原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

連れ去られ監禁被害15歳少女の早期社会復帰を祈る

2016年03月31日 | 時事論評
 本日(2016.3.31)昼のニュース報道によれば、埼玉県朝霞市で女子中学生(15)が行方不明になり、約2年ぶりに保護された事件で、埼玉県警は31日、東京都中野区東中野3丁目、大学生寺内樺風(かぶ)容疑者(23)を未成年者誘拐容疑で逮捕したと発表した、との事だ。 調べに対し「間違いありません」と容疑を認め「(連れ去り当時、女子生徒との)面識はなかった」と話しているという。
 逮捕容疑は、2014年3月10日午後、学校から下校してきた当時13歳で中学1年生の女子生徒を、朝霞市内の女子生徒の自宅周辺で誘拐し、今年3月27日まで千葉県内や中野区の寺内容疑者宅まで連れ回したというもの。
 捜査関係者によると、女子生徒は寺内容疑者にフルネームで呼びかけられ、「両親が離婚することになり、その話をしたい」と言われ、腕をつかまれて無理やり車に乗せられたと説明している。 女子生徒も寺内容疑者について「知らない男」と話している。
 女子生徒はそのまま目隠しをされて千葉市内のアパートに連れてこられ、約2年間いた。玄関ドアには、中から開けられない別の錠が付けられていたとみられ、外出の際も寺内容疑者に手をつかまれていたため逃げ出せなかったという。

 別のニュース報道によれば、寺内容疑者の自宅マンションから、玄関ドアを内側から開けられないようにする「外鍵」の器具を押収していたことも捜査関係者への取材で分かった。
 女子生徒は3月27日に東中野の寺内容疑者の部屋を抜け出して、公衆電話を使って家族に助けを求めた。
 捜査関係者によると、女子生徒は「(寺内容疑者が)外出するときは鍵を掛ける音がするが、その日はしなかった」と話しているという。  寺内容疑者の室内にはパソコンが2台あり、女子生徒はそのうち1台を使うよう指示されていた。 この1台は一部の動画サイトしか見られないようになっており、閲覧履歴もチェックされていたという。 また、女子生徒は千葉市にいる間に数回、寺内容疑者と外出したが「ずっと手をつながれ逃げられなかった」と話している。
 捜査本部は、寺内容疑者が日常的に外鍵を使って女子生徒が外に出られないようにしていたとみている。
 女子生徒は今月27日に東京都中野区で保護された後、健康状態を確認するため病院に検査入院していたが、28日に退院した。現在は両親と一緒に過ごしているという。
 (以上、複数のネット報道より一部を引用したもの。)


 ここで一旦、原左都子の私見に入ろう。

 3月27日夜、当該被害者少女が2年間の監禁の末保護されたとの一報を見聞した当初は、その事件が発生した事自体を忘れ去っていた。
 (2年間も監禁されて生きていた? 一体如何なる状況下で連れ去られたのだろう??)
 
 と私が憂慮するのも、例えばストーカー事件を例に挙げるならば、その事件の発生原因とは様々だ。
 先だっての女性劇団員事件のように、ただの一回の面識もないのに加害者から一方的に狙われ殺害されたとの例もある。  片や三鷹女子高生殺害事件のように、加害者男性と何年も付き合った挙句、被害者が別離を告げたら殺されたとの事件も発生している。 
 それら犯罪の悪質性の重みとは、異なって当然であろう。

 今回の少女連れ去り事件の場合、少女が未だ中一(13歳)時点で発生した事態に、私はおそらく前者、要するに少女側には何の落ち度もないのもと推測していた。
 そしてネットにて被害者女子の画像を含めた情報を私なりに収集して、その思いが強まったのだ。
 
 通常のこの種の事件の場合、親族等がビラを撒いたりメディアに訴える等の手段により、「少女救出活動」を強行しているはずだ。  にもかかわらず、当少女事件の場合、それらしき救出活動を一切見聞したことがない故に、私は当該事件の事を忘れ去っていたとも言えよう。
 ただそうではなく、今回の場合、親族が少女を信じて静かに連絡を待っていた事こそが、少女の命を助けたとも言えよう。
 と言うのもネット上の写真等々の情報源による限り、被害者少女は“落ち着いた利発な女の子”との印象を私は受けるのだ。 しかも美人!(それ故に悲しいかな加害者に狙われとも推測可能だが¨。
 親族(特に御両親)は、そんな利発な娘さんの思考力と行動を信じたのではなかろうか!? 何処に監禁されていようが、娘さんが自らの判断力で最低限自分の命を守り切り生きて帰って来てくれるものと!!
 もしも娘さんが連れ去られる途中や監禁中に本人は元より親族等周囲が大騒ぎしたものなら、最悪の場合、早期に娘さんの命が加害者により奪われていたかもしれない…
 
 そんな利発な被害者少女が2年間もの監禁生活を耐え抜き時を見計らって、加害者の室内で発見した500円玉を握りしめ決死の覚悟で外に出て、一番に電話を掛けたのはやはり自宅だった…。

 こんな、世にも稀な冷静沈着な判断力のある少女の早期の社会復帰を見守りたい思いは、原左都子のみならず誰しも同様であろう。


 ところが、本日(3月31日)朝ネット上で発見した、加害者の「大学卒業認定」に関する記述に愕然とさせられた。
 以下にその一部を要約して紹介しよう。

 女子中学生(15)が約2年間、行方不明になっていた事件で、逮捕状が出ている寺内樺風(かぶ)容疑者(23)が通っていた千葉大学が言及した「卒業取り消しの検討」が波紋を呼んでいる。 卒業式の後でも、さかのぼって卒業を取り消すことはできるのか? そもそも、逮捕されてもいない段階で検討していいのだろうか?
 「事案を勘案し、卒業の取り消しの可能性も含めて検討していく予定です」。寺内容疑者の身柄が確保された28日、会見を開いた千葉大の関実・工学部長は、集まった報道陣にこう説明した。
 寺内容疑者は2011年に千葉大工学部情報画像学科に入学し、12年10月から1年間の休学期間を挟んで計5年間、在籍。インターネット上の商品評価の分析を研究し、関学部長によると、成績は「中くらい」で、きちんと大学に通う「礼儀の正しい学生」だったという。
 事件が急展開する4日前の23日、千葉大では卒業式があり、寺内容疑者にも卒業証書が授与されたばかり。 会見で大学側は、事件があったとされる約2年前にさかのぼって「停学」にし、卒業に必要な「4年」の修業期間に満たないことなどを理由に卒業を取り消せないか、学内の懲罰委員会で検討するとした。
 そこで学内で可能性が浮上しているのが、「卒業の認定は、学年の終わりに学長が行う」と定めた別の学則の適用だ。 いつをもって「学年の終わり」とするか、学則では「学年は4月1日に始まり、翌年3月31日に終わる」と明記。卒業式の後でも3月31日までは学長の権限で卒業認定を見直せるという理屈だ。
 大学関係者によると、学内には「人材育成機関として勉強ができたからそれで卒業、でいいのか」といった意見があるという。28日以降、大学には「すぐに卒業を取り消せ」「学業はきちんとやったんだから、卒業を取り消すのはおかしい」といった賛否双方の意見が電話やメールで数十件寄せられたという。 広報担当者は「どんな対応を取るか様々な観点から慎重に検討している」と話す。
 (以上、ネット報道より加害者の「大学卒業認定」に関するごたごた騒動情報を引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 学問の府であるべき国立学校法人千葉大学は、一学生が悪質な事件を起こし一人の少女の命が2年間もの長きに渡り危険に晒されていた事態に際して、何を血迷い馬鹿な事を議論しているんだ!
 今現在大学現場が成すべき事とは、加害者である一人物の「卒業」の扱いを如何にするかを議論する事ではない。 
 そんなことよりも、早期に教育者としてやるべきことが盛沢山なはすだ。 それはお宅の大学生が加害者として引き起こした事件の被害者少女に真っ先に配慮し、何らかの形で救う援助をすることではないのか?

 原左都子の認識としては、この国の法規定によれば小中高校・大学を問わず3月31日が学年の終期と心得ている。 故に、加害者は本日現在未だ在学生と結論付ける。
 千葉大学側の自主的判断で稀に見る異常な犯罪を実行した加害者を「退学処分」としたとて、それに反発する国民は存在しないであろうと結論付けたいのだが、如何だろうか? 


 そんなくだらない事を議論する前に、優先するべきは当該被害者少女の今後の社会復帰だ!
 
 どうやら、中学校現場では少女に「卒業証書」を手渡すとの報道である。
 形式的な措置はともかく、元教育者である私が真に願うのは心のカウンセリングはもちろんのこと、少女が失った“伸び盛りの貴重な2年間”の諸学習を何処かの機関が充実させて欲しいとの事だ。
 娘のサリバン業を20年来実行して来てそれに成功したと自負する私が、少女の社会復帰に係りたい思いすら抱くが、悲しいことに既に年老いた私にはその能力が失われつつあると自己分析する。

 どうか、少女が暮らす埼玉県朝霞市自治体の、今後の被害者少女の社会復帰に向けた救済力に是非とも期待したいものだ。

切なくも美しかった “はつと惣兵衛の恋物語”

2016年03月28日 | 恋愛・男女関係
 私はNHKの新しい「連ドラ」が始まる都度、 「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて当該ドラマを視聴した感想及び私見を公開して来ている。


 昨年(2015年)秋から放映中の 「あさが来た」 も、もちろんずっと昼の時間帯の再放送を出来得る限り欠かさず見続けている。

 それでも何故、今週最終回を迎える連ドラ「あさが来た」に関する論評エッセイを綴らなかったのかに関して言うと、それはおそらく我が“天邪鬼”気質故と自己分析する。
 聞くところによれば、この朝ドラ、平成に入って以降最高の視聴率を挙げ続けているとの報道だ。
 そんな人気番組にわざわざ原左都子が講評を述べずとて、世にその反応がわんさか押し寄せていることであろう。


 そんな天邪鬼の私も、先週3月25日(金)に放映された 「はつと惣兵衛の最後の別れの場面」の描写に心底“ほだされて”しまったのだ……

 3月25日の「あさが来た」のシーンは、まさに“はつと惣兵衛”夫婦の死別に標的を絞り、二人の生涯に及ぶ夫婦愛の姿を作家氏が全力でシナリオを書き上げたものと理解した。
 その場面は壮絶だった。 
 和歌山のみかん農家の世帯主 惣兵衛のひっそりとした「死」を描いただけの場面であるにもかかわらず、見事なまでに半年続いたドラマ内での“はつと惣兵衛の恋物語”の情感を描き切っていた。

 NHK連ドラ内で出演者の死を描く場面は多々あれど、この場面程、原左都子が泣けた事は今まで一度足りともない。 それ程に秀逸な「恋物語の終焉」だった。

 その後私はスポーツジムへトレーニングに出かけたのだが、バイクマシーンでのトレーニング中にも“はつと惣兵衛の別れの場面”が脳裏から離れず、泣きながらバイクの車輪を回し続けたものだ。


 ここで、NHK連ドラ「あさが来た」を見ておられない方々に、少しだけ “はつと惣兵衛”の場面をウィキペディア情報を元に、テレビで視聴した我が記憶を交え紹介しよう。

 主人公 あさ と はつ は資産力を誇る商家今井家に生まれた姉妹だが、幼き頃よりそれぞれに婚家とお相手が決められていた。 (そのお相手が交錯しつつも)両人共成長した後、祝言を挙げることと相成る。 
 しかし はつ の婚姻相手である眉山惣兵衛は冷淡で、義母となる菊からは威圧され、はつが気丈に振る舞うのとは裏腹に結婚への不安が増していく。
 婚姻後も、相変わらず笑顔がなく表情が乏しい惣兵衛に対し更なる不安を募らせるはつだが、その後、はつが井戸に転落するとの事件が起こり、惣兵衛がそれを助ける。 (この事件をきっかけに、少しだけはつの惣兵衛に対する意識が変化したようだ。)
 はつが嫁いた山王寺家は経営破綻の道程を歩み、一家は夜逃げをやむなくされる。
 その後和歌山の土地を今井の父から受け継いだはつだが、その和歌山を自ら訪れた惣兵衛はその地で“みかん農家”を開業する意向をはつに告げる。
 (時がずっと経過して、先だって3月25日放映場面にて……) 
 和歌山では惣兵衛が体調の急変により病の床に就く。 自身の死期を悟った惣兵衛は、はつと次男養之助、危篤を聞き駆け付けた長男藍之助に、自身の人生は家族に囲まれて幸せだったと言い遺し、家族に見守られながら静かに息を引き取る。 


 史実によれば、あさの姉である はつ は20代半ば頃に和歌山で死を遂げている。

 私の知る限りでは、 はつ は今井家(本名不明)の妾の子であったらしい。
 正妻の子として生まれた妹の あさ が立派な家柄に嫁ぐのは当たり前。 妾の子の はつ は、元々二の次の家へ嫁がされる運命下にあったようだ。
 史実の現実によると、 あさの姉のはつは嫁いだ先が実際経営破綻の道程を歩み和歌山のみかん農家と成り下がり、その和歌山にて20代後半との若さで死に至っている様子だ…

 実に辛く怖い現実であるが、当時は未だ「正妻」と「妾」の子とでは、特に女子の場合その扱いが大きく左右したであろう事実に胸が痛む思いだ…


 さて、そんな現実を番組冒頭頃より把握していた私は、一体全体 NHKのシナリオが如何にそれを扱うのかを興味深く注視いていた。

 そうしたところ、NHKは 長女 はつ の扱いを大幅に変更した模様だ。
 それもそのはず、番組当初より、姉のはつの方がおてんば娘の妹あさよりずっと存在感が大きかったのではあるまいか?
 二人が成長した暁にも、女優 宮崎あおい氏の演技力に助けられこの番組は成り立ったとも表現出来よう。
 更には、はつの夫惣兵衛役の柄本佑氏の名演技の程も実に素晴らしかった!


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 あさ と はつ、 一体どちらが幸せだっただろうか??

 もちろん、番組では主人公あさの幸せを第一義として描こうとしていることは歴然だ。 
 (私事だが、一昨年膵臓癌で急死を遂げた我が義理姉も、あさが立ち上げた当該女子大学家政学部を卒業しているのだが)、確かにあさが打ち立てた日本で始めての女子大学創立との野望の程も素晴らしかった事には間違いないであろう。

 ただ、私は はつの夫 惣兵衛が、ドラマ内で死に際に発した言葉が忘れられない。
 「自分は山王寺家で顧客にヘラヘラする人生を歩まされるよりも、和歌山に移りみかん農家の主となって家族と共に頑張った事の方がずっと自分を誇れる人生を歩めたと思う。 はつ、本当にありがとう…」

 惣兵衛が死に至った時代から世紀の時代が過ぎ去ったにもかかわらず…
 今尚、鬱陶しくも「世襲」に頼る人民が我が国の上層部に蔓延り続けている現実にゲンナリしつつ…

 それでもこの私も はつ の夫氏惣兵衛のごとく、たとえ一代で終焉を迎えようが自分が欲する人生を歩み続けたいものだ。

絵むすび (朝日新聞2016.3.26編)

2016年03月26日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞 別刷「be」 “絵むすび” 課題に 我が娘が解答したもの。)



 ここのところ、原左都子本人が解答するのではなく、娘に「絵むすび」解答を依存している事をお詫び申し上げます。


 本日も先ほど、朝日新聞 2016.3.26 の「絵むすび」課題に、娘が解答してくれました。



 お陰様で我が娘はこの春無事大学を卒業し、来る4月1日の民間企業入社に向けて精進致しております。


 就職した暁には、娘には多忙な日々が待ち構えている事でしょう。

 それを応援しつつ、娘の未来の日々の安泰を願う母の私です。


 今後は再び母の私が「絵むすび」解答に臨む予定でおりますが、既に還暦を迎え老化の一途を辿る我が頭脳に、一体全体その解答が叶うのかどうか…   

乙武氏の“女癖”考

2016年03月26日 | 恋愛・男女関係
 今回のエッセイでは、様々なタブー(身障者問題、不倫等々)を内在しているが故に扱いにくい議論対象に敢えて挑んでみる。


 乙武洋匡氏とは、言わずと知れた大ベストセラー自伝 「五体不満足」の著者である。
 
 以下に、ウィキペディア情報から氏の経歴を要約引用しよう。
 乙武 洋匡(おとたけ ひろただ、1976年4月6日 - )は、日本の文筆家、タレント、元NPO法人グリーンバード新宿代表、元東京都教育委員、元教職員、元スポーツライターである。東京都出身。
 先天性四肢切断(生まれつき両腕と両脚がない)という障害があり、移動の際には電動車椅子を使用している。 東京都立戸山高等学校、1浪後、早稲田大学政治経済学部卒業。その後、明星大学通信教育課程人文学部へ学士入学。  2001年3月に結婚。 2008年1月3日に第1子(長男)が誕生。2010年7月9日に第2子(次男)が誕生。第一子誕生の際は小学校勤務だったため育児休暇を取得。 2015年3月には第3子となる長女が誕生した。
 自身のTwitterによると、身長107cm、体重38kgとのことである。
 大学時代に早稲田のまちづくり活動に参加。 このまちづくり活動を取材したNHKの番組出演がきっかけで、障害者としての生活体験をつづった『五体不満足』を執筆し、出版。 屈託のない個性と「障害は不便です。しかし、不幸ではありません」と言い切る新鮮なメッセージがあいまって大ベストセラーとなった。 この『五体不満足』は一般書籍の部数記録としては2010年現在で日本第3位の記録を持っている(出版科学研究所調べ)。 また学生時代から報道番組にサブキャスターとして出演。 2000年2月に都民文化栄誉章を受賞。
 大学卒業後はスポーツライターとして、2005年、新宿区の非常勤職員として「子どもの生き方パートナー」に就任。 また同年より小学校教諭免許状を取得するために、明星大学通信教育課程人文学部へ学士入学し、教員の道への足がかりとした。 教員免許状取得を思い立ったのは、以前からの教育への関心に加え、 長崎男児誘拐殺人事件などをきっかけに、子どもの人格形成に大人がどのような責任を負っているか問題意識を抱いたためという。小学校での4週間の教育実習を行い、2007年2月に小学校教諭二種免許状を取得。同年4月より2010年3月31日まで杉並区の任期つき講師として杉並区立杉並第四小学校に勤務。合宿の際は児童と共に入浴したりトイレの手助けを受けたとも語った。
 2011年4月よりロックバンド「COWPERKING」のボーカル「ZETTO」としても活動している。
 2013年3月8日、東京都教育委員に就任するも、2015年12月31日で途中辞任
 2014年4月、ボランティア団体・グリーンバード新宿を発足させ代表に就任する。 
 福島県双葉郡広野町に2015年に開校した県立中高一貫校の「福島県立ふたば未来学園高等学校」の「応援団」に就任した。
 2015年4月より、政策研究大学院大学へ進学する。
 (以上、ウィキペディア情報より一部を引用。)


 ここで一旦、原左都子の私見に入ろう。

 私も「五体不満足」を読んだ事がある。
 生まれながらに四肢がない(どれ程ないのか、少しはあるのかの詳細は把握していないが)との重度障害を抱えた息子氏を産んだお母上の育児に対する姿勢が、あっけらかんとする程サバサバと素晴らしい様子であったことを記憶している。
 そんなお母上の指導方針や生育環境の賜物で、乙武氏は類稀な強靭な意思を育て、障害などものともせずに常に上位を目指し、切磋琢磨の人生を歩んで来られているようだ。
 時には意思が強靭過ぎるが故に、周囲との摩擦もあったとの報道も見聞しているが。


 さて、その乙武氏が、何と! “不倫をした” との報道が世に渦巻いた!!
 しかも今回が初めての事ではなく、過去に5人の女性と不倫行為に及んでいる事実を本人が認めるに至っている。
 そこに氏の奥方までが登場し、「自分にも責任があった… 」どうのこうのとメディアに対し謝罪の意向を示したとの報道…

 原左都子の私見だが、ちょっと待って欲しい。
 “浮気(不倫)をするなとは言わないが、隠れてこそこそやれ。 絶対に自分の周囲関係者を傷つけるな!” との持論がある私だ。 (よろしければ、当エッセイ集バックナンバー「隠れてこそこそやる美学」等々をご参照下さい。)
 乙武氏不倫報道によれば、今回の氏の不倫は“公然と”行われたと表現して過言でないようだ。  しかもそれに拍車をかけて、自らが全面的にその行為を認めるに至っている。
 更に許し難いのは、「過去にも5人の女性と関係を持っている」とまで乙武氏はメディアに大々的にアピールしてしまった!

 これ、捉えようによれば、乙武氏にとっての不倫とは、一つの「業績」の位置付けなのか?? と市民に受け止められても致し方無いであろう。
 しかも奥方までが氏の弁護に回り、「自分にも責任があった、ナンタラカンタラ…」
 いや、それはあり得ないよ。 奥方は氏との間に生まれた3人の子どもさんの育児の真っ最中だ。 それはそれは休む間もないてんやわんやの日々を過ごしておられる事だろう。  もしかして氏との間の性的関係が希薄になっていたのかもしれないが、そんな事、乙武家に限らずほぼ何処の子育て中の家庭とて同様だ。 
 今回の“乙武氏不倫事件”の場合、奥方側には何らの責任もなく、全面的に乙武氏自らが責めを負うべきだろう。


 そんな折、本日(3月26日)、当該事件に関する乙武氏の知人と称する人物のメッセージ記事をネット上で発見した。  以下に紹介しよう。

 週刊新潮に不倫を報じられ、過去に5人の女性と不倫関係を持ったと告白して謝罪した作家・乙武洋匡氏の騒動に対し、親交がある社会学者の古市憲寿氏(31)が25日、ツイッターで「庇う気はありません」と記したうえで「今回の現場で起こっていたことは、普通『不倫』と聞いて想像する光景とは、かなり違っていた気もする」と記した。 古市氏は、乙武氏が参院選出馬を表明すると目されていた、4月5日に予定されている誕生パーティーの発起人のひとりとも報じられている。
 この日、古市氏はツイッターで乙武氏の騒動について「忘れている人がいるかも知れないけど、乙武さんには手足がありません。だから自分では服を脱ぐこともできないし、相手の服を脱がせるなんてとてもできない」と切り出した。
 騒動自体については「TVで知ったであろうお子さんのことを思うと胸が痛むし、庇う気はありません」と断ったうえで「ただ…今回の現場で起こっていたことは、普通『不倫』と聞いて想像する光景とは、かなり違っていた気もするんです」と指摘した。
 「『不倫相手』がしていたことは、愛情表現としての実質上の介護に近いものだったろうし、奥さんは3人の子育て中だった。確かに『不倫』には違いないんだけど、当事者しか知らない、何か別の名前で呼んだほうがいい関係がそこにあったんじゃないのか…?そんな風に想像してしまいます」と記した。
 最後に「いま僕が間違いなく言えるのは、乙武さんが奥さんや子どもたちと離れたくないってずっと思っていたし、今もそうなんだろうということ」と綴った。
 (以上、ネット情報より引用。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 上記の乙武氏の知人とやらのメッセージを読んで、私は愕然とさせられた。

 そこまで書くか???  
 本人は乙武氏の弁護をしているつもりなのだろう。  が、これ、乙武氏が障害者であるが故に、性行為に関しても介護が必要な事実を世に暴露して、その光景を市民に呼び起こさせ面白おかしく倍増したようなものだ。

 そんな事、乙武氏の知人であられる古市氏から指南されずとも、報道に接した誰しもが(心中)その場の光景を描いていることであろう。
 私とて乙武氏が結婚したとの報道を見聞したその時から、(一体どのように性行為をするのだろう??)などと、不謹慎にもその場を想像した事がある。 今回の不倫報道に接しても、正直なところ不倫相手との“その場”が一番に我が脳裏に巡った。 
 
 ただ、その形態が如何なるものであろうとて、不倫は不倫だ。
 乙武氏が身障者であるからと言えども、その行為は許されるべきものではない。 最低限、奥方に対する礼儀として“こそこそとやるべき”ものだった。

 身障者であるから、不倫が許される???
 そんな思想こそが「逆差別」であり、更なる身障者差別に繋がる根源と私は考える。

 今回の事件の場合、乙武洋匡氏ご自身は深く反省されていると見聞している。
 どうか、その思いを一番に奥方と3人の子供さん達に伝え、日頃の奥方の稀なる努力に今一度感謝して欲しいものだ。

虐待被害児童を取り巻く地獄絵図

2016年03月24日 | 時事論評
 本日(3月24日)のテレビニュース報道によれば、子ども虐待死事件は年々増加傾向にあるとの事だ。


 3月21日付 朝日新聞記事よりその一例を紹介しよう。

 日本小児科学会は年間約350人の子どもが虐待で亡くなった可能性があるとの推計を初めてまとめた。2011〜13年度の厚生労働省の集計では年69〜99人(無理心中含む)で、その3〜5倍になる。 厚労省は自治体の報告を基に虐待死を集計しているが、同学会は「虐待死が見逃されている恐れがある」と指摘する。
 防げる可能性のある子どもの死を分析するため、同学会の子どもの死亡登録・検証委員会が調査した。 同委の小児科医が活動する東京都、群馬県、京都府、北九州市の4自治体で、11年に死亡した15歳未満の子ども(東京は5歳未満のみ)368人を分析した。 全国で亡くなった15歳未満の子ども約5千人の約7%にあたる。
 医療機関に調査用紙を送り、死亡診断書では把握できない詳細について尋ね、一部は聞き取りも行った。 その結果、全体の7・3%にあたる27人について「虐待で亡くなった可能性がある」と判断した。 この割合を全国規模で換算すると約350人となった。
 (以上、ネット朝日新聞ニュースより一部を引用したもの。)

 
 昨日(3月23日)の報道によれば、相模原市児童相談所は22日、両親から虐待を受けて児相に通所していた男子中学生が自殺を図り、今年2月に死亡していたと明らかにした。

 当該男子生徒は虐待が続くため保護を求めていたが、児相は「切迫した緊急性がなく、家庭環境は改善の方向に向かっている」として、親の同意なしに強制的に引き離す職権での保護を見送っていた。
 児童相談所は子どもの安全を確保するために、虐待を受けた子どもを親から引き離し、一時保護することができる。 原則は子どもや保護者の同意を得るが、放置すると「子どもの福祉を害する」場合は、職権で強制的に保護する権限を持っている。
 2013年11月に生徒の額が腫れて顔に傷があることに当時通っていた小学校の教師が気付き、市に通報した。 児相が経過を見ていた14年5月末、生徒は深夜にコンビニエンスストアに「親に暴力をふるわれた」と逃げ込み、警察に保護された。  (中略)   その後、生徒は10月上旬から親の体調不良を理由に通所しなくなった。 児相職員は学校を訪れて面談していたが、生徒は11月中旬、親戚宅で首つり自殺を図って意識不明となり、重度心身障害となった。 昨年6月に児相に入所した後、容体が悪化して今年2月末に死亡した。
 厚生労働省は、職権による一時保護について通知で「保護者の反発をおそれて控えるのは誤り」とし、積極活用するよう求めている。 一方、相模原市児相側は「通所によって親との関係が改善しており、職権で生徒を保護するだけの緊急性、差し迫った状況はないと判断した」などと説明している。


 ここで、一旦原左都子の私論に入ろう。

 被虐待児童自らが児童相談所に保護を求めたにもかかわらず、児相側のいい加減な「親との関係が改善している」などとの判断により自宅に返される始末…。  その挙句、児童は自殺を図り一時重度身体障害として苦しみ、結果として死に至ったとのとてつもなくやるせない事件……

 児童相談所の判断の甘さに怒りさえ覚える今回の事件である。

 ただ、今まで幾度ともなく親に虐待される子供達に関するエッセイを公開している私には、一つの大いなる懸念点があるのだ。
 それは、たとえ今回の被害者である児童を児相が一時保護していたとしても、その保護施設内でこの子は安全に生き延びられたのか??との痛切な懸念である。
 それは、現在の我が国の福利厚生制度内では、虐待被害児童を“あらゆる危険から完全に保護するべく施設”が一つとして整っていないのではないか?? との我が危機感に基づいている。

 
 以下に、「原左都子エッセイ集」2010.11/30 公開のバックナンバー 「虐待被害児保護施設に於ける虐待連鎖の悲劇」 より一部を紹介しよう。

 子供が親から虐待され死に至ったり、あるいは一命を取り留め保護される報道が昨今途絶えることがない現状は、皆さんもご承知の通りである。
 不幸中の幸いの事例として虐待被害児が公的機関に保護された報道に接した場合、我々一般市民は「鬼畜のごときの親とやっと離れることができ、これでこの子は命拾いした…」と一応安堵するものである。
 そんな中、元教育者でもある原左都子ももちろん被害児が保護されたことに安堵する一方、その後の虐待被害児の心身状態の回復や更正後の社会適応の程が大いに気掛かりだ。  と言うのも、メディア報道の情報発信の“偏り”により虐待事件そのもののニュースはいつも大々的に取り扱われ発信されているにもかかわらず、上記のような虐待被害児保護後の“その後”に関する情報がほとんど見当たらない現状であるからだ。
 そうしたところ2010.11.27 朝日新聞夕刊において、珍しくも“虐待被害児保護後の実態”に関する調査結果の記事が掲載されているのを発見した。  社会面の目立たない位置に小さく存在していた当該記事の内容を、以下に要約して紹介しよう。
 「児童相談所一時保護所研究会」(民間団体とのことらしいが)の調査により、虐待を受けた子供を緊急保護する一時保護所で、他の入所児童・生徒に暴力を振るった経験がある子供が3割に上っていることが分かった。 本来ケアされるべき施設で子供のストレスが溜まり「二次被害」が顕著になっている。
 一時保護所とは、虐待や家出などの18歳未満の子供を緊急に保護する場であるが、1日あたりの保護人数は1475人と10年前の2,1倍であり、退所後の受け皿(がない事)も深刻で児童生徒の平均滞在日数は28日となっている。
 私論に移るが、これは原左都子が恐れていた通りの調査結果であると言える。 まさに「虐待は連鎖する」悲劇が、虐待被害児等一時保護所において子供達の間で早くも展開されている実態を目の当たりにした思いである。
 この子供の虐待を取り巻く、まるで「地獄絵図」のごとくの現状をどう救えばよいのだろう。  一時保護所の職員数を増員して児童のケア、管理を強化しよう、と言ったところで、地方自治体とて経費削減に躍起である。 まさか、財政難にあえぐ国政がこの分野に予算増強するはずもない。
 それならば民間活力があるじゃないか! との結論に達しそうだ。 ただこれも、結局は国や地方自治体の今後の前向きな取り組みと大幅な資金援助が必要条件となろう。
 それにしても、もしも貧乏逆境のストレスがきっかけで家庭内において可愛いはずの我が子を虐待しているとすれば、上記の民間活力の提案とは“不幸と幸との堂々巡り”であるだけで根本的な解決策とはなり得ない気もするのだ。
 「虐待は連鎖する」ことは、親子がこの世に存在する限りその宿命として既に立証されているとも言える辛くて困難な命題でもある。
 それ故にそれを完全に撲滅するためには、その加害者に成り得るべく自覚がある人には「産まないという選択肢もある」との思い切ったメッセージを、原左都子はバックナンバーにおいて展開している。
 国政、自治体をはじめ(少額の子供手当てや医療手当てをバラ撒いてくれる以外は)誰も生まれてくる我が子を助けてくれるはずもない現状において尚、あえて子供を産み、その我が子をどうしても虐待してしまう自分が止められないから周囲の誰か助けて!! と絶叫する人種に対し、正直言って今のところ「子どもを産むな!」以外の適切なアドバイスがどうしても出来ない未熟者の私である…
 (以上、「原左都子エッセイ集」(2010.11/30 公開のバックナンバー より一部を要約引用したもの。)


 本論とはまったく関係ない余談及び私論で、今回のエッセイを締めくくろう。

 昨日私は、自宅近くの大規模公園へランニング練習に出かけた。
 私同様にランニング練習に励む人、ウォーキングや散歩をしている人達、あるいは犬の散歩に出かけて来ている人々、そして子供連れの親子等々、数多くの市民達が普段よりこの公園を利用している。

 ちょうど5㎞のランニング練習を終えたばかりで息が上がっている私の横を、1歳くらいの女の子を連れた母娘が通り過ぎようとした。
 その女の子が、私の方を興味深そうにずっと見つつ立ち止まった。 そのあまりにも可愛らしい瞳に引きつけられた私は、その瞳を見つつ微笑んだ。 そうしたら、直ぐにニコニコと微笑み返してくれる。 それに気が付いた母親が、多少私を警戒し始めた様子だ。  母親に「こんにちは」と声を掛けた私に対し無言で一礼を返した母親は、すぐさま女の子を抱っこしてその場から立ち去ろうとした。
 それでも女の子は私に未練があるらしく、抱っこされた母の背中から私をいつまでも振り返る。 私が「バイバイ!」と手を振ると、同じようにバイバイをしつつ名残惜しそうに私から遠ざかって行った。

 今時、見知らぬ他者からの犯罪被害を避けるため親が我が子を守るとの行為は、至って常識的な判断である。 母親が可愛い我が子を咄嗟に行きずりの私から遠ざけようとした行動にも正当性があろう。

 NHKが少し前に 「無縁社会」 との言葉を作り出した。
 確かに現代の世の中は、人間関係が極度に希薄化した「無縁社会」と成り下がっている。

 ただ少し時間があるならば、親こそが見知らぬ他者との一期一会の出会いを楽しむ心の余裕があっても許されるのではなかろうか?
 特に小さき子どもを抱えている親ほど、もしかしたら家庭内で孤立感・閉塞感に陥っている恐れもあろう。 散歩に出たついでに、ほんの一時でも親子で他者と触れ合い和める時間が取れるなら、最悪の場合、虐待なる究極我が子を傷つける行為を家庭内で回避出来るきっかけとなるのではなかろうか。

 多難な道程の中サリバンとして我が子を育てた一昔前の頃、幼き娘を連れての散歩中に見知らぬ他者からよくお声を掛けて頂いた。「幾つですか?」「可愛いですね」等々。 その温情を有り難く受けつつ、その方々との束の間の“一期一会”を娘と共に楽しめた私は、そう実感するのだが…