原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

インドを旅行中です。

2008年10月27日 | お知らせ
 「原左都子エッセイ集」にご訪問いただきまして、誠にありがとうございます。



 本ブログの著者、原左都子は現在インドを旅行中です。



 11月3日(月)の帰国を予定しております。



 帰国後、ブログを再開する予定でおります。



 その間、もしお時間とご興味がございましたら、「原左都子エッセイ集」のバックナンバーをご覧いただけますと大変うれしく存じます。



 留守中にブログへのコメント及び原左都子へのメッセージ等を頂戴できましたらならば、帰国後必ずご返答申し上げます。


 
 それでは、また皆様とブログ上でお目にかかれますことを楽しみに、充実した旅を満喫して参ります。



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インドへの誘い( 伝統と先端科学との融合)

2008年10月24日 | 旅行・グルメ
 現在のインドは、寺院の象と集積回路、古代遺跡と原子力産業等、古いインドと若いインドが共存している国であることは、バックナンバー「インドへの誘(いざな)い PartⅠ」でも総論として少し綴った。

 私の28日(火)のインド旅行出発に向けて(名所旧跡は私が訪問予定の地の中から抜粋して)、今回の記事では各論を展開してみることにしよう。
(インド政府観光局発行のパンフレット等を参照)


 インド観光のハイライトといえば、何と言ってもアグラ市にある世界文化遺産「タージ・マハル」ではなかろうか。
 この「タージ・マハル」はイスラム建築の至宝とも言われ、大理石に宝石を散りばめて建造された白亜の霊廟である。ムガール帝国最盛期の第五皇帝シャー・ジャハーンは最愛の妃のために、帝国の財力を注ぎ込み22年の歳月を費やしてこの建物を築いた。この頃のアグラは、学問や芸術、商業、文化の中心地であり、熱狂的な建築熱に浮かされていた時代であった。今尚、この街はムガール時代の遺産が色濃く残されていると言う。狭い雑踏を通り抜けると、昔かたぎの職人が作品造りにいそしんでいる姿を目にすることができるらしい。
 インドの首都デリーの見どころのひとつ、「フマユーン廟」もこの「タージ・マハル」の影響を受けて造られているとのことである。

 大タール砂漠の外れに位置しラジャスタン地方の入り口であるジャイプールは、100年前にここを訪れた王子を歓迎するために、街中をピンク色に染めたのだそうだ。それ以来この街はピンク色のままだ。騎士道と武道の伝統が息づき、英雄と美女の伝説の地である。この街には荘厳な宮殿、色鮮やかなバザール、街を包み込んでそびえる城砦などがあり、さながら中世そのものだ。美しいハワ・マハル(風の宮殿)はやはりピンク色の高い建物である。シティ・パレスはムガール様式とラジャスタン風の建築様式が融合してできた建物であり、現在ではジャイプール王朝を物語る品々を展示した博物館となっている。
 (個人的には、私が幼い頃から今に至るまで一番好きな色である “ピンク色” に染められた街を一目見てみたい思いだ。 そして、ジャイプールの宮殿ホテル“ラージパレス”での宿泊がとても楽しみでもあります!)


 さて、インドの先端科学に話を移そう。

 インドは現在、IT大国としてその名を世界に轟かせ始めている。
 今や、IT産業が集中するアメリカ西部のシリコンバレーで働くソフトウェア技術者の約15%、30万人がインド出身者だと言われている。この傾向は1980年代頃から始まっている。1990年代にアメリカのITバブルがはじけた時に、多くのインド人技術者が帰国し、アメリカや世界のIT企業で成功した企業家達がインドに進出して技術者達の受入先となった。
 インドの算数、数学の教育力も今や世界で名立たる存在となり、その成果の下に高い技術力を持った人材が豊富で、インドのIT産業は発展し世界有数のIT大国に成長しつつある。
 日本に対するIT輸出シェアも急速に伸びている。
 こうしたIT技術の発展により、人工衛星や宇宙技術、スーパーコンピュータ、遺伝子科学、医学、等の科学技術のさらなる発展を目指す新しいインドである。


 その他、例えばインドのファッションにおいても新風が吹いている。
 インドの「サリー」はインド女性にとって代表的なファッションであり長い伝統を誇る民族衣装である。世界一シンプルで優美、しかも機能性に富んだドレスであると言われている。
 ここ1、2年日本でも女性の間で流行中のエスニック風のチュニックなど、原型はこの「サリー」であろう。(私も普段、愛用しているのだが。)
 インドの伝統の多彩さを織り込んだこの「サリー」にも私の興味は尽きない。


 まだまだ悠久の大地インドへの思いは尽きないのであるが、今日はこれ位にして、そろそろ旅行準備のためスーツケースを押入れから取り出そうかな。
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恋の結実と別離の狭間

2008年10月22日 | 恋愛・男女関係
 (もし、ロミオとジュリエットが死ななかったら、その後どうなっていただろう。所定の目的を達して結ばれたと考えるべきなのだろうが、突然酔いが覚めるように気が変わり、ついには別れてしまったということだって考えられなくはない。)

 上記の書き出しで始まる朝日新聞10月15日(水)朝刊の、沢木耕太郎氏によるコラム記事「銀の街から」の今回のエッセイ “ロミオたちの哀切な「その後」” に私はついつい惹き込まれた。

 早速、沢木氏によるこのエッセイの続きを、抜粋、要約して以下に紹介しよう。

 結ばれたか、別れてしまったか。だが、それ以外の道は考えられないだろうか?
 中国映画「初恋の想い出」は、生き残ってしまったロミオとジュリエットの「その後」の物語だと言えるかもしれない。この中国版のロミオとジュリエットが結果的に選択することになる「第三の道」は、そこに至る心の軌跡が十分に理解できる哀切な「その後」となっている。
         (    中    略     )
 一途に恋するホウジアとチーランの悲劇の恋愛は、二人の背負った宿命によって引き裂かれようとする。「死」を口にしはじめたチーラン。そして、ある日二人は侘しいラブホテルで初めての時を過ごした後、薬を飲もうとするが飲み切れない。
 大学を卒業した二人は、やがて離れ離れになる。ホウジアはアメリカに留学し、チーランは地元の会社に勤める。最初のうちは連絡を取り続けているが、小さな出来事をきっかけに音信が途絶えてしまう…。
 これによく似た同監督による映画「故郷の香り」では、その結果それぞれが別の家庭を持つ事になるのだが、この「初恋の想い出」ではそのような単純な展開になっていかない。なぜなら、そこには「家」というより「肉親」が介在してくるからだ。異性への「愛」と肉親への「情」がせめぎ合うことによりさらに複雑さを増していく。
 最後は二人が夢のような儚い行為をするところで終わっている。これをある種のハッピーエンドと取るか、究極のアンハッピーエンドと取るか。そこには、観客の側の「愛」と「情」というものへの考え方をあぶり出す、試験紙のようなものが含まれているようにも思われる。
 (以上、沢木氏のコラム記事より抜粋、要約)


 私は、フォ・ジェンチイ監督によるこの「初恋の想い出」も、同「故郷の香り」も観ていないのだが、この二人のその後が気にかかる。二人が最後にした夢のような儚い行為とは一体何であったのか。映画を観ずして、私なりに二人の「その後」、ひいては一般的な人々の恋愛の行方を追ってみることにしよう。

 恋愛の結末とは多様であろうと私も考える。
 ロミオとジュリエットのように、宿命に翻弄された結果「死」に陥ってしまうような究極の悲恋もあろう。
 この世紀の大恋愛物語は別としても、沢木氏が述べられているように、恋愛の結末とは結ばれるか別れるかのみではなく、それ以外の選択肢があってもいい。そして現実的に、恋する二人が無意識のうちにその二者以外の道を選択している事例は実は多いのではなかろうかと私は思うのである。

 あまりよい例ではないのだが、例えば「結婚」などというものは、“恋愛”としてはとうの昔に終焉している場合が多いのではなかろうか。それでも形の上での二人の関係は続いている。これなども一種、結実と別離の狭間に位置する関係と考えられる。

 もっと話にロマンを持たせて、ホウジアとチーランのような若い二人の純粋な恋愛関係における、結実でも別離でもない恋の結末に思いを馳せてみよう。
 結ばれもせず、別れもせず、恋愛感情を維持し続けたまま二人の関係を続ける事は可能だと私も思う。 例えば、友人として人間としての付き合いを続ける等…。私自身、過去から現在に至るまでこういう経験は何度もありそうなのだが、これは恋愛感情が消え失せていないうちは相当の欲求不満を伴う業でもあろう。

 ホウジアとチーランの「その後」は“哀切”であるということなので、こういうよくあるような単純な話ではなさそうである。
 肉親の介在、「愛」と「情」とのせめぎあいの中でホウジアとチーランの二人が選んだ恋の結末とは…。 


 興味を持たれた方は、是非実際に映画をご覧下さい。現在各地で順次公開中のようです。私もインドから帰国後、まだ上映されていて機会があれば映画館を訪れることにしましょう。(決して、映画配給会社の回し者ではございません。) 
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転がる石

2008年10月20日 | 雑記
    十五は 胸を患って
    咳きこむたびに 血を吐いた
    十六 父の夢こわし
    軟派の道を こころざす
    
    十七 本を読むばかり 
    愛することも 臆病で
    十八 家出の夢をみて
    こっそり手紙 書きつづけ


    転がる石は どこへ行く
    転がる石は 坂まかせ
    どうせ転げて 行くのなら
    親の知らない 遠い場所

    怒りを持てば 夢破れ
    昂りさえも 鎮めつつ
    はしゃいで生きる 青春は
    俺にはないと 思ってた
    
    迷わぬけれど このままじゃ
    苔にまみれた 石になる
    石なら石で 思い切り  
    転げてみると 考えた
     (以下略)

 上記の詩は、07年8月に70歳で亡くなった作家阿久悠氏の「自伝ソング」であるらしい。02年に歌手の石川さゆり氏が歌い、発表している。


 さて今回の私のブログ記事では、突如として話はインドから淡路島へと飛ぶ。

 阿久悠氏は兵庫県の淡路島の出身である。にもかかわらず、本人曰く“淡路島を意識した歌はひとつもない” らしく、小説「瀬戸内少年野球団」でさえ“舞台が淡路島である必然性はなかった” とのことである。
 “故郷からは意識して逃げ回ってきた。風土という言葉のうち、土の部分が嫌いでね。東京がいい。土のない人がたくさん歩いている。” と1992年のインタビューで阿久悠氏は応えている。
 このように故郷の歌を残さなかった阿久悠氏だが、淡路島を舞台にした自伝的な小説をいくつも残しているという。
 01年、癌闘病中に長編小説「転がる石」を出版し、手術が成功した後に初めて書いた歌の一つが上記の詩「転がる石」だそうだ。
 郷里の淡路島の書店の壁には次のように応えた阿久悠氏のインタビュー記事が貼られているという。“淡路島の風景、情景とかいったものが、僕の精神形成の基本になったことは間違いないでしょうね。” そして、阿久悠氏が76年から構えた静岡県伊東市の高台の別荘から見下ろす相模灘は、淡路島の穏やかな海にそっくりだそうだ。
 (以上、朝日新聞10月18日(土)別刷記事「うたの旅人」“故郷の歌を残さなかった”より抜粋、要約。)


 私は淡路島に程近い地方の出身で、子ども時代、淡路島を対岸から眺めて暮らしている。
 そんな地方から東京に出てきて“転がる石” となっている私に、この阿久悠氏による「転がる石」は重なる心象風景として訴えてくるものがある。
 胸も患わず、父の夢も特に壊さず、決して愛に臆病でもなく、家出した訳でもなく、はしゃいで生きる青春を十分に全うした私ではあるが、そんな私も“故郷の歌は残さない”人種であるような気がする。 風土のうち「土」の部分が嫌いだという阿久悠氏の感覚も理解できる気がする私は、同様に東京がいい。
 土のない人がたくさん歩いている東京で、“石なら石で思い切り転げて生きよう” としている私にも、実は潜在的に故郷の原風景があって、私の精神形成の基本になっているのであろうか、とふと考えたりもする。


 来週インドへ旅立って、日々石として転げながら暮らす東京からも故郷からも一時心がトリップすると、何が私の原風景なのか、ほんの少しだけ見えそうな気もする。
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インドへの誘(いざな)い PartⅠ

2008年10月18日 | 旅行・グルメ
 昨日10月17日は私の○○回目の誕生日だったのだが、折りしも“インド旅行”というビッグプレゼントが舞い込んで来た。
 先だって一旦諦めかけていた旅行を、やはり決行することになったのだ。

 10月28日の出発予定で、昨日インドビザ発給センターへ行ってビザの取得申請をしてきた。
 
 今回の旅行の第一目的は、知人の美術家C氏(女性)がこの度インドで美術賞を受賞されたため、観光も兼ねてその授賞式典に出席するのにお供するものだ。お供とは言えども何の役にも立たない足手まといの私なのだが、この機会にまんまと便乗させていただき、初めて訪れるインドをsightseeingしてこようという魂胆である。


 たまたま来週インドの首相が来日するのに伴い、ビザ発給センターが来週何日間か閉鎖されるとのことだ。そのため、昨日午後申請分のビザは27日の17時30分以降の発給とのことで、28日早朝出発の旅にギリギリセーフで間に合うこととなった。 

 インド入国のビザ発給に当たっての審査は厳しいという情報をあらかじめ得てはいたのだか、確かに厳しい。私の方は単なるお供のため、旅行目的がTourismの申請で何ら問題なかったのだが、美術家C氏の方は旅行目的が美術賞受賞式典への招待ということで審査が手間取った。決して業務活動はしないという趣旨の誓約書のようなものを自作の英文で書き提出することを命じられた。このいきなりの難題を突破してC氏にもビザは発給されることとなった。


 さて出発に先立ちこのブログの場を利用して、インドという国について予習し、私なりに予備知識を得て出発に備えよう。(インド政府観光局作成のパンフレットを参照)
 本日は、まず総論からスタートしよう。

 インドは世界最古のインダス文明に続く5千年の歴史を持つ広大な国だ。
 国土は日本の約10倍で、327万平方キロメートル。
 人口は約10億2千万人で世界第2位。
 公用語はヒンズー語で、英語が準公用語。 
 
 北には世界の最高峰ヒマラヤ山脈がそびえ、南にはインド洋、ベンガル湾、アラビア海の3つの海に囲まれた悠久の大地である。西にはタール砂漠、東にはスンダルバンの森、そして中央のデカン高原に広がる肥沃な土地は、野生動物の宝庫としても知られている。
 
 さまざまな地形と文化が混在するこの国にはいくつもの宗教と伝統が生まれた。インドの歴史はヒンズー教が確立された紀元前3200年にまで遡る。そして、現在では仏教、ジャイナ教、シーク教、キリスト教、イスラム教等の多宗教がこの国に混在している。

 昔ながらの生活様式を守る少数部族と都会で洗練された暮らしを営む上流階級、寺院の象と集積回路、古代遺跡と原子力産業、このように古いインドと若いインドが共存する国、これが近代インドの姿である。


 フランスの作家、ロマン・ローランはこう言った。
 
    人類が生活するという夢を
    見始めた大昔の頃から、
    全ての人間がこの地上に
    一つの憩いの場を見つけたとすれば、
    それはインドである。               
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