原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

村木さん、元局長としての責任はどうするの?

2010年09月30日 | 時事論評
 1年半前の厚生労働省元局長・村木厚子氏の大阪地検特捜部による逮捕劇は、特捜部検事の意図的FDデータ改ざんが表面化し、一転して村木氏が無罪を勝ち取る結末となった。

 今回の村木氏無罪判決に絡む特捜部検事の証拠隠滅事件においては、被疑者を有罪に持ち込むためには、自分達がでっち上げたストーリーを正当化するべく証拠隠滅を図るためデータ改ざんまで行う特捜部捜査の異様なまでに歪んだ体質に、一般市民として改めて恐怖心を抱かされる思いである。
 片や一旦検察側より“無実の罪”の自白を強要された被疑者とは、よほどの強い信念や頑強な意思がない限り、検察側がでっち上げたストーリー通り「有罪判決」が下されてしまうことについては、過去における少なからずの“冤罪事件”が物語っている通りなのであろう。

 そのような理不尽な“無実の罪”を着せられてしまった被疑者である村木氏であるが、1年半の期間、よくぞ厳しい逆境の中で冷静沈着に自身の「無実」を見据えつつ思考、行動されたものである。 村木氏のその強い信念と意思にはこの私も感服の思いである。
 ご自身の「無実」をご自身の力で勝ち取られた村木氏は、今まさに褒め称えられるべきであろう。 


 村木氏に関する裁判上の「無罪」決着に関しては、上記の通り原左都子もご本人を賞賛申し上げたい思いである。

 ところで、その後の村木氏の国の役人としての扱いに関して、一国民として若干気になる点があるのだ。
 村木氏の厚労省の元局長としての職務上の責任問題はどう決着したのであろうか? との部分において…

 そう考えていたところ、折りしも朝日新聞に原左都子と同様の意見を発見した。
 9月26日朝日新聞「声」欄より54歳男性による「村木さん、喜ぶだけでいいか」との投書の一部を要約して以下に紹介しよう。
 村木さんが晴れて無罪となり、特捜部の批判と真相解明を求めているのは当然のことだ。 しかし、村木さんの無罪によって、郵便不正事件の方は単純な真相が見えてきた。すなわち、当時の担当係長が上司だった村木さんに相談も報告もせずに勝手に偽の証明書を発行したということである。 部下が自分に何の相談もなく罪を犯したということの道義的責任は感じて欲しい。そして、部下が安易に偽の証明書などの発行ができないような事務の見直しと風通しの良い職場作りをお願いしたい。


 この朝日新聞の投書で思い出すのは、我が若かりし日の民間企業での“上司としての失態”である。

 私は20歳前半に新卒入社した医学関係の民間企業(参考のため現在東証一部上場企業です。)に於いて、27歳の若さにして同期入社新卒社員の“出世頭”として係長に任命された。  一番多い時で十数名の部下を統括する上司の立場を任されていたのであるが、ある日予想だにしない事故が起きてしまった。
 その事故は私がたまたま有給休暇を取っていた日に発生した。 部下の一人が回復不能な業務上のミスを犯してしまったのである。(再度参考であるが、医学分野の業務とは必ずや人命が係わるため、業務上のミスに関しては日頃厳格対応・措置を取っているのだが…) 
 あくる日出社した私は我が上司より「始末書」の提出を命じられた。  まだまだ人生経験が乏しく愚かだった私は、一瞬(何で私がいなかった時に部下が起こした事故に、私が「始末書」を書かされなきゃいけないの??)との納得できない感情を抱いたものだ。 そんな愚かな私に向かって上司は厳しく説諭してくれたのだ。 「係長不在時の業務管理体制マニュアルを綿密に作って部下一人ひとりに徹底しておくのも係長としての重要な業務範囲であるが故に、今回の事故はお前の責任だ!」  若気の至りの私には実に辛い一言であったものの、私は係長という責務を課せられたお陰で、人の上に立つ人間の責任の重大さや世の中のシステムの整合性というものが痛いほど理解できたものである。 
 (この上司は若気の至りの私を職業人として育て上げてくれた印象が今尚ある。 この民間企業での係長経験は、現在に至って尚私の人格形成の大いなる部分を占めていると表現しても過言ではない。)


 さて皆さんもご存知の通り、村木厚子氏は無罪判決直後に国より休職処分が解かれ、既に前身分と同じ「局長」待遇で国家の官僚に復帰している。 
 ご本人曰く、「新しい分野の勉強に励みたい」とのことである。
 今回の郵政不正事件において「無罪」を勝ち取った村木厚子氏の尋常ではない精神力とあくまでも「悪」に立ち向かった勇気を評価した場合、こういう人材こそが国政を補佐する官僚として活躍して欲しい思いもある。

 ただし、それには条件があろう。
 上記の朝日新聞「声」欄の投書に書かれている通り、村木氏には元職場の局長としての郵便不正問題の責任がまだ残っていると原左都子も捉えるのである。
 もう既に元職場を離れてしまい、定年退職までさほどの年月の余裕もない村木氏が今後全うするべきことは、現職局長としての任務に加えて、「声」欄投書者が述べられている通り、部下が安易な偽の証明書の発行など出来なくすることの省庁内のシステム構築であり、風通しがよく国民にも開かれた官公庁の風土作りなのではなかろうか?

 村木厚子氏には類稀な「無罪」判決死守の経験を活かされ、定年までの短期間を(国民の血税から報酬を得ていることを常に忘れず)国政の健全化のために全力補佐をしていただきたいものである。 
           
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上を目指そうとしない若者群像

2010年09月28日 | 教育・学校
 新政権の元タレントでもある蓮舫特命担当大臣が、昨年事業仕分け担当議員だった時に残した有名な“格言”がある。
 次世代コンピュータ開発の予算削減を決定する際に発した以下の文言である。
 「世界一になる理由は何かあるんでしょうか? 2位じゃダメなんでしょうか?」


 もっと古くなるが、人気グループのSMAPも数年前にこう歌った。
 「この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで バケツの中に誇らしげに しゃんと胸を張っている
 それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる? 一人ひとり違うのにその中で 一番になりたがる 
 そうさ 僕らは世界で一つだけの花 一人ひとり違う種を持つ 
 その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい 」


 つい先だって大リーグマリナーズのイチロー選手が、10年連続200本安打の歴史的快挙を成し遂げた。 まだまだ安打記録は続いており、おそらく本年もリーグ1の安打数記録を達成することであろう。 
 我が国が誇る野球界の世界的スーパースター・イチロー選手の前人未到No.1連続記録の達成を喜ばない人はいないであろう。
 この私も決して野球ファンではなくイチローファンという訳でもないのだが、天才にして日々尋常でない努力を惜しまず、常に上のまた上を目指し続けるイチローの研ぎ澄まされたプロ精神を崇拝申し上げたい思いである。 
 (ついでに、相撲界の白鵬の快進撃もすばらしいですね!)


 冒頭の蓮舫氏の発言に関しては、ノーベル賞受賞者等の科学者達からの批判もあった。
 野依良治氏は「全く不見識であり、将来歴史と言う法廷に立つ覚悟はできているのか」とのさすが!と唸るような文学的かつ普遍的コメントを述べられ、多少若手の利根川進氏も「世界一である必要はないと言うが、1位を目指さなければ2位、3位にもなれない」と反論された。
 歳費削減を目指す政治家と世界の第一線で活躍する研究者という立場の違いはあれども、原左都子はこの論議において研究者側の発言に軍配を挙げたいのだ。 世界の最前線で業績を残そうとする人材には、2番でいいなどとの発想はあり得ないのである。そんな甘っちょろい思いが脳裏をかすめた時点で、凡人研究者の道しか残されていなかったことであろう。


 次にSMAPの歌に話を移して考察してみよう。
 これは学校教育現場等における“個性の尊重”を一応意識した歌詞なのであろう。
 おそらく、全国の小学校の教科書にも取り上げられている 金子みすず氏の詩 「みんな違ってみんないい」 を意識して作った歌詞なのであろうとも推測できる。
 確かに“個性の尊重”は、一斉授業を教育手段とせざるを得ない日本の現在の公教育において、第一義に考慮するべき課題ではあろう。

 ところが、上記SMAPの歌詞の中には教育上大きな“過ち”があると原左都子は見るのだ。
 それは 「一人ひとり違うのに その中で一番になりたがる」 と 「その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」 の箇所である。(上記に掲げた歌詞内での指摘であるが。)


 以下に、教育論を含めた私論を展開しよう。

 どうも今時の公教育は生徒を“横並び”させておきさえすれば表面上安泰であるし教育が施し易い故に、それを「平等」に置換して安易な教育に走っているのではないのか? との論評を、本ブログのバックナンバー「横並び教育の所産」(2007年9月著)において既述している。
 この公教育の所産なのか、まさにSMAPが歌うように「私は生まれながら“オンリー1”の存在なんだから、(努力なんかしなくても)世の中で認められるんだ!」と勘違いする若者が量産されているように日頃私は感じるのである。
 これこそが、現在の日本の衰退と国際競争力の喪失を創り上げている元凶なのではないのかとの危機感さえ抱くのである。
 極端な例として、「私(ボク)は元々弱い人間なんだからニートでもパラサイトでも許されるべきで、それを責める周囲の人間の方が悪人だぞ。 この弱さは僕らの個性であってそんな僕らは手厚く保護される権利があるんだ。」等の論理が既に成り立ってしまっていて、その種の“弱者”への社会保障費の歳出が膨大し続けている現状である。 あるいは「子ども手当て」のバラ撒きなどもそれに準ずると私は位置付けるのだが…。

 ここには何かが欠落している。
 もちろん「弱者」は保護したい。 これこそが原左都子の教育理念における最たるものではある。 だが決して、公教育が正面切って「弱者」を量産することを正当化してはならないのだ。
 公教育は、努力する国民性を育て続けるべきなのである。 これこそが今後この国を建て直すべく公教育が担う課題であり役割であると断言しよう。


 国の財政健常化のためには、蓮舫氏がおっしゃるように“2番”であってもいい分野もあるかもしれない。 (それは分からなくもないが、選挙で当選さえすればにわかに代議士になれ、その後ひょんな発言から名前さえ売れれば大臣にまで上り詰めてしまう国会議員と比較して、科学分野研究者達の幼少の頃よりの長年に渡る日々の尋常ではない努力の程を思うと、私にはどうしても研究者側の味方以外の選択肢はあり得ない。)

 一方で、SMAPが歌った「一人ひとり違うのに その中で一番になりたがる」と「その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」の歌詞の部分は、学校教育において明らかに“過ち”であるとここで言い切ろう。
 “一人ひとり違う”ことと“一番になりたがる”こととはそもそも相容れない概念である。 一人ひとりの個性を尊重しつつも、その中で子ども達は自分の得意分野で上を目指して精進するべきである。 努力した子が一番になってもちろんいいし、それを敗者である周囲が讃え応援するキャパシティや、羨望、模倣し自らも成長しようとする精神を育成するのも教育が果す重要な役割であるべきなのだ。
 加えて、“自分の花を咲かせる事だけに一生懸命に”なっていたのでは、我が身息災の狭い視野の利己的人生となろう。(これこそがまさに今の日本の閉鎖的社会の実態と捉えるのだが…) そうではなく、人間が成長を目指すためには広い視野を持って周囲を見渡しつつ、他者の能力を受け入れていくことこそが自己の更なる発展に繋がると私は信じる。

 上を目指そうとしない現代の我が国の若者群像を創り上げているのは、まさに国政の責任と結論付けられるであろう。

 (それにしても政権は中国問題を一体どう解決するつもりなのか?? 個人的には末恐ろしいまでの危機感を抱いているのだけど…
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「友人」とは何ぞや??

2010年09月26日 | 人間関係
 原左都子の郷里での学生時代の旧友が先週より上京していて、先だって久々に再開した。

 この友人は「原左都子エッセイ集」のバックナンバーでも何度か登場しているのだが、我が人生において最長期間付き合いが続いている人物である。 彼女と知り合って以降もう36年もの年月が流れている。

 当初仲良しになったきっかけは、お互いに“汽車(その頃我が郷里に走っていたのは電車ではなくディーゼルカーだった…)通学”をしていたからである。 いつも学校から駅までの帰り道が一緒で、汽車の待ち時間(何せ1時間に一本程度の運行だったから…)に駅前でショッピングをしたり、喫茶店でくっちゃべってから帰る仲だった。
 社会人になって私が上京し遠く離れ離れになって以降も、彼女は私に会いによく東京にやって来た。 一緒に旅行をしたりもした。(30年前にヨーロッパにも一緒に行ったよね!)
 彼女が先に結婚し母となって以降も、独身が長かった私との交友は途切れないまま現在に至っている。
 年月が流れ彼女の子どもが独立して現在東京で暮らしていることもあり、ここのところ上京の機会が多く私と会う機会も多いのである。

 遠距離、そして人生の歩みの違いにもかかわらず私と彼女の交友関係が何故に36年間も続いているのかと振り返ってみるに、とりあえずは手続面で“連絡が途絶えていない”ということが最大の理由なのであろうか。 お互いに毎年年賀状の交換は欠かしておらず、今となっては上京時等には必ず私にメールをくれる彼女である。 そういった彼女の“律儀さ”が2人の友情を紡ぎ続けているのだと考察できる。
 
 そして彼女にいつ会おうとも抱くのは “昨日も会ったような感覚” である。 時間の経過やお互いの生活環境の移り変わりにかかわりなく、いつもすぐ隣にいるような身近な距離感があるのだ。(彼女も同様の事を口にするのだが。)  これは、彼女と知り合ったのが多感な18歳という年頃だった故にその頃の感覚が深層心理に未だ残存しているせいなのかもしれない。 あるいは元々よほど相性がいい相手同士なのか??(そうとは言えないかな? お互いの目指す方向はまったく異なるが、やはり彼女の献身とも言える律儀な私への連絡が二人の関係を今尚紡いでいるのかもしれない。)  その辺は分析し切れないが、少なくとも2人の友好関係が長続きする秘訣の一つは、18歳の未熟な頃に自を曝け出して付き合った時代を、今尚共有しつつ付き合えることにポイントがあるのではないかと考察する原左都子である。


 少し古くなるが、朝日新聞9月17日朝刊の「天声人語」は“友人とはなんぞや”の書き出しで、今時の若い世代の友人関係の“歪み”を指摘した内容だった。(「原左都子エッセイ集」の本記事は、その書き出しをそのまま表題にさせていただいた。) 
 この「天声人語」記事によると、現代の若者の友人関係には大いなる悲壮感が漂っているらしいのだ。

 例えば「原左都子エッセイ集」のバックナンバー「昼飯ぐらい一人で食べさせてくれ!」においても取り上げているが、大学や職場で昼飯を一人で食べていると“あいつは友達がいなくて暗い奴だ”と周囲から後ろ指をさされ、本人自身も友達がいない“恥ずかしさ”に耐え切れず、やむなく「便所飯」(トイレの個室で一人で昼食を採る形態)にならざるを得ないと書かれている……

 ここでひとまず、少々異論を唱えたい原左都子である。
 この私も大学受験生の娘に付き合って昨年より足繁くオープンキャンパスに訪れ、そこで今時の学生達の昼食風景を重々観察してきている。 我が娘の志望分野が芸術系という多少特殊な方面であるためかもしれないが、芸術分野の大学にはそもそも個性的な学生が多いのである。 学食にも“お一人様席”が多く配備されている様子で、制作に多忙な学生はそこで“にわか昼食”を食し、そそくさと自分の制作現場へと急いでいる様子でもあった。
 これに関してはウン十年前に医学分野の学生であった私も同様だったものだ。 学年が進むにつれ実験課題や病院実習等が盛り沢山で、昼食時間に友達とくっちゃべている時間など一切なかったものだ。 そこで昼時間は母親の手作り弁当を持参して、実験の合間に実験机で仲間と一緒に短時間で食べたのが私の学生時代の思い出でもある。  そして企業の一社員になって以降も、私にとっての昼休みとは昼食後“新聞”を読むまたとない貴重な時間であり、学生に成り立ての頃とは違って同僚とくだらない話題で時間を潰す余裕など一切なかったものである。
 そんな原左都子が考察するに、一人で昼飯を食べる姿が惨めだと嘆く学生や若者とは、友人がいるいないに係わらず、自分自身の将来の夢なり未来が描けていないから故に抱く寂しさの現象に過ぎないのではなかろうか??


 この「天声人語」記事の末尾に、“今のやさしげでいて残酷なご時世、学生ならずとも孤高には耐えにくいようだ” とあるのだが、上記の若者達の「便所飯」の現状を“孤高”と表現するのはいかがなものか? (参考のため、“孤高”とは“一人かけはなれて高い境地にいること”を意味する。)
 今回の「天声人語」が事例に掲げている学生や若者の現実とは決して“孤高”などではなく、単に人間関係が希薄な現実社会に生かされている若者たちの“孤立”現象に他ならないのではないのか??
 
 ただ、今回紹介した「天声人語」の最後の結びは私論と一致する。 その結びの部分を以下に引用して、今回の記事の締めくくりとしよう。
 「携帯電話に何百人も“友達”を登録して精神安定剤にする学生もいると聞くが、友情とは成長の遅い植物のようなもの。 造花を飾って安らぐ心の内が、老婆心ながら気にかかる。」
 要するに、焦ってメル友を数だけ揃えたり、昼飯を一緒に食べる友がいないと嘆くよりも、とりあえず自分を磨くことに集中してみてはどうだろう?
 まさに友情とはいつのまにやら出来ているがごとく自然発生的産物であり、成長の遅い植物のようなものである事に原左都子も同感である。
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受験における経済格差に打ち勝つには

2010年09月23日 | 教育・学校
 大学受験生を持つ我が家においてここのところ急増しているのが、大学受験塾や予備校からの“迷惑セールス電話”である。

 「原左都子エッセイ集」において公開済みであるが、我が子の志望進路は既に芸術分野に決定しており、その分野の実技力を磨くために高校入学時点より美大予備校に通わせている。
 一方、学科に関しては幼き頃より母である私が“お抱え家庭教師”として君臨していることが功を奏しているのか、我が子が高2となっている今尚比較的安定した学科力があり、特段受験塾にお世話にならずとて受験模試等でもある程度手応えのある成績を修めてくれている。

 そこで、度重なる“迷惑セールス電話”に対しては着信拒否対応で無視しているのだが、相も変わらず“訳のわからん”塾(予備校)名を名乗る組織からの迷惑電話は後をたたない。 これには新興の無名塾や予備校の乱立の程を目の当たりにさせられる思いである。(一体どんな受験指導をしているのやら…  乱立している塾や予備校に対して行政は適切な指導を施しているのか??  決して悪徳業者をのさばらせてはなるまいぞ!)


 学習習慣が確実に身についている娘が高校生になっている今となっては、本人の学習意欲を尊重し一歩退いた立場で見守っているのだが、時折、娘が単独で解けない課題がある時は今尚当てにされている私である。

 秋分の日の祝日である本日も、娘が久々に学校の英語の課題を持って私のところへやって来た。
 娘が高1位までは娘の課題をさほど苦労することなくこなせた私なのだが、大学受験まで後1年半を切っている娘の大学受験課題をいきなり突きつけられるのは、この私とて厳しいものがある。 

 本日娘が持ってきた英語課題は有名難関私立大学の過去問だったのだが、負けず嫌いの私としては何としても解いて娘に解説教授したい思いだ!
 つい先程までその課題と格闘した原左都子の感想としては、ひと昔前の大学入試問題と比較して英文自体の難易度が低下している印象を受けた。 我々が若かりし受験生時代に、森一郎著の「でる単」(読者の皆さん、憶えていらっしゃいますか??)を一冊丸ごと完全マスターしたごとくの苦労はせずとて、年老いた今の私でも辞書を引かずとも解読可能な程度の英文との印象なのである。 その一方で英文読解であるにもかかわらず読みこなしつつの思考力を要求する課題であり、なかなか良質な過去問なのではないかとも感じた。

 ついさっきまで上記のごとく娘の大学受験過去問に挑戦したばかりの熱と集中力が覚めやらず、今回の記事のテーマから話題がずれてしまい恐縮である。
 ただ我が家の場合は(学業が趣味とも言える??)母である私が娘の学習に付き合うことを今尚いとわないため、引き続き学科に関しては娘の大学受験までこの私が“お抱え家庭教師”として君臨し続けられそうなのである。


 我が子が小さい頃に、私が我が子の“お抱え家庭教師”を担当していることによる家計内の「経済効果」を自ら試算することもあった。
 例えば“お抱え家庭教師”を外部組織から週10時間雇った場合、(派遣されてくる家庭教師のレベルにもよろうが)月々の家計負担は10万円では済まないであろう。
 これを親自身がこなせるならば、家庭教師や塾への出費をその分軽減出来るとの解釈が可能なのである。


 朝日新聞9月14日の“声”欄に、「受験前にもうはじかれた気持ち」と題する44歳のパート主婦からの投書を発見した。 以下にその一部を要約して紹介しよう。
 長男と次男が来春、高校、中学受験予定である。 長男は学校の面談で“受験できる都立高校はない”と言われ、次男は発達障害児で小2で不登校になり学校に行ってもいじめや暴力に悩んだ。このままの気持ちで次男を長男と同じ中学に進ませる気持ちにはなれないが、2人の息子を進学塾に通わせる程の余裕はない。 長男に関しては私立高校に入れる余裕もない。 親の経済力の差に加え、我が家の子ども達のように学校になじめず勉強の機会に恵まれなかった子は、既に世の中からはじかれてしまったような気持ちになる。

 私論になるが、44歳パート主婦のお母様。 世の中から既にはじかれてしまった気持ちになるのはまだまだ早過ぎますよ!
 原左都子がこの投書を読んだ感想をここで述べさせていただくと、このお母様には“十分な文章力”と共に世にメッセージを発信していく能力が確かにあるのだ。 そのエネルギーを少しの期間、息子さん2人に捧げてはどうかとアドバイスしたくなる。
 今現在はパートをしていらっしゃるということは、ご主人が定職を持たれているのであろうか?  そうだとするとそのパートを受験までの後半年中断して、息子さん2人のためにご自身自らが“お抱え家庭教師”に励むというアイデアはいかがであろうか?  おそらくこの投書程の文章力と世間に訴えるエネルギーがあるお母様には、中高受験家庭教師程度の教育力は十分にあると私は見る。  しかも家庭教師の相手が可愛い我が息子達となれば、パートをするよりも断然気合が入るのではなかろうか?!! 


 この原左都子とて、今はもう古ぼけた頭脳で我が子の学科の“お抱え家庭教師”を大学受験まで全うできる自信などないのが実情である。 
 それでも我が子に「この課題を教えて~」な~んて頼られるだけで俄然ファイトが沸くのである!  
 私の“お抱え家庭教師”歴の長い我が家では、実はそんな単純な母である私のリアクションを今となっては冷静に観察している我が娘のようだ。 「負けず嫌いな母はこの課題をどうこなすのかな??」などと探りながら(?)、私の課題への取り組みを背後でこっそり観察している娘である。 そして私がウンウン唸りつつ課題を全うする姿を見て、「じゃあ、自分も頑張ろう!」と自らの精進力に繋げているようなのだ。

 この話は嘘偽りない事実である。 
 子どもとは幾つになっても「親の背中を見て育つ」ことを、長年“お抱え家庭教師”母として君臨している原左都子は日々実感である。

 経済力がない故に世からはじかれてしまうなどと他力本願な理由を言い訳にして子どもの教育をあきらめ放棄する前に、親自らが可愛い我が子のためにもう一肌脱いではいかがかと、是非共伝えたい思いだ。 
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老いては子に従わず、見返りも求めず。

2010年09月20日 | 人間関係
 “高齢者”関連の記事が続くが、敬老の日の本日はその最終章として、年老いた親と子のあり方について考察してみることにしよう。


 自宅で白骨化して発見されたお年寄りが実は30年も前にこの世を去っているにもかかわらず、家族により死亡届けも出されないままその年金を不正受給していた子孫が逮捕される現状…  この事件以外にも、所在不明のまま放置されているお年寄りが全国に数多く存在する実態の我が国である。

 介護保険制度が法制度化された頃以降、年老いた親と子のあり方がプラス・マイナス両面で変遷を遂げようとしている。
 「老いては子に従え」と言われた時代は既に遠く過ぎ去り、はたまた卑属である子孫が尊属である親の老後の面倒を当然のごとく看ねばならない時代も、既に過去のノスタルジーであろう。

 
 「敬老の日」としては多少若い世代の高齢者の話になるかもしれないが、朝日新聞9月18日別刷「be」の“悩みのるつぼ”は、62歳主婦による「独りで育てた3人の子なのに」という題目の相談だった。

 以下に、その相談内容を手短に要約しよう。
 倒産寸前の自営業の夫を50歳で亡くして以来再就職し、3人の子どもを抱え学費その他を実家の母に頼りつつ精一杯生きてきた。子ども達には祖父母にお礼をするよう言い聞かせ、それを実行する子どもを見て本当に良い子に育ったと思っていた。 その後3人共結婚、独立し、2年前に祖父母も亡くなり私は一人暮らしになった。 ところが母の私に対しては3人の子どもから何の気遣いもない。どんな思いで育てたのかと情けなくなる。 皆元気で仲良くやっているのだから良しとしようと自分に言い聞かせたりしつつ、あんなにしてやったのにと愚痴が出てしまう。 持病を抱えつつも趣味もあり友人もいる私であるが、どうしようもなく寂しい時がある。どう心を持てばよいのか?


 ここで一旦、私論に入ろう。

 原左都子は相談者の主婦の方よりも若干若い世代であるし、また結婚前後の人生の歩みがまったく異なるため単純に比較して論評することはナンセンスであることを重々承知している。 それにしても驚くのは、3人の子供さん達が立派に自立したことを“親としての成功”と捉えるよりも、未だ62歳という若さにしてその“見返り”に期待する欲求及び不満が上回っている点である。

 私事で恐縮ながらここで原左都子の現状に移ると、現役の母親業真っ盛りである。16歳の高校生の娘を何としてでも志望大学へ入れてやりたい思いで娘の補佐役“お抱え家庭教師”として君臨中であり、今は自分の老後になど思いも及ばないというのが現実である。 これも偏(ひとえ)に我が子には自分の目指す道で自立して、自分が欲する人生を歩んで欲しいからに他ならないのだ。
 (こんなところで暗い私事談を暴露して恐縮だが、16歳の娘の母である私には、実は娘に対するある種の懸念材料がいつも我が根底にどっぷりと蔓延っているのである。 今は親の期待に沿って最大限精進してくれている娘であるが、何分、多少の事情を持って生まれてきている我が子であるため、今後私の日々の補佐がまったく無くなった時点でどこまで独立力があるのかという部分においてである。 もちろん子どもの自立力を信じて親子で日々精進してはいる。 ただ、今後も私の補佐がある方が我が子にとって尚一層の成長を遂げる支援力となるのであれば、私は一生をかけて我が子の自立を願い裏舞台でこっそりと補佐し続ける覚悟である。)

 そんな私は、子どもからの“見返り”など一生望むべくもないのだ。  それだからこそこの相談者主婦の苦悩を計りかねる一方で、この相談者はある意味で幸せな人なのであろうとも考察する。
 はたまた他方では、まだまだ今後自己実現可能な62歳という年齢にして、ご自身の今後の人生を我が子の“心遣い”に頼ろうとすることによりこの相談者は自分の人生を窮屈なものにしようとしているとも考察するのである。 ご自身の持病等の病気を引き合いに出して、(私は弱いのだから助けて~~)などと我が子や他者に向かって発信する事自体が、既に今後の可能性を捨てているのではないかと原左都子は感じてしまうのだ…。 年齢にかかわらず、先々の人生に夢や希望や信念そしてやり遂げねばならない事象がある人間が、自分の病気等の弱点を売り物にしている場合ではないからである。 

 
 今回の“悩みのるつぼ”の回答者であられる社会学者の上野千鶴子氏も、原左都子と類似した回答を展開していらっしゃるのだが、字数の関係でここではその結論部分のみを紹介しよう。
 「子育てを終えた親と成人になった子どもとは、もう一度距離を置いて家族の絆を再構築することが必要かも。そのためには礼儀もあってもよい。 ただし礼儀とは水くさい間柄だから必要なもの、と観念して下さいね。」


 いろいろな意味で、老いて尚従える子を持つ親とは幸せであるのだと思う。 いやいや、そう思いつつも、原左都子の娘とて今既に十分親が頼りに出来る側面も持ちつつ頼もしく成長してくれている。
 それにしても、いつまでも手がかかる子どもとは親を老いさせないエネルギー源であり、親にとってこれ以上かけがえのない存在はないことを実感させてもらえる日々である。
 そんな我が子に恵まれた私は、確かに“老いる”ということを知らない。 いつまでも多方面においてパワーに満ち溢れ、癌にも一切動じなかったし、ちょっとした病気など吹き飛ばしている。

 将来我が子が完全独立した暁には、この私も今一度羽ばたかせてもらおう!  その際にはもちろん我が子に見返りを求めたりしない替わりに、従いもしないぞ!! 

 その一方で、今後二人が年齢を重ねてお互いのライフスタイルが違っても、いつまでも今まで通りの仲良し親子でいようね! 
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