原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

世にテレビがなかったら人はもっと進化できたか?

2013年04月29日 | 時事論評
 今年のゴールデンウィークの前半が早くも過ぎ去ろうとしている。
 いえいえ、5月6日までの10連休を堪能されている最中の方々にとっては、まだまだ連休も序の口なのであろうか?
 
 原左都子にもそういう時代はあったなあ。  年末年始や夏季、そしてゴールデンウィークには比較的長期間の連休を取得しやすい職場に所属していた関係もあって、私もそれに準じていた。
 一体その長期連休に何をして過ごしたかについては、今となってはさほど憶えていない。 年に1度は連休を利用して郷里帰省等の旅行をしたのは確かだが、基本的に混雑を嫌う私である。 何も好き好んで交通網が大混雑のその時期に行楽地に出かけるということは、出来得る限り避けて通ってきた部類だ。

 今年のゴールデンウィークに限って言えば、アベノミクスによる急激な円安や中国に端を発した鳥インフルエンザ騒動を回避するために、国内で過ごす予定の国民が多いとの報道である。
 その中でも“日帰りレジャー”を好天の下に家族連れ等が楽しむ風景は、ニュース報道により日々見聞している。

 一方で連休とは言え、「おこもり系」を堪能する国民が多いとの昨今の情報でもある。 「おこもり系」とは何かと原左都子が説明するでもないが、要するに自宅でのんびりと過ごす派も増えている現実だ。


 原左都子自身がこの連休に一体何をして過ごしているのかと言うと、大きく分類すれば「おこもり系」と言えるだろう。
 と言うよりも私の場合は上に記した通り、元々連休にはさほど関心がない人生を歩んでいるため、連休に入って後に“世は連休なんだなあ~”と感じる程度である。
 しかも我が娘の大学の講義スケジュールが大いに変則的で、本日4月29日も大学の授業が通常通りに実施されるため娘は朝から大学へ行っている。 この要因も大きく、我が家の風景は普段と何らの変わりがないのだ。 

 と言う訳で我が連休中の「おこもり系」の場合、普段の日常とは一切逸脱していないのだが、同じく連休を「おこもり系」で過ごしておられる方々が何を嗜好して自宅で楽しんでおられるのかが多少気にかかる。
 例えば、自宅でテレビを見て過ごされる方々も多いのだろうか?

 などと言いつつ、話題を無理やり今回のエッセイ表題の「テレビ」に振ろうとしている我が魂胆なのだが…。


 「テレビ」と言えば2013年の今年、テレビ放送が60周年を迎えた。 1953年(昭和28年)2月1日にNHKが東京でテレビ放送を始めたのを皮切りに、その後60年もの年月をかけてテレビ放送は発展(??)を遂げ続けている。

 少し古くなるが、テレビ放送60周年に関して朝日新聞4月15日夕刊一面トップに興味深い記事を発見した。
 1953年生まれの朝日新聞編集委員氏が綴った「見たい!叱られたって」と題するコラムの内容の一部を、以下にその前半部分を要約して紹介しよう。
 テレビがない時代に生まれていたら、全く違う人生になっていただろうな。 還暦の年を迎えてつくづくそう思う。 1953年秋に生まれた私は、テレビに育てられたという実感があり、それが長じて新聞記者になった。  何を隠そう私は鹿児島生まれの田舎者であり、山を駆け野ウサギを追うそんな少年時代だった。 テレビとの出会いも東京よりも遅く58年だった。 自宅にテレビが来たのは63年春。その前からテレビがある酒屋などに入り浸り、相撲やプロレスに熱をあげた。 その他、いくら親から叱られても見たい番組が溢れていた。「チロリン村とくるみの木」「名犬ラッシー」…… 
 (以上、朝日新聞記事より要約引用)

 原左都子の私事に移ろう。
 
 上記朝日新聞編集委員氏よりちょうど2歳年下、1955年秋にこの世に生まれ出た私だ。 それにしても同じ“田舎者”として、テレビを初めて体験した感動が我が心に蘇るコラムである。
 我が過疎地の田舎でもテレビの到来及び放送は東京よりも遅かった。 ただ我が家の場合、上記編集委員氏宅よりもテレビを購入するのが早期だったようだ。 原左都子の自宅にテレビが到来したのは1961年だったと記憶している。 周囲に酒屋など一軒もない自宅の周辺住居から、毎晩十数人の近隣住民が我が家のテレビを見るために押し寄せた事も実に思い出深い。
 その(混雑した)環境下では子どもの立場でゆっくりテレビ観賞できないため、私が好んだのは夕方の番組あるいは日曜日午前中に放映されている子供向け番組だった。 上記編集委員氏同様、「チロリン村とくるみの木」や「名犬ラッシー」も懐かしい。 加えて、日曜朝から習字練習に通っていた私が帰宅後見た「狼少年ケン」や「少年忍者藤丸」等々も、そのテーマ音楽とともに今尚忘れ難きノスタルジーである。 

 朝日新聞編集委員氏のコラムの続きを紹介すると、氏はそれでもテレビ業界に就職したいとは思わなかったとのことだ。 テレビが切り取る四角い画面がすべてではないと思ったことが自分を新聞志向にした理由として大きかった、との記述である。


 再び原左都子の私事に移るが、私の場合“マスメディア志向”などとは程遠い人生を送り続けている。
 元々新卒で上京し医学関連企業に就職した後にも、もちろん「テレビ」は見た。 そうとは言え、決してテレビを主体的に愛好していた訳ではない。 天気予報やニュースを最低限度の情報源とした以外、我が趣味の音楽番組等に限定して時間が許す限りで鑑賞したに他ならない。
 特に超多忙で充実した日々を送っていた我が“栄光”の独身時代には、そもそも自宅で過ごす時間自体がなかったものだ。 その頃の私は「テレビ」を堪能できる時間すらなかったと言える。

 そんな私が晩婚当初、身内が帰宅後習慣的にテレビのスイッチを入れる事に付き合ったのが「テレビ」との久々の再会だったとも表現できる。  ところがこれがとんでもなく「やかましいし、鬱陶し!」く、我が脳幹が破裂しそうな感覚なのだ!!
 もうテレビは金輪際勘弁してくれ!!! と身内に訴えつつ、私なりの「テレビ」番組選択権利を徐々に確保しながら、娘と共に現在の「テレビ最小限生活」を我が“人権”の一部として確立して来たとの経緯である。


 「テレビ放送60周年」に関しては、官民放送局共に今後提供する情報の如何によっては評価したい気もする。

 反面あの“いかにも狭い四角平面画像”が、人間の成長を大いに阻害している事実もわきまえるべきだ。 
 放送局各社は、野放図な影像放映ばら撒き行為が自社の膨大な営利に繋がろうと、60年の長き年月に渡り明らかに人類の脳ミソを破壊・破裂し続けた事実をも振り返り、もうそろそろ放送自粛も念頭において行動するべきではなかろうか。

民衆が立ち上がってこそ「愛国心」は芽生える

2013年04月27日 | 時事論評
「民衆の歌」

闘う者の歌が聞こえるか
鼓動があのドラムと響き合えば
新たに熱い命が始まる
明日が来た時・・そうさ明日が
列に入れよ!我らの味方に 
砦の向こうに世界がある
闘え! それが自由への道
悔いはしないな例え倒れても
流す血潮が潤す祖国を!
屍越えて開け明日のフランス


“Do You Hear the People Sing ?”

Do you hear the people sing?
Singing a song of angry men?
It is the music of a people
Who will not be slaves again!
When the beating of your heart
Echoes the beating of the drums
There is a life about to start
When tomorrow comes!

Will you join in our crusade?
Who will be strong and stand with me?
Beyond the barricade
Is there a world you long to see?

Then join in the fight
That will give you the right to be free!

Will you give all you can give
So that our banner may advance
Some will fall and some will live
Will you stand up and take your chance?
The blood of the martyrs
Will water the meadows of France!


 
 冒頭より引用したのは、ヴイクトル・ユーゴー原作、ミュージカル「レ・ミゼラブル」内で歌われる 「民衆の歌 Do you hear the people sing?」 の日本語版と英語版である。 1832年にフランス王政からの圧政に蜂起で立ち向かったフランス民衆であるが、ミュージカル内で民衆がこの歌を熱唱する場面を鑑賞することができる。

 原左都子が最近この歌を聴いたのは、今年の米国アカデミー賞各賞受賞に輝いた映画「レ・ミゼラブル」を何ヶ月か前に鑑賞した時である。
 オペラ形式で展開する映画全体の印象に関しては、前半の影像が暗い場面が多いのに加えて映画自体が「長過ぎた」事もあり、座席にずっと座っているのが苦痛だったものだ。
 ただ後半部分に入り、舞台が「フランス革命」に移って後は見応えがあった。 特に大学生等若者達が民衆の一グループとして圧政に立ち向かう場面は圧巻だった。 その時に大学生達の間で歌われたのがこの「民衆の歌」であるが、映画鑑賞の後もいつまでも我が心にこの歌声が響き続けている。
 その後自宅でユーチューブ検索等により「民衆の歌」をマスターし、今では我がカラオケ持ち歌の一つである。

 フランス革命をご存知ない方はおられないであろうが、参考のため、以下にウィキペディア検索の一部を紹介しよう。
 フランス革命とは、18世紀にフランスで起きた市民革命である。
 1787年に王権に対する貴族の反抗に始まった擾乱は、89年から全社会層を巻き込む本格的な革命となり、絶対王政が倒れたのちフランスは立憲王政から共和制へと展開する。 さらに94年のテルミドール反動ののち退潮へ向かい、99年にナポレオン・ボナパルトによる政権掌握と帝制樹立に至る。 この87年の貴族の反抗からナポレオンによるクーデタまでが、一般に革命期とされている。
 革命によりフランスの王政と旧体制(アンシャン・レジーム)が崩壊する過程で、封建的諸特権が撤廃され、近代的所有権が確立されるなど、全社会層が変革へ向かった。 前近代的な社会体制を変革して近代ブルジョア社会を樹立した革命として、 世界史上、ブルジョア革命 (市民革命) の代表的なものとされる。


 今回、何故に原左都子が「愛国心」などという大いに“危険性”を孕む難題をエッセイに取り上げたのかに関して説明しよう。

 2007年に「原左都子エッセイ集」を開設した初期の頃に“左都子の市民講座”とのカテゴリーを設け、我が高校教員時代に生徒相手に授業した講義ノートから引用してエッセイ(ごく簡単な講座)を綴っている。
 実はその講座シリーズが(著者の私がその根拠を把握できないものの)、今尚ネット上でコンスタントに閲覧されている様子なのだ。
 その講座の一つとして、「近代市民法の基本原理とその修正」なるシリーズも綴っているが、以下にその一部を要約して紹介しよう。
 近代市民法とは何か?    近代市民社会において施行されている法のこと
  近代っていつ?  → 市民革命以降の時代
  市民社会って何? → 資本主義社会が市民社会
               (社会主義社会は市民社会とは言わない。
                生産手段の社会的所有により横並び社会では
                あるが、反面、自由が制約されているため。)
 我が国における近代市民法とは?
   私権を確立するために制定された私法の基本法である「民法」のこと
     これに対し、「憲法」とは、国家統治のあり方を定めた根本規範
            政治指針であり、具体的な権利義務は表れない
 (以下略)

 まあこんな感じで、高校生でも理解し易いような授業展開を出来る限り工夫していた教員当時の原左都子である。


 さて上記我が講座内容にあるように、近代とは「市民革命」によりもたらされた時代である。
 18世紀においてフランスでは民衆が砦の向こうの世界を志し、市民が流血の末に絶対王政を倒したのだ。 “闘え! それが自由への道 流す血潮が潤す祖国 屍越えて開け明日のフランス!”

 片や我が国は20世紀に入って以降、戦争敗北によって米国から新しい憲法である「日本国憲法」を与えられる事により“やむなく”民主化に流れた国家と私は位置づけている。

 原左都子は絶対的に戦争反対派である。 それ故に日本国憲法第9条改定反対派でもある。
 以下に、憲法第9条を紹介しよう。
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 世界規模での流血の歴史もなく、20世紀に入って他力本願に「民主化」に流れる事が叶った我が国が偶然経済発展できたからと言って、何故今更(近隣アジア発展国を)仮想敵国に仕立て上げて、それらの国に打ち勝つと国家は宣言するのか!? 少しは過去の恥を知った上で米国迎合を避けて近隣諸国との交友を築けよ、と私は訴えたいのだ。

 皆黄色人種であり先天的に同じ風貌を余儀なくされているにもかかわらず、近隣に住む弱者同士が何故仲良く出来ないのか?  どうして自民党政権は同類の弱者相手に領土問題を殊更取り上げたり、憲法改定してまで「喧嘩」を売りたいのか???  
 安倍政権はこの国の底辺に位置する“民主主義の真の意味さえ知らない平和ボケ民衆達”に、それをよい事として「愛国心」の掛け声の下“流血せよ!”と今更叫ぶのは控えるべきだ。  お上から強制される「愛」など空虚なものでしかない。 民衆自らが平和と平等を勝ち取り新しい国を創り上げてこそ、国家への「愛」の土台が出来上がるのだ。
 米国迎合より優先するべきは過去に於ける隣国への過去の「侵略」のお詫びを後世に及んでし続ける事であろうに、未だに政府要人が靖国参拝するとは……
 その解答こそを、安倍政権から聞きたい私である。

どっちが美女?!?

2013年04月24日 | その他オピニオン
 4月から始まったNHK朝の連ドラ 「あまちゃん」 は、どうやら番組開始早々より高視聴率をゲットしているらしい。

 このドラマシリーズを、いつも昼の天気予報とニュースをチェックする流れで昼間の再放送を見る習慣がある原左都子だ。
 論評好きな原左都子にして、新ドラマ「あまちゃん」に関しては未だ論評に値する程の価値は見出せておらず、とりあえず“様子伺い”の現状である。


 ここで少しだけ論評するならば、主人公アキに関してはまあまあの印象を持っている。
 
 ちょっと一体どうしたの? と驚くのは、アキの母親役である小泉今日子のドラマ内の風貌に関してだ。
 何処かより得た情報によると、今回の連ドラは母親役に元アイドルの小泉今日子氏を抜擢する事により視聴率を稼ごうとのNHKの魂胆との事だ。 
 ところがその小泉氏が演ずる春子は、低身長(小泉氏の身長は153cmと小柄であるようだが)にして事もあろうに裾まであるマキシスカートにだぶだぶの上着、そして客に飲食を振舞うスナックにてもロングヘアを結ばない不潔かつ鬱陶しいスタイルだ。  春子の役柄設定が元々80年代の“ツッパリ”だったとは言え、一旦上京して娘アキが16歳に至るまで専業主婦を経験したのなら、このスタイルはどう考察してもあり得ないであろう。 
 私の憶測では、女優小泉今日子氏本人が現在何らかの理由で太っていらっしゃるのかと推し量る。 背後から映し出された小泉氏の腰回りがふくよかな後姿からも、その片鱗が伺えてしまう… 
 原左都子個人的には、小泉今日子氏が歌手であられた頃は何とも言えない可愛らしい風貌に好感を抱いていたものだ。(「ヤマトナデシコ七変化」など今尚私のカラオケ持ち歌ですよ)  もしも現在小泉氏が太っておられるとしても、スタッフ側の力量により、春子役の小泉氏をもう少し美しく描けないものかと気の毒に感じる私だ…。


 冒頭に記した通り、NHK連ドラ「あまちゃん」のドラマ内容の如何に関しては原左都子にとって未知数であり、その論評をしようと思う段階には至っていない。

 ただ、特に本日(4月24日)放映されたドラマ内容の一部分について、あくまでも我が一趣味の観点から論評(反論)申し上げたい事があるのだ。

 それは、主人公アキとその友人ユイの“どちらが美女か?” という「議題」に関してである。

 この論評が困難な点は、ドラマ上の役柄のみならず、どうしてもその役柄を演じている女優氏達ご本人がお持ちの“外見的特質”までをも含めて論じねばならないところにあろう。

 ドラマ内では、祖母の地元で海女を志す主人公アキよりも、今後上京してタレントを目指すユイこそが美女と結論付けたいようだ。 現在のシナリオ上はそれで正解なのかもしれない。 
 ところがこれを見せられる視聴者の一人に過ぎない原左都子の好みの観点から結論を出すと、アキを演じる女優能年玲奈氏の方に「美女」の軍配を挙げたいのだ。 あくまでも個人の好みの範疇を抜け出ていない事は承知の上だが、私の目にはどうみても女優能年氏の方が美人である。
 ユイを演ずる橋本愛氏ももちろん美女であることは認めるものの、面長の輪郭に“おかっぱ”ヘアスタイルが全く似合っていないと、申し訳ないが私は橋本氏が一番最初に登場した場面から感じていた。 これももちろん東北田舎の高校生とのドラマ演出上やむを得ないアンバランスなのであろうが…。 
 と思いきや、先程女優“橋本愛氏”本人のネット上画像を検索してみるに、ドラマとはさほどの違いがなく橋本愛氏はやはり女優としても“おかっぱ頭”を売りにされている様子だ。  まだまだ若き橋本愛氏の女優人生はこれから大いに変貌するのであろうが……

 片や主人公アキ役の能年玲奈氏に話を移すと、こちらは今回「海女」役であり、当然ヘアスタイルもその配役に合わせて限定されることであろう。
 そうだとして、現在19歳の能年氏は同じ年齢の娘を持つ母親 原左都子の視点からも実に美しいのだ。  何が美しいとて、そのお顔の輪郭がとにかく素晴らしい。 我が娘も(親馬鹿ながら)一応美人の部類(?)なのだが、現在顔のたるみに悩まされている。 そんな娘を見るにつけ「顔の輪郭」とは美女としての一番の要素とも感じる私である。


 それにしても、現在全国各地で開催されている「美女コンテスト」やネット上で公開されたそのHPに関して“おたく”男性が取る行動を、今回NHKドラマが取り上げた事はマイナス面で評価したい気もする。 (どう贔屓目に見ても“ご当地美女”とは美女と言うには程遠いよねえ……)
 要するに、ネットでも何でもいいから一旦誰かが“有名”になりさえすれば、それの「追っかけ」をしたいとの群像心理の異常さにNHKが着眼したとの事であろう。 


 「美女」の条件など、それこそ人それぞれの“好み”や“判断”で済む分野だ。

 少なくとも時代の風潮に流されるままに整形などせず、自分が持って生まれた外見的長所を自分なりに発見して育める事こそが、今後自己が真に欲する分野の発展進化にも繋がるのではあるまいか?!?
 特に若き世代には、この思いを伝えたいものだ。

 (それにしても小泉今日子さん。 どうして40代後半の若さにしてそんなにデブッたの?  それは貴方の女優としての役柄故の宿命だったのかしら??)
 もしもそうだとすれば、女優・タレント業とは何とまあ過酷な職業であろうか。

 原左都子など、20代前半より数十年来に及んで我が理想とする“長身スリム体型”を維持し続けている。 自分が辿る人生の変遷に係らず、これぞ自分が目指す外見的「美女」の条件と心得つつ、今後もこの体型を保持し続ける事を我が幸せの一端に位置づけたいものだ。

絵むすび

2013年04月22日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞一昨日4月20日別刷「be」に掲載されていた パズル「絵むすび」 に原左都子が解答したもの。  朝日新聞さん、応募締切日に先立ちネット上で解答を公開し申し訳ございません。


 幼稚園児の頃に一番没頭できた“遊び”が「知能検査」だったというエピソードを持ついかにも“嫌われキャラ”の私が、この期に及んでパズル好きであるのは言うまでもない。

 何せ、我が記憶が辿れる幼少の頃より「集団嫌い」の片鱗が漂っていた私である。 
 お歌やお遊戯、すべて好きで上達も早いのだが、“皆で一緒に”の指導がどうも苦手だった…。  (指導者がこう指導すると、必ずや“ヘボいのに出しゃばり”の奴らが前面にしゃしゃり出てくるでしょ。 あれが我が幼心に許し難かったような感覚がある。) 

 一人で黙々とこなせる「折り紙」や「切り絵」等のお遊びは好むのだが、これに関しては当時の時代背景により元々「左利き」を無理やり矯正された因果で、右手ではさみを持つ事自体に困惑したような思い出がある。
 元々左利きだった私の場合は右手で字を書く事も得意ではなかったのだろうが、幼稚園年中組の頃に初めて経験した「知能検査」が何とも面白く、一人没頭してしまった記憶が今尚脳裏に鮮明にある。

 今現在「知能検査」なるものが教育現場で実施されているのか否かの認識すらない。 参考のため「知能検査」とは、そもそも指導者の指示通りに各テーマ毎に1ページ内に納められている課題の出来る所までを、被験者それぞれの進捗度に応じて回答していく検査システムだったであろう。
 ところが、私の場合(自慢じゃないが)どんどんと課題をこなせてしまい、指導者からストップがかかる前に次のページへ移行してしまえるため自然とそうしたのだ。
 これに気付いた教員から、「次のページをめくっちゃダメ!」なる“待った”がかかった。 (こんなに面白い事なら私はどんどんやりたいのに、何で待たされるの?…)と幼心にじれったい思いを抱かされたものだ。
 結果として私は当時所属していた幼稚園の“知能指数歴代新記録”を樹立したようで、幼稚園側は「家庭で一体どんな教育をしているのか!?」と我が親どもに迫ったとの事だ。
 (その質問に今の私が解答しよう。  幼い頃から親は共働きで子どもを放ったらかしていた家庭だよ。 「知能検査」なんて幼き私個人の単なる一趣味だったって訳さ…


 上記のごとく「知能検査」など個人の趣味の範疇を抜け出せていないからこそ、現在教育現場から消え去っていると解釈している私である。
 
 ところが、還暦近い原左都子が今尚“パズル”の類をこよなく嗜好しているのも事実だ。

 例えば、上記写真で紹介した「絵むすび」であるが、このパズルに関しては私は朝日新聞紙面で初めて経験した。  現在朝日新聞土曜版「be」に毎週掲載されている各種“パズル”の中で、私が一番嗜好するのがこの「絵むすび」である。

 毎週掲載の「数独」ももちろん好きで、必ずや挑んでいる。
 ただ「数独」の場合、時間がかかる割には半分程やり終えた時点で、既にパズル完成が見通せるところがつまらない要素でもあろう。
 実は「数独」に関しては、自分で手作業により問題を作成する事にも挑んだ私だ。 簡単な問題ならば直ぐに作成可能だが、(朝日新聞が呈示するところの「レベル5」等)難しい問題作成はまだまだ叶わない。 朝日新聞の場合、おそらくコンピュータ作業で問題を作成しているのであろうが、私の場合、出来るならば是非とも手作業で難題を作成できるレベルに到達したいものだ。 


 さてさて、上記写真の朝日新聞「絵むすび」に話を戻そう。
 一昨日の課題は「レベル4」だった。 私の記憶によると、朝日新聞掲載「絵むすび」で「レベル4」は初めてだったのではあるまいか?
 これには難儀させられた。 昨日の日曜日に初めてトライしたのだが悔しい事にこれが解けない。 
 絶対にギブアップしたくない私は日を変えて本日改めて見直すことで、大いなる発想の転換が可能となった。 何を下の欄から回すかに関して、上記写真の通り6番のタオルを下から回す手法に出たところ、その後5分で回答が叶った。

 この「絵むすび」とて、今度は是非共“出題者”側に回りたいものだ。
 暇な時間を見つけて、手作業で「レベル4」以上の出題者になれるべく原左都子も精進するぞ!


 いやいやほんと、パズルの世界など出題側に位置してこその醍醐味であろう。

 将棋の世界でも、先立って日本一のタイトルを持つ棋士がコンピュータ対戦で破れたとの報道だ。
 ただコンピュータの場合はチーム開発が主流であろうし、月日をかけて開発されているのはなかろうか?(我が趣味の範疇外でよく把握していないのだが)  そうだとすれば、緊迫した現場で単独で闘う棋士との勝敗判断は困難なようにも思うのだが…。
 
 この種の闘いとは勝敗基準判定が難しいと感じつつも、出題者、解答者いずれの立場にあれどもやはり勝ってこそだよなあ~~。

 という訳で、日々決して暇ではない原左都子の“パズル好き”“勝負好き”人生はまだまだ続きますよ!

「週休2日制」 私はその恩恵で成長しました!

2013年04月20日 | 時事論評
 日本企業に於いて最初に「週休2日制」が導入されたのは、今から遡る事50年前の事だったようだ。

 少し古くなるが、4月6日付朝日新聞一面にこの話題が取り上げられていた。
 以下にその一部を要約して紹介しよう。

 日本の大手企業が「週休2日制」を導入したのは、1963年4月に三菱電機が土曜を休みに切り替えたのが初めてだった。 それから半世紀。  根付いたようでいて、それを導入した企業は半分にも満たない。 子ども達の土曜授業復活を支持する親も多い。
 当時高度成長を突き進んでいた日本経済。 「働き方も海外の先進国並みに」との機運が電機業界に広がり、三菱電機がその先駆けとなった。 会社人間を家庭に戻す「ワーク・ライフ・バランス」のはしりだったが、隔週とは言え代表格の企業の土日休みには当時かなりの驚きがあったようだ。
 日本企業は長く、働き過ぎだと批判されてきた。 労働基準法が定める労働時間の上限はその後徐々に下がり、97年に原則として週40時間になった。 栄養ドリンクのCMが「24時間戦えますか」と歌ったバブル期を経て週2日制は広がっていく。
 ところが厚労省の調べでは「完全週休2日制」を導入済みの企業は2012年で約45%。 最近は一進一退だ。
 厳しい競争は大人だけではない。 「ゆとり教育」のもと、02年度から完全5日制になった高校までの公立学校で、土曜休みの見直しが始まった。 保護者の8割が隔週も含めた「週6日制」に賛成している。
 (以上、朝日新聞4月6日一面記事より一部を引用。)


 現在文科省が導入を検討中の「学校週6日制」に関する原左都子の私論に関しては、2013年2月のバックナンバー 「土曜授業より個性に応じた学ぶ場の多様化を」 に於いて既に公開している。
 
 以下に私論の一部を反復させていただこう。

 文科省が導入しようとしている「学校週6日制導入」の趣旨とは、授業時数を増やした新学習指導要領が既に小中学校で完全実施されているのを受けて、土曜日も使い授業時数を確保して子ども達の学力向上を目指す事にあると言う。
 原左都子の私論の結論を記させていただくと、我が家の場合“特異的事例”であるかもしれない点をお詫びした上で、表題に掲げた通り私は基本的に「反対」派である。 
 我が子が生まれながらに若干の事情を抱えていたこともあり、医学及び教育学分野のバックグラウンドがある母の私が「お抱え家庭教師」として我が子就学以前より教育指導を担当してきている。 娘が持って生まれた個性に対する私なりの専門力に基づく「指導計画・展望」があり、かつ娘が抱えている事情を一番理解していると自負する母の私自身が、我が子の教育を小学校入学後も可能な限り“私主体”に執り行いたい希望が強かった。  とは言えども、小中校は義務教育課程であるため、保護者とは子どもを公教育現場の学校へ通わせる義務を法制度上負っている。 それをもどかしく思いつつも、とりあえずは2002年時点で土曜が完全に休みになることを待ちわびていたとも言える。
 数多くの保護者が“公立校の勉強だけでは足りない”との不安を持ったとの経験は、原左都子に関してはただの一度もない。  我が子は私の指導の下、十二分に学習に励んでくれた。 むしろ、その他分野の我が子の個性や能力に応じた活動をする時間が十分取れないことにやきもきさせられたものだ。  “学習指導”は私が全面的にフォローするものの、娘の趣味や能力に応じた他分野活動の時間がもっと欲しかった。  もしも学校で費やす時間が短く済めば、その分野の専門家氏に娘の成長を委ねるべく多くの時間を確保できるのにと、どれ程残念に思ったことか…
 結局は小中高学校現場が土曜日も授業に当てるとの方策を採用するならば、立場が弱い保護者はそれに従わざるを得ない現状だ。
 下村文科相は、「学校週6日制導入」こそが我が国の児童生徒の学力上昇に繋がるとお考えのようだが、真にこの国を支えている人材達が過去に歩んだ道程を、今一度捉え直すことも重要であろう。 現在安倍政権はその経済政策である「アベノミクス」を政治理念の中心に掲げている。 そうであるとして、この国の経済発展を民間レベルで支えてきた人物の過去の経歴にまで遡った場合、必ずしも小中高の学力が秀でていた訳でもなかろう。 本人の真の実力が試される実社会の中では学校での成績などさほどの影響を及ぼさないのが世の常でもある。  最優先するべきは、子どもの個性に応じた“学ぶ場の多様化”に他ならないと私は考える。
 あくまでも社会的弱者保護観点から土曜日も学校を運営するべきと自民党政権が捉えているとするならば、原左都子とてそれを少しは応援したいものだが…。  少なくとも土曜日登校は各家庭の判断により自由選択とする等、融通性を持たせて欲しいものだ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより要約引用。)


 私が社会人として民間企業へ就職して後の私事に移ろう。

 私の場合、医学専門分野の国家試験合格を条件に新卒で民間企業へ就職した事に関しては、バックナンバーで再三記述している。
 当時その国家資格を取得した新卒者のほとんどが「病院」へ就職する中、何故私が民間企業を志望したのかと言うと、その企業が時代に先駆け早々と「週休2日制」を導入していたのも大きな理由の一つだった。

 私が当該民間企業へ就職したのは今から数十年前、1970年代後半の頃である。 まだまだ企業の「週休2日制」は珍しい時代背景だった。
 元々勤勉な私であり(?)学業や仕事自体はさほど苦にならないのだが、多種多様の人間が集まる「集団」がとにかく嫌いだ。 
 そんな私にとって、せめても「週休2日制」は心のオアシスとも言えた。  その2日間だけでも「集団」から解放され、自分の意思で自らが欲する主体的な行動を執り行ったり、自分自身が選りすぐった人物との接触が可能となるその現実とは、何物にも替え難い“至福の時間”であり自分へのご褒美だったものだ。
 実は私が所属していた民間企業の「週休2日制」とは“土日休み”あるいは“日月休み”いずれかの選択制だったのだが、私は迷わず“日月休み”を貫き通した。 と言うのもほとんどの社員が前者を希望するため、土曜日に出勤すると社内人口密度が至って低いのである。 この仕事環境下でこそ私は自分の業務に集中できたものだ。 加えて月曜休みとは都会に生きる人間にとって行楽地等の人出が少なく実にありがたかった。


 最後に原左都子の私論でまとめよう。

 「週6日制」を導入するべきか否か?
 この懸案が行き着く処とは、人が如何に「組織・集団」から解放されて自分自身の力で活性化されて生き延びられるか? との議論に到達するのではなかろうかと私は捉える。

 執拗に繰り返すが、私は「集団・組織」嫌いである。
 その我が志向を貫くべく人生をある程度全うできているからこそ、持って生まれた能力を周囲よりの悪影響で“枯らされる”事なく、現在まで自らの力量で紡いで来れたと自己診断している。
 
 悲しいかな、この国はいつまで経っても“集団志向気質”に変化なしと捉えている私にとって、安倍政権下の文科省がこの期に及んで「週6日制」を言い出す事など想定内でもあった。
 それでも、国民一人ひとりが自ら考え行動する時間こそが国民を真に育成するとの発想の下に、学校・企業を問わず今後はもっと個々人が自由に過ごせる時間を保障してみてはどうなのかと訴えたい私なのだが…