原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

北欧のスウェーデンとフィンランド、NATO加盟へ

2022年06月30日 | 時事論評
 (冒頭写真は、朝日新聞2022.06.30付記事より転載したもの。)


 北大西洋条約機構(NATO)は6月29日、マドリードで開催中の首脳会議(サミット)で、北欧のスウェーデンとフィンランドを加盟国とすることで合意した。 両首脳が28日、加盟に難色を示していたトルコのエルドアン大統領と会談し、トルコが求めていた「テロ対策」に協力することで合意。 トルコが加盟容認に転じ、加盟に必要な全会一致の条件が整った。 
 
 (以下略すが、以上朝日新聞本日06.30付朝刊トップ記事より一部を引用したもの。)



 本エッセイ集2022.06.15付バックナンバー「現在のウクライナ侵攻中のロシアと“長大な国境を接するフィンランドの苦悩の歴史を考察する」内に、私は次なる記述をしている。

 原左都子の私見に入ろう。
 フィンランドと言えば、スウェーデン、ノルウェーと共に「北欧三か国」として文化や教育レベルの高い国家とずっと認識してきたが。
 確かに特にフィンランドの場合、国境がロシア(ソ連)と接していることは(「高校・中学社会科教諭」免許を取得している身として)、あくまでもイメージ的には把握していた。
 最近になって、今回のロシアによるウクライナ侵攻の地理的位置関係を確認するために改めて世界地図を広げてみて。 
 フィンランドとロシアとが接する国境の長大さに、恥ずかしながら今更だが唖然とさせられた!!
 過去の「冬戦争」の歴史の後ナチス・ドイツの軍事協力を進めてきたフィンランドの苦悩の程が、痛いほど我が身に染みた。
 そんなフィンランド(隣国スウェーデンも)は、昨月5月にNATOへの加盟申請方針を明らかにしている。 この両国の政策は至極当然のことであろう。
 これに対しロシアのプーチン大統領は、両国のこの施策に嫌悪感をあらわにしているとのニュース報道を見た。
 現在のところ、表向きにプーチンにそれに対する動きは無い様子だが。 ただ、今後のプーチンの動向は空恐ろしいものがある… 

 (以上、本エッセイ集バックナンバーよりごく一部を引用したもの。)


 今回の両国のNATO加盟のために動いたのは、やはり米国のバイデン大統領だった。 ロシアの驚異を前に、米国はNATOの結束を、北欧2国は安保を優先して妥協し、自国の安全保障を優先した。

 これに対して、当然ながらロシアの反発・牽制は当然のことながら凄まじい。 
 ウクライナ侵攻に先立ちロシアはNATOの拡大停止を要求した。 それが、逆に軍事中立を保ってきた北欧2か国がNATO加盟に転じ、受け入れが決定した。 他国への影響力行使をはるかロシアへの「強いメッセージだ」という。
 北欧2か国の加盟は、NATOの領土防衛にも大きな意味を持つ。 加盟国が北極から地中海まで並び、対ロシア防衛ラインが築かれるからだ。
 ロシアからのNATO側を牽制する動きは、今後も続く可能性がある。

 (以上、本日の朝日新聞記事より再度引用したもの。)




 最後に余談だが。

 宮崎駿監督によるアニメ映画「魔女の宅急便」は、バルト海の島をモデルのひとつにして制作されているらしい。
 丘へ続く石畳の階段に、朱色の屋根や黄色い壁の家々。 スウェーデン南部のゴットランド島は、欧州中から観光客を引き寄せているようだ。

 島はもうひとつの顔も持ち。 森から十数両の米軍軍用車廊が現れ、空にはC130輸送機が、海には揚陸艦が行き交う。 今月スウェーデン軍は島で、NATO軍と演習を行った。 空から侵入した敵との戦闘訓練… 
 島の対岸にある州はロシアの飛び地だ。 同州はロシアの軍事拠点。 核弾頭を積める極超音速ミサイルも配備した。

 (以下略すが、再び朝日新聞記事より引用したもの。)



 北欧2か国のNATO加盟が成立したと言えども。

 ロシアのプーチンがウクライナ相手に愚かな戦闘を繰り広げる限り。
 
 悲しいかな、世界の平和は遠のくばかりであろう…
 

我が娘も「一人っ子」だが、それを誰からも非難されたことは無い

2022年06月29日 | 人間関係
 それは、どうしてかと言うならば。

 おそらく親である私が、我が娘が「一人っ子」であることをプラス評価というよりも賞賛しつつ育ててきていて、娘本人もそれに同意出来ているからではあるまいか?


 
 本日2022.06.29付朝日新聞「声」欄の”どう思いますか”のテーマは「一人っ子」だった。
 内容は割愛するが。
 6名の投稿者の投稿内容すべてが、ご自身が「一人っ子」として生まれて来たことをマイナス(どちらかと言えばマイナス)と捉えているようだ。
 投稿の表題のみを紹介すると。
 「一人っ子は可哀想? 気楽な私」 「堂々と名乗れぬ 社会の視線」 「一人でも二人でも いなくても…」 「きょうだいの自慢話がつらい」 「自由と責任 プレッシャーか」 「『二人っ子』になった あの数年」



 では何故、原左都子の我が家は「一人っ子」家庭を選択したのか?

 その理由も至って簡単で、第一の理由は高齢出産だったからに他ならない。
 見合いにて婚姻に至った我々高齢夫婦は、結婚が決定してすぐにその話し合いを持った。
 「子どもはどうする?」
 「出来たら産むし出来なければ要らない。 ただし高齢出産になるから、子どもは一人でよい。」 この解答で夫婦の意思がものの見事に一致した。
 (参考だが、この話し合いを持った時点で私は既に娘を身ごもっていた。その事実が判明した時は何とも出来過ぎた話だと、そのラッキーを称え合ったものだ。)



 ただ私側には、別の理由もあった。

 私が40代前半時点(娘が4歳時点)で、私は現在米国に暮らす実姉との縁を切っている。
 元々“異常人格者”(この表現を親どもは拒否するが、医学関係者の我が判断ではそういうことになる)である実姉との関係に幼いころから難儀させられ続けた妹の立場の私だった。
 私が高齢出産にて我が娘を超難産にて産んだ時に、米国の姉が私にわざわざ電話にて何と言ってきたかと言えば、「先に産みやがって! 私がどれだけ辛いか分かるか!!」だった。
 私側としては十分に想像がつく姉の悪態なのだが、その頃から姉との縁切りを考慮していた。
 そして我が娘が4歳になった時に、今度は姉が何を言ってきたかと言うと。
 (おっと、本エッセイ集バックナンバーにてそれを記載済みなのだが、今となっては忘却している。 これぞ、ラッキー、そんな嫌なことは思い出したくもない!)
 とにかく、米国の姉が私の堪忍袋の緒が切れる悪態をついてきて…

 その時、私の口からすんなりと冷静に出たのが。
 「もう縁を切りましょう。 私の方は今現在幸せに暮らしている。 貴方も米国で幸せになってくれたらそれでいい。」
 これを至って冷静に告げたところ、姉からの反論も無くて電話は切れた。
 
 今の時代、情報伝達媒体手段において「着信拒否」制度等々の利便性が図られている事実にまさに助けられるし安堵する。
 その後親を通して、姉から「妹と連絡を取りたい」旨の意向が何度か伝えられたが。
 その都度、私は親(母親)に訴えた。「貴方は親でありながら、下の娘である私の姉に対する苦悩を全く理解出来ていない! どれ程の迷惑を長年に渡り姉から被ってきたのかを少しは知ってものを言ってくれ! 姉と復縁などしたら私はまたもや地獄に突き落とされる。 今は家庭を築いて東京で幸せに暮らしているのだから、絶対に米国の姉に私の連絡先を伝えるな!!」

 既に高齢に達している実母だが、母本人も長女である実姉に未だ難義させらている身にして、我が訴えを受け入れてくれたようだ。

 その後も、米国の姉から何らの連絡が無い事実に命拾いの有様だ。(どうやら、ネットに疎い人種の様子で助けられている…)



 最後に、「一人っ子」に話題を戻そう。 

 上記のような事情があって、この私は物心ついたころから「一人っ子」に憧れていた。
 子ども心に、いつもいつも思っていた。 
 私にこんな“人格異常”の姉がいなかったならば、私はもっとずっと自由に羽ばたけただろうに、と。

 それ故に、私にとってまさに「一人っ子」とは子供の頃からの理想像だったと言えよう。

 そんな身にして、我が子が「一人っ子」であることに対して何らの心の悩みも無い事実が、我が娘の成育上大いに役立ってきた気すらする。


 その娘が家を出て独り立ちして、早いもので2か月が過ぎた。

 未だにこちらから連絡しないと連絡を寄越さない我が家の一人娘だが。
 きっと自らが選んだ一人暮らしを、娘なりに日々堪能していることであろう。
 

“不格好な理論” と “美しい理論”

2022年06月28日 | 学問・研究
 本日のエッセイテーマは、本エッセイ集にておなじみの朝日新聞「書評」ページより引用する。


 早速、朝日新聞2022.06.25付「書評」より、ミチオ・カク著「神の方程式『万物の理論』を求めて」に対する千葉大学教授・粒子天文学教授 石原安野氏による書評を、以下に要約引用しよう。

 「神の方程式」といわれる、物理学者なら誰しも夢見る理論、というものがある。
 その理論は美しい方程式で表されてほしい。寄せ集めのような式ではなく、シンプルなものであってほしい。 それでいて、宇宙の始まりから終わりまで、巨大ブラックホールからこれ以上分割できないところまで細かくしていくと現れる素粒子まで、を教えてくれると言う方程式だ。
  これまでに多くの現象を説明し大成功を収めている現代物理学の標準とされる理論を著者は(ほとんど)万物の理論と呼ぶ。 著者いわく「問題は、その理論が不格好だということだ」。
 もちろん問題はそれだけではない。 不格好と呼ばれてしまうこの理論に足りていないのは重力に対す第一原理からの説明だ。 このところ重力波の観測やブラックホールの撮影などに日常的にはとても現れないような強い重力の観測に急速な進展があり、新しい理論への示唆が期待されている。
 本書は古代ギリシャ時代から現代物理学の標準となっている理論に至るまでの理論の大転換を俯瞰し、夢の方程式がどうしたら現実のものとなるかを考える。
 著者の専門は超ひも理論だ。 長い間美しい理論の有力候補として存在している。 本書の語り口はまさに啓蒙書に定評がある著者らりい軽々としたもので、物理学になじみのある方よりももしろ普段は物理学と縁遠い生活をしている人がSFを楽しむかのように読み、宇宙や素粒子の世界に思いをはせるのにふさわしい。
 万物の理論は人類が抱える問いの一つに答えをもたらす可能性を秘めている。 それは「なぜ宇宙はあるのか」という問いだ。 これは科学分野にとどまらない大きな問いなのである。

 (以上、朝日新聞「書評」ページより要約引用したもの。)



 つい最近、メディアにて「ブラックホール」の撮影に成功したとのニュース報道を見聞した。 

 以下に、ネットよりその報道の一部を引用しよう。

 巨大ブラックホールの輪郭撮影に成功 天の川銀河で初
   2022年5月13日 
 私たちの太陽系がある天の川銀河の中心に存在する巨大ブラックホールの輪郭の撮影に成功したと、日本も参加する国際研究グループが発表した。
 天の川銀河の巨大ブラックホールの姿をとらえたのは初めてで、銀河の成り立ちを理解する重要な手がかりになる成果として注目されている。
 この天体は、「いて座」の方角に2万7000光年離れているということで、画像には、強い重力に引き寄せられて高温になったガスによって明るい輪のようなものが見え、その中央には、光が脱出できないために黒い穴のようになった「ブラックホールの影」が写しだされている。

 (以上、ブラックホールに関する最新のネット一部を引用したもの。)


 原左都子の私見だが。

 冒頭の書評内にも記されているが、このところ日常的にはとても現れないような強い重力の観測に急速な進展があり、新しい理論への示唆が期待されている事実に触れる機会が多い。

 はたまた、我が国のJAXAが開発した“はやぶさ2”が持ち帰った小惑星リュウグウの砂からアミノ酸が検出され、その解析が現在進行中でもある。
 「リュウグウの砂」をめぐる世界の研究チームによるその“解析ドラマ”を、楽しみに見物させていただきたいものだ。 


 理論が不格好であれ美しくあれ。

 とにもかくにも現代の物理学の行く先はまさに「宇宙」にあり、いとも小さき一つの星に過ぎない「地球」上にてささやかに生命を営む我々に。

 物理学とは、大いなるロマンと夢を与え、未来を描かせてくれるがごとくだ。
 

女性とて、男の外見を重視する時代

2022年06月26日 | 恋愛・男女関係
 表題に関してだが、この原左都子もかなり以前よりこの現象にもちろん気付いている。

 実際問題、既にこの世は男も外見を繕う時代に移ろいだと言えるだろう。



 この課題に関するネット情報を発見したので、以下に一部を要約引用しよう。

 「食べさせてもらえる訳じゃないんだから…」婚活で男性だけでなく、女性も年収や学歴より「外見重視」になった理由

 「男性も女性も、相手に求める外見レベルがどんどん上がっている」 そう語るのは仲人Tさん。神戸の結婚相談所「結婚物語。」でチーフアドバイザーを務めている。
 日本の婚活市場を調査しつづけてきた仲人Tさんは、「外見」の重要度が上がっていると指摘する。
 ミスコンを中止する大学なども増える世の中の流れがある一方で、婚活の場では外見が重視されるようになっているとしたらその理由はなぜなのか。(中略)
 もともと男性は外見や若さで女性を選ぶ傾向にあった。 それは現在もあまり変わっていない。
 しかし、以前は見た目よりも年収や学歴で男性を選ぶ傾向にあった女性陣が、だんだんと「外見重視」に傾いてきた。

 昭和時代は、男が稼ぎ、女が家事をするのが一般的だった。

 例えば昭和60年(1985年)ごろまではまだまだ専業主婦が一般的で、共働き世帯は少なかった。そんな時代では当然「稼ぐ男性」が選ばれてきた。 婚活に限らず、男女がデートしたら男性が奢るのが当然で、女性は文字通り「食べさせてもらう立場」でした。

 それが平成になると様子が変わってくる。平成12年(西暦2000年)以降になると専業主婦は半分以下になり、働く女性がどんどん増加していった。それにつれて、社会の構造も男性社会から男女平等の社会へと変わっていく。

 「男勝りの女性」が「女を捨てて」「男性より頑張って」やっと出世を手に入れることができた昔と違い、自分を美しく保ちながらバリバリ働いている女性が圧倒的に増えてきた。
 そうなると、ある程度稼いでいる女性は「男性に養ってもらう」必要がなくなる。 実際に年収400万未満の女性と年収400万以上の女性を比較したとき、年収400万以上の女性陣の方が婚姻率は低い。 (中略)

 男性が「専業主婦希望は無理、共働きしてね」という意識を持つようになった分、女性も「食べさせてもらえる訳じゃないんだから、イケメンがいい」という発想になってきているのです。(中略)

 SNSやTikTokには美女が溢れている

 ところが、男性ばかりの結婚相談所のスタッフも「女性だけではない。今、男性も相手に求める外見レベルがどんどん上がっている」という。

 SNSやTikTokを見れば、いくらでも美女が溢れている。実はその美女は加工アプリの賜物で、実際には存在しない。でも、それに見慣れてしまっている男性は、普通の女性に対して「ブスだな」と感じてしまう。そして、実際に出会える女性を魅力的に感じることができないんだとか。 男女どちらも、昔よりも見た目を頑張らないと結婚できない時代になってしまったのかもない。 若い世代はこの流れに敏感で、男性もどんどん美容を取り入れている。

 結婚するにあたって、大事なのはもちろん中身。それに異を唱える人はまずいないだろう。 (中略)

 「じゃあ、ブサイクに生まれたらもう打つ手がないじゃないか!」と思われるかもしれませんが、意外とそうでもない。

 (以下略すが、以上ネット情報の一部を引用したもの。)



 私事及び私見に入ろう。

 少し前に、当該goo内で原左都子がほとんど毎日訪問させて頂いている某ブログをいつものように訪ねたところ。
 そのテーマが、この「婚活」だった。
 実際に婚活パーティに行かれた(?)、あるいはそれに出向いたお仲間から聞いた今時の「婚活パーティ」の様子を赤裸々に記載されていたのだが。

 今時の「婚活パーティ」の出席者とは、女性が圧倒的に多いらしい。
 (私の記憶が誤っていたらお詫びするが)、そのパーティ出席女性達は皆が皆、自分自身を顧みず、相手の男性を高望みしているようだ。
 結果としては、そもそも数的に男女比が全く成り立っていないために、まるで女子会の如くのパーティになってしまうとの結論のようだ。


 これを読ませていただいて、過去に私自身が出席した婚活パーティを思い起した。

 この私も20代終盤と30代後半時に、都内にて「婚活パーティ」に出席した経験があるのだが。 (参考だが会費は高額で、ある程度の年収を自身で稼ぐか、親に依存するかせねば支払えない額だったものだ。 私の場合は、当然ながら自費での登録だった。)
 当時の婚活市場は断然男性が数多く、女性は少数だった。
 
  正直言って、私の場合20代終盤期の登録時には結婚の意思は無かった。
 そのため男性からのオファーをお断りしてばかりの“悪質登録者”であったと認めよう。😱 

 それに比し、30代後半期の登録(こちらはパーティ形式ではなく個別の見合い形式だったが)においては結婚に対する本気度が高かったのだが。
 それでもやはり女性の登録者はごく少数で、実際問題“引く手あまた”だった。😝 
 そこで知り合う男性とお話しすると、私のように自分が職業人として社会で活躍している女性はごく少数らしい。 女性の親が会費を払って入会していて、結婚後も専業主婦希望の女性が多いとのことだった。 
 その頃は既に職業女性の方がモテる時代背景だったかもしれないが、とにかく、引く手あまたの中私が選んだのが今の我が亭主である。


 自分の見合い話が長引いたが。
 
 最後に、結婚に至る際の相手との出会いに関して、我が経験から結論を導こう。
 出会い方がどうであれ、結局人との出会い・結びつきとは「誠意」以外の何物でもなかろう。
 「外見」「学歴」「収入」…
 見合いに於いてはそれらを比較検討し易いのは確かだ。
 それは私自身の経験からも否定しないが。
 
 はやり最終決定時には、お互いの「誠意」こそがものを言う、と結論づけたい。 


最近日々歩数計にて歩数を測定しています。

2022年06月25日 | 自己実現
 (この歩数計は、何か月か前に亭主が買って来てくれたもの。 付属のチャームは、2か月程前に家から出て独立した一人娘が自分の部屋に残していったもの。 娘には沢山のキーホルダーコレクションがあるのだが、これが一番軽量のため無断で歩数計用に拝借した。 参考ですが、冒頭写真の歩数計の数値は、このエッセイを書く直前のものです。 朝から外出しないで家事労働のみだと、この時間帯にはこの程度の数値となります。)



 何故最近私が日々歩数を測定し始めたのかと言うと。

 はやり、家を出て独り立ちした娘と関連があろう。
 元々目標設定・実行・その検証が得意な私だが、亭主と2人暮らしになった今、改めて何か数値により検証可能な具体的目標を掲げたくなった。

 それに、この「歩数計」はもってこいだ!

 早速、日々これを身に付けて行動することを実行に移した。


 これを始めてから、約2か月近くが経過したが。

 今までの一日歩数最高記録は、16,000歩だ。
 この日は何をしたかを説明すると、娘の引っ越し先である都内某所を電車乗り換えで訪ねたのだが。
 都会暮らしをご存じない方々のために補足すると。
 都会人とは電車等々の交通機関を利用する機会が多いのだが、例えば電車を何回か乗り換えて移動するのに知らず知らず相当の距離を歩くことになる。
 それにしてもそんなに歩いたのかと、自分でも驚く程の歩数だった。

 次に多かったのは週2で実施している5kmランニングのある日だが、13,000歩を記録していた。
 おそらくこの日はランニングの後の買い物に2件程の店舗を回ったため、この歩数になったものと思われる。

 ランニングを実施する日は、いつも12,000歩前後の歩数となるようだ。

 単に買い物のみの日にも、8~9,000歩程になるだろうか。


 それに比し、外出しない日には当然の如く歩数は減少する。
 ただ、我が身に課したノルマとして30分程度の自宅内での “ダンスエクササイズ” を日々楽しんでいる。 
 これについて少し解説すると。
 私は元々音楽・ダンス好きな身であり、20代前半期の若かりし過去に元SKDダンサーの師匠の下、都内某所でジャズバレエを嗜んだ経験があるのだが。
 その時のジャズバレエの基本を活かしているという訳でも無いのだが、とにかく激しめのダンス基本ステップを自分に課して、イヤホンの音楽と共に毎夕のごとくダンスエクササイズを実施している。
 (これを垣間見て亭主曰く、「激しいダンス練習をしてるね!」 確かに、ダンス・バレエとは全身運動の動きが激しいエクササイズの分野であろう。)
 その恩恵があり、外出しない日も日々6,000歩程のデータとなるようだ。



 ここで、朝日新聞2022.06.25付「楽しみながら健康維持を 歩数目標は人それぞれ、まずは『プラス2千歩』を」と題する記事の一部を以下に引用しておこう。

 身近な健康維持の方法として人気のウォーキング。“一日一万歩が目安”とも言われているが、結構な距離だ。 こんなに歩かないと効果はないのか?? 
 これに対し、日本ウォーキング協会(私見だがそんな協会が存在するのか??)は、「ある程度の基準はありますが、何歩あるかねば効果が無い、ということはない。人それぞれ、年齢や体力に応じ、歩数や歩くスピードは違って良い。」
 (以上、朝日新聞記事のごく一部を引用したもの。)



 最後に、実際日々歩数計を利用している原左都子の感想を述べよう。

 「数値目標」とは何だか「偏差値」を思い起す要素もあり、好まないのだが。 
 歩数計に関してはまさに個々人のデータとの日々の闘いであり、一人気ままに利用できることこそが利点であろう。 

 これを測定し始めて2か月程が経過した私だが。
 少しだけ、今後に及ぶ我が健康維持目標の更なるめどが立った気もしている。