原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

続編 「今回 私は転倒骨折したことにより“死に方”が少し分かったように思う」

2023年02月28日 | 自己実現
 上記表題のエッセイは、昨年秋 原左都子が路上にて転倒・左膝複雑骨折の身となり。 救急搬送の挙句 8日間の手術入院と相成った後、退院後日が浅い頃に綴り公開したバックナンバーだ。


 本日昼間 我がエッセイ集を振り返っていて、その表題の“奇抜さ”に自らが引き寄せられた。😳 

 “死に方が分かった” などと、捨て身のろくでもないタイトルのように一瞬驚くが。
 このエッセイを読み進めると、意外や意外その内容が肯定的である事実に私自身が安堵させられた。




 それでは 後半部分の原左都子の私見部分のみを、以下に反復させていただこう。

 原左都子の私見に入ろう。

 引用した本の著者である門賀氏(71年生まれらしい)や書評を書かれた磯野氏は、おそらく私め原左都子よりずっと若い年代のお生まれであろう。
 門賀氏に関しては71年生まれと明記されているが、私よりも10数年年下で現在50代少しの若さとの計算となる。
 やはり、人生観や死生観とは人物それぞれの生きて来た年数により大幅に異なるものであることを実感させられる。

 確かにもしもこの私が未だ50歳ちょっとだったとしたら、骨折でなど死んでいられない!との思いが熱く沸き起こる事だろう。
 我が50歳頃とは、産んだ娘が未だ中学生になった頃だ。 実際娘のサリバンをずっと担当した我が身としては、娘のためにだけでも生き抜いてサリバン業を全うせねばならない使命感に燃えていたものだ。

 年月が流れ、今回路上で転倒し骨折にて救急搬送された時点で私は既に高齢域に達し、娘も家を出て独立し立派に一人で生き抜いている、との環境下だ。

 実際、骨折の手術を受けて病棟のベッドで痛みに耐えつつ寝ながら、少し我が脳裏を過ったのは、(このまま私が死に至っても、誰も困らないだろうなあ…)との感覚だった。
 それはマイナスの意味合いではなく、むしろプラスの感情だ。
 “人に迷惑を掛けずに死にゆける事とは、ありがたいことではなかろうか”なる思いだ。

 結果としては、どうやら私はしばらくは多少の不自由は覚悟するべきではあるものの、今のところ“死ぬ運命”ではなさそうなのだが。

 年齢を重ねることとは、実際“人に迷惑をかける”との事態から遠のくこととプラス評価できそうにも思える。

 そんな意味で、高齢域に突入した今、こんな骨折災難が我が身に降りかかった事態もそう悪いことではないと思えてきたりする。

 (以上、原左都子エッセイ集バックナンバーの一部を引用したもの。)



 話題を変えよう。

 左膝複雑骨折の入退院後ほぼ4カ月が経過しようとしている現在尚、私は定期的な通院を余儀なくされている。

 その通院に際し、最近は区が運営する福祉バスを利用しているのだが。 (ちょうど我が家の集合住宅の直ぐ近くに停留所があり、直通で病院まで行けるとのメリットがある。)

 この福祉バスに関して説明すると、市民ならば誰でも利用可能ではあるものの。 その真の存在目的は、高齢者や障碍者の病院通い等々の便宜を図るために存在していると言ってよいであろう。
 この原左都子も「65歳以上」との高齢者条件を満たしている事実があるからこそ、このバスを利用することに踏み切ったのだが…
 いざ乗車してみると、“見るからに!”「お年寄り」ばかりなのだ!!

 ここで、原左都子自身が思い描く“お年寄り”に関する外見的特徴を述べると、皆が皆同じ格好をしている、という事実だ! 男女を問わず地味な色合いの上着にズボン、とにかく地味だ…
 そんな中、嫌でも自覚させられるのが、この原左都子の目立つこと!! いやはや 松葉杖をついているからこそこの福祉バスに乗れるが、それが無いと到底乗車できないなあ。

 そんなこんなで、次回からは通常の鉄道路線利用で病院通いをすることにしたのだが。



 それはおいておいて、話題を元に戻そう。

 実際我が娘も昨年5月に家を出て、独り立ちしてくれたことだし。
 このまま私が路上で倒れて死んでも誰にも迷惑を掛けないであろう事実を、今回の骨折により重々自覚できたし。

 片や、福祉バス内の光景など一生見たくも無い!!との事実も判明したし。

 それらを良き材料として安堵して、とにかく左膝の一日も早い復活を目指して、今後共精進して行こう!!
 

友だちが多くなくても、モテなくても…

2023年02月26日 | 自己実現
 本日は、2023.02.23付 朝日新聞の さほどメジャーではないコラム欄(失礼な表現であればお詫びしますが)より、「吉川トリコのダイヤモンドの味 死にたいぐらいの夜でも」と題する記事の一部を、以下に引用しよう。



 友だちは多い方がいい。 モテるに越したことはないし、結婚はもちろんしたほうがいい。 東大卒の医者と結婚した女は勝ち組。
 いまとなっては古ぼけた価値観だが、まだそこにいる人たちにとっては切実な問題だ。 「多様性」という言葉で彼らは救われない。 (中略)
 南綾子の小説「『死にたいって誰かに話したかった』に登場するのは、友達もいなければ恋愛経験もないKY女、非モテのストーカー男、セクハラと性犯罪を起こした元医師、だれかれ構わずマウントを取りたがる元セレブ妻。
 私(コラム欄の著者)は彼らを笑えない。 絶対に友だちになれそうにないし嫌悪感すらおぼえるが、愚かで無用な彼らは見ないようにしている自分の一面でもある。
 私たちが活きる現実がそうであるように、この小説に安易に開放はない。 こんな生きづらいのに生きている意味なんてあるんだろうか。 それでも、絶望の底から吐き出した言葉を黙って聞いてくれる人が隣にいるだけで、死にたいぐらいにつらい夜を生きのびることはできる。 そうやって、なんとか生きていくしかないのだろう。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 私見を述べる前に、当該文章を書かれたらしき作家の吉川トリコ氏とやらのご年齢の程を、ウィキペディアより調べさせていただいた。
 1977年生まれらしいので、現在40代半ば程の世代であられるようだ。

 そうすると、原左都子よりも20年以上お若い女性との計算となる。
 20歳以上も年齢差があるなると、当然ながら生きてきた社会情勢も大幅に異なることであろう。

 で、どうしたって??
 冒頭の文章を再度読ませていただくと。

 友だちは多い方がいい?? 
 これに関しては、我が若き時代にもそういった風潮はあったかもしれない。 ただ、この私はあくまでもマイペースを貫いていたなあ。 
 と言うよりも、私の場合、生涯を通して“仕事”や“学業”に恵まれた環境下にあったことが幸して、友達に限らず人間関係全般において、それらと連動していた印象がある。

 モテるにこしたことはない??
 まあこれに関しても、上記の友達の話題と連動するのだろうが。 
 そうそう原左都子の場合、生来の“遊び人”だった事実が活きたかも?!? よく働き、よく遊ぶ、と申しますか、それらすべてを積極的にこなしてきたと言えるかも??

 結婚ねえ。
 なんせ“遊び人”の私だから、当然結婚なんか後回しさ!!
 でも、40過ぎる手前で見合い結婚を自ら志し、伴侶にも一人娘にも恵まれて、その後の人生を歩んでいる。
 
 東大卒の医者と結婚した女は勝ち組??
 元々医学部出身の私故に、医者との結婚を目指せばその機会はあったかもしれない。 ただ、その時代には結婚願望が全く無かった。
 上述の如く、結婚は自らの希望で40近くまで後回しにしている。



 ただ、吉川トリコ氏は、このコラムを素晴らしい文章で締めくくっておられる。 その部分を、今一度 繰り返そう。
 「絶望の底から吐き出した言葉を黙って聞いてくれる人が隣にいるだけで、死にたいぐらいにつらい夜を生きのびることはできる。」

 そんなお相手が身近におられるのなら、何ら不服も困惑も無いはずだ。


 おそらく人が生きる時代や年代にかかわらず、この世の中にはいつも様々な人々の価値感が交錯していることであろう。

 そのように多様な価値観が渦巻く世の中で、自分らしい生き様を紡げる相手との出会いこそが、ささやかな幸せを人にもたらすのかもしれない。


岸田首相は、自衛目的ならばミサイルを撃ち込んでも「憲法の範囲内」と繰り返すが…

2023年02月25日 | 時事論評
 表題に関する2023.02.22付朝日新聞「天声人語」の内容を、以下に引用しよう。


 国会でのやりとりを見聞きしてて、どうも腑に落ちない。 憲法9条と敵地攻撃能力の関係についでである。 自衛のためならば、ミサイルを撃ち込んでも「憲法の範囲内だ」と岸田首相は昨年来、繰り返している。 本当だろうか。
 根拠にあげられているのは、1956年の政府見解だ。 たしかに当時の鳩山一郎首相は国会で「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨だとは、とうしても考えられない」との見解を示し、理論上は敵基地攻撃をできるとした。 だがこれには、仰ぎ見る程の高い関門がある。 鳩山氏は同じ答弁で、実行できるのは「他に手段がない」時だけだ、とも言っているからだ。 国連も助けてくれない、日米安保条約もない、救いの手が全くない。 そんな場合だと政府はその後、説明してきた。
 いま国連は存在する。 何より5万人超の在日米軍がでんと駐在している。世界各国の中で最も多い。 築きあげて来た見解と違うじゃないか、と野党が先日の国会で問うた。 すると岸田首相は、いまや米軍に依存せずに「自ら守る努力が不可欠だ」と答えた。
 ならば、政府は憲法解釈を変えた、と考えるのが普通だろう。 だが、首相は「変更しておりません」。
 単に憲法の議論を避けただけではないか、と疑いたくなる。 
 国家権力を縛るための憲法の解釈を、時の政権が勝手に曲げる。 そして曲げたことすら認めない。 罪は二重に重い。

 (以上、2023.02.22付朝日新聞「天声人語」より引用したもの。)



 原左都子の私見に入ろう。

 この私は我が国の憲法論議に関しては、過去より一貫して「護憲派」を貫いてきている立場だ。
 その身にして特に国政選挙等に於いては、その思想に近い党派の候補者に一票を入れたりもしている。

 その立場からすると、現在の我が国首相である岸田氏の「憲法思想」の程が実に分かりにくい。
 上記朝日新聞記事内に書かれている通り、“自衛のためならば、敵基地にミサイルを撃ち込んでも「憲法の範囲内だ」と昨年来のうのうと繰り返しているくせに。
 岸田首相は「憲法解釈を変更していない」と国会答弁でのたまう始末だ。

 これでは朝日新聞天声人語に書かれている通り、岸田首相とは単に“憲法議論”を避けたいだけと国民から疑われてもやむを得ないだろう。



 世界に目を向ければ、プーチン率いるロシアがウクライナに侵攻してから既に1年が経過してしまった…  
 根拠無きプーチンの身勝手な主張からウクライナ侵攻が始まって以降、その収束の出口がまるで見えない状況下にある。

 そんな厳しい状況に世界人民が震撼している折の、我が国の首相による「自衛のためならばミサイルを撃ち込んでも“憲法の範囲内”」発言…


 まったくもって国家を束ねる立場にある人間がせめても、自己の発言は確固たる責任所在の下に発して欲しいものだ。
 まさに、国家権力を縛るための憲法の解釈を時の政権が勝手に曲げた挙句、その事実すら認めない。
 岸田首相の罪は二重・三重に重い。


昨日 早くも税務署より e-Tax 確定申告の「還付金」が還付されました!!

2023年02月23日 | お金
 例年の事だが、亭主と婚姻以来原家の「税務申告(義母の青色申告も含めて)」をこの私が中心に担当して既に長き年月が流れている。


 近年のその特質として、(義母の青色申告を除き)e-Tax制度に移行したことが挙げられよう。

 それまでは毎年亭主と2人で税務署へ出向き、係員に質問しつつ税務所にてパソコンで確定申告書を作成・提出していたのだが。
 昨年からは時代の流れに沿って、我が家にて私のパソコンからのe-Tax入力、送信提出にての税務申告に切り替えた。


 さて今年の亭主(及び私の)e-Tax還付申告に於いて、提出後に誤りを発見した事実。 
 そして翌日にその誤りを訂正して再びe-Tax申告を送信し直した事実に関しては、既に当エッセイ集バックナンバーにて公開している。


 その「訂正申告」に関してだが、税務署の説明を読むと「訂正」はいつでも(確定申告期間外でも)OK、しかも訂正した事実を税務署へ連絡しなくてもよい、との情報が書かれていた。

 本当にそれでOKなのか???をかなり不審に思いつつも、それを信じるしかなく、早期に訂正申告書を作成し直し再提出しておいたのだが…


 本日午前中に、亭主の預金通帳に “早くも!” 訂正後の正しい還付金が振り込まれていた事実をネットにて確認して、大いに安堵したものだ。😃 


 それにしても、現在の税務署の“進化”の程には驚かされる。
 こんな納税者側の誤り・ミスを“太っ腹で”受け入れ、還付金を早期に還付してくれるそんな体制づくりを成している事実に脱帽だ。


 税務確定申告とは年に一度の作業につき、私のように既に高齢域に達している身にとっては、毎年“一からの再トライ”感を年を追うごとに実感させられる。
 そんな身にして、税務署の“訂正提出OK”との太っ腹に大いに助けられた今年(昨年分)の確定申告書e-Tax再提出だった。


 とは言っても確定申告書を何度も作成し直すのはやはり大仕事につき、来年こそは一発でばっちりと決められるように努力するぞ!!?
 

東京23区内の都心に「山」があるのをご存じですか?

2023年02月21日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、2023.02.20付朝日新聞 夕刊記事 「愛宕山かいわい 江戸一望の「『最高峰』いまヒルズ仰ぐ」より “ 愛宕山上にある愛宕神社と虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワー” の写真を転載したもの。)


 同じく、朝日新聞より転載した東京・愛宕神社の階段。
                  

 結構な段数があるようです。


 こちらは、ネット情報より転載した愛宕神社入口の風景。
         

  
 同じく、ネット情報より転載した愛宕山の光景。
 周囲の超高層ビル群に囲まれて、山が存在している様子が一望できます。

         

 こちらは、明治時代?? の愛宕神社の光景。
         


 それでは 朝日新聞2023.02.20付記事の一部を、以下に引用しよう。

 標高約26m。 愛宕山は東京都23区の最高峰だ。 
 愛宕神社は京都市の総本山をはじめ、全国に約870あり、戦勝祈願を加え、火伏せ(防火・鎮火)祈願との結びつきが強い。 (途中大幅略)
 現在は虎ノ門ヒルズなどの高層ビルに取り囲まれ、当時の眺望をしのぶことはできないが山自体は今も、うっそうとした緑に覆われる。

 (以下大幅に略すが、以上、東京都港区の愛宕山に関する情報の一部を引用したもの。)



 
 この東京大都心の中に存在する“愛宕山”の情報を見て。

 私は、我が郷里の「妙見山」と称する小さき山を思い起した。
 この「妙見山」も市街地の中にぽつねんと存在する山だった。 
 おそらく東京の愛宕山よりは高い山だった記憶があるが、小学校の遠足でもよく登ったし、また友達同士で頂上まで行って遊んだりしたものだ。
 愛宕山同様に石段が頂上まで続いていて、ヒーヒー言いつつ登った記憶がある。



 東京の愛宕山は、東京メトロ 虎ノ門ヒルズ駅、あるいは神谷町駅から降車して歩くルートのようだ。

 よし! それでは近々 地下鉄利用で、この大都会のど真ん中に位置する愛宕山を訪れることとするか!!

 いや、ちょっと待てよ。
 左膝複雑骨折は大丈夫か??!? まさか、頂上までのバリアフリーコースはないぞ。😖 😵 😱 

 上記写真を見ると、お年寄りも階段の手すりに掴まりつつ上っているではないか。
 きっと大丈夫だ!
 思い切って、行ってみよっと!?!?