原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

原左都子の2023年のこの1年は左側の「崩れたケーキ」のようなものかも…

2023年12月31日 | 自己実現
 (冒頭写真は、最近の朝日新聞記事より転載したもの。)


 この「崩れたクリスマスケーキ」事件に関しては、未だにその原因等の追跡がなされていないようだが。

 食いしん坊の私の眼には、左側の「崩れたケーキ」の方が口を汚しつつバクバク食べられそうだし、右側よりも数段美味しそうに見えるのだが。



 この高島屋がネット販売したクリスマスケーキは、25日午後時点で苦情や問い合わせが約900件に上り、原因は未だに調査中、同社は購入者に返金などの対策をとっているようだ。
 税込み5400円で約2900個を予約販売し、メーカーが梱包、高島屋が依託したヤマト運輸が凍結した状態で購入に届けたらしい。 (中略)
 同社は、配送時や製造段階で温度管理に不備がなかったかなどを調査し、原因究明を急ぐ、とことだ。
 
 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 原左都子の私事に入るが。

 昨年10月に転倒して左膝複雑骨折の身となり救急搬送の直後に手術を施し。 今年の8月に左膝に挿入した針金の除去手術を受けて現在に至っている。

 針金除去手術後は、なるべく左膝を動かすべくランニングに出かけたり、自宅ではダンスエクササイズに励んだりしている。 清掃・洗濯等々の日常業務は昨年11月の退院直後より普通にこなしている。
 その身にして、日常生活自体にはさほどの不都合は無いまでに左膝が動くようにはなっている。
 ただ現在尚正座が出来るには程遠く、左膝の負傷を忘れてしゃがんだりすると未だに激痛が走りしばらく立ち上がるのが難儀な有様だ。


 上のケーキに例えると、我が左膝の状態は左側の潰れたケーキの如くだろうか??
 それでもたとえ不意に怪我をして身体に損傷を抱えようが、人間とは人それぞれが生きていくべくノルマを抱えているものだ。
 それを日々こなしてこその自身の存在意義であり、日々の達成感でもある。

 いえいえ、たとえ我が左膝が冒頭写真の左側の「潰れたケーキ」のごとくであっても、自身の役割を日々果たせているならば十分に存在価値があると自己評価して許されるだろう。
 
 そんな自身の存在価値に感謝しつつ、今年も良き1年だったと自己評価しつつ2023年を締めくくろう。

 皆様も、良きお年を迎えられますように。
 

郷里の実母へ送ったプレゼント郵便が返却された事件、事の顛末は…

2023年12月29日 | 人間関係
 昨日昼過ぎの事だ。


 郷里の実母より我がスマホに通話着信があった。

 郷里の実母へ12月22日に「クリスマスプレゼント」郵便物を 東京の我が家近くの(郵便ポストではなく)郵便局窓口まで持参してそこから発送し、それが12月26日に我が家の郵便受けに返却されていた話題に関しては、既にバックナンバーにて述べている。

 その郵便物が何故我が家の郵便受けに返却されたのかに関しては、何らの「説明書き」も添付されていなかったため、発送元の郵便局にてもやむなく“返却理由不明”扱いのままに再配達の手配が成された。
 クリスマスプレゼントだったのに理由不明で返却されてしまった事実に関しては、当該郵便局員の方々からも丁重にお詫び頂くと同時に。 今再配達した場合、徳島への到着が早くて29日金曜日になる旨を伝授していただいていた。

 
 さて、昨日昼間の実母からの電話だが。

 驚いたことに、そのクリスマスプレゼントが昨日午前中に手元に届けられたという。
 更には、配達郵便局の(局長と思しき)男性が実母が暮らす高齢者施設へやって来て、理由不明で再配達になり到着が遅くなった事実に関する丁重なお詫びが述べられた、と言う。
 加えて、その局長と思しき人物は、「東京の娘さんにも大変申し訳ない事を致しました。どうか、娘さんにも重ね重ねお詫びを申し上げたい旨をお伝え下さい」と言って、郵便局へ帰っていったと実母が言う。

 私がその郵便物が到着すると聞いていた到着日よりも1日早い到着だったようだが。
 「速達便」ででも送って下さったのだろうか??

 理由は未だに不明だが。 
 とにかく、実母の手元へ予定より1日早く到着したことに私は安堵した。



 この事件に関しては、25日付の本エッセイ集内でその詳細に関して述べているが。
 
 その際に、私は返却された時点で封筒裏面に貼ったパソコンキーボードで打った我が住所氏名が剥がれかかっていた(より正確に説明すると、四角の4辺のうち1辺は剥がれずに封筒にくっついていた。 残り3辺が剥がれかかっていたとの状況だ。)
 この封筒を郵便局へ提出した時点では当然ながら4辺すべてがくっついていた。 そうした場合、輸送中の何らかのトラブルで残り3辺の糊付けが剥がれたこととなるが。)|
 こういう場合、郵便局にてその補修等は一切していただけないのであろうか?
 これがもし民間企業の取り扱いだったとすれば、必ずや補修をした後に送り先にお届け下さると推測するのだが。

 我が家のポストに返却された際に何らの説明書きも無かったのは、郵便局側も、その「剥がれ」の責任がどこにあるのか決定不能だったためだとも推測できよう。

 (加えて言いたいが糊製造会社も、輸送中に簡単に剥がれるような商品の販売は控えて欲しいものだ!!)😡 


 この「糊剥がれ」状態を今一度考察するに。

 我が家に郵便物を返却する決断を下した練馬郵便局も、その責任がどちらにあるかの決断に於いて相当迷ったものと推測可能だ。 それ故に、何らの説明書きも無きままに我が家の郵便受けにそのまま返したのであろう。

 
 この事件、一番適切な行動をして下さったのは、おそらく我が家の程近い私がその再配達郵便物を持ち込んだ郵便局員だと結論づけられそうに思う。
 私が「年内に届くか?」を再確認した際に、徳島への到着所要時間を確認いただいたり丁重に謝罪を下さったりした経験から。 私が思うに、この郵便局担当者氏が、配達局である徳島の郵便局まで今回の再配達状況をあらかじめお伝え下さったものと推測する。

 それを伝えられた、配達局である徳島の郵便局にての対応もありがたいものであった。 (上記に記載済みのため、反復は避けるが。)

 
 実母へのクリスマスプレゼントとして郵便にて送った郵便物が、予期せぬ多難な道のりを歩む運命を辿った訳だが。

 最終的には人の好意や適切な判断・行動により 心がこもった形で郷里の実母へ届いた結果を。
 私自身への最高のクリスマスプレゼントだったと結論づけたい。


郷里の実母は自身の意思で郷里の高齢者施設へ入居したにもかかわらず…

2023年12月28日 | 人間関係
 昨日の “郵便物を理由不明で返却された要旨のエッセイ” の続編の形となるが。


 我が実母は、自身の意思と希望でその郷里の高齢者自立支援施設を選択し、入居している。
 時は、実母が80代半ば頃だっただろうか?
 参考だが、我が実父は69歳の若さで「急性心臓発作」にて突然死している。
 その当時の実母の年齢は未だ67歳。 現在の原左都子より若い年齢だった。
 
 その葬儀の時に久々に郷里を訪れて驚いたのは。 実母が既に歩行困難となっていたことだ!  
 喪主であるにもかかわらず、「私は足が悪いけん動けんので、座っとる!」と威張り腐っていたのが印象的だった。😨 
 (参考だが、我が実母は生涯を通して食べ過ぎかつ運動不足でぶくぶく太っていた。 91歳の現在やっと体重が60キロ前半までに下がったようだが。)😫 

 やむを得ず 葬儀の詳細は娘の私が担当した。(とは言えども、今時の葬儀とはたとえ過疎地の田舎であれ、葬儀業者がすべて事を運んでくれるので特段の不都合は無かったのだが。)

 実母は(私が幼少の頃から)ずっとその父を嫌っていた。 
 その父が若くして他界したのだから、その後は実母の思うままに思う存分生きればよいものを。
 どうも、基本的に人間関係が苦手の様子だ。
 私をはじめ近しい親族にはえばり腐る癖に、肝心要の親しくするべく例えば近隣の方々や自身の過去の職場仲間等々との付き合いを嫌って一切合切避けていたようだ。

 そんな年月がしばらく続き、実母本人が「高齢者自立支援施設へ入居する!」と言い始め自らがその施設を選択・決定し、早速自宅物件を売却して全ての売却収入を自身の財産とした。 (実母とは、物件売買の相続にかかわる知識等々が全く無い人間なのだが。 売却担当の司法書士を通して私と米国の姉に「物件売却に関する相続権を放棄する」旨の念書が届きそれにサインをさせられたものだ。 これに関して、実母より自分がそのように手続したことに関する同意の断りが未だに一切無い。 過疎地の物件故に大した相続額でも無い故にどうでもいい話だが、とにかくまんまとその処理をした実母でもある。) 

 話題を実母の高齢者自立支援施設入居に戻そう。
 その引っ越しの手伝いをするのは、実母にとっては次女の私と相場が決まっているらしく。😵  その要請に応じて、私は実母の高齢者施設への引越を無事終えた。
 遠方に暮らす娘としては、実母の高齢者施設入居の決断・実行は褒めるべきであり、施設入居を心底歓迎したものだ。

 ところが、どうも実母とは何処へ行っても友達が出来ない人種のようだ。
 ならば、せめてスタッフの皆さんとの交流を大事にすればよさそうなのに、それが苦手な人間のようでもある。

 何か困りごとがあると、郷里の近くに住むさっちゃん(実母の実妹に当たる人物だが)を呼びつけて命令的にやらせる癖がある。 (これに関しては、11月郷里訪問の際にさっちゃんも交えて話し合い、困りごとがある際はさっちゃんではなく施設のスタッフに相談するように!と2人で実母を説諭した。 さて、実母がそれを守れるかどうかは不明だが… )


 11月郷里訪問の際に、タクシー内で実母が次女の私宛に吐き捨てるように言った言葉がマイナスの意味合いで忘れられない。

 「施設になど、入るもんじゃない!!」

 それに対する娘の私の返答は決まっている。
 「ならば、もっと若い頃から自身の人間関係を充実させるべく自助努力をしておくべきだった! それに関する何らの努力もせずに、せっかく入居した施設を有効利用出来ないで、いつまでもさっちゃんと東京の次女の私を呼びつけるあなたには呆れるしかない!!」

 口元まで出かかったが、何とかこらえた…


 実母とは別の意味合いで集団行動を嫌っている私であり、将来的に高齢者施設への入居の意思が皆無の私だが。
 
 いずれに転んでも、あんな年寄りには成り下がりたくないと。
 実母と面会するたびに実感させられる私である…
 

郷里の実母へプレゼントとして送った「財布」が自宅郵便受けに返却されるトラブル発生

2023年12月27日 | その他オピニオン
 一昨日の12月25日月曜日夕刻の事だ。


 外出から我が家へ帰宅した私は、いつものように真っ先に集合玄関の集合郵便受けを開け、配達された郵便物や新聞夕刊を取り出そうとした。

 そうしたところ、何故か私が12月22日金曜日に近くの郵便局から郷里実母へのクリスマスプレゼントとして送った「財布を入れた封書」が返却されていた。
 こういう場合、いつもは郵便局から「返却の理由」が書かれたシールが貼られているのに、今回は何も貼られておらず。 私が近くの郵便局から送った封書が輸送中に傷んだ形でそのまま返却されていた。

 私が自分で切手を貼って郵便ポストに投入したのではなく。
 郵便局にて郵便局員が我が郵便物の重さやサイズ等々を判断して、その配達料が決定したため、代金不足であるとは考えられない。 何か他の理由があって返却されたのであろう。

 返却の理由が分からないのに苛つかされたが、とにかく返却されてしまっては仕方がない。
 
 とにかく翌日(昨日火曜日)の午後に、その実母へのプレゼントの財布を入れた封書をそれを持ち込んだ近くの郵便局に持参した。


 そうしたところ、やはり対応して下さった郵便局員が私に問うには。「何か返却の理由を書いたものを貼って無かったですか?」  当然「No!!」返答の私だが。
 局員氏も首を傾げつつ、とりあえず上司に相談に行ったようだ。
 その上司と2人で私の処へ戻って来て言うには。 「申し訳ないのですが返却理由が不明のため、今一度このままお預かりします。」
 私が返して、「これクリスマスプレゼントなのですが、私としてはクリスマスまでに届けて欲しかったのが正直なところです。」
 更に局員氏が平謝りしつつ、「宛先が徳島県ですね? 最短で27日の金曜日には届けますので、今回は大変申し訳ないですが今一度お預かり致します。 今回の返却理由に関しては、こちらから練馬本局へ再確認しておきます。」

 
 この実母への「財布のプレゼント」に関して、その背景を説明しておこう。
 11月に郷里へ行った際に、実母に会った話題はバックナンバーにて記載している。
 娘の私にとっては決して決して実母との“楽しい再会”ではなく、種々の事情で後味の悪い再会だったことに関してもバックナンバーにて記載済みだ。

 そんな二者関係だったが、タクシー道中実母がいうには「今欲しい財布が無くて困っている。 〇子(私の事)が持っているその財布を譲ってくれると嬉しい。」 
 私応えて、「こんなボロ財布でよければ、あげるよ。」
 ところが実母も、その後のらりくらりと話題を変えつつ何だかんだと私相手に実にくだらない訴えばかりをしてきて、すっかり財布の事は忘却したようだ。
 私の方もタクシーの中でそんな義母の悪態責めに反吐が出そうなほど嫌気がさしつつ、すっかり財布の事を忘却してしまった。

 それを思い出したのは、最近の事だった。
 そうだ、実母が財布が欲しいと言ってた! クリスマスも近いし、新しい財布を買って郷里の実母へ送ってやろう!


 そうして、送ったのがその財布だったとの訳だが。

 母子関係があまりうまく行っていない(と言うよりも、正確に言えば私側が現在の実母を毛嫌いしているだけの話だが)娘と母のプレゼントのやり取りとは、難儀することを実感させられる…

 
 そんなこんなで、とにかく再度実母宛に財布プレゼントを贈ることを、郵便局で実行してきた訳だが。

 その後、我が脳裏に浮かんだ事実がある。
 そう言えば、私が実母宛に送った封書の裏側の“キーボード打ちで糊で貼り付けた送信者である私の住所氏名の紙が、一部取れかかっていたことを思い起した。
 私側としては、表面の実母住所すら判明できたならば 裏の送り主の住所氏名など二の次でよさそうに思うのだが。
 もしかしたら、練馬本局が「これじゃあ送り主名が分かりにくいから、一度返却してきちんと貼り直してもらうべき」と判断して下さったとすれば。

 その練馬本局の“心配り”に感謝するべきかもしれない、と現在は考え直している。


 とにもかくにも、私が郷里の実母へ再度送ったクリスマスプレゼント到着は29日金曜日となるらしい。

 次女の私に対してはいつも悪態ばかりついている(私には甘えられるとの証拠だろうが)実母が、年末に受け取るであろう「クリスマスプレゼント」にどのように反応してくるのか?!?

 それにより、我が新年をどのように迎えられるかが左右するのかもしれない… 😖 😱 


どんな思想であれ、“右向け右”と国民が同じ方向を向かされることの怖ろしさ

2023年12月24日 | 時事論評
 本日のエッセイテーマは、2023.12.17付朝日新聞「天声人語」より転載させていただこう。


 その前に。
 
 私めのペンネーム「原左都子」に関しては、本エッセイ集初期頃に幾度か説明しているが。
 ここで改めて、その由来を記載させて頂こう。

 「原」に関しては、現在の本名です。 晩婚後 自動的にこの名字になりました。 
 知る人ぞ知る話題ですが、我が婚姻後の本名は決して“捨ておけられない”価値のあるものです。 ただし 現在に至っては某著名人だった今は亡きその人物を知る人が激減している状況であり、特段のサプライズは無いようになってきています。 
 それでも時折我が本名を初めて見た方の中には、「へえ、凄い氏名ですね!」と感嘆される場面も未だにあり、同姓同名の私としてはまんざらではありません。

 さて、我がペンネーム「原左都子」ですが。
 これに関しては、特に「左都子」の「左」の漢字に重きを置いて自分で名付けました。 未だに「佐都子」と勘違いされている方もいらっしゃるようですが、正しくは「左都子」ですのでご承知おき下されば幸いです。


 その「左」に関して命名の趣旨を改めて説明しましょう。

 生まれ持っての“天邪鬼気質”の私は 特に義務教育課程に入学した頃より、「右向け右」だの「回れ右」だのと指導されることに大いなる抵抗感を抱いていました。
  そのように指導されると「左」に向きたくなる我が“反骨精神”を“さとこ”の“さ”の字に用いたという訳です。 

 その前に説明しておくべきは「さとこ」ですが、これは私が20代前半期に上京して以降の医学職場にての我が愛称です。 由来は我が旧姓名字からとられたものですが、これは気に入りましたね! 「さとこ」とか「さとちゃん」と呼ばれることに、近親間や信頼感を得たものです。
 何だか、この「さとちゃん」「さとこ」との愛称を持って、私は東京にて再スタートを切れた感激がありました。

 そんなこんなで、我がブログペンネームは迷いもなく「さとこ」を用い、その当て字を「左都子」とするに至ったとの成り行きでした。



 やっと朝日新聞「天声人語」からの引用を、以下にしよう。

 歴史の受け止め方は個人の自由であるが、まずは史実に基づきべきであるし、専門家の治験の積み重ねを知らなければ、全体像を見失う。 (中略)
 広島市長が、戦前戦中の教育勅語を研修資料に引用していた。 「評価してよい部分もあった」などとし、今後も引用を続けるという。
 教育勅語とは、明治天皇が語った言葉だ。 核心は、いざとなれば天皇のために命を捧げよと求めていることである。 部分的に共感できる表現があったとしても、わざわざ勅語を引用する必要はあるまい。 本質を無視するの何か別の意図があってのことか。
 そもそも、あの戦争で私達は何を学んだのか。 どんな思想にせよ、右向け右と、国民が同じ方向を向かされることの怖さだったのではなかったのか。 その象徴の一つが教育勅語であった歴史を、忘れるわけにはいかない。

 (以上、朝日新聞「天声人語」より一部を引用したもの。)



 最後にもう一度繰り返させていただくが。

 我がペンネームは「原左都子」です。
 この「左」の漢字に大いなるポリシーを込めて自ら名付けたペンネームです。

 そんな私は、世の指導者から「右向け右」「回れ右」と指導されようと。

 今後共一貫して肝心要の事態には「左」方角を向く意思の強い人間ですので、悪しからず。