(写真は、台北中央部市街の風景。 娘が自分のカメラで撮影したのを拝借した。)
人は何故、旅に出るのだろう。
その答えを、今改めて模索してみた。
私なりの結論を出すならば、 “一時でよいから現実世界から脱出して環境を変えよう!” なる感情に終結しそうに思う。
(もちろん、仕事関係の出張等々必要に応じて旅立つ人々が多数なのであろうが、観光旅行の場合、大抵皆様も私同様の目的を無意識に内心に掲げているのではあるまいか?)
英語の「trip」にも、“幻覚経験をする” “止め金が外れる” なる意味がある。
まさに大袈裟に表現するならば、「旅」とは、一瞬現実から離れ別世界にて止め金を外し幻覚体験をする。 その事に旅の意味が見出せそうに私は思う。
今回の台北旅行は、特別その思いが強かった。
何分、4月に新入社員として民間企業へ就職し社会進出を立派に遂げた娘の日頃の頑張りを、何とか癒してやりたい母心が満載だった。
そのプレゼントとして(なけなしの我が厚生年金より)資金を拠出してでも、娘を一時仕事から trip させてやりたかったのだ。
それにしては、娘の夏季休暇は短期間だ。
それでも、trip はやはり国内より海外がサプライズが大きい事には間違いない。 そうこうして選んだのが台北だった。
旅行の直前期に、私は様々な事情で疲れ果てていた。
例えば、義母の後期高齢者保険証が届かず、猛暑の中それに奔走させられる日々だった。
旅行出発直前期には台風が上陸するとの予報。 これに巻き込まれたら、成田まで行って右往左往せねばならない。 私はともかく娘を疲れさせるわけにはいかず、その対策を事前に十分に考慮した。 (結果として飛行機が飛び立ってくれたのは実にラッキーだった。)
台北旅行中、一時(8時間)のみバスツアーに頼るとの(私にとっては大いなる不本意の)大失策も経験した。
ところが私程に集団嫌いではない娘にとっては、さほどの苦痛では無かった様子だ。
そのバスツアー中に、観光名所ではない場で写真撮影する私を奇妙に感じる日本人バス客がいたようだ。
若き男性曰く、「こんな場で写真を撮ってどうするんだろうね?」 小声で連れ合い女性にささやいたようだが、私の耳内に明瞭に刻み込まれた。
旅行者により写真撮影観点や物事の興味の対象が全く異なる事は、最初から十二分に承知の上だ。
それに加えて、私は思った。 「ははあ。 この人達は“ブログ”をやってないね。 自分自身のテーマでそれぞれにそれを公開している人物ならば、私の写真撮影の意味も理解してくれたのだろうが……」
ただそのお陰で私はこうやって、原左都子なりの「台湾旅行記」を一記事に一枚の写真掲載により投稿する事が叶っている。
最後に、台北にてお世話になった皆様に感謝を申し上げて、我が「台北旅行記」の総括としよう。
台北到着早々の夜、ホテルのバスタブで転倒し後頭部強打負傷及びシャワーカーテン破損とのとんでもない事故をしでかした私に、滞在中ホテルスタッフの皆様が親切に対応して下さいましてありがとうございました。
最終日の夜中の出発時には、想定外(無償)のお弁当まで持たせて頂いた事に心より感謝致します。
台北より帰国後日数が経過し後頭部の痛みも和らぐと共に、もう一度台北を訪問したい! なる意思を持てる事実が自分でも嬉しい。
「trip」とは、人間に明日の生きる力をもたらしてくれる業と改めて実感させられる。
人は何故、旅に出るのだろう。
その答えを、今改めて模索してみた。
私なりの結論を出すならば、 “一時でよいから現実世界から脱出して環境を変えよう!” なる感情に終結しそうに思う。
(もちろん、仕事関係の出張等々必要に応じて旅立つ人々が多数なのであろうが、観光旅行の場合、大抵皆様も私同様の目的を無意識に内心に掲げているのではあるまいか?)
英語の「trip」にも、“幻覚経験をする” “止め金が外れる” なる意味がある。
まさに大袈裟に表現するならば、「旅」とは、一瞬現実から離れ別世界にて止め金を外し幻覚体験をする。 その事に旅の意味が見出せそうに私は思う。
今回の台北旅行は、特別その思いが強かった。
何分、4月に新入社員として民間企業へ就職し社会進出を立派に遂げた娘の日頃の頑張りを、何とか癒してやりたい母心が満載だった。
そのプレゼントとして(なけなしの我が厚生年金より)資金を拠出してでも、娘を一時仕事から trip させてやりたかったのだ。
それにしては、娘の夏季休暇は短期間だ。
それでも、trip はやはり国内より海外がサプライズが大きい事には間違いない。 そうこうして選んだのが台北だった。
旅行の直前期に、私は様々な事情で疲れ果てていた。
例えば、義母の後期高齢者保険証が届かず、猛暑の中それに奔走させられる日々だった。
旅行出発直前期には台風が上陸するとの予報。 これに巻き込まれたら、成田まで行って右往左往せねばならない。 私はともかく娘を疲れさせるわけにはいかず、その対策を事前に十分に考慮した。 (結果として飛行機が飛び立ってくれたのは実にラッキーだった。)
台北旅行中、一時(8時間)のみバスツアーに頼るとの(私にとっては大いなる不本意の)大失策も経験した。
ところが私程に集団嫌いではない娘にとっては、さほどの苦痛では無かった様子だ。
そのバスツアー中に、観光名所ではない場で写真撮影する私を奇妙に感じる日本人バス客がいたようだ。
若き男性曰く、「こんな場で写真を撮ってどうするんだろうね?」 小声で連れ合い女性にささやいたようだが、私の耳内に明瞭に刻み込まれた。
旅行者により写真撮影観点や物事の興味の対象が全く異なる事は、最初から十二分に承知の上だ。
それに加えて、私は思った。 「ははあ。 この人達は“ブログ”をやってないね。 自分自身のテーマでそれぞれにそれを公開している人物ならば、私の写真撮影の意味も理解してくれたのだろうが……」
ただそのお陰で私はこうやって、原左都子なりの「台湾旅行記」を一記事に一枚の写真掲載により投稿する事が叶っている。
最後に、台北にてお世話になった皆様に感謝を申し上げて、我が「台北旅行記」の総括としよう。
台北到着早々の夜、ホテルのバスタブで転倒し後頭部強打負傷及びシャワーカーテン破損とのとんでもない事故をしでかした私に、滞在中ホテルスタッフの皆様が親切に対応して下さいましてありがとうございました。
最終日の夜中の出発時には、想定外(無償)のお弁当まで持たせて頂いた事に心より感謝致します。
台北より帰国後日数が経過し後頭部の痛みも和らぐと共に、もう一度台北を訪問したい! なる意思を持てる事実が自分でも嬉しい。
「trip」とは、人間に明日の生きる力をもたらしてくれる業と改めて実感させられる。