原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

左都子コレクション - 手作りしおり編 -

2018年11月18日 | 雑記
 (写真は、15年程前より暇を見つけては“手作り”している「ガラクタしおり」。)


 原左都子の“コレクション”って、どうしてこうも「ガラクタ」ばかりなの??
 と、呆れ果てていらっしゃる読者の皆様も多いことであろう。

 その中でも今回のコレクションは、「ガラクタ」中の「ガラクタ」だ。
 “手作りしおり”などとイッパシに表現しようが、その実態は廃品利用かつ幼児でも作れるレベルのくだらなさで恐縮ですらある… 


 本日、この「ガラクタしおり群」を公開に踏みきった理由とは、最近ため込んでおいた洋服のタグがある程度の数集まったが故に、久々につい先程「ガラクタしおり」を制作したからに他ならない。

 
 上記「ガラクタしおり」を制作し始めたきっかけとは。

 我が娘が通った私立中学が、都内某私立大学の付属学校だった。
 将来的に最悪の場合(と表現しては大学に失礼である事をお詫びするが)、娘が内部進学にてこの大学へ通う事も視野に入れ、私は当該私立中学入学前の3月に早くも「大学卒業制作展」に娘を伴い出向いたのだ。

 その際の制作展示物の中に、上記の「手作りしおり」類似の作品群を展示している学生がいたのだ。
 “安易な卒業制作”と言ってしまえばそれまでであろうが、我が感覚としては、「アイデアとしては優れているし、例えばこの学生が幼児指導者を目指しているような場合、将来実践面でも役立つだろう」とプラス評価したのだ。(繰り返し失礼な表現を重々お詫び申し上げます。)

 娘と帰宅後、「あの“しおり”を作ろうか!」と娘を誘い、早速作ったのが自宅にあった菓子箱や娘の本に付いていたしおりを改造して、新たなしおりを制作する事だった。
 (15年程前の当時制作した「しおり」も、上記写真内に撮影されているが。)


 その後は私に時間が取れる時の我が趣味(と言うよりも“息抜き”として、現在までの15年間に及び「ガラクタしおり」を制作し続けている。
 (参考だが、これらしおりには必ず裏面に「千代紙」等々を貼る付けるとの強化措置を施してもいる。)


 上記写真は、それらをランダムに並べたものだが。
 簡単に、その“しおり群”のカテゴリーを紹介するならば。
 過去に於いて訪れた「美術館・博物館」あるいは「クラシックバレエ公演」等々のチケット半券を保存しておき、しおりに化したものも数多い。
 
 あるいは冒頭に述べたが、衣類を購入した際に付随して来る「タグ」類の芸術性が素晴らしいのだ。  それらを保存しておき、ある程度まとまった量になると「しおり」化する事も多い。
 
 特筆するべきは。  冒頭写真中央に位置する「猫の絵」に注目していただきたいのだが…。
 この絵は娘が幼少の頃、発語もままならない時期に描いた「猫」である。
 これと同時に、もう一匹動物の絵(熊だっただろうか?)も描いたのだが、それに関しては親である我が記憶が薄いのだが…。
 (多少発達が遅れていた)その娘の行動が実に嬉しくて、これらの「猫」と「熊?」に名前を授けることとしたのだ。
 そうして名付けたのが。 猫は「おなちゃん」、クマは「おなくん」だった。
 その名付の由来をここで公開させて頂くならば。 幼少の頃の娘が一番安心する場所が、母である私のお腹(なか)だったらしい。 当時言葉少ない娘が「おなか、おなか」と言いつつ我がお腹にすり寄って甘えていた記憶が現在尚新鮮である。 
 「〇ちゃんは、お母さんのおなかが好きなんだね~」と言いつつ毎朝登校前に抱っこをしてやる習慣が、小学校6年生まで続いた。
 今となっては実に懐かしい思い出だが、そんな母娘関係を人よりも長い期間維持してくれた我が娘に感謝感激である…。
 それにしても、この「おなちゃん」の絵、親馬鹿ながら実に表情豊かでしょ!??


 我がくだらないコレクションの公開記事は、これで終了するとして。

 それでも、今後も私は衣類のタグや美術館見学時の半券を保存し続けて。
 当該「自作しおり」制作を、命ある限り続行するやもしれない。

 遠い過去に於ける某大学卒業制作展にて、当該「しおり制作」のきっかけを与えて下さった学生氏へ。
 何が、どんな実績が、後世に伝わるかなど分かったものじゃないですね。
 こうやって、貴方のアイデアを現在尚趣味に活かしている人間が存在する事実を、是非貴方に伝えたいものだ!

操縦士飲酒問題、飲兵衛の身としては他人事でないが…

2018年11月17日 | 時事論評
 ここのところ世間を騒がせている、航空機操縦士(副操縦士)の飲酒事件だが。

 おそらく今に始まった事ではなく、昔から水面下で同様の事件が発生し続けていたことであろう。


 早速ネット情報より、当該事件に関する情報を引用して紹介しよう。

 日本航空の副操縦士が10月末、酒気帯び状態でロンドン発羽田行きの便に乗務しようとして英国警察に逮捕された事件で、日航の赤坂祐二社長は昨日11月16日に東京都内で記者会見し「絶対にあってはならない事例を引き起こしたと強く責任を感じている」と謝罪した。 日航は会見で、検査をすり抜けるためにアルコール感知器の不正な使用が横行していた可能性に言及した。
 日航によると、逮捕された副操縦士が使った旧型感知器を調査したところ、息の吹きかけ方次第でアルコールを検知しないことが判明。 運航本部長は会見で「正直言って全員が正しい使い方をしていたのかと思う」と不正横行の可能性があることを認めた。 ロンドン・ヒースロー空港の日航事務所で乗務前、副操縦士が息を吹きかけた際、隣にいた同便の機長は「(副操縦士は)息を吹きかける時間が短かったかもしれない」と証言したことなどから日航は意図的に検査をすり抜けたと認定した。
 副操縦士の酒気帯びは、機体に移動するバスの運転手が酒の臭いに気付いて発覚したが、同乗予定だった機長2人を含め、副操縦士と至近距離で接した12人は「気付かなかった」と証言。機内に乗り込んだ後、バス運転手の通報で駆けつけた空港保安担当者に呼び出された副操縦士は「酒は飲んでいない。うがいをさせてほしい」と叫んだという。
 一方、10月末に機長の飲酒で国内線5便が遅延した全日空グループは16日、2013年以降、パイロット8人から社内基準(呼気1リットル中0.1ミリグラム)を超えるアルコールが検出されていたことを明らかにした。 いずれも羽田空港発の便で遅延はなかったという。
 日航と全日空は16日、国土交通省に再発防止策を報告した。アルコール濃度の数値が測定できる新型感知器の全空港への配備などを盛り込んでいる。
 鉄道について国交省令は「酒気を帯びた状態で乗務してはならない」と規定しているが、具体的基準は定めていない。 JR東海は乗務前点呼で飲酒の疑いが生じた時にだけ感知器検査をしていたが、新幹線は今年3月、在来線は同4月から全乗務員に実施している。
  再発防止策の骨子
   ※( )内は導入時期
■日本航空
・アルコール検査時に地上スタッフが立ち会う(11月)
・基準超えのアルコール検出に対する厳罰化を明文化(調整中)
・健康状態にアルコールの影響がある社員のケア(来年2月)
・客室乗務員や整備士らに対するアルコール検査(調整中)
■全日空
・適度なアルコール摂取量目安の内規への明文化(12月)
・パイロットらに携帯型アルコール感知器を貸与(12月)
・新型感知器を羽田空港以外の国内外全空港に配備(12月中)
・空港構内の車両運転者に対するアルコール検査(来年4月めど)
 (以上、ネット情報より要約引用したもの。)


 一旦、私事に入ろう。

 いやはや現役の職業人時代には、仕事仲間達(そのほとんどが男性)と毎夜のように飲み歩いていたものだ。
 一次会で終わる事は少なく、必ずや店舗を変えつつ二次会、三次会と酒宴は続き… 
 終電で帰宅する時など、まだしも優等生…。  自宅に帰ってからきちんとシャワーを浴び、その日着ていた衣類を必ずや手洗いで洗濯し(真夜中に洗濯機を回すのは近所迷惑行為のため)、普通に床に就いたものだ。
 朝起きてベランダに洗濯物が干されているのを見る都度、飲兵衛の自分の“頑張り”に感激したりもした。
 終電に間に合わず、と言うよりも最初からタクシーにて帰宅する予定で深酒する日も少なくなかった。
 午前3時頃帰宅して、朝7時起きで普通に職場に出勤したものだ。 ただ前夜飲んだ酒の量が尋常ではなかった次の日は、我が体内からアルコールが抜けていない感覚はあった。
 そんな日の午前中は、確かに仕事に取り掛かるのに多少の苦痛感があったが。 それでも私の場合、おそらくアルコールに対し強靭な身体に恵まれていたのだろう。 午前10時頃が過ぎると、自ずと普通の状態に身体が戻っていたものだ。 

 今思い起こすに私が現役社会人時代とは、「アルコール」に関して“寛容”な時代背景だったのであろう。 深夜の電車内では普通に酔っ払いが大手を振っていて、電車内が“アルコール臭かった”ような記憶がある。(私自身もその原因人物の一人だったことをここでお詫びします…

 時は移り行き、「アルハラ」「セクハラ」等々ハラスメント概念が大手を振り始めて以降、世間が「アルコール」に関して厳しくなった。(あくまでも飲兵衛観点からの表現しか出来ない私をお許し下さいますように。)

 ただ飲兵衛側としてもその社会風潮に迎合せねば、この世を渡っていける訳も無い。
 私の場合は自己の高齢化に伴い職場の飲み会から自ずと離れ、現在に於いてはマイペースで「酒」を楽しめる環境化に自然と移ろいでいる。 
 そのお陰で、現在の私は世間から「アルハラ」と後指を指されるごとくのご迷惑など、絶対に掛けていないと宣言できよう。


 一昔前には、「パイロット」「スチュワーデス」と言えば、子どもがあこがれる“花形職業”だったものだ。

 「スチュワーデス」など、今となっては“スッチー”などとの表現で蔑まれる職業と成り下がっているが…。 現在では「客室乗務員」なる日本語名称が一般的となり、既にその職業形態とは「契約制」等々の非常勤体制が敷かれている事だろう。

 片や、「パイロット」。
 こちらの方も昔とは大いに変貌し、“不人気”な職業との情報も見聞する。


 最後に、私論でまとめよう。

 実際問題、航空会社に於ける特に“国際線”など、操縦士にせよ客室乗務員にせよ過酷労働を余儀なくされる職業である事に間違いないだろう。

 過酷な労働であればある程に、「酒好き人種」にとってその労働を癒してくれるのは「酒」に行きつくのも、“飲兵衛”の立場として私は重々理解可能だが…

 う~~~~ん。
 もしもこのまま航空会社側が乗務員の「飲酒」のあり方を制限し続けた場合離職者が増える一方で、優秀な人材を失い続けるであろう懸念すらある。

 それでも、乗客の安全を死守せねばならない運輸会社の現在置かれている立場の程が、痛々しくもあるのだが……

 ここは、アルコールに強く必ずや飲酒後12時間(いや7時間も経過すると)後には絶対的に酒から覚めている我が身体的特徴を活かし、この原左都子こそがパイロット採用試験を受けようかなあ~~ 

今秋も伊那の “ブロッ娘” が到着しました!

2018年11月15日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、昨日長野県伊那市よりクール便にて到着した採れ立ての“ブロッ娘”。)


 「原左都子エッセイ集」に於いては、2本連続で “秋の風物詩” エッセイが続くが。


 上記“ブロッ娘”の贈り主である長野県伊那市のK氏と私とのお付き合いは、既に11年目に入っている。
 バックナンバーで幾度も記述済だが、二人の出会いは何と!、当該「原左都子エッセイ集」なのである。
 当エッセイ集開設当初より愛読者のお一人だったK氏は、伊那の大農場主であられるのだが。
 ある時、「もしもよかったら、農場で収穫した農産物を送るがどうか?」 なる趣旨の連絡を頂戴した。
 K氏のお人柄は我がエッセイ集へ頂けるコメント等より既に熟知していたこともあり、即座に「よろこんで!」なるちゃっかり返答を出した。

 そうしたところ、毎年初春には「うど」「わらび」や「アスパラガス」、初夏には「ブロッ娘」、そして秋にも秋採れの「ブロッ娘」、冬には「リンゴ」等々伊那からの“美味宅配定期便”に、我が家は恵まれ続けているのだ。

 その後年月が流れ我がエッセイ集開設10周年に伴い、K氏よりの農産物プレゼント歴も自ずと10年の長きに及んだ昨夏のことだが。  私はその10年来の御礼を申し上げる目的で、娘を伴って長野県伊那市までK氏の大農場見学に行かせていただいたのだ。
 その結果としては、こちらから御礼を申し上げるどころか…。 
 K氏より“伊那観光”への誘(いざな)いやら、帰京後にはお土産を盛沢山お届け下さる等々、至れり尽くせりの“おもてなし”を頂く事と相成った。 (いや~~、持つべき友は大農場主に限るなあ。)


 さて、そんな大農場主K氏にも、大いなる弱みがあるのは必然だろう。
 何分、「農業」(あるいは「林業」や「水産業」も含め)大自然の営みの下で行われる生業であるが故の予期不能大打撃に苛まれるのは悲しかな“宿命”でもあろう。

 今秋の“ブロッ娘”(参考だが、K氏農場で収穫されるブロッコリーのブランド名としてK氏自らが愛情込めて名付けた名称。“ブロッコ”と読みます。)の到着が遅れている事実に、当然ながら私も感づいていた…。

 そうしたところ、K氏より10月初旬に届けられたメールによると。
 (以下、K氏よりのメールより要約引用させていただくが。)

 自然の中での栽培は、その陽気の変化によって大きく左右されます。
 春は順調に育ち収穫量も昨年を500ケース程オーバーできましたが・・・
 7月、8月の類を見ない、高温猛暑の日々。9月に入ると、相次ぐ台風の襲来!
 野菜類は特に高温、多雨に影響を受け易いものでして、我がブロッ娘も大変な事になっています!
 昨年同時期(10月4日)の出荷累積箱数は・・・1320ケース
 ところが、今年今日現在で・・・たったの6ケースです。 しかも、殆どB等級!
 1~5番手までの作付けですが、1~4番手がほぼ全滅、壊滅の状況です。
 「花蕾腐敗病」「軟腐病」に犯されてしまい、売り物にならないのです。
 もう、後残す所は5番手しか残っていませんで、此の後の陽気が心配されます。また、台風25号が・・・
 天候には勝てませんから、諦めるしか有りませんが、ショックで・・・
 従来にもこうした収穫にならない状況(軟腐病、ねこぶ病等)はありましたが、少ない面積でのこと・・・ 此れだけ多くの面積に被害が出ることは有りませんでしたから、凄く落ち込んでいます。
 こんな状況故、良品の出来るのを期待して待っていましたら、もう後のない所まで来てしまっていました。
 どうか、この実情ですので、誠に申し訳ございませんがご容赦下さいませ。
 最悪、送れない事になるやも・・・
 (以上、伊那のK氏よりのメールより引用させて頂いたもの。)


 これ程までに弱気のK氏よりのメールに直面するのは、11年来今回が初めてだったかもしれない。
 ただそれ程までに今年の春夏秋の異常気象は、想像を絶するものだったとも振り返る。

 厳しい現状下に置かれ、それでも“ブロッ娘”の再起を願い農作業を続けるK氏宛にエールを送りつつ。 私は「今秋のブロッ娘受け取りを遠慮する」趣旨のメール返答をした。


 その後1ヶ月半が経過して。

 K氏より、「今秋最後の作付け“ブロッ娘”が収穫を終えた故にクール便にて送ります」なる趣旨のメールが届き。
 その翌日(昨日のことだが)、例年と何ら変わらぬ“美人”かつ“美味”の「ブロッ娘」が我が家に到着した!

2018.11 ねりま光が丘公園の秋 (フォトチャンネルより)

2018年11月13日 | 雑記
2018.11 ねりま光が丘公園の秋




 (上記フォトチャンネルは、2018.11.11にねりま光が丘公園にて開催されたロードレースに出場した際に公園内の樹木等を撮影したもの。  その上の冒頭写真は、当該フォトチャンネル内の一風景。)


 毎年秋に恒例行事として出場している「ねりま光が丘ロードレース」だが。

 以前(亭主が現役時代)は、日頃のランニング練習もこの光が丘公園にて頻繁に行っていた。
 「亭主元気で留守がいい」との名言通り、昼間の時間帯に余裕がとれた故に、電車に乗って光が丘まで出かける時間が確保出来たお陰だ。

 ところが亭主定年退職後は夕飯の時間が早まってしまい、光が丘までランニング練習に出向く事が叶わなくなった。
 近年ではやむなく我が家の近くの都立城北公園や、体育館内スポーツジム併設の室内トレーニング走路が我がランニング練習場と化している。

 故に自ずと私が光が丘まで足を運ぶのは、年に1度のロードレース大会時のみとなってしまった。


 例年11月上旬に開催されるロードレース大会だが、季節柄樹木が紅葉を迎える頃だ。

 毎年デジカメを持参して、その風景を撮影するのだが。
 今秋はどうやら夏の厳しい猛暑の影響か、紅葉が随分と遅れている様子だ。


 それでもロードレース大会当日は、素晴らしいまでの晴天に恵まれた! 
 むしろランナーとしては暑いくらいで、それ故か出場者皆のタイムが優れず、お陰で暑い夏場から練習に励んだ私としては、順位面では納得できる結果が得られた。


 片や、公園の樹木群の素晴らしい事!
 紅葉が遅れているとはいえ、風情ある秋の風景が公園内樹木群により十分に醸し出されていた。

 この光が丘公園は、バードサンクチュアリ施設も充実していて、そのファンらしきカメラマン氏達が当日大勢集っていた。

 
 我が家近くの“都立城北公園”は、都心部にしていつも市民が集い活気付いている公園だが。

 片やこの光が丘公園は少し都心から離れていることもあろうか、四季折々の自然が移ろい行く姿が観察出来る素晴らしい公園だ。

「あの人、あの細足でよくぞランニング大会に出場してるわねえ~」

2018年11月12日 | 自己実現
 (写真は、昨日原左都子が出場した“市民ランニング大会”の「完走証」。)


 いえいえ決して昨日のランニング大会会場にて、上記表題の言葉を投げかけられた訳ではない。

 ただ数年前に出場した大会で沿道より我が走る姿を見て、「うわ~、足が細い!!」なる咄嗟の感想を述べた女性ギャラリーがいたのだ。
 これがランニング大会ではない場であれば、我が耳にはプラスの意味合いに響いたことであろう。
 何故ならば特にファッション分野に於いて、私はこの“足の細さ”で絶対的に得をし続けている実感がある故だ。 

 ところが殊、ランニング大会会場内でこの言葉が発せられると…
 市民ランナーの私にとっては冒頭表題のごとく、「あの人、あの細足でよくぞまあランニング大会に出てるわねえ~~」 なる蔑んだマイナスの意味合いで“足が細い”事実を認識せざるを得ないのだ。

 と言うのも既に10年近くの期間に渡り、年に2度のペースで市民ランニング大会に出場し続けていると。
 必ずや会場にはプロ(あるいは“箱根駅伝出場等々のセミプロ)もどきの高速ランナー達が“練習の場”として出場している。
 男女を問わずそれら高速ランナー達の「身体」を観察拝見し続けるに、特に“足の筋肉差”が歴然なのだ!

 いやはや一番最初に出場したランニング大会にて既にその“筋肉格差”に愕然とした私は、「やはり何処の世界でもプロにはどうあがいても一生叶わない…」宿命を痛い程実感させられている……


 さてここで。 
 何故我が足はこれ程までに“筋肉”に恵まれなかったのかに関して記した、当エッセイ集3年程前に公開のバックナンバーを振り返らせて頂こう。

 私には現在“50の手習い”で始めたランニング趣味がある事を、時折「原左都子エッセイ集」内で披露させて頂いている。
 何分、小学生時代には「逆上がり」にすら困難した“運動劣等生”の私だ。
 あの屈辱には懲り懲りの実体験を幼き心に学校現場より我が脳内に刻み付けられた私だが、その体験から、後後好き好んで体育会系の部活になど所属するはずは断じてあり得ないと考えていた。  我が人生に於いては、おそらく「スポーツ」なる分野とは無縁の人生を歩むものと、過去の歪んだ学校教育より信じさせられていた私だ。
 その一方、「音楽」好きが高じてそちらの分野よりダンスの趣味が芽生えた。
 20代初頭に上京した私がディスコに興じない訳がなかったし、その後も自分自身が都内に探し当てたプロ経営の「ジャズダンススタジオ」にて、その鍛錬にも一時励んだ。
 ところが、基礎体力及び身体の柔軟力に欠ける私は、プロ育成を主柱としている当該スタジオにて我が趣味を貫くのは不能と思い知った。 (ただ参考だが、ダンス部門とは昨今を問わず舞台映えするにはダンサーの「体型」こそが命である。 私の体型が主催者の目に留まっていた事を理由にダンススタジオに一旦引き止められたことを、自慢話として付け加えておこう。)
 その後20数年の年月が経過し、私は今後老齢に移り行くに際し長寿を目指すには身体を鍛えねばならないとの使命感を抱き始めた。 
 その使命を実行するべく民間ジム会員として通い始め、その流れで開始したのが「ランニング」である。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)


 それでも、ランニング素人にして「素人ランニング大会」に出場する実態とは、まさに標題が物語っているような“劣等感負荷”を出場の都度私は感じさせられる事実でもある……。

 要するにプロから言わせれば、「お前など“場違い”だよ」との事ではなかろうか?

 その通り! と私も実感出来ているよ。
 ここで素人ランナーにとって自身の弁護に役立つのは、自分が現在紡いでいる(あるいは過去に於いて紡い来た)「専門力」ではなかろうか?
 ランニング大会では悔しい思いをさせられ続けているが、こんなにヘボい私にも「実は別の専門があるんだぞ!」と(水面下で誇れる)分野がある事こそが、ド素人にしてのあくまでも“趣味範疇”のランニング大会連続出場を支えているような感覚もある。


 などと貧相な“能書き”を垂れるよりも、実際ランニング大会で素人各自が完走出来る事実こそが爽快であることには間違いないだろう。
  
 昨日の市民ランニング大会で共にゴールを目指し完走した素人市民ランナーの皆さんへ。
 その達成感が紡ぐ今後の輝かしき人生へのエールを贈りたいものだ!

左都子コレクション - ヘアウィッグ編 -

2018年11月10日 | 雑記
 (写真は、私が近年特注でオーダーメイドしたり購入したりして所有しているヘアウィッグの一部。)


 原左都子は決して“猟奇趣味”という訳ではない。

 では何故、数多くのヘアウィッグを所有しているのかと言えば。
 私にとってヘアウィッグは、決してコレクションではなく必需品、より正確に表現するならば“身体の一部”である故だ。

 上記写真のうち、前列中央が現在現役で使用しているウィッグ。 その後方左側が、その前に現役で使用していたウィッグである。
 後列右は、後列左のウィッグをオーダーした際にほぼ同時に作成したウィッグだが、同じように頭の寸法を測って同じ工程で手作りしても、出来上がって来るウィッグの個体差は激しものがあるのが実情だ。 との理由により、悲しいかな使用せずしてお蔵入りしているウィッグである。

 前列左右は、つい最近ネット通販にて購入した市販のウィッグ。
 何故これら複数の市販ウィッグを購入するに至ったのかといえば、現在使用中のオーダーメイドウィッグがそろそろ寿命を迎えるからに他ならない。

 オーダーメイドの場合、どうしても高額とならざるを得ない。 (上記写真の我がオーダーウィッグは一枚に付き数十万円の価格である。) しかも先程も記したが、オーダーと言えども完成品の個体差が激しく必ずや気に入る訳ではない。 一応の保証期間がありその期間内は調整が出来たり、最悪の場合“作り替え”も可能ではある。 ただし長年幾度もウィッグをオーダーしている身として、幾度も“作り替え”を要求するのはさすがに気が引けるものだ…
 そのような“オーダーウィッグ”の欠点を考慮した場合、もしも市販のウィッグで事が済むのならばとの考えで、後学のためにこれらを買い求めたとの訳である。
 

 既に23年来ウィッグのお世話になっている身だが。
 上記写真は、あくまでも近年買い求めたウィッグ群であり、自宅押し入れの中には1枚に付き数十万円かけたオーダーウィッグが7枚程保存されている。 我が身体の一部として確実にその役目を果たし老朽化したウィッグは既に廃棄処分としており、要するに押し入れにお蔵入りしているウィッグとは“無駄な出費の産物”と言う訳だ…  

 
 そもそも何故、私はウィッグを頼らずしてこの世を渡れないのかに関してだが。

 何度かその実情を、当該エッセイ集バックナンバーにて公開している。
 ただし、私は自分や家族の病気・障害等々弱点に関し、大々的にブログで公開する事を好まない主義であることに関してもバックナンバーにて述べて来ている。

 それ故に、今回も大袈裟に我が過去の癌罹患について述べることは控えるが。
 要するに、過去に於いて頭部に「皮膚癌」を患いその摘出及び植皮手術を受けたがために、一生に渡ってその手術痕を抱えて生きる運命下にあると言う訳だ。

 そんな私に、我が娘が素敵な“愛称”をプレゼントしてくれた。
 それは「河童(かっぱ)」なのだが、確かに我が頭にはお皿がある!(頭頂部やや左寄りだが)
 娘のその“感性”に感激して、その後その「かっぱ」をひっくり返し「パッカ」を我が愛称として自宅で利用し続けている。 (参考だが、私が皮膚癌に罹患したのが40歳時点、娘が物心つく前から私は既に“河童頭”だった。)
 それ程に、我が過去に於ける“癌罹患”は現在に於いてはプラスに機能している。


 とは言えども…。

 ウィッグに頼る人生とは、まずカネがかかる…。 
 今後100歳まで生きるとして、ずっとオーダーウィッグを使用し続けた場合、おそらく後数百万円の出費となろう。 (そんな事を家族の世話になる訳にもいかず、それを我が将来必需費用として計算し既に自力貯蓄済みでもあるのだが。)

 それよりも何よりも、外出時にいちいちウィッグを被らねばならないその作業が鬱陶しいし、夏は暑いし、風が強い日の対応も実に大変だ。

 温泉旅行など行けたものではない。(私の場合、元々その趣味が無いのだが、認知症状ある義母の温泉旅行付き合いには実に難儀した。
 やむを得ずガーゼ頭のまま義母を引き連れ温泉へ向かう途中、同じく温泉へ向かう我がガーゼ頭を見た高齢域男性から、「どうしたの、怪我でもしたの?」との優しい問いかけだ。 「いえ、単に過去の手術痕を隠しているだけです」と応えると、「そんなの気にしなくていいよ、そのまま温泉に入ればいいよ!」との何とも心優しい回答だった。 
 そうは言われても…  女湯の宿命とは厳しいものがあることなど自明の理だったものだ。


 つい最近、ネット販売にて買い求めたウィッグに関する我が感想だが。

 23年来ずっとオーダーウィッグに依存して来た私の当初の感想は、現在の市販ウィッグが実によく作られているとの事だ。
 その髪質など一見すると、オーダーウィッグよりも優れている感覚すら抱かされる。
 ただし実際に装着せねば、ウィッグの価値とは分からないものだ。

 それを試みたところ、やはり市販ウィッグならではの問題点がある事実が否めない…

 やはり我が残された運命とは。
 20年来お世話になっている大手かつら企業へ近々出向き、次なるオーダーウィッグを作り直すしか手立てが打てないような気もする… 

 病気を克服して生き延びても、カネはかかるなあ、なる我が感想で今回のエッセイを締めくくろう…
 

塩を作る

2018年11月08日 | 雑記
 実は、私は塩の産地の出身だ。

 ただし、私が産まれた頃には既に“塩づくり”は行われていなかったかもしれない。??
 我が薄れゆく脳内記憶として、市内の海岸に程近い場所に「塩の博物館」らしき施設があり、そこを小学校の遠足や校外学習の形で何度か訪れた思い出残影があるのだ。 
 博物館とは言えども、決して今現在のような立派な施設であるはずもない。 薄暗い室内に、塩づくりをしている人物模型や使用した器具等々が展示されていて、子供心に“不気味さ”すら感じたものだ。

 先程、ネット検索してみると。
 我が出身地では、伝統ある“塩づくり”を受け継いでいる企業が存在するようだ!
 そのネット情報を、以下に引用しよう。

 鳴門の塩づくりの歴史は長く、その始まりは今から約400年前の慶長4年といわれています。 潮の流れが早く塩分濃度も高い清澄な海水に恵まれた鳴門は昔から塩づくりに適した環境であり、50年ほど前まで市内には広大な塩田風景が広がっていました。
 その塩田も今では製塩技術の進歩によって姿を消してしまいましたが、塩づくりの伝統は現在も鳴門塩業によって受け継がれています。 
 製塩方法は変わっても、従業員一人一人の塩づくりに対する真摯な姿勢、伝統を守っていきたいという想いは今も昔も変わりません。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)

 一旦、私見だが。
 へえ、そうだったんだ! 今も尚、鳴門の塩づくりは後世へ受け継がれていたのだ。 それは実に素晴らしい事実だ!
 今度帰省した折には、工場見学でもさせて頂きたいものだ。
 加えて、鳴門の塩づくりは50年程前まで行われていたとのこと。 もしかしたら我が小学生時代に、(生産規模が大幅に縮小されていた事であろうと想像するが)実際に塩を作っている場面を見たのかもしれない! そう思い返すとそんな記憶が蘇りそうな気もする…。


 本日、(トランプ大統領に関連する“米国議会ねじれ”現象論評は専門家に任せるとして)何故“塩づくり”の話題をエッセイとして取り上げたかと言うと。

 言わずと知れているが、現在NHK連続テレビ小説「まんぷく」内で、“塩づくり”が取り上げられ始めたからに他ならない。
 その情報に関しても、ネットより引用しよう。
 安藤サクラ主演のNHK連続テレビ小説「まんぷく」は、11月5日から第6週「お塩を作るんですか!?」に入る。 福子たちは、克子の家を出て大阪南部の泉大津に引っ越す。 萬平は、旧陸軍が使っていたという倉庫から大量の鉄板を発見して……。
 戦後の混乱期で世の中に塩が足りないと知ったことをきっかけに、鉄板を使った塩作りを始めようと計画した萬平。 居候の神部は、従業員を集めようと奔走する。 連れてきたのは、14人もの若い男たち。 一緒に暮らす鈴の不満をよそに、福子はめいっ子のタカと一緒に、突然始まった集団共同生活を切り盛りして……。
 (以上、再度ネット情報より引用。)


 ここで、「塩」及び「塩づくり」に関するウィキペディア情報を引用させていただこう。

 (しお)は、塩化ナトリウムを主な成分とし、海水の乾燥・岩塩の採掘によって生産される物質。 塩味をつける調味料とし、また保存(塩漬け・塩蔵)などの目的で食品に使用されるほか、ソーダ工業用・融氷雪用・水処理設備の一種の軟化器に使われるイオン交換樹脂の再生などにも使用される。
 日本の塩事業法にあっては、「塩化ナトリウムの含有量が100分の40以上の固形物」と定義される(塩事業法2条1項)。
 塩は大きく分けて以下の4つの原材料から作られる。
 〇 岩塩
 岩塩を採掘する。  主にヨーロッパ・北アメリカにて行われる。岩塩はその昔、海であった土地が地殻変動により地中に埋まり海水の塩分が結晶化し地層となったものである。 岩塩の製法は溶解採掘法と、乾式採掘法に分かれる。 溶解採掘法は一度水に溶かし、煮詰めて塩を取り出す。不純物が少なく欧米では食用として一般的に用いられる製法である。一方、乾式採掘は直接掘り出す方法で、不純物が混じりやすく、また硬いので食用には適さない。
 〇 海塩(天日塩など)
 塩田において天日製塩法で作る。 西ヨーロッパ、メキシコやオーストラリアなど。 海塩は主に天日製塩法で作られる。 この製塩法は、海水を塩田に引き込み、1〜2年程度の期間で塩田内の細分化された濃縮池を巡回しながら太陽と風で海水を濃縮していき採塩池で結晶化した塩を収穫する方法である(メキシコやオーストラリア・ヨーロッパの沿岸地域に多い)。 尚、米国の一部の州や韓国では好塩菌混入などの問題から天日塩の直接の食用使用を制限し禁止している。
 〇 海水
 海水をいったん濃縮した後に煮詰める。イオン交換膜製塩法・揚浜式製塩法・瞬間結晶など。
   ( 中略。)
 日本では岩塩としての資源がなく、固まった塩資源は採れない。 また、年間降水量も世界平均の2倍であることから日照時間が比較的長い瀬戸内地方や能登半島など、一部地域以外は塩田に不向きである。 このため、塩を作るにはもっぱら海水を煮詰めて作られる。 これは、天日干しに比べて、燃料や道具などが必要になるためコストがかかり、大規模な製塩には向かない方法である。そのため自給率は食用塩が85%であるが、工業用を含めると全消費量の85%を輸入に頼っている。
 海水から製塩するには、直接海水を煮詰めて食塩を得るより、一度、濃度の高い塩水を作ってから煮詰めたほうが効率が良い。 この濃い塩水を「鹹水(かんすい)」と言い、この作業を「採鹹(さいかん)」、また煮詰める作業を「煎熬(せんごう)」という。
   ( 中略 )
 塩の製造販売の自由化以降は日本各地で流下式といった過去に行われていた製法が復刻され、水分を瞬間的に蒸発させる加熱噴霧といった新しい製法で作られる塩も流通している。
 JAS法に基づく必要表示事項の表示(枠内表示)について、「名称」「原材料名」の記載を標準化し、消費者にわかりやすく表示する。
 (以上、ウィキペディア情報より一部を引用したもの。)


 今回のNHK朝ドラは、(前回の作品があまりにも手抜の駄作だった故かもしれないが)、随分と丁寧に制作しているとの感覚が私にはある。

 現在放映中の“塩づくり”に関しても、萬平氏が取り組む「海水を用いた製造過程」を実に丁寧に描きつつ、ドラマを進めている事実に感銘を受ける。

 どうかこのままNHK朝ドラは決して制作を“手抜き”することなくして、ドラマ展開を続行して欲しいものだ。
 福子夫婦の行く末はともかく。

 “塩業”とゆかりがある地に生を受けた原左都子としては、萬平の“塩づくり”の成功or失敗?の決着”をとりあえずこの目でしかと見届けたいものだ!

認知症者の意外な心理

2018年11月06日 | 健康・医療・介護
 (写真は、昨日介護施設に暮らす義母を訪問した後に立ち寄った回転寿司屋で、“一杯グイっとやった”冷酒。)


 昨日、高齢者有料介護施設に住む義母を亭主と共に訪問した。

 義母に会うのは、先月私が耳鼻科付添いをして以降ほぼ1か月ぶりの事だ。

 その間にも我々保証人には、義母の認知症状故に頭を悩ませられる出来事が多数押し寄せて来ている。

 その一つである、補聴器に関してだが。
 9月に新調した補聴器が10月の1カ月点検後も聞こえない、との義母からの電話を幾度も受けた。
 ただこれに関しては、既に上記1カ月点検時に補聴器担当者氏(例のギリシャ彫刻張りイケメン氏だが)と私との間で合意が叶っている。 要するに正確に言えば補聴器が聞こえないのではなく、義母の認知症状故に“補聴器の扱い方がいつまで経ってもトンチンカン”との状況下にあるという事だ。
 そのため現在の我々を含む義母周囲介護者達の課題とは、実際補聴器が“聞こえない”と訴える義母の「苦悩」に周囲が如何に寄り添うかとの事実こそが第一義である。
 この件に関し施設側も至って協力的で、少なくとも補聴器の定期的な電池交換に関して補助体制を整えてくれるとの嬉しい回答を得た。

 その他にも義母に関する難題は数多いのだが……


 それでも義母にとって一番嬉しいのは、我々夫婦の訪問である事には間違いなさそうだ。
 いつもの事だが、我々二人が揃って義母を訪問すると満面の笑みで迎えてくれる。

 その義母の本心の笑顔に応えるべく、あれこれと義母が喜びそうな話題を提供するのだが…
 残念ながら補聴器を付けても耳が聞こえない義母に、話題の詳細が通じない。 そんな事に6年来慣れ切っているこちら側も、今となっては少しも動じる事も無い。 別に大して重要でも無い用件に関しては、聞こえなくてもよいとの夫婦間の暗黙同意も出来ている。


 そんな中、昨日認知症状がある義母が、私が発した“ある話題”に心底興味を呈したのだ。
 その話題とは、(既に当該エッセイ集にて公開済みの)我が米国の実姉に関する事案だったのだが。

 参考だが。
 私がいつも義母の施設を訪れる都度、真っ先に義母が私に尋ねる決まり文句とは、「郷里のお母さんはご無事ですか?」 である。
 その義母の内面心理の程は痛い程理解している。 要するに義母としては、我が郷里の実母が元気ならば私が郷里へ行かずに済み、自分が嫁である私を独占出来る!、との安心感を得られるのだ。
 それが証拠に、遠い過去に私が実母の世話に郷里へ旅立つと義母に告げるなり、「私はどうすればいいの…」と電話口で泣かれる事態が幾度となく発生している。 それを教訓としてその後は我々夫婦間の同意により、実際私が郷里を訪れる際にもそれを義母には決して告げず、留守中義母から電話があった場合にも「買い物に行っている」事として、ひた隠して来ているのだが…

 さて、昨日も義母が私に真っ先に問うたのが、「郷里のお母さんはお元気ですか?」だった。
 いつも通り、「はい」で済ませる事も可能だったのだが。
 何だかこれでは何らの会話の充実も無い、と判断した私が、敢えて米国の姉の話題を義母に持ち出したのだ。 (この話題を承知して下さっている読者の方が多いと勝手に判断し、この場での反復は避けるが。)

 そうしたところ、耳が聞こえにくはずの義母がこの話題に大いなる興味を抱いた様子で、私のすぐ隣に座るではないか!  
 そして、私に尋ねるには。 「えーー。 〇子さん(私の事)は郷里のお実母さんから米国のお姉さんの面倒もみて欲しいと言われたの!?!」  
 この正確過ぎる義母の問いかけに私は仰天した!  「その通りなのですよ、お義母さん! そんな理不尽な話は無いでしょ!」 と応えると、何と義母は。
 「〇子さん(私の事)は、現在私と郷里のお実母さんの面倒も見ているのに、その上、アメリカのお姉さんの面倒もみるとなると大変よねえ。」と十分に私の負担話を理解してくれるのだ...

 これはまあ、義母の“私を独占したい”との感情に基づいている発言であることを重々承知しつつ…
 私側もこれ幸いと、晩婚後特に“経済面”で多大な貢献を頂いた義母にこれまでの感謝の思いを述べると共に。  「私は晩婚後は絶対的に“原家”の人間であり、今後も原家を優先する人生を歩む所存であります!」との思いを、認知症状がある義母相手に大声で熱く語るに至ったのだ!
 それで正解だったと、今現在も実感している。


 その我が「私は原家の人間です!」なる決意表明を傍で聞いていた亭主も、まんざらでは無かった様子だ。

 今夜は寿司でも食べようか? との亭主の提案により、施設からの帰り道に回転寿司屋に立ち寄った。
 そこで飲んだ冒頭写真の冷酒と寿司が、何とも美味しかったこと!! 

怒られて、嬉しいか!??

2018年11月04日 | 人間関係
 本日は娘の休日でもあり、自宅リビングにて先程まで娘との団欒をゆったりと楽しんだ。 


 私の方は本日付の朝日新聞を広げる傍ら、娘との話題が12年前のエジプト・ギリシャ方面旅行に及んだ。
 当時娘は中学2年生、おそらく13歳だった。
 生まれ持っての事情故に幼少の頃より複数の原因不明の奇病を未だ引きずっていた頃だが、旅行前に懸念した通り、旅先のギリシャで奇病の一つである「高熱不明熱」を発症してしまった。
 その結果、ギリシャにて一家3人で丸2日をホテルの部屋で過ごす羽目となり、当日の予定だった地中海クルーズには行きそびれてしまった。

 その娘の不意の病状に関しては、親でありかつ元医学関係者でもある私としては娘幼少時代より既に慣れている事象であり、“想定内”の出来事だった。
 ところがそれに一番うろたえたのが、旅の添乗員氏だ。
 異常事態に動揺しつつ私に問うには、「旅行保険には入っていますね!?」
 私が応えて、「いいえ、入っていませんが。」

 ここで、添乗員氏の怒りが心頭に達する。
 「何ですって!? 子どもを連れての海外旅行に際し保険に入っていないのですか? 親として何を考えているのですか?! 保険にも入っていずして旅行社として責任は持てませんよ!」
 この言い分に私こそが驚きつつ、「別に旅行会社に責任を持ってくれとは一言も言っていませんよ。 ただ本日の地中海クルーズには一家で参加せず娘をホテルで休ませたい、との希望を伝えに来ただけです。 娘の病状に関しては、娘幼少の頃より親である私自身が十分に把握しております。 2日安静にして休ませたなら平熱に戻ることを保障します。 エジプトに戻る日までには必ずや娘は回復し、皆さんと一緒に飛行機に乗せますので安心して下さい。」

 さてと親である私の予言(診断)通り、娘の熱は2日目の朝には平熱に下がった。 
 その日の午後のエジプトへの戻り便集合時間までに、午前中は娘自身の希望もあり、旅の第一目的だった“プラトンのアカデメイア”訪問も済ませて集合場所へ行き、その後エジプトまでのフライトを無事こなした。

 
 何故本日この話題をエッセイに取り上げたのかに関しては、娘との談話中に偶然にも私が開いていた朝日新聞ページの話題が「忘れられない『怒られた思い出』は?」 だったからに他ならない。

 いやはや、あのエジプト・ギリシャ旅行の際に、何で私が添乗員氏に怒られねばならなかったのかを思い起こしたのだ。
 ただ添乗員氏にしてみれば、自分が添乗している旅行者の一人が高熱を出してホテルで寝込んだ事態にうろたえるのは当たり前の事だろう。
 むしろ私側こそがもっとその職業人としての意識の高さを褒め称えるべきかもしれないと、今思い起こしたりもする。
 その後のエジプトにての旅道中に、高熱を出してホテルで寝込んだ娘を不憫に思って下さった添乗員氏より、娘にプレゼントを頂いたりして親の私も感涙ものだった… 


 朝日新聞の「忘れられない『怒られた思い出』は?」 に話題を戻すが。

 この頑固者、かつ、幼少の頃より客観力があった(?)思い出記憶が数多い私にとって、他者から「怒られる」事態とは屈辱でしかあり得ない。
 と言うよりも、実際客観力に優れていた私は、「怒られる」との経験を幼少時代にせずして大人になったような感覚すらある。

 大人になって以降は、「怒られる」と言うよりも「怒り始めた相手に喧嘩を売った(反論した)」経験はあるかもしれない。 (と言うのも、怒られ慣れていない人間にとっては、自分に対して怒ってくる奴ほど鬱陶しいものは無い故だ。)
 その我が「怒り始めた相手に喧嘩を売り返した」経験に関しては、本エッセイ集バックナンバーにて複数公開しているため、ご参照下されば幸いだ。 (「売られた喧嘩、受けて立ちます!」等々… )

 
 ところで上記朝日新聞記事によれば、「厳しくも温かい あの一喝」なる別題名が証明している通り、他者から怒られた事実をプラスに転じている読者が多い様子だ。

 何と言うのか、おめでたい世の中というのか、私に言わせてもらうと、こんな混とんとした時代背景に於いてもっと「自己を確立せよ!!」と叫びたくもなるのだが。


 このエッセイの最後に、この話題を出すのが適切かどうかは度外視して…。

 内戦下のシリアで拘束されていたフリージャーナリストの安田純平氏が、帰国後の長~~い記者会見内で一応の「謝罪」を述べておられる。
 私見としてはそれを「当然の事」と捉えつつ、安田氏の行動を単に「怒る」との行為がどうなのかとの自問に苦しみつつもある。
 この議論に関しては、世の議論が深まった暁に今一度私論を述べたいと考慮中だが…。


 それにしても他者から感情的に怒られて自らの非を安易に認める連中とは、私としてはアンビリーバブルであり、今後共付き合いたく無いなあ。
 

絵むすび (朝日新聞2018.11.03編)

2018年11月03日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2018.11.03付 パズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)


 とりあえず、解答写真のみ掲載します。


 後程、解説を綴り公開する予定です。



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 さてさて本日午後、原左都子の私事雑務を優先しているうちにすっかり解説が遅くなりました。


 この時期の夕暮れ時は「秋の日はつるべ落とし」との名言のごとく、実に早く暮れる事を実感させられる日々ですね。

 「夕暮れ時は寂しそう……」♪♪と、我が20代にフォークデュオが口ずさんだ楽曲を思い起こし、この晩秋初期の時期に、私のフルート練習時そのメロディーラインを再演中でもありますが。


 今回の「絵むすび」に掲げられている“アイテム”に今時分の“風物詩”を物語るのは、「柿」や「絵具」そして「パレット」なのでしょうかね。

 「ねずみ」に関しては。
 昨月10月に「大都会東京の台所」としての役割を長年果たし続けた「築地市場」から「豊洲市場」への大移転の際、築地に長年に渡り大量発生していた巨大数に達する「ネズミ」退治を実施したとのニュースを垣間見たものでしたが…
 そのニュース報道にあやかって、朝日新聞が「絵むすび」に「ねずみ」を登場させたのでしょうかね???


 朝日新聞「絵むすび」ファンの皆様には、既に私の拙い「絵むすび」解説など不要と心得てもおりますが。
 一応我が解答道筋に沿った解説を、以下に展開させて頂きます。


 一番に着目するべきは「パレット」ではなかろうか。
 と言うのも「パレット」が歩む道筋とは、近き横にある「ねずみ」を避けて左上に行くしかない気が私はするのだ。

 次に注目するべくアイテムは「換気扇」かもしれないが、この扱いは少し困難だ。
 同時に着目すべきは「絵具」であろう。 これを上に回して結んだ時点で我が解答が叶った!

 「換気扇」は下に回すべきとの思想(そんなに大袈裟なものでもないが)の下、それを実行しぐるりと右折させて結んだ。

 その合間を縫って「ねずみ」を通した時点で、今回の「絵むすび」は皆様も完了を迎える事であろう。


 ああ、「ポテト」ねえ。
 先だって大宮鉄道博物館を訪れた際に、娘へのお土産として「てっぱくバーガー」なるものを買い求めた際に、「ポテト」も「プリン」も付随したが。
 マクドナルドと比較して高額ではあったものの、「てっぱくバーガー」の価値の程が素晴らしい事を、娘よりのプラスの反応により実感させられたりもした。
 いやはや、ハンバーガー付録の「フライドポテト」の果たす役割も侮れないなあ~~。
 と記載しつつ、また「大宮鉄道博物館」へすぐにでも行きたくなったが……



 最後の話題が最近の私事に大幅にズレましたこと、お詫び申し上げます。


 次回はおそらく新年明け頃に、朝日新聞「絵むすび」ファンの皆様と再開出来るであろう事を、楽しみに致しております!


「年賀状」など、もう本気でどーでもいいが…

2018年11月01日 | 人間関係
 日本郵便は本日(11月1日)、平成最後となる2019年用のお年玉付き年賀はがきの販売を全国で開始した。
 当初発行枚数は24億21万2000枚。 記録が残る04年用以降で最少だった18年用をさらに7.2%下回った。
 日本郵便は減少に歯止めをかけるため、20年東京五輪・パラリンピックのマスコットを印刷した寄付金付き年賀はがきを用意し、お年玉賞品に五輪のペア観戦チケットを追加。 くじの抽選は例年と同じ1月20日に行うほか、新元号記念として4月20日にもう一度実施する。
 料金は通常はがきと同じ62円で、寄付金(5円)付きは67円。
 (以上、本日のネット情報より引用したもの。)


 昨年12月下旬にも私は、「年賀状作成、今年こそ『もう辞めよう』と思いつつ…」と題する本日の表題と同趣旨のエッセイを公開している。
 以下に、その一部を反復させていただこう。

 結局、今年も作成して昨日投函した。
 ただ、これ程投函が遅くなったのは今までにない事だ。
 本気で「今年から虚礼廃止しよう!」との決意が強かった故である。
 その一つの理由は、昨年郷里の実母が高齢者施設に入居した事により、私にとっては極めて不毛な「虚礼」でしかなかった郷里の親戚筋への年賀状を廃止しても不都合でないだろうと判断した故だ。 まったくもって我が実母は、米国在住の姉には何ら依存せず好き勝手に暮らさせているくせに、妹の私に対しては自分のわがまま放題自分に都合よく使い放題なのだが、年賀状の虚礼に関しても例外ではなく長年私に依存して来た。 母の論理によれば、一人暮らしの自分が郷里の親戚筋にお世話になっている、そのお礼を娘の私がするべきとの事のようだ。
 一度「たまには長女の姉に頼んだらどうなの?」と母を責めたことがあるのだが、「あの子は米国暮らしだ。日本に住んでいる貴女がするべき!」と主張して譲らない。 年賀状のみならず、盆暮れの挨拶菓子折り等々もすべて私の負担で実施している。
 昨年、その実母が施設へ入居したことにより、実母の親戚筋とのかかわりが希薄になっていることには間違いない。 ここは、“虚礼廃止”の潮時かと読んだ。

 そもそも毎年届く年賀状とは、私の場合もう交流が無くなって2,3十年の年月が経過する人物がほとんどだ。 今更ながらそれらの人物と再会せねばならない用も無ければ、その気もないし、申し訳ないが再会してプラスになるとも思えない。(そこまで言うと、我が人格が疑われそうだが。)
 いえいえ、もちろん再会したい人物もいる。
 ただそれらの人物達とは、何も年賀状という形式を採らずとて、電話・メール等々他にも連絡手段は保存してあり、こちらの意思次第でいつでも連絡可能な相手だ。
 ということは、年賀状を廃止しても何らの不都合が無い事との結論に至るではないか! 

 そうこう考え、しばらくの間我が心理は年賀状作成廃止の方向に傾いていた。 
 何故、今年も年賀状を出そうかと方向転換したのかと言えば。
 おそらく皆さんも同様のお気持ちであろうが。 要するに毎年年頭に “年賀状” が届けられる。 これらに対し、年明けに逐一返信年賀状を出す手間を勘案した場合、年内にまとめて作成して投函しておいた方が効率的である事実に間違いない!
 結局、特に年賀状がパソコン作成に移ろいだ現在に於いては、「年賀状文化」とはこの論理により成り立っていることに気付かされる。

 いえいえ、決してそうとも言えない側面もあろう。
 たかがパソコン作成の年賀状とは言えども、一筆自筆で添えられた文言に “感動”や“意外性”や“驚き”を頂くこともある。 これぞ現在の年賀状が果たす醍醐味ともいえよう。 
 それにあやかりたい思いで、今年の我が年賀状を“自筆入り”で作成し昨日投函したのだが、果たして我が年賀状が相手にインパクトを与えられるのやらどうなのやら??

 (以上、昨年12月下旬に公開した「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を反復したもの。)


 本日昼過ぎ、民放の報道番組を視聴している時、この「年賀はがき発売」の話題が取り上げられた。

 その番組に出演していた、若き見知らぬ男性コメンテーターが興味深い発言をした。
 私が記憶している範囲でその発言を紹介すると。 
 「今時、皆が皆日頃からネットで繋がっている時代背景下に於いて、年賀状が果たす役割とは単なる“挨拶”ではなく、むしろ“多くを語る”事ではなかろうか? 例えば、年賀はがきをA4大程にして、自分の意思を伝えたい少数の相手にのみ、心を込めてその大きな文面にてメッセージを贈るのはどうか?」

 一旦私見だが。

 なるほどねえ。 ただ、まさに“私見”だが。  私の場合は当該「原左都子エッセイ集」がその役割を果たしてくれているようにも感じる…。
 若き男性コメンテーター氏に同感するのは、「自分が語りたい相手に“こそ”多くを語りたい」とのご意見部分だ。 これに関しては、私の方からの読者登録を“少数に選りすぐっている”我がエッセイ集に於いては、引き続き年間を通して当該エッセイ集にて実施することとしたいが。
 (いえいえ、失礼申し上げました。 今まで通り我がブログに於きましては幅広く皆様のご訪問をお待ち申し上げておりますと同時に、私側から読者登録を申し上げたい!との思いをそそられるブロガーの皆様も多数この世に存在するのが現実です。)

 あるいは、年賀状に関する別の見解を述べる若手男性アナウンサー氏がいた。
 それによると、「先輩である女性アナウンサー氏が、毎年後輩である自分に“今年の貴方はここが良かった。貴方は今年これで成長した…」等々の年賀状を届けてくれるらしい。
 それを事例に出しつつ、「一般的に年賀状とは自分の近況を知らせる趣旨のものが多い中、受取人である相手の1年を振り返ってくれる、その先輩女性の思いやりが素晴らしい!」

 再び私見だが。

 そうかなあ? それはおそらく貴方が若年層であり当該女性アナの後輩であるからに過ぎない故だよ。 一般人がそれを真似たならば、必ずや相手から反発を食らうだけと私は推測するが。 もしも私がその種の年賀状を受け取ったならばその“お節介ぶり”に辟易とさせられ、その後絶縁に至ることだろう。

 自分の近況を述べる年賀状が、諸悪の根源でもあるまいし。
 私など、パソコン印刷のみのまさに“虚礼年賀状”よりも、少しでもご自身の近況を述べている年賀状の方に親しみが湧く派だが。


 さてさて。

 本日販売された年賀はがきは、20年東京五輪・パラリンピックのマスコットを印刷した寄付金付き年賀はがきを用意したり、お年玉賞品に五輪のペア観戦チケットを追加しているとのことだが。 
 2020東京五輪開催反対派の私にとっては、無用な話題だ。

 そうは言いつつも、おそらく今年も昨年同様の理由(上記記載をご参照下さい)により、年末に差し掛かった頃にやむ無く年賀状を作成する羽目と相成ることだろう。

枝野氏の「安倍氏は憲法を一から学び直すべき!」発言に賛同

2018年10月30日 | 時事論評
 冒頭より、昨日2018.10.29に開催された衆院本会議にての安倍首相の所信表明に対する枝野氏の痛烈批判に関して、ネット情報より引用しよう。


 立憲民主党の枝野幸男代表は29日、衆院本会議で行われた安倍晋三首相の所信表明に対する代表質問で、首相の憲法観について、「学び直し」の必要性を求めた皮肉を交えながら痛烈に批判した。
 首相が所信表明で「国の理想を語るものは憲法」と述べたことに反論し、「憲法は総理の理想を実現するための手段ではない。 憲法の本質は理想を語るものではない。 本質は、国民の生活を守るため、国家権力を縛ることにある」と指摘した。
 その上で「総理の勘違いは今に始まったことではないが、憲法とは何か、一から学び直してください」と、、憲法の学び直しを要求。 「縛られる側の首相が先頭に立って旗を振るのは論外です」とも指摘した。
 答弁に立った首相は、枝野氏の「学び直し」要求には、何も答えなかった。 別の質疑の中で、憲法9条に自衛隊を明記する改憲案について「今を生きる政治家の責任だ。明確化は国防の根幹に関わる」と、あらためて意欲を示した。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 引き続き、当エッセイ集にて今年の憲法記念日2018.05.03に公開した我がエッセイ「日本国憲法の基本原理に関する一考察」の全文を、以下に反復させていただこう。

 表題に提示した「日本国憲法の基本原理」に関して、我が1986年頃に学んだ学生時代の講義ノートより一部を引用しよう。
 
 日本国憲法の基本原理 
 1、平和主義  (憲法9条)
 2、国民主義   天皇制
 3、基本的人権の尊重  

  (これらすべてに関する事項が、憲法前文に記載されている。)

 これらは、明治憲法(大日本帝国憲法)には一切無かった原理である。 

 それでは、現在の日本国憲法は、良いのか、悪いのか?? 
 一論として現日本国憲法は、世界的に妥当し得る 一般的、常識的憲法であるとの評価も定着している。

 上記のうち、平和主義を取り上げよう。
  平和憲法(憲法第9条)とは。
  戦力放棄に関する条文だが。

 これに関しても、学説内での解釈議論が存在する。
 
 〇 自衛隊を合憲とする政府見解
    A.  第9条は自衛のための戦力保持をも認めない、とする見解。
       自衛と戦略との区別が困難。 軍隊=弱者国民(弱者)
       正義との後ろ盾をもって戦争を肯定し得る?
       自衛権の行使は戦略行為につながる。

       自衛隊はその「戦力」にはあたらない。
       そもそも「戦力」とは、近代戦争遂行に達したもの。
       自衛隊は、そこまでは達していない。
       従って、自衛隊は憲法第9条に違反していない。
                (以上は、昭和30年頃までの解釈。)

    B. 昭和60年頃の政府解釈
       第9条は、国の自衛権を否定するものではない。

 法解釈として。
 自衛隊は憲法に違反するか?  2通りの解釈が存在する。

 しかし、実際は。
 解釈者の政治的意図 及び 主観的判断 をして解釈に至らしめている。
 その点で、解釈するものの責任論が問われる。
 この現象は、憲法第9条に於いて、典型的に表れる。
 
 ほんの少しだが、原左都子が過去(1980年代後半期)に学んだ大学に於ける「憲法」授業よりその講義ノートの一部を紹介した。

 この「憲法」授業を担当されていた教官氏に関しては、鮮明に記憶している。
 関西地方の他大学から任命され、我が大学の助教授として「憲法」を受け持っておられたが、その授業内容が濃厚だった事実が印象深い。 当時既に30代だった私とさほど年齢が変わらない世代の教官であられたが、いつも関西弁で熱弁されていた事を懐かしく思い起こす。
 上記に紹介した「憲法第9条」に関しても、授業の最終章では。
 上記のごとく、解釈者の政治的意図 及び 主観的判断 をして、解釈に至らしめている。 その点で解釈するものの責任論が問われる。 この現象は、憲法第9条に於いて、典型的に表れる。
 と結ばれている事実に、現在尚同感申し上げる。

 (以上、「原左都子エッセイ集」内の「憲法」に関するバックナンバーより引用したもの。 参考だが、上記内容はすべて指導教官氏口述講義の我が聞き取り書きのため、学術的誤りがある場合お詫びする。)


 一旦、私見だが。

 いやはや、懐かしいなあ。
 学生とは、まさに指導教官の影響を大きく受けるものだ。
 当時の私の専攻は「経営法学」(「民法」「商法」等々)であり、決して「憲法」ではなかった。 にもかかわらず、講義を担当しておられた若き世代の「憲法」助教授氏の「憲法」に対する熱い思いが十分に伝わる授業内容だった。

 「憲法」とは学問の府である大学に於いて、全大学生の“必修科目”と私は理解している。
 そりゃそうだ。 「学問の府」である大学にて国家の最高規範である「憲法」を必修とせずして、若輩者である学生を世に送り出す訳にはいかない事だろう。

 冒頭にて紹介した枝野氏も、安倍氏も「法学部」のご出身のようだ。
 枝野氏は東北大学法学部のご出身、そして、安倍氏は私立成蹊大学法学部のご出身とのこと。
 ただ、同じ法学部出身としても、お二人の生い立ちもその後も人生の歩みも随分と異なるようである。
 枝野氏はその後、弁護士資格を取得し活躍される等、法律に精通されている人物だ。
 片や安倍氏の方は、そもそも小中高と成蹊にて過ごした後に、ストレートで成蹊大学法学部に内部進学されたようだ。

 やはり、ご両人の「憲法」「法学」に関する現在の認識度の格差とは、その学歴・経歴が物語っているのではあるまいか?
 枝野氏からの「安倍氏は憲法を一から学び直すべき!」との素晴らしい指摘に対し、安倍氏は何らの即答も不能だったとの事実こそが、その格差を証明したようなものであろう。


 最後に私論でまとめよう。

 まったくもって、枝野氏のおっしゃる通りだ。
 特に、「憲法の本質は理想を語るものではない。 本質は国民の生活を守るため、国家権力を縛ることにある」と指摘し、「(憲法に)縛られる側の首相が先頭に立って旗を振るのは論外です」とまで演説した枝野氏の「憲法」熟知素養とその勇敢さに、私は大いなる拍手を贈りたい!!

 それにも懲りずに、安倍氏側は。
 憲法9条に自衛隊を明記する改憲案について「今を生きる政治家の責任だ。明確化は国防の根幹に関わる」と、まるで「憲法」に関して何ら学んだ事も無い“素人”のごとくの歪んだ意欲を示した、とのようだが……

 安倍さん、貴方を支持する国民は相変わらず少なくない様子が私には絶対的にアンビリーバブルだが…。
 それに甘んじて法解釈論としての「憲法」無知度を国民に晒し続けるより…  
 枝野氏の指摘通り、巨額の国税を無駄に食い潰す昭恵夫人と貴方の外遊チャーター便の中ででも、「憲法」を一から学び直しては如何でしょうかねえ??

醜男が美女を連れているのはよく見かけるが…

2018年10月28日 | 恋愛・男女関係
 いや、近年はそうとは言えないかも。
 意外や意外、逆パターンも珍しく無くなった時代かもしれない。


と言うのも、確実に世相は多様化・進化している。
「美男」「美女」「醜男」「ブス」と一言で言ってみたところで、人の好みは実に千差万別だ。  
 加えて、一昔前と比較して“外見的要因”のみで人の魅力を判定するとの愚かな時代でも無くなっている。 外見だけの魅力など、実際3日で飽きるものだ。
 では、人は相手の何に惹かれるのかと言えば。
 それは相手人物が織りなす人柄であり何気なく漂う雰囲気(昔の言葉を使うと“フィーリング”というやつか??)であり、会話力であり、はたまた二人の「相性」でもあろう。

 と言う訳で、今に至っては誰と誰がくっつこうが他人の知った事でもなく、まさに多種多様なカップルがこの世で連れ合っていることであろう。


 さて今回もまた、エッセイのテーマを朝日新聞“悩みのるつぼ”より拝借しよう。

 昨日2018.10.27“悩みのるつぼ” 相談は70代女性からの「波立つハンサムな夫との老後」だった。
 早速、相談内容を要約して以下に紹介しよう。

 70代夫婦の二人暮らしだが。 私の生き甲斐は畑で、真っ黒になりながら働いている。 夫は理系高学歴で退職後も自主勉業に励み、健康にも気遣って近くの公園で朝5時にラジオ体操に参加している。
 私は不細工だが、夫は今も昔もハンサムだといわれている。 夫自身も女好きな方だと思う。 クラス会に行き、気に入った人に文通を申し込んだ事もある。 2年程前からはラジオ体操で出会った独身女性の話をよくするようになった。 感情をあまり出さない夫が鼻歌まで歌い、忘れていた青春を取り戻したようで、最初は微笑ましく思っていた。
 ところが先日、夫と外食をしている時その女性が現れ、「一緒に食べない?」と話しかけてきてビックリ! スーパーで会った際にも夫にタッチしてくるなど、私と夫が一緒にいるとエキサイトする様子だ。 さらには「近くまで来たから」と直接家にまでやって来たのだ!  私が嫌がると、夫は「嫉妬深いバーサンだ。 嫌なら彼女に直接言えばいい。」と言う。
 静かで順調だった老後の生活が波立っている。 この状況をどう考えればよいか、アドバイスをお願いしたい。
 (以上、“悩みのるつぼ” 相談より要約引用したもの。)


 一旦、私見に入ろう。

 この相談者である70代女性は、そもそも人が良過ぎるのではあるまいか?
 片や、(女性曰くハンサムだとの)夫側は、(そのハンサム度合いを私が知るすべもないが)、意外や意外女性経験がさほどなく、要するに“プレイボーイタイプ” では無さそうだ。 しかも相談女性である女房に一存して来た一生を物語るかの相談内容と、私は推測する。

 いやはや、男女の出会いのルーツとは他人には分かりにくいものだが、このご夫婦が一体全体如何なる状況下で知り合ったのかの想像が全く付かない。  ただ、それがどうであろうが、私はこのご夫婦が出合って以降大した波風も無く、両者間で上手く機能して来ているような印象を受ける。

 もう一人の登場人物である、ラジオ体操にて“ハンサム夫”が知り合ったとの独身女性に関してだが。
 この人物に関しては、おそらくその“ハンサム夫”に対し確かに恋心を抱いているのであろう。
 さて、このハンサム男が如何なる女性と添い遂げているのか、もしも自分が「勝っているなら」自分にもチャンスがあるかもしれない、との愚かな発想に基づき虎視眈々と狙った上でのストーカー行動とも想像が付く。  そして探りを入れてみると相手妻は不細工、これは私に勝ち目があるかも! と現在密かに勘違いの勝利感を抱いているやもしれない。
 ただ、長年連れ添った老夫婦の仲を裂くのは、そう甘くはないねえ。 独身女性側に離婚経験でもあればその想像も付くだろうが、どうやら根からの独身のようだ。 
 私の判断では、元々この勝負は相談女性の勝利であろう。


 我がエッセイ集(特に初期頃)内で、過去に於いて複数回「不倫」に関する私論を述べている。
 その内容を反復するのは避けるが、要するに「不倫とは“陰で隠れて”コソコソやるものだ! 不倫中の自分と相手が不幸のどん底に落ちるのは勝手だが、決して家族を不幸に落とし入れるな!!」 との結論を導いている。
 
 その観点から上記相談を分析するに、相談者の“ハンサム夫”氏は、今後も相談女性と添い遂げるつもりである事には間違いないだろう。 学際色はありそうだが、そもそも女性経験少なき多少愚かな亭主のようで、浮気(?)相手女性の操り方をまったく心得ていないところが大きな問題ではあるが…。

 むしろ一番困るのは、ラジオ体操現場で“ハンサム夫”と知り合った挙句、その後当該夫と妻を“ストーカー”している危険性もある独身女性だ。
 まさにこの行為、ストーカーと私は捉える。
 今後もさらにエスカレートするならば、相談女性は警察に被害届を提出するとよかろう。


 今回の“悩みのるつぼ”回答者は評論家の岡田斗司夫氏だが。 
 その相談回答が、我が上記回答と交錯する部分もありそうだが。
 それを敢えて非公開とするのには、原左都子なりの理由がある。

 長年連れ添った夫婦間での感情とは、それが相手の「不倫・浮気」行為に対するものだとしても。
 岡田氏が指摘されている「嫉妬」なる言葉とはまったく別モノと私は感じるのだ。

 要するに長年連れ添った夫婦間を繋ぐ糧とは「嫉妬」などとの低レベルでは言い表せない、もっと普遍的な感情によるものではなかろうか?! 
 たとえば、夫婦とはそもそも「同志」との感覚もあるのだが…??

 いえいえ私の場合晩婚のため、婚姻後たかだかさほどの年月が経過していない立場にしての戯言に過ぎないが……。

大宮鉄道博物館、見応え十分でした!!

2018年10月27日 | 旅行記・グルメ
2018.10 大宮鉄道博物館


 (上記フォトチャンネルは、一昨日の2018.10.25に当博物館を訪れた際に撮影した写真をまとめたもの。)


 前回のエッセイにて予告した通り、私は10月25日、現在受給中の個人年金契約元である「日本教育公務員弘済会」“友の会”のイベントに参加した。
 そのイベントの目的地が、大宮鉄道博物館見学だったという訳だ。

 現地集合のイベントだったのだが。 東京メトロ沿線に住む我が家からは何と!電車5本(東京メトロ線、東武東上線、JR武蔵野線、JR埼京線、埼玉新都市交通ニューシャトル線)の乗り換えを要し、隣県である埼玉県の距離的・感覚的遠さを改めて思い知らされたものだ。


 さて、集合場所の埼玉新都市交通 鉄道博物館駅に到着してみると。
 そこに集まっていたのは案の定、と言うより予想をはるかに上回ってじーさん・ばーさん(失礼!)ばかりだった。  一組だけお婆ちゃんが娘さんとお孫さんを連れていらっしゃったのを除くと、確実に私が飛びぬけて最年少だ!
 しかも参加者が少なく、見学先の特質のせいか男性が圧倒的に多い。 これ、私の好むタイプだ。 何と言っても女性が多いと要らぬお喋りがかしましく、落ち着いて見学出来ない恐れもある故だ。


 さて鉄道博物館に入場して直ぐに、説明係員氏(元国鉄職員とのこと)が1時間程かけて、主たる展示場である1階の車両展示場を一覧しつつ十分な解説をして下さった。 
 参加者が少人数であることも幸運で、特段「鉄道ファン」ではない鉄道素人の私にも十分に分かり易かった。


 ここで一旦私事だが。

 参加者中最年少(?)のこの私も、出身過疎地にてSLが煙を吐きつつ走っている姿を見た事がある。 
 高校時代は汽車(正確に言えばディーゼルカー)通学をした経験もあり、博物館に展示されている車両に郷愁を感じた程だ。 冒頭のフォトチャンネル内にそれらの複数の写真を掲示したが、まさにその車内など当時の通学風景を思い起こすものであった。

 オレンジ色の中央線車両も展示されていたが、我が上京後に普通に利用していたものだ。 これなど郷愁どころか、つい最近まで乗っていた感覚だ。

 特急「あずさ」も懐かしいというよりも、歌手デュオ狩人の「あずさ2号」を聞いてどうしても乗りたくなり、まさに展示車両にて旅をしたものでもある。
 現在博物館では、この「あずさ」車両は“食事処”の役割を果たしている。 博物館内にある駅弁屋にて買い求めた駅弁を、この「あずさ」車両に乗って楽しむことが可能だ。

 1964年東京五輪に合わせて開通した初代「新幹線」も私にとっては懐かしいというよりも、未だに我が新幹線のイメージは“この旧型”でしかない。
 上京直後に私は、先端の鼻が丸いこの新幹線に乗って過疎地郷里まで帰省した記憶がある。 

 そして「あさかぜ」。
 私はこれの「二段ベッド」版に乗りその「二段ベッド」を指定し、友人と旅をした経験がある。
 さすがに「三段ベッド」版の経験は無いが、博物館でこれを見学して当時の様子をなまめかしく思い起こしたものだ。
 当時”妙齢”年齢にして、派手な服装・派手ないでたちでよくぞ無事に旅を終えられたものと振り返る。 今現在あの寝台ベッド列車が存在するならば、確実に「セクハラ」を訴える女性が量産している事であろう。


 最後に、大宮鉄道博物館見学の我が感想をまとめよう。

 鉄道ファン、そして子ども達にとって、実に興味深い「鉄道博物館」であろうと想像する。
 片や、長年生きて来ている(私も含めた)高齢者にとっても、「あー、これ乗ったなあ」なる郷愁を呼び起こしてくれるという意味で、実に興味深い博物館であることに間違いない。

 鉄道が歩んだ道程とは、人間や貨物を運ぶとの産業・文化実績として賞賛され続けるべきはずだ。

 今現在「鉄道ファン」に “異様な程に” もてはやされている鉄道だが。

 もしもそのブームが去った暁にも、「鉄道」の存在を人類が忘れないような役割を「鉄道博物館」が果たし続けることに期待したい。
 

我が年金受給生活も4年目に突入した今

2018年10月24日 | 自己実現
 先日、我が年金受給口座を開設している某金融機関支店長氏が、私の誕生日祝いのため我が家を訪れて下さったようだ。
 “ようだ”と表現するのは、残念ながらタイミング悪く私が留守にしていたからに他ならない。

 留守中、私の代わりに対応してくれた亭主が言うには、「ご丁寧に誕生祝いを述べられた上に、祝い品を置いて帰られたよ。 さすが支店長だけあってとてもしっかりした人物との印象を受けた。」との事だ。

 当該金融機関支店口座を我が年金(公的年金だが。 個人年金に関しては別金融機関の受取りとしている。)の受給口座としたきっかけは、59歳時に年金係氏が我が家を訪れてくれたからに他ならない。
 当時の私は不動産賃貸を実施していた等々の関係で、数カ所の金融機関口座を所有していた。 その中で、何処の金融機関を年金受取口座とするか迷っていた時期だった。

 そんな中、いち早く我が家にやって来たのが、現在受取口座としている金融機関だ。

 これ、やはり “早いもん勝ち” だろう。 しかも、年金担当者氏の誠意の程も十分に受け取らせていただけた。
 その時の様子を当該「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて公開した記憶があるが。
 年金担当者氏が余談として披露して下さった話題に惹きつけられた、との理由も大きい。 (何分、我が本名が昭和の某大女優と同姓同名である事実は、当エッセイ集開設初期からのファンの皆様はご存知だろうが。) 何と、その担当者男性がお若い世代であるにもかかわらず昭和時代の映画ファンとのことで、当該女優氏に精通されているのだ! その事実に驚かされると共に、その後も頻繁に我が家を訪れ、当該女優氏(故人)や昭和映画を語って下さるその精通ぶりに感服申し上げている。

 参考だが、次に我が家を訪れた大手金融機関は「個人年金受取口座」に指定したが、その後ただの一度も担当者が我が家にやって来たためしもない。 
 やはり公的年金受取口座をゲットする事実とは、その後口座開設者が死ぬまで確実入金が続く!との意味合いで、金融機関にとっては“ドル箱”の値打ちがあるのだろう。


 そんな3年間の我が年金受給生活を振り返ってみるならば。
 (正確に言うならば、個人年金受給は誕生月より半年後の開始だったし、一年分まとめての入金でもあるため未だ3度のみの受取りだが。)

 何分、被雇用者立場での労働力による賃金収入は50代前半期にて終了している。
 ただ私の場合、独身時代に単独で購入・ローン完済していたマンション物件を婚姻後賃貸運営した関係で、その賃貸収入を婚姻後20年間ほど得ていた。
 その賃貸物件に関し、58歳時に不運(と言うよりも今思えば、結果としては不動産貸付人である私側の大失策だったのだろうが…)にも悪質賃借人の被害に遭い、リノベーション物件として売却せざるを得ない羽目と相成った。

 当初の我が計画としては、65歳時から開始する国民年金も含めた公的年金受給時までそのマンション賃貸業を続ける予定だったのだが…。
 何と言っても私の場合、60歳受給開始の「厚生年金」受取額が微細だ… 
 しかも個人年金受取に関しても、バブル経済崩壊後に数多くの金融機関や保険会社の経営破綻の影響をもろに受けて、我が個人年金を担当していた保険会社も経営破たんの道程を辿ってしまった… 今となっては外資系保険会社がその経営を引き継いでいるものの、その受取金額とは。 バブル期の約束だった月額の7分の一のみすぼらしさだ……。
 それでも解約するよりは、自分自身が長生き出来たらならば元を取れると考え、現在もその保険会社との契約は生かしている。


 そうだなあ。
 年金(今現在は厚生年金と個人年金受給に過ぎないが)受取開始してより3年余りの年月が経過した今の我が心情を述べるならば。

 とりあえず今現在私が受け取っている年金とは、そのすべてが我が独身時代に成し遂げた労働力や資金計画力により成立している事実に安堵する。 (これに関しては、私一人が自由にして誰とて何らの文句も無いだろう。)
 本当のところは、不動産貸付にて悪質入居者に出遭わなければ、もっと高収入を得られたのかもしれないとの感覚も無きにしもあらずだ。  ただそれも自分の実力不足が成した結果だろう、と今は静観可能だ。

 後2年が経過して私が65歳になれば「国民年金」部分が加算され、私が受け取れる年金額が増大する。
 何分、私の年金受給が開始して以降、我が夫婦間では「公的年金独立採算」を貫いている。
 晩婚後は亭主の働きにおんぶして国民年金支払いを亭主の会社に依存した時期があるため、たとえ私が娘のサリバンを全うしたと言えども、65歳以降は我が国民年金の一部を亭主に依存する形となる事実が何だか悔しいなあ…

 65歳以降は私の年金からも少々は家計負担するとして… 


 あっ、そうそう。
 明日私は我が個人年金契約元である「日本教育公務員弘済会」“友の会”のイベントに参加して、日帰り小旅行を楽しんで来ます!
 個人年金受給3年経過後初めての参加なのだが、その実態とは参加者が“じーさん・ばーさん”ばかりなのだろうか、とも予想するが……