原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ネット通販のウィッグ騒動、理想的な形で決着しました!!

2024年07月23日 | 自己実現
 本エッセイ集において、2024.07.19付で「朝からとことん『ウィッグ騒動』に翻弄される日だ…」と題するバックナンバーを公開したが。



 これが、驚くほどに理想的な決着をみた!!

 昨夜パソコンのメールを開いてみると、当該ウィッグを販売している通販企業よりご丁寧な返信が到着していた。
 その内容を思い出すままに要約すると、「この度は、我が社が取り扱っているウィッグに関して 商品ご返送いただきましてありがとうございました。 お約束通り、ウィッグ代金は頂きません。」
 その種の内容のメールが到着して、この件は私の希望通りに決着した。


 私もおそらくネット通販を頻繁に利用している人間であると想像するが。

 今回の事例のような経験は、初めてである。
 今回の場合、とにかく商品の代金が高額(とは言ってもたかが2万円少しの商品)だったが。

 いえいえ、到着した商品(ウィッグに限らず、衣類、靴、鞄等々に其の事例が多い)が気に入らない!との経験はもちろん星の数ほどある。
 ただそれらの商品の価格とは、せいぜい数千円どまりだ。
 そうした場合、大騒ぎするより自分の“商品選択ミス”と捉えて廃棄処分して諦めるのが通常だった。


 今回のウィッグに関しては、私なりの大いなるこだわりがあった。

 とにかく、40歳時に「頭部皮膚癌」を患い、一生に渡ってウィッグのお世話にならざるを得ない身だ。

 40歳時から現在までに、完全オーダーにて制作したウィッグ(価格 数十万円)や、市販のウィッグをどれ程購入して来たことであろう。 総額で数百万円をウィッグに投資してきている事実に関してはバックナンバーにて幾度も述べている。)

 高齢域に入って、ありがたい事に世が“ウィッグがすっかり市民権を得る時代”となり。 その現象に比例して ウィッグ取扱業者が(世界規模で)急増すると同時に、その価格が大幅に下がる現象が起きた!

 これは、私にとってはラッキー以外の何物でもない!
 急いで今まで利用していた国内最大手のウィッグ企業(A社)との縁を切り。(とは言っても、未だに電話セールスが後を絶たないのだが無視を決め込んでいる!)、ネット通販に切り替えた!


 当初、私の判断で利用したネット通販にて中国の「ウィッグ企業」から送られてきたウィッグが。 なんと! 私が欲しかった理想とするウィッグだったのだ!!
 その作りのハイレベルさに驚かされ、その後何本もまとめ買いをさせていただくこと相成った。  (というのもウィッグ1本1本の全てが手作り製品のため、どうしても各商品ごとの個別差が出るのはやむを得ないだろう。 中には使い物にならない商品もあった。  ただし、 何分国内大手A社商品と比較すると価格がまさに30分の1であるため、その事態すら“必要悪”との解釈で済ませられた。)



 とにもかくにも、我が今回のウィッグ騒動は昨日完全に理想的決着をみた。

 某中国ウィッグ企業、及び、国内にてその商品を取り扱っている通販企業の今回の我が返品騒動に於ける “理想的な形での決着"に。

 心より、御礼申し上げます!!


再掲載「誰にでもついて行く女」

2024年07月22日 | 人間関係
「原左都子エッセイ集」4本前の2014.5.16バックナンバーに於いて、「“みんな主義派 V.S “人間関係こだわり派”」と題するエッセイを綴り公開した。

 上記エッセイは、私がペンネーム「原左都子」名で登録しているFacebook上の友達(通称)mito氏とのチャットやり取りをエッセイにまとめて公開した内容である。
 mito氏が当該エッセイをFacebook上でリンクして下さったお陰で、このバックナンバーにはその後数多くのアクセスを頂戴している。 その現象に、この世には人間関係で苦悩する市民の数多さを再確認させられる思いでもある。
(参考のためここでmito氏の略歴を述べるならば、東大ご出身、現役大学教授であられる。)


 さてその後、Facebook上でmito氏及び当該エッセイにコメントを頂いたmito氏のご友人との間で、チャットはまだ続いた。
 この内容こそが今回のエッセイを綴るきっかけとなったため、以下にその一部を紹介させていただこう。

 原左都子
 mitoさんと原左都子との関係とは実におもしろい♪のです。 そもそも知り合ったきっかけキーワードが「70年代ディスコサウンド」であり、お互い実際にディスコダンスを踊り合ったのが最初の出会いでした。 私にとってはこの突拍子もない出会いが最高だったとも言えます。 その後Facebookに場を移して後は、お互いに自由議論が成り立っていると私は解釈しております。

 mitoさん
ネットの醍醐味ですね。
ぼくは、ディスコダンスを教えてあげるつもりで、
たまたま見つけた原さんのディスコ音楽のブログ書き込みに、
某ディスコ大会へのお誘いをレスしました。
本当に来てくださいました。
と、その前に、ディスコについては、
彼女はクィーンであることを身に知らされました。
ほんと、かっこよかったです。
ぼくは昔から、ステップを教えるのは上手なんですが、
自分が踊るのは下手くそなんです。
ぼくらの若い頃は、
ディスコで上手に踊ってる女の子は、
みんなかっこ良くて、
高嶺の花でした。
それよりは若い世代ですが、
原さんはそういう女性だったのです。
僕らが淡く憧れていた不良少女だったかどうかは、
まだ聞いておりません。(笑)

 原左都子
 mitoさんは私より少し早く70年代ディスコデビューされたようですが、好きなディスコナンバーがかぶっていて都内某所では何曲も一緒に踊りました!
 mitoさん、私が不良少女だったかどうかは不明(と言うよりヒ・ミ・ツ)ですが、長い独身時代を通じてずっと主体的に「自由人」を貫いたのは確かです。♪♪
 (以上、Facebook上でのmito氏とのやり取りのうち、原左都子にとって“都合のいい部分”のみをちゃっかり引用したもの)


 さて、今回のエッセイ本題に入ろう。

 「恋愛・男女カテゴリー」に位置付けた本エッセイに於いては、要するに、mitoさんよりの上記Facebookご質問に回答するべく、原左都子がこと“男関係”に於いて、「不良少女」だったか否かに関して自ら論評せんとするものである。

 結論から言うと、上記mitoさん宛の返答内でも述べているように、(私自身の解釈では)あくまでも独身時代は「自由人」を貫いただけの話で、決して「不良少女」ではなかったと自己分析している。


 ここから、原左都子若かりし時代の私事を語ろう。

 新卒入社で東京に本社を有する民間会社(参考のため現在東証一部上場企業)に、私は医学専門社員として勤務していた。
 その当初まさに時代が70年代後半期であり、私は週末には新宿・六本木等々のディスコへ会社の女性友人らと共に通い詰めていたとも表現できるであろう。 
 元々ダンス好きの私はディスコの最前列にしゃしゃり出て、得意のダンスを披露したものだ♪ そんな私に目を付ける男性ディスコ客が多かったのも事実だ。  ただし、元々客観力が取り柄の私としては、必ずや声をかけてきた男性と十分なる会話の上に虎視眈々と相手の“人となり”を見極める作業は欠かさなかった。(酒に強かった我が身体的条件にも助けられたのだが。)

 我が20代前半頃の民間会社内に私事を移そう。
 勤務先に於いても、20代前半の“うら若き”私に「お誘い」を寄越す男性は少なくなかった。(このシチュエーションの場合、ディスコで知り合う相手と比較すると、おそらく学業・職業的バックグラウンドとしてはある程度一致していると考察して間違いないであろう。) 片やそれら男性どもに対しても当然ながら私なりの好みはある。 第一関門としてまずは「外見」で切り捨て、それをクリアした男性に関して私は「面談」方式を採用したのだ。
 ところが、私が当時採用した「面談方式」が社内同年代女性社員よりバッシングされる運命だった!
 彼女らが言うには、「あの人(私の事だが)、『誰にでもついていく』タイプね」
 ところが、時代は未だ「適齢期」なる俗語が蔓延っていた頃である。 その言葉で私を蔑んだ彼女らはさっさと結婚・出産して会社を去って行った…。 


 原左都子の私論に入ろう。

 我が20代前半期に、私を「誰にでもついていく女」と蔑んだ彼女らの思いも十分理解可能だ。
 要するに70年代後半期に民間企業に勤務していた彼女達は、“適齢期”に狭き社内で“寿退社”を狙い結婚相手を模索するのに血眼状態だったのだろう。

 ところが我が理想は遥か遠いところにあった。 結婚などしている場合ではないとの。
 自己実現意欲に燃え続けていた私にとっての男の存在とは、自分の夢に付き合ってくれるキャパ無くして成り立たないのだ。 そんな男を追い求め、近づいてくる男の「面談」を実施するため会合を持っただけの話である。  
 要するに、決して誘いをかけてくる男に受け身で「ついて行った」のではない。 独身を貫きたい私側として、それを理解出来るキャパある男を私側から選別するべく積極的に対応しただけの話なのだ。


 で、それがいつも成功したか、ですって?
 いやいや我が若かりし時代には、相手男の「外見」にこだわり過ぎての失敗もあったことは事実だ。

 そんな原左都子20代前半期の恋愛失敗談に関しては、2008.5.22「傘を返して欲しい」、2008.6.13「別れて下さい」 等々バックナンバーでも公開しておりますので、そちらをご覧頂けますように。 
 (不謹慎ながらも、私自身が今読み直しても結構面白い内容ですよ~~♪♪) 


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 2024.07現在、残念ながらmitoさんとはその後疎遠になっている。

 当時より、さすが東大ご出身の大学教授だけあって 頭の切れる方だったものだ。

 それにしても、趣味が「ディスコダンス」と原左都子との共通項があったが故に、お知り合いになれたのだが…

 私よりも少し年上の方だったが、未だ大学教授職を続行されているのだろうか??
 そして、女子大学生を中心に、今でもご自身の趣味である「ディスコダンス」を享受されているのかもしれないなあ…


 mitoさん、この原左都子など、未だに毎晩自宅にて「ダンスエクササイズ」を実行する程のディスコダンスマニアを、バリバリ続行していますよ!!!😁 😱  
 

六本木「アマンド」、懐かしいなあ…

2024年07月21日 | 自己実現
 (冒頭写真は、2024.07.17付朝日新聞より転載した 過去の六本木「アマンド」の写真。)


        
 こちらは、同じ朝日新聞記事より転載した、新しい六本木「アマンド」等の写真、他。


 私め 原左都子が過疎地郷里より上京したのは、1970年代後半期の事だった。
 医学専門職員として都内に位置する医学関連企業へ入社する目的で、郷里を捨て親を捨てて単身上京を実行したのだが。

 もちろんのこと、入社直後から医学業務に精力的に励む傍ら。

 すぐさま出来た友や彼氏に誘われて(いやホント、自分でも不思議かつ面白おかしい程に、すぐに友や彼氏に恵まれたものです!!)、夜間は当時流行りのディスコ三昧だった!!
 いや、他の目的にも もちろん 誘われたのだが。
 我が当時の一番の趣味が音楽でありダンスであったことが幸いして、ディスコに慣れ親しむ(というよりも“ディスコ狂”と表現するのが正解だろう?!!)のが人よりずっと早かっただろう。

 上京当初は、新宿歌舞伎町のディスコへ行く機会が多かったかな?
 今尚憶えているのは、ロサ会館といっただろうか、その建物の中に位置していた「カンタベリーハウス・ギリシャ館」に「カンタベリーハウス・ビバ館」、あるいは程近い場所に「椿ハウス」なるディスコも存在した。
 はたまた、「クレイジーホース」、 少し年数が経過して、20代半ば頃には伊勢丹デパートの近くの「ラジオシティ」にも凝ったなあ。


 話題を六本木に戻そう。

 私が六本木で一番足繁く通ったのは、サパークラブ「最後の20セント」なのだが。 
 その他、ディスコビルとして有名だった「スクエアビル」(と言ったかな?)との建物内の各階のディスコにも通った。

 六本木駅の飲食街方面に出口を出たすぐ右側に、冒頭写真の「アマンド」が存在した。
 まさに、冒頭写真の如くピンクと白のカラーコーディネートがド派手な喫茶店だったのだが。

 この私が 当該「アマンド」を客として利用したのは、ただの一度のみである。
 上記サパークラブ「最後の20セント」にて知り合った男性と、帰り道にこの「アマンド」に立ち寄ってお茶を飲んだ記憶がある。

 参考だが、この私は90年代に流行った低俗下劣な「お立ち台」があるディスコにはただの一度も訪れていない。
 私に言わせると あれはダンスを楽しむというよりも、低レベル女どもが自身の身体を武器に男をおびき寄せる場、であったのでは無かろうか???
 (一度も行っていない身にして、いい加減な評価を慎むべきだろうが。)



 六本木「アマンド」に話題を戻そう。

 時代が2000年代に入ると六本木でも大規模な再開発が続いた。 03年には六本木ヒルズ、07年には東京ミッドタウンとのオフィスビルや商業施設が入る高層ビルが開業し、国立新美術館もオープン。 働き手や買い物客、観光客が行き交う「昼の街」へと六本木は表情を変えていった。

 (以上、再び朝日新聞記事より引用したもの。)



 まさにそうなのだろう。

 この原左都子も、今となっては「国立新美術館」へ行く目的で六本木を訪れることはあるものの。
 夜の街「六本木」を訪れる機会が無いなあ…、と振り返って久しい。

  地下鉄六本木駅を降り立った出口には、新しく誕生した「アマンド」が開店したとのこと。

 機会があれば、ディスコ三昧に興じていた我が上京直後期の若き時代を一人振り返る目的で、新たに誕生した「アマンド」を訪れてみるのも いいかも!?!? 
 

「硬膜下血腫」で入院していた義母が施設に戻った…

2024年07月20日 | 自己実現
 梅雨明け後、気温35℃以上の酷暑が続く東京だが。


 そんな厳しい気象状況の中「硬膜下血腫」で入院していた義母が、元の住処である「高齢者介護施設」へ本日午前中に戻った。

 それに付き添ったのは亭主だ。
 亭主曰く。 「高齢者等々を専門に扱っている“介護タクシー”を利用すれば、無事に施設まで難なく義母を届けてくれるらしいので安心だ。」
 そうであって欲しいと思いつつ、今朝亭主を見送った私だ。

 亭主の話によれば、この“介護タクシー”とやらは今回の義母の事例のような重度認知症者等の病院から介護施設等々の輸送に、現在大活躍とのことだ。

 それが功を奏して、義母は無事に元の住処である「高齢者介護施設」へ帰ることが叶った。

 
 さて、義母が暮らしていた元の高齢者施設へ帰ってみると。
 亭主曰く、すっかりと義母の部屋内風景が変わっていたらしい。

 それもそのはず、義母はこの10日間の入院中に「要介護度」が急上昇してしまったのだ…

 今までのように施設内を一人で歩行するなど、もってのほか!!
 今後は、常に2名の介護者の付き添いの下に施設内を行動せねばならない程の、急激な要介護度の上昇だった様子だ… 😭 
 それに合わせて、義母の部屋内配置換えを施して下さっていたようだ。


 いやもちろん、施設介護施設のケアマネージャー氏も、今後も引き続き義母の復活を支援して下さる姿勢で動いてくれるらしいが…

 
 それにしても、元々認知症状がある高齢者が93歳近くになって。
 施設内でもどこでも場所を選ばず転ぶことが常習となって…
 ついに「硬膜下血腫」での入院を余儀なくされ、その病院でも扱うのが難義なため施設へ戻された事実を鑑みると。

 如何に病院や施設の係員の方々が、義母のために努力を重ねてくれたとて。
 当然ながら限界があり。

 義母との人物とは、そんな周囲の人物の「限界状態」を自ら創り上げつつも、その事実すら認知不能で…


 それでも尚 この世に未だ生存させられるとの、ある意味で「究極辛い」運命を背負ってまでも。
  
 今生き続けているのだろう…


朝から とことん「ウィッグ騒動」に翻弄され続ける日だ…

2024年07月19日 | その他オピニオン
 (冒頭写真を見て これが何かがお分かりになる方は、おそらく相当の“ウィッグ愛用者”でおられることだろう。)


 その回答を書くと。
 ネット通販にてウィッグ販売を展開している某ウィッグ会社から届けられるウィッグの箱、である。


 何故、原左都子の家にそのウィッグの箱があるのかを説明しよう。

 我がエッセイ集の古くからの読者の皆様は既にご存じであろうが。
 この私は、ちょうど40歳の時に「頭部皮膚癌」を患っている。 その理由に関しては、私自身の診断では医学業務の試験・研究に於いて無菌操作時に使用した「紫外線」を頭部に通常考えられない程の量を浴びざるを得なかったため、と診断している。
 その「頭部皮膚癌」に関しては、今となっては完全完治しており特段の問題は無いのだが。 
 その“置き土産”である手術跡を一生抱えるはめとなっている。 (自分自身では、今となっては何てことないのだが。 初めて見る人はかなりビックリするようだ!!)😲 

 その“置き土産”をもう既に40年近くに渡ってカバーしてくれるのが、このウィッグだ!!

 40歳当初は、未だウィッグと言うもの自体が市民権を得ておらず。 随分と高額をはたいてオーダーウィッグを幾つも作らざるを得なかった… (そのおおよその金額を言うならば。 正直言って、数百万円に上るだろう… それ程までに当時のオーダーウィッグは高額だった。)😱 

 その後、特にお年寄りやお洒落さんたちの間で男女を問わずウィッグが流行し始めて。
 今では 各種ウィッグが格安でオーダー出来たり。 市販品のバリエーションも増えていて、安価でいくらでもより取り見取りだ!!

 この私も、10年程前から高額オーダーウィッグを卒業し、すっかりと市販品に鞍替えしている。

 その“鞍替え”時に一番最初に選んだのが、冒頭写真の中国製の市販ウィッグである。
 その値段とは、まさに過去に作っていたオーダーウィッグの30分の1程度の費用で済ませられる。😛 

 現在はウィッグが十分に市民権を得ていて、それを被っていようが、誰からもとがめられたり軽蔑したりされることも無い良き時代である。


 
 冒頭の表題に戻ろう。

 本日は、朝からその「ウィッグ騒動」に巻き込まれてしまっている。😱 
 何がどうしたかと言えば。
 私が久々にネット発注したウィッグが、昨日届けられたのだが。
 これがどういう訳か、髪の毛の長さが短い!  きちんと自身の髪の長さ等々とマッチするウィッグを選択したにもかかわらず、予想よりはるかに短いヘアスタイルのウィッグが届けられた!
 これでは使い物にならないため、本日朝から早速メールにて返品か交換を申し出た。
 そうしたところ、返された回答は「貴方の注文通りの長さのウィッグを届けたはずだ。 その長さの基準(相手はcmメートル単位の細かい数値を上げていた)を貴方が取り違えているのではないか。 その場合、返品不能扱いとなる。」
 そこで、早速私はその長さを計測してみた。 確かに、相手の言う通りの長さのウィッグが届けられている…
 私側としては納得不能な思いもあるものの、こんなことで争っていてもしょうがないと思い起し、相手側の主張を飲むこととした。

 ところがだ。
 1時間ほど経過した後に、ウィッグ会社より新たなメールが届けられた。
 その内容を読むと、今度は私の主張を認めるとの事だ。???😶 
 それは良いのだが。  その場合は商品の返金はあるものの、ウィッグ返品の宅配費用を私が負担して欲しい、との内容だった。

 まあ、ウィッグ返品の配達料などいくらでも無いと考え、その案に従う事とした。

 ただし、実際その処理が面倒臭くはあるなあ。😩 

 それでも、偶然だが我が家の近くに宅配業者があるし。
 ここは明日、快くそのウィッグの配達料を自腹で支払って返品することとしよう!