り捨てられる”という意味で簡単なものだとやけに納得させられる。
 (この話題に関しては、フェアに語れるようになった段階でエッセイにて綴り公開する予定です。