原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「休眠預金」は持ち主へ返す事を最優先するべき!

2012年06月30日 | 時事論評
 朝日新聞本日(6月30日)の一面記事によると、政府は銀行等金融機関で10年以上お金の出し入れがない「休眠口座」の預金を、2014年度より政府基金として組み入れ活用する方針を固めたようだ。


 「休眠預金」に関しては、本エッセイ集今年2月22日付バックナンバー 「“休眠預金”政府基金繰り入れ”って泥棒行為じゃないの?」 に於いても綴っている。
 以下にその内容を少し反復させていただこう。

 銀行預金口座を開設されている国民の皆さんは、誰しも多かれ少なかれ「休眠預金」を手元にお持ちであろう。 原左都子も同様であり、現在使用していない銀行口座通帳が10口座以上に及び、おそらく総額1万円を超える「休眠預金」を抱えている。
 ただ私は決して怠慢で「休眠預金」を放置している訳ではなく、経済観念が鋭い私の場合「休眠預金」を抱えている事に関して常にその認識が脳裏にあり、いつかは全額を取り戻すべく預金口座通帳を手元に保管している。
 ところがバブル経済期及びその崩壊と共に銀行は統廃合を繰り返し、その都度、銀行名が変更に変更を重ねてきている。  今現在原左都子の手元にある「休眠口座」通帳の一部をここで紹介すると、「富士銀行」「第一勧業銀行」「三和銀行」「太陽神戸三井銀行」「さくら銀行」「あさひ銀行」……  これらの銀行が現在如何なる名称に変遷しているのかを皆さんは即答出来るであろうか??  経営法学を心得ている私の場合、銀行の統廃合に関しても一時その趣旨に関して学んだ経験があり、銀行グループに関してある程度の知識がある。 そんな私ですら、今現在手元に保管している通帳を何処の銀行に持参すれば「休眠預金」を返却してもらえるのか、即答は出来ない有様だ。
 国民が「休眠預金」を返却請求しない最大の理由とは、銀行の統廃合により自分が保持している銀行口座の金融機関が現在如何なる銀行名に移り変わったのかが分からないという、とんでもなく単純な事情故ではなかろうか?  そうであるとするならば「休眠預金」を眠らせている最大の責任は金融機関側にあるはずだ。
 私が過去に於いて何故数多くの銀行口座を開設せねばならなかったのかと言うと、勤務先を変えたり転居する都度、職場や子どもの学校の取引銀行口座を開設することを組織から強いられた故である。  国民に「休眠預金」を大量発生させた2つ目の課題として、国民個々人が欲さない口座を企業や公的団体がその開設を“強制”した責任を再追求するべきではあるまいか。  このような事態が何故発生してしまったかに関して原左都子が考察するに、それは金融機関と企業、及び政府・地方自治体との癒着の実態しかあり得ないと結論付けるのだ。
 以上のように分析した場合、今頃になって政府が「休眠預金」を政府基金に繰り入れたいと言い出した事態とは“眉唾もの”としか結論付けられない事となる。 「休眠預金」とは単に金融機関や政府側が身勝手に名付けただけの名称でしかない。 その実態とは持ち主である庶民としては、決して眠らせてなどいない国民個々人が涙ぐましいまでに努力して貯めた財産の一部なのだ!
 まず政府が最優先して取るべき対策とは、法的観点からも銀行等の金融機関へなけなしの金を預けている庶民の権利を守ることではなかろうか? 零細預金者である国民の「休眠預金」返還請求には“多大なる費用が発生する”などと泣き言を言っている場合ではなく、身銭を切ってでも積極的に応じる体制を構築するべきだ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより要約引用)


 冒頭の本日付朝日新聞記事によると、政府基金として繰り入れられた数百億円規模の「休眠預金」は、来たるべく14年の活用スタート時には “ベンチャー企業”や“NPO組織”等 を支援するために利用される方針であるらしい。
 
 ちょっと待って欲しい。
 原左都子の記憶によると、ほんの4ヶ月前の本年2月に政府が表明していた活用先と大幅に異なるぞ。  本年2月時点では、「休眠預金」を東日本大震災被災地企業の支援策に使うと公言したはずだったのに…???

 本日朝日新聞記事内には、上記の通り「活用先としてはベンチャー企業や震災などでお金に困っている企業、NPOなどを想定している」とある。
 これ、国民に対する“目くらませ”と判断されてもやむを得ないのではなかろうか? この私ですら、東日本大震災被災者の皆さんを“直接”支援可能ならば、我が微々たる休眠預金を“差し出してよし”とも考えていた。

 ところが政府が出した結論とは、ベンチャー企業やNPOの支援…… 
 我が歪んだ視点かもしれないが、私はこれらの組織を元々信用していない。 もちろんその一部には優良組織も存在するのだろうが、そのほとんどは脱税(いや失敬、「節税」)等“我が身息災”目的でその種の団体を設立している実態ではあるまいか?
 そんな“得体の知れない組織”に我が休眠預金を差し出せるはずもない。

 朝日新聞記事によると、政府側は対象になる企業や融資の条件、及び管理する機関や運用方法等具体的な制度設計は今年度内に終えるとのことだが、これこそがまた政府と政治家・官僚どもとその種の団体組織との新たな癒着の温床となるのだろうねえ…… 

  
 法治国家である我が国において「休眠預金」の今後の扱いに関しては、とにかく金融機関が一旦所有権者である預金者に返却する対策を政府が構築し返却を実行した上で、その使い道を預金者個々人が吟味決定するのが世の道理と私は捉えている。
 「休眠預金」管理機関は14年度からは新たな組織にするとの政府の意向でもあるようだ。 預金者から払戻し請求があればその組織がそれに応じる方針との事だが、それらの細部に関しては13年度中に法整備して実施するとの朝日新聞報道である。

 「休眠預金」をお持ちの皆さん、早めに金融機関へ出向きご自身の金融資産を取り戻しておかないと、またもや愚かな政府の“無駄な財源”と落ちぶれて今後バブルのごとく消え去るのが関の山ですよ……

一人旅に出たペンギンくんの物語

2012年06月27日 | 時事論評
 (写真は、葛西臨海水族園出口近辺レストラン前に現在掲示されている “脱走フンボルトペンギン” に関する掲示物を、原左都子が昨日撮影したもの。 写真上の左が脱走ペンギン。 いつもながら見辛い点をお詫びします。)



             **************

 ボクは葛西臨海水族園で飼育されているフンボルトペンギンのオスで、まだ1歳なんだ。
 早春3月のある日、ボクは水族園ペンギン飼育空間後部にある大きな人工岩山に登って遊んでたんだよ。
 その岩山の高いところまで登り着いたら、お外が見えたのさ。
 そこには今まで見たこともない大きな大きな海が広がっていたんだ。
 わあ、すごいな~~! あんなところで泳いでみたいな~!
 なんて思っていた途端に足を滑らせて、気がついたらボクは水族園の外の道路に落ちてた…
 体は痛いし、困った事になったなあと思いながらも、海の匂いに誘われてボクは痛い体を引きずりながら海の方向へ急いだのさ。
 そしたらいつもの水槽とは大違いで、海ってほんとにびっくりするぐらい広くて大きいんだよ。
 こんな広いところで泳げる!と感激して、夢中で泳ぎ回ったのさ。
 いつも周囲にいっぱいいる仲間もいないから、飼育員さんがくれるエサの奪い合戦を繰り広げなくていいし、生まれて初めて経験する自由を満喫したよ。
 でもおなかが空いて、ちょっぴり不安になったんだ…。

 そんな時、お魚を発見したよ! パクッと取って食べてみたら、これがいつも飼育員さんがくれるエサよりもずっとずっと新鮮で美味しいんだ! もう癖になっちゃって、それからは狩猟の毎日さ。
 潮に流されて川へも行ったよ。 そしたら、ボクの写真を撮る人が結構いたよ。 写真のモデルになることは水族園で慣れ切ってるから、へいっちゃらってものさ。
 寝るとこもボクなりに見つけて毎日暮らしていたんだけど、ちょっと危ない目にも遭いそうになったよ。 例えばボクより大きなお魚に出会ったり、漁をしている船の網に引っかかりそうになったりとかね…  そんな時には全力で逃げたよ。
 (水族園に戻った後で飼育員さん達が話しているのを聞いたところ)ボクが一人旅に出た辺りは東京湾だったようで、そこは結構海水がきれいなため美味しいお魚がいっぱい取れる環境だったみたいだよ。 
 だから、ボクは元気に海や川で暮らせたのさ。

 でも、さすがに一人旅の寂しさが身にしみ始めたんだ……
 ここでちょっと、左都子お姉ちゃんが写した冒頭の “ヘボい” ピンボケ写真を見てよ。
 上部の写真はボクが水族園に帰った日の5月24日に行徳橋付近で映された様子なんだけど、とても寂しそうでしょ…   
 下の写真は、その情報を得て駆けつけた水族園の係員がボクを連れ戻そうと必死になっている風景だよ。 係員の人もボクがびっくりして再び海に戻らないように時間をかけて少しずつ近づいて来てくれたから、ボクは水族園に帰れたんだ。
 その後、ボクはまた葛西臨海水族園のペンギン飼育空間で元気に過ごしているよ。 
 少し一人旅をしてきた身としては、また集団飼育生活に十分に慣れるまでにしばらく時間がかかるとは思うけど…。

 でも、水族園で飼育されている一ペンギンでありながら、勇敢にも“一人旅”外遊をした立場として少し思うこともあるんだ。
 生物体にとって何が幸せなのだろうかと…
 ボクはたまたま岩山を登り切るという冒険心と体力があったから“一人旅”が出来たと思う。 でも、確かにそれをすることで命の危険もあったよね。
 ボクが旅に出た地域が大都心に位置する海だったし、ボクが元々住んでいた水族園もその地にあったからこそ、係の人達がいろんな情報を収集できてボクは今回葛西臨海水族園に戻れたのだとも思う。
 どうなのだろう。 ボクは水族園に戻れて幸せなのか? それとも“一人旅”で天敵に遭うことも覚悟した人生を全うするべきだったのか??
 左都子お姉ちゃんもよく分からないなどと言いつつ、「悲しいかな、元々水族園で飼育されたことがペンギンくんの人生を決定付けていた」 などと言いたげだけど……

            **************** 



 上記物語は、原左都子が昨日(6月26日)葛西臨海水族園を訪れ “脱走ペンギン” に関して収集した情報、及びその周辺立地を我が目で視察確認して綴ったフィクション内容であるため、事実とは多々異なる点があろう点をお詫びします。


 今回の本エッセイの最後に、葛西臨海水族園館長名で公開している“お詫び”文書の一部を紹介しよう。
 “この度は貴重な飼育動物を脱走させる事となり、深くお詫び申し上げます。 幸いに5月24日、職員の手によって脱走より82日ぶりに無事捕獲する事ができました。…”

 私見の結論を述べるが、人間の勝手な論理や都合により自然界で生き抜いている動植物を捕獲して人工飼育とする場合、せめても日々細心の注意を払ってその責任を全うするのが捕獲された動植物の「命」に報いるということではあるまいか。
 甘い思考の下での人工飼育など、許されるはずもない。

原発再稼働の前に公開するべき事実がある

2012年06月25日 | 時事論評
 先だって、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働が決定されてしまった…。 その作業が順調に進めば、3号機は7月中旬頃、4号機は下旬頃にそれぞれフル稼働出力に達する見込みのようだ。


 原発再稼働反対派の私としては、「原左都子エッセイ集」に於いて早急にこのニュースを取り上げたい思いが山々だった。 
 ところが原発廃止に際して、私なりにもう少し調査検討したい事項があり後回しとなっていた。 そんな我が思いを今回のエッセイの表題とした。(本エッセイ後半部分において、その核心事項を語ります。)

 昨年3月の東日本大震災勃発より、わずか1年少ししか経過していない。 
 福島第一原発1~4号機が巨大津波打撃を直接受けた直後の原子炉メルトダウン水素爆発により、福島県民及び周辺地域へ大規模被爆被害をもたらし、国内は元より世界中を震撼させ世界規模での放射能再考論議を巻き起こしたばかりである。
 我が国が勃発させたレベル7放射能汚染事故により、諸外国では既に原発完全廃止に踏み切った政権もある。


 昨年震災発生後に当時の民主党政権は、大震災発生時総理及び官房長官であった菅氏や枝野氏を中心として、原発停止の方向で動いていたはずだ。 そして国内に50基存在する原発のうち今年5月5日にはようやく「稼働ゼロ」状態に入っていたのに、その状態はわずか2ヶ月で終焉を迎える事となる。

 野田政権下では、福島原発事故など過去の災害なんだからもうそろそろ忘れ去ってしまおうとの魂胆なのだろうか?? 国民も過去のマイナーな出来事にいつまでも心身を痛めていないで、お国の発展のためにどんどん原子炉を燃やして経済力を立て直そうよ、と言いたい様子だが…  
 (話が変わるが、そう言えば消費税も自公民で増税法案を可決しようとして民主党内は現在まさに分裂状態真っ只中だが、自分にとって都合の悪いことは直ぐに忘れ去り、新たな方策を打ち出すのが得意な野田政権の体質を実感させられるねえ…)

 ところが原発被害者の実態とは、例えば埼玉県に避難した福島原発近隣地域よりの避難民の皆さんは未だ帰る場所も仕事も今後の人生すらも失い、失望と共に日々途方に暮れつつ避難生活を余儀なくされている実態だ。
 本日昼のニュースによると、福島県海沖での漁によるタコ等が震災後初めて市場に出回ったとの話題である。 放射線量は基準値以下とのことだが、福島県の漁業に携わる方々には申し訳ないものの、庶民にとってはまだまだ放射能汚染に関する不安材料が大きいのが正直なところだ。
  

 今回の大飯原発再稼働を受け、メディアでは様々な議論が交錯している。

 そんな中、原左都子が共感した見識者のご意見を朝日新聞記事より紹介しよう。
 作家 雨宮処凛氏は「私たちを共犯者にするな」と題して、以下のような見解を述べておられる。 
 野田首相は原発再開の理由を「国民の生活を守るため」と言うが、福島や福井県おおい町で原発を不安に思っている人達に「大多数のために黙って下さい」と脅すようなもので、矛盾をはらんでいる。(以下省略)

 同じ朝日新聞内から次に紹介するのは、経済アナリスト森永卓郎氏の見解である。
 実は原左都子はその表題のみを一見して、最初は“何を馬鹿な事を言ってるんだ!”と怒ったのである。 ところが森永氏の見解を読み進めていくと、元科学者の私として“これはもっと掘り下げて考察するべきだ”と実感させていただける内容だったたのだ。
 それでは、森永卓郎氏の「廃炉のために動かすべきだ」と題する見解を紹介しよう。
 (前半省略) 原発内には使用済核燃料が残されており、定期検査で泊まったままずるずると停止させておくのは危険だ。 計画停電も避けるべきだ。特に中小企業にとって停電のリスクは死活問題だ。 ただ野田首相は原発を今後どうしていくのかの中長期ビジョンを一切示さず、会見で「原発は重要な電源」と発言した。政府は「脱原発依存」と言って来たのに原発をずっと動かそうとしているように思え、国民の多くが騙された気分になるのも仕方ないだろう。
 
 以上、森永氏による見解の後半部分に関しては、同様の私論を上記に述べている。


 今回、私が着目したのは森永氏が「使用済核燃料」に関する見解を述べておられる点である。
 森永氏がおっしゃる通り、原子力発電にかかわる放射能汚染を引き起こす危険性を含有した放射体とは、原子炉稼働により炉心で燃え盛っている原子力体のみではない。「使用済核燃料」及び「使用前核燃料」が同様に存在している事実に遅ればせながら気付かされた私である。

 ここで参考のため、「使用済核燃料」の危険性に関してウィキペディア情報の一部を引用することにする。
 使用済核燃料とは原子炉で使用された後の燃料棒であり、ウラン・プルトニウムを大量に含む高レベル放射性廃棄物である。 使用済核燃料には大量の放射性物質が含まれておりその危険性と処理の困難さのため、その処理が世界的な問題となっている。 特に使用済核燃料からウラン及びプルトニウムを抽出することで核兵器への転用も可能であるため、大量に貯蔵することは好ましくないとされている。 一般的には原子炉で使用された後、冷却するために原子力発電所内にある貯蔵プールで3年~5年ほど保管される。 その後、核燃料サイクルに用いるために再処理工場に輸送されて処理が行われるか、高レベル放射性廃棄物処理場での長期保管が行われる。


 最後に原左都子の見解に移ろう。

 今後もしも、昨年の大震災時のような大津波が再び我が国の各所に林立している原発を襲った場合、その稼働・非稼働の如何にかかわらず「使用済(前)核燃料」貯蔵現場を大津波が破壊しないとも限らない。 
 要するにたとえ原発を稼働していなくとも、一旦原発を建設してしまった国とは「核燃料」を長期に渡り保存することを余儀なくされるという現実を原左都子は訴えたいのだ。
 悲しいかな、電力を一旦原子力に頼った国の運命とは「核燃料」を長期保存する義務を背負うはめとなり、福島原発事故のごとくの災害が再発する危険性と国民は末永く共存するべく宿命にあるとの結論である。

 行政は、原発「核燃料」の存在保管事実に関する国民・市民への説明責任を一切果たしていないと私は捉える。
 原発を稼働しさえしなければ、原子力や放射能に疎い国民はそれで事が収束したと捉えるであろうとの庶民の単純性質を利用して、後の事実は公開を控えた方が得策と行政現場は考えているのではあるまいか?

 それにもまして、今回大飯原発再稼働を決定した現実は許し難き施策である。

老後とは自ずと孤独になるものだけど…

2012年06月23日 | 時事論評
 以前、朝日新聞紙面で 「老後を如何に充実させるか?」 なるテーマの記事を読んだ事がある。
 その記事の結論とは、「人間関係の充実」 だったと記憶している。

 原左都子に言わせてもらうと、これは “現実性に乏し”く“嘘臭い”。 (もしかしたら、老人が置かれている実態を心得ない記者が書いた記事かな?)

 80歳を過ぎた近親の老人達と日頃接する機会がある原左都子は、高齢老人に「人間関係の充実」を望むことの多難さを思い知らされる日々だ。
 体がよぼよぼになり、棺桶に片足を突っ込みつつある老人相手に「人間関係を充実させよ」との要望とは、過酷かつ無責任ではあるまいか??  人間関係の充実とは“人として”心身共に健全であってこそ叶う課題ではなかろうか?

 いや、もしかしたら上記朝日新聞記事に於ける「老後」対象年齢者とは、65歳以上70歳代位の“若き世代のお年寄り”だったのかもしれない。 それならば話は理解できる。 この年代の人々とはまだ“青春真っ盛り”と表現できそうなくらい世のあらゆる場に出没し、(周囲の迷惑も省みず??)その“青春”を謳歌せんとする姿に触れる機会が数多い現世であるからだ。


 原左都子の私事に入るが、昨秋80歳を迎えた我が義母の「介護付マンション」入居がついに決定した。
 義母が足を痛めたがために、ここ数年で驚くべく急激に老け込んだ話題に関しては2012年3月春分の日に綴ったバックナンバー 「先祖の供養より遺族の介護が先決問題」に於いて紹介した。

 少し上記バックナンバーを振り返らせて頂く事にしよう。
 春分の日の彼岸中日に際し、私は久しぶりに嫁ぎ先の墓参りに参上する事と相成った。
 もう既に他界した義父を始めとする他の先代先祖に対しては、遺族とは墓前で手を合わせて少々の涙でも流しつつ拝めば、それで済ませられるから気楽なものである。
 一方、年老いて生きている遺族(すなわち義母)の対策とは如何にあるべきなのか? それを我が身として痛感させられたのが、昨日の墓参りであった。
 と言うのも、義母がしばらく会わないうちに急激に老いぼれて、今や歩行が困難状態にまで落ちぶれていたのだ…  2ヶ月に一度程の会合を持っている我が家と義母だが、いつも義母が招待してくれる食事処で座って飲み食いする会合を重ね、その後も義母はタクシーを利用して帰宅していたため、不覚にもその足の衰えにほとんど気付かないでいた…。
 義母自身はよく電話にて「そろそろケアつき老人施設に入った方がいいかも」と我々一家に訴えていたのに対し、「そんなに急ぐ必要はないですよ」などと適当に返していた私だが、昨日一緒に墓参りをしてそうは言っていられない事態に直面させられ驚いた始末だ。 墓地への行き帰りの道中、義母は公道を一人で歩行することすら困難状態にまで成り下がっていたのだ。
 こんな身で日常生活を一通りこなすのは到底無理と判断した私は、今後の対策をそろそろ練るべき旨を勇気を持って義母に直言した。
 今までなら、「何言ってるの!私はまだ一人で生きていける!」と反論するはずの気丈な義母が、「もう本気でケアつき老人施設へ入居したい」と改めて訴えてくる。
 こうなるともう潮時、私の身にもいよいよ老人介護対応の課題が直撃することになりそうだ。
 先祖の墓のあり方など“待った”をかけられる余裕期間が長いし二の次でよいと思うが、親族の老人介護対応とは今後の命の短小さを慮った場合、“待った”がかけられない切羽詰まった課題であるのが現実ではなかろうか?
 「介護制度」の導入により、自宅で老人の介護をする人は減少しているのかもしれない。  それでも我が実母も含めて身近に存在する体の自由がままならない老人達が、出来る限り幸せな余生を送って欲しい思いには変わりない。
 年老いた親の介護を自宅で親族が引き受けるのが一番幸せとの、ある意味で次世代にとって“脅迫的親孝行押付け道義”世論も今となっては既に過去の所産であろう。  そんな時代背景を勘案しつつ、我が親族老人達の今後一番の幸せを願い、生きる場や方策を共に模索したいものである。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより引用)


 我が義母の場合、老後介護が必要になった場合は「介護付マンション」に入居したい意思であることを元々親族に告げていた。
 ところが3月の春分の日以降も、義母の意思決定が幾度となく右往左往する事態に直面する。 「やはり、まだ頑張れるうちは自宅にいたい」 「いや、介護マンションに入居した方が安心」 「……」 (義母の複雑な心境の程も理解可能だが…)
 そして3ヶ月の月日を経て、ついに義母は自らケアマンション入居を決定したのである。

 先日、義母自らが“嫁”の立場の私宛に電話をくれ、その意向を伝えてくれた。
 義母曰く、「私は元々80歳を過ぎたらいつ死んでもいいと思っていたから、(世捨て人の心境で)今回ケアマンション入居の決断をした。 あんな所に入ってもこれから楽しく過ごせる訳などない事は十分理解できている。 それでも、もう決断するべき時だと思った。 私の事などどうでもよいから、どうか○子さん(私の事)には息子(我が亭主)の事をよろしくお願いしたい。 病人(亭主は数年前より鬱病を患っている)を抱えて○子さん(私)に多大なご迷惑をかけている事が一番の心残りだ…」

 それに答えて私曰く、「亭主の件は承知しましたが、何をおっしゃいますやら。 お義母さんは女実業家として先祖代々続く事業を大きくされた方じゃないですか。 加えてお綺麗でモテモテのお義母さんですから、まだまだ人との出会いも沢山ありますよ。」 そう返しながら義母の年齢と体の不具合を慮り、自分の発言の無責任さを痛感した私でもあった…

 参考のため、我が義母が入居する「介護付マンション」とは比較的恵まれた位置付けにあるのかもしれない。 入居時一時金1,000万円程度に加えて、月々の定額基本サービス料が30万円弱とのことだ。 ただしこれはあくまでも基本料金であり、常駐している医療関係者やケアスタッフに付加的サービスをお願いする都度、追加料金が発生するとのことである。 一日3度の食事と定期健診等は基本料金内、後は館内の諸施設を利用するなり外出するなり個人が自由に過ごしてよいらしい。

 「そうは言われたって…」と母は繰り返す。 「そこで素晴らしい人に出会える訳もないだろうし、結局死ぬのを待つだけなのは分かり切っている…」
 「私もできるだけお義母さんに会いに行かせて頂きますし、今までのように外でもお会いしましょうよ!」と応える私に対し、 言葉少なにただ 「ありがとう」 と返してくる義母だった… 


 我が身に滲みる思いだ…

 今後「老後」へと突入する原左都子だが、現在は“お抱え家庭教師”家業全う中であり、我が子将来の自立に向けまだまだ予断ならない現状である。  
 それをクリアして娘が無事にこの世に自立できた(できるのか?)暁には、私は年齢にかかわらず、持ち前の“ミーちゃんハーちゃん”気質を活かしつつこの世を渡って行けそうにも感じている。

 ただ我が義母のごとく体の一部に決定的な不具合が生じた場合、人間とは突然気弱になることも大いに想像可能なのだ。 そうなった場合、人間関係に於いてどうしても上下関係が生じてしまう事は不本意ながらも否めない事実であろう。
 その現実に耐えられるかどうか、今回我が義母を通じて痛いほど学習させてもらえる気がする。

白目が突然真っ赤に染まった経験ないですか?

2012年06月20日 | 医学・医療・介護
 この表題の症状を 「結膜下出血」 と呼ぶらしい。

 この症状名を私が知ったのは、6月11日付朝日新聞「体とこころの通信簿」のコーナー記事を読んだ後の事だった。


 実は、原左都子も表題の“衝撃的”とも表現できる突然の症状を今まで4度も経験している。

 一番最初は2年程前の秋の事であった。
 朝いつものように起床し顔を洗おうとして鏡を覗いた私は 「ギョエーーー!!」 と叫びたい程に仰天した。 左目外側半分の白目部分が血で真っ赤に染まっているではないか!! まだまだ外見にこだわり美容を重要課題と位置づけている私にとっては、実にショッキングな出来事だった。
 詳しく説明すると、朝の時点においては白目の血眼の中にまだしも白い部分が覗いていた。 ところが時間が経過すると共に我が白目は真っ赤な血で占領され左目の左側半分がすべて「真っ赤」状態となった。

 元医学関係者の私だが、眼科分野はさほど心得ていないのが事実だ。 
 そんな中冷静に諸症状を考察してみるに、ゾンビのごとくの外見の凄まじさに比して、不思議と局所部の「痛み」や「熱感」や「痒み」等の症状は一切ない。 体熱を測定してみても平熱状態だ。 その他の体調も特にいつもと変化はない。
 その後起きてきた我が家族にその「目」を見せると、いつもは(朝寝起きでなくとも)ボーっとしていると表現するのが適切な“おっとり系”気質の家族がやはり 「ギョエーー!」 と驚くのである。 決して私の体の心配などしもした事もない身内ですら、「今日すぐに眼科を受診するべきだ!」と言う。
 「え~~~。 病院に行く趣味はないよ~~。 そのうち消えるからしばらく様子を見る事にする。」 と答えつつも、このゾンビの外見では外に出ることもままならないなあ、と困り果てた原左都子である。

 そういう時に限って人に会わねばならない機会が多発するのが“世の常”と言うものだ。 その時会うであろう相手に対し、我が「赤目」に関する適切な説明責任があると心得て不覚にも眼科を受診した私だ。

 私が受診した眼科外来では、医師受診の前に女性職員が待合室を回り患者相手に“受診理由”等の簡単な事前問診をしに来る。 私の番になり、女性職員が我が「赤目」を見て明らかに“仰天!”したのを私は嗅ぎ取った。 職員尋ねて曰く「何かに目をぶつけましたか??」(あるいは「誰かに殴り飛ばされましたか?」とは問わなかったが、そんな切羽詰まった雰囲気を女性職員から感じ取った私だ。 なんせ、今時DV多いからねえ……)
 「いえ、何もなかったのに今朝起きたら突然この目になっていたのです。」と訴える私だが、どうも女性職員は疑っている様子だ…
 その後諸検査の後、やっと眼科医受診と相成った。

 その場で眼底検査等をしつつ私のカルテを眺めた医師曰く、 「老化現象でしょう」。
 これも言われたくない思いだが、我が年齢を勘案した場合そういう回答となろう事は理解範囲内だ。  要するに結膜毛細管が「動脈硬化」を起こして白目部分に内出血した結果が“突然の赤目”だったのだ。
 今回の我が毛細管出血は相当の多量だったようで「“全治(すなわち通常の白目に戻る)”まで2,3週間かかるかもしれないが、その間はサングラスでもかけて外出されたらどうですか?」などとアドバイスしてくれるところを見ると、結構良心的な眼科医さんだんだなあ~、と感じつつ安心して帰宅した私だ。

 その後医師の指示通り外ではサングラス生活となった私だが、ここでいつもは経験しない社会の反応に出遭う事と相成る。
 サングラススタイルで電車に乗ったところ、若きカップルの男性が「こんな昼間にサングラスをかけるのはどうかなあ~~」云々と女性に話しかけるではないか!  (ちょっと待って。 私は目を病んでいるから仕方なくサングラスをかけているのよ!)とも言えず、電車の中で身を小さくするしかなかったものだ…。 
 あるいは目的地に着いてサングラスを外すと、やはり「その目、一体どうしたんですか!?!」の質問攻めである。 「老化現象…」と説明しても、どうも疑いの視線なのだ。 (この人亭主からDV状態かな?) (酔っ払って転んだんじゃないの?) 的な視線を浴びねばならない程に、我が白目が「真っ赤」状態である事は私も鏡を見て心得ているものの……

 二度目にこの症状が出たのは、折りしも我が子の高校個人面談のその日の事だった。
 自宅から1時間程交通手段に頼って行く場に我が娘の高校が位置していたのだが、午後その準備のためお化粧をしようとして鏡に向かったところ、またもや左目が“真っ赤”状態である。
 (よりにもよって、何でこんな時に!??) と怒りにも近い思いで我が目を恨みつつ娘の高校へ向かったところ、そういう時に限って日頃会わない諸先生方に会うはめとなるものだ。 まさかさすがに「その目、どうしたのですか?」と尋ねる教師はいないが、やはり担任をはじめとする教師の皆さん 「ギョエー!!」 状態であることが見て取れるのだ…。  (これで娘の大学推薦をはずしたか…)とも思ったものだが、結果としてはその後無事推薦が取れた事に関しては既にバックナンバーで綴っている。 (それにしても高齢出産年寄り母とは、自分では意図していない妙なところで苦労する事を実感である……)


 さて、それでは最後に「結膜下出血」とは如何なる症状及び医学的所見であるかに関して、冒頭の朝日新聞記事を参照しつつ紹介することにしよう。

 「結膜下出血」とは、皆さんが既によく経験している「結膜充血」とはまったく異なる機序の症状であることから説明する。 
 「充血」とは血管が拡張する現象であるのに対して、「出血」とはその名の通り血管が破裂してその中身の血液が結膜下に出る現象なのだ。 それ故に「結膜充血」と「結膜下出血」ではその外見的様相も大幅に異なる。「充血」の場合は白目部分が“赤くなる”程度だが、「出血」の場合は“真っ赤っ赤”状態となるのだ。  では、出血症状が何故に突然出現するのかと言えば、「外傷」によらない場合の多くが「加齢による動脈硬化」がもたらす現象であるとのことだ。

 ただし、若い世代に於いても飲み過ぎや過度の運動をした場合、この症状を起こす事例もあるらしい。 「結膜下出血」自体には問題がないケースがほとんどだが、日頃の生活習慣がもたらしたサインと受け止めてはどうか、なる専門家氏よりのアドバイスもある。

 それにしても、既に「結膜下出血」適齢期に位置しているらしい原左都子から訴えたいことがある。
 世の中、サングラスをかけていても皆が皆怪しい人物ではなく、単に目を患っている等の身体的事情によるのかもしれないよ~。
 加えて白目を真っ赤に染めている人に出会っても、それはDVや怪我による訳ではなく、単なる「老化現象」の場合もある事実も知って欲しい思いでもあるしね……