「小説よりも奇なり」 なる出来事が、現実の世において無常にも実際に発生してしまう事があるようだ。
昨日(11月26日)夜NHKテレビにて報道された“赤ちゃん取り違え事件”訴訟結果のニュースを見聞した方々は多いのではなかろうか。
報道によれば、昭和28年に同じ病院内でほぼ同時刻に生まれた男の赤ちゃん2人が病院の手違いにより取り違えられ、病院側に3800万円の支払命令判決が言い渡されたとの事だ。
その後のNHK夜9時からの「ニュースウォッチ9」では、このニュースに関する更なる続報を伝えていた。
当該ニュース続報及びNHKネット関連情報より、以下にこの出来事に関して要約して示そう。
60年前に生まれた東京の男性について、東京地方裁判所はDNA鑑定の結果から病院で別の赤ちゃんと取り違えられたと認めたうえで、「経済的に恵まれたはずだったのに貧しい家庭で苦労を重ねた」として病院側に3800万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
この裁判は、東京・江戸川区の60歳の男性と実の兄弟らが起こしたものである。 判決で東京地方裁判所裁判長は、DNA鑑定の結果から男性が別の赤ちゃんと取り違えられたと認めた上で、「出生とほぼ同時に生き別れた両親はすでに死亡していて、本当の両親との交流を永遠に絶たれてしまった男性の無念の思いは大きい。 本来経済的に恵まれた環境で育てられるはずだったのに、取り違えで電化製品もない貧しい家庭に育ち、働きながら定時制高校を卒業するなど苦労を重ねた」と指摘し、病院を開設した社会福祉法人に合わせて3800万円を支払うよう命じた。
判決について社会福祉法人側は、「現在、判決内容を精査し、対応を検討しています」とコメントしている。
取り違えられた男性の代理人をつとめる弁護士氏は、「男性は幼いころから母親や近所の人から『両親に似ていない』と言われ自分自身も違和感を感じていたという。 実の両親が違うと知ったことで納得した部分もあると話していた。 そのあとは迷いながらも実の兄弟と交流を深めていき、本当の両親の話を聞いて涙を流すこともあったそうだ」と話している。 また、判決に関しては「男性は喜びよりも病院への憤りが大きい。 60年近く実の両親を知らなかったわけで、取り違えによって男性の人生は大きく変えられてしまった。 本人は『自分のようなケースはほかにもいるのではないか』と話していて、病院にはこの問題に真摯に向き合ってほしいと希望している」と話している。
(以上、NHK報道ネット情報より引用。)
原左都子が昨夜このニュースを見聞し我が身に照らして一番辛かった部分とは、当該“取り違え被害者男性”と私がほぼ同時代に我が国にて出生しこの世を生きて来ている現実である。
それ故に、私には“取り違えられ先家庭の貧しさの程”が目に見えるように実感出来てしまうのだ…。
昭和28年生まれと言えば、日本戦後復興期終盤と表現するべき時代背景だ。
ちょうど電化製品が世に誕生しつつあった頃で、過疎地の我が家でさえも例えばテレビなど私6歳頃に買い入れた。 その後小型冷蔵庫や手回しで脱水する洗濯機が開発されれば、東京五輪の頃にはカラーテレビもお茶の間に登場し楽しんだものだ。
ところがこの“病院取り違えられ”男性は、同時期にして大都会東京で6畳一間の部屋に一家で住み、電化製品の一つもなかったとの上記NHK報道である。 当時はまだまだ国内地域間格差が大きかった時代背景も考慮すると、この男性が辿った“極貧の生活ぶり”が実に痛々しい。
更にはこの男性は一家のために自分が収入を得ねばならず、中卒で働きに出て、自分の力で定時制高校に通ったという。 原左都子が住んでいた過疎地ですら、当時の高校進学率は98%程だったと記憶している。(参考だが、むしろ経済的に混沌とし高校中退率が高い現在よりも、高校進学率及び卒業率が高かった時代背景だったかもしれない…)
この男性についての定時制高校卒業後の人生に関する報道がないため、後は論評のしようがない。
片や昨夜9時からのNHKニュースに於いては、“取り違えられたもう片方”の男性の報道も少しあった。 何でも、経済的に相当恵まれた家庭環境に加えて親も教育熱心で、他の兄弟と共に中高は私立に通いその後有名大学へ進学後、一部上場企業へ勤めている現状だそうだ。(細かい部分で私の記憶違いがある点はお詫びするが。)
そしてNHK午後9時のキャスター氏は、「赤ちゃんの頃病院で“取り違えられ”翻弄された人生を、今後病院からの賠償金により取り戻して欲しい。」と言ったかどうかの記憶も薄れていることをお詫びしたい。
だが、そのような“無責任な言葉”でこの話題を締めくくっていいものかとの印象を私は抱いた。
ここで私事に入ろう。
原左都子自身は、上記“病院取り違え”男性程の極貧の生活を送って来た訳ではないかもしれない。
ただもしもそのような環境下で子ども時代を送る運命を無常にも叩きつけられた場合、私はどう行動しただろうかの考察を、ここで是非させて欲しい。
当時の世の中はまだまだ「男尊女卑」思想がまかり通っていた時代背景だ。 そんな中、女である私は、6畳一間の一家内で“女は飯を炊け!”と強要されたのだろうか? そして私はそれを、現在放映中のNHK「ごちそうさん」主人公メイコさんのごとく頑張ったのだろうか?
私の単なる歴史認識違いや勘違いかもしれないが、ちょっと違ったような気もする。 「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて公開しているが、どうも私には生まれ持って元々料理センスが一切無い事は明らかだ。
それよりも、私の適性において6畳一間に住む一家のために私なりにもっと頑張れるべき方策を訴えたかもしれない。 「私の場合家で皆の食事を作るよりも、昼間は外へ働きに出して欲しい。 その金を一家のために提供する代わりに、私は定時制高校に通って頑張り、その後は大学や大学院へも進学したい。 その時期はいつでもいい。 皆が生活できる頃になってからでも遅くはない。 必ずや私が働いたカネで皆を食わせるから、皆も頑張ろう! 皆で頑張れた暁には、家族一人ひとりがそれぞれに自立して自分の人生を歩もうよ!」
そんな我が思いとは、単なる未知数範疇なのかもしれない。 それでも私は実際問題親元離れて上京後は、自分の努力と能力一本でこの世を渡ってきているとの自負には揺ぎ無いものがある。
要するに極論を述べると、我が親など誰でもよかったとの感覚だ。
病院側に3800万円の支払いを命じる判決で勝訴した、60歳男性及び兄弟の痛烈な思いの程も理解可能だ。 どうか残された時間が有意義なものとなるように、今後の幸せを血縁一家で紡いで欲しいものだ。
ただ“取り違いベビー”もう片方の、(NHKニュース報道曰く)中高大と私立に通い一部上場企業に就職している(本来貧困家庭に育つはずだった)男性の現在のご心情の程も是非共聞いてみたいものだ。
この方、もしかしたら極貧の中この世を打破しつつ勝ち進むべく人生こそを享受したかったかもしれないよ?!?
要するに人の人生など何が幸せなのか計り知れない、と言いたいのが原左都子の私論結論である。
それだから面白いと実感出来る人それぞれの人生こそが、人間生きて行く上での醍醐味なのではなかろうか?
昨日(11月26日)夜NHKテレビにて報道された“赤ちゃん取り違え事件”訴訟結果のニュースを見聞した方々は多いのではなかろうか。
報道によれば、昭和28年に同じ病院内でほぼ同時刻に生まれた男の赤ちゃん2人が病院の手違いにより取り違えられ、病院側に3800万円の支払命令判決が言い渡されたとの事だ。
その後のNHK夜9時からの「ニュースウォッチ9」では、このニュースに関する更なる続報を伝えていた。
当該ニュース続報及びNHKネット関連情報より、以下にこの出来事に関して要約して示そう。
60年前に生まれた東京の男性について、東京地方裁判所はDNA鑑定の結果から病院で別の赤ちゃんと取り違えられたと認めたうえで、「経済的に恵まれたはずだったのに貧しい家庭で苦労を重ねた」として病院側に3800万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
この裁判は、東京・江戸川区の60歳の男性と実の兄弟らが起こしたものである。 判決で東京地方裁判所裁判長は、DNA鑑定の結果から男性が別の赤ちゃんと取り違えられたと認めた上で、「出生とほぼ同時に生き別れた両親はすでに死亡していて、本当の両親との交流を永遠に絶たれてしまった男性の無念の思いは大きい。 本来経済的に恵まれた環境で育てられるはずだったのに、取り違えで電化製品もない貧しい家庭に育ち、働きながら定時制高校を卒業するなど苦労を重ねた」と指摘し、病院を開設した社会福祉法人に合わせて3800万円を支払うよう命じた。
判決について社会福祉法人側は、「現在、判決内容を精査し、対応を検討しています」とコメントしている。
取り違えられた男性の代理人をつとめる弁護士氏は、「男性は幼いころから母親や近所の人から『両親に似ていない』と言われ自分自身も違和感を感じていたという。 実の両親が違うと知ったことで納得した部分もあると話していた。 そのあとは迷いながらも実の兄弟と交流を深めていき、本当の両親の話を聞いて涙を流すこともあったそうだ」と話している。 また、判決に関しては「男性は喜びよりも病院への憤りが大きい。 60年近く実の両親を知らなかったわけで、取り違えによって男性の人生は大きく変えられてしまった。 本人は『自分のようなケースはほかにもいるのではないか』と話していて、病院にはこの問題に真摯に向き合ってほしいと希望している」と話している。
(以上、NHK報道ネット情報より引用。)
原左都子が昨夜このニュースを見聞し我が身に照らして一番辛かった部分とは、当該“取り違え被害者男性”と私がほぼ同時代に我が国にて出生しこの世を生きて来ている現実である。
それ故に、私には“取り違えられ先家庭の貧しさの程”が目に見えるように実感出来てしまうのだ…。
昭和28年生まれと言えば、日本戦後復興期終盤と表現するべき時代背景だ。
ちょうど電化製品が世に誕生しつつあった頃で、過疎地の我が家でさえも例えばテレビなど私6歳頃に買い入れた。 その後小型冷蔵庫や手回しで脱水する洗濯機が開発されれば、東京五輪の頃にはカラーテレビもお茶の間に登場し楽しんだものだ。
ところがこの“病院取り違えられ”男性は、同時期にして大都会東京で6畳一間の部屋に一家で住み、電化製品の一つもなかったとの上記NHK報道である。 当時はまだまだ国内地域間格差が大きかった時代背景も考慮すると、この男性が辿った“極貧の生活ぶり”が実に痛々しい。
更にはこの男性は一家のために自分が収入を得ねばならず、中卒で働きに出て、自分の力で定時制高校に通ったという。 原左都子が住んでいた過疎地ですら、当時の高校進学率は98%程だったと記憶している。(参考だが、むしろ経済的に混沌とし高校中退率が高い現在よりも、高校進学率及び卒業率が高かった時代背景だったかもしれない…)
この男性についての定時制高校卒業後の人生に関する報道がないため、後は論評のしようがない。
片や昨夜9時からのNHKニュースに於いては、“取り違えられたもう片方”の男性の報道も少しあった。 何でも、経済的に相当恵まれた家庭環境に加えて親も教育熱心で、他の兄弟と共に中高は私立に通いその後有名大学へ進学後、一部上場企業へ勤めている現状だそうだ。(細かい部分で私の記憶違いがある点はお詫びするが。)
そしてNHK午後9時のキャスター氏は、「赤ちゃんの頃病院で“取り違えられ”翻弄された人生を、今後病院からの賠償金により取り戻して欲しい。」と言ったかどうかの記憶も薄れていることをお詫びしたい。
だが、そのような“無責任な言葉”でこの話題を締めくくっていいものかとの印象を私は抱いた。
ここで私事に入ろう。
原左都子自身は、上記“病院取り違え”男性程の極貧の生活を送って来た訳ではないかもしれない。
ただもしもそのような環境下で子ども時代を送る運命を無常にも叩きつけられた場合、私はどう行動しただろうかの考察を、ここで是非させて欲しい。
当時の世の中はまだまだ「男尊女卑」思想がまかり通っていた時代背景だ。 そんな中、女である私は、6畳一間の一家内で“女は飯を炊け!”と強要されたのだろうか? そして私はそれを、現在放映中のNHK「ごちそうさん」主人公メイコさんのごとく頑張ったのだろうか?
私の単なる歴史認識違いや勘違いかもしれないが、ちょっと違ったような気もする。 「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて公開しているが、どうも私には生まれ持って元々料理センスが一切無い事は明らかだ。
それよりも、私の適性において6畳一間に住む一家のために私なりにもっと頑張れるべき方策を訴えたかもしれない。 「私の場合家で皆の食事を作るよりも、昼間は外へ働きに出して欲しい。 その金を一家のために提供する代わりに、私は定時制高校に通って頑張り、その後は大学や大学院へも進学したい。 その時期はいつでもいい。 皆が生活できる頃になってからでも遅くはない。 必ずや私が働いたカネで皆を食わせるから、皆も頑張ろう! 皆で頑張れた暁には、家族一人ひとりがそれぞれに自立して自分の人生を歩もうよ!」
そんな我が思いとは、単なる未知数範疇なのかもしれない。 それでも私は実際問題親元離れて上京後は、自分の努力と能力一本でこの世を渡ってきているとの自負には揺ぎ無いものがある。
要するに極論を述べると、我が親など誰でもよかったとの感覚だ。
病院側に3800万円の支払いを命じる判決で勝訴した、60歳男性及び兄弟の痛烈な思いの程も理解可能だ。 どうか残された時間が有意義なものとなるように、今後の幸せを血縁一家で紡いで欲しいものだ。
ただ“取り違いベビー”もう片方の、(NHKニュース報道曰く)中高大と私立に通い一部上場企業に就職している(本来貧困家庭に育つはずだった)男性の現在のご心情の程も是非共聞いてみたいものだ。
この方、もしかしたら極貧の中この世を打破しつつ勝ち進むべく人生こそを享受したかったかもしれないよ?!?
要するに人の人生など何が幸せなのか計り知れない、と言いたいのが原左都子の私論結論である。
それだから面白いと実感出来る人それぞれの人生こそが、人間生きて行く上での醍醐味なのではなかろうか?