原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

サンフランシスコの交通機関情報

2018年06月20日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、米国西海岸サンフランシスコ周辺を結ぶバート路線図をネットより転写したもの。)


 こんな場で、今夏8月に実施予定の米国西海岸旅行の個人的な下調べを公開して恐縮だが。
 (自分自身の旅行準備とエッセイ記述が同時に叶い、時間短縮・一石二鳥のため、今後もしばしばこれをさせて頂く予定でおります。)


 今回は、サンフランシスコ交通網に関してまとめたネット情報を以下に引用しよう。


 < 空港シャトル >

 サンフランシスコ国際空港からは多くのシャトル・サービスがあり、いずれも約10-15ドルで空港からホテルまで連れていってくれる。 空港ビルの2階に集まっているので、バゲッジ・クレームから1フロア上がったところで探そう。 ところで、こうしたシャトルの客引きにつかまると大変。  彼らは外国人や迷った風の、あるいは疲れた様子の客を待っている。 そして矢継ぎ早に声をかけながら半ば強引にシャトルに押し込み、荷物をシャトルの鍵のかかるところに入れてしまう。 一旦押し込められると、後は運転手が出発してくれるのを待つしかない。 こうした客引きには十分に注意しよう。

 私見だが。
 サンフランシスコ空港は今までに日本から5往復程利用したことがあるが、シャトル・サービス(シャトルバスのことか?)は利用経験が無いなあ。 それにしても安価な事だし、ホテルまで連れて行ってくれるらしいし、利用価値はあるかも。
 参考だが、何処のネット情報を見ても、上記のごとく“客引き”の危険性を述べているものだが、我が経験から言うと稀なパターンであろう。 ある程度英語が喋れ毅然とした対応を取れば、危険な目に遭わずに済むのではなかろうか。


 < タクシー >

 タクシーは1Fの黄色い柱の付近で乗車できる。 概ね30~50ドル程度でサンフランシスコ市内へ行くことが可能。 イエローキャブ、デ・ソト・キャブ、ベテランズ・タクシー、ルクソー・タクシーなどが主なタクシー会社。 どの国でも流しのタクシーは怖いものだが、これらのタクシー会社のクルマであれば特に問題はないはず。

 私見及び私事だが。
 以前サンフランシスコ個人行動時に、イエローキャブをつかまえた経験がある。 空港からの利用の場合シャトルよりもかなり割高なため、その際はシャトル利用を選択するべきかもしれない。
 ロンドン、インドのデリー、ブエノスアイレス、香港、台北等々諸外国でタクシーを利用したが、運転手の皆さんが良心的だった記憶がある。
 ただ、インド・デリーにて利用したタクシー運転手から降車の際に「余った外貨を置いて行け」と嘆願され、チップ代わりにそれを実行した事はあるなあ。


 < 鉄道 >

 鉄道は、エアトレインのガレージG駅でBARTに乗り換えることができる。 そこから乗り換えなしでサンフランシスコのダウンタウンに行くことが可能。 マーケットストリート沿いではMUNI METRO各駅に乗り換えできる。 またMillbrae駅ではCaltrainに乗り換えサンノゼもしくはサンフランシスコまで列車で行くことができる。

 私事だが、サンフランシスコからシリコンバレーへ行く際に鉄道利用を考慮中のため、これに関しては更なる詳細事項を下調べする必要がありそうだ。
 

 < サンフランシスコ市内交通 >

 San Francisco Municipal Railway
 MUNIはサンフランシスコの市内を駆け巡る便利な交通機関。 トロリーバスやケーブルカーもMUNIが運行している。 サンフランシスコはニューヨークなどと並んで自動車を使わずに市内を移動できる都市。

 私見だが、へえ、そうなんだ。 その種のシステムは東京にはないねえ。


 < ケーブル・カー >
 
  サンフランシスコには歴史的にも貴重で有名なケーブルカーがある。 このケーブルカーのケーブルは路面下に埋め込まれている。 現在は3路線が現役で、パウエル-メーソン線、パウエル-ハイド線そしてカリフォルニア線の3線。 残念ながら車椅子用設備は無い。 ステップ乗車という乗り方がある。 これは座席に座らずにケーブルカーの外のポールに掴まる乗り方。 速度が遅いのでそれほど危険ではない。 この3線の線路やケーブル設備は1982年から2年の歳月をかけて全面更新され安全面が強化された。 運賃は3ドル、車内で支払う場合は小銭を用意した方が良い。 始発で乗車する際は事前に購入することができる。 停留所には茶色い看板が出ていてもちろん途中乗車・途中下車が可能。 降りる際はグリップマンに告げないと通過してしまうことがあるので気をつけよう。

 私事及び私見だが。
 19歳時のUCバークレー短期留学時の土日休日に、果敢にもバークレーから一人でバート(地下鉄)に乗ってサンフランシスコへ出かけ、このケーブルカーに乗った。 当時は市民の交通手段でもあったのか、わずか50セントと格安だった記憶がある。
 現在は3ドルの高額との事、まさに観光収入の役割を果たしているのだろう。 ステップ乗車をしてみたくて、敢えてカッコつけてそれにトライしたのも懐かしい。


 < MUNIメトロ >

  MUNIメトロとはいわゆる路面電車。 F, J, K, L, M, Nの全部で6つの路線がある。 全ての路線がマーケットストリートのヴァン・ネス~エンバーカデロ間を地下(F線のみ地上)を並走しそこから各行き先に分かれる。 時々異なる行き先の電車が併結されているため行き先の注意が必要。 運賃は1ドル25セントで紙幣は使えないのでコインの用意が必要。 F線はカストロ~フィッシャーマンズ・ワーフを結ぶ唯一の全線地上の路線だが、何より全世界の各都市から集められたクラシック・カーが走ることで有名。

 私見だが。
 へえ、19歳時より37歳時までに5度サンフランシスコを訪れている私にとって初耳だ。 これに関しても、再調査する価値がありそうだ!


 最後に、冒頭写真の < バート > に関して記載しよう。

 これは我が19歳時のUCバークレー短期留学時にも利用経験がある。 どうしてもサンフランシスコを訪れたく、単身でこれに乗ってそれを実行した。
 当時は未だ新しい車両で快適だったような記憶があるのだが、あれから40年余りが経過した今、現地で如何なる地下鉄路線の役割を果たしているのだろう。


 そんなこんなの歴史的変遷に伴い、おそらく大きく変貌したであろうサンフランシスコ及びその周辺を地元の交通機関利用によりこの目で垣間見れるのが、今から楽しみでもある。

「育てやすい子」 議論に於ける 祖母(祖父)の愚かさ

2018年06月19日 | 人間関係
 今朝方ネット上で、「自分の娘の事を祖母(義母)から『育てやすい子』といつも言われ困惑している」、との内容の議論を発見した。

 上記娘を持つ母親からの問題提起(悩み)には数多くのネット反響が押し寄せていて、私は興味深くそれらを読んだ。


 早速、この母親の問題提起(悩み)から引用しよう。

 < 娘の事を「育てやすい」と義母にいつも言われる >  2007年10月5日 15:22 記

 変な悩みで申し訳ありません。
 タイトル通りなのですが、現在2歳の娘に会う度にいつも 義母に「育てやすい子ね~」と言われます。
 褒めてくれているのは分かります。
 でも娘を見る度「育てやすい、育てやすい」と言うので毎度イラッとしてしまいます。
 娘は反抗期。 私はいつもイライラしています。
 内弁慶なので一歩外に出ると静かです。 義母の家に行っても、お利口さんにしています。 義母はその姿しか知りません。
 反抗される度、義母の『育てやすい』という言葉を思い出し、余計イライラします。 確かに、よその子よりは育てやすいかもしれません。 それでも私は毎日必死で子育てしています。「いつもお利口ね」とか「上手に育てているね」なら嬉しいですが、「育てやすい」という言葉に、いつも過剰に反応してしまいます。
 
  (途中でコピーの一部が飛んでしまったが、以上、ユーザーID:7920513440 氏よりのネット投稿の一部を引用したもの。)


 一旦、私見に入ろう。

 結論から書くと、原左都子は絶対的に 実際我が子を現役で育てている母親の味方でしかあり得ない! 

 ところが世を見渡すと、この種の“低能”というのか“配慮心が欠けている”祖父母を、あちこちで見かける気がする。
 特に祖母の場合は自身にも子育ての経験があるならば、日夜直接我が子と向き合いすったもんだ格闘している母親の苦悩が理解できそうなものだが…。 
 “喉元過ぎれば”すべての出来事が他人事であり、現役母親の痛みが分からないその祖父母の単細胞ぶりにムカッ腹が立つ!
 アンタ(相談者の子の祖母)が言うところの「育てやすい子(孫)」から日々間接的にプラスの恩恵をもらってこの世を生き延びているのならば、「孫をお利口さんに育ててくれてありがとう。 母である貴方も身体を大事にしてね。」 こそがアンタが孫の母親に向かって言うべきセリフだろうが!!


 ここで、私事を語ろう。

 我が義母に関しては、同居はしたことがないものの孫である我が娘との距離が近かった事により、誕生時より娘が抱えている事情を熟知している。 そのため、まかり間違っても私に対して「育てやすい子ね~」なる間の抜けた発言は皆無だった。
 認知症状に苛まれてる今現在に至っても私に合う都度、「〇子さん(私の事)の献身のお陰で〇ちゃん(娘の事)がこんなに立派に育ってくれて、私は嬉しいわ。」と言ってくれる事実に、私もどれ程癒されることか。 (言い方を変えると、娘の幼少時代から義母も孫の成長をどれ程祈っていてくれたのかが慮れる発言でもある。)

 片や、郷里の実母だが。
 こちらも決して、私と我が娘を捕まえて「育てやすい子ね~」とホザく事は無い。
 ただ遠方に住んでいる関係で、我が娘に対するサリバンとしての長く厳しい教育指導の詳細をほとんど見た事が無い実母は、今尚“見当はずれ”の物言いをして私を呆れさせ続けている。
 その物言いとは。 
 「やっぱり〇ちゃん(孫のこと)は私の血筋で持って生まれた頭が良かったからこそ、ここまで成長できたんだねえ~。」
 我が実母の愚かさとは、あくまでも自分の“血統”にこだわっている事に根源がある事実に関しては、当エッセイ集バックナンバーにて再三述べている。 これ程までに愚かな実母の元に生まれ出てしまった自分がいつまでも悔やまれ、情けない思いでもある。


 話題を冒頭に戻そう。

 このネット情報の反応欄に、我が視点から興味深い記述があった。
 その一つを紹介するならば。
 
 兼業主婦で今月より職場完全復帰。 保育園の時間が合わなく送り迎えを実母に頼んでいる状況です。
 実母より本日、仕事なんか辞めてしまえ!と言われてしまうほど育てにくい。 0歳児のわが息子・・・。涙
 投稿者さんが、うらやましい。
 (以上、ネット情報の反応欄より一部を掲載したもの。)

 この世には、様々な親子、祖母孫関係が存在するようだ。
 いやはや、最後に紹介した0歳時を持ちながら職場復帰の現役母に寄り添い、自らも育児に励む祖母の日々の苦労の姿が目に見える気がする。
 

 我が実母も、一時でも不具合を抱える孫と壮絶な生活を共にしたならば。
 今更ながら「我が血縁だから〇ちゃんはこれだけ立派に育った」などとの究極勘違い戯言を、サリバンを全うしている私相手にホザく必然性も無かったのだろうし…。
 実母にもう少し客観力があったならば、年老いた今、娘である私にこれ程までに嫌われずに済んだのだろうか、と思ってやったりもするのだが……

 孫を持つ祖母(祖父)の皆様。 
 是非共、この厳しい時代に現役で “可愛い孫” を育てくれている母親(娘)への感謝の思いをお忘れにならぬように。

大阪及び関西地方の皆様、大地震お見舞い申し上げます。

2018年06月18日 | 時事論評
 つい先ほど本日2018.06.18 午前7時58分に、大坂及び関西地方に発生した震度6弱の大地震のお見舞いを申し上げます。



 現在、すべての在来線や新幹線、航空路線が止まり、広範囲に停電が発生しているとのテレビニュース報道ですが、どうか関西地方及びその周辺の皆様、ご自身の身の安全を第一に行動されますように。

 ( 2018.06.18 午前8時26分 記 )

“U.C.バークレー ”と “シリコンバレー”へ是非行きたい!

2018年06月17日 | 旅行記・グルメ
 (写真左は、私が1975年夏に米国UC⦅州立カリフォルニア大学⦆バークレー本校に短期留学した際に発行された身分証明証。 右は、当時私が撮影した UCバークレーのシンボルタワー Sather Tower。)


 前回のエッセイにて、5冊目のパスポートを取得した話題を公開した。

 そもそも今夏米国西海岸旅行を企画する元となったエッセイを、昨年の7月に綴り公開している。
 2017.07.10公開のバックナンバー 「留学前鬱症候群、私も経験あるなあ」と題するエッセイの一部を以下に今一度紹介しよう。

 我が43年前の米国UC(州立カリフォルニア大学)バークレー本校 Univercity summer extension1ヶ月間短期留学に戻そう。
 そうこうして、当時未だ19歳の私は重いトランクを引きずり単身で過疎地郷里を出発し(いや、空港までは親が送ってくれたか?)、まずは羽田空港を目指した。 これすら初体験の私にとっては、とてつもなく大仕事だった。 単身で上京するのも初めて(修学旅行で東京観光をした事はあるが)ならば、大混雑の羽田空港で留学ツアー軍団の集合場所を探すのも一仕事だ。
 ごった返している羽田空港内ロビーでその集合場所を見つけた時に、ひとまず命が繋がったと安堵した。 学生達の貧乏短期留学ツアーは、ノースウエスト航空でシアトル空港まで行った後、米国内線のウエスタン航空に乗り換えサンフランシスコ空港に到着するフライトスケジュールだった。
 その後シアトルにての数時間の乗換え待ち時間内に、話が弾む留学生達と巡り合えた。 これぞラッキー!  私以外は全員男子だったが、意気投合した数名のグループでその後、留学生活を迎える事となった。(冒頭の写真は、そのグループ内の男子と一緒に撮影したもの。)
 ただ大学到着後直ぐに、英語力ランクによるクラス分けの試験(何故かすべて筆記試験)が実施され、会話力は無いものの読み書き力に長けていた私は高得点を上げ、上位クラスへの配置となった。 この措置により、“シアトルグループ”と疎遠となってしまったものの、クラス内で友人が出来るのは早かった。 これまた男子ばかりなのだが(というのも、元々男子学生の参加者が圧倒的に多かった故だが。)楽しい留学生活が送れた。
 この短期留学ツアーがUCバークレーの寮に寝泊まりするツアーだったことが、私にとって楽しさ倍増だったと言えよう。  食事は寮にて3度用意してくれるし、夜な夜な寮内ホールで“ディスコダンスパーティ”が開催されるのだ!!  元々ダンス好きの私にとってはこれ以上望めない程の恵まれた環境下で、その寮生活を堪能した。 寮の近くには本物の「ディスコ」もあり、寮内ダンスパーティ参加仲間に誘われてそこにも数回行ったりした。 そんなこんなで日々就寝時間が遅い私は、翌朝1時間目の授業出席のため早起きするのがとてつもなく辛かった思い出がある。
 それでも月から金までは毎日、大学のエクステンション授業に真面目に出席した。 何故ならば、短期留学とは言えども「留学ビザ」で米国に渡っている以上、規定の出席率をクリアしない事には帰国が叶わない故だ。 
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を再紹介したもの。)


 ところで、上に記載している私の宿舎だったUCバークレーの寮は、歴史的建造物だとの情報は当時から得ていた。
 これに関するウィキペディア情報をつい先ほど入手したため、以下に紹介しよう。
 ボウレス寮(Bowles Hallと呼ばれていた)は、フットボールなどに使用されるカリフォルニア記念スタジアム (California memorial Stadium) のすぐ北側に位置する。 州が所有している寮として最も古く、アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されている。 1928年にマリー・マックニアー・ボウレス (Mary McNear Bowles) から贈与されている。 この施設は大学によって運営されている。

 本日午前中に、冒頭の写真を撮影するため「カリフォルニアの青い空」と自らタイトルを付けた“UCバークレー留学写真集”を何十年かぶりに紐解いたところ、上記身分証明書の他に、「Bowles Hall conferense meal ticket」も貼り付けてあるのを発見した。 
 まさにこの歴史的建造物寮の食堂で、滞在中土日以外は朝昼夕のすべての食事をお世話になったし、おそらく大学へ通っている留守中に清掃等もお世話いただいたのだろう。 

 そんな風に19歳時に1ヶ月程を過ごした懐かしいUCバークレーを、私は独身最終時期の37歳時に再び訪れている。  「是非UCバークレーを再び訪れたい!」との私の嘆願に当時交際していた国際恋愛相手米国男性が快く応じてくれ、2人で学内を散策したのだ。
 確かに、Bowles Hall も未だ燦然と存在していた!  私が1ヶ月間暮らした部屋は、ちょうど外の道から覗ける位置にあったのだが、当時窓ガラスを叩いて私を誘い出す留学生仲間が多発したものだ。 その部屋も当時のまま、我が思い出そのままにそこにあった事実が何とも感慨深かった。

 そして年月が流れ37歳時よりさらに25年が経過した今現在尚、私が米国の中で一番行きたい場所は、やはりU.C.バークレーだ。
 今夏8月に渡米したならば、今度は19歳当時はまったく興味が無かった大学内の科学館や美術館等々も娘と共に訪れてみたいものだ。 


 話題を変えて、次なる対象は「シリコンバレー」だが。

 これは、単純かつ純粋に私が行きたい(見たい)場所だ。

 再び以下に、ウィキペディア情報より「シリコンバレー」の一部を引用しよう。

 シリコンバレー (Silicon Valley) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州北部のサンフランシスコ・ベイエリアの南部に位置しているサンタクララバレーおよびその周辺地域の名称。 特定の一箇所を公的に指す地名ではなく、ある程度広い地域一帯の通称として使用される。
 名称は、多数の半導体メーカー(半導体の主原料はケイ素、英: Silicon)が集まっていたこと、および地形(渓谷、英: Valley)に由来する。 この地域からはアップル、インテル、ナショナル・セミコンダクター、Google、Facebook、Yahoo、アドビシステムズ、シスコシステムズなどに代表されるソフトウェアやインターネット関連企業が多数生まれ、IT企業の一大拠点となっている。

 テレビ映像等々で、それら世界的巨大企業群がシリコンバレーに集結している映像を見た事がある。 
 是非とも、我が目で見てみたいものだ。 

 今回の夏米国西海岸旅行の宿泊地と定めたサンフランシスコからシリコンバレーまでは200km程の距離があるようだが、これからその交通手段等を検索する作業に入る予定でいる。


 いやはや、 “旅行とは3度楽しめる” というのが我が「旅の鉄則」でもあるのだが。
 今回の娘を引き連れての米国西海岸個人旅行の場合、手配が早かったことが幸いして、この先2ヶ月間もその第一段階である “旅下調べ作業” が楽しめそうなのが嬉しくもある。

5冊目のパスポートを取得しました!

2018年06月15日 | 旅行記・グルメ
 (写真右が新しく取得した5冊目のパスポート。 左は、期限切れの4冊目のパスポート。)


 6月12日米朝首脳会談日の午後、私は東京池袋サンシャインシティまで新しいパスポートを取得しに出かけた。

 6月のこの時期、パスポート取得者は少数なのか、相変わらずパスポートセンターは人気(ひとけ)が少ない。 印紙購入に3人待ちをしたのみで、後はスムーズにあっけなく新しいパスポートを入手出来た。

 参考だが、現在パスポート取得金額は ¥16,000- 也 だ! (10年もの)
 ついでに、ESTA(米国へ行く際、ビザの代替として要求される届け出)の申請代金が ¥7,800- 也!
 それから、成田までのリムジン代金が往復で ¥6,000- 也。
 その他、米国航空使用料が何千円か加算される。

 それら、旅行本体代金“以外”の諸費用合計額が、約 ¥30,000- 也!! 
 国内2泊程度の旅行ならば軽々行ける余分な費用が発生するのが、海外旅行の常だ。  (しかも我が家の場合、未だ薄給の娘の旅行代金すべてを私の貧相な年金より拠出してやるため、その出費額は実際“痛い”。)


 お金の話はこれくらいにして、パスポートに話題を変えよう。

 5冊目の新品のパスポートは大事に置いておくとして。

 有効期限切れの4冊目のパスポートを今一度一覧すると、当時の旅行を思い出して感慨深いものがある。
 冒頭写真の見開きの下ページは、2008年秋にインドへ旅立った際に取得したインドのビザだ。
 そもそもこのインド旅行とは、当時娘が油絵を指導頂いていた美術家氏(以下H氏としよう)のインドにての国際賞受賞式参列に、母の私が同伴目的で付いて行かせてもらった旅だ。 
 ところが、H氏による旅の同伴依頼が旅行開始直前期であり、「今すぐにインドのビザを取得申請する必要がある!」との切羽詰まったお電話を頂いた。
 いやはや早急に支度して、インド大使館(領事館?)へ向かったものだ。
 そしてインド大使館へ到着してみると、そのビザ申請用紙が英語オンリーだった。 一応英語の読み書きは得意分野の私だが、突然その申請用紙を一見してかなり動揺した。 そうならば辞書でも持参したのに…、と悔やみつつも、自力で何とか書き上げた。 その内容たるや、B4見開き2枚ほどに及んでいた記憶がある。 郷里の実親2名の詳細に及ぶ住所・生年月日等々データや、私自身の経歴等々まで記載したようにも振り返る。 
 H氏ご本人もその申請用紙の詳細ぶりに困惑された様子で「ここはどう書いた?」などと私に尋ね、二人で相談しつつ申請用紙を仕上げた記憶もある。

 とにもかくにも、インドビザは発行された。
 一週間後にインド大使館へ再び取得に出向き、パスポートに貼り付けられたその「インドビザ」の美しさに感激したものだ。(上記写真を参照下さい。)

 上記4冊目パスポートの上のページは、そのインド旅行の出入国に関する査証でまとめられているようだ。 


 4冊目のパスポートのページをめくると、更に感慨深いものがある。

 旅先の国家により、パスポート取り扱いの丁寧さ、粗雑さが読み取れるのだが…
 我が国日本に於いては、出入国査証を同じページにまとめてくれているようだ。
 それに対し、例えばエジプトなど、開き易いページに出入国の刻印を押すくせが伺える。 エジプトはギリシャに渡る際二度出入国をしているのだが、そのすべての出入国記録がパスポートICチップが埋め込まれている中央のページに押されているのが興味深い。
 一方、ギリシャの出入国記録は1ページにまとめて押印されている。

 そして、アルゼンチンも特異的だ。 係員が偶然開いたページに押印しているのは、エジプト同様に粗雑だ。

 アジア系のソウルと台北旅行の出入国記録は、日本バージョンで一ページにまとまっている。

 番外編として、パスポートの裏面に「DELTA SECURITY」のシールが燦然と貼り付けられているのだが。
 これは、アルゼンチンへ行く際の乗り継ぎ空港だった米アトランタ空港にて厳しい入国審査をパスした証として、一番目立つパスポート裏面に貼り付けられたのだろうか。???


 という事は。

 この夏に我々親子が米国へ旅立つ際にも、まっさらなパスポートの裏面に「〇〇SECURITY」なる文言のシールがデカデカと貼り付けられるって事ね??

 そうだとしても、どうなのだろう。
 トランプ政権下に於ける米国入国は、以前に増して有色人種入国に厳格になっていると察するのだが。
 個人旅行の我々有色人種親子は、無事米国入国を果たせるのだろうか!?? 

トランプ大統領は金正恩委員長に“へつらった”??

2018年06月13日 | 時事論評
 昨日2018.06.12にシンガポールに於いて開催された、トランプ米大統領と北朝鮮金正恩委員長との史上初の米朝首脳会談の様子を、私も午前中と午後5時からテレビ報道にて注視した。

 残念な事には報道のほとんどが風景映像であり、肝心要の会談の様子がほんの一部しか放映されなかったのは、機密保持等々の理由により致し方無いのだろう。
 それにしてもテレビ報道のすべてが抽象的で、会談というよりもあくまでも“パフォーマンス・ショー”と表現するのが適切なような、視聴者にとっては何とも分かりにくく不十分な首脳会談映像だった。

 しかも二者会談にもかかわらず、午後5時からの“会談総括”会見が、米トランプ大統領一人により執り行われたのも不自然感が否めない。

 様々な理由により “世紀の” “史上初”と銘打ちつつも、発信力・求心力に欠けた会談だったとの我が印象だ。


 そんな中際立ったのが、米トランプ大統領が北朝鮮金正恩委員長に対し、始終“へつらった”態度をアピールした事だ。 (この“へつらった”との表現は今朝ほど見た米国ネット報道情報より引用したが。)

 これに対し、金委員長もその“へつらい”に十分に応えていた。

 私見だが、このご両人の“へつらい”ぶりを、私は好意的に捉えた。
 あの場で“へつらわ”なくてどうする??  それは最低限の社交辞令であり、そうするのが国家主席としての責務でもあろう。


 こんなところで安倍氏を引き合いに出すのも何なのだが、あの人はこの“へつらい”が苦手と私は見ている。
 国際会議会場等々で自身は“へつらって”いるつもりのようだが、それが長続きしないし、また不自然だ。 そもそもあの人は対人関係に長けておらず、自分自身が表に出たい気持ちばかりが勝っているのが見え見えで、他者に対する配慮心に欠けている様子が伺えてしまうのだ。

 その点、トランプ大統領にしても金正恩委員長にしても、相手と渡り合う場に於ける礼儀等々基本姿勢がきちんと身についている。 それは、金正恩委員長と韓国文大統領との会談時にも私は感じた。
 この現象は会談内容やその結果をさておいて、高評価するべき事象だろう。


 さて、米国では昨日の米朝会談に関する世論が真っ二つに割れている様子だ。

 以下に、ネット情報より今朝見つけたその情報を紹介しよう。
 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は、トランプ米大統領が会談後の記者会見で米韓合同軍事演習の中止に言及したことについて「北朝鮮への重要な譲歩であり、金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長に核放棄させられるかの賭けだ」と指摘し、首脳会談を「重要なステップ」と評価した。一方で、共同声明については「(非核化について)時期や検証方法など具体性に欠ける」とした。
 ワシントン・ポスト紙(電子版)は、トランプ氏の金委員長に対する態度を「へつらった」と評した。両首脳の会談での「愛想の良さ」が、非核化を巡って埋まらない両国の隔たりを覆い隠したなどと指摘。「トランプ氏の関心事は本質ではなく、首脳会談の見え方だ。 トランプ氏は非核化へのあいまいな約束を成功だとして売りつけようとするだろう」との専門家の批判を引用した。
トランプ氏の支持者が多い地域では会談結果に肯定的な見方が強い。 テネシー州東部在住のアジア系の女性会社員(43)は「トランプ大統領が北朝鮮のトップを引っ張り出しただけでもすごいと評価する声が多い。 核問題よりも政治ショーとして関心を集めているようだ」と語る。 インターネット上には「正しい方向に向けた良い一歩だ」「今年の初めにはこんなこと想像もできなかった」などとトランプ氏を称賛するコメントが多く見られた。
 首脳会談後、ポンペオ米国務長官はツイッターで、共同声明に盛り込まれた朝鮮戦争の米兵の遺骨収集などについて「個人的には最も意義深い」と書き込んだ。ツイッターでは「人権、信仰の自由、日本人の拉致被害者について北朝鮮と話し合った」と明かしたほか、13日にソウルと北京を訪れ「朝鮮半島の非核化を達成するチームを引き続き作り上げる」と意欲を示した。
 (以上、今朝方見たネット情報を引用したもの。)

 一旦私見に入るが、そもそも米国内では今回の米朝会談に関してさほどの関心がないとも見聞している。 
 それにも一理あろう。 
 一部の情報によれば、トランプ大統領は本日、「来年になれば私は(昨日言った事とまったく違う事を言うかもしれない」とうそぶいているとも聞く。
 まさにそれがトランプ大統領の本音なのだろう。 おそらくトランプ大統領の大統領生命は短いだろうし、“後は野となれ山となれ”との感覚なのかもしれない。


 今回の我がエッセイでは、昨日の米朝首脳会談に関し、トランプ大統領が金正恩委員長に対して “へつらった” 事実に焦点を絞って論じてきた。

 よかったんじゃないですか~~~。
 米朝首脳ご両人に、相手に対して “へつらえる” 人格が育成されていて。

 そういう原左都子ですが、大得意技なんですよ!  この“へつらい”が。
 今度、貴方にも “へつらって” 差し上げましょうか?!?  

史上初の米朝首脳会談、まもなく開幕

2018年06月12日 | 時事論評
 (写真は、つい先程NHKテレビニュース報道画面より転写した北朝鮮金正恩委員長が乗った車。 金委員長がシンガポールの宿泊先ホテルから出た直後の映像。 )



  北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長とトランプ米大統領による歴史的な米朝首脳会談がシンガポールで12日午前9時(日本時間午前10時)頃始まる。
 
 現地にいるトランプ米大統領は12日朝、米朝の実務者協議について「うまくいっている」とツイッターに投稿。

 トランプ大統領が首脳会談の見通しに楽観的である一方、ポンペオ国務長官は慎重な姿勢を崩していない。長官は、金委員長が非核化に真剣かどうかを見極めると語った。

 米朝首脳会談は「これまでの両国の関係を変え、平和と繁栄をもたらすかつてない機会」となり得るとの見方を示した。 しかし、今回の首脳会談で事態が急速に進展する可能性は低いとした上で、会談は「その後に続く大変な作業」の枠組みを設定する場となると発言。 さらに、北朝鮮に完全で検証可能かつ不可逆的な核放棄を求める姿勢をあらためて示した。
 ポンペオ米国長官は、北朝鮮への制裁について、核放棄が行われるまでは継続する方針を表明。 「外交が正しい方向に進まない場合、制裁措置は追加される」とし、「北朝鮮がわれわれに約束した非核化の意思が本物であることを示してほしい」と語った。
 米ホワイトハウスは11日、米朝間の協議が「想定よりも速いペースで」進んでいるとし、トランプ大統領は12日の米朝首脳会談を終えた後、同日夜にシンガポールを出国する見通しだと発表した。 当初は翌13日に出国する予定だった。
 関係筋によると、金委員長は12日午後にシンガポールを離れる予定。

 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)

私から縁を切られた実姉だが、姉は私を羨んでもいた…

2018年06月10日 | 人間関係
 昨日、前回の我が“衝撃的実話告白エッセイ”「私も20年程前に実姉との縁を切った」を記した後、実姉と交流があった頃のエピソート群が堂々巡りに我が脳裏を彷徨い続けている…


 20年程前に妹の私側から実姉との縁をきっぱりと切った事実に関しては、何らの心残りも無い。

 それどころか、あれをせずしてその後の我が“正常な”人生が成り立たなかったであろうと、娘のサリバンの立場を貫いている私はプラスの意味合いで振り返ったりもする。

 要するに極論を語るならば、過去に於いて実姉をあの精神状態のまま私が抱え、たとえ電話や手紙の手段であろうが姉の我がままや愚痴を言いたい放題にさせる事とは、イコール、実姉に対しても私は歪んだ意味合いで“サリバン先生”であらねばならなかったとの事だろう。
 それ程までに、実姉とは到底“対等に係れる”相手ではなかったのだ。 


 そんな実姉と交流していた、特に我が独身時代の記憶が今蘇る。

 とにかく特にどうしても女友達が出来ない姉にとって、妹の私とは、それを補完・代替するかけがえのない存在だったようだ。 
 姉が大阪へ行った後、さすがに実母も“親の責任”範疇で仕事の休暇をとっては定期的に姉の元へ通っていた。 ところが、姉からは妹の私にこそ大阪に来て欲しい、とよく要望して来た。
 大阪へ行ったところで、これまた私が姉の愚痴吐き捨て話の聞き役に徹するしか他に無く、どう考えても私にとっては面白い旅ではないはずだ。
 ところが、実は私にとっても“面白い部分”もあったのだ。 だからこそ私は、独身時代に姉が住む大阪へも米国にも行ったという訳だが。

 姉に会うに関して何が面白かったのかを告白すると。
 何分、外見的要因や表向きのプロフィール等が充実している姉は、男友達と知り合うチャンスには事欠かない。 ところが、(前エッセイに記した通り)いざ付き合ってみると、何とも異様な歪んだ姉の性質に男友達も早期に気が付く。 こうなると、誰しも“逃げ”の姿勢に転ずるのは自明の理だろう。

 そんな“逃げの姿勢”に転じそうになった男友達や彼氏を引き留める方策として、姉は妹の私を昔から利用する手法に出ていたのだ。
 「ほら、私にはこんな可愛い(??)妹がいるのよ! この妹が明日大阪(米国)に来るから是非会って!」との要望を出したら、それに飛びつく男どもが多発したのが事実だ。

 実際問題、私は大阪や米国にて、姉の友達や彼氏等々現地の男性陣に数多く会った。 姉同席の時もあれば、男性と1対1の時もあった。
 さすがに姉のセレクト男性達は種々の条件に於いて優れていて、会って会話するのが楽しかったものだ。 そして彼らのほぼ全員が口々に言うには、「お姉さんは心理面で多少問題を抱えているが、妹の貴方はよく出来た人物だね。 モテるでしょ?」だったものだ。 中には「自分と付き合って欲しい」なる要望も届いた。 姉も私の自由にすればよい、とも言った。 ただし、そう事は簡単ではない。 私にだって彼氏はいたし遠距離だし、そう易々と付き合えるものでもない。 
 そんな中、友達として長く付き合える人物にも恵まれた。 その相手はその後の我が進路相談に乗ったりと影響を与えてくれたりもした。
 究極、我が独身最終期に姉の米国の男友達と国際恋愛も経験した。 たったの8カ月程でその国際恋愛は終焉を迎えたが、私にとっては実に思い出深い出来事だ。


 そんなこんなで、今現在私が思い出す実姉に関する“プラスの記憶”と言えば、「男関係」関連事象に尽きそうだが…。
 どういう訳か、実姉は私の男関係に関してのみはいつも寛大で、私が実姉の男友達と恋愛関係に至った暁にも何ら嫉妬しなかった様子でもあるのが不思議だ。
 というより、実姉が私に紹介した男どもと仲良くする事実を歓迎していたふしすらある。

 それと並行して実姉は、自分が紹介した男どもと私がすぐに懇親になれるそのキャパを羨んでもいたのだ。
 「どうして、貴方は今現在知り合ったばかりの相手とそんな風にフレンドリーに対応出来るの? その能力が羨ましい。」と、我が30代半ばを過ぎた頃に姉が私に直接伝えた記憶が鮮明だ。
 これに関しては、我が長き独身時代を通じての「職業遍歴」に負うところが大きいものと考察しつつ…

 実姉からその話題が出た時点で、我が姉も米国で人格的成長(姉にも他者を羨み褒める能力がやっと備わって来た実態)を遂げているものと実感していたにもかかわらず。

 今振り返れば、その数年後に私から姉に対し「絶縁宣言」を下さねばならなかった事実が、無念でもある…


私も20年程前に実姉との縁を切った

2018年06月09日 | 人間関係
 何本か前に公開したエッセイ「米国の甥がNASAに就職内定、喜ぶべきだが…」 内で少しだけ記載したが。

 私が、国際結婚にて米国に永住した実姉と縁を切って、既に20年程の年月が流れている。
 その後、実母を通して姉(やその息子)に関する間接的な連絡はあるものの、私側からはもちろんのこと、姉本人からの連絡も遮断状態だ。
 これは、現在の通信手段の“着信拒否”革命の凄さの恩恵によるだろう。 私側から縁を切った直後期に姉が電話にて連絡を寄越そうとしたふしはあるものの、“着信拒否”技術発展の成果により、私はその後20年来姉と一切直接かかわらずに済んでいる。


 今日、何故この話題をテーマに掲げたかと言うと、本日2018.06.09付朝日新聞「悩みのつるぼ”の相談が、「妹からの突然の『絶交』宣言」だった故だ。

 早速以下に、70代女性による相談内容を要約して引用しよう。
 私と妹とは共に70代で3歳違い。 元々4人兄弟だったが他の二人が既に亡くなり、私と妹が残った。 それぞれの夫を見送った後、ずっと家族ぐるみで割りと仲良く付き合ってきた。 夫に先立たれてからも、お互いに誕生日プレゼントやお歳暮を贈り合うなど、気持ちのいい付き合いを続けてきたつもりだった。 
 ところが、最近になって突然妹からメールが届き、一方的な「絶交宣言」をされてしまったのだ。 妹曰く、「今まで我慢してきたが、しばらくメール、はがき、手紙は休みます。お元気で。」 本当に晴天の霹靂だった。  妹が頑なである限り、もう以前のような関係には戻る事は望めないと思っている。 ただ、あまりにも突然で想像もしていなかった事態に、自分の気持ちをどう落ち着ければよいのかが全く分からない。 このような状況との向き合い方をお教えいただきたい。
 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」より相談内容を要約引用したもの。)


 今回の「悩みのるつぼ」回答者は歌手・俳優の美輪明宏氏であり、その回答題目とは「まずは妹さんに謝ることから」なのだが……

 経験者である妹側の私から結論のみ言わせてもらうならば。

 それは絶対に違う!! 

 特に近しい血縁身内間での「絶縁」とは、“命がけ”に近いものがあると我が経験から宣言しよう。 今後一生絶対に関係をぶり返さないとの覚悟の下に成される壮絶な行脚なのだ! 

 今更、我が実姉との「縁切り騒動」を振り返りたくもないため、その理由等々の詳細記述は避けたいのだが…。
 実姉に対する“嫌悪感”は、既に幼少の頃から我が内面に存在していた。 何分、両親が共働き家庭で普段は祖母に育てられていたとの事情もあり、幼少の頃より“お利口さん”の評価が高かった私は、姉に関する苦情を誰にも言えず一人で耐え抜いていた。
 (姉側の名誉も言い分もあろうし、既に絶縁して20年の年月が過ぎ去った今となっては滅多やたらな発言を控えるべきだろうが…)
 片や姉は、幼少期より心理面で大きな問題を抱えていたようだ。 私のように“一人で耐える”との能力に欠け、常に両親は姉に手を焼いていたようだ。 
 そんな両親は、姉が私を“いじめる”との手段で憂さ晴らしをし、自分の歪んだ心の整合性を取っているのを祖母から聞いて知っていながら、妹である私の忍耐力に甘え見て見ぬふりをし続けた。
 そんな姉がちょうど高校生に成る時に、父の実家を一家4人で出る事になった。 その時の姉の希望が、「私は祖父母の家に残る!」だったのだ。 これを陰で一番喜んだのは私だが、実は父母共に手のかかる姉が祖父母の家に残ってくれる決断をした事を両親も内心喜んでいたはずだ。
 その後姉は大阪の大学に進学し、その後しばらく大阪で暮らした後、米国人との国際結婚にて米国へ渡ったとのいきさつだ。

 実際、実姉は我々一家にとって実に“迷惑かつ厄介な存在”だった。
 その姉が米国に渡り「私は大嫌いな日本へは二度と帰らない!」宣言をした時、特に私と実母は手を取り合って「良き結果となった」と喜んだものだ。
 ところが外見容姿が(私以上に!??)整い、頭脳明晰(これは私が姉より数段上かな!?!)かつ自己主張と自己顕示欲が激しい姉は、米国男性にはモテモテなものの、その異様な性質の正体がバレたならばすぐに捨て去られる運命に遭う、また遭うのだ…
 そうなると、すぐさま日本の妹の私と実母に泣きつく習性は米国に渡った後も続いてしまった…
 しかも嫉妬心激しい姉が、私が先に娘を出産した際に、私相手に何と電話を寄越したのかと言うと、「先に産みやがって! 姉の私がどれだけ辛いか分かるか!!」だった事実を一生忘れる事はない。
 ただ、その後姉本人も遅ればせながら43歳で男児を出産し安堵したのだろう。 後は比較的安定していた様子だが、それでもただの一人として女友達が出来ない姉は、日本の私へ愚痴電話を頻繁に寄越し続けた。

 その頃、私は娘のサリバンとして日夜切磋琢磨していた。 遠方に住む何の恩恵も無い姉などに関わっていられる訳も無い。 しかもおそらく私は娘のサリバン母として人格的にも強さを築き上げようとしている段階だった事と、後に考察するのだが。
 娘が4歳頃だっただろうか。 米国の姉からいつものように電話が掛かって来て私には無関係の無理難題(その内容は忘却しているが)を告げた際。 

 我が口から冷静にすんなりと出たのは。 
 「もう、金輪際縁を切りましょうか!? あなた(姉)も米国へ渡りその地で今後生きていくのでしょう?? 私の方は、あなたが大阪へ行った時から正直言ってあなたには何の用もなかったのよ。 それでもあなたがずっと私に電話や手紙を寄越すからそれに義務感で付き合ってきたけど、今後は私は娘の母親として可愛い娘を大事に育てることを最優先したいと思っている。 私の方は友達等人間関係にも恵まれているし、遠く米国に住むあなたに今後共一切依存するべき事も無い。」
 姉が何と応えたかの記憶が薄い。 ただ、我が“絶縁”に対する物凄いまでの覚悟の程は姉に通じたものと実感した。


 そして、あれから20年が経過した今尚、姉からも何らの連絡もない。
 きれいさっぱり絶縁できたと私は信じている。

 本気の絶縁とは、「謝れば許される」などとの生易しいもので絶対ないのだ!
 それを朝日新聞相談者も、今後共肝に銘じるべきではなかろうか。

古代オリエントへの誘(いざな)い

2018年06月06日 | 学問・研究
 (写真は、昨日訪れた 東京池袋に位置する「古代オリエント博物館」のパンフレット、及びミュージアムショップにて購入したエジプトの図柄入りコースター3点。)


 昨日、私はパスポート申請のため、東京池袋サンシャインシティへ出向いた。
 おそらく月初め週の半ば頃が一番空いているだろうと予想し、出かけてみると。

 大都会のパスポートセンターも、混雑期に行くと長時間の待ち時間が発生する。 例えば、年末年始前や5月の連休前などは、パスポートセンターのはるか向こうにあるエレベーターホールまで長蛇の列が及んでいる事を幾度か見た事がある。 ああなると一体何時間の無駄な待ち時間を費やさねばならぬのやら、想像も付かない。 

 そんな中、“月始め週半ば”の我が判断が大正解だ!
 待ち時間5分の後に、何の問題も無くスムーズに申請手続きが終了した。 後は出来上がったパスポートを来週引取りに行くのみだ。


 さて、予想以上に余った時間を池袋で何をしてルンルン遊ぼうかと考えた。 
 若き頃など、何よりも優先したのが“ショッピング”だったものだが。 今でももちろんその趣味は続行しているが、混雑した池袋でなくとて自宅近辺にも幾らでも好みの店はある。 

 そこで思い付いたのが、上記の「古代オリエント博物館」だった。
 この博物館へは何度も訪れ、 本エッセイ集内でもその会場内様子を幾度か紹介している。
 インド特集展をしていた時に会場内に「サリー体験」コーナーが設けられていて、その体験をした写真を左欄の「フォトチャンネル」内で紹介している。(よろしければご覧下さいませ。)
 2011.10.26 学問・研究カテゴリー バックナンバー「人類は“究極の正確さ”を求め彷徨う」に於いては、当該博物館にて展示されていた古代使用されたという“世界最大の分銅”を取り上げた。 それを観賞した私は、過去に携わった基礎医学研究の際に物質を小数点数位の単位まで精密に天秤にて測定した経験等を思い起こし、エッセイとしてまとめたものである。
 その他、タリバーンによって崩壊されてしまった「バーミャンの遺跡群」の復興作業等の特別展示も公開されていたりと、この博物館の偉業の程は素晴らしいものがあるのだ。


 さて、昨日訪れた当該博物館の「常設展」(現在は“コレクション展”と呼ばれているようだが)は、大人料金わずか¥600-にて観賞出来るためお勧めなのだが。
 館内ではまさに、古代オリエント全般を一覧可能な展示がなされている。 入り口では、映像にて「古代オリエント」を10分程でまとめて放映しているため、これもお勧めだ。
 しかも常設展中は混雑も無く、静かにゆったりと「古代オリエント」を堪能可能でもある。 (昨日は、館内が空いている事を良きこととして携帯通話をしていた“不届き者”がいたのが多少残念だったが…。)


 ここで上記博物館パンフレットより、「古代オリエントをとりまく世界」記述の一部を以下に要約して紹介しよう。

 <エジプト>
 ナイル川流域を中心として、3000年以上もの長い期間高度な文明が栄えた。 ギザのピラミッドやカルナク神殿、ルクソール神殿等が有名。 この地で生まれた“ヒエログリフ”はラテンアルファベットの祖先であり、現代のカレンダーにも古代エジプト歴が影響している。

 <メソポタミア>
 現在のイラクに流れるティグリス川・ユーフラテス川に挟まれた地域及びその周辺をさす古代の地域名。 バグダード付近を境に、北部はアッシリア、南部の沖積平野はバビロニアと呼ばれている。

 <ペルシア>
 現在のイラン及びその周辺地域をさす古代名。 アケメネス朝バルティア、サーサー朝ペルシアなどの王朝が起こった。

 <バクトリア>
 中央アジア西南部からアフガニスタン北部にかけての古代の地名。 前2500年頃からメソポタミアインダス方面との交流も盛んだった。 前4世紀のアレクサンドロス3世の東征以後、ギリシア人による王国が築かれた。

 <ガンダーラ>
 現在のパキスタン北部からアフガニスタン東部にかけての古代の地名。 特に1~5世紀に東西交易で栄えたクシャーン朝のもとで、国際色豊かなガンダーラ仏教美術が栄え、インド・中央アジア・中国などに影響を与えた。

 (以上、ごく一部であるが「古代オリエント博物館」パンフレットより引用したもの。)


 最後に私見を述べよう。

 私は「商業」(“専修免許”所得)及び「社会」中高教諭免許を取得し、短期間ではあったが高校教育現場で教職業務を追行したにもかかわらず……
 恥ずかしい事には、「社会」の分野の中で特に「歴史」が昔から苦手だったのだ……  赴任先でも、「歴史」の授業だけは絶対に避けたい意思を貫いて来た。
 現在の中高教員免許制度に於いて「社会科」は「地歴」「公民」と分離しているため、社会科担当教師の教育現場での負担は大いに軽減されているのだろうが。

 そんな私が「歴史」が本心で面白い事に気付いたのは、もしかしたら娘のサリバンを担当した時からかもしれない。
 娘小学生の頃に、社会科の歴史に関する宿題の手伝いをするに当たり、それに真剣に取り組んだ事により私は改めて歴史を学べた気がする。
 一例だが、娘が小6の頃「陸奥宗光」に関して調査せよ! との無理難題が担任より提出された。 正直言ってそれが誰なのか露知らなかった私だが、サリバンとしてそれを徹底的に調査して娘に提出させた。
 あるいは、「ベナン」との国に関する情報を調査せよ、ともその担任は娘を通して言った。 アフリカの一国であることは承知していたが、それもサリバンの私がその国の歴史も含め詳細を調査して娘に持たせた。 未だネットが今程発達していなかった頃の話だが。
 (話題が本筋から逸れてしまったようだが、この小6担任はどうも私立受験生及びその親を毛嫌いし、“お前らよりも自分こそが優位だ!” と誇りたかったのではないかとの記憶がある。)


 本題に戻そう。
 
 昨日“衝動的”に訪れた「古代オリエント博物館」にどれだけ心が癒されたことか。

 元社会科教員がどうのこうのなど今の私にとっては大した“経歴”にもなっておらず(「商業科教員としてはその使命を十分過ぎる程に果たせたとの自覚はあるし、生徒達との関係構築等が実に思い出深いことは事実だが)、二の次でよい事は十分把握している。
 そうだとしても実際問題、この博物館内の展示内容が現在の私のハートに響き渡ったのだ!
 へえ、そうなんだ。 「古代オリエント世界」ってこうだったんだ! などと、今更小学生の気分で改めて感動をもたらせてくれた1時間だった。

 あっ、そうそう。
 最後に、冒頭写真の「エジプト・コースター」に関する説明を付け加えよう。
 一番左側の女性は、ネフェルティティ王妃。  右側の生物(THOTH)は、トキの形をしたエジプトの月神 のようだ。
 娘中1時にエジプト・ギリシャ・地中海クルーズ旅行を実施した際、エジプトにて我がコレクションの一つである「コースター」を買い忘れていたため、昨日博物館にて購入したとのいきさつである。
 

“天才” は一日にして成らず。

2018年06月03日 | 学問・研究
 今回のエッセイは、朝日新聞2018.06.03 別刷「The GLOBE」を引用して論ずる内容であることを最初にお断りしておく。


 早速以下に、上記朝日新聞別刷より「環境が花開かせる『天才』」との部分を要約引用しよう。
 「天才」に対し、私達は「生まれつき常人とは隔絶した存在」とのイメージを抱きがちだが、本当にそうなのか。
 アルバート・アインシュタインは言葉の発達が遅く、学校が大嫌いだった。 一方で、10歳の時に叔父が「代数はxという動物を捕まえる狩り」というたとえ話で数学の魅力を教えてくれた。 家に出入りしていた医学生は幾何学を教え、「光の速さは常に不変」との後の相対性理論につながる科学書を与えてくれた。 これらの出会いなしに、アインシュタイン少年が「天才・アインシュタイン」になるのは難しかったかもしれない。 「天才」とは実は天賦の資質だけでなく、「その資質を100%開花させる生育・教育環境に恵まれた人々」のことではないか。 
 人がその才能を十分に伸ばせる子育て、教育方法とは何か。 現代の学校教育はその条件をどの程度満たしているのか。
 (以上、朝日新聞別刷記事より一部を要約引用したもの。)


 一旦、私事に入ろう。

 何度も同じ話題を当エッセイ集内で公開して(自慢して)恐縮だが。
 この原左都子は今から遡る事60年近く前の幼稚園児時代に、園内で実施された「IQテスト」に於いて所属していた幼稚園の歴代記録を更新する “IQ168” を打ち立てている。
 何故私自身がその具体的過ぎる事実を熟知しているのかと言えば、当時はその情報が幼稚園側からオープンにされていたからに他ならない。 親が幼稚園での親面談時にその話題が出て「何か特別な教育でもしているのか?」と幼稚園教諭から尋ねられたらしい。 親としては「何らの教育も無していない」事実を正直に伝えたとの事だった。
 いやいや、この時の「IQテスト」の様子は私本人こそが明瞭に覚えている。 どうも幼き頃より“集団嫌い”の資質があった私だが、あの「IQテスト」が何にも勝り面白くて面白くて熱中した記憶があるのだ。 こんな面白いことを何故幼稚園はいつもやらせてくれないのだろう?と、後で怨念を抱いた程だった。
 その後も、私は過疎地にて公立小学校・中学校と進学する訳だが、どの場でも教員どもが何故か我が「高IQ値」を公開していた様子で、友人達からその事実を知らされたものだ。

 ただ残念な事に我が両親は本人どもが自覚している通り、決して「教育熱心」な輩ではなかった。
 いや、おそらく持って生まれた頭脳には恵まれていたのかもしれない。 戦争との時期を乗り越える過程に於いて両家の事業が失敗との不運を辿り、父母共に「長子」であったが故に若き時代にはその後始末の処理及び“家”の復興に翻弄させられたようだ。 その後、両人共に“地方公務員”との道程を定年退職まで歩む選択をしたようだが…。


 それに引き換えアインシュタイン氏の生育環境の恵まれようが、私には羨ましい限りだ。
 何ですって?  叔父が「代数」を直接指南してくれるのに加えて、家に出入りしていた医学生が「幾何学」を個人指導してくれたのだと!??
  
 いえいえ、この私も中学生時代に「数学」が実に面白かった話題は、本エッセイ集 学問・研究カテゴリー バックナンバー「1か0かの世界」に於いて綴っている。 (“点と線”の概念や、“2進法”の論理が当時中学生だった私にとって実に斬新だった事実を記載しているため、よろしければご覧下さい。)
 あの頃に「数学」に興味を抱いた私が、その後理系に進学するのは必然的だっただろう。

 結局、世紀の科学者であるアインシュタインも、発達過程に於いて自宅に出入りする人材等々周囲環境に恵まれていたとの事実が浮き彫りになったとのことだ。


 当該「GLOBE」には、現在世界規模で活躍中のわずか27歳の日本人物理学研究氏にも触れている。

 その人物に関しては、私は今回が初耳だった。
 実名を挙げると、姫岡優介氏とのことだが。

 以下に、「BLOBE」よりその経歴を紹介しよう。
 アインシュタインの相対性理論と共に、現代物理学の双璧を成する量子力学。 その創設者の名を冠したコペンハーゲン「ニールス・ボーア研究所」の研究員に抜擢され、4月から研究生活をスタートしたのがこの人物であるらしい。
 姫岡氏の何が優秀と判断されたのかと言えば。 現代の主流である分子生物学が再生医療分野で大きな成果を上げて来たのに対し。 「生命の謎が分かった!」との実感を得るには、複雑さの背後に存在する「生命現象の法則」を、物理学や数学を駆使して追う方が有効ではないか。 
 と、姫岡氏が公言したことに遡るらしい。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 ここで、姫岡氏の大学進学後の略歴を紹介するに。
 AO入試で東北大学生物学科に入った後、物理学科に転科。 その後東大大学院へ進学し、氏の独自の理論論文発表によりこの度世界をリードする研究者にならんとし、上記コペンハーゲン研究者として招かれた様子だ。
  
 いやはや、この姫岡氏とやらの人物が天才なのか否かに関して、その人物を今の今まで“露知らなかった”私には論じる権利すらない。
 ただ、朝日新聞記事によれば、氏の母親氏がそれを導いたとのことでもある。
 まあ要するに未だ若き姫岡氏に関しては、今後の活躍が待たれるとの事ではなかろうか??


 最後に、我が尊敬するアルベルト・アインシュタイン氏に話題を戻そう。

 アインシュタイン氏に関しては、我が30代より(特に「量子力学的実在論」分野に於いて)、尊敬し続けている人物だ。 
 近年氏が「発達障害」を抱えていたと噂されて久しいが、氏の恵まれた成育歴こそが氏を天才物理学者として後世に名を轟かせるに至った歴史を改めて思い知る次第だ。

パスポート申請に何故「戸籍謄本(抄本)」が必要なのか?

2018年06月02日 | 時事論評
 この夏に、娘と二人の米国への個人旅行を予定している。
 その準備作業の一端として、昨日パスポート用の写真撮影と戸籍抄本取得に出かけた。


 私のパスポートはこの度作成するもので5冊目だ。

 一冊目は、忘れもしない19歳時の大学2年夏季休暇中に米国短期留学の際に作成したものだ。 とりあえず次なる海外旅行の予定が無かったため「単次パスポート」を作成した。

 その後24歳時に友人とヨーロッパ旅行を企てた際には、「数次パスポート」を作成した。 当時の「数次パスポート」は“5年もの”しかなかった記憶があるが、そのパスポートでその後もバリ島、香港、と当時の若者に人気だった旅先を引き続き訪れ、現地でキャピキャピと過ごしたものた。

 30歳初頭の頃、姉が国際結婚にて最初に渡ったハワイ・マウイ島へ、実母を引き連れ旅に出る際に「数次パスポート」を作成した。 既に“10年もの”があったか否かは不明??だが、このパスポートは姉が米国西海岸へ渡った後にも、3度程かの地を個人旅行で訪れる際にも使用した。 (その頃は我が“華の独身貴族時代”終盤期であり、その立場で姉の男友達との国際恋愛等々米国三昧に明け暮れたものだ。

 そして4冊目は、晩婚後に娘も伴い一家で訪れた「エジプト・ギリシャ・地中海クルーズ旅行」の際に作成した“10年もの”数次旅券だ。 (ところが、娘がギリシャで当時の持病だった不明熱高熱を出してホテルで2日間寝込み地中海クルーズには行きそびれた話題は、本エッセイ集バックナンバーにて公開済みだ。)
 ただこの数次パスポートは、その後大いに役に立った。
 知人の美術家氏(女性)に誘われ国際美術賞受賞目的でインドとアルゼンチン・ブエノスアイレスへ同行させて頂いた。 その後も娘と二人で韓国・ソウルにてのアートフェアに招待され、現地を訪れている。
 一昨年夏には、娘を引き連れて台北旅行にも行った。


 その4冊目のパスポートの期限が切れたのは昨年5月のことだ。 
 期限切れであることは承知していたのだが、次なる海外旅行の予定が無かったためそのまま放置していた。
 
 さて今夏の米国個人旅行を某社に申し込んだところ、なるべく早期にパスポートナンバーを連絡して欲しいとの要望だ。
 それではと、数次パスポート取得要綱をネット検索してみると。 有効期限切れのパスポートを保持している場合は「戸籍謄本(抄本)の提出が義務」とのこと。(いえいえ、これに関しては既に我がエッセイ集読者氏より情報を得ていたのだが。 QAZさん、その節はありがとうございました。)

 となれば、それを取得せねばならない。
 戸籍抄本取得自体は、区施設へ出向いて必要額(¥450ー也)を支払えば済む話だが。


 ところが、この「戸籍謄本(抄本)」取得の都度、我が脳裏には“腹立たしい記憶”が蘇ってしまう!

 その一度目は、我が30歳独身時代に単独購入して自力でローン完済した後、婚姻後ずっと「賃貸運営」していた自己所有マンション物件を、4年前にリノベーション物件として売りに出した時の事だった。
 担当の司法書士氏曰く、「戸籍謄本記録が複雑過ぎるために追加料金が発生する」と指摘されたのだ。(要するに、物件を購入した30歳時より現在に至るまでの戸籍経歴が複雑ということだが。)
 個人情報保護のため、何故我が戸籍情報内容が複雑なのかに関してはここではその説明は避けることとしよう。 少しだけそのヒントを書くと、もしかしたら配偶者と超短期間でも離婚・復縁をした経験がある人物にはお分かりいただけるかもしれない。
 それをこちらの過失のせいでやってしまったのならば、自己責任範疇だろう。 ところが私の場合絶対的にそうではない! あちら(亭主側)の未熟さ故に“一人芝居”をされた結果、妻側である私の戸籍が汚れてしまったのに…。
 日本の戸籍制度とは、あくまでも「夫」が世帯主であることを前提として作成されている。 「夫」側に如何なる瑕疵があろうが、戸籍上はあくまでも「妻」側に責任があるようなデタラメ記載システムとならざるを得ないようだ……


 我が60歳時の厚生年金受給開始の際にも「戸籍謄本」提出を余儀なくされた。
 抄本よりも謄本内容は、ずっと悲惨だ!
 上記記載の「離婚・復縁」の場合、それがわずか1ヶ月間の亭主側の過ちであろうが、妻としての我が戸籍記載が「子」より下の位置付けとなるのだ。
 これには愕然とさせられながらも、私は我が年金受取金融機関担当者氏に訴えた。「戸籍だけ見たら、まるで妻の私側が“アホ軽薄人生”を歩んでいるように記載されているのが我慢ならない! そうではない事実をご理解頂きたい!!」とどれ程精根込めて訴えただろうか。


 おっとっと。
 まさかパスポート申請に於いて、そんな我が家の過去を根掘り葉掘り調査される事はないのだろうと期待したいとして。

 それにしても、日本の戸籍制度とはどうしたものか?
 あくまでも一世帯を基準とし「世帯主」を筆頭と位置付ける旧態依然とした観点こそが、このような家族の悲劇を生んでいると私は捉え、この私もその一被害者であることをここで是非訴えたいものだ!

 今後の我が国での「戸籍制度」のあり方とは、あくまでも「個人」に焦点を置いて、生まれ変わるべきではなかろうか?
 それよりもとりあえず率先して欲しいのは、「住民票」の活用だ。 
 「住民票」に国籍を記載する欄を設ける等の手段で「戸籍謄本(抄本)」提出の義務を緩和して欲しいのが、(既に自分の戸籍を汚されている)我が身のたっての願いでもある。
 

我がフルート演奏の目的はその“練習過程”にこそあり

2018年05月31日 | 音楽
 (写真は、現在私がフルート練習を実施している楽曲譜面の一部を撮影したもの。)


 我がフルート練習行脚に於いて個人指導講師を“斬り捨て”、音楽スタジオにての自主練習一本に切り替えた後、早くも2ヶ月近くが経過した。

 その間、フルート練習はより内容を強化しつつ続行している。
 もちろん、日々の練習成果発表の場である「舞台出演」等の機会をまったく欲しないかと言えば、嘘になろう。 ただ理性的に判断するに、下手な演奏を人をかき集め無理やり聴いてもらって何になろうとの虚しさもある。
 私が調査したところ、今の時代、(特に大都会東京に於いては)巷に幾らでも小規模ライブハウスが存在して、素人でも“カネさえ出せば”「演奏披露」の機会を持つことは十分に可能なようだ。 しかも一人で観客集めに難儀せずして、それすら“さくら”観客の人数を揃えるサービスビジネスもあるようだ。
 まあ、もっと上手くなってその気になれば、そんな “いかさま演奏会” でも開き自己満足すればよいのだろうが……


 朝日新聞2018.05.28 夕刊 「音楽・舞台」のページに、そんな現在のフルート練習に対する我が思いと重なるような記事を見つけた。
 早速以下に、大阪市立大学某教授による「二つの音楽 成果か過程か 異なる目的」と題する記述の一部を要約引用しよう。

 2年前から「オヤジバンド」をやっているが、数カ月に一度練習スタジオに入り、ブルースやロックを気ままにセッションする。 メンバーの大半はポピュラー音楽研究者であるが、研究のプロであっても演奏は決してうまいとは言えない。 かつて「鳥類学者の仕事は空を飛ぶ事ではない」と述べた学者がいたそうだが、音楽研究の専門家としては下手な演奏を披露するのも心苦しく、人前で演奏した事は一度も無い。 ただ、練習後のビールは最高にうまい。
 このような、典型的なアマチュア音楽を楽しむ人は多い。 その目的とは「自分たちが楽しむこと」であり、必ずしも音楽的成果を目的とはしない。
 アメリカの某民族音楽学者は、単一の目的を伴う一つの活動として「音楽」を捉える見方を批判する。 彼によれば、音楽とは互いに存在意義や目的が異なる複数の活動により構成される複合文化実践と捉える。 すなわち、演奏の成果よりもその過程の相互コミュニケーションを目的とする参与型パフォーマンスは音を通じた社交形成としての重要な役回りを果たす、と論じている。
 しかし、今日の音楽の社会に於ける使命とは、演奏者が「価値ある音楽」を一方的に提供する上演型パフォーマンスの成果物を指すことがしばしばである。  文化としての音楽とは、そうではなく過程に重きを置く「別の音楽」もまたそこに潜んでいる。
 音楽を考える事とは、音楽活動の成果物について考えることとイコールではない。 故に我々は、ロックな成果を生まないオヤジバンドセッションに熱中し、終わればまたうまいビールを飲むのである。
 (以上、朝日新聞記事より引用したもの。)


 原左都子の私見に入ろう。

 そうか……。 大阪市立大学教授であられる某氏は、素人「オヤジバンド」を楽しんでいるって訳ね。
 その経験に基づき自らの専門である学問としての音楽に関し、「現在の音楽が置かれている“成果か過程か” 異なる目的」に関して論じたということね。

 貴方のオヤジバンドと我がフルート練習とが決定的に異なるのは、そのド素人音楽練習を「集団」でやっているのか「単独」でやっているのかとの点だ。
 貴方の理論の場合、結局そのオヤジバンドの練習を「集団」でやっているからこそ、実り無き下手くそな練習過程であろうが、その後のビールが美味しいということだよねえ。
 そして貴方の理論とは、結局「仲間皆で飲むビールが美味しい」からこそ、音楽に於いて成果ではなく過程も認められてよい、との結論に達するという事だよねえ。

 そう結論付けられてしまうと、我が単独フルート練習は、何に救いを求めればよいのか困惑してしまう。
 ただ私はたとえ単独練習であれ、練習終了後には私なりの“達成感”を得られていると判断している。
 まあ、今後は大学教授である貴方とは異質の、「単独練習」による達成感に関する学説でも我がエッセイ集にて唱えようではないか!


 それにしても今回大阪市立大学教授氏が朝日新聞に記載した文面を読ませて頂いて、分かった事もある。
 私が何故2ヶ月程前にフルート個人レッスン講師を“斬り捨て”るとの決断をしたのかの、一つの理由が判明した。
 当該フルート講師は、こんなド素人の私に対して「自分(講師先生ご自身)の演奏レベルに近づく事」を求めていたのだ。 それは要するに、講師氏が音楽を「過程」ではなく「成果」として捉えていた故だろう。
 
 その「過酷(無茶振り)」とも表現出来る状況から解放され、私は現在音楽スタジオにて単身でマイペースのフルート練習を堪能している。


 昨日は、故・西城秀樹氏の楽曲を何曲か“楽譜無し”で(途中で歌も交えて)フルートで吹いてみた。 いやあ、感慨深いなあ。
 そんな風に私なりにフルートを通して音楽を楽しむ日常が、音楽スタジオにてしばらく繰り返される事だろう。

孫の存在って、そんなに嬉しいものなのか?!??

2018年05月29日 | 自己実現
 結論から書くが、正直に言って私は本心で「孫」は要らない。
 決して、“負け惜しみ”で言っているのではない。

 そもそも、子どもすら要らなかった(より正確に言えば、いてもいなくてもよいと思っていた)人間だ。 いやもちろん産んだ我が子は可愛いし、一生に渡り“喜んで”娘と共に二人三脚で生きていくつもりだ。


 今回のエッセイは、前回のエッセイの続編の形となろうか。

 早速以下に、前回エッセイの結論部分のみを振り返らせて頂こう。

 郷里実母からの電話の話題は、すぐさま米国の孫の快挙に戻ってしまった。
 それを私がもう一度聞いてやった後。 「〇〇くんは凄い。私の誇りだ!」と実母からの電話は締めくくられた。
 そんなにも孫の快挙とは、高齢者にとって「誇り」となるものなのか??  いえいえ、ご自身が直接孫の世話をしている立場ならば、その孫の快挙を喜ぶ心理も分からなくはないが…
 実母の場合、米国の孫に対しては実質面でも金銭的にも何らの支援もしていない。 しかも、その母親である実姉からは「葬式にも帰らない!」と直言されている身にして、何故、実母がこれ程までに孫の快挙を喜ぶのか!??
 実質問題、自分の血を受け継いでいる(だからこそ孫は優秀だ!と信じたい)との理由しか、私には見つからないのだが……
 おそらく「孫」とは一生に渡り縁が無いであろう私にとっては、空虚感漂う実母からの本日の電話だった。
 (以上、前回の本エッセイ 結論部分のみを引用したもの。)


 前回のエッセイを記した後に、私は実母の “孫が成した快挙への異常なまでの執着” の深層心理を探ってみた。

 それに先立ち、何故実母が米国の孫の快挙に対して “異常なまでに執着している” と私が感じるのか?、の課題から考察してみよう。

 実母は自ら米国へ出向き孫が幼少の頃に短期間たった2度のみ会ったきり、その後はただの一度も面会していない。 長女である私の姉が日本を毛嫌いしている関係で、一度足りとて息子を連れて帰国しない故だ。
 それを実母が心底寂しがっていたため、むしろ私から提案したことがある。 「姉は放っておくとして、〇くん(米国の甥のこと)がある程度大きくなれば一人で日本に来れるだろうから、貴方から〇くんにお願いして〇くん一人で来日してもらったら?」
 実母も「それはいい考えだね!」と応えつつも、結局実現せずして〇くんは大学卒業して社会人となる訳だ。  これは私の想像だが、〇くん側も特段日本に来たくも無ければ、実母に会いたいとの希望が希薄と想像する。

 要するに、孫の〇くんへの実母の思いは明らかに “片思い” だ。
 むしろ実母は姉に“愚痴の吐き捨て場所”として都合よく利用されているだけの存在であり、おそらく姉は実母に背後で〇くんを一生会わせないように操っているとも考えられる。

 今となっては私が米国の姉一族と何らの接触も無い事を重々承知している立場ながら、実母は突然私に電話を寄越し、「貴方も〇くんの“叔母なんだから”喜べ!」とも発言したのだ。
 と言われてもねえ…。 
 前エッセイにて公開した通り、当該人物にただの一度も会った事も連絡を貰った事も無い私相手に、「快挙を喜べ!」と強制する方こそが “異常” であることは自明の理ではなかろうか?!


 我が母は、どうも昔から「血縁」に対するこだわりが強かったように考察する。

 我々姉妹が幼い頃より、母自身の出身家系の方が「優秀」である事を我々相手に誇っていた。
 その過ちに先に気付いたのは姉だ。 幼き頃に姉が私に告げるに「母はああ言うけど私はそうは思わない。 父系も優れているし、実際我々は父系の祖母にお世話になっている。 母の言う事をすべて信じてはいけない。」
 姉にそう言われて、私も我に返ったものだ。 ただ未だ幼き時代故に、当時の風習としてはやはり「母」に頼るのが必然的だっただろう。
 ここまで記して、実姉の「日本嫌い」のルーツが見える思いだ。
 要するに、実姉の「日本嫌い」のルーツとは“実母嫌い”に遡れるのかもしれない。
 
 それにしても実姉は今尚高齢者施設入居の実母に電話を寄越し、米国暮らしでの「愚痴」を言いたい放題の様子だ。
 それももしかしたら、血縁にばかりこだわり実質我々姉妹を育ててくれた父系祖母への感謝の欠片も無い実母への“復讐行動”なのかとも思えて来た!


 最後に、私論で締めくくろう。

 孫ねえ。
 私自身は本気で要らない。
 (ここで極秘に記すが、我が娘にはどうやら先天的に“恋愛感情”が欠落している様子でもある事実を近年私が認識しての判断でもある……。 この記述は娘の名誉にかけて、本エッセイ公開後の反応如何によっては即刻削除する予定。)

 そもそも私自身は、我が母親の「絶対血縁志向」の歪んだ成育歴により(?)若き頃から結婚願望も希薄ならば、実際孫は要らない人種である事には間違いない。
 それを「悪」と非難する人種が、今の時代背景に於いて増殖していない事実を味方に付けたい私でもある。

 ただ残念な事にはこのご時世に於いて、最近“子宝発言”自民党年寄り議員が出没したねえ。
 安倍政権とは、どこまで馬鹿を晒せば気が済むのだろう……

米国の甥がNASAに就職内定、喜ぶべきだろうが…

2018年05月27日 | 仕事・就職
 私には、米国在住の日米ハーフの甥がいる。
 何故ならば、実姉が米国男性と国際結婚にて米国に渡り、その地で甥を産んだからだ。

 ところが、私はこの甥に未だかつて会った事が無い。 
 実姉が大の日本嫌いを貫いているため、米国へ渡った切り一時帰国すら拒み続けている故だ。
 甥に日本語を使用させない教育も徹底していて、甥はせっかくの日米ハーフにもかかわらず日本語を露知らずして米国で育ってきている。


 私も高齢出産だったが、姉は私に輪をかけての超高齢出産、43歳時に甥を米国で産んだ。
 ただ、運命とは分からないものだ。 
 私が我が娘を“超難産”の末に仮死状態で産んだのに対し、姉は“超安産”にて軽々と甥を出産し、翌日には退院して普通に暮らし早期に職場(米国日本総領事館勤務だが)復帰した様子だ。 
 当時は未だ日米間で医療体制や出産に関する捉え方や措置も大きく異なったことだろう。

 いずれにせよ、出産時に“超難産”だったか “超安産”だったかの180度の差異により、その後の子育てに於いて、また我々姉妹はその後の人生に於いて大きく明暗を分ける運命を背負わされたようだ。


 我が娘に関する指導教育に関する詳細記述はここでは省略するが、母親である私が娘のサリバン先生として一生かけて二人三脚で娘と共に歩み続ける覚悟があることは、既に幾度もバックナンバーにて公開している。

 片や米国の甥だが、幼少の頃よりその“神童”ぶりに周囲親族皆が目を細めていた様子だ。
 しかもルックス抜群、17歳時既に身長が189cm(米国男性にしてはそう珍しくもないのだろうが)、その長身を生かしバスケットボールにも励んでいたらしい。
 末はプロバスケットボール選手でミリオネアかと思いきや、その傍ら高校生時代は理系進学を目指し勉学に励み、州立大学へ難なく合格。 
 そして大学にて更なる理系学問勉学に励んだ後の、今回の甥のNASA就職内定の快挙のようだ。


 私がこの速報を知ったのは、郷里高齢者自立支援施設に暮らす実母から本日午前中に電話が入ったことによる。
 それはそれは実母が電話口ではしゃぎつつ、それを私に伝えた。

 実母からの電話に関してだが、私の方から嘆願して決して真夜中の電話は避けて欲しい旨を先だって伝えたばかりだ。
 その案件があった後、しばらく実母からの電話着信を回避出来るものと安堵していたのだが…

 本日実母から掛かって来たのが、米国甥のNASA就職内定の電話……

 これを聞かされて、次女の私が心底喜ぶとでも思ったのだろうか………
 いやもちろん、全身全霊の演技力で「良かったね。〇〇くんがいい職場に就職出来て。」と開口一番実母に伝えたよ。
 そこまでで勘弁して欲しいサリバンの私が歩んで来た厳しい子育ての歴史が、アイツ(実母)には分からないのか??
 と思う暇もなく、実母が電話口ではしゃぎ続ける。 「〇〇くんは、小さい頃から頭のいい子だったのよ。私が米国に行った時にも私が教えた日本の歌を直ぐに覚えたし、その後も拙い日本語力で私に電話をかけて来て喜ばせてくれたのよ!」 「あの子はね。 その後も理系の勉強をとことん頑張ったんだよ。 だからこそ、こうやってNASAに就職出来るんだよ…」
 (それに引き換えあんたの娘は不甲斐ないねえ、とはさすがに実母も言わなかったが、私の耳にはその声が響き渡った…… )
 

 いくら老けたからといって、これだけ自分が産んだ娘の片方である次女の心理を完全無視する実母がこの世に存在して、許されるものなのだろうか??
 しかも、実母が日頃世話になっているのは一生に渡りその次女の私だ。 何か困惑した出来事があると、必ずや次女である私に電話を寄越す。 それは米国在住の長女に関する苦情とて然り!
 何度、米国に住む長女に関する苦悩の程を実母から聞かされ続けていることだろう。

 そこで私も勇気を持って、その思いを電話口の実母に少しだけ説教した。
 「人生って波があるものなのよ。 今は米国の姉も甥の就職内定に浮かれているのだろうが、そのうちまた貴方に電話口で泣きつく時期が訪れるよ。 次女の私としては既に米国の姉一族とは縁を切っている立場だ。 それなのに母の貴方は、いつまでも私に米国の姉の不祥事の際に私に泣きつく癖が治らない。 今後は私が現在置かれている立場にも、少しは配慮してくれないかなあ。」

 ところが、高齢者とは実に困難な相手だ。
 実母が聞いたのは、最後の「私が現在置かれている立場にも少しは配慮してくれないかなあ。」のみだった。
 それに関しては、「よ~~く分かっている。貴方が日々苦労していることは。」と応えるものの…。
 その後の実母からの話題は、すぐさま米国の孫の快挙に戻ってしまった。
 それを私がもう一度聞いてやった後。 「〇〇くんは凄い。私の誇りだ!」と実母からの電話は締めくくられた。


 そんなにも孫の快挙とは、高齢者にとって「誇り」となるものなのか??

 いえいえ、ご自身が直接孫の世話をしている身ならば、その孫の快挙を喜ぶ心理も分からなくはない…

 実母の場合、米国の孫に対しては実質面でも金銭的にも何らの支援もしていない立場。 しかも、その母親である実姉からは「葬式にも帰らない!」と直言されている身にして、何故、実母がこれ程までに孫の快挙を喜ぶのか!??
 実質問題、自分の血を受け継いでいる(だからこそ孫は優秀だ!と信じたい)との理由しか、私には見つからないのだが……

 おそらく「孫」とは一生に渡り縁が無いであろう私にとっては、空虚感漂う実母からの本日の電話だった。