原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

若年男にとっては “年収” こそが女関係を左右するのか??

2016年06月29日 | 時事論評
 最近の朝日新聞には、若い記者達が考え発信しているページがあるようだ。

 6月25日付朝日新聞夕刊記事内にて、「ココハツ」なる当該ページを見つけた。
 「『恋人なし』は自己責任?」 と題するその記事は、反論も含め興味深い内容だったため、今回の我がエッセイにて取り上げることとする。


 早速、記事の内容を要約して以下に紹介しよう。

 政治が恋愛を作っている?
 そう説明する大学教授がいる。 働く環境の影響だとも。 それがどういう事なのか、29歳の記者が取材した。
 20代後半で結婚していない人がどれ程いるか。 答えは男性約72%、女性約60%。 恋愛のメカニズムを科学的に研究する某教授は、「見合い結婚が減った今、結婚相手を探すなら95%が能動的に恋愛せねばならなくなった。」  自由恋愛の市場では、(内閣府がまとめた「結婚・家族に関する調査」から)20代男性に絞った場合、年収により結婚歴や恋人の有無に差がある事が一目で分かる。
 その中でも際立つのは、「年収300万円の壁」。 既婚者の割合は年収300万円以上の人に比べ、それ以下の婚姻率は1/3。 女性との交際経験が「ない」という人は35%。 年収が低い程「交際経験なし」の傾向は女性も同じ。
 生き方はもちろんそれぞれだし、「草食系」なる表現もある現在に於いて、別の見方をする大学教授もいる。 「デートを重ねるにもカネ、時間、労力が要る。 非正規雇用で低収入の若年層にとっては、恋愛をしたくても出来ないのが実情。 ここに政治が影響している。
 働く人の非正規化は1980年代の労働者派遣法成立から2000年代の製造業派遣の解禁まで、じわりと進んで来た。 総務省の労働力調査をみると、非正規の割合は近年増加傾向にある。 代々の有権者が選んだ政治家が政策を選び取り、その積み重ねが若年層の非正規化に繋がった。 結果として恋愛経験の差も生み出した、という指摘だ。
 だからこそ、若者に伝えたい。 「モテたいなら、投票にいこう。」と。
 (以上、朝日新聞29歳男性記者が担当したという記事より要約引用したもの。)


 早速、原左都子の私論に入ろう。

 さすがに、29歳“若造記者”が企画し公開した記事だ。 
 その発想は一応面白く、還暦過ぎた私の目にも留まるある種のインパクト力があったことは評価しておこう。

 ただ、取材力やその後の題材に対する分析・考察力が、(新聞報道なる時間制限も大きいのだろうが)無謀と言えるのではあるまいか? 

 まず、若造記者が今回取材したとの大学教授だが、これは朝日新聞“お抱え教授”氏に頼ったのであろうか? あるいは若造記者ご自身が自ら取材を依頼したのだろうか?  そこから問いたいのだが、出来るならばご自身が下調べし、自身が納得可能な研究論文等を発表している教授氏のご意見を賜るべきだろう。
 「政治が恋愛を作っている」なる名言を生み出した教授のその発信力は、確かに余興としてはインパクトはある。 そうは思いつつ私に言わせてもらうと、単に“受け狙い”的発言であることも否めないのだ。 特に恋愛等(「社会学」の範疇なのだろうか?)の関連学者とは、大して学問的歴史が無い分野も多いため、失礼ながら口先だけ適当な発言をしている事実も否めないだろう。

 あるいは当該若造記者氏が、「非正規雇用者」こそが“女関係敗北者” のごとくまとめている事実も大いに気にかかる。  
 確かに、現在「非正規労働者」が急増している世の中だ。  ただ、人間の恋愛力と金力とは別物ではなかろうか、なる根本的な疑問が私にはある。(これに関しては、後に論評しよう。)

 更には、「政治が恋愛を作っている」なる大学教授の話を真に受けて、若造記者が若者に対し投票を呼び掛けている事実も気になる。
 もちろん、世代を問わず選挙投票には行くべきだ。 ただ、29歳にもなった新聞記者が「モテたいなら投票に行こう」なる呼びかけはあまりにも幼稚でお粗末ではなかろうか。 
 今後我が国を支えて立つべくその年代層の若者には、私ならば「憲法論議」や「経済政策」「国際関係」等々を是非とも議論した後に選挙に臨んで欲しいものだ。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。
 
 もしもこの記事を29歳時点の私に書かせてもらえたならば、その表題は「『恋人なし』は自己責任?」ではなくて、「『結婚するかどうか』は自分の自由!」 にさせて欲しかったものだ。
 実際問題、現在の29歳程の社会で活躍する女性陣は、我が29歳頃の思想と一致すると想像する。 まさに結婚どころではなく、もしかしたら「草食男子」から求婚されても「お呼びでない!」と肘鉄食らわせつつ、自由恋愛を謳歌しながら仕事に励んでいる事であろう。

 「年収300万の壁」と言うが、その数値にも疑問を呈する。 
 おそらく、単に年収額等数値にのみこだわる若き男女が深い思慮も生活感もなく、その数値に翻弄されるがままに揺れ動かされているものと推測する。 

 「非正規雇用」が諸悪の根源、なる記載も気にかかる。
 正社員とて似たり寄ったりの現状ではなかろうか?  明日は如何なる我が身か!? など知ったものではない。
 確かに29歳とは新入社後既に年月が流れ少し熟して来る頃だが、私など、30歳にして自分の意思で民間企業をバッサリ斬り捨て、新たな学業へと突入した経験の持ち主だ。 だからと言って、「結婚するかどうかなど自分の自由!」ポリシーにはその後も何らの揺るぎはなく、お見合いにて晩婚に至るまで華麗なる独身貴族を通したものだ。 

 あるいは、「年収」といったところで、元々資産家育ちの男にとっては、自分が稼ぐ微々たる給料よりも「家」の資産力こそが“結婚相手ゲット”の要となる事実も、一昔前にはあった事であろう。
 ただ、これに関しても経済変動に伴い現在資産価値の大暴落等で激動しているのが実態だ。 資産力ある「家」に嫁いだはずなのに、相次ぐ経済激動により何百年の歴史を刻んだ嫁ぎ先が、今現在に至り貧困に窮している“良家へ嫁いだお嫁さん”事例も、国内あちこちで多発しているのではなかろうか。
 

 おそらくこの記事を書いた29歳朝日新聞記者氏は、朝日新聞社との超大手企業の正社員身分である自分の身が一生安泰?!?だと想像しているのではあるまいか。 
 そんな自身のバックグラウンドが整備されている事実に若気の至りで安穏とするがあまり、時代の大変動の有様や、一般庶民の世の現実を十分に理解出来ていないと推測出来る事実が、寂しい気もする…。 

何かでしょげた時は“自分を信じている!”事を思い起こそう

2016年06月26日 | 自己実現
 理性で考えると、取るに足りない実につまらない事象であることは十分理解出来ているのに、その出来事が起きたばかりに、後々意気消沈してしまうようなご経験が皆さんにもおありだろうか?

 実は一昨日、この強気で気丈な原左都子がその種の出来事に遭遇してしまった。
 もちろん、発想の転換を試み気を取り直す努力もしたのだが、どうしてもその取るに足りない出来事に頭が拘束され“本業”に身が入らない状態が続いている。
 (昨日公開した「英国EU離脱関連エッセイ」など、よくぞまあ、その心理状態で綴れたものと自分を褒めてやりたい思いだが…)


 本日のエッセイに於いてその「出来事」を公開したいものの、もしかしたら「出来事」の利害関係者が当エッセイ集を読む確率が少しながらあるのだ。(どうか読んでいませんように… 

 そこで、今回は我が30代に似たような経験をしたエピソードを公開しよう。 (参考のため、このエピソードに関しては、本エッセイ集バックナンバーにても披露している。)

 30代後半頃、高校教員をしていた頃の話だ。
 職場の飲み会のおそらく3次会で個人経営のスナックを訪れた。 我々も既に酔っ払っていたことは認めるが、その小さなスナックの先客グループ(会社員達の飲み会のようだが)は、我々に増して泥酔していた事は確かだ。
 その会社員グループの一人の女性が、酔っ払った勢いでグループ内で説教をし始めていた。 その説教の声がどうもうるさい。 (放っておけばよかったものの)こちらとて酔っ払っている勢いで、「“お姉さん”、一緒に歌いませんか?」と私が声を掛けるや否や事件が勃発した。
 “お姉さん”が叫んで曰く、「どっちが“お姉さん”よ! あんたの方が年上でしょうが!! その言葉許し難い、謝りなさい!!」 スナック中に響き渡る大声で、カラオケが一旦中断した。
 当然、スナックのママさんも、“お姉さん”と一緒に来ている会社員の仲間達も、私に「申し訳ないです…」等々と謝ってくれ、私側も「失礼しました…」等々と謝り返すのだが、どうしても“お姉さん”の怒りが収まらない。 結果としては、先に来ていた会社員グループが“お姉さん”を引き連れて店を出る事と相成った……
 酔いが一気に吹き飛ぶ出来事だったが、その後気丈に振る舞いつつも“恐怖心”に苛まれている私を教員仲間達が酔っ払いつつなぐさめてくれたとて、“お姉さん”が一瞬に発した暴言は我が胸に突き刺さったままだった。
 後に考察するに、確かに“お姉さん”の言葉は正論だ。 どっちが年上かは分かったものではない。 ただ自己弁護するならば、一瞬にして感じた女性に関する印象が“お姉さん”だったことは(周囲の対応も含めて)確かなのだ。
 
 あれから30年近い年月が経過し、世は個人情報・プライバシー保護に躍起だ。
 今現在、私があの時出会った女性に“お姉さん”と声を掛けたならば、こちらの法的責任が問われる事は間違いない。 
 それは重々わきまえて現在に至っている。

 話題を戻して、一昨日起った出来事とは決して酒の席にて発生したのではないのだが、私側としては上記の事件を思い起こさせられるべく出来事だった。
 何と言うのか、某営利企業体のメンバーであるあちら側(数人)は独裁政権の下にがんじがらめになっているがごとく、皆が無表情なのだ。 そんな雰囲気を彼らよりも年配者である私が少しでも和らげたいと考え取った行為が、どうやらお節介だったようだ。 
 おそらく相手側は、私が取った態度を今現在も陰で非難していることであろう。 (3本前のエッセイ「悪しき職場……」の冒頭で綴った文章が、今回の事件のヒントになるかもしれない。)


 ところで、昨日「原左都子エッセイ集」編集画面を見たところ、筆者である私が“唸る”バックナンバーが上位にランキングしていた。
 その表題とは、「あなたは自分が好きですか?」
 2011.11.16 公開の当該エッセイの一部を、以下に振り返らせて頂こう。

 原左都子が我が子育てにおいて最重要課題としているテーマとは、「自分の存在を肯定しつつ生きて欲しい」 という事である。   本エッセイ集のバックナンバーにおいて再三公開してきているが、何分我が子は若干(あくまでも“若干”の範疇だが)の事情を持ってこの世に生まれ出ている。  放っておいたら“いじめ”に遭い(サリバンの私が放っておく訳はない!のだが)、「変な子」と後ろ指を指される。 それを背後で感知しては、我が子が他者の心無い言動により傷ついて自己否定に走るようなことのないよう、積極的に対処してきた“お抱え家庭教師”の私である。 その甲斐あってか、どうやら娘は18歳を間近に控えた現時点では基本的に自分の事が嫌いではなさそうだ。
 話題を変え、朝日新聞“悩みのるつぼ”高校生女子の相談に答える形で(現在故人であられる)車谷長吉氏が回答された内容が素晴らしい。 その回答内容から一部を紹介するなら、  早い話あなたに恋人ができたとして、自分を大嫌いだと思っているあなたのことが素敵だと恋する少年がいるかもしれない。 そうしたらあなたは変わらざるを得ないでしょう。 だから悲観することなどない。   人生には様々なことがあるが、自分が阿呆になることが一番大事だ。 阿呆になることの一例として詩や小説を書いてみるとか、流行のお洒落や化粧をして町の中を歩いてみるとかすることだ。
 まさにこの原左都子も“阿呆”の人生を歩み続けていると言える。 ご覧のように、勝手気ままに綴った辛口エッセイ集をネット上に公開し、“踊る阿呆”を実現するべくダンスに興じ、いい年こいて流行のお洒落や化粧をして街を闊歩する日々である。  そんな“阿呆”の私は、そのくだらない趣味を娘の“サリバンお抱え家庭教師”稼業の合間に伝授しているのだ。 これは常日頃学習に切磋琢磨させられている娘が本気で活気付く瞬間でもある。 私の“阿呆”の伝授力こそが、娘の自己肯定に繋がっているとも結論付けられるのだ。
 さてさて、皆さんはご自身が好きですか?   原左都子自身はこんな“阿呆”の自分を自己肯定しつつこの世を生き抜いていますよ~~ ♪ 
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより、一部を引用したもの。)

 
 最後に私論でまとめよう。

 阿呆の私が、阿保なりに自分で綴った過去のエッセイバックナンバーに励まされ、“しょげた自分を励ませる”としたならば、これ程 “ノーテンキ馬鹿” はいない事であろう。
 それでも、私には自ら記したバックナンバーを読んで、今尚“阿呆になれる” 気質が内面に活きている事に安堵する。
 そんな、今尚ありのままの自分を信じられる“私”を肯定しつつ、今後も世と存分にかかわって行きたいものだ!

英国民投票によるEU離脱を受け、我が国の選挙戦を振り返ると…

2016年06月25日 | 時事論評
 イギリスとは、私が好きな国の一つである。

 今冬イタリア個人旅行を企画し実行した際にも、旅行先をイギリスにしようかイタリアにしようか大いに迷った。
 不運にも当時ちょうどイギリスにてISテロが勃発した故に、テロの続発を警戒しイタリア旅行を実行したが、もしもあのテロ事件がなければ私は迷いなくイギリス旅行に出かけていたであろう。

 何故、私がイギリスを好むのか?  その答えは単純明快だ。
 現在まで(米国、イタリア等複数回訪れた国も含め)12か国を訪問している私だが、その旅行過程に於いて個人的に抱いたイメージがあくまでも最たる理由である。

 とにかく、過去に出かけたイギリス旅行が楽しかったのだ。
 未だ24歳独身の1979年冬厳寒時期だったが、団体旅行でイギリスロンドンを訪れた。 そのフリータイムデーに朝食を採ろうと立ち寄ったレストランにて、日本人男性(日本企業ロンドン駐在中ビジネスマン)に声を掛けて頂き、その日一日中、ロンドンをご案内頂く事と相成った。
 これが実にラッキーだった。 ハイドパークを訪れ散策した後、タクシーや列車に乗ってロンドン近郊まで連れて行ってもらった。 単なる観光名所ツアーでは決して叶えられない、現地の人々との一期一会の出会い等々イギリスの庶民の暮らしぶりに触れる事が叶い、味わい深い旅の思い出となっている。

 その後の我が海外旅行の趣旨は、まさに現地地元の人々との一期一会の出会いに重点を置く一都市滞在スタイルを主眼として、執り行って来ている。


 さて、早速私論に入ろう。

 一昨日の6月23日に英国にてEU(欧州連合)よりの離脱を問う国民投票が実施され、接戦の末、離脱支持が多数となった事は皆様もご承知のことであろう。
 以前にも英国内にて「スコットランド独立投票」が実施された記憶が新しいが、その時にも投票結果が接戦だったと私は記憶している。

 この接戦なる切羽詰まった事態が、我が国では到底考えられない事実だ。
 現在、参院選(及び東京都にては知事選)が間近に迫っているが、敵対政党議員殺人者を出す(もちろん如何なる場面に於いても殺戮を成してはならないが)程の差し迫る世論のバトルが無いのが、我が国の選挙戦の特徴・現実ではなかろうか?

 いや、もちろん自民党が主張する改憲議論に関しては多少熱を帯びているとも言えよう。 ただ、アベノミクス経済大失策に関しては、その失敗を正論でぶち叩こうとする野党が存在しない事実ではなかろうか。
 と言うのも、この国の選挙民の大半が「無党派層」故である事実も大きいだろう。(一部の宗教政党を除外するならば。)
 私自身が「無党派層」だ。 ただし、私の場合は憲法(当然護憲派だが)や経済政策・核政策・原発政策・沖縄基地問題・大規模災害対策等々各分野に関する我が明瞭なポリシーがあることは明言させていただこう。
 その観点より周囲を見渡すならば、そのほとんどが “政治無関心無党派層”だ。 こんな“平和ボケ”国民達に今更ながら「命の票を入れよ!」と指導しようが、「何バカ言ってんだ」と返されそうな事実が辛い。

 まあ何と言っても、敗戦にて「平和憲法」を米国より他力本願的に与えられた後、歪みつつもやっと高度経済成長を遂げたのは良かったが…。  その後バブル経済崩壊、リーマンショックの経済打撃の歴史を苦しくも耐えつつ、何とか首の皮一枚で巨額財政赤字の我が国家が成り立っている実態だ。
 ここはともかく、今回の参院選挙は今後の我が国の憲法のあり方を問う選挙と位置付けられていることを踏まえて、ポリシー無き「無党派層」の“良心に目覚めた”票の行方に期待したいものだ。

 
 ここで、英国EU離脱に話題を戻そう。

 英国の国民投票の結果が昨日6月24日、驚きとともに世界を駆け巡った。 呼応して激しく動いた円相場や株価。 日本国内では、今後の暮らしへの影響に不安が広がった。 経済の先行きへの不安が広がる。
 円安も一因となって増えていた訪日外国人観光客。 JTB広報担当者は「円高がさらに進むと、訪日客にとって日本での宿泊や食事代が割高になり、影響が出る可能性がある」という。
 東京の大学に通い、9月からロンドンの大学院に留学予定の女性(23)は「対立が深まり、過激な運動が増えるのでは」と話す。多様な背景を持った人たちとの交流を期待していた。しかし、女性議員殺害事件もあり、「今はロンドンに行くのが怖い」。
 ロンドンの金融街シティーで働く日系メガバンクの駐在員(40)は「予期していなかった。英国も私の勤め先も、これからどうするんだろう」と不安がる。職場にはEU加盟国出身の同僚もいる。「同僚も何人かいなくなると思う。英国の経済力低下は避けられないのではないか」
 日英両国民の親善のために活動する「一般社団法人日英協会」事務局長(64)は、商社マン時代に約5年間ロンドンに駐在した。「結果は意外。国際情勢や経済環境には様々な影響が出る可能性があると思う」と心配する。
 (以上、ネット情報より引用。)


 英国の国民投票で欧州連合(EU)からの離脱が決まったことを受け、日本政府内からは「アジアの安全保障への影響が出ないと思っている人はいない」(高官)など、安保環境の変化を懸念する声が出ている。 岸田外相は24日、日英関係に問題は生じないとの認識を強調した。一方で、杉山外務事務次官を急きょ29、30日にブリュッセルとロンドンに派遣し、EUや英国関係者と意見交換するよう指示した。
 英国は昨年3月、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に、主要7カ国(G7)で初めて参加する方針を示した。それだけに日本は、英中の接近に神経をとがらせている。
 EUは前身であるEC(欧州共同体)時代の1989年に起きた天安門事件を機に、中国への武器輸出を禁止している。だが、ある政府関係者は「EUから離脱した英国が輸出を解禁する可能性もある」と話す。
 (引き続き、ネット情報より引用。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 今現在、参議員選挙を間近に控えている我が国だが、決して国民の皆さんは安倍政権が発信している“目くらませ情報”に左右されないで欲しい。

 私が思うには、今回の英国EU離脱に伴い国内で一番ダメージを受けるのは巨額・少額投資家ではなかろうか。
 自分が投資した金融市場が揺れ動くと訴えられたとて、株式や外国為替相場を操りつつ資産を増強しようなどとただの一度も考えた事のない私にとっては、他人事であり大迷惑でしかない。
 ところが今の世界はこれら巨額投資家どものマネー売り買い相場の激動に伴い景気が変動し、国際経済情勢が大きく動くのが実に困りものだ。

 誰が、どこの政治家や経済学者が、こんなギャンブル経済世界に導いたのだ!
 これぞ真っ先に末端庶民が議論・排除するべき対象かと、今回の英国EU離脱に連動して激動する株価や為替相場を見せつけられて、しみじみ思う…

“炉心溶解”の恐怖を国民は今一度我が事として振り返ろう

2016年06月23日 | 時事論評
 どうやら、5年前の東日本大震災時に「東電福島原発事故」との世紀的大参事を引き起こした企業である東京電力の社長が、その発生直後に「炉心溶解使うな!」なる信じ難い社内指令を発動していたとのニュース報道だ。

 ただ、冒頭より元科学者の端くれである原左都子に言わせてもらうならば、「東電原発事故」発生直後の3月15日頃から「福島原発」が炉心溶解(メルトダウン)の危機に瀕し実際炉心溶解したのを、承知していた記憶がある。
 その情報を何処から仕入れたかに関しては不確かなものの、とにもかくにも東日本大震災発生直後に、当時の民主党政権の菅直人氏が一目散に「東電福島原発」に駆けつけた事実が記憶に新しい。 何でも、首相経験者には珍しく元々理系の東工大出身だった菅氏が「メルトダウン」を恐れ、その阻止のために一目散に飛行機を飛ばしたのが福島原発現場だったと覚えているのだが…。


 さて、ここでネット情報より 東電社長おわび 炉心溶融「隠蔽と捉えられるのは当然」と題する情報を以下に紹介しよう。
 東京電力福島第一原発事故で炉心溶融(メルトダウン)の判断基準があったのに公表が遅れた問題で、東電の広瀬直己社長は21日、「社会の皆さまの立場に立てば隠蔽(いんぺい)と捉えられるのは当然だ」としておわびした。 第三者検証委員会の報告書で「当時の清水正孝社長が『炉心溶融という言葉を使うな』と社内に指示していた」などと指摘されたのを受け、会見した。
 東電によると、判定基準は、2010年4月改訂の「原子力災害対策マニュアル」に「炉心損傷の割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定する」と明記されていたことにより、福島第一原発事故から2カ月後の11年5月まで炉心溶融だと公表せず「判断する根拠がなかった」と説明してきた。
 しかし、東電は今年2月になって、社内マニュアルの存在を公表。 事故の検証を独自に続ける新潟県の技術委員会の求めで行った調査で存在が分かったと説明した。 東電は問題の経緯や原因を検証する第三者委を3月に設置。 今月公表された報告書は、事故から3日後の2011年3月14日、清水元社長が、記者会見していた武藤栄副社長(当時)に対し、広報担当社員を通じて「炉心溶融」などと記載された手書きのメモを渡し「官邸からの指示によりこの言葉は使わないように」などと耳打ちをさせたと指摘していた。
 第三者委が「官邸からの指示」があったとしたことについては、当時の首相、菅直人衆院議員や官房長官だった民進党の枝野幸男幹事長は否定している。


 さて、2011年3月11日に発生した「東日本大震災」にともなう「東電福島原発事故」に関するレポートを、当時日々掲載し続けた我が「原左都子エッセイ集」より、以下にその一部を反復させていただこう。

 東日本大震災の混乱と平行してもっと恐怖であるのが、表題に掲げた東京電力福島第一原子力発電所に設置されている4機の原子炉の壊滅状態だ。 本日見聞したテレビニュース報道によると、福島第一原発に設置してある原子炉の4機全部が順を追って壊滅状態に陥っているようだ。
 その原因は水素爆発であったり、格納容器の損傷であったり、火災発生であったりするらしいが、それらの破損により検出された3号機近くの放射線量が400mシーベルトであるとの報告である。
 元医学関係者である原左都子も過去において仕事上の関係でRI(放射性同位元素)を取り扱った経験があるが、専門家とはある程度のRIに関する知識があるからこそ、その扱いに関して慎重な行動が可能なのだ。   今回報道が繰り返し伝えている通り、放射性物質とはその被爆量が少量であるならばすぐさま人体に際立った症状が出るという性質のものではない。(それ故に、何らの痛みも出なければ何の症状も表出しない。)
 そういう認識をふまえているからこそ、東京電力も政府も「落ち着いて行動して下さい」とのみの報道に留まっているのであろう。
 それでも私が報道に望むのは、今現在福島原発が放出している“人体への影響が決して少ないとは言えない”放射性物質が将来に渡って国民に及ぼすダメージにまで触れて欲しいということである。 そうすることによって半径30km圏内の住民は将来に渡る危機感を抱け、避難行動あるいは隔離行動を即刻実行できると思うのだが…。
 (本エッセイ集2011.3.15 公開「大震災を追い討ちする原子炉爆発の地獄絵図」より一部を引用。)


  自衛隊や消防庁による懸命の放水、あるいは外部電源からの電力引き込み等々、その作業に係わらざるを得ない決死の覚悟の作業員の被爆量を慮っては心を痛める原左都子である。  ところがその甲斐があるのやら無いのやら、相変わらず福島原発の各号機は灰色の煙や白煙を放出し続ける現状だ。
 さらに、放水溝から放出されて海面に流れ出た放射能の現実とは、 セシウム137の半減期は約30年! これが海水中の魚介類の体内に取り込まれ、今後それを人間が食した場合の被爆は当然ながら考慮されるべきだ。   昨日より降っている雨の影響か、私が住む東京地方でもここ2日間は一昨日の放射線量のデータの2倍近い線量が記録されているようだ。
 そんな折、以下の新聞投稿を見つけた。  事故を起こした福島第一原発は冷却再開へ前進しているようだが、深刻な状況には変わりない。 現場で作業する方々には頭が下がる思いだが、一方で政府をはじめとする報道機関からの報道は確証のないままの「安心せよ」との言葉ばかりが目立つ。 これまで安全神話を一緒に作ってきたであろう(議員や学者?)先生方に「心配するな」と言われても素直には聞けない。 今後の対策がうまくいかなかった時にどのような事態が想定されるのかを具体的に説明せずして(国民に)冷静に、と呼びかけるのは虚しい。 例えば炉心爆発が起きた時の影響範囲のシミュレーション結果などは、あらかじめ公表しておいてもよいのではないか。 それは今後可能性のある危機から国民を守るためには必要な処置と思う。 政府や報道機関には、次に起こり得る最悪の状況も想定した対策や情報提供を願いたい。
 ごもっとものご見解であり、まったく同感である。 さらに、元医学関係者である私の懸念を少し申し述べよう。  現在のメディアの報道とは「今現在福島原発から発生している放射線量は“さしあたり”人体に影響を及ぼす量ではありませんから、安心して冷静に対応して下さい」…… 日々この種のアナウンスの繰り返しである。 
 ところが、当エッセイ集のバックナンバーでも再三述べている通り、放射線被害とは人体への「積算量」で考察していくべきなのだ。  今回の福島第一原発事故による放射線放出量はその距離の近さによっては、現実問題として既に報道が言うところの“安全域”を超過しているのではあるまいか??
 いつまでもいつまでも“安全神話”を市民に発する国や東電、そして報道機関の姿勢から、原左都子は既に将来に及ぶ「責任逃れ」の匂いを感じ取ってしまっている。
 私自身が医学関係の仕事から離れて10数年の後、皮膚癌を患ったことに関しては当エッセイ集のバックナンバーでも再三述べている。 癌発症のメカニズムとは今現在の医学においても解明不明なものではある。 それは承知の上ではあるが、健康体を誇る私が何故に皮膚癌など罹患せねばならなかったのかと考察した場合、自分の癌発症と我が過去における一般人が通常経験しない量の医学関係業務上の危険物質取り扱いとの間に、必ずや何らかの因果関係があったとしか考えられないのだ。
 放射能の影響とは、国やメディアが日々報道している程に生易しいものではない。  歴史的大震災発生後、この期に及ぶ安全の確証なくして“安全神話”を国民に吹聴し続ける国の指導者の置かれている現状の裏側に、既に国力を失った我が国の将来に渡る国民に対する「保障力」の無さを垣間見てしまう原左都子の論理は歪んでいるだろうか?? 
 (本エッセイ集 2011.3.22公開 「確証無き放射能安全報道に警告を発したい!」より一部を引用。)


 「スーパーの水」をご存知だろうか?
 我が家の近くのスーパーマーケットにも、この「スーパーの水」の浄水器が設置されている。  そのシステムとは、初期投資として水を運ぶ容器(500円前後のようだが)のみを購入すれば、その後浄水器から欲しいだけ水を無料で持ち帰れるということのようだ。
 昨日スーパーへ行った際、この浄水器から水を持ち帰ろうとしている小さい子どもを連れた若い夫婦に出くわした。  ご夫婦曰く、「この水は放射性物質が含まれている危険性があるから小さい子どもには飲ませないように、との注意書きが貼ってあるよ。」 「そう言われても、水のペットボトルもただの1本の在庫もないし、子どもには一体何を飲ませればいいのだろうね?」  要するに、「スーパーの水」とは水道水から水を引き入れて浄水するシステムであるため、放射能を除去する機能など一切ないのだ。 
 この夫婦のごとく小さい子どもさんを抱える家庭においては、まさに生命を支える最低限である安全な「水」の確保においても危機にさらされていることを実感させられる。
 我が家とて同様だ。 水道水にヨウ素131やセシウム134等が含まれていると言われたところで、我が家には水ペットボトル1本の買い置きもない。 生命体とは水を摂取することなく生き延びられるはずもないため、放射能入りの水道水を日々摂取する他に方策はない。
 この期に及んで尚、政府や報道は「ヨウ素は半減期が短いこともあり成人には影響は出ない。セシウムも一旦体内に取り込まれてもそのほとんどが排出されるため問題ない」との“安全神話”を繰り返すばかりである。   例えば水道水汚染状況の一部である半減期が30年のセシウム134の“安全性”に関しては、上記のごとくの“専門家”とやらの見解を報道で見聞したが、それは一体如何なる研究データに基づいての発言であるのか?  報道機関が自らの報道の信憑性を高めたいのならば、少なくともそのデータの出展元(如何なる科学誌の何年度の研究結果より引用等)を視聴者に対して明確にするべきである。 単にメディアが簡単に入手出来る国内提携大学研究室等の一研究結果から得た報道を、報道機関自らの検証もなく国民に発して「安全宣言」を施すことの罪の深さを、報道に係わる科学者たる者少しは思い知るべきではないのか??   ここは、少しは“世界標準”も視野に入れて国民を指導する体制に入るべきであろう。
 (本エッセイ集 2011.3.26 公開エッセイより一部を引用したもの。)
 

 福島原発3号機タービン建屋において冷却装置の復旧に向けて作業をしていた東電協力会社の作業員が、原子炉からある程度離れている建屋において通常の1万倍の放射能が検出される中足に被爆し“β線熱傷”を患ったとのことである。 このニュースの続報によると、作業員達が3号機タービン建屋に入るにあたり、事前に室内の放射線量が測定されていなかったとのお粗末さである。
 この不祥事から推測して、どうやら今回の福島第一原発事故に対する国や東電の対応は、原左都子が30年程前に医学関係の仕事で放射能を取り扱っていた頃の放射能管理や職員の健康維持に関する“ずさん”のレベルから一切進化していないと判断できるのではあるまいか??  もしそうであるならば、国内の何処かの放射性物質取扱機関が国や東電に対して適切な指導を出来ないものかとも考慮する私なのだが…
 世界評価尺度では「レベル6」に相当すると判断されたにもかかわらず、国と報道機関はその無知さ故に、今尚国民に対して“安全宣言”を発するしか方策が取れない辛い状況なのであろう。  「信じるものは救われる」との論理が成り立たないのが、放射能汚染の現状ではなかろうか?  放射能には色も匂いもなければ、その被爆を微量受けたところでさしあたって痛くも痒くもないしね~。  
 さらに、福島原発近くの海水中では原発から流れ出た放射線量がヨウ素131に関しては通常の1250倍、セシウム134は117倍との信じられない程の高値である。 これに関しても、“そのうち海水で希釈されるから今現在は影響のない数値である”との東電の“責任逃れ”報道に及んでは呆れ果てる思いの原左都子である。 
 本日(2011年3月28日)午前中の枝野官房長官記者会見の中で、枝野氏は福島第一原発事故による半径20km圏内の避難者に対し、以下のような指示をした。   避難指示の対象となった住民が家財を持ち出すための一時帰宅については「原発から20キロ圏内は汚染されている可能性が高く、大きなリスクがある。特に指示がない限り、決して立ち入らないでほしい」
 既に炉心が損傷している2号機からは、相変わらず高濃度の放射能が放出され続けている。 近くの海水の汚染度合いは、前回の測定地点より北側の海域でもヨウ素131は千倍を超える測定値を記録しているようだ。 釜石では漁港を再開する動きも出ていると聞くが、一刻も早くこの海水汚染を阻止して欲しいものだ。 
 さらに恐怖なのが地下水の汚染である。 地下水の流れは同時に土壌を汚染していくことが明白であり、2号機タービン室内の早急な汚染水の回収除去が望まれる。  このような危機的状況下において、福島原発20km圏内は枝野官房長官も会見で認めた通り、今ここに立ち寄ることは人体への被爆の大きなリスクがあろう。
 (本エッセイ集 2011.3.28 公開エッセイより一部を引用したもの。)

 「原左都子エッセイ集」大震災直後に綴り公開した 「東電福島原発事故」関連バックナンバーの紹介が膨大になった事をお詫びする。


 最後に我が私論に移ろう。

 もちろん、東電社長はもっと早期に「5年前の“炉心溶解ひた隠し”に関するお詫び行脚」をするべきだったが、それをこの期に及んで何処の誰が煽ったのだろう?!?
 その張本人とは、もしかしたら参院選を控えている自民党政権ではなかろうか?

 確かに、民主党菅政権下にて発生した「東日本大震災」の対応がお粗末だった事実も否めないであろう。 ただ私論としては、菅直人氏が理系出身だったからこそ叶った、大震災直後の福島原発炉心溶解(メルトダウン)視察ではなかったのだろうか?
 これがもしも、原発推進を一途に貫く自民党安倍政権下で発生した原発事故だったとしたら、とてつもない「炉心溶解“ひた隠し政策”」に突入していた事であろうと、空恐ろしい感覚に陥る。

 何よりも、炉心溶解した原発近くで今後も生計を営まざるを得ない福島県民の皆様の今後のご健康をお祈りしたいものだが…

悪しき職場の風土・体質に感化されぬために

2016年06月20日 | 仕事・就職
 最近、プライベート上で某民間企業とかかわる機会があるのだが、この海千山千かつ観察力鋭い原左都子にして、どうもその組織の「風土・体質」が捉え切れずにいる。
 ただまあ、今回の企業組織とのかかわりの場合、今後の我が人生を左右する程の重要性も影響力もないため、さほど気にせず成り行きに任せるべく対応している。


 ここで久しぶりに、4月に新入社員として某民間企業に入社した我が娘の近況を少しだけ述べよう。

 結論を述べると入社後比較的順調に推移しているのだが、4月末から5月連休明け頃に少しトラブルが発生した。 その当時はサリバンの立場でも大いに気をもみつつ、娘の話の内容から推測出来る範囲で善処させるべくアドバイスをした。(サリバンとして娘の前では気丈に振る舞っていたが、実はその頃、内心大いなる痛手で胃を傷めたものだ…
 近頃は、新入社員の親達が採用先企業に対して苦情を申し立てる事例も珍しくないと見聞している。(いわゆるモンスターペアレントか?)  その気持ちは同じ親の立場で分からなくはない。 ただここは親として、社会人にまで成長している我が子を信じ、その足を引っ張らぬよう冷静に対応するべき! と気持ちを持ち直した。
 
 幸いな事には、昨年の就活時点より「企業の風土・体質を見抜いて就職先を選別するように!」と厳しく指導してきた“サリバンポリシー”が娘の就活職場選択に活きていたようだ。  会社組織が小さい事も吉と出ているのだろうが、今回のトラブルに関しても上司は元より社長自らよりのバックアップもあり、事無きを得て現在に至っている。
 以前にも記したが 我が娘は私には無い妙な強さ(“鈍さ”と表現するべきか?)に恵まれている。 「この子、産まれ持った天然DNA気質でこの世を渡って行けそうだ!」、とサリバン母に思わせてくれる我が娘に再び感謝である。


 さて、話題を変えよう。

 一昨日の6月18日付朝日新聞 “悩みのるつぼ” 相談は、20代介護職員氏による 「ひどい病院に慣れそう…」 だった。
 早速、その相談内容を要約して以下に紹介する。
 20代の男性介護職員だが、現在の職場に慣れ過ぎる事への怖さで悩んでいる。 総合病院から田舎の精神科病院へ転職したが、実際働き始めてみると衝撃的な事ばかりだ。  患者に対する職員の暴言と威圧的な態度は頻繁。 患者を監視しているだけの収容所のようだが、上司は注意をしない。 同僚職員から「暴言が多いが、こういう病院だから慣れてね」と言われビックリした。 給料は低くても職場環境や人間関係が充実していた場所にいたときには患者と触れ合えて幸せだった。 もちろんこの病院に就職したのは私の責任であり、私の甘い気持ちだった事は認める。 すぐ辞めても今後辛いだろうから、後3年は働きたい。 ただ、私も他の職員のように患者に対して暴言や罵声を言うようになるのだろうか。 職場慣れが怖い。 どうすればよいか?
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ” 相談内容を要約引用。)

 一旦、私論に入ろう。

 この20代相談者には、再就職の矛先を絞り込むに当たり相談する親等のアドバイサーが周囲に一人として存在しなかったのだろうか??
 これぞ悲しい現実だ。
 例えば、国家の組織である「ハローワーク」はどうなのだろう?  これ程の新聞投稿が可能な思考力・表現力ある若者を、もしも「ハローワーク」がこんな劣悪な体質の精神科病院を紹介したのだとしたら、許し難い思いに駆られる。
 そうではなく、この青年は自らが志願してこの病院へ就職願を提出したのだろうか?

 この相談内容を読んで、元医学関係者である原左都子が思い出した事が複数ある。
 
 その一つだが、私が国立大学医学部に所属していた時に学生実習生の身分で附属病院内で経験した事実を思い起こした。
 それは「脳波検査室」での光景だ。 
 検査室を訪れた女性患者が怯え切っている。 それをものともせず、「その脳波検査室に入って下さい!」と命令的に指導する検査員。  女性患者が訴えるには「この検査室が揺れています。怖いです。」 それを傍で見ていた実習生の一人(私の実習仲間)が、「大丈夫ですよ。検査室は揺れていませんから、しばらくそこで寝て頂けたら検査は終了します」 これに感動した私だが、検査が終了した後に検査員氏から返って来た言葉とは。 「いちいち患者を安心させていたのでは、仕事がさばけません! 患者の訴えなど聞かぬふりをして強制的に検査を実施せねば、プロとして患者の多い大学病院になど勤められませんよ!」……
 (これは、今から遡る事40年前程の話であることを付け加えておこう。 たとえ国立大学付属病院とて、現在は患者対応に於いて進化を遂げている事であろうと信じたい。)

 あるいは、精神科病院に務めた人物の話を見聞した事実を語るなら…。
 やはり、相談者同様の病院内で繰り広げられる職員による暴言(暴力も!)凄まじいものがあるとの事実のようだ。
 それ以外にも例えば、失禁を繰り返す患者氏の洗濯を担当した女性曰く、「何でもかんでも洗濯機にぶち込まねば仕事が終わらないのが現実。」 その結果、如何なる洗濯がなされたのかはご想像に任せるが… 


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 如何に考察しようが、世の中とは実に不条理に出来ている。
 介護士、あるいは保育士等々、今現在の世に於いて一番切望されている職種に於いて、実際人員不足の実態だ。
 それなら、国政もその職種育成にこそ巨額の財源を注ぎ込めば良さそうなものを、実際その対応が後回し状態でもある。 国政は口先ではその分野への財源投資を発表してはいるが、その実態とは少しだけ給料増額を政策としている程度であり、その実は巨額財源投資内のたかがほんの少しだ。

 そんな厳しい現実下で、せっかく介護士として世を渡ろうとしている“悩みのるつぼ”相談者の20代介護士氏に、私からアドバイスをするならば。

 職場が抱えている「風土・体質」とは、わずか20代にして覆せないのが実情であろう。 その職場にて、相談者男性が好転することは悲しいかな無理と私は結論付ける。

 では、どうすればよいのか? 
 アルバイトでも何でもよいから、とにかく働きやすい介護職場に一旦職替えするべきだろう。 そしてその合間に介護職の上位資格取得(ケアマネジャー等々)を目指し、勉強に励んでは如何だろうか?
 厳しい指摘だが、自分自身が少しでも苦学精進して世の上位に君臨し発言力を伴ってこそ、叶う自分の未来ではなかろうか?!?

 そうでもしなければ、長年慣れ切って来た悪しき職場の風土・体質とは、昨日今日入所した新人職員に覆せる訳もないのが世の常であろうと、私は考察する。