原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

Io sono un viaggio per I'Italia!

2016年01月25日 | お知らせ
 (写真は、今回私が旅するイタリア国内ローマ・フィレンチェ地方付近の地図と、イタリアのボールペン。
  イタリアデザインのボールペンがお洒落でしょ!?  イタリア旅行に先立ち国内の海外土産宅配便にて購入したものです。)


 表題は、 「私はイタリアへ旅に出ます!」  をネット検索した結果一番上に出て来たイタリア語訳の一文。
 (何分まったくイタリア語を心得ない私だが、単に日本語からの直訳文章と理解する。  実際、イタリア人がこのような“古典的”文章を日常使用しているか否かは不明…)




 さて、私はいよいよ明後日の朝にイタリアへ向けて旅立ちます。  


 日本留守中は一切合切パソコンやネットの世界から遠ざかり、イタリアの歴史と文化、そして出来得る限り現地に暮らす人々の人情に触れ、一期一会の出会いを楽しむ旅に集中するスケジュールを予定しております。

 従いまして、「原左都子エッセイ集」の執筆もしばらくお休みさせていただきます。



 それにしても、今回我々母娘がイタリアへ旅立つに当たり、(身内親族も含め)各方面より如何程の「テロ危機」に関するご指摘を頂戴したことやら…

 もちろん皆様のご心配は嬉しいのだが、既に旅行計画を立てそれを実行に移すべく日々綿密な計画の下に精進している我々の努力の程も、少しは理解して欲しかったのが正直な思いだった。
  
 我々母娘とて、何の思慮もない程の馬鹿ではないと自負している。

 娘はともかく、私には私なりの「死生観」をも常に培って来ていることは我がエッセイ集内でも何度も公開して来ている。
 もしも万が一、イタリア内でテロに倒れるとの不幸に陥る事態に際しても、我が亭主にその対応に関し私の意向を指南済みの話題はバックナンバーにて既に公開してもいる。

 ただ冷静に判断すれば、そんな事態に遭う確率などごくごく微少と結論付けられるであろう。
 しかも、おそらくテロに警戒して旅先で怯えた表情をしている人間程、テロ(あるいは諸犯罪)のターゲットとなり易い素質もあろうか、と私は推測済みでもある。

 私達母娘には、必ずや楽しい旅が叶うと信じている。
 その意気込みこそが旅の心得であり、旅の醍醐味に通じる事であろう。 
 
   


 それはそうとして、原左都子が2月初旬に帰国後エッセイ執筆を再開するまでの期間、読者の皆様には「原左都子エッセイ集」バックナンバーをお楽しみ頂けましたなら幸甚です。


 今回の留守中は、 原左都子から 「雑記カテゴリー」 をお読み頂く事を推奨しよう。


 この「雑記カテゴリー」は、我がエッセイ集の主題である“オピニオンの公開”から大きく外れているのが特徴だ。
 
 何らかの事象が引き金になり、たまたま脳裏に浮かんだ過去の出来事等を中心に、当時の原左都子の心情を綴った内容である。

 私自身が何度も読み返して自分自身が涙を流せる内容である事が、我ながら恐れ知らずの感覚でもある…



 それでは、それら「雑記カテゴリー」エッセイの一部を取り上げ、以下に列挙させていだだこう。


   ○ 2013.7.20   「見知らぬ猫と給食の残りのパンを分け合った遠い日」

   ○ 2011.9.28   「迷い道くねくね」

   ○ 2009.1.3    「今年も『大吉』で行こう!」

   ○ 2008.10.20  「転がる石」
 
   ○ 2008.9.20   「突然訪ねて来た男友達」

   ○ 2008.4.24   「旅立ちの日の情景」

   ○ 2007.10.7   「本当にあった怖い話」



 他にも例えば 原左都子エッセイ集」“恋愛・男女カテゴリー”などもお勧めです。

 特に開設初期の頃には、オピニオン公開ではなく、我が過去の長き独身時代に於ける幾多の(??)恋愛経験(国際恋愛も含め)に基づく心情を素直に語ったエッセイを、数多く公開しております。

 私の留守中に読者の皆様にはこっそりとお読み頂き、 「何だ、この不埒な奴は!」 などとのバッシング感想を抱いて頂けたならば本望と心得ます。



 それでは無事に帰国した暁には、皆様と再度この画面にてお目にかかれますことを楽しみに、イタリアへ出発致します!

太陽系 「第9惑星」 発見? の壮大なロマン

2016年01月23日 | 学問・研究
 私は、プラネタリウム映像を観賞するのが好きだ。

 趣味と言うには程遠いが、リクライニングシートにゆったりと身を委ねて室内天空に映し出される宇宙の映像を短時間なりとも観賞出来る、あの時空間を好んでいる。
 私にとってのプラネタリウムとは、一時であれ、現世に於いて地球上で繰り返される愚かな争いの馬鹿さ加減を超越可能な世界へ誘ってくれ、科学の進化・発展を目の当たりに出来る時空間と表現出来よう。 


 さて一昨日の1月21日、そんな私は「太陽系に9番目の惑星か?」なるメディア報道に引き込まれた。
 早速、ネット情報より上記のニュースを要約引用しよう。

 【ワシントン=共同】米カリフォルニア工科大のマイク・ブラウン博士らの研究チームは20日、海王星の外側に新たな惑星が存在する可能性があると発表した。 太陽系外縁部にある天体の軌道を分析した結果、分かったという。 実際に観測によって見つかると、準惑星に「格下げ」となった冥王星に代わり太陽系の第9惑星になると期待される。
 チームは米メディアに対し「五年以内には望遠鏡で発見されるのではないか」と予測を示している。
 チームによると、惑星は地球の十倍程度の質量があり、太陽から海王星までの平均距離(約四十五億キロ)の二十倍遠い軌道を回っている。 太陽の周りを一周するのに一万~二万年かかるという。 木星や土星などと同じガス惑星とみられる。
 チームは、無数の天体が密集する太陽系外縁部の「カイパーベルト」と呼ばれる領域の周辺にある六個の天体に注目。太陽の周りを回るスピードや、軌道の傾きなどから計算すると、これらの天体の動きが、大きな質量を持つ未知の天体の影響を受けていることが分かり、新たな惑星が存在すると理論的に示した。
 宇宙科学に詳しい的川泰宣(やすのり)・宇宙航空研究開発機構名誉教授の話  太陽系の外縁部に第九の惑星があるのではないかという指摘は以前から繰り返されているが、観測や第三者の再計算によって確かめられてはいない。 そうした惑星があってもおかしくないし、あれば、太陽系の成り立ちを解明するのに非常に大きな一石を投じることになるので面白い。
 米カリフォルニア大が二十日に理論的に存在を指摘した新天体は、質量も地球の十倍近くあるとみられ、実際に観測で発見されれば惑星と認定される可能性が高い。
 冥王星が準惑星に格下げされたのは、質量の小ささに加え、同程度の天体が相次いで見つかり、周囲にある天体に埋もれてしまう程度の大きさしかないと判明したのが理由だ。 
 今回の新天体の大きさは不明だが、米メディアによると、海王星ほどの大きさになり、地球の月のような衛星も持っている可能性があるという。 (ワシントン・共同)


 次にウィキペディアより、「太陽系」に関して現在までに判明したり議論されている科学的認識に関する情報を要約引用しよう。

 太陽系とは、太陽および太陽の周囲を公転する天体(惑星系)と微粒子、さらに太陽活動が環境を決定する主要因となる空間から構成される領域をいう。
 太陽の周囲を公転する天体には、現在確認されているだけで8個の惑星、5個の準惑星、多数の太陽系小天体がある。 太陽系のうち、地球型惑星である火星が位置するまでの領域を内太陽系、それより外側の領域を外太陽系と呼称する場合がある。

 太陽は、約10万光年の直径を持つ銀河系と呼ばれる銀河を構成する約2000億個の恒星の一つである。 銀河系の中ではオリオン腕に位置する。
 太陽系とは、太陽の重力の影響によって構成される天体の集団のことであり、太陽はその中央に位置している。銀河系の中で太陽は典型的な恒星の一つであると考えられている。

 地球が宇宙の中心ではなく、他の惑星と同様に太陽の周りを公転しているという地動説が受け入れられるようになったのは16世紀から17世紀にかけてのことである。 太陽系を構成する天体のうち、当時知られていたのは太陽と6個の惑星(水星、金星、地球、火星、木星、土星)、地球の衛星である月、そして木星の4個の衛星(ガリレオ衛星)のみだった。
 それから300年ほどの間に、2個の惑星(天王星、海王星)、約20個の衛星、数百個の小惑星が発見された。 天王星と海王星の軌道が計算と一致しないことから「惑星X」の存在が予想され、捜索が始まった。 1930年に冥王星が発見され第9番目の惑星とされたが、海王星の摂動を説明するには冥王星の質量が小さすぎる事(後に海王星自体の質量推定を間違えたための計算ミスであったと判明)から「惑星X」の捜索は尚も続けられた。

 20世紀終盤からは海王星より外側のエッジワース・カイパーベルトと呼ばれる領域で、かつて想定されていた惑星Xほどではないが比較的大きな天体が続々と発見され始めた。 
 21世紀に入ってから発見されたクワオワーやセドナなどは第10番惑星として報道された事もあるが、いずれも冥王星より小さかったり極端な楕円軌道だったりするため正式に惑星としては認められなかった。 しかし2005年1月に至って、ついに冥王星より大きいエリス(仮符号:2003 UB313)が発見された。
 2006年8月24日のIAU総会で、惑星の定義を確定することが議題となった。 結果として冥王星が惑星という分類からはずれ、新しく定義された準惑星に含まれることとなった。
 日本学術会議は、2007年4月9日の対外報告(第一報告)において前年のIAU総会で決まった新たな分類の日本語名称を提言し、同6月21日の第二報告で新しい太陽系の全体像を示した。
 (以上、ウィキペディア情報より一部を要約引用。)


 最後に、原左都子の私論を語ろう。
 
 まさに太陽系の一番端っこに新たな惑星が存在するとのニュースは劇的だ。
 しかも今回発見されたらしき新惑星とは、その“巨大さ”が特徴の様子である。 実際にその存在が近き未来に於いて実証されたものならば、「冥王星」の小さき存在に右往左往されて来た太陽系に関する宇宙科学史など吹っ飛び、新惑星こそが“太陽系第9惑星”として日の目を見る事であろう。

 米カリフォルニア大学チームが“太陽系第9惑星”として新惑星存在との仮説を導いた理由こそを、私も支持したい。
 何でも、太陽系が太陽系として総合的に成り立つためには、その一番外側に巨大惑星の存在が必然的であったとの報道だ。(私の認識に誤りがあったらお詫びするが。)
 太陽系に属する天体達が軌道上に存在するためには、大きな質量を持つ新たな惑星が存在し太陽の一番外側の周囲を回る実態無くして太陽系が成り立たないとの発想が、元々科学者達にあったとの報道だ。

 これぞ凄い。
 まさに科学の業とは、その分野にかかわりなく地道な「仮説・検証」の繰り返しで成り立っているのだ!

 日本の科学者達も米国の報道を受け、「もし本当に『第9惑星』が観測によって見つかれば、なぜそこに惑星が存在し得るのかという新たな謎が生まれるし、太陽系の規模や成り立ちそのものが問い直されることになるだろう」と指摘した上で、「こうした予測が出ること自体、太陽系は実はとても広く、まだまだ分かっていないことだらけだということを示している」と話しているとの事だ。

 引き続き、今後の宇宙科学者達の精進に期待したいものだ。
 科学者達の日々の弛まぬ研究努力こそが世界に生きる人々の希望を産み出し、ひいては世界人民をグローバル、ユニバーサルな観点から物事を議論可能な人材に育成する事に貢献するであろう。

 その結果、世界規模で馬鹿げた争いが撲滅される事態へと繋がるものと、私は信じている。

明日は我が身も “認知症”?!?

2016年01月21日 | 医学・医療・介護
 現在高齢者有料介護施設に暮らす義母に認知症状が出現し始めた事態に保証人の立場で気付いてから、既に3年程の年月が流れている。

 ここのところ認知症状の進み具合が急速化しているのを懸念しつつも、あくまでも義母の人格と主体性を尊重しつつ、施設のケアマネジャー氏とも話し合いを持ちながら対応に当たっている。
 
 本日は義母の耳鼻科受診の日だ。(このエッセイを執筆中の今頃、義母は一人で受診しているはずなのだが…)
 当初私がそれに付き添う予定だった。 が、義母がそれを申し訳なく思う気持ちと、耳鼻科の帰り道に一人で買物をしたい意向が強く、どうしても一人で耳鼻科に行きたいとの希望を提示し、それに沿う決断を下した。
 もちろんケアマネ氏と十分に話し合っての結論だ。 義母が入居している有料施設は入居者に対する対応に細心の留意を払うシステムが完璧であるのに加え、何らかの問題が発生しそうな時には、必ずや即刻電話にて保証人に連絡が入る体制が整っている。
 今回の耳鼻科受診のための義母の単独外出に関しても、ケアマネ氏と重々話し合った。 結果として義母の希望を一番に尊重するとの方針で両者が合意したのだが、さて、無事に施設へ帰宅する事が叶うか否か…  
 (実際、本日もしも義母が道中転倒してまたもや骨折でもしたものならば、来週出発を予定している我がイタリア旅行を取り消さねばならない厳しい事態となろう…) 


 私は元々医学関係者である事が幸いして、義母の「認知症」に関し日々冷静な対応が可能と自負している。

 認知症に限らず、精神疾患の一つである「統合失調症」、あるいは「鬱病」等に於いても同様だが、それらの症状に陥った患者氏達と言えども、各個人が呈する症状とはそれぞれの人格に基づき醸し出されるものだ。 従って必ずやその病状も人それぞれに個性豊かであり、千差万別であることを元々理解出来ているつもりである。
 ところがそんな私にとって信じ難いのは、たとえば我が亭主ですら、「母(義母)は認知症でない!」と今に至って言い張りたい様子であるところだ。 
 実息子として母を思うその気持ちは分かるが、ちょっと待ってもらおう。 私としては医学の本来の存在意義を理解して欲しいのだ。 真に医学が目指す方向とは、(特に精神疾患の場合)患者本人の病状に寄り添いつつ、個々に人格が異なる一人一人に対応する事に他ならない。
 その前提として、義母が認知症状を呈している事実を実の息子である亭主には是非共受け入れてもらわざるを得ない。 それに苦慮した結果、我が亭主も少しだけ自分の母に認知症状が出ている事を理解し始めたところとも言えよう。


 さて、1月16日付朝日新聞 別刷「be」 “between”のテーマは、「自分も認知症になると思う?」だった。
 それに対する朝日新聞読者の回答とは、 「はい」が75%、「いいえ」が25% との結果だ。
 それぞれの回答理由を以下に紹介しよう。

 まずは 「はい」から。
  (自分自身に既に)物忘れ、判断力の低下がある。   誰がなってもおかしくない。
  メディアで話題だから気になる。    年齢的にありうる。  家系的に心配。
  糖尿病等生活習慣病が心配。  なりやすい職業、性格と言われた。

 次に 「いいえ」から。
  年をとれば脳の衰えは当然。   家族や周囲に患者がいない。  兆候がない。
  若いから考えたことがない。   予防を行っている。

 上記の読者アンサーを受けて、 早速、原左都子の私事と私見に入ろう。

 私自身も、還暦過ぎた身にして物忘れ・判断力の低下の気配がある事を気にしているし、歳を取れば脳の衰えが必然的であろうとも自覚している。  更には我が血縁家族には患者がいない事が幸いし、家系的(DNA的)に心配はないのではないかとも密かに安心してもいる。
 それでも私は、その兆候がないからといって油断してはいない。 更には予防を行っていると言う人が如何なる予防を実施しているのか、伝授して欲しい思いもある。

 一番心配なのは、自分には 「兆候がない」 と言い切っている楽天派の回答だ。
 私論としては、この種の単細胞人種ほど実は自身の老化に気付かず、家族や身内に一番迷惑を掛けるはめとなるのではないかと懸念する。 (義母が多少これに該当するようにも感じている…)
 やはり人間とは、若き時代より自身に対して客観的に「総合判断」可能なバックグラウンドを育成・成就するべく一生に渡り努力・精進を重ねて来ない事には、いずれ痴呆症に苛まれるのではないかと危惧するのだ。


 最後に、当該朝日新聞記事内で「まず(認知症の)現実を知ろう」との正統派の読者意見が記されているため、それを要約して紹介しよう。

 認知症といっても症状や状態は様々。 過ごした人生の色だけ症状は違う。 認知症を十把一絡げにくくってはいけない。 
 認知症になれば、何も出来なくなり感情も失われると思われがちだ。 ところが、喜怒哀楽など人間の本質にかかわる部分は何も変わらない。  (認知症の)祖母はいつも祖父に「ありがとう」を口にして周囲にも好かれ、尊敬する。

 今の私自身も、まさにその通りだ。
 何故私が痴呆症状が進みつつある“血縁のない”義母の世話を進んで出来るかと言えば、これぞ、義母が嫁である私に対する礼儀を今のところは失っていないからに他ならない。
 義母は私に会うと、いつも口癖のように私に告げる。 「○子さん(私のこと)だけが今の私の頼りなの。これからもよろしくお願いします。」

 ただ今後義母の認知力がさらに低下した暁に、介護に臨んだ私を見て「あなた誰なの?」と義母が言い始めた暁に至って、今まで通りの介護を達成可能か否かについての自信は残念ながら無い… 

 それ程までに、認知症高齢者の介護とは過酷であろう事も想像が付いている。


 - P.S. -

 このエッセイを綴り終えたつい先ほど、義母より私宛に「耳鼻科から介護施設へ無事に帰宅出来ました」との電話連絡が入った。 ひとまず、心より安堵した我が一家だ。

都心が大雪の日は、思い切って仕事も学校も休もうよ

2016年01月18日 | 時事論評
 本日1月18日朝、本州の南岸を急速に発達しながら北上する低気圧の影響で、東京都心など関東地方の平野部でも雪が積もった。 

 東京都心の積雪は今冬初めて。18日朝は都心で最大6センチ、横浜市でも5センチに達した。 午前11時までの24時間の降雪量は、山梨県富士河口湖町で40センチ、埼玉県秩父市で34センチ、前橋市で20センチ、宇都宮市で6センチ。
 この大雪の影響を受け、首都圏の鉄道は始発からダイヤが大幅に乱れた。 JRは中央線快速や京浜東北線が一時全線で運転を見合わせた。 私鉄は京王線が一部区間で運転を見合わせるなど、各線で大幅な遅れや運休が相次いだ。 空の便では、日本航空が、東北の空港や東京・羽田空港発着便を中心に119便が欠航し、約9640人に影響。全日本空輸は30便が欠航、約3800人に影響した。
 (以上、朝日新聞ネット報道より一部を引用。)


 我が家の娘は、本日大学へ卒論を提出しに行く予定でいた。

 昨夜からの都心大雪予報を受け、私は娘に「提出期限に余裕があるのならば、明日は大学へ行くのを控えたら」なるアドバイスをいていた。 (来週イタリア旅行を控えている事もあり、今更雪道で転んで骨折でもされたものなら大変!)なる下心があったのも確かだが…
 ただ昨夜の時点ではまだ雪が降っていなかったとの理由が大きいが、娘の意向としては「ゼミ担当教授と明日卒論提出のアポを取っているし、たとえ雪が積もろうが思い切って明日提出してくる」と母の私に伝える。

 さて、朝目覚め窓のカーテンを開けてみると…
 集合住宅上階にある我が家のベランダ前面に広がっていたのは、雪また雪の大海原パノラマである! (絵文字は大嘘だが、事実我が家のベランダ前面には低層住宅地が密集している事が幸いし、都心にして6km先の新宿超高層ビル群まで見渡せる展望の良さなのだ。)
 一瞬にして、「こりゃ、可愛い娘を外出させる訳にはいかない。」 と判断した私は、まだ寝ている娘にその旨指導した。
 サリバンの指令には従順な娘が眠い目をこすりつつ外の雪景色を一見して、「うん。指導教授にアポ取り消しのメールをする」との事で、娘がイタリア旅行前に雪道で転ぶ事態は回避出来た。
 その後遅ればせながら、娘の大学からも「本日雪のため休学」なるメールが娘宛に届き、私の判断が誤っていないことが証明されホッとしたものだ。


 私事に入ろう。

 南国育ちの私自身が、上京後、毎年必ず1度や2度都心に積もる雪に難儀し翻弄され続けている。
 東京にて最大大雪の時には30~40㎝積もった事も経験している。 それでも勤務している仕事場へ行かねばならない。 あれほど私にとって高いハードルだったことは無いと言って過言でない。

 何分生まれ持って雪道を歩いた経験が無いに等しいのに加え、雪道歩行用の靴を買うとの発想も一切ない。 そうして私は普段愛用しているハイヒールパンプスの中でも低いものを選んで仕事場へ出かけるのだが、必ずや雪道で滑って転ぶ。  幸いな事には若さ故に骨折は免れたものの、私にとってはこんな都心の人目につく場で転ぶ姿を披露せねばならない事態こそが、大いなる屈辱だったものだ。

 そんな私を職場の仲間(特に雪国出身の友達)がせせら笑い、後ろ指をさした。 「そんな靴で雪道を歩けると思っている方が間違いだよ!」と。
 それでも当時の私には譲れないファッションポリシーがあったのだ。(たとえ雪が降り積もろうと決して運動靴など履くものか!!)との…。 
 (参考のため、50歳過ぎてランニング趣味に目覚めて以降は運動靴を履く事に抵抗がなくなっているので、読者の皆様ご安心下さいますように。) 


 それにしても本日テレビ報道にて見せられた、大雪に見舞われた都心交通網の混乱具合は“殺人的”とも表現出来る程の混雑ぶりだった。

 私は本日午前中にそれら映像を一見して、5年前に勃発した東日本大震災時の帰宅難民でごった返す都心の大混乱風景を思い起こしたのだ。

 しかも昨日は阪神淡路大震災発生以降、21回忌であったとも心得ている。
 昨日夜9時からNHKがその報道特集を放映した。 その内容とは要するに、我が身本位に身内を助けたい思いで個々人が公道へ車を走らせた事態が道路の大渋滞を招き、救急車も消防車もそこを通ることが叶わずに、助けられる人を助けられず死者数を増大させたとの報道であったと総括出来るであろう。

 その反省を東日本大震災が引き継ぐべきだった。 にもかかわらずそれも叶わず、大都会の我が家にても娘が通う高校から震災当日「必ず親が子供を迎えに来い!」なる指示を受けた事を、我が脳裏に辛くも思い起こした。
 私は自分の判断で、早期に娘を学校に留まらせるべきとの選択をしていた。 ところが、当時娘を迎えに行かなかった保護者は学校側から暗に責められるはめと相成ったのだ。 (後に学校側も国の判断・指導に従い、今後の大災害時には生徒を学校に留める方針に訂正したが)、大震災時の客観的対応として、私の判断が正解だったと信じている。


 さて都心にて大雪が降った時の対応を、個人レベル、ひいては組織レベルで如何になすべきか?
 
 本日のテレビ報道映像を見て思う事がある。
 大都会東京都心にての映像とは、鉄道交通網が麻痺している現場に直面つつ、それの再開を待つ通勤者(通学者)で溢れているのだ。
 例えば昼のNHKニュースにて報道された渋谷駅など、未だに電車に乗れず雨が激しい外にまで長蛇の列を作り、電車に乗るために列内で素直に待っている風景が写し出された。

 どうしてそこまでしてでも、底辺庶民が職場(学校)へ行かねばならないのか?!?
 貴方達が生きるべく所在確認の場所がそこに結集しているとの確信があるのならばいざ知らないし、私が口出しする事でもない。
 ただ、大雪の中凍えながら昼まで列を作って並んで待って行くほどの価値ある職場(学校)なのかを、庶民達も今一度、自己の内心で辿って欲しい思いがするのだ。

 いやいや、それを確認するべきは彼らを雇っている(学生として入学させている)職場(学校)であり、それら組織こそが改善するべく課題であろう。
 都心に於いて大雪の際には、自分が雇い入れた(合格させた)職員(生徒・学生)達の安全を守るのも貴方達に課せられた使命ではなかろうか???

 大都会に於いて“大混雑”状態を作り上げる事自体が一番の凶器であり殺人的であり、国民大殺戮に繋がる事実を、社会の上層部こそが今一度認識するべきだ!
 その認識・意思無くして、貴方達の組織が長く続くとは私には到底思えないのだが…

“激安ツアー”で命を落とさないために…

2016年01月16日 | 時事論評
 11日後にイタリア個人旅行出発を控える身としては、昨日1月15日深夜軽井沢で発生したバス事故報道に出鼻をくじかれる思いだ。


 死亡した乗客の全員が大学生…。 偶然だがイタリアへ同行する我が娘と同年代の若者ばかり…
 おそらく娘と同じく「卒業旅行」の意味合いで、軽井沢までスキー旅行に出かけようと志した若者も乗車していた事であろう。
 さしあたり、亡くなった学生の皆さんのご冥福を祈ろう。


 明日は我が身か???  まったく他人事とは思えない事故だ。

 当該バスツアーは、“激安”だったらしい。 報道によれば、ツアー企画会社も小規模ならば、バス会社も同様に小規模。 特にバス会社は規定違反等により度々行政指導がなされる等、大いなる問題を内在していたこのことだ。
 しかもバス乗車客である学生達のスケジュールとは、夜行にて睡眠を取りながらバス移動後、一日スキーを楽しみ、またもや夜行にて東京まで帰宅するとの超ハードスケジュールだったとの報道だ。
 若さ故、無謀とも言えるそのハードスケジュールをこなせる体力があるのかもしれないが、そもそもその計画自体に無理はなかったのかどうか…   
 そしてたとえ学生旅行であれ、たとえ短い旅程とは言えども、20歳過ぎた成人であるならば、必ずやツアー企画会社の信頼度を調査・確認してからツアー申込をするべきだったのではないかと、酷ではあるが老婆心としては感じざるを得ない。
 

 実は我々母娘が出かけるイタリア旅行も、“激安”と言う程までではないが“格安”の部類だ。
 完全個人旅行であるが、某小規模旅行会社に航空便とホテル、そしてイタリア内移動特急列車の手配を依頼した。 昨日ちょうどその最終確認書面が自宅に到着し、この週末に娘と共に書類の“読み合わせ”を実施し出発に備える予定でいたところだ。

 今回のイタリアへの旅は娘の大学卒業旅行の意味合いで出かけるため、本来ならば、娘に旅程すべての計画・実行を依頼するべきだった。 
 ところが、やはり旅の安全を確保するのは親であるサリバンの役目と心得る。 (出過ぎた事は承知の上で)旅行会社の選定と申し込みは母である我が氏名に於いて実施した。 その後も小規模旅行会社担当者氏と幾度もメールのやり取りを繰り返し、その信頼性の程を探る作業もした。

 幸運な事には、今回我々が旅するイタリア旅行の航空会社は(国際線・国内線共に)アリタリア航空だが、過去に於いて大規模事故を発生させたとの情報はない。
 更には、ローマ・フィレンチェ間を移動する高速特急列車(日本の新幹線同様の列車)に関しても 事故発生の報道を今まで見聞していない。
 我々母娘の旅程ではバスを一切利用しないため、(昨日の軽井沢スキーツアー犠牲者の皆様には申し訳ない話だが)おそらく交通手段上の事故の確率は極小と判断可能であろう。

 そうなると後は個人行動中の盗難等に厳重留意さえすれば、(テロに遭遇せねば)何とか命を繋ぐことが可能と判断するのだ。


 それでも、昨日の死者14名を出したバスツアー報道を目の当たりにして、我々母娘は話し合った。
 
 もしもイタリアにて母娘両者共々死亡するような事故や事件に遭遇した場合、その後遺族に迷惑を掛けないために如何なる手段を採るべきかと。
 その結論とは、「イタリアにて火葬してもらい、焼け残った灰はイタリアの地に捨ててもらおう」だった。
 それは、一人残されるであろう我が亭主に配慮しての結論だったのだが…。
 何分、日頃手がかかる我が亭主だ。  海外旅行先で妻と娘が死んだとて、突然それを迎えに来いとイタリア日本領事館(大使館?)より電話がかかろうが、それを一人でこなせる訳もないと私は亭主に配慮してやったのだ。

 ところが本日それを亭主に話したところ、思わぬ反論が出た。 
 「他国で家族が死んだ場合、必ずや死者の本人確認を要するであろうから、どうしても自分がイタリアに出向かねばならないはずだ。 しかもイタリア国内で火葬してもらえるなど考えが甘過ぎる。 どうせ遺体を日本に航空便で移送して日本で火葬せねばならないだろう。 それを○子(私の事)達が契約している海外旅行保険金額内で賄えるといいが。」
 いやはや、こいつ(亭主の事だが)の冷静な判断の“一本勝ち”だ。
 でもさ~。  あんたねえ~~。  それを私に指南するより、今は「娘と共に無事に帰国しろよ」と言ってくれるのがあんたの仕事だろうが……    それをあんたに望む私が間違っていたかなあ。
 ただ我々夫婦はこういう具合にいつもぶつかり合いつつ、上手く機能しているとも考えられるから不思議だ。


 話題を “激安バスツアー”で命を落としたり大怪我をした学生達に戻そう。
 貴方達には、貴方達をかけがえのない存在として日々見守り心配しているご両親が存在する事だろう。
 “激安ツアー”を申し込む前に、もしも貴方達が死んだら悲しんでくれるご両親及び家族の皆様が存在する事を少し慮って欲しかったものだ。

 そして最後に、“激安ツアー”を企画した旅行会社、及びバス会社にもご意見しておこう。
 原左都子の感覚でも、確かに国内にてバス事故が起こる確率など極小と心得る。 ただ、それを遂行するべく専門業者がその“確率の低さ”を信じ、事故発生の危険性を軽視してどうなるのか!
 貴方達は、あくまでも旅行のプロフェッショナルであるべきだ!
 そのスタンスに今一度戻らない事には、何処の旅行会社も経営破たんとの自滅の道を辿るであろうと伝授したいものだ。

 今回のバス事故で貴方達が殺した学生達(著名大学の学生ばかりのようだが)の親族への賠償責任総額は、おそらく巨額に上るであろう…