原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

不気味に増殖するフジツボ

2009年02月28日 | 学問・研究
 本日取り上げる話題が真実か偽りかの検証をせずして記事として綴ることを、最初にお断りしておく。


 20歳代の若かりし頃に、背筋がゾッとして全身の血の気が引くような話を知人より耳にした。
 まずは、その“奇談”から紹介することにしよう。

 知人の知人が、海へ海水浴に行った時の話である。
 泳ぎの得意なその人物は、海の中で素潜りを楽しんでいたらしい。そうしたところ、海中の岩に膝をぶつけてしまい、負傷したとのことである。
 傷が深いため病院を受診し、傷口を縫合して様子をみていたところ、日数が経過し傷口は塞がって治ったかにみえたそうだ。
 恐怖はここからはじまる…
 どういう訳か、治ったはずの傷口辺りが腫れて日ごとにどんどん盛り上がってくるのだそうだ。その盛り上がり様が尋常ではないため、再び病院を受診し、再検査したところ…
      な、な、なんと!!  
      フジツボが膝の骨に寄生し、体内で増殖を続けていたそうである!! 

 海中の岩に膝をぶつけた時に岩に付着していたフジツボが体内に入り込み、骨に寄生し増殖したものと考えられるそうだ。 
 その人物は膝の骨からフジツボを除去する再手術を受けた、とのことである。

 知人よりこの話を耳にしたとき、背筋がゾッとしつつも、疑り深い私は内心は冷静だった。当時医学関係の仕事に従事していた私は、学術的に考察した場合、人間の体内でフジツボが増殖し得るのかどうかについては半信半疑のまま月日が流れた。


 先だって2月18日(水)の朝日新聞夕刊 環境面の「外来フジツボ 勢力拡大」と題する記事を見てすぐさま、若かりし頃に耳にした上記の“フジツボ奇談”が私の脳裏に蘇ったという訳である。

 この朝日新聞の記事を読むと、もしやフジツボは人の体内でも骨に寄生して増殖し得るのか?!と再認識させられるほど、フジツボの繁殖力は旺盛であるようだ。

 では、朝日新聞記事の一部を以下に要約して紹介しよう。

 中米パナマ原産のフジツボが本州沿岸に侵入し繁殖を始め、在来産のフジツボを押しのけて勢力を拡大しており、日本の磯の生態系を変えてしまうのではないかと心配されているとのことである。
 日本への定着が確認されたのは、ココポーマアカフジツボと名付けられているフジツボの一種で、繁殖力が強く在来種のフジツボ類を押しのけるように生息域を拡大しているらしい。
 フジツボの幼生が船に付着して成長し、運ばれた先の海域で新たな幼生を放出したのが原因と研究者は見ているそうである。
 進化論で有名なダーウィンは、フジツボの研究者としても活躍していたそうだ。(これは私は初耳ながら大変興味深い。)このココポーマアカフジツボを始めて論文で発表したのはダーウィンであるそうだが、ダーウィンは「種の起源」を発表する前からフジツボ研究者として活躍していたとのことである。
 ダーウィンは絶海の孤島であるガラパゴス諸島を訪ね、隔離された環境で独自の進化を遂げた生物たちを知り、その体験が進化論のヒントとなり偉業を成し遂げたらしい。
 (この外来性のフジツボは漁業用の浮きなどにも付着するとして、プラスチック製の浮きに付着したココポーマアカフジツボの写真がこの朝日新聞記事に掲載されている。この写真を見ると、上記“フジツボ奇談”において人体の骨に寄生して増殖したフジツボの話がリアリティをもって私に迫ってくるのがまた怖い…)

 上記朝日新聞記事の最後に大学教授の見解が綴られている。
 「ダーウィンの時代は今のように海上交通機関が発達していなかったが、もしダーウィンが現状を知ったら、きっと残念に思うでしょう。」


 そもそも人間がもたらした科学や経済の発展と共に、生物群も自ら生き長らえようとする生命力故に、世界に張り巡らされた交通機関等を経由して世界各地に蔓延するのは、今の時代、もはや自然の摂理の一部として容認するべきかと私は捉える。
 このような自然の底力を、地球上の生命体としては歴史が浅い人間の微々たる力で抑制しようとするのは、浅はかな人間の思い上がりであるようにすら私は考察する。
 フジツボの繁殖力は不気味ではあるが、今後の科学はこの種の生命体を利用するべく発想転換する時代に移行しているようにさえ感じるのは、私だけであろうか。 
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それ程重くはない。

2009年02月26日 | その他オピニオン
 「それ程重くはない。」

 少し古い話になるが、この言葉は昨年ノーベル物理学賞を受賞し授賞式から帰国したばかりの小林誠氏が、国内のマスメディアからの「ノーベル賞のメダルは重いですか?」とのインタビューに応じて、返した第一声である。

 昨年ノーベル物理学賞を受賞した日本人3氏のうち、今回のノーベル物理学賞受賞の対象研究に恐らく一番貢献した人物であると思われるこの小林氏に、私は受賞当初より好感を抱かせていただいていた。小林氏は始終控えめな態度でいつも諸先輩の受賞者の後ろに位置し、冷静に言動されていた。
 そんな小林氏が授賞式より帰国後開口一番、今回の自らの受賞に対し、静かな口調で「それ程重くはない。」との私観を述べられたことが私の脳裏に焼き付いている。
 世界で最高の賞とも言えるノーベル賞を受賞され、世界の賞賛の渦中にありながら、ご自身の受賞を「それ程重くはない」と冷静に捉えられている小林氏の奥深い思慮が、私は今尚印象的である。


 すべての事象に重みがないことを体感させられる今の時代である。
 さすがにノーベル賞に関してはある程度の重みがあると私は考えるのだが、世に氾濫する各種の「賞」というものの重みが昔と比して格段と軽くなっていることを、実感する今日この頃である。

 例えば、芥川賞、直木賞等の文学賞であるが、あれなど、今や本が一時期売れさえすればいいという出版社の商業主義の観点で選考がなされているのかと捉えられるほど、賞の価値が成り下がってしまっている印象を受ける。作家が使い捨ての時代と化している現状が浮き彫りであるように感じているのは、私のみであろうか。
 そんな現象を象徴するかのように、受賞者(特に女性の受賞者)は受賞後顔を整形して着飾って、まるでタレントのごとくマスメディアに登場した挙句短命で消え去り、世間から忘れ去られていくのが今の文学賞というものの実態である。

 先だって授賞式が行われた米国アカデミー賞に関しても同様の印象を私は抱いている。
 これに関しては、単に私がそもそも映画というものにさほどの興味がないせいであることによるものかもしれない。 ただ、映画にはズブの素人の私も過去においてアカデミー賞受賞作品に感銘を受けた経験はある。何本かのアカデミー賞作品を観ているが、“クレイマーvsクレイマー”などは大いに感動して涙を流したものである。
 今年の短編アニメ賞を受賞した加藤久仁生監督による「つみきのいえ」は、ニュース報道で垣間見てこの私も興味を抱いている。機会があれば是非観賞させていただきたいものである。 
 その他の今回のアカデミー賞受賞映画に関しては、マスメディア報道から得た情報の範囲内では私がさほど興味を持てないでいるのは、単なる好みの問題であろうか。

 文学にせよ、映画にせよ、社会における情報の多元化や人の価値観の多様化と共に、今の時代は如何に優れた作品であれ“一世を風靡”するという現象が困難な時代と化しているようにも思える。それが「賞」の重みを下落させている一因であるようにも考察する。
 これは、人の個性の多様性の尊重という意味合いにおいては“健全”な現象であろう。そして別の意味では人間同士の共通の話題がどんどん減少し、人間関係の希薄化を加速する一要因ともなっているのであろう。


 いずれにしても、商業主義に基づいた「賞」や、それとの癒着により一部の個人に一時のみの利益しかもたらさない「賞」とは、結局は今後の科学や学術や文化の発展に寄与し得るすべもなく、歴史のほんの一端さえ形成し得ないことは明白である。
 商業主義を抜きにしては成り立たない今の資本主義社会構造の中において、「賞」の重みがどんどん下落していくのは、残念ではあるが必然的な現象であるのかもしれない。 
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飲兵衛の心得

2009年02月24日 | 
 いや~~、やってしまった……
 あの影像は見ている方が辛かった… 

 先だってのG7後の「もうろう会見」で世界中に醜態を晒して、財務・金融相を引責辞任したあの方の影像の話である。
 ご本人は風邪薬のせいにしてごまかしたつもりのようだが、あれは大方の指摘通り、どうひいき目に見ても酒の泥酔状態の成せる業である。
 引責辞任してしばらくは社会から姿を隠すしか、あの方の身の置き場はないであろう。

 同じく自他共に認める飲兵衛であるこの私も、長い人生においてあちこちで泥酔して散々醜態を晒しおおしてきている。それが故に、あの醜態の影像を見せられたことはこの私には心底辛かった。我が“飲んだくれ”の恥さらし人生がフラッシュバックするようで、私の方が穴があったら入りたい気持ちにさせられ、我が目を覆ったものである。
 
 
 この機会に、私自身の過去の酒席の反省とご迷惑をお掛けした皆様への謝罪の意味も込めて、我が人生における酒の上での醜態について、少し振り返ってみることにしよう。

 私の場合の泥酔の醜態の失敗は、“暴言”が最多だったであろうか…。
 飲兵衛の悪癖の中でも一番嫌われるパターンであろうが、私は泥酔すると周囲に怒りをぶつけ始める癖がある。決して根も葉もない事柄について怒り始める訳ではなく、怒りの根拠は必ずあるのだが、それにしても言い過ぎであることにはいつも酔いが冷めてから気が付く。“時既に遅し”である。
 ただ親しい相手同士の場合、それを後日相手からとがめられたり、それが元で不仲になったという事はないため、自責の念に怯えるほどの暴言ではなかったのかもしれない。あるいは「また始まったか」程度で、誰も相手にしてくれていなかったというのが正解であろうか。

 それから私特有の泥酔時の奇癖として、相手構わず人に“くっつく”という醜態を独身時代によく晒したものである。これは特に男性は喜ぶ人も多いのだが、大いに誤解を招く醜態であり、後々まで誤解を引きずることも少なくなかった。逆にこれがきっかけで恋愛関係に発展したこともあるのだが…。

 転んだり物にぶつかったりで、怪我をしたこともよくある。
 ある時は、泥酔のあくる日胸に激痛を感じた。どうやら椅子から転げ落ちて胸を打った時に肋骨を痛めてしまったようだ。動いても喋っても痛く寝返りも打てない日々なのだが、酒の上での失敗のため仕事を休む訳にもいかず、完治まで相当の無理をした。自業自得である。 よく今まで命が繋がっているものだ。

 泥酔すると“脱ぎ始める”人もいるようだが、幸いな事にこの奇癖は私にはない。 命拾いである。ホッ

 引責辞任した財務相同様、私も“ろれつ”が回らなくなる方である。私の場合は結構飲み始め早期から回らなくなる。飲みが深まるとむしろ饒舌となり、上記のように周囲に怒りをぶちまけ始めることになる…
 家で飲んでいる時に一番困惑するのは、飲酒中の不意打ちの電話である。独身時代はすべてが自己責任で済んだが、家族のいる現在はナンバーディスプレイの活用により、飲酒中に大事な電話には一切出ず後日対応することにしている。
 引責辞任の財務相についても既に各種報道で叩かれているが、本人は元より、周囲もなぜ泥酔状態の要人を世界に配信される会見に出席させたのかが不可解である。側近に一人として、会見への出席を何らかの理由を付けて取り止めさせるべく決断できる人物がいなかったものなのか。


 最近の若者は外での酒宴を嫌う傾向にあるとのことである。お金を散在するのが痛いというのもひとつの理由であるようだが、それよりも大きな理由は、外で酒に酔って醜態を晒している大人を見飽きているからだそうだ。(骨身に沁みるお言葉で、心より反省申し上げます。誠に申し訳ございません。

 これに関しては、若い世代の論理は正しい。この指摘には私も降参である。酒であれなんであれ、醜態を晒し合うのは信頼関係のある親しい者同士の範囲内で留めるべきである。決して自らの醜態を公の社会に露呈してはいけない。 ましてや、一国の要人が世界に向けて醜態を晒すなど、言語道断の事態である。
 私も過去における酒による醜態を反省し、社会で酒の醜態を晒すことはもうやめにしようという認識は重々ある。


 それにしても我が人生においてお酒は美味しく飲み続けたいから、親しい方々、今後共お酒のお付き合いをよろしくね!  
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戸籍制度と本人確認

2009年02月22日 | その他オピニオン
 先だっての報道によると、「長男」であるのに、役所の記載ミスにより戸籍上「長女」と記載されていた男性の婚姻届が受理されなかった、という事件が発生したようだ。
 当該自治体は、法務省に対して「長男」に訂正する許可を求め、男性に対し謝罪はしたらしいのだが、その手続きに1週間の日数を要するとのことである。
 

 この私も、戸籍謄本の記載事項の誤記を経験している。

 数年前の話になるが、戸籍抄本が必要となり、当時の私の本籍所在地の東京都豊島区へ取得に出かけた。
 発給された戸籍抄本の内容をその場で確認してみると、私の母の氏名の一字が抜けている。ちょうど全国的に戸籍簿の電算化が進められていた直後であり、手書きの戸籍簿から電算処理へ移行時の役所の「転記入力ミス」であるとすぐさま推測した私は、その旨を母の正しい氏名と共に窓口に訴えた。
 「しばらくお待ち下さい」とのことで、1時間足らず待たされた後、再び窓口に呼ばれた。担当者は新たに作成し直した戸籍謄本を私に手渡しながら、「ただ今貴方の戸籍履歴を確認しましたところ、貴方がおっしゃったお母様の氏名が記載されていましたので、その氏名で作成し直しました。」との不十分ですっきりしない説明である。
 結局、役所の「転記入力ミス」の一言も発せられず、誤記に対する謝罪の一言もないまま、私はその場を立ち去らざるを得ない成り行きとなった。


 さて、話が変わるが、我が子は普段“戸籍名”ではなく“通称名”を使用している。これにはやむを得ぬ事情があるためだ。
 我が子の名前は、母である私がギリシャ哲学より引用して命名している。あれやこれやと漢字の当て字を考慮したり、ひらがな表記も候補として考えたのであるが、原語の持つ意味合いを尊重したいがためにあえて“カタカナ”表記で命名し、役所に出生届けを提出した。
 母としては自信を持って我が子に贈った名前のつもりだったのに、予想だにしない世間からの反応の洪水に合う羽目となるのだ。
 「ご両親のどちらかが外国人ですか?」
 子どもを産んだ後に出会う人、出会う人からこの質問攻めに遭う。名前の由来の本来の意味合いを理解してくれて「ギリシャ哲学からの引用で素敵な名前ですね!」などと言って下さるのは、1%にも満たない。(もちろん、元よりの知り合いの方々は当然ながら名前の由来をご存知で、賞賛いただいていたのであるが…)
 落胆し困惑を極めた私は、子ども本人の苦労を回避するため、幼稚園入園時から“戸籍名”を避けてひらがな表記の“通称名”で通すことに決めた。
 そして現在に至っている訳であるが、公文書や公的機関への書類提出時には“戸籍名”を使用する等の使い分けの労力が日々結構煩雑である。

 先だって、日本郵政公社が民営化によりゆうちょ銀行へ移行したのに伴い、現在ゆうちょ銀行では、通帳の“本人確認”を進めているようである。
 我が子の通帳は“通称名”で作成していたために、この“本人確認”に難儀した話を以下に披露しよう。
 近くのゆうちょ銀行へ行き我が子の本人確認を申し出ることになる。当然ながら、本人であることを証明する書類と通帳との氏名が一致しない。「こういう事例は至って稀」で支店での判断が困難とのことで、係員が本部に問い合わせてくれるのだが、この問い合わせが難航している模様だ。待つこと1時間、結局結論が出ないとの回答で、後日自宅に電話をいただけることになった。そして、後日の電話による指示の何種類もの必要書類を持参して再び支店を訪ねるのだが、またもや係員の電話での本部との話し合いが難航している模様である。またまた待つこと今度は1時間半、やっと通帳を“戸籍名”に書き換えてもらえたのであるが、「本部が届出を受理しない場合も考えられるので、その際にはまた電話する」とのことである。(一体何度ゆうちょ銀行へ足労すれば本人と認めてもらえるの…

 本人が本人であると申し出て、承認されない…
 戸籍制度とは何とも難儀な制度である。



P.S.  表題から話がずれるが、こう言った話題を出すと必ず出るのが「子どもの名前は子ども本人の迷惑を考慮して、親は奇名・珍名は避けるべきだ。」との意見である。この私も既に何度も何度もこの言葉を聞き飽きている。
 そこで私は申し上げたいのだが、奇名・珍名の定義も人それぞれであるということだ。私が子どもに贈った名前は最高の名前であると当時から今に至るまで自負しているし、そんな親の熱い思いは子どもに確実に伝わっている。我が家にとっては決して“奇名・珍名”ではないのである。加えて子どもの成長と共に子どもの周囲の環境も変化してきて、現在では子どもの名前の受容者、賞賛者が増えて苦労も軽減されてきている。
 子どもが高校を卒業した時点で通称名も卒業して、氏名をカタカナの“戸籍名”で通したいというのが、子ども本人の希望でもある。


 我が子の名前が奇名・珍名であるとの反論コメントは、既に成長している子ども本人にも悪影響を及ぼしますため、筆者原左都子のポリシーに基づき、今回に限り、誠に勝手ながら削除させていただきます故をお許し下さいますように。
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哲学者でありたい

2009年02月20日 | 自己実現
 日本の著名な哲学者として真っ先に私の頭に浮かぶのは、和辻哲郎氏である。
 私が哲学を哲学として認識し得るようになった当初の30歳代の学生時代の「倫理学」の授業において、“倫理学の命題をひとつ取り上げ、それについて論ぜよ”という小論文課題を課せられたことがある。私はその命題として“善”を取り上げたのであるが、その際に、和辻哲郎氏の著書「人間の学としての倫理学」を参考文献の一つとして参照させていただいている。
 先程、書棚からこの本を引っ張り出してみると、赤線が沢山引かれていて、哲学に燃えはじめていた若かりし頃の自分の姿が蘇り、当時への郷愁に駆られる思いである。

 同時に思い出すのが、磯野友彦氏である。磯野氏は当時早稲田大学の名誉教授でいらっしゃったと記憶しているが、我が大学には80歳代の高齢にしてご本人の希望で非常勤講師として通われ、「近代哲学」の授業を担当しておられた。
 私は30歳代で遅ればせながら哲学に目覚め、当時の自分の専門ではない哲学関連の授業をはしごしていたのであるが、恥ずかしながら磯野氏の哲学における専門もよく把握せずして授業を受講させていただいた。
 この磯野氏が、知る人ぞ知る著名な哲学者であることを私が知ったのは受講し始めてから後のことである。著名な哲学者である磯野氏の授業を聴くために学内から学部を問わず“哲学マニア”が数人集まってきていて、その受講生の情報から私は磯野氏の哲学的背景を初めて知ったといういきさつである。
 ところが、磯野氏の体調がすこぶる悪く、いつも杖を頼りに歩いてこられては椅子に座り息を整えられる。5、6名の少人数の受講のため授業は小教室で行われていたのであるが、毎講義ごとに先生は「少し待って下さい」とおっしゃって、咳き込み始められる。受講生としては見かねて皆が口々に「先生大丈夫ですか?」と心配しつつ授業の始まりを待つのであるが、女性の私など背中でもさすって差し上げた方がいいのか、と毎時間気をもんだものである。授業中も同様に咳き込まれて中断し、その都度丁寧に「申し訳ありません…」と謝られていた。
 このような磯野氏の健康上の事情により休講も多かったのであるが、大変残念ながら年度の途中で亡くなられてしまい、授業は磯野氏の弟子の哲学者の先生にバトンタッチされた。ご自分の命をかけて、人生の最後の最後まで学生に哲学を語ろうとされた磯野氏の姿は今尚私の脳裏に鮮明に焼き付いている。
 その磯野氏が一番最初の授業でおっしゃった言葉は「人生を生きる中に哲学あり」であった。


 さて前置きが長くなってしまったが、朝日新聞2月13日(金)夕刊“悩みのレッスン”の今回の相談は、14歳の女子中学生による「哲学者の定義は?」であった。早速この相談内容を以下に要約して紹介することにしよう。
 私は哲学が好きで、哲学の本を読んだり自分なりの思いに浸ったりするが、自分とは何者かとか、悲しさはどこから発生してくるのかとか、生きることや死ぬことの意味を考える。そこで疑問なのは、哲学者という肩書に定義はあるのかということである。大学や研究室に入ればそう呼ばれるのか、論文を発表して認められたらなのか、それとも自分が哲学者だと思ったら哲学者なのか…。また、考える時の苦悩や喜びなどはどんなものなのか?
 以上が女子中学生の相談の内容である。

 ここで一旦私論に移るが、この相談コーナーの相談はいつも“すばらしい”の一言に尽きる。今回の相談も中学生にして既に哲学に目覚め、哲学の本を読み、自分とは何者か、生きること死ぬこと等に思いを馳せ、哲学者の定義とは何かと模索する… それでもう十分に哲学者たり得るのではないかと、私など頭が下がる思いである。
 現在はプラスの意味合いでも情報を入手し易く学問的環境も整っている時代であり、本人に受容能力さえあれば若い頃から哲学をはじめ様々な学問に存分に触れることができることを、この相談を読むと実感させてもらえる。私が若かりし当時は、学問に触れる手段としては書籍か大学で学ぶしか選択肢のない時代で、30歳代にして哲学に目覚めた私など、羨ましくさえ感じる相談内容である。


 今回の“悩みのレッスン”の回答者は哲学者の森岡正博氏である。以下に回答内容を要約しよう。
 哲学者の肩書きに定義はない。自分とは何か、生と死といった問題に、徹底して自分の頭で考え続けていくことができれば、あなたはもう哲学者だ。哲学者になるためには何の資格も要らない。極端な話「私は哲学者である」と宣言しさえすれば誰でも哲学者になることができる。
 哲学の愛すべきところは、世間の価値観からまったく自由になって、物事を突き詰めて考えることができる点である。たとえば、我々は過去・現在・未来と時間が流れると思っているがそれを疑う哲学者もいる。存在するのは「いま」だけで、その他はすべてまぼろしだと言うこともできる。
 自分自身の生にとってもっとも大切な問題を、狂気のように追求せざるを得ないのが哲学者の苦悩であり、また喜びなのだ。
 以上が、哲学者森岡氏の回答である。


 哲学の話からはずれるが、この私も何歳になっても決して周囲に流されて“右にならえ”で生きたいとは思わない。如何なる事象であれ、自分自身で分析し状況判断し深く思慮し模索して結論を導きながら、苦悩と喜びを自分のものとして実感しつつ、納得して我が人生を生き長らえたいものである。
 そういう意味で、私は今後共“哲学者”であり続けたい。
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