原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

学校の先生達よ、通知表は真心こめて書こう!

2015年03月30日 | 教育・学校
 近頃、学校の先生(おそらく小中高校)向きの、通知表「ネタ本」とやらの売れ行きが芳しいらしい。


 冒頭から私事だが、原左都子にも教員経験がある。

 私の場合過去に於いて高校教諭の立場で公立高校(及び非常勤講師として私立高校)の教育現場を経験している。 その時代、私にとって一番の得意分野だったのが生徒との交流である。
 何分民間企業経験を積み、その後大学(及び大学院)へ再入学して若き学生達とも合いまみえ、その間勤労学生として数ある派遣社員及びアルバイト稼業もこなして来た。
 これらの経験が、その後の我が教員生活に大いに役立った事に間違いない。

 30代後半時期に私は公立高校教諭を任命された。
 元々学校嫌いの私は教員との職種に対し咄嗟に“アレルギー反応”を起こしたものの、“逆縁故”(要するに大学を管轄している自治体から大学を通しての半強制的教員任命だったのだが。)を受諾せねばならない運命を悟った。

 そして出向いた高校現場には、予想に反して、実に“愛すべき子供達”が私を待ち構えていたのだ!   何が可愛いとて、(一部を除き)ほとんどの生徒が私に懐いてくるのだ。 これは予想外のサプライズ出来事だった。
 事を遡ると、私は30歳にして入学した大学にて「教員免許」を取得した。 その際、高校現場で「教育実習」を体験した時にも、生徒達に慕われ懐かれる事は既に経験していた。
  
 ここで私見だが、当時の高校現場に於いては、民間経験がある私のような人材が若気の至りの生徒達にとっておそらく“斬新”だったのではなかろうか?  日々精一杯のお洒落をしてニコニコ笑顔で教壇に立つ私の姿は、学校現場に於いては異質な存在だったであろう。 (教員達から、私の格好が“教員として相応しくない”とのマイナス評価が届いた事もある。 これに対して私が黙っている訳もなく、反論もしたが。)  私側としては、大変失礼は承知だが当時の公立高校現場の教員達とは(一部の例外を除き)旧態依然とした風貌、かつ過去の権威的教員気質を抜け出ていない感覚を抱かされたものだ。
 (参考のため我が娘は私立中高校へ通ったが、教員全員がスーツ着用、男性教員はネクタイを強制されていた。これぞ教壇に立つ教員の礼儀と私も心得る。

 教員初日から人懐こい生徒達に安堵と感激を貰った私は、その後生徒達との交流を主たる柱として教員生活を進めた。 
 とりあえずは私に懐いてくる生徒達と仲良くなる事を実行する一方、時間の経過と共に“懐かない生徒”への対応を強化するべきと推し量った。 
 何と言っても教員にとって自分に懐く生徒への対応は容易だ。 放っておいてもあちらからコミュニケーションを取りに来る。  同時に、懐きはしないが授業中には反応を示す生徒も意外と扱い易い。この種の生徒も結果として“懐く生徒”に分類することとした。 
 そして私は果敢にも、教員には“一切懐かない生徒”に対し行動を起こした。
 これぞ大変な作業だったが、とりあえず授業中にそれら生徒への問いかけを積極的に行い続けた。 これらの生徒達とは小中高と今に至るまで教室内で教員からずっと放置されていたのであろう事実にこそ、私は着眼したのだ。  力を得たのは、教室内生徒の誰しもが教員である私の行動を見守り続けてくれた事実だ。 恐らく生徒側にも“あの子は教員からずっと放置されている”なる共通認識があったのではなかろうか……


 話題を冒頭に戻そう。

 担任教員が通知表記載に困惑する生徒とは、実は教員が普段コミュニケーションが取れていない生徒に対してではなかろうか?
 特に小中学校レベルに於いては、教員が普段コミュニケーションを取り易い児童生徒、及び品行方正かつ学業成績良好な生徒に関しては、すぐさま通知表記載が叶うことであろう。
 ところがこれが一旦日頃まったく接しておらずただの一度も会話すらした事が無い生徒に関して、通知表が書き辛いとの事ではあるまいか??

 実は我が娘も小中高校時代に於いて、一部を除きほとんどこの種の担任ばかりに当たったと言って過言ではない。
 どうした事か、クラスの一員生徒である我が娘に対し、1年間に一言も言葉をかけられない担任に幾度となく出会っている。
 確かに一教室に40名程の生徒がいれば、そのうちの誰かには一度も声掛けをしないとの教員がいても不思議ではないとの今の時代背景か!??
 ただ教員経験がある私に言わせてもらうならば、それで学級担任が務まるとでも思っているのか!? はたまた教員として生き延びられるのか!と言いたいところだ。
 一体全体、国家や自治体が教員採用に関して何をポリシーとしているのかも不明だ。

 しかも現在の(義務教育を含めた)学校の先生達が、通知表記載に当たり「ネタ本」を参照しているとのお粗末な実情…
 これぞ、普段生徒達とのコミュニケーション能力に欠ける教員どもが量産され続けている事態を証明した現象に過ぎないのではなかろうか??


 最後に原左都子の私論でまとめよう。
 
 義務教育学校現場等々、未だ成人に達していない子供達の教育を担当するプロ職業人に欠かせない能力とは、“子供一人一人とのコミュニケーション力”である事に間違いないのではあるまいか?
 特に教員相手にコミュニケーションを取りにくい子供達に対し、教員の方からこそコミュニケションをとれる能力発揮可能な人材の育成こそが、現在一番に求められていると私は推察する。 

 コミュニケーション力に乏しい少数派の児童をも顧みれるキャパシティが小中校教員採用者に元より備わっていて、少なくとも自分が受け持つ生徒皆を愛せる力量があるならば…
 本来教員にとって愛すべく生徒達に対し、表題に掲げた“通知表記載事項”を「ネタ本」に頼るなどの馬鹿げた失策を回避可能であろうに…

シングル女性が不動産を購入する際の留意事項

2015年03月28日 | 時事論評
 女性の社会進出・活躍が急激に進む現象と並行して、結婚・出産高齢化も加速している。

 そんな世の流れと共に、現在シングル女性の不動産購入が活況化にあるらしい。

 以下に、一ネット情報よりその様子を要約引用しよう。
 都心の不動産市場が活況だ。 最近ではシングル女性も熱い視線を注ぐ。背景に何があるのか。
 不動産経済研究所によると、2014年の首都圏の新築マンション平均価格は、5060万円。 1992年以来の高値となり、不動産市況は「プチバブル」の様相を呈する。 そんな中、シングル女性が不動産に向ける視線も熱を帯びている。「快適女性のための住まいづくり研究会」代表の某女性氏が語るには…。
 「結婚をあきらめた女性が“終(つい)のすみか”としてマンションを買うと言われたのは20年以上前の話。研究会のセミナーでも投資関係が一番人気で、参加者の7割以上がシングル女性だ。男性のような投機目的ではなく、最初は自分で住んで、結婚などでライフスタイルが変わったら賃貸に出して家賃収入を得たいと考えている人が多いですね」
 研究会の会員約7万6千人を対象にした分析では、約7割が会社員で、年収は400万~599万円が最も多い。約8割が自己資金を400万円以上持っており、約半数は800万円以上。年齢は30,40代が65%なので、勤続10年以上の蓄えのある堅実なOLが多いようだ。
 「シングル女性は男性に比べてローン破産などの“事故率”が少ない。今は金融機関のローン審査も保証人が不要で、30、40代なら税込み年収の6、7倍のローンが組めるケースもある」(以上、上記某氏の発言) 14年に首都圏の新築分譲マンションを契約した人を対象とするリクルート住まいカンパニーの調査によると、シングル女性は5割以上が東京23区内でマンションを購入。購入理由で全体平均より高いのは、「資産を持ちたい」と「老後の安心のため」。 自己資金は平均が1064万円なのに対し、シングル女性は1498万と、434万円多い。
 (※AERA 2015年3月30日号より抜粋)


 原左都子の私事に入ろう。

 私がまさに“シングル女性”として単独名義で一番最初に不動産物件を購入したのは、今から遡る事30年程前の30歳直前期だった。
 何故独身の立場で不動産物件を購入したかのいきさつに関しては、既に当該「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて再三再四記述している。  当時結婚及び子育て願望がさほど無く主体的に独身を貫いていた私にして、「ブランド物など要らないが、自分が住む家くらいは自分で購入するぞ!」なる確固としたポリシーを内面に培っていた。
 
 時は29歳。 民間企業に就職していた私もある程度上位の立場となり、そこそこの金融資産蓄積も成し遂げていた。   (参考だが、上記ネット情報によれば現在シングルにて不動産物件を購入する女性の平均年収は約500万円、自己保有資産が約1500万円とのことのようだ。)
 自慢話で申し訳ないが、私は29歳時点で、平均年収及び金融資産所有総額が上記ネット数値を大幅に上回っていた。 時は経済バブル絶頂直前期であり、当時のサラリーマン達とは私のみならず皆がその程度の所得を得ていた時代背景だったものだ…。

 そんな私は、迷いなく不動産購入に踏み切った。
 これには実姉の影響が大いにあった。 当時大阪に住んでいた我が姉は25歳の若さにして単独でマンション物件購入に踏み切っていた。 しかも一切のローンは組まず、全額自己金融資産にての!
 これに妹の私が触発された事には間違いない。 私も全額自己資金での購入を目指していたが、姉程の自己資産力が無かった私は、ローンを組んで不動産を購入する結果となった。
 その物件こそが、昨年築32年にして「オーナーチェンジ・リノベーション対象物件」として売り払った我が賃貸資産である。

 
 さて、30年程前にシングルの身にして不動産物件を購入し7年間自らの単身住居とした後、それを20年程賃貸物件として運用した実績のある私から、今後同様目的で不動産物件を買い求め将来投資運用しようと志す女史達に留意点を述べよう。

 まず第一点。 不動産購入ローンは最小限に留めるべき。
 現在の不動産購入ローンは金利が至って低額のため、借入しやすい環境下にあると心得ている。 が、それに甘んじ多額のローンを長期借入したならばその利子総額たるや膨大な金額となる。 特に“変動金利ローン”は今後の経済政策の行方に大きく左右され借入期間が長期になる程不確実性が増大する故、留意する必要があろう。
 更には将来的に賃貸物件としての投資運用を志いしている場合、それ以前にローン完済して抵当権抹消登記をしておくべきだ。 抵当権付き物件など今の時代、賃借人から一番に敬遠される対象物件でしかない。
 
 第二点。 シングル女性ご本人一人の名義で不動産を購入するなら今後に至ってさほどの問題はないが、もしも家族(あるいは親の遺産)や婚約者等を共有名義者とする場合、その後共有者の死去や婚姻に至らなかった事態等に際し税務申告が複雑となる事態は歴然だ。 大して高額ではない物件を買う場合は大きな問題はないが、高額物件を買い求める場合それが将来ネックとなる場合も予想可能だ。

 第三点。 購入する不動産物件の耐用年数を心得ておこう。 
 現在の税法上の減価償却計算に於いて、マンション物件の耐用年数は47年と定められている。 もしもシングル女性が古い中古物件(例えば築2,30年経過の物件)を購入する場合、その物件の耐用年数は自ずとそれ程の寿命であることを最初からわきまえておくべきだ。
 私自身の経験から述べるなら、築32年にして昨年“リノベーション対象物件”として我が賃貸物件を売りに出したばかりである。 もしもご自身で“リノベーション”が出来る程の経済力があるのならば、その後も賃貸物件として利用可能であろうが、それには数百万の費用が加算される。 その後一体何年古不動産が持ちこたえるのかの判断も所有者に要求されるとのことだ。 
 (その時点に於いて未だローン返済を終えていないとしたならば、もっと悲惨な状況となろう…)

 第四点。 不動産を新築で購入しようが中古であろうが、その先ずっとマンション管理会社に支払う「管理費及び修繕積立金」が発生し続ける。
 これに関しては、現在私が住むマンション内でも議論の最中なのだが、マンション物件を購入した場合、十数年毎に定期的に「大規模修繕」が実施される運命にある。 その都度「修繕積立金」が大幅に上昇するのが世の常だ。 これに対してマンション管理組合員一員である私など毎回管理会社に反論を突きつけるのだが、何分相手はゼネコン企業…  国家(特に自民党政権下に於いて)保護されて続けている実態だ。 悲しいかな、東京五輪が終わるまでは修繕費は高騰し続けることであろう… 
 (参考のため、築年数が経過したマンション物件を所有し続ける場合、下手をすると管理費・修繕積立金合計額が4,5万円/月 に上る事もあるため、所有者はその金額を支払い続ける経済力を要することも承知しておくべきだ。)


 第五点。  上記の「快適女性のための住まいづくり研究会」代表の某女性氏が“現在の世論”として表明した内容に従うならば、「最初は自分で住んで、結婚などでライフスタイルが変わったら賃貸に出して家賃収入を得たいと考えている人が多いですね」 (上記ネット情報より引用。)
 その情報に従うならば、現在の独身女性はまさに私が過去に於いて実行した不動産賃貸運営を真似たいようだ。
 そうした場合の留意点を述べておこう。
 まずは賃借人の選択を誤るべからず!、と言うのが鉄則ではなかろうか。
 賃貸物件を運営する場合、通常不動産仲介会社を頼ることになろう。 10中8、9の事例に於いて、恐らく不動産仲介会社が紹介してくれる賃借人氏にさほどの悪人はいないのかもしれない。
 ところが、私は昨年某賃貸仲介会社(一応ジャスダック上場の首都圏では多数店舗展開している企業)から(ヤクザまがいの)悪質入居者を紹介され150万円もの多額損失を計上してしまったのだ。 これは賃貸歴20年の私としても予想だにしなかった事態だった。 そういう不運もあり得る事を視野に入れておかねば、(一応自営業範疇の)不動産賃貸など立ち行かぬ事を教授申し上げておこう。 


 それでも、強い意志でシングル女性が自分自身の先々を見通し不動産を購入するのならばそれもよかろう。
 ただ少なくとも、近いうちに結婚予定の男性の懐具合を頼り不動産を購入する等の“他力本願”魂胆ならば、それこそ関係破たん後の経済損失が莫大であろう事を今から思い知っておいた方がよいような気もする。

安倍総理の安保歴史認識の歪みに今こそ野党は対抗せよ!

2015年03月25日 | 時事論評
 去る3月22日、防衛大学卒業式に関するテレビニュースを視聴していた私は、内閣総理大臣かつ自衛隊最高指揮官の立場で訓辞を述べた安倍総理の、今後の国家安全保障に関する発言内容の大いなる「偏り」に辟易とさせられた。


 冒頭より私事を記させて頂こう。

 私の従弟が防衛大学出身者であり、現在防衛庁のトップ幹部として活躍中である。
 (参考のため、民主党政権時代に蓮舫氏が政権の売りとして“事業仕分け”を高らかに実施していた頃、防衛庁幹部の立場で事業仕分け特番のテレビ出演もこなしている。)
 この従弟、我が血縁親戚筋の中でも1,2位を争う秀才だった事は間違いないのだが、現役にて京都大学及び防衛大学に合格した。 当然京大へ進学するのかと思いきや、本人が進路として最終決定したのは、なんと! 防衛大学だった。
 特段生活に貧窮している家庭ではなく、また、至って穏やかかつユーモアセンスもある従弟が何故防衛大学を進路としたのかに関しては、さほどの深い付き合いが無かった私には今尚未知数だ。  
 防衛庁トップに君臨している現在たまに電話で話す機会があるが、昔と変わらぬユーモアセンスに双方が笑い転げる始末だ。  私の解釈としては、(従弟の真の国家安全保障上のポリシーは未だ不明だが)この一見柔和で人懐こい人格をもって、虎視眈々と防衛庁の上位まで上り詰めたものと推測している。


 私事が長引いたが、安倍総理の平成26年度防衛大学卒業式での訓辞内容を、ネット情報を参照しつつ以下に紹介しよう。

 本日、伝統ある防衛大学校の卒業式に当たり、今後、我が国の防衛の中枢を担う諸君に対して心からのお祝いを申し上げる。  
 その日のガダルカナル島には、70年前と同じように雲一つなく、強い日差しが降り注いでいたそうだ。  昨年秋、練習艦「かしま」のタラップをのぼる諸君の先輩たちの胸には、かの地で収容された百三十七柱の御遺骨がしっかりと捧持されていた。  遠い異国の地において祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら戦場で倒れられた多くの尊い命。そのご冥福を、戦後70年という節目の年に幹部自衛官への道を踏み出す諸君たちと共に、お祈りしたい。
 その尊い犠牲の上に、我が国の現在の平和がある。二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。私たちにはその大きな責任がある。
 戦後、我が国はひたすらに平和国家としての道を歩んきた。  しかし、それは「平和国家」という言葉を唱えるだけで、実現したものではない。   自衛隊の創設、日米安保条約の改定、そして国連PKOへの参加。 国際社会の変化と向き合い、憲法が掲げる平和主義の理念のもと、果敢に「行動」してきた先人たちの努力の賜物である。私はそう考える。
 「治に居て、乱を忘れず」
 自衛隊そして防衛大学校の創設の父でもある吉田茂元総理が、防大一期生に託した言葉だ。  「昨日までの平和」は「明日からの平和」を保障するものではない。  「不戦の誓い」を現実のものとするためには、私たちもまた先人たちに倣い、決然と「行動」しなければならない。
 それ故、いわゆるグレーゾーンに関するものから集団的自衛権に関するものまで、切れ目のない対応を可能とするための法整備を進めている。
 「行動」を起こせば批判にさらされる。 過去においても、「日本が戦争に巻き込まれる」といった、ただ不安を煽ろうとする無責任な言説が繰り返されてきた。しかし、そうした批判が荒唐無稽なものであったことは、この70年の歴史が証明している。  「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえる」  この宣誓の重さを、私は最高指揮官として、常に心に刻んでいる。
 自衛隊員に与えられる任務は、これまで同様、危険の伴うものだ。 しかし、その目的はただ一つ。すべては、国民の命と平和な暮らしを守り抜くため。そのことにまったく変りはない。
 その強い使命感と責任感を持って、これから幹部自衛官となる諸君には、それぞれの現場で隙のない備えに万全を期し、国防という崇高な任務を全うして欲しい。
 (以下は略するが、以上防衛大学本年度卒業式にて安倍首相が卒業生へ贈った訓辞より一部を要約引用ししたもの。)


 上記の安倍首相による防衛大学卒業式にての訓辞に対し、早速野党から反論が展開された様子だ。

 それに関しても、ネット情報より引用しよう。
 民主党の枝野幹事長は3月23日、安倍首相が22日の防衛大学校卒業式で 「過去にも『日本が戦争に巻き込まれる』という、ただ不安をあおろうとする無責任な言説が繰り返されてきた」と述べたことに関し、「(首相の批判する言説が)ブレーキとして働き、緊張関係とバランスの中で戦後70年の平和が作りあげられた。 首相こそが、歴史をしっかり学ぶ必要があるのではないか」と批判した。
 民主党は今後、政権批判のターゲットとして首相の歴史認識を取り上げていく方針で、4月には昭和史を研究している近現代史研究会(座長=藤井裕久元財務相)の活動を再開させる。 首相が今夏に発表する戦後70年談話について国会で議論するため、党の考え方をまとめるという。


 原左都子の私論でまとめよう。

 まさに民主党枝野氏の発言通り、内閣総理大臣である安倍氏本人が戦中戦後時代に日本国民及び近隣諸国が置かれていた悲惨な事態に関し、あくまでも“庶民の立場”に立った歴史感覚を学び直すべきではあるまいか?
 安倍氏とは、いつまで経っても自分が恵まれた政治家一族だった事実から精神構造が解放されないようだ…。
 
 最後に防衛大学へ進学した我が従弟の現実を記そう。
 あの子(と表現するのも、私より10歳程年下なのだが)、穏やかで心優しくユーモアセンス抜群(かつ頭脳明晰)だからこそ、厳しい環境下にある現在の防衛庁内に於いて、現在幹部トップにのし上がっているようにも想像する。 
 もしも、我が従弟が安倍氏と同類の“頭でっかちの分からず屋単細胞”にして部下に対し「皆で戦争に行こう!」などと一度でものたまったならば、防衛庁との組織からとっとと排除される運命だったような気もする…… 
 頭でっかちなど組織最上部の“口ばかりで実質何の役にも立たない”立場で済む人種のみに留めて欲しいとの、世界中の末端人民からの切なる希望ではなかろうか…

 防衛庁(自衛隊)末端職員氏達に関しては、今後共“自分の命を守る”事を第一義として職務に専念して欲しい思いだ。

自分は恵まれていると思った時点で先々の可能性を縮める

2015年03月23日 | 自己実現
 世の中には、わずか21年程度の人生経験で 「自分が恵まれすぎている」 と感じる“珍人”が存在するようだ。


 この話題は後に回すとして、冒頭から同じく現在21歳の我が娘の“自慢話”をさせていただこう。

 原左都子の娘がこの4月に大学4年生に進級するのに先立ち、3月の就活戦線開幕と同時に就活に挑む事と相成った事態に関しては、3月4日バックナンバー「我が娘よ、厳しい就活戦線を勝ち抜こう!」に於いて公開した。

 その中で述べた通り、娘幼少の頃より“お抱え家庭教師”として君臨して来たサリバン先生でもある母親の私相手に、娘は「就職先は自分で決める!」と言い放った!

 加えて、親側からも「我が家にはコネなど一切ない!」とも娘に伝えてある。 
 実を言うなら、何処かの芋蔓を頼ればコネがないことはない。 ただ私自身が徹底してコネには依存しない人生を貫いて来ている。 何故ならば 「今日のコネは明日の足かせ」 なる表題のエッセイを当該エッセイ集バックナンバーにて公開している通り、真に実力ある人間にとってはコネとはむしろ将来に於いて足かせになる事も大いに有り得るのだ。 
 信憑性に乏しいコネなどより、自分自身の能力・実力の方が上回っている事態は世の中には数多いのではなかろうか。 それを娘に伝えたかったのだ。
 例えば娘が在籍している大学内でも、ゼミ指導教官や先輩達のコネに頼って就職先にありつく学生が少なくない実態のようだ。 この手法に頼れば、確かに安全確実かつ“楽して”とりあえず就職先にありつけるであろう。 ところがその先が大変だ。 入社後、自分が目指していた方向とは大いに食い違う事態に直面したとて、コネ採用故に身の振り方を難儀される事ともなりかねない。 最悪の場合、早期退職を志そうがコネ元に迷惑をかけるとの理由で、それさえままならない悲惨な結末を導くとも考えられる。 

 そんな中、我が娘の就活の実態が凄い!  (この子がこんなに活動的になるのか!?)とサリバンの私が驚くべく、日々意欲的に就活に励んでいる。
 娘の就活の手法を少し紹介するならば、娘の大学が開催する就活セミナーに先立ち、自分自身で積極的にネット情報を活用して、自己の能力及び特質や過去の経験に基づきそれにマッチしそうな就職先を自ら発見・選択している様子だ。
 (個人情報保護故詳細の記述は控えさせていただくが)、娘が自身で選択した就活先を列挙するならばそれは多岐に渡る。 ただ親の私の感覚では、確かに娘21年間の人生経験に基づく自己能力の分析力が正確かつ的を射ている事実に驚かされる。
 自ら主体的に就活先を選択し日々各社の就職セミナーに出かけている様子を垣間見るにつけ、その娘の意欲の程に、身内も含めて感慨深い思いをそそられている。


 話題を冒頭に戻そう。

 わずか21歳にして「自分が恵まれ過ぎている」と感じている21歳男性の悩みの相談を、朝日新聞3月21日付“悩みのるつぼ”より要約引用しよう。
 21歳の男性だが、僕は“ぬるま湯”に浸かった人生を送って来た。 高学歴かつ裕福な両親の下に生まれたお陰で生活に困った事が無い。 学業や部活もそつなくこなせ挫折の経験もなく自分でも非常に恵まれていると実感している。  現在就活中だが、自分の将来を考えるに当たり恵まれ過ぎている僕は自分自身のためだけに時間を使い漫然と人生を送ったように思う。 それ故、将来は社会貢献の仕事を選択して自分が恵まれていた事を還元したいと思う。  高慢だが、自分は他の人よりも多くの選択肢を持っている事と感じている。 だからこそ、(将来の希望を)一つに絞り込めない。  こんな恵まれ過ぎて何も決める事の出来ない自分へ一喝願いたい。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談より要約引用。)


 一旦、原左都子の私論に入ろう。

 おそらくこの相談者の一家とは、相談男性が言うほどには恵まれていない(経済力がない)のではなかろうか??
 申し訳ないが、私の感覚では我が家と同等レベルと推測する。 とした場合、実際問題、決して上流階級ではなく“貧乏人の部類”と結論付けておこう。
 要するにあくまでも庶民の立場に於いて、相談者の親どもはこの21歳男子を一体全体如何なる教育方針の下にこれ程に“歪んだ階級意識の下”に育て上げてしまったのか興味深いところだ。


 今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる岡田斗司夫氏の回答内容が、(珍しい事に)原左都子の私論とダブる。

 その岡田氏の回答を以下に紹介しよう。
 (恵まれていたと自覚していたあなたも)実際に就活準備してみたら自分の恵まれ方が足りない事実を把握できたであろう。 本当に恵まれている学生は子供の頃から就職先が決まっている。 本当に恵まれた人には人生の選択肢などないのが事実だ。 貴方は自分が恵まれていると言うが、その実、企業側からのスカウトが来るほどでない。 「恵まれた環境」 「ぬるま湯」に対して一喝を! とのリクエストに応じて考えたが、貴方の居る場所は恵まれてもいないし、ぬるま湯でもない。 冷え切った水だ。 
 ここは「恵まれすぎている」などとの余計なコンプレックスを不要と認識して、同じスタートラインで堂々と勝負することだ。 


 最後に、原左都子の私論を展開しよう。

 我が娘が現在、まさに21歳の大学生にして就活に励んでいる。
 所属大学(指導教官や先輩達)のコネを頼るとの就活方針も取れたのであろうが、原左都子(サリバン)のポリシーとして、それを一切避けるべくの教育理念が実ろうとしている実感がある。

 どうやら、(実力不足の娘にして)足繁く就活に通い詰めるその“熱意”を買ってくれそうな企業も、既に無きにしもあらずの様子だ。 
 (余談であり親馬鹿に過ぎないが、親の贔屓目にして我が娘は美人で上品だし……?? 加えて、命名をプラトン哲学より引用している事実も話題性があるような、ないような???……。)
 
 とにもかくにも、我が娘よ。 
 貴方が「自分は恵まれている」などとの根拠なき“退廃思想”に陥った段階で、自分の未来に続く可能性を大幅に縮めることは明らかだ。
 今後も自らの実力と能力のみに頼り、引き続き力強く就職戦線を勝ち抜こう!!

STAP事件、理研が初動で研究室封鎖出来たなら…

2015年03月21日 | 時事論評
 先だって3月17日の報道によると、STAP細胞論文問題で理化学研究所が論文の責任著者である小保方晴子・元研究員に対し、英科学誌ネイチャーへの論文投稿費用などの返還を求める方針を固めたことが判明した。 近く理事会で正式決定されるとのことだ。
 STAP細胞論文(昨年7月に撤回)では、理研調査委員会が小保方氏による4件の不正を認定。 小保方氏は同12月に退職したが、理研の懲戒委員会は今年2月「懲戒解雇相当」と判断した。
 理研の規定では、不正が認定された人には、使用した研究費の全部または一部を返還請求すると定める。小保方氏は退職したが、理研在籍中に不正があったため、規定に基づいて返還を求めることが可能と判断した。
 小保方氏は2010年夏から当時理研チームリーダーだった若山照彦氏(現・山梨大教授)と共同研究を始め、その後に若山研究室の客員研究員になった。13年3月からは研究ユニットリーダーなどとして理研に在籍した。理研は、小保方氏の不正認定はネイチャー論文の図表4件のみだったため、研究費全額を請求するのではなく、論文投稿費用など一部とする見通しだ。
 (以上、ネット報道より一部を引用。)


 この報道に先立ち朝日新聞3月12日付朝刊に、理研の一理事氏にインタビューした興味深い記事が掲載されていた。
 「初動で研究室封鎖すれば…」 と題する、理研川合真紀理事へのインタビュー内容を以下に要約して紹介しよう。
 理研川合真紀理事はインタビューに応えて、「(小保方晴子氏の)研究室を封鎖するなど大きなアクションをとれば、社会が受け取るメッセージは違っただろう」と振り返った。
 STAP研究不正をめぐって理研の対応は社会から批判を浴び続けた。 論文に多くの疑義が発覚する中、昨年3月には調査委は6項目中2項目のみを小保方氏の不正行為と認定しただけで調査を終了。 その後9月に再び調査委を立ち上げた。 これに関して川合氏曰く、「当時、マウスの起源ぐらいは分かるだろうが、正体がES細胞ではないかとの疑問には答えられないと判断した。 きちっと調べていれば…」
 一方、理研は調査とは別にSTAP細胞検証実験を進め、小保方氏をこれに参加させた。 川合氏曰く、「彼女はすごく実験がうまい『ゴットハンド』と言われていたので、その点も検証した方がよいと思い実験させた」 「それよりも、論文共著者の若山照彦氏の研究室で)客員研究員だった時になぜ“不正”に気付かなかったかとの悔しさはある」
 STAP論文は理研の大々的な広報で注目を集めたとの指摘に対して、川合氏は「あの論文がこんなにもてはやされたのは、今でも不思議な気持ちだ」 「世界の不正の中でどれくらいたちが悪いかと考えると、『どうなの?』と思うところもある。理研の対応を整理してみると、割とすっきり対応したいた気もする」と主張する。
 (以上朝日新聞記事より要約引用。)


 早速、原左都子の私論に入ろう。

 理研理事である川合氏の最後のインタビュー回答に関しての反論だが、その考え方は“天下の理研”理事にしては甘過ぎやしないか?
 こんなところで、世界中の歴代科学研究不正を比較対象に持ち出してどうする?! それらと比較した場合、STAP細胞事件は不正のたちがさほど悪くない??  理事の立場でそんな甘えた物言いを公表する事が許されると勘違いしているからこそ、理研が世論のバッシング対象となるのだ!

 そもそも何故“不正”満載のSTAP研究をネイチャーに掲載した上、各メディアを通じて若き女性研究員である小保方氏を前面に出して高らかに「STAP細胞発見!」と世にのたまった!?  あの昨年2月の会見は(国の政策に従い新たな組織改革を虎視眈々と狙う)理研が仕立て上げた演出だったことなど、当初より国民は承知しているよ。 だからこそ世論よりバッシングされ続けている事が分からないのか。

 この川合氏インタビューで興味深いのは、まさに“初動で研究室封鎖”に至れなかったのかとの言及である。
 STAP細胞の正体が(盗まれた)ES細胞であった事実を理研が早期に突き止めていさえすれば、小保方氏に科学者としての決定的な墓穴を掘らせる記者会見などさせる必要はなかったし、ES細胞の創始者である笹井氏を自殺に追い込まなくて済んだであろうに…。 さらには、そもそも何故若山氏が小保方氏を客員研究員として理研に迎え入れたのかに関して、もっと当初よりその詳細事情を突き止めていさえすればこんな不祥事を防げたはずだ。
 何故それらが実行不能だったのか。 これこそ(民間とは異質の)公的研究所の甘えた“閉鎖体質”に基づく不祥事と私は結論付ける。


 ところで上記理研理事 川合氏談話の中で、原左都子の目にとまった文言がある。
 それは、小保方氏が“実験がすごくうまい「ゴットハンド」の持ち主だった”との言及だ。

 へえ~~、そうなんだ。

 私自身が元々パラメディカルの分野でこの世に進出した事は何度も語っているが、私の専門医学分野とはまさに“実験上手”を期待される方面だったのである。
 ところが、「原左都子エッセイ集」2014年2月3日バックナンバー 「実験好きと理系頭脳は相関し得るか?」 にても公開している通り、私は子供の頃より徹底した“実験嫌い”である。 ただ単に数学が好きだった故に理系を目指しただけの話だ。
 そんな私は就職後も“実験嫌い”に悩まされ続けたとも言える。(嫌いと言えば過言だが“机上の空論”好きな私としては実験に時間を費やすよりも、脳内で“理屈をこねる”事に時間を使いたかったものだ。) その後ある程度の地位を民間企業内で築いた私が新たな学問に挑もうと志したのは、もしかしたら“実験嫌い”こそがその進路を決定付けた根底思想だったと思えたりもする。

 小保方氏の場合、そもそも「ゴットハンド」と賞賛される程の実験手腕の持ち主だったとの事実には驚かされる。
 これぞ研究者氏達にはもてはやされるであろう事は、その後も医学方面を乏しい“実験力”を食い扶持としてあちこち渡り歩いて来た私には重々想像可能だ。 しかも小保方氏は若くて美人?? (これには賛否両論あるだろうが…)
 要するに、小保方氏に決定的に欠けていたのは「科学者」としての資質(理系頭脳)の無さである事実は揺るぎない事実であろう。
 しかも、小保方氏は我が身を精進出来ないうちに理研との恵まれた職場で長老研究者どもに利用され続けた事態こそが、悲しい結末を招いたとしか結論付けようがない…

 それにしても…。 
 若き小保方氏を報道の前面に出し“おとり”として利用する前に、理研理事達がSTAP事件“初動時”に我が事として対応出来ていたならば、こんな事態に至らなかったはずだ。
 それを理研理事達には今一度真摯に受け止めて欲しい。

 理研は野依氏の後任理事長として、前京都大学総長であられる物理学者の松本紘氏を迎え入れるようだ。
 新たな理事長体制の下、理研が真に再生することに期待したいものだ。