原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「“レベル6”汚染列島でどう生き延びようか?」

2019年09月30日 | 時事論評

 昨日の本エッセイ集に於いて、福島原発汚染水処理問題を取り上げた。

 この問題を検討するに当たり、2011.03勃発の東日本大震災・福島原発大事故を振り返る必然性があろうかと考える。

 あの大震災直後に、“世も末”感すら抱かされる福島原発事故に心底震撼させられた私は、日々当該大事故に関するエッセイを綴り公開したものだ。

 本日はそれらのエッセイの中で、比較的“読み易い”と判断する表題のエッセイ全文を、頂戴したコメントと共に以下に再掲載させていただこう。

 

 「スーパーの水」をご存知だろうか?

 我が家の近くのスーパーマーケットにも、この「スーパーの水」の浄水器が設置されている。 そのシステムとは、初期投資として水を運ぶ容器(500円前後のようだが)のみを購入すれば、その後浄水器から欲しいだけ水を無料で持ち帰れるということのようだ。

 我が家はこの「スーパーの水」を利用していない。 なぜならば、設置してある浄水機器が果たして如何なる科学的メカニズムで浄水を行っているのかに関して、多少の胡散臭さを抱いているのが第一の理由である。 加えて、水を運ぶ容器の家庭での保管の如何によれば衛生面でも問題があろうと判断しているためである。 (それに、3、4㎏の水を自宅まで持ち帰るのも重いしね…)

 昨日スーパーへ行った際、この浄水器から水を持ち帰ろうとしている小さい子どもを連れた若い夫婦に出くわした。
 ご夫婦曰く、「この水は放射性物質が含まれている危険性があるから小さい子どもには飲ませないように、との注意書きが貼ってあるよ。」 「そう言われても、水のペットボトルもただの1本の在庫もないし、子どもには一体何を飲ませればいいのだろうね?」
 要するに、「スーパーの水」とは水道水から水を引き入れて浄水するシステムであるため、放射能を除去する機能など一切ないのだ。 
 この夫婦のごとく小さい子どもさんを抱える家庭においては、まさに生命を支える最低限である安全な「水」の確保においても危機にさらされていることを実感させられる。

 我が家とて同様である。
 水道水にヨウ素131やセシウム134等が含まれていると言われたところで、我が家には水ペットボトル1本の買い置きもない。 生命体とは水を摂取することなく生き延びられるはずもないため、放射能入りの水道水を日々摂取する他に方策はない。

 この期に及んで尚、政府や報道は「ヨウ素は半減期が短いこともあり成人には影響は出ない。セシウムも一旦体内に取り込まれてもそのほとんどが排出されるため問題ない」との“安全神話”を繰り返すばかりである。

 元科学者の端くれである原左都子も、ある程度のことは把握できているつもりである。 その上で、政府の判断や報道の信憑性についてやはり疑義を抱かざるを得ないのだ。
 例えば水道水汚染状況の一部である半減期が30年のセシウム134の“安全性”に関しては、上記のごとくの“専門家”とやらの見解を報道で見聞したが、それは一体如何なる研究データに基づいての発言であるのか?  報道機関が自らの報道の信憑性を高めたいのならば、少なくともそのデータの出展元(如何なる科学誌の何年度の研究結果より引用等)を視聴者に対して明確にするべきである。 単にメディアが簡単に入手出来る国内提携大学研究室等の一研究結果から得た報道を、報道機関自らの検証もなく国民に発して「安全宣言」を施すことの罪の深さを、報道に係わる科学者たる者少しは思い知るべきではないのか??
 ここは、少しは“世界標準”も視野に入れて国民を指導する体制に入るべきであろう。

 その世界標準に話を移そう。
 昨日(3月25日)の朝日新聞朝刊報道によると、福島第一原発事故は、放出された放射能の推定量から見て国際評価尺度で大事故にあたる「レベル6」に相当することが判明している。 既に米スリーマイル島原発事故の規模を上回り、チェルノブイリ原発事故に匹敵する土壌汚染も国内で見つかっている。

 福島原発3号機タービン建屋において冷却装置の復旧に向けて作業をしていた東電協力会社の作業員が、原子炉からある程度離れている建屋において通常の1万倍の放射能が検出される中足に被爆し“β線熱傷”を患ったとのことである。 このニュースの続報によると、作業員達が3号機タービン建屋に入るにあたり、事前に室内の放射線量が測定されていなかったとのお粗末さである。
 この不祥事から推測して、どうやら今回の福島第一原発事故に対する国や東電の対応は、原左都子が30年程前に医学関係の仕事で放射能を取り扱っていた頃の放射能管理や職員の健康維持に関する“ずさん”のレベルから一切進化していないと判断できるのではあるまいか??  もしそうであるならば、国内の何処かの放射性物質取扱機関が国や東電に対して適切な指導を出来ないものかとも考慮する私なのだが…

 世界評価尺度では「レベル6」に相当すると判断されたにもかかわらず、国と報道機関はその無知さ故に、今尚国民に対して“安全宣言”を発するしか方策が取れない辛い状況なのであろう。

 「信じるものは救われる」との論理が成り立たないのが、放射能汚染の現状ではなかろうか?
 確かにとりあえずの人体的ダメージに関しては「信じるものは救われる」のが微量放射線の影響と言うものであろう。(当エッセイ集のバックナンバーでも再三訴えているが。)
 放射能には色も匂いもなければ、その被爆を微量受けたところでさしあたって痛くも痒くもないしね~。 (この放射能の特質を国や報道がいい事にして“安全神話”を国民に吹聴し続けていることに、少しは国民が気付こうではないか!)

 ところが、土壌においても、そこで育った野菜類やそれを食した乳牛等全てにおいても通常の放射線量を大幅に超過しているからこそ、さすがに政府もそれらの農産物に関しては出荷制限を強制しているのだ。
 さらに、福島原発近くの海水中では原発から流れ出た放射線量がヨウ素131に関しては通常の1250倍、セシウム134は117倍との信じられない程の高値である。 これに関しても、“そのうち海水で希釈されるから今現在は影響のない数値である”との東電の“責任逃れ”報道に及んでは呆れ果てる思いの原左都子である。 (海を隔てた海外への影響にも配慮して言葉を選べないものなのか…)

 いえいえ、既に平均寿命の半ばを大幅に過ぎている原左都子としては、今回の大震災が引き起こした原発事故が原因で何十年か後に再び癌を罹患して死に至ろうとて、私なりの“死生観”に基づきそれはそれで受け入れようとの覚悟は出来ている。

 ただ、今回の福島原発事故はやはり“人災”の観点が否めないのではなかろうか?
 それだからこそ、九州地方における原発再起動中止のみならず、タイ等海外においても今後の原発建設をしばらく延期する計画を打ち出している。

 今回の福島原発事故が国際判断において「レベル6」までの危険性の評価をやむなくされたこととは、特に先進国に生きる現代の人類が(原子力に限らず)電力に頼り過ぎた過去の科学面文化面での進化の過程における“大いなる過ち”を警告しているとも原左都子は受け取るのだ。

 日本を含めた世界は今こそこの「レベル6」原発事故をきっかけとして、人類の発展の原点にまで遡って粛々と歩み直すべきなのではなかろか?  

4 Comments

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水は心配です (ドカドン)
2011-03-27 00:21:00
原発の動向に、不安を感じています。
連日連夜の放水でも、火事の様には鎮火しませんね!
少ない燃料から莫大なエネルギーを取り出せる原子力は、資源の少ない日本には、ベターな発電方法です。
だから、原発の安全性を高める事を、私は見守って行きたいのです。
水の問題は、難しい・・・、被災地優先は理解できますが、エゴと親心の間で揺れます。
選択肢は、たくさんあると思います。
放射物質を含んだ水を、ろ過させるのに活性炭が有効との情報もあります。
誰もがみんな安心できる水を飲みたいですね!
 
ドカドンさん、福島原発事故を沈静させることが先決問題と思います。 (原左都子)
2011-03-27 15:29:14
やはり今は今回の福島第一原発事故を受けて、世界規模で原発の建設や再起動を自粛するべき時期だと私は思います。
現在は福島原発の原子炉が破損しているのかどうかの検証もままならない状況ですが、とにかく、大量の放射能を放出し続ける事を阻止することに全力を挙げて欲しいものです。
早期にそれを実現するためには、他国の専門機関の協力を得ることも重要でしょう。水に関しては既に覚悟を決めて水道水を飲んでいる我が一家ですが、飲み水に限らず生活用水すべてに放射能が含まれている訳ですから、逃げ道がないですね。
などと言いつつ、日々東京都の外気中の放射能や風向き等の情報をチェックしながら、1時間限定でベランダに布団も干している私です。(人間バランスが大事と心得ている私は、放射能とのバランスを考慮しつつ、布団を短時間なりとも紫外線殺菌したいのです…)
 
風評被害 (issei)
2011-03-27 18:27:40
農産物、水道に被害が及び政府は「安全です」の一点張りですが一日遅れのデータを公表して安全と言われても困ります。もし、安全でなかったら前日飲んだ水はどうすれば良いのでしょう。
風評被害が問題になっていますが、それを恐れる余り情報の隠蔽をされてはたまりません。隠蔽が得意な方が閣内に復帰しているので心配です。
近ごろ評論家も安全を言い始めています。それも不自然さが漂ってきます。疑心暗鬼という奴です。
JAXAなどにもっと安全な放射能防護服はないのでしょうか。あの白い防護服は華奢に見えて仕方が有りません。せいぜい鳥インフルエンザぐらいにしか対応していない様に思えてなりません。国を挙げて対応して欲しいです。
2号機は原子炉が破損している模様ですが、3号機は不明との事、しかし爆発による落下物の影響でしょうか、タービン建屋の天井の穴は結構大きいので室内の損傷を疑ってしまいます。
 
isseiさん、風評被害の範囲をはるかに超える放射線量を撒き散らしておきながら… (原左都子)
2011-03-28 08:27:14
まったくもってとんでもない話です。
2号機内では通常の1000万倍の放射線量を記録しているというのに、風評被害もへったくれもあったものではありません。
政府、東電は果たして何のために白を切り通して安全宣言を繰り返すのか、それは隠蔽目的か、あるいは単に無知なのか、放射線量がここまで高値であることが報道される今となってはその意図が分からなくなります。
isseiさんが書かれているように、あの貧弱な防護服で高線量の中作業をさせているとすると、実は単に無知のなせる業なのかとも思えてしまいます。
政府は今回の原発事故により将来ある程度の確率で国民を失う事もやむなし、と結論付けた上で“安全宣言”を繰り返しているとも受け取れます。 が、それ以前の癌の多発等混乱状態パニックを想像すると怖くもあります。
国内外の専門機関の指揮、アドバイスを早急に受けて、一刻も早く放射能放出阻止して欲しいものです。
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 以上、2011年3月公開の「原左都子エッセイ集」バックナンバーより「福島原発事故」関連のエッセイおよびコメント群を再掲載させていただいた。
 (行間が不規則な点、お詫び申し上げます。 我が編集画面においては整然としているのに、何故か公開画面はいくら編集画面をいじくってもランダムなままです… )

福島原発汚染水問題、どう処理されようとしているか知ってる?

2019年09月29日 | 時事論評

 (写真は、左横に記載されている通り、東京電力福島第一原発の敷地内に並ぶ処理済の汚染水を保管するタンク群。 朝日新聞2019.09.26付夕刊記事より転載したもの。)

 

 「思い切って放出して、希釈するほかにあまり選択肢がないな。」 

 と、海への放出を切り出したのは前環境相の原田義昭氏が退任直前のお言葉。  原田氏は、「安全性、科学性からすれば大丈夫」とまで言及したらしい。

 大阪湾への放出を言い出す首長もいるとの事だ。

 

 早速、当該朝日新聞記事「科学 振りかざすのでなく」より続きの記載を以下に要約引用しよう。

 敷地にたまり続けるタンクの水をどうするか。 東電福島第一原発で汚染水を浄化処理した後の水の扱いが、にわかに注目を集めている。

 いくら浄化しても、水の形で存在する放射性物質トリチウムを分離するのは難しい。 トリチウム自体は世界各国の原発や再処理工場からも、濃度を管理して海に放出されている。 科学的に問題無いなら出せばいい、との声も上がる。

 しかし、これまでの経緯を振り返ると、唐突な政治家の発言には戸惑いを覚えざるを得ない。 

 他原発と違うのは、事故を起こした原発であることだ。 高濃度汚染水が流出し、実際に海洋汚染を招いた。 比較的低濃度の汚染水を意図的に海に放出し、国内外から批判を浴びた。

 原子炉建屋には今尚地下水が流れ込み続ける。 汚染水をためるタンクは際限なく増え(上記写真参照)、水漏れも相次いだ。 排水路からの汚染雨水流出を東電が公表しなかったことも問題になった。 (中略) 

 トリチウムを含む水の扱いを検討する経済産業省の小委員会が始まったのは3年前。 しかし1年前、浄化した水の8割超で、他の放射性物質が放水基準を超えて残っていたことが明るみに出た。  (中略)  3年後にタンクが満杯になる見通しを表明した今年8月の小委でも、東電は残る土地の全体像を示さず批判を浴びた。 (中略)

 限られた委員の議論に委ね、お墨付きを得るこの国の旧来の進め方にも限界が見える。 政治家が汗をかくべきは、社会全体が前提となる情報を十分に共有し、地道な議論を元に合意を目指せる枠組みと時間をつくりだすことではないか。

 (以上、朝日新聞記事より途中略しつつ引用したもの。)

 

 私論でまとめよう。

 東日本大震災・福島第一原発事故は発生から8年半が経過した今に至って、未だ何ら解決がなされていない厳しい現状を思い知らされる。 

 この“タンク映像”はニュース報道等を通して幾度となく見てきたが、その都度先の見えない原発事故の後処理問題に絶望感すら抱かされてきた。

 それでも安倍晋三氏は高らかに「福島安全宣言」をして、国際五輪委員会へカネまで配り、2020東京五輪開催を力づくでもぎ取った。  安全宣言をしたのならば、少なくとも2020年までに少しでも汚染水処理等を我が事として捉え、その解決策に少しは尽力すればよかったものを…

 閣僚どもも、どうしたと言いたいんだ??

 その処理の現状を問われて唐突に無責任発言を繰り返す始末。 「海に流しても大丈夫」だって?!  現地漁師皆さんの苦悩を推し量ってものを言っているのか?!?

 あるいは、これがために韓国との貿易問題の火種の元のひとつになっている現実を如何に捉えているのか?!

 

 私事を述べると、私は元医学関係者であり業務上放射性同位元素を取り扱った時期もあった。 40歳時に皮膚癌に罹患した際、あの時、放射性同位元素に触れたがために今になって予期せぬ癌に罹患してしまったのだろうか?と考察したものだ。

 (参考だが、その後の我が再考察によれば、癌罹患部が頭頂部皮膚だったことを勘案するならば、同じく医学研究の一端として、無菌作業中に頭部に紫外線が常時当たっていた事実こそがその原因であろうと結論付けている。 当時の医学研究現場に於ける放射性同位元素や紫外線の取り扱いは、未だ時代背景的に至ってずさんだったと言えるであろう。 今では、医学研究分野もそれらの取り扱いに関して目覚ましい進化を遂げている事と信じたい。)

 話題が私事にずれてしまったことをお詫びする…

 

 最後に、現環境大臣の小泉進次郎さんへ。

 貴方は先だって開催された「環境国際会議」にて、とんでもなく“すべった発言”を世界中に披露してしまったようだが。

 そんな事では貴方の事を“目の上のたんこぶ”と捉え、潰したい意向の安倍氏の“かも”と成り下がるだけだよ。

 環境大臣としてきちんと勉強してから国際会議に臨むべきだったのに、実に残念だ…


「学問・研究カテゴリー」を集中的に閲覧頂きありがとうございました。

2019年09月28日 | 学問・研究

 (写真は、本エッセイ集「学問・研究カテゴリー」内に公開している「左都子コレクション -大学(大学院)の講義ノート編ー」 より、記事内に文章にて紹介している大学院にての「公企業論研究」ノートの一ページを撮影したもの。)

 

 本日見た我がgoo編集画面「昨日の閲覧数」によると、そのトップ50内に「学問・研究カテゴリー」エッセイが数多くランクインしていた。

 おそらく何処かのどなたかが、昨日当該カテゴリーエッセイを集中的にお読み下さったものと推測する。

 これ、原左都子にとっては実に嬉しい現象だ。

 いえもちろんのこと、いずれのカテゴリーエッセイをお読み頂いても嬉しいに決まっているのだが。 特にこの「学問・研究カテゴリー」は、我が今までの半生に於いて一番主体的に取り組み、ある程度の成果を上げて来た分野であると今尚自負している故だ。 

 それにしても、昨日我がエッセイ集を訪れ当該「学問・研究カテゴリー」を閲覧頂いた方(複数の方々かもしれないが)は、かなりの時間をかけてその閲覧を実行して下さったのではなかろうか?

 それが証拠に、トップ50のうちの半数近くがこのカテゴリーエッセイだったのだ。

 

 それでは、冒頭写真にて紹介した大学院の「公企業論研究」の講義ノートに関して、以下にそのコピーを再掲載させていただこう。 

 

 今回紹介したのは、「公企業論研究」の講義内容部分だ。

 何故このページを紹介したかと言えば、それはそれは頑張り屋のこの私にしてとてつもなく厳しい授業だった故だ。

 そもそも経営法学専攻の私にとって「公企業論」はさほどメインではない。 にも関わらず、当該授業の厳しさと言えば、分厚い(200頁程)英文専門書一冊を和訳する課題が課せられたのだ。 しかも受講者は私一人!  意外と英語の読み書き力はあるぞ、と自負していた私ですら、くじけそうな時もあった。
 ただ、私はそれをやり遂げた!  授業の最終日に「よく頑張ったね」と慰労してくれた教官だったものの、返された評価は「優」ではなく「良」。(これが我が大学院時代の唯一の「良」評価だった。後は当然ながらすべて「優」だったのに……) どれ程落胆したことか……。 
 ただその後直ぐに退官されたとの高齢教授先生の思いは十分に理解出来る。  我が大学院生時代より過去に遡って現在に至るまで(?)、大学院生(大学生も含め)の英文読解力が貧弱過ぎやしないだろうか?!?  退官先生は、そんな昨今の学生達の貧弱英語力に警鐘を鳴らしたかったものと私は理解している。
 その最後の学生が私だった訳だが、今となっては“「良」程度の成績しか上げられず申し訳ございませんでした!”とお詫びするしかないなあ。  

 (以上、「公企業論ノート」に関する部分を再掲載したもの。)

 

 この授業は大学院生1年時に受講したのだが、200ページ程の専門書の英文和訳を完成するに関してのエピソードを語ろう。 

 我が大学院生時代は30代後半未だ独身の身にして、年末年始時期に郷里の実家へ帰省した。 

 その際、英文和訳ノートを2月に提出せねばならない立場で、当然ながらこの課題を郷里に持ち帰った。 そして、食事と寝る時間と親戚・近所への挨拶回り以外の時間は実家の2階に引きこもり、この英文和訳作業に没頭した。

 日々私があまりにも実家の2階に引きこもっているのを心配した実母が2階へやって来て言うには、「そんなに大学院って大変なのかい? それじゃ身が持たんねえ…」 私が応えて、「いや、選択する授業にもよるだろうが、専門書本一冊の英文和訳が出来なくて大学院を修了したとは言えない事は自覚しているよ! だからこそ私は敢えてこの授業にチャレンジして頑張ってるのよ。 来年度は修士論文作成に集中しなければならない立場にして、今こそそのチャンスなのよ!」

 実母の気遣いはその後も続いた。 「寒くはないか?」と電気座布団やどてらを持参したり、夜食として暖かいうどんなども作って持って来てくれた。 (これを書きつつ振り返るのだが、あの母親、いいところもあったんだ……

 そんな実母の愛情に支えられ、我が英文和訳作業は郷里の実家にて随分と進捗した。

 そして2月には無事に提出できたとの結末だ。

 

 実に、(医学分野も含めて)学問・研究時代が長かった我が身だ。 

 そんな我が過去の集大成の一端として公開している「学問・研究カテゴリー」をお読み頂ける機会とは、少ないのが実情だが…。

 昨日、これを集中的にお読み下さった方に改めて感謝申し上げる次第です。


「発達障害」に関する正しい理解をお願いしたい ー 結語 ー

2019年09月27日 | その他オピニオン

 昨日は「発達障害エッセイ」を綴り公開するに当たり、goo編集画面の誤作動により画面が大幅に乱れました事をお詫び申し上げます。

 本日、「結語」を綴りたく考えておりましたが、またもや編集画面の誤作動により、自分が書いた文章がコピー不能な有様です。

 時間的都合によりそれの手書きが叶いませんが、いつか時間が取れる時に是非とも「結語」を公開したく考えております。

 

 何故かスマホ版では、昨日公開したエッセイも含め、コピーが生きている様子ですので、もしよろしければ昨日公開の表題エッセイをスマホにてご確認いただけましたら幸いです。

 一応、以下に我が「結語」部分をコピーしておきます。(この「結語」部分も、スマホでは生きているようです。)

 

 一体全体、この編集画面、どうなってるんだ!! 

 gooが編集画面をリニューアルでいじる都度、改悪される感覚があるが……

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 最後に、現在の原左都子の結語を述べよう。
 
 「発達障害児」に関して、今現在は一昔前に比し、学校現場に於いてその理解が急激に進んでいる様子である。
 そのためまかり間違っても学校現場の教育担当者間では、「発達障害」に関する“誤解”や“無理解”は無いものと信じたい。
 一方、一般市民間に於いては未だその理解が進んでいないような感覚を機会ある毎に抱く。
 
 「発達障害」の種類にもよるが。 
 昨日のエッセイにても記したが、例えば「ADHD」等のようにその行動様式が特異的で目立つ場合は、その理解が得やすいようだ。 我が娘の小学校のクラスにもそれに該当する子供が在籍していたが、例えば参観日でその子を一見したのみで、(ああ、発達障害児「ADHD」だ…)との感想を抱いたものだ。
 それに比し、我が娘の特質のごとく「極度寡黙性・無反応性」(弛まぬサリバン指導により現在までに大幅改善しているが、やはりその特質のすべてを消し去る事は残念ながら不能だ。)の場合、目立ちにくい故に命拾いか?と思いきや。  決してそうではなく、子供達間では容赦がなかった。 特に幼稚園時代から小学校低学年頃まで、その弱点を突かれてどれ程のいじめに遭ったことか。 やむを得ず住居買替転居により転校し、いじめから“逃げる”との強硬手段をとる等の無駄な出費と苦労を味わっている。
 今現在、我が娘は一応正社員として中小企業に勤務し、娘なりに精一杯頑張っている。 ただ、本音を言えば今の時代においては、既に娘の「発達障害」は職場内でバレているであろうとサリバンの私は推測している。 おそらく本人の仕事に対する人一倍の努力と真面目さ故に、周囲の暖かい陰なる応援に支えられて娘の就業が成り立っているだけの話であろう。 それでも親としては(いつ首になるのか??) と常にビクビクものであり、それに備え娘が将来的に“食っていける”財産の蓄積”に余念がないのが現実だ。
 
 我が娘の実態を語り過ぎてしまったようだが。
 
 実際問題、「障害」と名の付く子供を授かったしまった家庭は、一生涯に渡りその支援に躍起にならざるを得ないのが実情だ。
 
 それでも、我が子とは何にも増して可愛いのも親の本音だ。
 何処の「発達障害児」を持つご家庭も、その思いは我が家同様だろう。
 
 どうか皆様、そんな家庭が抱える苦労の程を少しは推し計って頂き、少なくとも「発達障害なんて大嘘で、単に家庭での育て方が悪いんだよ、育つ環境すら整えれば解決する問題だよ」なる無責任発言だけは、くれぐれも慎んでいただけますように……

「発達障害」に関する正しい理解をお願いしたい 続編

2019年09月26日 | その他オピニオン

 (やっとこさ、この部分のみ本文へのコピーが叶いました。 我がエッセイ集2009.03.23バックナンバー「存在自体が迷惑」を以下に再掲載します。 未だ原左都子結論部分のコピーが叶いませんので、それが実行可能になった時点で掲載します。)

 

 今回の記事は、前回の「We can graduate!」の続編のような形になるのだが、事情を抱えて生まれてきた子どもを持つ親の苦労は、日頃のケアや教育においてのみではない。
 子どもが持つ“事情”に対する周囲からの誤解や無理解に苦しめられる日々なのである。
 一般人からの誤解、無理解に関してはある程度やむを得ないものと、元より諦め半分である。これに対し、子どもをその道のプロとしての立場からケアし自立へと導くべく専門職である教育関係者や医学関係者等からの誤解、無理解は保護者にとって耐え難いものがある。

 今回の記事においては、その種の専門家からの度重なる誤解、無理解を耐え忍んだ我が子育ての歴史の一部について振り返ることにする。

 子どもの小学校入学前に我が家が「就学相談」に臨んだことについては前記事でも公開したが、この「就学相談」における教育委員会の担当者の発言内容を取り上げてみよう。

 前回の記事において既述した通り、我が子の場合、6歳時点までの家庭におけるケアが功を奏したのか、表向き(あくまでも表向きであるが)は事情を抱えていることに気付かれない程度にまで成長を遂げてくれていた。
 だが残念なことに、生まれ持っての“事情”とは本人がどれ程努力をしても完全に克服できるという性質のものではない。その辺の事情を、親としてはあらかじめできるだけ正確に教育委員会を通して今後お世話になる学校へ伝えておくべきだと考えたことが主たる理由で、入学前に「就学相談」に臨んだとも言える。
 医学関係の職業経験があり元教育者でもある私は、生後6年間の子どもの生育状況に関する医学的教育学的な科学的データと共に、6年間で私自身が培ってきた子どもの持つ事情に関しての専門的、学術的なバックグラウンドについて担当者に分かり易く説明しつつ、我が子の生育暦に関する私見を伝えようとした。
 ところが、定年を目前にしている教員経験もある女性の担当者は、私の話にはまったく耳をかさず、持参した子どもに関するデータ等の資料を見ようともしない。
 そしてその担当者は持論を述べ始めた。

 「障害児は障害児なんですよ。これは誰が見てもわかります。あなたの子どもさんは“普通の子”です。お母さんが勘違いしているだけで、この子には障害なんてありませよ。むしろ今時こんな“いい子”は珍しいくらいで、この子は十分に普通学級でやっていけます。」
 (親の私だって我が子は“いい子”だと思っている。出産時のトラブルさえなければ、もしかしたらこの子は非の打ち所がない程の“お利口さん”だったかもしれないとも思う。だた、それを思うと無念さが募るだけだ。現実を見つめて生きなければ親の役割は果たせないのに…)

 そして、担当者はこう続ける。
 「あなたの子どもさんは障害児ではないから言いますけど、今時の母親はなまじっか“学”があるばかりに、その“学”をひけらかして屁理屈を並べる事に一生懸命になっている。障害児とは『存在自体が迷惑』なんですよ。そんな障害児を自分が産んでおきながら偉そうにしていないで、社会に対して頭を下げるべきだ。障害のある我が子の人権を学校に尊重して欲しいのであれば、母親としてまずやるべきことは、入学する学校に頭を下げることだ。PTAの親御さん達に対して、“我が子が入学することで皆さんの子どもさんの足を引っ張って申し訳ない”と頭を下げるべきだ。」

 あなたに言われなくとも、そうしてきている。 特に幼少の頃程周囲に迷惑がかかるので、母の私はどこへ行っても頭を下げる毎日だった。幼稚園でも公共の場のどこでも「申し訳ございません。」の連続だった。家では人の何倍もの手間暇かけて育て、外では頭を下げてばかりの過酷なほどにストレスフルな日々だった。

 そんな過酷さの中にあっても、親とは子どもの成長を願いたい生き物なのだ。それ故に、愛情はもちろんのこと、今の時代は科学的専門的な理解は欠かせない。めくら滅法ケアをするよりも、専門的バックグラウンドに基づいてケアを行っていく方が高い効果が早く得られ、子どもの早期の自立に繋がるのだ。
 だからそこ、公開したくもないプライバシーをあえて公開して「就学相談」に臨んでいるのに、教育委員会がこれ程の野蛮とも言える低レベル状態では話にならないどころか、傷を深められただけの面談に終わった。

 「障害児は存在自体が迷惑だ。」
 そう言い切った担当者を擁する教育委員会が管轄する小学校に入学させる事は、我が子を谷に突き落とすよりも残酷なことのように思えた。4月の入学までの短期間で、小学校入学を取り止める手段を本気で模索したものである。

 こうやって打ちひしがれた思いで、義務教育であるためやむを得ず公立小学校へ入学させた我が子であるが、スタート時点の1、2年生時の担任の先生に恵まれ正しい理解が得られたこともあり、我が子はさらに成長を遂げていくことになる。

 そして何よりも我が子の場合、生来の素直さ忍耐強さと共に、サリバン先生(私のことであるが)の厳しい教育の成果もあるのか、公共心や年齢相応の倫理観を備えた礼儀正しい子どもに育ってくれている。
 そういった子ども本人のプラスの持ち味が幸いして、我が子は今後も将来の自立に向けてさらなる成長を遂げ続けてくれることであろう。 
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経験だけで物言う・・・ (ドカドン)
2009-03-29 18:55:41
医学的なデータに、関心すら寄せない経験だけで物言う人には困ったものだ!
より多くのデータや母親の声を聴き、総じてアドバイスなり意見を言うのなら、こちらも、あるレベルまでは、納得できようものを・・・。
経験だけで全てを推し量るなといいたいですね!

ともあれ、卒業おめでとうございます。
 
ありえない (田舎人)
2009-03-29 23:51:37
久々のコメントとなります。担当者の、言った言葉、許されない思いを感じました。「障害者の存在自体が迷惑だ」言い切るような教育者が居ること事体、驚愕です。すべての子どもはその環境、宗教、障害の有る無しにかかわらず、平等に教育を受ける権利があるんです。議員をしていたから分かるんですが、教育委員会なるものは学校教育に対し、実際は何の影響力も無いんです。教職員は県職。教育委員会は市町村行政機関の一部、管轄なんて名ばかりです。どこかの府知事が行ってましたが、教育委員会の馬鹿野郎です。現在の教育界に教育委員会なんていらないと思います。旧態依然の改革も何も無い古い組織です。

ちょっと過激でしたか。
 
ドカドンさん、まさにおっしゃる通りです。 (原左都子)
2009-03-30 20:04:36
我が国は、人を指導するべく立場の職種の分野で活躍しているはずの人々が、今尚“原始的”な“なーなー”の社会システムに頼って生き延びているかのごとくの印象を私も常に受けます。

確かに、ご自身の長年の職業経験も尊重してあげるべきでしょう。
それにしましても、子どもの将来を担っている学校関係の教職員の向学心の無さには私も昔から辟易としています。
それだけ、公務員(特に教育公務員)とは、この不況の現実社会の元でも、今尚、能力にかかわらず厚遇されているがために、このような実態となっていることに落胆せざるを得ません…
 
田舎人さん、ありえない話ですがこれが実態です。 (原左都子)
2009-03-30 20:18:40
田舎人さん、教育委員会に限らず学校現場も似たようなものですよ。
我が家の娘は、小学校1、2年に関しましてはたまたまいい先生に巡り会えたのですが、その後は大なり小なり苦労の連続でした。

この私も比較的最近、学校の相談員にでもなろうかと思いまして二度ほど教育委員会に面接に行った経験があるので、ある程度“教育委員会”のレベルは承知しているのですが、あそこは教育に関する科学的知識のない単純馬鹿の“YESman”でないと採用されないのが実態です。
今現在のポリシーなき教育行政に少しでも楯突く人間は、門前払いの現状です。

そんな所はこちらから“お払い箱”ですし、我が家の娘は私立の学校へ進学させて大正解だったと心より思っております。
 
あまりにもひどい。 (issei)
2009-03-31 00:36:59
ひどい担当者ですね。「開いた口が塞がらない」とはこのことでしょう。書類まで持参してお願いにあがっているにもかかわらず、相手のことを気遣いもせず、雑言罵倒「チョット待て、教育長呼んできて下さい。」って言う事態だと思います。多かれ少なかれ、「迷惑だ」と思われる人はいると思います。しかし本人を目の前にして言う事では有りません。「普通です。」まではお世辞で許されるかも知れませんが、その後はいけません。言語道断です。そう言う人たちが今の「障害者自立支援法」を作ったと考えれば辻褄が合います。聴くところによりますと、障害者への補助を減額して、親御さんの負担を増額したとの見方が一般的のようです。
 
isseiさん、教委も学校も体質改善するべきでしょう。 (原左都子)
2009-03-31 10:42:20
私も短期間ですが勤務経験があるのである程度学校現場の実態を知っているのですが、現在の学校は至って閉鎖的で、社会から隔離された状態にあります。教員は日々生徒と、たまに保護者としか接しません。これでは教育を取り巻く社会の実態や最新科学の発展状況を把握できる訳がありません。
外部機関主催の研修に公費で(日当に交通費までついて)参加できるシステムはあるのですが、ごく少数の教職員しか参加せずほとんどの教員は無関心状態です。

教委や学校は外部研究機関等と連携して、全員強制で研修に参加するなり、情報交換するなりして、“井の中の蛙”状態から脱却するべきでしょう。

知識も深い思慮もなく“お手盛り立法”を繰り返されたのでは、国民はたまったものではありません。
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最後に、現在の原左都子の私見を述べよう。
 
 「発達障害児」に関して、今現在は一昔前に比し、学校現場に於いてその理解が急激に進んでいる様子である。
 そのためまかり間違っても学校現場の教育担当者間では、「発達障害」に関する“誤解”や“無理解”は無いものと信じたい。
 一方、一般市民間に於いてはその理解が進んでいないような感覚を機会ある毎に抱く。
 
 「発達障害」の種類にもよるが。 
 上記1本目のエッセイにても記したが、例えば「ADHD」等のようにその行動様式が特異的で目立つ場合は、その理解が得やすいようだ。 我が娘の小学校のクラスにもそれに該当する子供が在籍していたが、例えば参観日でその子を一見したのみで、(ああ、発達障害児だ…)との感想を抱いたものだ。
 それに比し、我が娘の特質のごとく「極度寡黙性・無反応性」(弛まぬサリバン指導により現在までに大改善しているが、やはりその特質のすべてを消し去る事は残念ながら不能だ。)の場合、目立ちにくい故に命拾いか?と思いきや。  決してそうではなく、子供達間では容赦がなかった。 特に幼稚園時代から小学校低学年頃まで、その弱点を突かれてどれ程のいじめに遭ったことか。 やむ無く転居により転校し、いじめから“逃げる”との強硬手段をとる等の苦労を味わっている。
 今現在、我が娘は一応正社員として中小企業に勤務し、娘なりに精一杯頑張っている。 ただ、本音を言えば今の時代においては、既に娘の「発達障害」は職場内でバレているであろうとサリバンの私は推測している。 おそらく本人の仕事に対する人一倍の努力と真面目さ故に、周囲の暖かい陰なる応援に支えられて娘の就業が成り立っているだけの話であろう。 それでも親としては(いつ首になるのか??) と常にビクビクものであり、それに備え娘が将来的に“食っていける”財産の蓄積に余念がないのが実態だ。
 
 我が娘の実態を語り過ぎてしまったようだが。
 
 実際問題、「障害」と名の付く子供を授かったしまった家庭は、一生涯に渡りその支援に躍起にならざるを得ないのが実情だ。
 
 それでも、我が子とは何にも増して可愛いのも親の本音だ。
 何処の「発達障害児」を持つご家庭も、その思いは我が家同様だろう。
 
 どうか皆様、そんな家庭が抱える苦労の程を少しは推し計って頂き、少なくとも「発達障害なんて大嘘で、単に家庭での育て方が悪いんだよ、育つ環境すら整えれば解決する問題だよ」なる無責任発言を、くれぐれも慎んでいただけますように……