(冒頭写真は、我が娘の「母子健康手帳」の表紙を撮影したもの。)
本日は突如として「赤ちゃんの発育」をテーマにしたエッセイを公開しよう。
そのきっかけを得たのが、昨日2021.03.12付朝日新聞夕刊記事、「やせすぎ 赤ちゃんの発育に影響」を読んだ事による。
早速、当該記事を以下に要約引用しよう。
日本産科婦人科学会は、妊婦の体重について新たな目安をまとめた。 赤ちゃんの発育などを目的に、厚労省がこれまで示していた目安よりも増える。 これをもとに厚労省が近く指針を改正し公表する。 (中略)
日本産科婦人科学会によると。 妊婦が痩せすぎていると、栄養が不足して赤ちゃんの発育に影響が出たり、自然分娩が難しくなったりするおそれがある。 低体重で生まれた赤ちゃんは成人後、糖尿病や高血圧になりやすいとの報告もある。 (中略)
厚労省の人口動態統計によると、体重2500グラム未満の低出生体重児は1980年の5,2%から、2017年には9,4%に増えた。 妊婦の栄養状態も一因と考えられ、日本産科婦人科学会は、体形を気にする女性が増えていることなどが背景にあるとみている。
(以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)
私事に入ろう。
この写真は、娘生誕104日目の写真。 「お食い初め」の儀式を祖父母も交えて自宅にて執り行った際に母の私が撮影したもの。
我が家の娘の場合、出生時の体重こそは(仮死産・超難産😭 の末に)2700グラムと少なかったものの…
退院後はミルクを沢山飲み丸々と太り、生後104日目の体重は約7㎏にまで成長した。
3ヶ月検診時には集まった同時期に生まれた赤ちゃんの中で我が娘が飛び抜けて大きく、保健師氏に我が娘の大きさぶりを会場にて披露して貰った程だ。
その我が娘の、生後12ヶ月間の成長の記録。 母子健康手帳より転載。
上記写真2枚は、母胎である娘妊娠中の私自身の体重の変化。
我が考察としては、理想的な体重増加ぶりと自己満足していた。
(ご覧の通り、出産後直ぐに元の体重近くに戻っている。 それもそのはず、緊急帝王切開手術の後遺症で微熱が続く日々… 生きた心地がしないほどの憔悴状態だった。 それでも産んだ子どもは育てねばならず、あれほど過酷な日々は無かったものだ。
その後出産半年程が経過した頃より、徐々に“生きた心地”が取り戻せた。)
私の場合、妊娠途中で産院を変更したのだが…
出産の2ヶ月前までお世話になった産院の医師先生が実に優しく、私に肯定的な方だった。
当時高校教師を続けていた私が、「このまま出産まで続けて大丈夫でしょうか?」と尋ねると、「何も問題ありません。大丈夫です。 是非続けて今まで通りに仕事に励んで下さい。」と激励して下さったのに対し…
転居のためやむなく転院した先の産院の老医師が、私に発した一言目が。
「高齢出産者か…」だった。(私の耳にはそれに引き続いて「迷惑な患者が来たものだ」と聞こえた… ) その後も逐一私が高齢出産である事実をこの医師に責められ続け、辛かったものだ…
挙げ句の果てに、私は(老医師が設定した)“帝王切開予定日”よりも2週間も早く一人自宅にて産気づき…
救急車で搬送された病院にて、娘を仮死状態にて生まねばならない現実…
あれから27年超の年月が過ぎ去り。
おそらく産院も進化を遂げていることであろう。
我が娘も、その後は出生直後の我が懸念をぶち破ってくれる程の快進撃人生を歩み続けてくれている。
妊婦の体重ねえ。
そこに目を付ける日本産科婦人科学会の姿勢が誤っているとは言わないが。
まさか今の時代に「高齢出産女性」を蔑む産婦人科医師がこの世に存在しないと信じたい。
もしもそんな旧態依然とした産院医師が未だ現存しているとしたら、学会はその事実こそを指導・改革願いたいものだ!