原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

音楽に勤しむ若者達の多様な個性に興味深々♪

2017年11月30日 | 音楽
 (写真は、現在私がフルートにて練習中の楽曲「涙のトッカータ」の譜面を撮影したもの。 何故譜面が三段かを説明するならば、上記の譜面は我が20代後半期にエレクトーンにて演奏したものを撮影した故だ。 フルートでは最上段の主旋律部分のみを演奏練習中。)


 この秋先に楽器のフルートを衝動買いし、その練習を開始してからほぼ3ヶ月が経過した。

 近い将来、私なりに納得できるフルート音が出せるようになり難なく楽曲演奏可能になった暁には、その演奏映像を公開したいと欲しつつ…


 いや、それなりには上達している。(ホントかよ!??)
 とにかく根っからの音楽好きの身として、下手なりにもフルートにて音楽に触れるだけで十分に嬉しいし楽しい日々を送っている。 
 よくぞまあ還暦過ぎた年齢になって、再び(いや我が人生に於いてフルート経験は中学生時代、そして30代に引き続き3度目だが)フルートを通して音楽に親しもうとの発想がまたもや湧き出たものと感激の日々であり、自分で自分を褒めたい思いだ。

 楽器を衝動買いしてから3ヶ月が経過したが。
 フルートを吹くのが嫌になった日など一日足りとてない。
 日がな一日吹いても飽きないだろうとは思いつつ、何分大都会の集合住宅に住む身だ。 日頃の練習は自宅近くの音楽スタジオに通いつつ、月に一度プロのフルート講師氏の指導に依存している。


 このフルート練習スケジュールが、私に思いもよらなかった別の“楽しみ”をもたらしてくれているのだ!

 まずはプロのフルート講師先生だが。

 若き美人女性先生であられる事はバックナンバーにても記載済みだが。 (当該先生が「原左都子エッセイ集」をお読みになっていない事を願いつつこっそり公開するが。)
 我が家の娘以外にこれ程若き女性と一対一で対応する機会が現在皆無の私にとって、プロ先生と月に一度お会いする事自体が楽しみと言うものだ。
 しかも、とても真面目で厳しい先生でもあられる。 先生が最初の練習時におっしゃったのは、「私が本日指導した内容のうち、三つに一つは次の指導時までに必ずや実行して来て下さい。」
 私に対するその指導内容を今思い出すままにランダムに紹介するならば。 「息をまっすぐ前に吹き出すこと」 「ブリッジアルディーキー(シ♭)の使用に慣れること」 「左手のフルート支え位置を再確認」 「左手小指を立てない!」  (何故これらを記憶しているかと言えば、それを三つの一つとして日々散々練習したからに過ぎない故だが。

 プロ先生が11月のレッスン時に指導して下さったのは。 「一オクターブ高いキーの楽曲で練習して下さい」だったのだ。
 現在、12月のプロ先生指導に向けてそれを頑張っている最中だ。
 その対象として自分で選曲したのが「G線上のアリア」と、冒頭の写真で紹介したG・ローラン作曲の「涙のトッカータ」だ。
 これらの楽曲練習を半月ほど実施した立場にして、プロ先生のプロ力の凄さを実感させられている。 と言うのも、一オクターブ高い楽曲を練習する事により、確実に我がフルート音量が増強し音色が美しくなっている(それは勘違いか??)のを自分自身が実感出来るのだ!
 いやはや若き美人先生にして高齢生徒の指導はさぞや難儀であろうに、練習中に何気なく発するその適切な指導力の素晴らしさを実感させられている有様だ。 


 話題を変えよう。
 
 何分、大都会の集合住宅に於いて本気でフルート練習など叶う訳も無い。
 いや、自宅でもたまには低音域で小さい音量で指使いの練習をする事はあるが、特に一オクターブ高い音量を出さんとすると物凄い音量になることが想像出来る身として、自宅が練習の場にはなり得ない事実は重々把握出来ている。

 それをカバーするべく9月から通っているのが、自宅から徒歩圏内の音楽スタジオだ。 この音楽スタジオ(ロックバンド中心スタジオだが)に週に1,2度の頻度で通い始めて既に3ヶ月が経過した。
 これが我が現在の生活に於いて活力を与えてくれる“ビタミン”的存在とも言えよう。 と言うのも、何と、20代後半くらいと思しき若者男性(仕事の合間にスタジオにて楽器練習をしている事実から、おそらくミュージシャンかその卵と察するが)がいつも受付で出迎えてくれるのだ。
 残念ながら担当者が今まで3回入れ替わったのだが、それらの(実にカッコイイ!!)ミュージシャンらしき若者達を垣間見れるのも、この年齢にて音楽に接している身分の特権ではなかろうか?


 話題を、個人指導のプロ先生に戻そう。

 11月の練習の最後にプロ先生が私に問いかけられた言葉が印象に残っている。
 「私のレッスンが厳しいと生徒さんから言われることがありますが、どうでしょうか?」 
 私応えて、「プロ先生にきちんと指導して頂けなければ、一人よがりの練習になります。 私は今後も先生の指導に期待しております。」
 先生応えて、「〇さん(私のこと)は私の指導が厳しいと思いませんか?」 
 私応えて、「1割は確かに厳しいかもしれませんが、私にとってフルート練習の9割が楽しいです!!」

 これぞ、還暦過ぎた一フルート練習生徒の本音以外の何物でもない!

 プロフルート先生も音楽スタジオのミュージシャン達も、十分に我が音楽趣味に刺激を与えて下さっている事に間違いない! 皆さんが将来に続く音楽の夢に向けて精進している現実に、この年齢で少しでもかかわれる事態を我が幸運としつつ。 
 私はフルート練習努力を続行しながら、若きミュージシャン皆さんの活動を今後も応援し続けるよ!!

恋愛関係の維持に経済観念の合意は重要課題だ

2017年11月28日 | 恋愛・男女関係
 冒頭から、朝日新聞2017.11.18 “悩みのるつぼ”より 「都合の良い女かしら?」と題する40代女性よりの相談内容を要約して以下に紹介しよう。

 40代後半の女性だが。 4歳下の彼と趣味のゴルフがきっかけでお付き合いをして4年になる。 バツイチ同士、私は子育ても終了し、彼も子どもとは年に数回会う程度だ。
 お互い再婚する気はなく、仕事も順調。 それぞれ愛犬とぜいたくな一人暮らしを楽しんでいる。 
 趣味、セックス等々満足な付き合いだが、ただ彼はお金にケチなのか、私の家で食べる食費、酒代、タクシー代は1円も出してくれない。 ゴルフに行くにも私の車で行き、ガソリン代も高速代も出そうかと言ってもくれない。 月一度くらい外食をする時は彼が出してくれるが、誕生日プレゼントをもらったことがない。 友達からは「それじゃあ都合の良い女だよ」と言われている。
 私は彼を尊敬する一方で、上から目線のモラハラ的な態度に疲れ、何度も自分から別れようとした。 しかし、彼の説得とセックスの良さに負け、復縁してしまう。 彼は私を都合の良い女と思っているのか。 フェアなお付き合いをするにはどうしたらよいのか?
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談内容を要約して紹介したもの。)


 一旦、原左都子の意見を書かせてもらおう。

 これ、別れるべきだと私は思うのだが。
 相談者の友人達が言う通り、彼氏は「都合のよい女」として貴女を利用しているだけだよ。

 それ以前の問題として。 どうして相談者は彼氏に対し、「割り勘にしましょう」とか「今日は貴方が出しなさいよ」と一言も言えないのだろうか?  これぞ、両人が対等な付き合いが出来ておらず、女性がお安くあしらわれている証拠ではなかろうか?
 
 ここで私事を持ち出すのも何だが、我が長き独身時代に経験した恋愛は数多いが、こと金銭面に於けるトラブルは皆無だったと言い切れそうだ。
 まず、私に対しカネを支払わせて知らん顔をする男性がただの一人として存在しなかった。 男尊女卑との時代背景的な要因がまだまだ大きかっただけの話かもしれないが。 
 それに比し、今の時代は確かに“男尊女卑”観念が解消されるべく方向に進化しているようにも受け取れる。
 そうだとして、もしも私が独身当時に相談者の立場に直面していたならば、必ずや「割り勘にしましょう」「貴方も出しなさい」と直言出来たであろうことに間違いない。 
 とにもかくにも相談女性の場合、今後思い切って「割り勘にしましょう」「今日は貴方が出しなさい」と直言することから行動するべきだ。

 あるいは、別の手段として。
 彼氏が外食時には自腹を切るのならば、デートは必ずや外食にして、セックスも外部のホテルで実施しては如何だろう? そうすれば自ずと彼氏も金銭負担する気になるのではなかろうか?
 料理嫌いで誉れ高い私が分かりにくいのは、何故相談者が自分の家に彼氏を招いて酒盛りをするのかとの点だ。 お互い離婚経験者のようだが、彼氏側は過去の家庭生活のノリで貴方に接している恐れもある。
 要するに、妻が家で食事の準備をして夫を迎え入れる体制に、彼氏がすっかり慣れ切ってしまっている実態も考えられる。 相談内容に彼氏からの“上から目線” “モラハラ” なる文言が存在する事実に、その雰囲気を感じ取るのだが。

 今後共ご両人に結婚願望が皆無ならば、両者の付き合い方を再考することから出直してよい気もする。
 彼氏に(妻ある生活から一転した)自立心を呼び戻すためにも、相談者は思い切った行動転換を要するのではなかろうか。


 今回の“悩みのるつぼ”回答者は、評論家の岡田斗司夫氏であられる。
 
 その岡田氏が、一部興味深い回答をされているので以下にその部分を紹介しよう。
 視点を変えて、お友達の立場になって考えよう。 50代手前の女友達、それもバツイチの女社長に彼氏ができた。 もう4年続いていて、週に何度もゴルフに行ったり自宅に招いてセックスまでしちゃっている。 しかも、本人も結婚なんかもうたくさん、自由がいい、とか好き勝手なこと言ってくれる。  ねっ。 何かイラっときませんか? その友達には悪気はなくても、あら探ししたくなるのが人情ですよ。
 私(岡田氏)が指摘したい「正しくない行動」とは、友達への相談です。 お互い大人の男女の微妙で複雑な関係に、いくら仲が良くても友達の理解や承諾をもらうのはあきらめましょう。
 (岡田氏には申し訳ないが、ご回答のこの部分のみを紹介させていただいた。)
 
 上記岡田斗司夫氏も、回答の最終項で私と同様のご回答をされている。 それを紹介するならば。
 「ストレスがたまったら、彼支払いの外食でゼイタクしましょう。 心のバランスとは自分の心の中で調節すること。」

 
 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 この相談を読んで、未だ40代とのお互いに若き世代の「離婚後の恋愛」の困難さを思い知る気もする。
 
 回答者であられる岡田氏には申し訳ないが、この年代の女性達とは必ずや同年代の友人女性に相談を持ちかけるのが通常であり、特段間違った行為ではないと私は判断する。
 そうしたところ、「彼氏には都合の良い女と思われているよ」なる反応が押し寄せるのも必然であろう。

 さてさて、この相談女性がいつまで現在の彼氏との関係を続行したいのかが不明だが。
 「結婚願望がない」と言い切っている女性故に、今後もご自身の経済力が続く限り、相手男を取っかえひっかえしつつ恋愛を謳歌すれば済む話であるようにも思うのだが。 
 あるいは意地悪観点からだが、もしかしたら相談女性に相談内で豪語している程の経済力が無いが故に、今後一切自身の経済力を頼らない恋愛相手を欲しているのかもしれない。

 先々押し寄せる真正老後生活の実体も思い浮かばない40代との若き段階で、単に自身の恋愛を正当化せんとして相談した内容かとも推測する。

猟奇残虐事件を引き起こされたアパートオーナーの悲劇

2017年11月25日 | 時事論評
 3年程前まで不動産賃貸を実施していた我が身として、他人事ではない話題にネット情報にて触れた。


 早速、以下に「『座間9遺体事件』のアパート、今後の資産価値は? 不可解な2つの事実と事故物件をめぐる不動産事情 」と題する情報の一部を要約して紹介しよう。

 連日メディアで報道されている「座間市アパートの9人殺害遺棄事件」。 これから徐々に事件の全容は解明されていくだろうが、大家にとっての災難は始まったばかりだ。 アパート外観の映像がさらされ、場所もおおむね特定されている。 入居者がおそれをなして出て行ってしまえば賃料収入は激減し、再募集するにしても家賃の暴落は避けられない。 果して収益物件としての資産価値はどうなるのか、周辺への影響はどうなるのか――。
 実は、このアパートには不可解な事実がいくつかある。 1つは、事件発覚の1ヶ月以上前から売りに出されていたこと。 売り出し価格が4,500万円前後、 表面利回りは7.3%前後で、不動産投資の物件情報サイトに複数の仲介会社が広告を出している。 周辺相場より1~2割高い。 とはいえ、5年前に外壁と屋根のリフォームを実施しているせいか、外観を見る限り築年ほどの古さは感じない。 そのため強気の値付けをしていたのだろうか。
 2つ目のナゾは、物件概要の備考欄に「告知事項あり」と書かれていたこと。 これは仲介会社に対して宅建業法で義務付けられた項目で、契約に先立って説明しなければならない重要事項の一つ。 事件・事故などの心理的瑕疵(欠陥)も含まれる。 ということは、今回の事件とは別に、既に何らかの心理的瑕疵があったことを意味する。 「事故物件・訳あり物件専門」の売買仲介会社によると、自殺や孤独死などの事故物件の場合で、売り値は相場より「2~3割、場合によって5割くらい下がる」と言われる。 しかし、前述の売り出し価格にはこの点は反映されていない。 なんともちぐはぐなのである。
 広告を出していた仲介会社に聞くと、現在は「売り止め」になっている。 ほとぼりが醒めるまで動けないのだろう。 改めて売り出すとしても、これだけの猟奇的事件が起きているのだから価格は大きく下げざるを得ないはず。 収益物件に詳しい不動産コンサルタントのS氏は「更地価格の半値になってもおかしくない」と指摘する。 このアパートの更地=土地だけの価格を試算すると3,000万円程度だ。 その半分として1,500万円。 元の売り出し価格の3分の1である。 それならば、売らずにこのまま賃貸経営を続けるという手もある。
 これだけの事件が起きたのだから、入居者はみな逃げ出してしまったと思うかもしれない。 ところが、意外なことに、管理会社に対して退去の連絡は届いていないという。 生活に便利な立地で、家賃はロフト付きワンルームで2.2万円と安いため、「出て行きたくない」「住み続けたい」という入居者が多いというのだ。 「事故物件でも気にしない」「家賃の低さ優先」という人も、一定程度は存在する。
 周辺の同条件の家賃相場は2万~2.5万円なので、特段このアパートが割安なわけではない。 殺人現場となった部屋の家賃は、リフォームしても半値以下でないと貸せないだろう。 両隣や上下階の部屋も3~5割引き、その他の部屋も2割程度は安くなるケースが珍しくないといわれる。 それでも借り手がいる限り、3分の1以下の価格で叩き売るよりマシかもしれない。 (中略)
 住民の周知性との関連で、近隣の不動産への影響について触れておこう。 事故物件の告知義務は法的には当該物件のみだが、今回のメディア報道で物件周辺の状況も知れ渡っている。 某氏は「このアパートに近い不動産価格も10%程度は下がる可能性がある」と指摘する。 周辺住民にとっては、とんだとばっちりだが、こうした事件・事故は自ら防ぎようがない。 天災とあきらめるしかないのだろうか。
 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)


 私事及び私見に入ろう。

 この私も零細賃貸物件オーナー(マンション一室賃貸)の立場で大失敗をしでかしている。
 3年半程前の事だが、賃貸歴20年にして不覚にも“悪質賃借人”の入居を認めてしまったばかりに大損失を計上するはめとなった。 今後まだまだ賃貸収入が得られたであろう所有物件をオーナーチェンジ物件として安価で売却せざるを得ない損害を背負った我が身としては、まさに他人事ではない。

 それにしても、上記座間市の賃貸物件価格及び賃料が超安価なのにひとまず驚かされる。
 座間市といえば地理的には都心のベットタウンといった位置付けだろうか? それにしても、駅徒歩10分程度の利便性が高そうなアパートにして、一部屋2万の家賃は破格に廉価な気もする。
 だからこそ、猟奇事件加害者も(被害者よりカネを巻き上げつつ)数カ月間殺人実行現場として賃借することが叶ったのだろうか。

 アパート物件そのものも、4500万円との価額で売りに出されていたとのこと。
 都心に住む人間の立場からはその廉価の程が信じ難いのだが、だからこそ、(メディア報道で見聞する限り)当該殺害物件周辺には同じようなアパート物件が建ち並んでいるのだろうか?
 上記情報によれば、表面利回り7.3%前後とのことだが、もしも賃借人に猟奇残虐事件など引き起こされなければ、この辺りのアパート経営とはオーナーにとってはある程度美味しい生業だったのだろうか?


 まったく別の観点からの考察だが。

 これだけ全国各地、いえいえ世界規模で日々残虐な事件・事故が引き起こされる現状下に於いて。
 事件が発生したアパート周囲の賃借人達がその場を去らずに入居し続けるだろう、とのネット考察も十分に理解可能だ。
 今の時代これ程までに事件事故が多発する事実と並行して、それらの事件事故を市民が忘れ去るスピードもそれにも増して猛スピードだ。  それが証拠に、当該座間猟奇残虐事件すら既に国民から忘れ去られているのではあるまいか??
 
 しかも世の中は、人間関係の希薄化も猛スピードで進んでいる。
 何も、せっかく敷金・礼金等々の初期投資をして借りた廉価かつ利便性の高いアパートを去り新たなアパートを見つける手間暇と金銭的損失を出さずとて、このまま住み続けるに限る!、なる結論を導くことこそが経済的との判断も理解可能だ。
 更には室内リフォーム業者の劇的技術邁進により、当該残虐事件発生現場とて、すぐさま新たな賃借人を迎え入れる準備もお手のものだろう。

 周辺地域の不動産価格が低下するとの記述もあるが、それに関しても、世間に於いて風評が忘れ去られる時間の速さにより、しばらくすれば元の価額に戻る事も考えられる。


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 そうだとしても。
 確かに、賃借人にアパート室内にて猟奇残虐事件を引き起こされたオーナーの悲劇の程を察して余りある。
 当該座間アパート物件の場合、事件発生以前に既に売りに出されているとのことだが。 おそらく、しばらくは売却不能なことだろう。


 今回のエッセイは、物件賃貸借を主眼として展開して来たが……。

 それよりも優先するべきは、事件被害者皆様のご冥福をお祈りするべきである事は重々弁えている。
 その意味で、被害者及びご家族の皆様に対して失礼な内容であることをお詫び申し上げたい。
 今後もこの事件に関し、被害者の皆様及びご家族の立場で見守って行きたいものだ。

娘の誕生日に際し何歳になったか答えられないおとぼけ父

2017年11月24日 | 人間関係
 (写真は、昨日勤労感謝の日に誕生日を迎えた娘のお祝い会をした寿司店のカウンターコーナー。)


 ここ何年か、娘の誕生会を決まって上記の寿司屋にて実施している。
 何故ならば高齢者介護施設に住む義母を招いての誕生会のため、義母が行動可能な範囲内での会場に限定される故だ。


さて施設よりタクシーに乗って到着する義母を出迎えるため、タクシー降り場にて義母を待つこととなった我々親子3名だが。

 待ち時間中に、亭主に質問した。 「今日が娘の誕生日だという事を覚えてた?」 亭主応えて、「もちろんだよ!」 (何分“勤労感謝の日”が誕生日のため万人が覚えやすい事は確かだ。

 「じゃあ、娘が今日何歳になったか知っている?」 
 何故亭主にこの質問を投げかけるかに関しては理由がある。 一度足りとて正確に答えられた試しがないためだ。
 記憶が鮮明な例を挙げると、娘9歳の誕生日に際し同様の質問をした私に対し亭主から返された回答とは、「14歳かなあ。」  これには母娘共々仰天させられると同時に一家で笑い転げ、明るい誕生祝となったものだ。
 (ここだけの話だが、我が亭主とは元々“頭が悪いのか?” と思われるふしがある。  それは娘も認めていて、その亭主の弱点を突くことを母娘で楽しめる家庭でもある。 配偶者の立場として贔屓目に見てやるならば、おそらく頭が悪いのではなく亭主にとってはその種の事象は既に超越して二の次でよい課題であり、娘が順調に育っていさえすればそれで十分満足なのだろう。)

 案の上、娘が本日何歳になったかの問いに対する亭主よりの回答とは。 「27歳」。 これにタクシー降車場で大笑いの我が一家だった。



 それにしても。

 娘がある程度成長を遂げるまでは勤労感謝の日の誕生日を迎える都度、母である我が脳裏に出産当日の壮絶な悲劇が走馬灯のごとくリアルに蘇ったものだ。
 救急車で救急搬送された大病院にて、緊急帝王切開手術に耐え抜いた挙句の果てに。 この世に生まれ出た娘が「仮死状態」にて不具合を抱えての出産との予期せぬ事態。

 実際毎年娘の誕生日を迎える都度、我が脳裏には24年前のあの日の救急搬送病院にて娘が「死」から助け出されるべく緊急手術現場の風景しか思い起こせなかったものだ。
 「どうしてこんな事態に陥ってしまったのか??」なる悲壮感と共に、母である私に何某かの罰でもあたったのかとしか思えなかった。

 当時、実母・義母それぞれが未だ年老いていない時代背景下に於いて、毎年娘の誕生日にはご両人から「〇ちゃん、誕生日おめでとう!!」とのメッセージやプレゼントが容赦なく届けられる。 それに表面では母の立場から「ありがとう」と対応しつつ、脳裏では娘の未来を絶望視していた時代でもあった。



 昨日迎えた娘の24歳の誕生日に際し、娘本人の凄まじいばかりの成長力と共に、我がサリバン人生を24年の年月に渡り実行し続けられた達成感を今は抱ける。

 現在に至っては、決して24年前の壮絶な出産時を思い起こす事は無い。(いや、少しはあるかな。)
 
 亭主の天然“おとぼけ”ぶりが、娘出産時の悲劇を思い起こす事態を毎年回避してくれている気もする。


 とにもかくにも、我が娘よ。
 貴女が無事に24歳の誕生日を迎えられた事実を、我々父母をはじめとして親族の皆が祝福してくれていることは確かだ。

若き病院勤務医師達の過労を危惧する

2017年11月21日 | 時事論評
 今朝、朝食を終え、洗濯もの干し作業に取り掛かろうとした時のことだ。

 時刻は、7時40分。  自宅の固定電話が鳴り、聞き慣れない電話番号を告げている。

 (こんな朝早い時間帯に一体誰が何の用だろう? 何処かの業者からだとしても時刻が早過ぎる。)と多少の不信感と共に電話口に出たところ。

 「東大付属病院の〇〇と申します。〇さん(亭主の事)は御在宅でしょうか?」
 
 思い出した。  この医師先生からの電話は過去にも受けている。 本日は亭主が東大病院受診予定だが、それに関して何らかの連絡があるのだろうと推測しつつ。
 後に亭主に確認するとやはりその通りで、本日医師先生に急な手術の予定が入ったため、外来受診を明日に延期して頂けないか?とのわざわざのお尋ねだったようだ。

 それにしても今時の病院とは、このように担当医師本人より患者へわざわざ連絡を頂けるまでに進化を遂げているのかと、実に驚かされる。
 一昔前には絶対に考えられない話だ。
 患者側から何を尋ねたくとて電話は禁止。 必ずや患者本人が辛い身体を引きずって病院まで足を運び受診の手続きをして、長~~~い時間順番待ちをした後にやっとこさ医師の診察を短時間だけ受けるのが落ちだ。
 今回の場合のように担当医師不在の場合も、病院へ行って初めてその事実が判明する。 代替の医師から(さも迷惑気に)「今日は担当医不在のため私が診察しますが、念のため、近いうちにもう一度担当医を受診して下さい。」などと言われたりするのが通常ではなかろうか。 

 亭主に聞くと、この東大病院先生はご自身の携帯からまめに亭主にお電話を掛けて下さるようだ。 そして電話口で、医学専門的内容に関してまでも気軽に相談に乗って下さるらしい。 しかもとても優しい人物像の様子で、あくまでも患者である亭主の意向を優先した対応を心掛けて下さるとのこと。
 何分、基本的に“病院へ行かない主義”の私にして、今時の病院医療の実態をまったく心得ていないのだが。 現在の病院とは、これ程までに(特に医師の姿勢が)進化を遂げているのだろうか? と不可思議感すら抱かされる。


 しかも、この東大付属病院先生。 未だ若き年代の医師の立場で日々激務をこなされている、との亭主の話でもある。
 まさに本日の朝早い時間帯の電話がそれを物語っている。 7時40分以前に病院から緊急手術連絡が入り(あるいは夜勤だったか?)、それに対応するべく亭主に電話をくれた計算になるが。
 いやはや、(特に若き世代の)臨床医の激務の程を思い知らされる。
 

 (先程も記述したが、私自身は日々予防医学に徹し基本的に“病院へ行かない主義”のため、今時の病院風景は亭主や義母の病院付き添いを通してしか把握できない身なのだが。)

 そういえば亭主が2年程前に手術入院した時にも、その付き添いや見舞い等々で今時の病院風景を垣間見る機会があった。
 亭主担当医師より、手術前に家族からの同意書が必要との事で病院へ行ってみると。
 早朝から数多い患者の外来診察をこなし、午後は手術を行った後の我々面談だ。 その間亭主の病室にて待たされ、時刻は既に19時を過ぎていた。  既に外は暗闇の中、診察室にて「家族同意書面作成面談」が実施されたのだが。
 医師先生が1日の激務をこなしお疲れの中、亭主の家族である元医学関係者の私から“容赦なき質疑”が次々と投げかけられる。  そのすべてを受けて立ち、適宜に回答される事実が素晴らしい! 通常は2,30分で終わるであろう面談の所要時間が私の質問のせいで1時間半にも及んだが、最後の最後まで、担当医師先生は納得のいく回答を返して下さった。 お陰で、私は安心して翌日亭主を手術台へ向かわせる事が叶った。
 いやはや、今時の若い世代の臨床医師のタフさに心より脱帽した出来事だった。 その後無事に手術を終えた亭主は、当該タフ医師に入院中ずっと見守って頂きつつ完治の上退院を遂げた。


 ここで、少し古くなるが朝日新聞2017.8.23付社説「医師過労防止 地域医療と両立目指せ」より、一部を要約して以下に紹介しよう。

 東京都内の病院で働いていた研修医が、長時間労働が原因で自殺したとして7月に労災認定された。 5月にも新潟県の病院で同様の労災が認められている。
 医師は、正当な理由がなければ診察や治療を拒めない。 とりわけ病院勤務医の多忙さはよく知られる。 総務省の就業構造基本調査では週の労働時間が60時間を超える人の割合は医師が42%ともっとも高い。 政府は働き方改革として、秋の臨時国会に「最長で付き100時間未満」などと残業を規制する法案を提出し、長時間労働の是正に取り組む方針だ。 ただ、医師については、画一的な規制が地域医療を崩壊させかねないとする医療側に配慮し適用を5年間猶予して、これから残業規制のあり方を議論する事になっている。
 実際、労働基準監督署から長時間労働の是正を求められた病院で、外来の診療時間や診療科目を縮小する動きがある。 医師の過労防止で必要な医療が受けられなくなる事態は避けねばならない。 そのためには、残業規制の強化を実行できる態勢を同時に作っていく必要がある。 
 まずは、病院勤務医の仕事の量を減らすことだ。 医師でなければできないことばかりなのか。 看護師や事務職など、他の職種と仕事をもっと分かち合う余地はあるはずだ。
 (以上、朝日新聞社説より一部を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 (病院好きの)身内達を通しても、現在の病院勤務医の激務の程を知って余りある。

 上記朝日新聞内記述の最後に記されている部分も気になる。
 医師のみならず、その他パラメディカル専門職員をもっと活用する事により医師の職務軽減を図るべきとの提案は、今に始まった事ではなかろう。
 この私とてパラメディカルの国家試験資格を取得している。 もしも還暦過ぎた人材でも良ければ私もその「助っ人」になりたいものだが、現実社会に目を移すと高齢者の人材募集など皆無状態・門前払いが現実だ。

 ただ、これぞ医師会がそれを阻止しているとも推測出来る。 
 パラメディカル人材を筆頭に、今まで医師の専売特許だった医療分野に様々な周辺人材に踏み込まれては、今後更なる医師の失業を煽ると怯えているようにも捉えるのだ。

 それに似た最たる例が、「弁護士」ではなかろうか?
 今まで弁護士の専売特許だった分野に、今や「司法書士」「行政書士」「ファイナンシャル・プランナー」「社会保険労務士」等々の様々な関連資格者が進出し幅を利かせている現実ではなかろうか。
 それにより 「弁護士」の地位がこの国で低下の一途を辿っている事実に関しては、我がエッセイ集バックナンバーにても既に公開している。

 世の中の職業地位確保とは、実に難しい課題だ。
 この世で最高にして最大に人命を預かる職種であろう「医師」に関して、もしも職業的「地位」ではなく「人命」こそを優先する観点に真に立てたならば、自ずと問題解決しそうな気もするが……。