原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

2018.08 米国西海岸旅行フォトブックを作りました!

2018年09月30日 | 旅行・グルメ

 (上記フォトブックは、今年8月に娘と共に旅した米国西海岸旅行の写真をまとめたもの。)

 
 私自身が今驚いているのだが、これをブログに貼れる事を本日つい先ほど初めて知った。
 (Facebookに貼れる事実は午前中から認識していて、既にブログ左欄にも公開済みだが。)
 
 ただ単に「楽天写真館」の宣伝をしているような気もするが、これがブログ本文中に貼れるとはラッキーだ。 (加えて、global-satokoの我がネット名をここで披露する弊害の程がどうか、多少不安でもあるが…  まあ、あちこちでいろんなネット名を使い分けてもいるし、たぶん大丈夫だろう。


 ところで今に至ってまだ米国西海岸旅行に未練タラタラ心境なのか??、 というと、一応の落ち着きは取り戻していると言えよう。


 ただ、どうしても「フォトブック」を作成して自宅に保存したいと考え、3週間程前からずっとその試行錯誤を繰り返していた。

 楽天写真館にての「フォトブック」作製はこれが5冊目なのだが、何故かその編集画面がいつものように作動してくれない。
 “プラウザを変更すると動くかも、ナンタラカンタラ……” の説明書きが出るのだが、パソコンド素人がそんな事をしたものならば、パソコン内の他項目に弊害が出そうで怖くて出来ない。

 やむを得ず、他社のフォトブックを当たった。
 そのうち2社程をパソコン画面で試行錯誤したものの、どうしても途中から編集が不能となる。 あるいはページ数が固定されていたり編集が困難だったりして、最終段階まで辿り着けない。

 もう「フォトブック」は諦めようと思いかけた後、今一度楽天写真館をトライしてみた。

 そうしたところ、“目からうろこ”だ。
 単に、編集初期画面の倍率を125%にしていたのが誤りだった事実が判明した。
 その倍率を100%に戻した途端、あとはスイスイと編集が進んだ。(楽天さん、最初からそう言ってよ~~

 更には前回の4冊目までの作成時には気付かなかった機能も発見し、この5冊目こそが最高の出来具合になったかもしれない。


 「完成版:2018.08 米国西海岸旅行」フォトブックはあくまでも自宅保存用目的で作成したため、我が娘も数多く登場している。 (それを公開する旨の娘の許可はとった。 あの子、決して表面には出さないが、意外や意外、外見には一応の自信を持っているようにも察するのだが……
 ただ何といっても米国西海岸が予想以上の寒さだったために、母娘共々予定していたファッションコーディネートがまったく叶わなかった。 二人して持参した衣類すべてを総動員しつつ日々寒さ対策をした故、コーディネートがちぐはぐである事実が残念だ……。


 いや、それでも「フォトブック」とは良き代物であることを実感させられる。
 特に外装ハード版でそれを仕上げると傷まないし、さすがに高額なだけあって個別写真も綺麗に処理されて届けられる。

 いえいえ決して「楽天写真館」の回し者ではないが、今回の旅行記も「楽天写真館・フォトブック」を作成出来た事実に感無量でもある。

 何せこの「フォトブック」の作成完成に至るまで、3週間も費やしたしねえ‥‥ 
 ただ、その作業は実に面白いさ。
 自分が撮影したり自分が映っている写真を自分の好き放題各ページに配置しつつ、自分の好みで一冊の「フォトブック」として仕上げられるのだもの。 
 

もっと男との出会いを積極的にこなしてみたら?

2018年09月29日 | 恋愛・男女関係
 私に言わせてもらうならば、NHK「連ドラ」“史上ワースト5"に入りそうな駄作「半分・青い」が本日最終回を迎えた。

 せめて、最終回での“大どんでん返し”を私としては予想していたのだが、おそらく大方のドラマファンの期待通り、主人公すずめと律が共に未来の幸運を約束する場面で幕を閉じた。

 何でこうも陳腐なの??  と腹立たしい思いさえ抱いてしまう私だ。
 そもそも世の中、男女関係のみが最高の幸福でも無いだろうに…  作り話であるドラマではそれを許すとしても、何で最初に知り合った相手と永遠の愛を誓わねばならないと、いつもいつもドラマは勝手に決めつけるのか!??

 そもそもすずめと律とは誰が見たって相性が良くないし、単に家が近く高校まで一緒だったといえども、育った家の環境やその後の教育課程がまったく異質だ。  
 最終章の「そよ風の扇風機」を作る場面にしても、結局すずめはひょんな思い付きからそのアイデアを出し、得意な漫画でそのイラストを描いたのみの功績しかない。 後は律の学問力により商品化したにもかかわらず、"二人の合作”として日の目を見るとの設定に私は納得出来ない!
 これで世の中通るとのシナリオなのだろうが、とんでもないよ! これじゃ単に弱者救済というのか、極限発言するなら "女って自分がアホでも付き合う男次第で何とか生きて行かれるものだよ~~” なる勘違い思想をもたらすだけじゃないのか???


 更に、今回の連ドラ「半分・青い」に苦言を提示したい。
 
 役柄とはいえ、既に小3になっている少女を男優が抱き上げたり、膝に乗せたりとの演出はどうしたものか?? 小3と言えば、今時既に生理が始まっている女児も少なくない。
 たとえすずめの娘役女児が実際幼少だとは言えども、幼少児童への性的被害事件が多発している事実に鑑み、これは是非とも避けて欲しかった……



 話題を大きく変えよう。

 本日2018.09.29付朝日新聞 "悩みのるつぼ” の相談は、30代女性による「独身を貫きたい彼」だった。  
 早速、相談内容を要約して以下に紹介しよう。
 30代女性だが、17年ほど付き合ったり別れたりしている相手がいる。 その人は独身を貫きたいようで、子どもが出来ても結婚しないと言っている。 付き合い方も自分勝手で、あちらが会いたい時に突然「今から指定の場所へすぐ来い」との連絡が来るし、こちらからのメールには気分が乗らないと返事が来ない。 
 周囲は分かれた方がいいと言うが、同じ職種で話が合い、結局好きなので他の人に目が向かない。 相手が音信不通になると私は体調を崩すが、こちらから別れようとして相手がストーカーになった時もある。 
 寿命が千年あれば月1回しか会えなくともよいのだろうが、そうでないので悩んでいる。 
 私自身は高齢出産の一人っ子だが、高齢親としては結婚して頼れるパートナーを見つけて欲しいようだ。 友人には婚活を勧められるが、彼と積み重ねた年月が長すぎるせいか、婚活などあり得ないと思ってしまう。 
 我ままな彼と結婚出来ても苦労する気もする。 アドバイスが欲しい。
 (以上、朝日新聞"悩みのるつぼ”相談内容を要約したもの。)


 そうですか。
 それでは、ここは同じく30代後半期まで独身を貫いた原左都子よりアドバイスをさせて頂こう。

 まあ相談女性の場合、冒頭のドラマ主人公すずめとはまったく異質で、幼馴染みの律のような男性を追いかけ回しているとの事ではなさそうだ。
 ただもっと異質なのは、すずめの場合は律に先立って電撃結婚された後、自分も結婚して子供を産んでいるし、すずめなりにその後少しは恋愛関係をこなして来たようだよ。

 しかも相談者の場合、そもそも相手男性との間に恋愛関係が成立していると言えるかどうかも疑わしい。
 自分から別れを告げた際に、相手がストーカーになったとの記述が相談内にあるが。 もしそれが真実ならば、絶対的にその時に「別れ」を決意するべきだった。
 我が過去の体験からも証明できるが、「ストーカー」対応とは実際命がけだ。 例えば相手から「一緒に死のう」と告げられた事を想像して欲しいのだが、それ程の恐怖は無いものだ。 こちらから毅然と別離を遂げない事には、自分の命の危険が晒される事態なのだ!!
 要するに相談女性は、相手がストーカー化した事実を自身の"誉れ”として語っているとしか思えない…。

 更には既に30代の年代に至って、高齢出産してくれた親からの結婚に関する意見までも取り上げているところが痛々しくもある。 何ですって?、高齢親が「結婚して頼れるパートナーを見つけて欲しい」と言っているのですって???

 
 そこまで聞いたら、20代初頭期に郷里の親を捨て去り単身上京して自立した我が身と、相談女性はその生き様がまったく食い違っている事を認識せざるを得ないなあ。

 私が30代終盤期まで独身を貫いた頃とは、今から遡ること20数年前の時代背景だ。バブル経済がはじけた後、特に首都圏内では未だその余韻があったと振り返る。

 もしかしたらその時代の方が、"行き遅れ独身女”の自由度が数段高かったのかもしれない。
 と言うのも、まだまだ「売り手市場」だったのよ! 
 私の場合、最終的には自分自身が希望して「見合い結婚」を実行したのだが、そんな私へのオファーが各方面から殺到したものだ。 結果として、こちら側の"より取り見取り”により現在の亭主を選抜し晩婚に至っている……

 
 私論結論に入ろう。
 
 相談者女性が一番優先するべきは、現在自分が「彼」と信じている男性が実は「彼(恋愛相手)」ではない、と認識する事ではなかろうか。
 それに加えて、友人や親からの「結婚」に関するアドバイスもシャットアウトするに限ろう。

 その呪縛から解放されたならば、未だ30代の貴女には今後益々の男性との出会いの機会が待っているはずだ。

 ただ、そのチャンスを生かすも殺すも貴女次第だろう。
 そのきっかけだが。
 貴方も専門力があると相談内で語っている。 まずそれを婚活に活かすべきだろう。 一番手っ取り早いのが、職場内で婚活を実行することではなかろうか? 
 我が若かりし時代だった20代前半期に"寿退社”を遂げた女性陣の大多数が、社内婚活を成し遂げている。(現在、彼女らが幸せかどうかは私の知った事ではないが…)
 
 貴方は当時相談内男性にそそのかされた結果として、その婚活チャンスを逃してしまったのか??

 そうだとしても現在の30代とは、私に言わせてもらうならば “十分に若い”。
 ここは友人のアドバイスに従い、今からでも男との出会いを目指し積極的に行動してみたらどうか? 

左都子コレクション - 音楽カセットテープ編 -

2018年09月27日 | 音楽
 (写真は、未だ書棚に保存してある我が音楽カセットテープのコレクション。)


 昨日いつも通っている音楽スタジオにて、久しぶりに我がフルート演奏の「動画」を自撮りしてきた。

 (「原左都子Facebookページ」に動画4本を公開しておりますので、もしもお暇があれば覗いて下されば嬉しく思います。 何分未だブログに動画か貼れない貧弱能力者につき、悪しからず… 

 昨日撮影したフルート演奏動画の楽曲を紹介すると。
 アルバート・ハモンド「カリフォルニアの青い空」。  マッシュ・マッカーン「霧の中の二人」。 メリー・ホプキン 「悲しき天使」。  そして、中森明菜氏が歌った「スローモーション」。

 いずれも、60年代後半期から70年代にかけてのヒット曲だ。
 「カリフォルニアの青い空」をユーチューブにて確認している時に、「霧の中の二人」と「悲しき天使」を同時発見した。  「スローモーション」に関しては我がカラオケ持ち歌の一曲であり、少し前からフルートで吹いていた。
 今現在の我がフルート練習は、もっぱら我が暗譜に依存している。 脳内に蓄積されている楽曲音階をフルート(及びキーボード)にて再現しながら、難度が高いものは譜面化して演奏練習する形式をとっている。


 最近の事だが、某社会学教授氏が公開されているgooブログ内で「ビートルズ論」が取り上げられていた。
 その記事のコメント欄にお邪魔し、「ビートルズは中学生時代に英語歌詞をほぼ全曲暗譜しました!」なる自慢話を恥ずかしげも無く披露させて頂いた。
 我が音楽経歴とはまさにそうだ。 小学校高学年頃から洋楽に興味を持ち、当時はラジオを中心に音楽を楽しんでいた。 
 中学生になるとブラスバンド部でのフルート練習の傍らに小遣いで洋楽LPレコードを買い、ステレオでそれを聞いては英語歌詞を暗譜していたものだ。 暗譜と言えども決して血眼になった訳ではなく、当時から英語が得意だった私は、何度も歌っているうちに自然と憶えた。 
 “小中学生の魂百まで” という事でもあろう。 当時憶えた英語歌詞が今でも自然と口をついて出て来る。


 冒頭の音楽カセットテープの説明に入るならば。

 おそらくこれらは、上京後に収集したものだ。
 現在の家に引っ越した(16年程前だが)後に、どうしてもこれらのカセットテープを聴きたくて、当時としてはもはや希少価値だった「カセットテープも聴けるCDコンポ」を購入した。(現在では、むしろレコードもカセットも聴けるオーディオ機器が普通に販売されているようだが。)
 その我が機種が未だに自宅のピアノの上に存在するのだが、残念ながらCD機能は既にポシャっている。 にもかかわらずカセットテープは普通に聞けるのは、マニュアル力の偉大さだろう。 と言いつつ、数年前よりカセットも聴かないままに、コンポは放置されているのだが…… 


 冒頭写真のカセットテープをご覧いただければ、そのアーチスト名が判読可能であろう。
 それが読み取りにくいカセットテープは、すべて自分で録音したり、ダビングしてもらったりしたものだ。

 それらのアーチスト名が今となっては音楽ファンの郷愁を誘う程に懐かしいであろうことを勘案して、以下にランダムに列挙して紹介しよう。 (時代、ジャンル共にメチャクチャに混合していることをお詫びします。)

 モンキーズ、 ランナウェイズ、 シカゴ 、エリッククラプトン、
 エジソンライトハウス、 ギルバート・オサリバン、 シルバーコンベンション、
 ビートルズ、 ベイシティローラーズ、 ローリングストーンズ、
 アースウィンド&ファイアー、 ビージーズ、 ビリー・ジョエル、
 エルトン・ジョン、 アバ、 アメリカ、 CCR、
 レッド・チェッペリン、 ディープ・パープル、 キッス、 クイーン、
 イーグルス、 スティービー・ワンダー、 クリーム、 スージー・クワトロ、
 KC&サンシャイン、 フォーリナー、 グローバー・ワシントン・Jr. 、

 その他、“レアもの”としては、我が「エレクトーン演奏曲集」が3本程ある… 


 今回この「左都子コレクション」を綴った事により、今後の我がフルート練習曲が“無限”に存在する事実を再確認出来た思いだ!
 我がフルート演奏趣味の楽しみは、まだまだ今後に続くぞ!

 音楽とは、音楽ファンにとっては実に素晴らしい!!   

「発達障害」の多様性

2018年09月25日 | その他オピニオン
 本日いつものように昼の時間帯にNHKテレビを付けていたら。

 午後12時45分から始まる“連ドラ”再放送の3分程前から、「普通ってなんだろう?」と題する発達障害を取り上げた番組の予告編のような、短時間ショット番組を偶然見ることとなった。

 その番組に登場したのは、現在15歳との男子だったのだが。
 この少年が長身スリムで何と言うのか、カッコイイ雰囲気の男の子で、その外見を一見するからに既に“自己を創り上げている感覚”を私は抱いた。
 
 この少年こそが「発達障害児」であるようなのだが、彼の「発達障害ぶり」が実に特異的だったのだ。


 娘のサリバン業を幼少の頃より主体的に担当している我が身にして、今までの人生に於いて数々の「発達障害児」と接する機会があった。
 故に、発達障害児(者)達と一言でいえどもその実態には大いなる“多様性”があることは熟知している。

 (本日のエッセイでは、既に20代半ばに達し曲がりなりにも社会人として⦅活躍?⦆している我が娘の事例を取り上げる事に関し本人の名誉を尊重し敢えて“小出し”にするが、我が娘もかなり“個性的”な部類ではあろう。)


 「発達障害児」の中で何と言っても一番問題なのは、他者に迷惑を及ぼす特質を持つ人材だろう。
 例えば、ADHD などは多動性があり落ち着きがない事で著名だが。 この児童が教室に一人存在するだけで教室内の風紀が乱れ周囲に迷惑を及ぼすため、教育現場ではその対応に困惑することであろう。

 あるいは、暴力気質がある発達障害者も困りものだ。
 当然ながら女子にもこの部類の子が存在するが、我が娘も某発達障害研究所内で人目が無い時に、この気質を抱える少女に殴る蹴るの被害を受けている。

 そうではなく他者に全く迷惑が掛からない「発達障害児」は、その存在が放置されてしまう危険性がある。 
 (まさに我が娘がこの部類だ。 世には、他者に迷惑が掛からないのならばそれは「障害」ではないとの見方もあるようだが…。 ところが「発達障害」と一旦名が付けば、それを放置しておけば脳が“退化の一途”を辿るのみであり、早期発見、そして幼少期からの支援は絶対に欠かせない。 脳医学分野の話をここで少し披露するならば、ヒトの脳とは生来的な要因に左右されるのはもちろんだが、発達期に於ける外部からの刺激(働きかけ)により目覚ましいまでの発展を遂げる可能性も秘めていて、既にそれが証明されてもいる。 要するに、人間の脳とは育つ環境により更なる「発展」を遂げ得るのだ! だからこそ、「発達障害児」の支援は今後も必須である!)


 冒頭に紹介した、15歳の少年に話を戻そう。

 この少年の「発達障害」の特徴とは、とにかく“手書きの文字が書けない”との事実に尽きるようだ。
 NHKの取材には少年一人で応じていたのだが、我が印象では「頭脳明晰」「自己表現力豊か」そして何と言ってもその「会話力」の程が素晴らしい!

 この少年が「字が書けない」!!?? 
 にわかには信じ難かったものの、実際にこの少年が文字を書く場面が映し出されて私は愕然とした。
 本当に書けない!!  のだ。 
 (娘のサリバン業を20数年務めている私にして、この種の「発達障害児」とは初対面だった。) 

 ただ、この少年が持って生まれた能力と、生後培って来た能力の両者の程が素晴らしい。 おそらく生育家庭環境に恵まれつつ、少年は発達を遂げたのであろう。
 それでも、やはり途中不登校に苛まれる歴史も経験してきた様子だ。
 少年曰く、「来年高校進学が待っているが、自分としては既に自分自身がある程度紡いできた“美術方面”への進出を目指したい」 

 ここで、残念ながら両親からの「No!」が噴出してしまった。
 少年は抵抗したものの……
 結果としては、ご両親の意向に従って通信制高校への進学を決定したようだ。


 我が娘の話題は控えると冒頭で宣言したものの……

 我が娘に関しては、我がサリバン指導に従い何のコネも無くして大学進学まで従順に歩んでくれた。 それが現在の娘自身の就職にも繋がった事は絶大なる事実だが。
 それもサリバンの私が娘の“真面目かつ勤勉”なる特質を幼少の頃より見抜きつつ方向性を指南し、二人三脚で共に歩んで来たからに他ならないと自負している。

 このNHK番組の少年の場合、未だ15歳にして我が娘よりもずっと高度な脳内思考力に恵まれていると私は推測する。
 どうして、そんな類まれな息子氏の脳内思考力に親どもが気が付かないのか!! 下手に「高校は出ておくべきだ」なる陳腐な一般論を持ち出すよりも、息子氏の潜在能力を見抜く事が先決問題だろうに…
 ただまあ、少年が進んだ道筋が「通信制高校」である事をラッキーとしよう。 (まかり間違って普通高校などへ行ったものなら、その貴重な能力が必ずや潰されるであろう嫌な予感がある… )
 おそらくこの「発達障害少年」は自由度が高い通信制高校を難なく通過して、更なる美術系大学進学を果たすことだろう。


 ただ、一般人からの「発達障害」とは障害でなく単に個性だ! との怒りの程も少し理解出来る気もする。
 発達障害児を取り上げたメディア番組で登場するのは、比較的豊かな家庭の子どもばかりではなかろうか??
 (我が家は決してそうではないが、娘の発達障害に母親であるサリバン自らが気付き、自宅内で支援可能な学際力ある家庭である事が幸いしているかもしれない…)

 その印象が庶民間で根強いが故に、我が国に於いては今の時代に至って尚、「発達障害」など障害ではない! なる反発が勃発するのだろうかと、少し悲しく考察したりもするのだが……

私を “さとちゃん(左都ちゃん)” と呼んでいいよ!

2018年09月24日 | 時事論評
 我がペンネーム原左都子の「さとこ」の由来は、上京後の現役職業人時代に職場で呼ばれていた“あだ名”より引用したものだ。

 我が本名ファーストネームは決して「さとこ」ではなく、別の名前である。
 では何故職場で「さとこ」あるいは「さとちゃん」「さとさん」と呼ばれていたかに関しては、これも個人情報保護に接触するためここでは割愛させていただこう。

 郷里での学生時代までは本名ファーストネームで呼ばれるのが通常で、「さとちゃん」はただの一度も耳にする事が無かった呼び名である。
 そんな私にとっては何だか少し大人になった気分というのか、とにかく職業人として自立できた証しとも表現出来そうで、この「さとこ」「さとちゃん」……の呼び名は私自身大のお気に入りだった。 (だからこそ、今こうやってペンネームとして使用している訳だが。)

 私はそもそも、日本特有とも言えそうなこの“ちゃん”の愛称を昔から好んでいる。 (これに関しては、バックナンバーでも複数回述べているが。)
 まさに何とも愛らしい響きだ。 子どものみならず、大人間でも“ちゃん”付け呼称とは、お互い信頼関係がある証拠とも捉えられるのではなかろうか?


 ところが、時代は大きく変遷しているようだ。

 ここで、我が娘が通っている職場の事例を挙げるならば。
 業務に必要な会話はもちろんあるが、基本的に個人的な話題は出ないらしい。 ただ、例えば少し空き時間があると自発的に自分自身の趣味の話題を出したりする人物は存在し、それをきっかけに周囲で話が弾むことはあるようだ。
 ところが話題に加わらない人物に対して「君は、貴方はどうなの?」等と、会話に誘い込むことはタブーのようで、決して巻き込むことはしないのがマナーの様子だ。
 例えば娘が夏季休暇を申し出た時にも、「どこへ行くの?」等の問いがだだの一人からも出なかったとの話だ。  帰国後出勤して米国土産を配った際に、初めて「アメリカへ行ってたのね。」との反応が出たようだ。

 ましてやプライベート上の友達でもない限り、職場内で「ちゃん」付けで呼ぶ事などあり得ないとの話である。 もっと言うなら、氏名の氏で呼ぶのが職場内マナーであり、まかり間違ってもファーストネームでの会話は無いとの事だ。

  
 現役時代は職場内で「さとこ」「さとちゃん」」と呼ばれ慣れていた私にとっては信じ難い話だが、これが現在の職場の“対人関係スタンダード”なのだろう。

 とにもかくにも、「セクハラ」「パワハラ」等々職場内でハラスメント概念がこれほどまでに歪んで横行してしまっている現在、誰しもそれで訴えられる事は是が非でも避けんと必死なのでもあろう……

 我が感想だが。
 「さとこ」「さとちゃん」と呼ばれて、それをセクハラだなどと感じた事はただの一度も無かった私にとっては、職場内でそんな愛称を用いる事がむしろ潤滑油的な役割を果たしていた感覚すらある。
 さすがに私が係長まで昇格して部下を十数人持った暁には、部下からその愛称で呼ばれた事はない。 それでも同僚や上司からは普通に「さとちゃん」「さとさん」と呼ばれ続けたものだ。 


 さてここで、昨日ネット上で発見した「同僚が女性警視に『ちゃん」付け…公務災害認定」と題する情報を以下に要約して引用しよう。

 警察庁に勤務する40歳代の女性警視が、元同僚の男性警視のセクハラを受けて精神疾患になったとして、同庁から国家公務員災害補償法に基づく公務災害として認定されていたことがわかった。 国家公務員がセクハラによる疾患で公務災害認定されるケースは珍しい。
 女性警視は認定後の今年4月、精神的苦痛を受けたとして男性警視に損害賠償を求めて東京地裁に提訴し、現在審理が行われている。
 この訴訟に証拠提出された同庁や人事院の内部文書によると、男性警視は2014年、関西地方の県警から同庁に転任し、女性警視と同じ部署に配置された。
 その後、女性警視が15年1月、「セクハラを受けている」と上司に申告。 男性警視が女性警視を「ちゃん」付けで呼んだり、酒席や職場で卑わいな言動を繰り返したりしたと主張した。
 同庁は調査の結果、同年2月に男性警視によるセクハラがあったと認定。 女性警視は同年3月以降、極度のストレスで目まいをおこし抑うつ状態などと診断されたが、同庁はこれについても「長期間のセクハラで強度の精神的負荷を受けたことが原因」と判断し、人事院と協議の上、昨年3月に公務災害と認めた。
 一方、男性警視側は訴訟で、「ちゃん」付けで呼んだことは認めたが、「セクハラはしていない」として請求棄却を求め、セクハラを否定する元同僚の陳述書も証拠提出した。
 今回の認定について、警察庁は「個別の件には答えられない」としている。
 (以上、ネット情報より要約引用したもの。)


 先程この情報に関して更なる詳細の検索を試みたのだが、残念ながら発見出来ずじまいだ。
 と言う訳で事件の詳細が把握しにくいのが現実だが。

 以下の私見は、その上での論評に過ぎないが…。

 訴えを起こした40代女性警視と、セクハラで訴えられた同僚男性警視との関係の詳細が実際分からない。 同僚と言うからには、最低限職場では対等な関係であるべきだろう、とは思うものの…。
 訴えた女性警視が「ちゃん」付けがそれ程嫌ならば、その旨相手男性に直言して早期にその呼称を辞めてもらえばよかったのではないのか?、なる疑問符が我が脳裏を過ぎる。
 ましてや、職場内での卑猥行為に関してはその犯罪に遭った直後に訴え出るべきだった。 しかも、酒席など嫌ならば出る必要はないだろうに、何で出たのだろう??

 私に言わせてもらうならば疑問符だらけの事件であるが、それでも男性警視のセクハラが認定されたとの事実を鑑みるに、確かに男性警視側にその実態が存在したのだろう。
 (それにしても、自分の事案でこれ程の訴えを起こさなければ事を済ませられない女性に、警視の任務が務まるのか?? なる疑問符も湧くが…… )

 
 最後に、私論で締めくくろう。

 何とも、“不器用”と言うか、“生き方が下手”と表現するべきか、あるいは“すべてを訴訟に頼れば済むと思っているのか??”  嘆かわし時代にこの世は後退してしまったものだ。
 
 職場の「生産性」を考察するならば、共に働く職員達の人間関係がスムーズであるに越したことはないだろう。
 そのためには、人と人との関係に於いてハラスメントと騒ぎ立て「一線」を画するよりも、人間関係が潤滑である方が理想であるに間違いない。 
 
 私は「集団嫌い」ではあるが、決して「人間嫌い」ではない。
 過去の職場に於いて、私の事を「さとちゃん」「さとこ」「さとさん」と呼んで下さった方々との交友関係を、未だに懐かしく思い出したりもしている。
 
 今後高齢域に達する程に、私の事を「さとちゃん」なる愛称で呼んで下さる方々との交友が激減する運命なのだろうが…

 私はこの「さとちゃん」の響きが、今でもとても好きだ。
 

 2018.10.22 追記だが。

 当該goo ブログ上にて「さとちゃん」と名乗る人物が、大いなるアクセスを記録している様子だ。
 確かに「さとちゃん」とは日本人女性名にして一般的である事だろう。
 当該人物を一切心得ない「原左都子」にして、偶然ながら“かぶって”しまっている現状が実に不本意・心外であるのが事実だ。   
 今後は、私側は「原左都子」のペンネームを是が非でも貫こう!!