原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

我がフルート演奏の目的はその“練習過程”にこそあり

2018年05月31日 | 音楽
 (写真は、現在私がフルート練習を実施している楽曲譜面の一部を撮影したもの。)


 我がフルート練習行脚に於いて個人指導講師を“斬り捨て”、音楽スタジオにての自主練習一本に切り替えた後、早くも2ヶ月近くが経過した。

 その間、フルート練習はより内容を強化しつつ続行している。
 もちろん、日々の練習成果発表の場である「舞台出演」等の機会をまったく欲しないかと言えば、嘘になろう。 ただ理性的に判断するに、下手な演奏を人をかき集め無理やり聴いてもらって何になろうとの虚しさもある。
 私が調査したところ、今の時代、(特に大都会東京に於いては)巷に幾らでも小規模ライブハウスが存在して、素人でも“カネさえ出せば”「演奏披露」の機会を持つことは十分に可能なようだ。 しかも一人で観客集めに難儀せずして、それすら“さくら”観客の人数を揃えるサービスビジネスもあるようだ。
 まあ、もっと上手くなってその気になれば、そんな “いかさま演奏会” でも開き自己満足すればよいのだろうが……


 朝日新聞2018.05.28 夕刊 「音楽・舞台」のページに、そんな現在のフルート練習に対する我が思いと重なるような記事を見つけた。
 早速以下に、大阪市立大学某教授による「二つの音楽 成果か過程か 異なる目的」と題する記述の一部を要約引用しよう。

 2年前から「オヤジバンド」をやっているが、数カ月に一度練習スタジオに入り、ブルースやロックを気ままにセッションする。 メンバーの大半はポピュラー音楽研究者であるが、研究のプロであっても演奏は決してうまいとは言えない。 かつて「鳥類学者の仕事は空を飛ぶ事ではない」と述べた学者がいたそうだが、音楽研究の専門家としては下手な演奏を披露するのも心苦しく、人前で演奏した事は一度も無い。 ただ、練習後のビールは最高にうまい。
 このような、典型的なアマチュア音楽を楽しむ人は多い。 その目的とは「自分たちが楽しむこと」であり、必ずしも音楽的成果を目的とはしない。
 アメリカの某民族音楽学者は、単一の目的を伴う一つの活動として「音楽」を捉える見方を批判する。 彼によれば、音楽とは互いに存在意義や目的が異なる複数の活動により構成される複合文化実践と捉える。 すなわち、演奏の成果よりもその過程の相互コミュニケーションを目的とする参与型パフォーマンスは音を通じた社交形成としての重要な役回りを果たす、と論じている。
 しかし、今日の音楽の社会に於ける使命とは、演奏者が「価値ある音楽」を一方的に提供する上演型パフォーマンスの成果物を指すことがしばしばである。  文化としての音楽とは、そうではなく過程に重きを置く「別の音楽」もまたそこに潜んでいる。
 音楽を考える事とは、音楽活動の成果物について考えることとイコールではない。 故に我々は、ロックな成果を生まないオヤジバンドセッションに熱中し、終わればまたうまいビールを飲むのである。
 (以上、朝日新聞記事より引用したもの。)


 原左都子の私見に入ろう。

 そうか……。 大阪市立大学教授であられる某氏は、素人「オヤジバンド」を楽しんでいるって訳ね。
 その経験に基づき自らの専門である学問としての音楽に関し、「現在の音楽が置かれている“成果か過程か” 異なる目的」に関して論じたということね。

 貴方のオヤジバンドと我がフルート練習とが決定的に異なるのは、そのド素人音楽練習を「集団」でやっているのか「単独」でやっているのかとの点だ。
 貴方の理論の場合、結局そのオヤジバンドの練習を「集団」でやっているからこそ、実り無き下手くそな練習過程であろうが、その後のビールが美味しいということだよねえ。
 そして貴方の理論とは、結局「仲間皆で飲むビールが美味しい」からこそ、音楽に於いて成果ではなく過程も認められてよい、との結論に達するという事だよねえ。

 そう結論付けられてしまうと、我が単独フルート練習は、何に救いを求めればよいのか困惑してしまう。
 ただ私はたとえ単独練習であれ、練習終了後には私なりの“達成感”を得られていると判断している。
 まあ、今後は大学教授である貴方とは異質の、「単独練習」による達成感に関する学説でも我がエッセイ集にて唱えようではないか!


 それにしても今回大阪市立大学教授氏が朝日新聞に記載した文面を読ませて頂いて、分かった事もある。
 私が何故2ヶ月程前にフルート個人レッスン講師を“斬り捨て”るとの決断をしたのかの、一つの理由が判明した。
 当該フルート講師は、こんなド素人の私に対して「自分(講師先生ご自身)の演奏レベルに近づく事」を求めていたのだ。 それは要するに、講師氏が音楽を「過程」ではなく「成果」として捉えていた故だろう。
 
 その「過酷(無茶振り)」とも表現出来る状況から解放され、私は現在音楽スタジオにて単身でマイペースのフルート練習を堪能している。


 昨日は、故・西城秀樹氏の楽曲を何曲か“楽譜無し”で(途中で歌も交えて)フルートで吹いてみた。 いやあ、感慨深いなあ。
 そんな風に私なりにフルートを通して音楽を楽しむ日常が、音楽スタジオにてしばらく繰り返される事だろう。

孫の存在って、そんなに嬉しいものなのか?!??

2018年05月29日 | 自己実現
 結論から書くが、正直に言って私は本心で「孫」は要らない。
 決して、“負け惜しみ”で言っているのではない。

 そもそも、子どもすら要らなかった(より正確に言えば、いてもいなくてもよいと思っていた)人間だ。 いやもちろん産んだ我が子は可愛いし、一生に渡り“喜んで”娘と共に二人三脚で生きていくつもりだ。


 今回のエッセイは、前回のエッセイの続編の形となろうか。

 早速以下に、前回エッセイの結論部分のみを振り返らせて頂こう。

 郷里実母からの電話の話題は、すぐさま米国の孫の快挙に戻ってしまった。
 それを私がもう一度聞いてやった後。 「〇〇くんは凄い。私の誇りだ!」と実母からの電話は締めくくられた。
 そんなにも孫の快挙とは、高齢者にとって「誇り」となるものなのか??  いえいえ、ご自身が直接孫の世話をしている立場ならば、その孫の快挙を喜ぶ心理も分からなくはないが…
 実母の場合、米国の孫に対しては実質面でも金銭的にも何らの支援もしていない。 しかも、その母親である実姉からは「葬式にも帰らない!」と直言されている身にして、何故、実母がこれ程までに孫の快挙を喜ぶのか!??
 実質問題、自分の血を受け継いでいる(だからこそ孫は優秀だ!と信じたい)との理由しか、私には見つからないのだが……
 おそらく「孫」とは一生に渡り縁が無いであろう私にとっては、空虚感漂う実母からの本日の電話だった。
 (以上、前回の本エッセイ 結論部分のみを引用したもの。)


 前回のエッセイを記した後に、私は実母の “孫が成した快挙への異常なまでの執着” の深層心理を探ってみた。

 それに先立ち、何故実母が米国の孫の快挙に対して “異常なまでに執着している” と私が感じるのか?、の課題から考察してみよう。

 実母は自ら米国へ出向き孫が幼少の頃に短期間たった2度のみ会ったきり、その後はただの一度も面会していない。 長女である私の姉が日本を毛嫌いしている関係で、一度足りとて息子を連れて帰国しない故だ。
 それを実母が心底寂しがっていたため、むしろ私から提案したことがある。 「姉は放っておくとして、〇くん(米国の甥のこと)がある程度大きくなれば一人で日本に来れるだろうから、貴方から〇くんにお願いして〇くん一人で来日してもらったら?」
 実母も「それはいい考えだね!」と応えつつも、結局実現せずして〇くんは大学卒業して社会人となる訳だ。  これは私の想像だが、〇くん側も特段日本に来たくも無ければ、実母に会いたいとの希望が希薄と想像する。

 要するに、孫の〇くんへの実母の思いは明らかに “片思い” だ。
 むしろ実母は姉に“愚痴の吐き捨て場所”として都合よく利用されているだけの存在であり、おそらく姉は実母に背後で〇くんを一生会わせないように操っているとも考えられる。

 今となっては私が米国の姉一族と何らの接触も無い事を重々承知している立場ながら、実母は突然私に電話を寄越し、「貴方も〇くんの“叔母なんだから”喜べ!」とも発言したのだ。
 と言われてもねえ…。 
 前エッセイにて公開した通り、当該人物にただの一度も会った事も連絡を貰った事も無い私相手に、「快挙を喜べ!」と強制する方こそが “異常” であることは自明の理ではなかろうか?!


 我が母は、どうも昔から「血縁」に対するこだわりが強かったように考察する。

 我々姉妹が幼い頃より、母自身の出身家系の方が「優秀」である事を我々相手に誇っていた。
 その過ちに先に気付いたのは姉だ。 幼き頃に姉が私に告げるに「母はああ言うけど私はそうは思わない。 父系も優れているし、実際我々は父系の祖母にお世話になっている。 母の言う事をすべて信じてはいけない。」
 姉にそう言われて、私も我に返ったものだ。 ただ未だ幼き時代故に、当時の風習としてはやはり「母」に頼るのが必然的だっただろう。
 ここまで記して、実姉の「日本嫌い」のルーツが見える思いだ。
 要するに、実姉の「日本嫌い」のルーツとは“実母嫌い”に遡れるのかもしれない。
 
 それにしても実姉は今尚高齢者施設入居の実母に電話を寄越し、米国暮らしでの「愚痴」を言いたい放題の様子だ。
 それももしかしたら、血縁にばかりこだわり実質我々姉妹を育ててくれた父系祖母への感謝の欠片も無い実母への“復讐行動”なのかとも思えて来た!


 最後に、私論で締めくくろう。

 孫ねえ。
 私自身は本気で要らない。
 (ここで極秘に記すが、我が娘にはどうやら先天的に“恋愛感情”が欠落している様子でもある事実を近年私が認識しての判断でもある……。 この記述は娘の名誉にかけて、本エッセイ公開後の反応如何によっては即刻削除する予定。)

 そもそも私自身は、我が母親の「絶対血縁志向」の歪んだ成育歴により(?)若き頃から結婚願望も希薄ならば、実際孫は要らない人種である事には間違いない。
 それを「悪」と非難する人種が、今の時代背景に於いて増殖していない事実を味方に付けたい私でもある。

 ただ残念な事にはこのご時世に於いて、最近“子宝発言”自民党年寄り議員が出没したねえ。
 安倍政権とは、どこまで馬鹿を晒せば気が済むのだろう……

米国の甥がNASAに就職内定、喜ぶべきだろうが…

2018年05月27日 | 仕事・就職
 私には、米国在住の日米ハーフの甥がいる。
 何故ならば、実姉が米国男性と国際結婚にて米国に渡り、その地で甥を産んだからだ。

 ところが、私はこの甥に未だかつて会った事が無い。 
 実姉が大の日本嫌いを貫いているため、米国へ渡った切り一時帰国すら拒み続けている故だ。
 甥に日本語を使用させない教育も徹底していて、甥はせっかくの日米ハーフにもかかわらず日本語を露知らずして米国で育ってきている。


 私も高齢出産だったが、姉は私に輪をかけての超高齢出産、43歳時に甥を米国で産んだ。
 ただ、運命とは分からないものだ。 
 私が我が娘を“超難産”の末に仮死状態で産んだのに対し、姉は“超安産”にて軽々と甥を出産し、翌日には退院して普通に暮らし早期に職場(米国日本総領事館勤務だが)復帰した様子だ。 
 当時は未だ日米間で医療体制や出産に関する捉え方や措置も大きく異なったことだろう。

 いずれにせよ、出産時に“超難産”だったか “超安産”だったかの180度の差異により、その後の子育てに於いて、また我々姉妹はその後の人生に於いて大きく明暗を分ける運命を背負わされたようだ。


 我が娘に関する指導教育に関する詳細記述はここでは省略するが、母親である私が娘のサリバン先生として一生かけて二人三脚で娘と共に歩み続ける覚悟があることは、既に幾度もバックナンバーにて公開している。

 片や米国の甥だが、幼少の頃よりその“神童”ぶりに周囲親族皆が目を細めていた様子だ。
 しかもルックス抜群、17歳時既に身長が189cm(米国男性にしてはそう珍しくもないのだろうが)、その長身を生かしバスケットボールにも励んでいたらしい。
 末はプロバスケットボール選手でミリオネアかと思いきや、その傍ら高校生時代は理系進学を目指し勉学に励み、州立大学へ難なく合格。 
 そして大学にて更なる理系学問勉学に励んだ後の、今回の甥のNASA就職内定の快挙のようだ。


 私がこの速報を知ったのは、郷里高齢者自立支援施設に暮らす実母から本日午前中に電話が入ったことによる。
 それはそれは実母が電話口ではしゃぎつつ、それを私に伝えた。

 実母からの電話に関してだが、私の方から嘆願して決して真夜中の電話は避けて欲しい旨を先だって伝えたばかりだ。
 その案件があった後、しばらく実母からの電話着信を回避出来るものと安堵していたのだが…

 本日実母から掛かって来たのが、米国甥のNASA就職内定の電話……

 これを聞かされて、次女の私が心底喜ぶとでも思ったのだろうか………
 いやもちろん、全身全霊の演技力で「良かったね。〇〇くんがいい職場に就職出来て。」と開口一番実母に伝えたよ。
 そこまでで勘弁して欲しいサリバンの私が歩んで来た厳しい子育ての歴史が、アイツ(実母)には分からないのか??
 と思う暇もなく、実母が電話口ではしゃぎ続ける。 「〇〇くんは、小さい頃から頭のいい子だったのよ。私が米国に行った時にも私が教えた日本の歌を直ぐに覚えたし、その後も拙い日本語力で私に電話をかけて来て喜ばせてくれたのよ!」 「あの子はね。 その後も理系の勉強をとことん頑張ったんだよ。 だからこそ、こうやってNASAに就職出来るんだよ…」
 (それに引き換えあんたの娘は不甲斐ないねえ、とはさすがに実母も言わなかったが、私の耳にはその声が響き渡った…… )
 

 いくら老けたからといって、これだけ自分が産んだ娘の片方である次女の心理を完全無視する実母がこの世に存在して、許されるものなのだろうか??
 しかも、実母が日頃世話になっているのは一生に渡りその次女の私だ。 何か困惑した出来事があると、必ずや次女である私に電話を寄越す。 それは米国在住の長女に関する苦情とて然り!
 何度、米国に住む長女に関する苦悩の程を実母から聞かされ続けていることだろう。

 そこで私も勇気を持って、その思いを電話口の実母に少しだけ説教した。
 「人生って波があるものなのよ。 今は米国の姉も甥の就職内定に浮かれているのだろうが、そのうちまた貴方に電話口で泣きつく時期が訪れるよ。 次女の私としては既に米国の姉一族とは縁を切っている立場だ。 それなのに母の貴方は、いつまでも私に米国の姉の不祥事の際に私に泣きつく癖が治らない。 今後は私が現在置かれている立場にも、少しは配慮してくれないかなあ。」

 ところが、高齢者とは実に困難な相手だ。
 実母が聞いたのは、最後の「私が現在置かれている立場にも少しは配慮してくれないかなあ。」のみだった。
 それに関しては、「よ~~く分かっている。貴方が日々苦労していることは。」と応えるものの…。
 その後の実母からの話題は、すぐさま米国の孫の快挙に戻ってしまった。
 それを私がもう一度聞いてやった後。 「〇〇くんは凄い。私の誇りだ!」と実母からの電話は締めくくられた。


 そんなにも孫の快挙とは、高齢者にとって「誇り」となるものなのか??

 いえいえ、ご自身が直接孫の世話をしている身ならば、その孫の快挙を喜ぶ心理も分からなくはない…

 実母の場合、米国の孫に対しては実質面でも金銭的にも何らの支援もしていない立場。 しかも、その母親である実姉からは「葬式にも帰らない!」と直言されている身にして、何故、実母がこれ程までに孫の快挙を喜ぶのか!??
 実質問題、自分の血を受け継いでいる(だからこそ孫は優秀だ!と信じたい)との理由しか、私には見つからないのだが……

 おそらく「孫」とは一生に渡り縁が無いであろう私にとっては、空虚感漂う実母からの本日の電話だった。

本人同士が幸せならば祝福する、簡単なことなのに…

2018年05月26日 | 時事論評
 2,3週程前(連休中?)の事だっただろうか。


 どうも体調が悪い時期だった。 その日の午後はランニング練習を予定していたのだが、気乗りしないまま……
 自宅のテレビにてNHK昼のニュースとドラマの後、珍しくその時間帯にドラマの再放送が放映された。

 セクシャルマイノリティ(LGBTとも表現されているようだが)を扱ったドラマであり、その予告編を見た記憶はあった。
 元力士の把瑠都が準主役で出演していたのだが、予告編で垣間見るになかなかの演技力の様子だった。

 ここで余談だが。

 今から遡る事数年前に、私は把瑠都が現役時代に “目が合った” ことがある。
 いえいえ、私は決して大相撲ファンという訳ではない。
 娘が未だ高校生時代に美大受験を志望していた頃(その後我が娘は美大予備校のデッサンでつまずき大学の進路を大幅に変更)、サリバンの私は昼間美術の勉強のため、一人で都内の美術館・博物館等に足繁く通った時期があるのだ。
 JR総武線 両国駅間近に両国国技館があり、その隣が江戸東京博物館だ。 この江戸東京博物館が結構私のお気に入りで、3度程鑑賞に行った。 
 その際、お隣の国技館内構内外庭を闊歩している力士達をよく見かけた。 ところが何分相撲ファンではないため、ほとんどは誰が誰だか見分けがつかない。 

 そんな中、把瑠都だけは、よ~~~く分かった! (えーーー!、実物は予想以上に“いい男だねえ!!)などと感動しつつずっと見ていると、把瑠都もそれに気付いた様子でこちらを見てくれるではないか! その時、私以外に誰もいないシチュエーションだ。 
 後で思えば、ひと声かけるとかせめて手を振ればよかったのかもしれないが、そのまま10秒程が経過し把瑠都は国技館の中へ消え去った。

 その把瑠都もこのドラマに出演している事だし、私はその後3時間半程、そのNHKドラマに見入った。


 ここで、セクシャル・マイノリティ(LGBT)に関して以下にネット情報より引用しよう。

 セクシュアル・マイノリティとは、現在の社会のなかで「これが普通」「こうあるべき」だと思われている「性のあり方」に当てはまらない人たちのことを、まとめて指す総称のことです。
 「性のあり方」には、いろいろな側面があります。 生物学的にオスであるかメスであるか(=セックス)という問いにかぎらず、社会的にどのような性役割(=ジェンダー)を持って生きているのか、あるいは誰とどのような恋愛や性愛の関係を持つのか/持たないのか(=セクシュアリティ)、ということなどの「さまざまな要素」が複雑に絡んでいます。
 これらの要素は、個人の意思では変えることができない(「好きでやっているんでしょ」とは言えないような)部分を多く含んでいます。 「性のあり方」は個人の尊厳に根本的に関わってくる問題として、個々人のあり方に目を向ける姿勢が大切です。
 わたしたちの社会には「性のあり方」をめぐる、さまざまな「これが普通」「こうあるべき」といった規範があります。そのなかでも、もっとも強烈なものは、「この社会には男と女しかいない(そして、それは身体の性別で生まれつき定められている)」ということと、「人は誰しも異性を好きになるものだ」というものです。これらの規範からはずれている人たちを、狭義でセクシュアル・マイノリティと呼びます。
 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)


 引き続き、NHKネット情報より上記ドラマに関する文章の一部を以下に引用しておこう。

 2018年3月のプレミアムドラマは、LGBTという現代的かつ繊細な題材でありながら、心がほっこり温まる、今までにないホームドラマをお贈りします。 原作は、田亀源五郎さんの漫画『弟の夫』。男女を問わず幅広い読者層から支持され、2015年文化庁メディア芸術祭でマンガ部門優秀賞を受賞した作品です。
 主人公を演じるのは、佐藤隆太さん。 弟の結婚相手役に、元・大関でタレントの把瑠都さん。 父と幼い娘、そして弟のパートナーだった男性との風変わりな共同生活を通して、「人と人はどこまで分かり合えるのだろうか」「“家族”とは」といったメッセージをさりげなく、でもじんわりと深く、描きます。
 【あらすじ】 小学生の娘を男手ひとつで育てる折口弥一(佐藤隆太)のもとに、突然、髭もじゃの外国人の男が訪ねて来る。弥一には双子の弟・涼二がいたが、ずいぶん前にカナダへ移住し、ほぼ絶縁状態となっていた。 その弟が、亡くなったという。 そして目の前の男性・マイク(把瑠都)は弟の“夫”、つまり同性婚の相手だった―― 
 しばらく弥一の家に滞在することになったマイクだが、弥一はゲイに対する偏見がぬぐえず、どう接していいか戸惑い、いらだってしまう。 しかし、娘といち早く打ちとけるマイクの人柄や、従来の夫婦観・家族観にとらわれない考え方に触れるうち、だんだんと彼を受け入れていく。 離婚した妻をも巻き込み、折口家に新しい“風”が吹き始めるが、それは同時に、周囲の人々との間に波紋を巻き起こす事でもあった。 そしてマイクには、弥一に伝えねばならない亡き涼二との“ある約束”があった・・・
 (以下省略するが、NHKネット情報より引用したもの。)


 一旦、私見に入ろう。

 何ともよく出来たドラマであり、3時間半があっという間に過ぎる程に私は見入ってしまった。
 もともと原作自体が優れているのであろうが、それを演じ抜いた出演役者氏達にも恵まれ、このドラマが描こうとした“セクシャルマイノリティ”の現実像を社会に訴える力は多大だったと私は評価したい。


 私事に入るが。

 実は私は、現実世界にゲイ同士でお付き合いをしているカップルの存在を知っている。
 最初にお会いした時には、二人は友達同士との自己紹介だったが、そのうちそうではない事が判明するのは時間の問題だった。
 ただ私の感覚としては、二人の関係が羨ましい程だった。  何と言っても、二人の信頼関係の程が素晴らしいのだ。 付き合う相手の性別はともかく、これ程までに信頼関係を築けている二者関係を羨やみたくもなるのが人情というものではなかろうか。

 というのも、この私自身が徹底した集団嫌いだ。 出来れは人間関係は1対1でこなしたい思いが昔から根強い人間である。 
 私の場合、決してセクシャルマイノリティ資質は持ち合わせておらず、恋愛関係に於いて絶対的に“男好き”人種であると言い切れる。
 それでも人とお付き合いする場合、男女関係なく“1対1”でとことん語り合える二者関係を昔から現在に至って志向し続けている。


 最後に、セクシャルマイノリティに関する私論でまとめよう。

 セクシャルマイノリティ(LGBT)を議論する場合、特にそれを決して認めない社会風潮が根強い我が国日本の場合、何がネックになるのかといえば。
 NHKドラマが訴えた通り、例えば両者が「婚姻」に至ろうとする場合、それを身近な親族を筆頭として周囲が認めないどころか……。
 その事実に嫌悪感を抱いたり、はたまた好奇心等々歪んだまなざしを一般庶民が向けてしまうところに大いなるネックがあることだろう。

 世界規模で考察するに、今現在セクシャルマイノリティ者同士の婚姻を正式に公認している国家自治体は数多い。 
 それを認可している国家自治体程、その現状に対する市民間での認知・応援が進んでいる実態が読み取れる。

 我が国日本は、その分野では後進国なのであろう。

 ただ、人が人間たる原点に返った場合。 特に恋愛・婚姻に於いては、性別に限らず 「両人が幸せならば周囲が祝福する」。 
 これ、実に簡単なことであり、至って当然のことであるはずだ。

 (えっ?  何?  人口減少問題??  それはまたの機会に回しませんか!?! )

初夏の鎌倉・羽田・川崎方面小旅 ー 川崎工場地帯未来編 ー

2018年05月23日 | 旅行・グルメ
 (写真は、川崎マリエン外観。)



 以下に、ウィキペディア情報より、京浜工業地帯の歴史に関する文面の一部を引用しよう。

 明治30年代から明治40年代にかけて日本の工業は、繊維・製紙・食品などの軽工業から、鉄鋼・造船・機械などの重工業が中心に取って代わり始める。 重工業は軽工業とは違い、広大な敷地や多量の資源が必要となり、それを受け入れ送り出すための港も必要になる。
 東京は、明治期に越中島地先、芝田町(現:芝、田町)地先、芝車町(高輪)など、東京臨海部の埋め立てが始まっていった。 芝浦などの隅田川河口部や、荒川河口部なども次次と埋め立てられていき、運河が掘られていった。
 横浜・川崎は、明治期、横浜の鶴見区に、京浜工業地帯の生みの親と言われる浅野総一郎らが「鶴見埋立組合」(後の東亜建設工業)を設立し事業を開始した。 大正から昭和初期にかけて、今の神奈川区千若町・新浦島町・守屋町、鶴見区生麦・末広町・安善町、川崎市川崎区白石町・浅野町など、横浜・川崎地区に人工島を造成され、同時に運河が掘られた(これらを隔てていた運河は後に埋め立てられ、現在では陸続き)その後も土地の不足により、神奈川区出田町・恵比須町・宝町、鶴見区大黒町・末広町が埋め立てられる。埋め立てを行っている間にも様々な企業が集積し、工業地帯として発展を続けていった。
 大正期には第一次世界大戦の軍需で発展し、戦勝国である日本は好景気になった。この頃から、東京に集中していた工場群が横浜・川崎にも多く進出し始めてきた。 その後関東大震災を契機に、東京から工場が横浜・川崎へ移転し、京浜工業地帯は完全に横浜まで広がった。 震災前、三港周辺の工場群は独立していた。そのため横浜の実業家原三渓などは鶴見に火力発電所を作るために投資し、横浜と川崎を工業地帯化させ、次第に今のような工業地帯となっていった。
 満州事変が起こると、軍需産業がさらに成長した。 特に造船・自動車産業は政府に支援され、1933年には横浜市神奈川区宝町で日産自動車が創立した。 現在みなとみらいとなっているところは、かつて三菱重工業横浜造船所(現・三菱重工業横浜製作所)があった。



 原左都子の私見だが。 


 いやはや、工業地帯、特に京浜工業地帯とは、軽工業から重工業への移行、そして戦争に勝利する手段として活躍して来た歴史を、今更ながら思い起こさせてくれる。

 その目的のために東京湾の埋立て工事が実施され、運河が形成された歴史が感慨深い。

 大正期には第一次世界大戦の軍需で発展し、戦勝国である日本は好景気になった。この頃から東京に集中していた工場群が横浜・川崎にも多く進出し始めてきた、との記述だが。
 川崎工場地帯がその頃から活性化の道程を辿った(辿らざるを得なかった)ものと改めて実感だ。 

 その後関東大震災を契機に、東京から工場が横浜・川崎へ移転し、京浜工業地帯は完全に横浜まで広がった。  震災前は三港周辺の工場群は独立していたとの事。 そうだったんだねえ。


 そして、平成が後1年で終焉しようといている現在尚。

 日本一の工場地帯として君臨している川崎工場地帯の現状、という事なのだろう。
 そんな川崎工場地帯が、歴史を超越して現在の我が国の工業を支え成り立っている事実こそを称えるべきだろう。

 私が先週日曜に観賞した、川崎工場地帯のイルミネーションは実に煌びやかで美しかった!

 その陰で、どれだけの(陰なる)低賃金労働が果たされていることだろう。 
 我が娘などやっとこさ就職が叶った労働現場で同じような下働きをしている身として、何を感じただろうか??

 そこまで言えば、単なるサリバンの“取り越し苦労”かもしれないが。

 おそらく娘とも、他の観光客とも、大いなる“異質”の感慨深い思いを抱いた我が「川崎工場夜景見学」だった事に間違いない。