原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人々の間に真の 「絆」 が生まれ出るために…

2011年12月30日 | 時事論評
 先だって週一のペースで実施している個人ダンスエクササイズのためダンススタジオへ出かけたところ、同じくスタジオで個人エクササイズに励んでいるヨガ系プログラムの先生が、エクササイズを中断して私に声を掛けて下さった。

 「来年1月からこの時間帯にスタジオが使用できなくなることをご存知ですか?」
 驚いた私が応えて曰く、 「えっ! そうなんですか。 それはショックです…」
 「私も同じ思いです。 それで、他の曜日のスタジオが空いている時間帯を調べたのですが、例えば朝方ならば利用できる曜日もあるようですよ。」
 さらに応える私。  「そうですか。 ただ私の場合、朝の時間帯は不都合でして…」
 「ほんとに残念ですが、他に空いている曜日、時間帯もあるかもしれませんのでお調べになるといいですよ」 とのヨガ先生のアドバイスに、
 「そうしてみます。 ご親切にありがとうございます。」
 
 このヨガ先生と原左都子は、スタジオを訪れ個人エクササイズに励むメンバーの中でも特別熱心だったことをお互いに感じ取っていたのかもしれない。 普段はスタジオの空き時間一杯をフル活用してそれぞれのエクササイズに集中しているため、挨拶こそすれども会話を交わす機会がなかったのだが、場を共有した“同士”のような感覚がお互いにあったことを、今回スタジオが使用できなくなる事で遅ればせながら実感させられる。
 (ヨガ先生、1月からは同じ時間帯にお会いできなくなるかもしれませんが、今後共お互いにエクササイズに精進しましょうね!


 3月11日に我が国に勃発した未曾有の大震災、及びそれに伴う福島第一原発事故の犠牲者の皆さんは、命からがら避難先に辿り着かれた事であろう。 世も終わりの絶望感の中にあっても、時間の経過とともに場を共有している人々と会話はなくとも“同士”のような感覚が芽生えていったことであろうと想像する。


 12月中旬頃、日本漢字能力検定協会が2011年の世相を表す漢字は 「絆」 であると発表した。
 この選定に当たっては、全国から過去最多の49万6997通の応募があったそうだ。その中で 「絆」 は最多の6万1453通(12.4%)の応募数だったとのことである。 東日本大震災や台風被害で家族の大切さを感じ支援の輪も広がったことに加え、女子サッカー・なでしこジャパンのチームワークも理由に挙がったようだ。
 参考のため、2位は「災」、3位は「震」と続いたとのことだ。

 「原左都子エッセイ集」の長年の読者の方々はご存知であろうが、集団嫌いの私としては、人との「絆」を他者から強要されるなど御免蒙りたいものである。 その逆も真なりで、元々宗教家でもなく独裁国の指導者でもない私としては、自分から他者に対して「絆」が大事などと説法したくもない。  我が教員時代とてそうであった。 周囲を見渡すと子供達に説教したがる安直軽薄教員が多い中、私は決して子ども達相手に説法を垂れることはなかった。  (私自身はこうありたい趣旨の話は生徒の前でしたことがあるが、あなた達がこうあるべきだなどとホザいた事は一度もないぞ。)

 まあそれにしても、今年の世相を表現する漢字として「災」や「震」などのマイナーな意味合いの字は避けるべきと思っていた。
 そうしたところ、「絆」とのことだが…

 やはり私としてはあまり好きな漢字ではないが、この「絆」を上記のごとく“同士”の意識・感情として捉えるならば肯定できるかもしれない。
 要するに人と人との「絆」とは決して他者から強要され無理強いされてしつらえられるものではなく、人間が場を共有して生を営む中で自然な形で発生してくるものなのであろう。  自分自身で人との「絆」を感じ取れる事こそが生きる糧となると私は思う。
 そのように考察すると、 「絆」 「絆」 と騒ぐ輩ほど実は寂しい人生を送っているのかもしれないねえ…


 ところで、この「絆」が全く無かった事をこの年末になって一番暴露しているのは民主党政権ではなかろうか?

 朝日新聞12月29日の一面トップは 「民主粉砕 離党ドミノ」 とのタイトルだったが、実に開いた口が塞がらない程に民主党は現在崩壊状態だ。
 とにかく野田政権発足以降、官僚主導体制が強靭となり 「マニフェスト」 が総崩れ状態である。
 消費税をはじめ増税額は過去最高予算、八ッ場ダム等公共事業は再開、沖縄基地問題は朝の4時に強盗のごとく環境影響評価書を置き去りにする始末、福島原発事故は“収束”と言って逃げ切ろうとする失態……

 実に開いた口が塞がらない民主党政権の体たらくぶりであるが、それにしても、離党届を提出して新党を結成しようとの輩どもの“単純馬鹿”動向もせせら笑いたくなると言うものだ。
 あなた達にとって大阪の橋下さんが大量票を得た事だけが魅力なのはバレバレだよ。 で、今後はその橋下さんに迎合するんだって??

 これじゃあ、歴史的大震災で大打撃を受けた国民がまったく浮かばれないよなあ。



 - P.S.-

 本年も数多くの読者の皆様に恵まれつつ、定期的に「原左都子エッセイ集」を綴りネット上に公開できましたことを、この場で心より感謝申し上げます。
 年末近くになってコメント欄を閉鎖したにもかかわらず、相変わらず各方面よりメッセージを頂戴している事を大変うれしく思っております。
 またいつかきっとコメント欄を再開する事も視野に入れておりますので、今後共「原左都子エッセイ集」をご愛顧いただけましたら幸いです。

 皆様、よきお年をお迎え下さいますように!!      
 

生命体が共存する風景 -そして50匹-

2011年12月28日 | 雑記
 (写真は我が家で飼育しているメダカたちの現在の様子。 逆光及び写真不鮮明のため個々のメダカが見づらい点をお詫びします。)
 

 「原左都子エッセイ集」のバックナンバーにおいて、再三我が家で飼育しているメダカの成長の様子を公開してきている。
 2009年9月の「生命体が共存する風景」を事のはじめとして、その後2009年10月、2010年7月以降の「生命体の継承と繁栄」シリーズ、そして東日本大震災後には「放射能の影響か? 我が家のメダカに異変!?」と題する深刻な記事も綴った。

 余談となるが、上記「放射能の影響か?……」に於いて紹介した突如として目が腫れ上がり直後に死に至ったメダカに関しては、その後、病因及び死因が福島第一原発事故の炉心メルトダウン水素爆発に伴う大量の放射能漏れの影響を受けたことが証明されたとも言える。
 今頃になってやっと政府は大いに遅ればせながら、東日本各地のセシウム汚染値を測定しメディアを通して発表しているようだ。 私が住む東京でも小学校の校庭等々において高濃度汚染地が存在する事実が報告されている。 3月下旬頃に水道水の放射能汚染が発表され乳幼児や子どもは飲まないよう等の指示は一応あったものの、今推測するにその汚染のレベルとはあのような軟弱な指導で済ませられてよかったものか?と末恐ろしく考察するしかない。(ペットボトル水の買い置きが一本もなかった我が家など、大量の水道水を飲んでいるしね…

 不幸中の幸いとして、目が腫れ上がる症状が出た我が家のメダカ数匹のうち直後に死に至ったのは上記の1匹のみで、その他のメダカはその後もしばらく生き延びてくれた。 夏頃に3匹の成魚が命を終焉させたが、これに関しては放射能の影響なのか、猛暑のせいか、あるいは天寿をまっとうした結果なのかは不明である。


 2010年7月には、我が家の“メダカファミリー”が一応の繁栄を遂げて子孫を増やしていることに関して公開した。
 ところがその後、雌メダカが産卵は続けているもののどういう訳か稚魚が一匹も孵化しないことに心を痛めた私は、産卵が孵化に結びつかない原因を我が過去の医学的経験にも頼りあれこれ探ってみた。
 その結果、“近親相姦”が最大の原因ではないかとの結論に達し、新たにDNAが異なるであろうメダカ3匹を仕入れてきて同居させたのである。
 (この記事に関しては読者の皆様より、“近親相姦”同趣旨の複数のアドバイスをいただいたものである。

 皆様のアドバイスにも勇気付けられた私は、今度こそは孵化するに間違いない!と信じつつメダカの飼育を続けていた。
 そうしたところ、半年前頃の「生命体の継承と繁栄 -ベビーラッシュ編-」に於いても公開した通り、今年の初夏から10月末頃までにかけて雌メダカが産んだ卵から次から次へと稚魚が孵化し続けたのである!

 こうなると育て親の私の責務とは、せっかくこの世に生まれ出たこの“いとも小さき生命体”を如何に生かし続けてやるか、が一番の命題となろう。
 バックナンバーでも紹介しているが、動物がこの世に生き延びていく最低限の生命線である空気、水、光、栄養をまず適度に賄ってやるのはもちろんのことである。 これに関しては生命力の強いメダカの場合、さほどの費用も発生せずに済む。
 それよりも人工の狭い水槽の中で飼われているメダカとは、これぞ“弱肉強食”の世界であると私は実感している。 小さきメダカを大きく成長した個体から如何に守ってやるかが、稚魚を長生きさせる第一の課題と私は判断するのである。  その結果が、原左都子が編み出した上記のごとくの“成長度合いに伴ったクラス分け”(この作業が結構大変なのよ~)であるが、これが功を奏したのか卵から稚魚に孵ったメダカたちのほとんどが成長を遂げてくれているのだ! 

 今年も年末にさしかかった今現在も、上記のごとく我が家のメダカの水槽では50匹近いメダカが私の判断と意図で“クラス分け”された水槽の中で元気に泳いでくれている。

 我が家に「生命体が共存する風景」が実に素晴らしいことをメダカで実感させてもらいつつ、私は日々を送っている。
 それにしても、上記写真のごとく50匹近い数のメダカを5本の水槽に“クラス分け”して飼育しているのは我が家だけなのであろうか? 大き目の水槽に全世代の“メダカファミリー”をまとめて飼われているご家庭もある事だろうなあ…。



  - P.S. -

 「原左都子エッセイ集」12月18日のバックナンバー 「名も知らぬ鳥たちの群集が羽ばたく奇跡」 宛に、留守中にメッセージを頂戴した。

 私が日々上空にみる鳥の群集は 「椋鳥」 とのご指摘だ。

 帰京後、その「椋鳥」とのご見解に関して私なりにネット検索して確認してみたのだが、あの鳥たちはまさに 「椋鳥」 であると私も認識させていただいている。

 椋鳥たちのその後の成長の程が素晴らしい!!
 毎日16時過ぎに我が家のベランダから上空を眺めては、飛行範囲が広大になると共に航空ショーを繰り広げる時間が長くなることに感激しつつ、その成長を見守っている私である。
 それにしても椋鳥とは人を警戒しないのだろうか?  私が寒空の下でベランダから手を振って応援する姿を認識しているのかいないのかは心得ないが、むしろ椋鳥たちが私の手が届きそうなすぐそこまで近づいて来てくれ、“航空ショーを見て!” と訴えているような一体感すらあるのだ…

 メッセージをお寄せいただいた方のご見解によると、椋鳥は成長した暁に春には東北等の寒い地方へ旅立つとのことのようだ。
 それまで私は、この大都会のど真ん中の竹薮に造巣した椋鳥の夕方の飛行を楽しみたいものである。

 
 我が家の水槽内で50匹にまで子孫を増やした人工飼育のメダカたちと、外の寒空を舞う椋鳥の群集が健気に生を営む姿がダブる思いだ… 

スマートフォンてほんとにスマートなの?

2011年12月26日 | 時事論評
 前回の記事内で、原左都子が先週訪れた我が郷里の観光地に於いて出合った中国人観光客グループの全員が スマートフォン を所持し操作していたことに少し触れた。  
 中国人に限らず、日本国内でも現在スマートフォンの市場が急激に拡大している様子である。


 先だっての12月半ば、我が娘が来年4月に入学を予定している大学の「入学準備セミナー」へ早くも親子で出かけるはめとなった。

 今時の大学(特に私学?)とは、学生の就職率及び国家試験の合格率等、マスメディアにランキングされ公表される事柄を上位に位置づけるべく躍起になっているようである。 そのためには自ずと学生の“質”を向上させる必要性があり、特に学科試験を経ずして入学して来る推薦合格者の事前教育にこの時期から力を注いでいるのだ。
 (大学が子ども本人をビシバシ教育してくれるのは喜ばしい事だが、親までもをこんなに早期から大学に呼び寄せて私と同年代か若い世代と思しき教職員より“親の心得”を垂れられるなど、私個人的には勘弁願いたいものだ…。 原左都子にとっては“釈迦に説法”だよと言いたくもなるよなあ……。


 話が表題からずれたが、今時の大学とは学務をはじめ学生生活、就職指導に至るまで大学と学生とのやり取りに於いて、パソコン、携帯電話を通したネット通信に依存するのが主流であるようだ。
 上記の「入学準備セミナー」に於いても、我が娘が入学前フォローアッププログラム(早い話が入学前の学科指導)に従って大学から出された課題を提出する手段はパソコン通信によるらしい。
 加えて各種連絡にはメールを使用するため大学にメールアドレスを届け出るよう指示があり、その場で参加生徒皆が携帯電話を鞄から取り出したとのことである。

 その場において、我が娘が見たのは“私以外の全員がスマートフォン”との光景だったようだ。


 ここで原左都子が今現在認識しているスマートフォンの機能について、ウィキペディアを参照しつつ記述することにしよう。
 スマートフォン(英: smartphone)とはインターネットとの親和性が高く、パソコンの機能をベースとして作られた携帯電話である。
 通常の携帯電話やPHSでもサポートされる音声通話や電子メールの通信だけでなく、パソコンに近いインターネット接続機能、音楽や動画も携帯電話などより比較的大容量で多様なフォーマットに対応する。アプリと呼ばれる小規模なプログラムも携帯電話などより比較的処理能力に余裕があり、高機能化の余地がある。携帯電話が得意とするスケジュール等の個人情報管理など多種多様な機能を持つ。
 (以上、ウィキペディアより引用、要約)

 私の認識をはるかに超越するべくもっと多機能なスマートフォンも存在するのかもしれないが、おそらく上記のウィキペディアの記述を流動的に解釈するとしてスマフォの機能はほぼ説明がつくのではなかろうか?


 それを前提として、我が娘が置かれている現状を親の立場から考察してみよう。
 我が家では数年前から娘には本人専用のパソコンを持たせているのだが、ネット通信を専らパソコンに依存している娘の場合はそれで一応の事が足りるのではあるまいか? 携帯ももちろん娘なりに通話やメールで使用しているようだが、ネットの利用をパソコンに頼っている現状において、携帯のパケットを利用する機会はさほどない様子だ。

 以上の現状を分析した上で、今後娘が入学する大学の友人候補者達が“皆持っている”というスマフォが我が娘にとって必需品かどうかを身内と話し合った私である。
 (私に言わせると)元々“軟弱思考”の身内から真っ先に出た言葉とは、呆れた事に 「皆が持っているならば、持たせてやらないと娘が仲間はずれになる…」
 “そんな軟弱思考だからあんたは鬱病になどなるんだよ!!”  と内心大いに怒った私であるが、 娘の母である原左都子としても私なりに娘の体裁のみは整えてやりたいとも思った…。


 そして昨日娘を引き連れて、我々一家が利用している携帯電話会社の最寄店舗にスマフォの詳細な話を聞きに訪れたのである。
 店員氏の話によれば、スマフォとはパケット定額制を利用してネット通信することを前提として開発された商品であり、スマフォの機種契約を締結すると自動的にパケット契約が付随することが判明した。

 我が娘の場合、上記のごとく今現在はネット通信をパソコンで行っているためそれを直ぐにスマフォも含めた携帯電話で行う必要性はない。 それに娘も同意した上で「どうしても携帯電話でネット通信を行う必要性が生じた時に、改めてスマフォ契約をさせていただきます」と告げ店舗を去ったのであるが…

  
 それにしても我が娘と同年代の未成年の子どもを持つ親達は、如何なる思想で子どもにスマフォを持たせているのであろうか?

 参考のため、我が娘が入学予定の私立大学に於いては、入学者の1/3の学生が各種奨学金に頼って学生生活を送っているという話を、上記の「入学準備セミナー」“親の会バージョン”で見聞した。 
 今時はそうでもしないと子どもの将来の自立が叶わないのかもしれない…  我が子に“出世払い”で将来学費を奨学金の返済という形で自己負担させてでも、大学に入学させて立派に独り立ちさせてやりたい親の思いも分からなくもない。

 ただ、親としてまず保証してやる事とは子どもの学費なのではあるまいか?
 子どもの学費を奨学金に頼ってでも、子どもにスマフォを持たせる事を優先する親の思想とは一体如何なるものなのだろう??
 (バックナンバーでも綴ったが、義務教育の給食費すら払えないのにその子どもに携帯を持たせる親が多い現状とも見聞するが…)


 これは到底、原左都子には理解できない世界である。

 身内が3ヵ月後に定年退職を控えている年老いた親達である我が家においては、当然ながらあらかじめ我が子の大学費用を計画的に蓄積した上で大学受験を志させている。
 もしも娘がスマフォが必需品であると訴えた暁にも、その程度の月々の費用発生も予算内ではある。

 それでも子どもを一人前に育てることとは、たかがスマフォごときで友達に迎合させる事では決してないはずだ。
 安易にその種の行動を取る親の根本思想とは、もしかしたら親自身のコンプレックス感情に基づいていると考察できるのかもしれない…


 ところでスマートフォンの smart は 「賢い」「利口な」「気の利いた」等と翻訳できる反面、 「痛みを与える」「感情を害する」等の意味合いもあるのをご存知だろうか??

年老いた親を“あの世”に送る段取り

2011年12月24日 | 旅行・グルメ
  (写真は、人形浄瑠璃 「傾城阿波の鳴門 順礼歌の段」  -阿波十郎兵衛屋敷にて-)


 本日のエッセイは“旅行記”としては妙な表題とお感じであろうが、今回の私の郷里への帰省は、まさに 「年老いた親をあの世に送る段取り」 を整える事が第一の目的だった。

 いえいえ普段辛口オピニオンを発信してばかりいる原左都子とて、田舎で一人暮らしの母に決して「早く死ね!」と言いに行った訳ではない。 こう見えて、私なりに普段より結構年老いた親を頭の片隅で気遣っているのだ。

 来年80歳を迎える母であるが、今後更に母が老いていざ「死」に瀕した時、遠隔地に住む私がその死に目にあうことはおろか最後を看取ってやることすら叶わない確率が高い。 これに関しては母も合意し、その覚悟を既に決めている。
 一方、死後の葬儀において喪主を務めるのはこの私であることは明らかだ。
 自分の葬儀を如何なる形式にしたいかに関する母自身の考えはあるようだ。 日頃電話でその節々を私に伝える事はあるのだが、電話ではどうも要領を得ず埒が明かない。 
 そこで今回約2年ぶりに帰省するのをよき機会に母の意向を確認し、喪主となるであろう娘の私が母の最後の責任をきちんと果せるよう下調べをしておきたかったのである。


 2年ぶりに降り立った我が南国の故郷は、この時期相応に寒いものの晴れ渡る晴天だった。

 空港から真っ先にタクシーで向かったのは、上記写真の 阿波十郎兵衛屋敷 である。
 ここは私が上京する前に母と共に訪れた記憶があるのだが、ネット情報によるとその後建替えられ、広い人形浄瑠璃劇場が設営されて日々観光客相手に浄瑠璃劇が公開されているようだ。
 これを我が娘に一見させたく思った私は、何十年かぶりにこの地を訪れた。
 今時の観光施設とは団体客を誘引しないと経営が成り立たない様子だ。 この日も中国人の観光団体と出くわしたのだが、「こんな過疎地の田舎にもアジアの“ニューリッチ”観光団体が押し寄せるんだね」と娘と言葉を交わしたものである。 (余談であるが、我々親子は旧式の携帯電話しか所持していないのに、中国観光団体の皆さんは全員がスマートフォンである…  いやはや、こんなところで中国団体の目前で個人的な貧乏を晒すはめとなってしまった…

 到着日は我が娘と久々に訪れた郷土の観光を楽しみ、あらかじめ予約してあったホテルに一泊した後にいよいよ母が住む実家に向かう事となる。


 到着後も母とは携帯電話にて会話をしたりメールにて連絡をしていたのだが、2年ぶりに実際に見る生身の母は思ったよりも元気だった。

 電話では“あちこちが痛いから何も出来ない”と訴えつつも、娘と孫が帰省することを心より楽しみにしていた様子が伝わるごとく自分の得意料理を作って待っていてくれた。
 「こんなに沢山作ってくれてありがとう」と言いつつ、娘と共にその料理をいただくことになる。
 
 こんな場で、今回の帰省第一目的の“葬儀の相談”をするべきではないことは私も心得ている。 
 とにもかくにも、年老いて一人過疎地に暮らしている母の話を十分聞いてやるのが私の役割であろう。
 それにしても元気だ。 いつもの電話のごとく、母の口からは“ある事ない事??”次から次へと大音声での話が続く…  半分聞いて半分聞き流しつつ「うん」「そうね」「へえ」等々といい加減な返事をしつつも、元気であることは実感させてもらえた娘の私である。
 (葬儀の話は明日以降にした方がよさそうだ…) 

 次の日以降も、母は元気だ。
 それでも、私は娘と共に洗濯や掃除や食事の準備片付けを買って出た。 今までならば「そんなことしなくていい」と気丈に言う母が、私の好意に甘えた…。
 
 そして私と娘が帰る日になって、母の方から切り出した。 
 「今回、○子(私のこと)が私の葬式の心配をして来た事は電話でちょっと聞いて知っている。 葬儀は基本的に○子の好きにしていいと思っているが、私はまだまだ死なないよ。 まだまだ一人で元気に頑張って長生きするから、○子も東京で頑張りなさい」

 郷里滞在中にそんな気丈な母が運転する車での道中、母の葬儀後に私が届出に行かねばならない役所をはじめ、母の預金通帳がある銀行、郵便局、そしてスーパーマーケット等が存在する場所を母は私に指南してくれたのだ。


 こうなれば、もう私の方から母に確認する事など何もない。
 我が母には長生きしてもらおうじゃないか! その方が今後郷土を訪れる機会が増えて私も楽しめるというものだ。
 日頃親不孝者である事を反省しつつそれを許してもらうとして、今後も我が母には長生きして欲しいと実感しながら郷里を後にした私である。


 やっぱり、子とは親には一生かなわないのかな~~~  

Merry X'mas ♪

2011年12月24日 | 雑記
         (写真は、我が家のクリスマスイルミネーション)