原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

今後の外科医受診、どうしよう!?

2014年04月29日 | 医学・医療・介護
 「原左都子エッセイ集」では、相も変わらず我が骨折負傷関係のエッセイが続き恐縮である。

 そろそろ、本来の辛口オピニオンエッセイを公開したい思いは山々なれど、ギブスにコルセットの身で週2,3回ペースの整形外科通いを強いられている立場にして、残念ながら現在一番我が目に留まるのが病院関連風景なのである。


 さて、産婦人科、小児科や皮膚科、あるいは神経・精神科“以外”の医院に於ける診察待合室の風景とは、その患者さんのほとんどがお年寄りであるのが特徴だろう。
 整形外科とてその例外ではない事に、私は我が子が子供の頃側彎症矯正のために付き添いで通った整形外科医院及び大学付属病院にて心得ていた。

 それにしても、今回通っている我が家に程近い整形外科医院でも同様の風景だ。 おそらく、患者の8割は高齢者であろう。

 それら高齢者達が整形外科医に何をしに来ているのだろうか?
 その回答に関しては、私は現在面倒を看ている実母や義母から既に実体験を基にした情報を得ている。
 要するに、身体の経年劣化に伴い骨粗しょう症等々の不具合が生じているのだ。 それが「脊椎板狭窄ナンタラカンタラ…」等一応の診断名が付く場合もあれば、そうではなく単なる老化現象で片付けられる場合もあろう。
 何れにせよ、お年寄りの身としてはそれが痛いし辛い事には間違いない。 そこで接骨院を訪れてみたり、はたまた整形外科医を受診したりとの悪戦苦闘を繰り返すはめとなる。 (何せ、今のお年寄りは健康保険制度で厚遇されているとも言えるから、病院受診が安易に可能のようだし~。 我々以下の年代は大変だよね~。 これ程に財政難の国家に於いて、恐らく一生3割自己負担で多額の医療費を請求される運命だよね~。)

 それに応える、接骨院や整形外科医現場も大変だ。 「そんなの老化現象ですよ。もっと若い頃からそんな体にならないように鍛えておけばよかったのに、今更接骨院や病院に泣きつかれても困るよ!」 などとは言ってられない。
 そうではなく、「こんな高齢者の泣き言を武器にして儲けなきゃ!」 との国家や自治体との癒着意識下に成り立っているのが、現在の接骨院であり整形外科医院であろう。


 昨日の整形外科医受診時に、私は初めて「リハビリ」とやらを経験した。 骨折の回復が見られるとのことで、主治医の診断の下、我が身もリハビリ段階に入ったとのことだ。

 元医学関係者にして、外科レベルで如何なる「リハビリ」を施しているのかとの大いなる興味をもって昨日(我が身を犠牲に)リハビリ室を訪れる事と相成った。
 一見したところ、やはりリハビリ室で治療を受けている患者の90%は高齢者である。 その高齢者のお隣に座って“患部を温める療法”と“電気刺激”とのリハビリを受けた私だ。
 正直に言うと、これらの「リハビリ」とはあくまでも“気休め”でしかなく、何らの医学的根拠がないと私はすぐさま結論付けた。 同時に恐らく副作用がない事も承知し、それだからこそこんな“無意味な”「リハビリ」とやらが世にまかり通ているとも考察した。

 片や周囲のお年寄りの反応を垣間見ていると、これが「気持ちいい…」とのことだ。 しかも、リハビリ室に溢れているお年寄り同士の会話に於いて「気持ちいいね!」なる同調意識下の同意が成り立っている!
 お年寄り達にとってはこれでいいのだと私は結論付けつつ、時間だけ無駄で少しも気持ちよくない疑問だらけの自身の“リハビリ”を終えて退室する事と相成った…。


 次に整形外科を訪れる時、主治医に何と告げよう。

 私は、効果の知れない“リハビリ”などに翻弄される程純心ではないため、今後は診察のみにして欲しい。 と言い放って許されるのだろうか??
 あるいは、自分から主治医先生を受診する日程選択も任せて欲しい。とも申し出たい程だが、そんな事を言っているよりも、とっとと受診を自主的に辞めたらいいのか???

 正直言って、(鎖骨重傷状態はともかく)右手首骨折に関しては、私自身の判断でギブスを外して作業した方が回復が早そうな実感とその医学的根拠の程を既に考察し実行している。

 とにもかくにも、今後ご高齢者達と一緒に(我が判断では何らの医学的意味のない)「リハビリ」などを受ける気が一切ない私の今後の身の振り方に、現在困惑しているのが事実だ。

絵むすび(朝日新聞2014.4.26編)

2014年04月27日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2014年4月26日掲載の「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)



 今回の“レベル3”絵むすびの場合、朝日新聞紙面の課題を一見して結ぶ線の全体像が見通せました。


 まずは外側にある「てんとう虫」「さくらんぼ」を素直に結び、次に「かばん」をやはり素直に結びます。

 最後に残りの三者「りんどう」「帽子」と、「プレゼント」を場所を譲り合いながら結ぶと完成です。

 

医療とは常に副作用と背中合わせ

2014年04月26日 | 医学・医療・介護
 ここのところ、エッセイのテーマが我が身に突然降りかかった骨折負傷状態に関連する内容続きで恐縮なのだが、本日もその例外ではない事を最初にお断りしておく。


 と言うのも原左都子が去る4月12日に自宅ベランダにて転び骨折して以降、本日で15日目を迎えているが、自宅にても外出時にも日夜ギブスにコルセットの“ミイラ状態”を余儀なくされているのに加えて、右手首骨折に関して悪化の一途を辿っている気がするのだ。


 ここで、“ミイラ状態”の私の日常を少し記させていただこう。
 
 右手ギブス装着状態で何とかこなせる家事に関しては、ぎこちないもののその状態で家事を実施し右手を保護している。 前々回のエッセイにて写真で紹介した通り、右手は肘から指先第二関節近辺までの箇所をギブスで固定している関係で、ギブスから出ている指をロボット的に動かせる範囲の作業ならば実施可能だ。 例えば、洗濯干し・取入れ作業、掃除等はこの状態で時間をかけて実施可能だ。 買い物に関しても整形外科受診の帰り道に、持てる範囲の買い物を選別して自分で持ち運んでいる。 (有り難い事には、スーパーのレジ係氏が私のギブスの腕を見ると必ずや袋に入れる作業を手伝って下さるのだ。これには感謝感激である。
 片やギブス装着状態では右手が何らの役割も果たせない作業に関しては、ギブスを外した状態で作業に取り組んでいる。 例えば、料理(元々趣味がないため最小限にとどめているが)や食器洗い等がこの種の家事である。 特に火を使う家事に関しては、両腕負傷状態での作業は火傷との副被害をもたらす危険性が高いと判断し出来る限り回避する事としている。
 参考のためギブス装脱着に関しては左手がある程度回復後自身でその練習に取り組み、今では取り外し共にお茶の子さいさい状態で、日々こまめに自力で装脱着を繰り返している。 

 左手に関しては左鎖骨折箇所保護のためコルセットを背負った状態である。
 右手首骨折より重傷状態故に当初から左手が全く使用不能だった事もあり、負傷者である私自身の感覚としてこちらを重点的に保護するべきとの対応を採ってきた。 そのお陰か左手に関しては「回復」の実感が得られているし、事実横からならば頭まで手が届くレベルにまで回復している。(前方向に左手を伸ばすことは未だに激しい痛みを伴い不可能状態なのだが…)

 加えて日常生活に於いても利き手である右手を酷使して来た結果として、右手に負荷がかかり過ぎたのか、右手が骨折当初より悪化している感覚を持ちつつ昨日整形外科医を受診した。


 さて、整形外科医先生の我が右手悪化に関するご診断の程とは。

 もちろん、医師先生よりの「絶対安静!」とのご指示に従わず日夜安静にしていない私にも責任があることを先生は重々承知の上で、以下の診断を下されたのだ。
 「ギブスで固定された部分の腕の骨は、完治まで動かせない事により日々“退化”を続けるのは事実です。 これは骨折してギブスを装着した人に共通の宿命です。 それでも、骨折箇所を早期に治療するためにはギブスを装着せねば問題が解決しません。 昔はこのギブスは石膏で固め完全治癒まで取り外せませんでした。 現在ではギブスの進化発展に負うところや、治癒の意味合いでお風呂で温まる事も効果がありますので、入浴の際にギブスを取り外すように指導しています。  さて、〇さん(私の事)の場合も、出来る限りギブスを装着したままにして欲しいのですが、もしも痛みが激しい場合は(骨折箇所ではない)部分のマッサージを試みられてはどうでしょう? それにより、ギブス固定による骨の退化をある程度防げます。 お大事に。」……

 要するに、ギブス装着による“副作用”の程を、外科主治医先生が私にご伝授下さったとの事態だ。


 ここで私事に入ろう。

 実は私は30代後半の独身時代に、(あくまでも自己診断だが)肋骨を骨折した経験がある。  その時には一切医療には頼らず、日々痛みに耐えつつ仕事を欠勤するでもなく、1か月間完治までの日時を送ったものだ。
 何故そのような行動をとったのか?  その一番の理由とは、「肋骨骨折」とは骨折の中では扱い易い負傷であるためである。(肋骨を骨折したことに気付かない人がいるとの話もある。) 
 それに加えて私が肋骨を骨折した理由とは、現在の医療保険制度において「保険適用外」の事態だった故でもある。(その一例を提示すると「泥酔状態」での怪我に対して医療保険適用は認めないとの規定がある。) それに相応したのに加えて、まさか当時の勤務先である公立高校現場に泥酔して負傷したなどと言えるはずもなかったためだ…
 ただ今になって思うに、たとえ肋骨骨折したと言えども医療機関や薬剤には一切頼らず自力で回復する方針を貫いたからこそ、副作用に悩まされる事なく1か月との短期間で原状復帰できたとも考察するのだ。
 その後、特段の胸部違和感もなく現在に至っている。


 それに比し骨折に際し一旦医療機関を頼ってしまうと、“ギブスにコルセットのミイラ状態”を余儀なくされる。
 これぞ、「医療とは常に副作用と背中合わせ」 の現実を物語る一治療方式なのではなかろうか。

 もちろん、ギブスを装着してこそ骨折箇所を早期に直せるとの医療原理に関しては、確かに正解なのであろうと私も結論付ける。
 その分ギブスで固定された他の骨の退化を余儀なくされる我が身体を、今後私は如何に受け入れればよいのだろうか??

 えっ?? 既に年老いた身にして、素直に外科医先生のご指示に従え! ですって!??
 私もそう考えているからこそ、今後も主治医先生のご指導に従う予定ですのでご心配なきように。(ホントかよ~~??)

骨折して改めて気付く親の老いぼれ度合い

2014年04月23日 | 人間関係
 去る4月12日に自宅ベランダにて転び、左鎖骨及び右手首骨折(右手首に関しては骨ヒビ割れと解釈していたが結局骨折状態のようだ)の重傷を負って以降、本日で12日が経過した。


 昨日4回目の整形外科医受診時に、負傷箇所X線撮影により治癒具合を確認した。
 その結果とは、骨折後未だ11日程度しか経過していない段階での平均的回復具合であるようだ。(要するに大して回復していないという意味だが。)

 自己診断としては、左鎖骨側は回復が見られる実感がある。
 と言うのも、元々左鎖骨骨折の方が重症度が高いため左手が全く使用不能だった事に加えて、日々利き手である右腕を優先使用して左手をかばっていたせいであろう。 片やその間、骨折状態にもかかわらず“酷使”した右手が相当悪化している感覚があった。
 
 結果としては、“両腕共にギブスとコルセットで固定して今後共絶対安静!(動かすべからず!)”との医師のご指導の下帰宅し、その後も相変わらず両腕を酷使している日常だ。 (だってそうしなきゃ、お手伝いさんなど雇えない我が家の日常生活が成り立たないのよ~


 そんな折、骨折から1週間ほど経過した日に我が郷里の実母より電話があった。
 実は私は自分の骨折負傷状態に関して、郷里の母には一切伝えていなかった。 伝えたとて心配させるだけで、こちらとしては何かの役に立つでもない。 どうせ「気を付けろ」とでも説教されるのが関の山だ。
 そうしたところ案の定母が言うには、「骨折は“日にち薬”だよ。直ぐに治るよ。 それにしても気を付けてくれないと、あんたに世話にならねばならない年老いた身としては困る。(中略) 私はあんたのように骨折など一切しないで一人で頑張ってるよ~。例えば……」
 黙って聞いていれば電話は長時間続きそうだ。 (元々そう思っているが、こいつ、親じゃないなあ…)と改めて落胆しつつ、長話を中断し私は言い放った。 「さっき言ったでしょ! 私は両腕骨折していると。 受話器を持つのも辛い事があんたは分からないの?!  それから“骨折が日にち薬”との言葉は、入院でもして絶対安静に出来る相手に言う言葉だよ! 私は回復が遅れることを承知の上で日々無理をして、重傷にもかかわらず早朝に起きていつもと変わらぬ家族の世話をしているよ! 少なくとも全治2か月の6月中旬までは郷里に行ってあんたの葬式を出せる身ではないから、それまでは死ぬな!」  

 私も言い過ぎたかもしれない。
 だが、全治2か月の重傷を負って間もない実の娘に対して尚、電話口にて自分の言いたい放題の長話をしようとの“客観性をまったく失っている実母”に呆れるやら、“老いぼれる”とはこういう事態と実感させられるやで実に切ない感傷的な気分に晒され、私の負傷度合いが悪化した気がするのだ。


 そんな折に目にしたのが、朝日新聞「悩みのるつぼ」4月19日の相談である。
 
 40代女性よりの相談の題目だけ記すならば、「70代の母親の振る舞いが我慢できない」である。

 それの回答者であられる三輪明宏氏のご回答のごく一部のみを以下に紹介しよう。
 お母さんとは離れて暮らしているわけだから、放っておくことです。 帰省した時ぐらいは仕方ない。 数日間だけ介護士になったつもりで、人類愛やボランティアの精神をもって我慢したらいいでしょう。 70代にもなって矯正しようというの無理な話です。
 (もしも読者の方の中に高齢者側の立場の人がいるならば)、 自分の葬式に於いて泣いてくれる人がどのくらいいるか思い浮かべるといいでしょう。 家族内ですら「やっと死んでくれ良かった」と心の中で思っていたとしたら… そんな惨めな葬式はないでしょう。
 (以上は、三輪明宏氏の回答より一部を引用したもの)

 ところが、原左都子は既に実母にその話はしている。 「あなたの葬式は私が喪主になる事が決定しているけど、もし泣いてくれる人がいなかったらどう思う? 実は私は誰も泣かない葬儀に出席した経験があるよ。」 この私の質問に対する母の回答とは、葬儀出席者の誰も泣かずとも次女である私に葬儀を執り行って欲しい様子だった… 

 それだけの重圧を実母から担っている私は、こんな老いぼれた実母の人生終末まで心の拠り所とならねばならないのか…
 両腕骨折の重傷を負った現在の体で、骨身にまでこたえる使命である。


 (参考ですが、明日は我が所有賃貸借不動産物件の補償問題解決のため、重傷の身にして単身で横浜まで出向き、その解決に当たります!)

ミイラになった気分のワタシ…

2014年04月19日 | 雑記
 (写真は、現在の私の右腕。 右手橈骨手首に近い部分にヒビ2本の負傷、全治1か月の診断が下りギブス固定されている。 参考のため、左鎖骨骨折の方は全治2か月診断で鎖骨保護コルセット装着状態。)


 4月12日に自宅ベランダで転び負傷後、ちょうど1週間が経過した。

 未だにベランダに出る事に関して恐怖心があるのだが、そうも言っておられず、洗濯回数を減らしつつ恐る恐るベランダで洗濯物を干す日々だ。
 私が一番嫌いな料理こそ、整形外科受診の帰り道に出来合いの食材を買ってきたり(両腕負傷のため持てる重量に限界があり小量しか買い求められないが)、娘に作ってもらったりして手抜きをしている。
 その他の家事に関しては今まで通り私が担当するしか手立てが打てず、ギブスにコルセットの“ミイラスタイル”で、日々ゆっくりながらもルーチンワークをこなしている。


 もちろん、ドクターストップはかかっている。
 何のためのギブス及びコルセット装備なのか。 それは全治までの期間、骨を固定して完治するまで安静に過ごすための医療措置である。 にもかかわらず、ギブスの手やコルセットを背負った上半身を日々動かし続けたのでは回復が遅れるし、下手をすると歪んで骨がくっついたり突出してしまう危険性もあるとの事だ。

 ただ私の外科主治医先生がキャパシティある方で救われる思いだ。
 杓子定規に「絶対安静!」と言い放ったまま“後は我関せず”ではなく、家庭内協力体制の程を確認して下さるのだ。 「コルセットやギブスを取り換えてくれる人はいるか?」「家事を手伝う事に積極的な家庭か否か?」等々… 
 これらの質問に対し、冗談半分で「役に立たない家族ばかりです」とマイナーな回答を返したところ、医師先生曰く「犬でも飼っているのですか?」…   応えて私曰く「一応、主人と娘がおりますが…」  ここで診察室内にいた看護師氏も含め皆が大爆笑である。 

 しかも私からの「パソコンを打ってもいいですか?」との質問に対し、「何かを発信されているのですか?」と問うて下さる医師先生である。  「はい。プロではないのですが真剣に文章を発信し続けています。」 との私の返答に対し、「文字数は多いですか。早打ちですか。」と確認して下さる事も忘れない。 「その通りです!」との我が回答に対し、「少し文字数を控えめにして、ゆっくりと打って下さい」とのアドバイスである。
 次に受診した際には、必ずや「パソコン発信はどうしていますか?」と尋ねて下さる。 例えば、「はい。昨日は我が読者の方々から多くのお見舞いメッセージを頂きました。」と応えると、「それは良かったですね。」と返して下さる先生である。  


 などと外科医先生との診察室内でのやり取りを記述している間に、全治2か月の身にして字数が過ぎたようだ。
 
 来週早々にはまた外科医を受診し、レントゲン撮影により“回復具合”を確認する段取りとなっている。 「ミイラ」の身にして、少しでも前進出来ているとよいのだが…