原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「チョコ」を贈ったお返しに「酒」を貰った女

2018年02月27日 | 人間関係
 (写真は、本日午前中知り合いのS氏より頂戴した焼酎。)


 標題の「酒」を貰った女とは、私の事だ。
 
 まったくもって「等価交換」が成り立っていないよねえ。
 ただ日本のバレンタインデーなる“俗風習”とは、所詮そんなものだろう。
 大抵の場合、女性側が “海老で鯛を釣る” 結末と相成るものだ。 


 S氏とは我が家に頻繁にやって来る“御用聞き”であり、玄関口へ訪れる都度数分間の立ち話をして既に数年の年月が流れている事に関しては、バックナンバーにて2度程公開している。

 そのS氏に2月のバレンタインデーにチョコレートを手渡した時、既に「(私の口に合う)美味しい焼酎があるから今度持って来る」との話題は出ていた。
 何故「焼酎」なのかと言えば、玄関先での立ち話の主たるテーマが「酒」である故だろう。
 数年に渡り「酒談義」を交わしている2人故に、S氏が私の酒の好みを熟知して下さっているのだ。
 
 「楽しみにしていま~~す!」と応えつつ、先だっては箱根土産(箱根ラリック美術館もの)をS氏に手渡した。
 これにも感激して下さり、その後旅行談義と相成った。


 ここで一旦私見に入ろう。

 そもそも旅行のお土産を手渡す行為の目的とは、自分が実施した“旅行自慢”を相手に披露することにあろう。 ところが人間関係が希薄化している現在に於いて、これがままならないのが実情ではなかろうか?。
 特に海外旅行の場合など、お土産を下手な相手に下手に手渡すと“嫌な奴”と迷惑がられるのが落ちだろう。

 特異的な事象かもしれないが、「夫婦間公的年金独立採算制」を採用し日頃からお互いに独立独歩行動を主眼としている我が家など、亭主に自分の「旅話」などしても、聞くふりをしてまったく聞いていもしない。
 いや、分かるよ。 こちらとて亭主が“今日何をしてきた”類の話など特段聞きたくもないものだ。(大抵は図書館か病院へ行っているのが落ちだ。) あちらも話そうともしないが。

 しかも私にはその種の雑談が出来る女友達など、現在に至っては一人とていやしない。(たった一人“腹心の友”がいたが、独身を貫いていた彼女は数年前にクモ膜下出血にて忽然とこの世から去った。 人生、そんなものだ……)
 何分、40歳近くまでの長い独身時代を男社会で生き抜いてきた身だ。
 晩婚・高齢出産後も、子育て中の女性からの「私の亭主がどうのこうの…」「子供がナンタラカンタラ…」類の“実り無き雑談”も実に実に苦手で、できるならば避けて通りたかったのが正直なところだ。 
 いや彼女達からの「教育相談」に乗った事はある。 それは実り無き雑談とはまったく異質故だ。 ただ「相談に乗る」とは言えども、相手の話に耳を傾ける事により相手の意思を尊重しただけの話だが。


 そんな経歴の私にとり、S氏の存在は貴重だ。
 S氏との関係とは「商売人vs顧客」関係であることには間違いない。
 それでも玄関先談義に於いては、五分五分の“等価交換”雑談が成り立っている印象がお互いにあるのだ。 だからこそ、その関係が持続している認識もお互いにある。


 さてそれでは、本日S氏より頂戴した「キンミヤ焼酎」に関して述べよう。

 とは言えども、未だ実際に飲ませて頂いていない。 
 ここは、ネット通販「Amazon」内に展開している当該「キンミヤ焼酎」に関する“口コミ”を以下に紹介しよう。
 
Amazonで購入
店にあるけど、販売してるところが少なく探してました。
無難なんです。無味無臭なのでなんでも合います。
お手ごろで、悪酔いしない酒お探しであれば、是非一度お試し下さい。

5つ星のうち5.0
人に教えたくないお得感

ワイン派で焼酎は匂いが苦手で、飲むなら黒糖焼酎と決めていたのですが・・・この金宮焼酎を見つけて試してみたところ、匂いもないし、味も癖がなくて美味しいです。おまけに価格もお得。なんと言ってもダイエットには強い味方。不純物や添加物が入っていないので、悪酔いしないのもいいですね。

最高です。これと、炭酸水と梅エキスで、焼酎4.5 炭酸水5.5の割合で
毎日、やってます!何と言っても、サトウキビ原料の甲類と言うのが、最高‼️しかも安い‼️

ホッピーとの相性が抜群です。紙パックなので、瓶入りに比べて扱いも楽だし、ゴミとして出すのも楽ちんです。

原材料独特の香りがないため、サワー類のベースとするには、最適です。
金宮は瓶もありますが、こちらは紙パックなので捨てるのがらくです。

紙パックなので取り扱いが楽です。自宅ホッピー用に購入しました。これ自体は主張しない味なのでカクテル用に最適です。質も良いので悪酔いしませんよ。

癖がないです!
生茶や烏龍茶で割ってます。
美味しく飲めます。


 いやはや原左都子の焼酎好きも、上記ネット通販Amazonにて「キンミヤ焼酎」を買った方々と鏡写しだ。
 癖がない。 割って美味しい。 (酒自体が)無味無臭。 悪酔いしない。 価格がお得。 ……

 それにしても自営業を営んでおられるS氏が、まさかネットでこれを購入した訳ではないことも重々承知している。
 数年の雑談を通過し私の好みを熟知して下さり、それに合わせてご自身が焼酎をセレクトして下さった事実こそが感激的だ。

 これから、S氏セレクトの「キンミヤ焼酎」をいただきま~~~す!! 


 最後に余談だが…

 人間関係に於けるキーポイントとは、詰まるところ「等価交換」かと私は考察するのだが…
 

私の「見合い結婚」の条件

2018年02月25日 | 雑記
 本日、平昌(ピョンチャン)五輪が早くも閉会式を迎える。

 今回の冬季五輪期間内に、私は五輪関連のエッセイを公開していない。
 (女子スキージャンプ 高梨沙羅氏に関するエッセイは公開したが、本来の五輪競技とはかけ離れたテーマ設定だった。)


 いえいえ、この私も平昌五輪は堪能しましたよ!

 一番印象に残っているのは、女子フィギュアだ。
 前回のソチ五輪の少し前頃から、女子フィギュアは既にロシア圧勝の世界へ変貌している。
 他国の選手がいくら頑張ろうと、ロシア選手達のあのクラシックバレエの歴史に後押しされた芸術性と、凄まじいまでに研ぎ澄まされた技術力の世界を打倒出来るすべもない現状と私は認識していた。

 そうしたところ結果としては、はやり金メダルに輝いたサギトワ選手と銀メダル受賞のメドベージェワ選手のワンツーフィニッシュだった。
 銅メダルのカナダの選手も素晴らしい演技だった。 
 このメダリスト3名に共通するのは、まさに既にフィギュアスケートを超越して“芸術的に卓越したパフォーマンンス”としての完成形だったことだろう。
 申し訳ないが、4位以下の選手たちと「競技が異なる」印象すら抱かされた私だった。 
 参考だが、以前より私は今回5位だったイタリア・コストナー選手のファンでもある。 素晴らしく美しい体型に加え、流れるような演技に魅了される。 今回31歳にして4度目の五輪出場を果たし5位入賞を遂げた事に拍手を贈りたい。


 話題を大幅に変えて、表題のテーマに戻ろう。

 本日、あえてこのテーマを掲げた事に関しては理由がある。

 昨日公開した「『シュレディンガーの猫』展、行きたかったなあ…」と題する我がエッセイに、少なからずの“猫ファン”よりご訪問いただいたようなのだ。
 猫ファンの皆様、ご期待を大きく裏切りまして大変申し訳ございませんでした。
 「猫」とはまったく世界が異なる「量子力学的実在論」を語ることを主眼として公開したエッセイでした…。


 今回の“この現象”で思い出したことがある。

 それぞ、我が晩婚にての「見合い結婚」の条件だ。
 見合結婚を実行された方々は十分にご存知だろうが、その特徴とは、自分自身の過去から現在に至る出生・学歴経歴等々のプライバシーをすべて公開し、それに「釣り合う」相手を探すとの手段を前面に出せる事こそが「見合い」の特徴であろう。

 これこそが見合い結婚の最大のメリットと私は考え、それを実行した。
 データとして提出可能な「履歴情報」(見合いでは“釣書と表現するようだが)は、もちろん事前に提示してある。
 そして、その“釣書”にて両者が合意に至った場合、次なる課題は「面談」となる。 (我々の事例に於いては、既にお互いに“晩婚出遅れ域”に達していた事実と、親達から本人達の意思に任せるとの意思表示があったため、二人の“対談”と相成った。)

 その時点で、私は“絶対的に相手に問いたい事項”を用意して行った。
 相手がもしも私が用意した設問に下手な回答をしたり、「そんな話題は面白くない」などと言い始めたものならば、即刻破談にするつもりだった。

 その“絶対的に問いたい事項”こそが、まさに「プラトンのイデア論」であり「量子力学的実在論」だったのだ! (と言うのも、既にお互いの経歴等々は把握して後の対談故だが。)
 我が亭主は当時、理学博士取得の物理学研究者として民間企業基礎研究所にて活躍中だった。 そんな我が素人もどきの質問に応えてくれるのは当然の事、我が質問を大いに面白がってくれたのだ。 更に私は図に乗って「もしも子供が生まれたら名前は“プラトン哲学”から引用するが、それでよいか!」とまで迫った。 それに対しても「面白い!」と反応してくれた事実により、婚姻成立と相成ったようなものだ。
 実際、後に誕生した娘の命名は我が意思による「プラトンのイデア論」より引用し、親族皆にその命名を賞賛してもらい、娘はずっと両方の親族から可愛がられて来ている。


 最後に話題を、平昌五輪に戻そう。
 
 安倍晋三は一体何のために、五輪開会式典への出席を決断したのか?
 何故、米国大統領トランプの娘が、父に言われるがままに平昌五輪の閉会式にのこのこと出席するのか?
 はたまた今回の平昌五輪に於いて、南北交友外交を築こうとした韓国文(ムン)大統領の意向の今後の効果の程が如何なるものなのか??
 
 背景で様々な政治疑惑を抱えつつ、平昌五輪は今夜幕を閉じようとしている。

 せめても、出場選手達のスポーツ界に於ける世界レベルの華々しいご活躍の程を賞賛申し上げたいものだ!

 ブラボー!!  

「シュレディンガーの猫」展、行きたかったなあ…

2018年02月24日 | 学問・研究
 (写真は、先だって旅をした箱根ラリック美術館内に置かれていた美術展パンフレットを持ち帰り転載したもの。)


 上記美術展のパンフレットを一見して、私は「シュレディンガーの猫」のタイトルに惹きつけられた。
 何故ならば、2度目の大学・大学院(「経営法学修士」を取得した)時代に、本来の専門である経営法学以外に一番没頭したのが「科学哲学」であるからだ。
 専門必修科目ではなかったが、教職選択科目として選択可能だったため積極的に履修した。
 
 その「科学哲学」の授業の中で特に思い入れがあったのが「プラトンのイデア論」、そして「量子力学的実在論」だった。 (「プラトンのイデア論」に関しては、後にこの世に生まれ出た我が娘の命名に引用し、その娘を伴ってギリシャ・アテネ(アテナイ)までアカデメイア見学旅行にも出かけた。)


 さて、そんな私が当「原左都子エッセイ集」開設直後期の2007.11.15に「量子力学的実在論の特異性」と題するエッセイを綴り公開している。

 早速、そのエッセイ全文を以下に再度掲載させていただこう。

 古典物理学の世界の中では、我々は世界を割り切って見ることに慣れてしまっている。何事であれ存在するか存在しないかのどちらかだと我々は思い込んでいる。ところが、量子力学の世界では物事の存在の解釈はそう単純ではない。
 「シュレーディンガーの猫」という有名な実験仮説がある。箱の中に毒ガス装置をつけておく。この装置から毒ガスが出るか出ないかはランダムな事態によって決まる。この装置の中に猫を入れる。毒ガスが出れば猫は死に、出なければ猫は生きているという状況が作られている。 
 古典力学によれば、箱を覗いたときに猫が死んでいるか生きているかのどちらかでしかなく、観測者がそれを確認すればよいだけの話である。
 一方、量子力学によると事はそう単純ではない。観測するまでに猫が死んでいる確率と生きている確率は共に50%であり、どっちつかずの状態であるはずだ。ところが観測者が観測したとたんに死んでいるか生きているかのどちらかになってしまう。これを“波束の収縮”と呼ぶ。
 量子力学では、何をもって観測というのかが問題となる。すなわち、どのプロセスで突然ジャンプしこの“波束の収縮”が起こるのかが議論の対象となる。 フォン・ノイマンは“波束の収縮”がどこで起ころうが結果は変わらず、何を観測とみてもよいことを数学的に証明した。 これに対し、観測は「意識」される時におかれると解釈する研究者は多い。この考え方には難点がある。それは「意識」が物理的に記述できないことである。 第一に、いったい誰の「意識」なのかが問題となる。予定調和、すなわち神が元々世界をつじつまが合うように組み立てているという思想を持ち出す手もあるが、科学的にはナンセンスである。 最初の観測者の意識とすることもできるが、特殊相対性理論の「同時相対性」の考えでは複数の観測者のどちらが先であるかは相対的であり、決定できない。 第二に、「意識」を常に持っているのかについても疑わしい。“私”に「意識」があるとしても、これを“他人”に拡張できるのか、“動物”に拡張できるのかという問題点がある。シュレーディンガーの猫の場合、当該猫に「意識」を持たせることが可能であるならば最初に観測するのは当該猫であるため、この猫が“波束の収縮”をもたらすと結論付けることができる。ただ、これもナンセンスな考え方である。結果として観測に「意識」の概念を持ち出すことは問題が多いと言わざるを得ない。
 そもそもこの“波束の収縮”は起こらないと考えるのが「多世界説」である。この説では、観測とは“観測者の分岐”であるとする。すなわち、観測者が生きている猫を観測した状態と死んでいる猫を観測した状態に分岐する、と考える。経験的には観測者はひとりしかいないため常識からかけ離れた奇妙な説ではあるが、この説によると「意識」を持ち出す必要がないため、量子力学内で解決可能である。「多世界説」によれば存在するものすべてが量子力学で説明できるが、欠点は世界(分岐)が無数に増えてしまうことであり、シリアス性を欠いているという批判もある。
 「シュレーディンガーの猫」の実験仮説を元に、量子力学的実在についてほんの少しだけ考察してきた。ここで紹介しなかった他学説もまだまだたくさん存在する。 
 古典力学は、ただひとつの世界、あるがままの世界が存在していることを我々に教えてくれたが、量子力学はそれだけではない可能性を考慮する余地を我々に与えてくれる。合理的思考の限界を超えている量子力学的実在の世界に私は昔からはまっている。今回は、その一端を語らせていただいた。
 (以上、「原左都子エッセイ集」開設当初期の学問・研究カテゴリーエッセイを引用したもの。)

 今となっては当時の記憶がやや薄れているが、それでもこの学問に励んだ事実が今現在の我が思考回路や人生観を作り上げている感覚には揺るぎないものがある。


 さて、冒頭写真の「シュレディンガーの猫」美術展に話題を移そう。

 東京・上野の「東京都美術館」にて現在まさに開催中。 しかも、入場無料!
 当該美術館へは幾度も訪れている。 自宅から電車で気軽に行ける場所だ。
 昨日までは、行こう!と考えていた。 ただ、ここのところハードスケジュール続きで多少体調を崩している。
 もう少し開催期間が長ければ少し先にでも行けたが、残念だが今回は見送る事にした。

 その代わりと言っては何だが、この美術展のコンセプトが素晴らしいため、以下にパンフレットよりその一部を引用して紹介させていただこう。
 美術展開催キュレーターは、京都造形美術大学大学院芸術研究科教授の片岡真実氏。

 いま、芸術大学の危機が叫ばれている。 いや、芸術大学どころか、大学教育全体の危機と呼べるかもしれない。 私立大学の約4割が定員を充足できておらず、芸術大学でも同様だ。 それはつまり、大学で学ぶことの意義、芸術を大学で学ぶ意義が社会から問われていると言って過言でない。
 不確実性を帯びる現代世界に巣立って行く芸術大学学生達が高次の意識を備え、複数の価値感が共生する社会と向き合っていってこそ、その社会的役割を果たすことが出来るといえよう。 ところが、多くの芸術大学の卒業制作展では、学生の個人的な興味・関心の中から生まれる、一方的なメッセージの提案に留まった作品ばかりが溢れているのが現状だ。
 当美術展ではそうした現状を踏まえて、改めて芸術教育およびその成果である卒業・修了制作展のあり方を問い直し、本展覧会を企画した。
 本展では、「シュレディンガーの猫」論の中におけるアルファ粒子発生のような“多層的で不確実な曖昧さ”を、現代世界の社会、経済、政治、文化あるいは歴史観などにおける複層性、不確実の隠喩として捉えている。 そのような主旨から、最終系形としての成果物のみを展示するのではなく、複層的なリサーチのプロセスを重視し、作家の思考のプロセスを展示物に昇華させることを目指している。
 (以上、「シュレディンガーの猫」展パンフレットより当該展覧会のコンセプトを紹介した。)


 最後に、原左都子の私事と私論でまとめよう。

 我が娘が高2の2月まで美大受験を目指し、夜間は美大予備校に通いつつ精進してきた歴史がある。(結果としては美大予備校のデッサンにつまずき美大受験をギブアップし、大幅に進路変更して現在に至っているのだが…
 そのため娘中3時より娘に付き添い、首都圏に位置する複数の芸術大学のオープンキャンパスに足繁く通ったサリバンの私だ。
 一大学に付き年間3度程度、総数にしておそらく4,50回程芸術大学のオープンキャンパスに通った計算となろう。

 その間、現場の学生達や講師先生と語り合わせて頂いたこともある。
 素晴らしいポリシーの下に作品制作に励む学生氏とも出会った。
 あるいは、「子どもを美大などに入れて、将来どうやって食っていかせる気なのか?」なる、究極正直なご意見を私にぶつける教官氏も存在した。
 (両者共に、本エッセイ集バックナンバーにて公開済。 後者の教官とのやりとり現場では、“それ程馬鹿な親ではないつもりだ”なる我が反論意見も正直に申し上げ、長々と議論させていだだいた記憶がある。)

 確かに不確実性が究極に高まった現代世界に於いて、芸術大学とは最高の“不確実性”を抱えた教育現場であるのかもしれない。
 そんな環境下で、果たして学生達は如何なる複層的なアプローチをしつつ、自身の作品を展示物として昇華させたのか。
 やはり現地で実際に拝見して、そして学生達に直に質問して確認したかったものだが… 

箱根への小旅・ひとり旅 ー 箱根宮ノ下富士屋ホテル編 ー

2018年02月22日 | 旅行・グルメ
 (写真は、箱根宮ノ下富士屋ホテル正面玄関前でポーター氏が撮影してくれた私の写真。)


 いよいよ、昨日実施した「箱根への小旅・ひとり旅」の旅行記の最終章だ。

 何分今回は日帰り小旅行のため、箱根探索はラリック美術館と富士屋ホテルの2カ所のみである。


 富士屋ホテルメインダイニングにてのランチの後、ホテル内外を見学・探索した。

 140年の歴史を誇るホテル故に、館内で一番新しい新館が1960年代の東京五輪の時に建築されたとの事だ。(その建物が既に60年の年月を刻んでいる程に古めかしいホテルなのだが…)

 何でも、この富士屋ホテルが“耐震目的改築”を実施するらしい。
 その完成が2020年東京五輪前だそうだ。

 元々、外国人観光客動員目的で140年前に設立した富士屋ホテルだ。
 そうかそうか、はやり改築完成も2020東京五輪に合わせるとの事だが……
 ただ救いは、その古き建築仕様やクラシックな内装等はそのまま残すようでもある。


 いずれにせよ、私にとっては箱根富士屋ホテル改築後、おそらくこのホテルを訪れることはないだろう。
 今のうちに改築前の富士屋ホテルを観ておこう、と考えつつホテル内外の写真撮影を終えて正面玄関を出ると。

 タイムリーに、玄関にいたポーター氏が他の訪問客の写真撮影に応じていた。

 それに便乗して「撮影していただけますか?」と問うと、快く応じて下さったのが冒頭の写真だ。
 しかも、もう一人のポーター氏(おそらく先輩だと思しき人物)が、「それじゃあ、角度が違うどうのこうの…」と指導までして下さり、出来上がったのが上記写真である。
 
 その結果、美しく写ったのは私ではなくて、ホテルの外観だったようだが…… (それが証拠に、私は下に小さく写っているのみだ…)
 そこまでホテルが最高に美しく写るアングルを従業員氏が考えているとは! 
 やはり、老舗ホテルの従業員氏達のプロ意識の程は素晴らしい! 


 (ただねえ。 本音を言えば、我が運動靴のつま先を切らないで撮影して欲しかったものだが…
 それに、画面が傾いているし…)

箱根への小旅・ひとり旅 ー The Fujiya DINING Roomにてのランチ編 ー

2018年02月22日 | 旅行・グルメ
 (写真は、箱根宮ノ下富士屋ホテル The Fujiya DINING Room にてのランチフルコースメニューの魚メインディッシュ 「紅鱒の富士屋風」。)


 箱根宮ノ下富士屋ホテルと言えば、140年の歴史を刻むクラシックホテルとして著名だ。

 昨日の我が箱根小旅行のメインテーマは前述の箱根ラリック美術館を訪れることだったのだが、もう一つのテーマは、このホテルのメインダイニングにてランチを食する事だった。

 まさにクラシックな趣のメインダイニングに案内された。
 予想よりも混雑していないと思ったのも束の間、すぐさまダイニングは満員御礼となった。 それでも座席の配置に工夫があり着席しているとさほどの煩わしさはなく、ゆったりした時間が流れていく。


 昨昼、私が食したフルコースランチメニューを以下に紹介しよう。

  カリフラワーのポタージュ

  紅鱒の富士屋風

  ビーフシチュー野菜添え

  アップルパイアラモード

  パン

  コーヒー


 その中から、富士屋ホテルらしい一品(逸品)メニューであろう「紅鱒の富士屋風」の写真を冒頭に紹介した。
 小さめの鱒が丸ごと焼かれた風景を見るのも珍しい。
 少し食べにくさがあったのと、わざわざ上にかけてくれたソースが私には少し濃すぎるように感じた。 むしろソース無しの方が美味だったのではなかろうか?  などと、偉そうに批評しておこう。


 歴史ある老舗著明ホテルのランチにして、高額であることはやむを得ないのだろうが…
 (参考だが、飲兵衛で名高い原左都子にして昼間からお酒を嗜む趣味はない。 そのため今回はアルコール類は注文しなかった。 もしそれをしていたら、恐らくランチにして万札が飛んだであろう。)


 ここでランチを食せずとて、箱根にはいくらでも美味な食事処が近辺に氾濫していることだろうなあ、と思ったのも正直な感想だ。