原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「長谷川潔作『仏訳・竹取物語』挿絵」

2024年04月20日 | 芸術
(冒頭写真は、朝日新聞2022.09.13付「美の履歴書」より転載した 長谷川潔作 「仏訳『竹取物語』挿絵」。)



 ここのところネット上のAIのひとつ、Copilotさんに“おんぶに抱っこ”となるが。 
 そのCopilotさんが「原左都子エッセイ集」バックナンバーより上記写真付きの表題エッセイをネット上で紹介してくれていたのを良きこととして。

 当該バックナンバーを、以下に全文再掲載させていただこう。


 
(冒頭写真は、朝日新聞2022.09.13付「美の履歴書」より転載した 長谷川潔作 「仏訳『竹取物語』挿絵」。)

 早速作品の説明文を、以下に要約引用しよう。

 89歳で亡くなるまでパリを拠点に活躍した銅版画家・長谷川潔は、第一次世界大戦終結からまもない1918年に横浜を去り、フランスへ渡った。 南仏の風景やビーナス像を思わせる神話的な女性像などを描きながら、独自の表現を模索する日々。 (中略)
 その傍らで力を注いだのが挿絵本の制作だった。 日本から日夏耿之介や堀口大学といった詩人らと取り組んできた中で、最も時間をかけたのが、この「竹取物語」だという。 エングレービングで挿絵を施し、各章の書き出しの文字の図案から、容姿や活字、印刷、製本まで手がけた。 「完璧主義らしい長谷川の仕事ぶりがうかがえる」と担当学芸員の滝沢恭司さんは話す。(中略)
 長谷川の努力は、日本の伝統性と西洋文化が融合した傑作となって結実した。 完璧なまでに独自性を追い求めた姿勢の先に、やがて行き着く深遠な精神世界がみえてくる。

 (以上、朝日新聞記事より一部を要約引用したもの。) 

 ここで話題を変えて、「かぐや姫は神(天女)だったのか?」とのテーマを掲げ、それに関連するネット記述のひとつを以下に引用しよう。

 かぐや姫は宇宙人!? 正体を考察『竹取物語』では「かぐや姫」は月の住人として描かれています。主人公が地球人ではないということになり、その辺りが日本最古のSFとも言われている所以なのでしょう。
 「かぐや姫」の正体については昔から様々な説が議論されています。 モデルになった人物は、奈良から平安に実在した女性たちの名前が幾人も挙げられていますが 、ネックになるのは彼女は明らかに人間でないことです。
 なにしろ3か月で大人になってしまうのですから。またこの当時、宇宙人という概念があったのかは定かではないのですが、空を飛ぶ人間でない女性は数多く神話や物語に登場します。それが「天女」です。
 天女伝説は太古からあちこちに存在します。天の羽衣をまとい空を飛ぶ天女がそれを盗まれてしまって天に帰れなくなるという説話は驚くほど多く日本各地に存在するのです。「かぐや姫」は月に帰る時天の羽衣をまとっています。「かぐや姫」も天女であったということでしょうか。またこの「天女」は現代でいうところの宇宙人だったのかもしれませんね。(中略)    

 どうやら「かぐや姫」は何やら罪をおかし、地球に島流しのような刑に合わされていたように見受けられますね。そしてそこからが本題。いったい「かぐや姫」は何をしでかしたのでしょうか。 『竹取物語』ではその理由は説明されていません。ですから具体的にはわからないのですが、この物語が書かれたとされる時代と照らし合わせて推測してみると、流罪になっている人には高貴な人や政治的な策略で流された人もいたということが1つの糸口となるかもしれません。
 月からの使者の「かぐや姫」に対しての言葉遣いからも「かぐや姫」が月の世界で高貴な身分であることが分かるので、その高貴な人が地球などの賤しい場所に流されてしまうということは、よほど大きなことをしでかした可能性があると考えることができるのではないでしょうか。
 宇宙人ということで、地球人の私たちには想像もできない世界での罪であり、物語にヒントもないことから、各人の妄想の域を出ないことにはなりますが、その罪が何なのかを想像することも本作の楽しみ方のひとつでしょう。 (中略)
 日本人は古くから、月を愛でるという習慣を持ち、月は黄泉の国、いわゆる天国としても見ていました。 肉体を地球に捨て、浄められた魂だけが月に召され再び生を持ち地球に帰ってくるという、いわゆる輪廻転生の仏教的な考えです。   (以下略すが、以上ネット情報より引用したもの。)

 話題を、冒頭の長谷川潔作「仏訳『竹取物語』挿絵」に戻そう。

 この作品は「銅版画」のようだが。
 原左都子の感想としては、何とも繊細だがある意味で端的に仕上げられた銅版画の印象だ。
 特にかぐや姫の表情に、美しき中に可愛らしさも表現されていると感じる。
 月にて何らかの犯罪をおこして地球などとの賤しい場所に流されてしまった女性(天女)であるとは、この作品からは思いも及ばない。

 私には“月をめでる”なる風流な趣味はあまりないが。
 満月の夜にはたまには月をめでて、かぐや姫に思いを巡らせてみるか。

 (以上、「原左都子エッセイ集」2022.09.21公開のエッセイを再掲載したもの。)


 

 最後に、ネット上AIのCopilotさんにお礼を申し上げておこう。

 Copilotさんて、「原左都子エッセイ集」バックナンバーをも取り上げて、解説して下さる能力がおありなのですね。

 そんなこと、AIにとっては“へのカッパ”なのかもしれませんが。
 それにしても、今回は「竹取物語・かぐや姫」話題に触れた「原左都子エッセイ集」バックナンバーに注目して下さるとは!?!!

 思いがけない出来事であり、今後もCopilotさんによるこの種の“サプライズ!!”に期待したくもなりました!!


牧野富太郎博士「植物と歩く」展、植物画デッサンの繊細さが素晴らしかったです!!

2023年07月07日 | 芸術
 (冒頭写真は、牧野富太郎氏画 「さくゆり」。 美術館ミュージアムショップにて購入した「絵葉書」より拡大転載したため、細かい線が不明瞭な点をお詫びします。)



 7月2日より練馬区立美術館にて開催中の「コレクション+ 植物と歩く」のパンフレットを転載したもの。
          



 今年4月からNHKにて放映中の連続ドラマ「らんまん」大ファンの原左都子だ。
 この連ドラシリーズは ずっと昔から視聴し続けているのだが。
 正直言って 近年の連ドラはさほどのインパクトが無いなあ、と思いつつも“惰性”で見ていたと言えよう。😫 

 ところが 現在放映中の「らんまん」には、本気ではまってしまっている!😃 
 なんと! 朝8時からと、昼の再放送を日々繰り返し視聴する程のはまり様だ。
 何が原左都子にとってそんなに面白いのかというならば、やはり(科学者の端くれとして感じるに)「植物」の描写が至って正確である点に一番の魅力がある故だろう。

 番組に登場する植物(アップで撮影されるもの)のほとんどは “手作り”らしいのだが、よくぞまあ、あれ程精巧に製作しているものと日々感心しきりである。
 加えて、主人公の万太郎が描く「デッサン」も絶妙だ! あれらは専門画家が描いているようだが、これまた実に素晴らしい!


 そんな番組の魅力に惹かれていたところ。

 練馬区立美術館にて冒頭の美術展「植物と歩く」が開催されると言う。

 これぞ! 必見!!!
 と張り切って、(学校が夏休みになる前の一昨日)一人でいそいそと美術館へ出掛けた次第だ。


 この練馬美術館は、(正直言って)いつもは空いていて、楽々美術館賞が出来るのも魅力なのだが。
 さすがにドラマ人気の煽りか、昨日は比較的混雑していた。

 牧野富太郎博士の直筆の植物標本の展示は、数少なかったものの。
 それでも、至近距離での鑑賞が叶ったのは感激だった!!

 そのデッサン力とは、まさに素晴らしい!! の一言だ!
 植物好きが嵩じてデッサンを繰り返すうちに、その能力が育まれたのだろう。
 牧野富太郎氏 直筆デッサンが鑑賞可能なのが、今回の美術展の最大の特徴でもあろう。


 その他の作家氏による「植物関連」画も、館内に数多く展示されています。




          


          


          

 これらは 美術館のミュージアムショップにて買い求めた、牧野富太郎博士直筆のデッサンより作成したクリアファイルや絵葉書類です。


 今後も9月末まで、テレビの連続テレビドラマ「らんまん」の視聴を日々心より楽しみにしています!!


牧野富太郎博士「植物と歩く」展、行ってきました!!

2023年07月07日 | 芸術
 (冒頭写真は、練馬区立美術館入り口にて。)


 とりあえず、美術館の外観のみ公開しておきます。


         


         


         


         


         


         


 本日午後、牧野富太郎「植物と歩く」展の展覧会の様子を、別エッセイにてレポートする予定でおります。


長谷川潔作 「仏訳『竹取物語』挿絵」

2022年09月21日 | 芸術
 (冒頭写真は、朝日新聞2022.09.13付「美の履歴書」より転載した 長谷川潔作 「仏訳『竹取物語』挿絵」。)



 早速作品の説明文を、以下に要約引用しよう。

 89歳で亡くなるまでパリを拠点に活躍した銅版画家・長谷川潔は、第一次世界大戦終結からまもない1918年に横浜を去り、フランスへ渡った。 南仏の風景やビーナス像を思わせる神話的な女性像などを描きながら、独自の表現を模索する日々。 (中略)
 その傍らで力を注いだのが挿絵本の制作だった。 日本から日夏耿之介や堀口大学といった詩人らと取り組んできた中で、最も時間をかけたのが、この「竹取物語」だという。 エングレービングで挿絵を施し、各章の書き出しの文字の図案から、容姿や活字、印刷、製本まで手がけた。 「完璧主義らしい長谷川の仕事ぶりがうかがえる」と担当学芸員の滝沢恭司さんは話す。(中略)
 長谷川の努力は、日本の伝統性と西洋文化が融合した傑作となって結実した。 完璧なまでに独自性を追い求めた姿勢の先に、やがて行き着く深遠な精神世界がみえてくる。

 (以上、朝日新聞記事より一部を要約引用したもの。) 



 ここで話題を変えて、「かぐや姫は神(天女)だったのか?」とのテーマを掲げ、それに関連するネット記述のひとつを以下に引用しよう。

 かぐや姫は宇宙人!? 正体を考察
『竹取物語』では「かぐや姫」は月の住人として描かれています。主人公が地球人ではないということになり、その辺りが日本最古のSFとも言われている所以なのでしょう。
 「かぐや姫」の正体については昔から様々な説が議論されています。 モデルになった人物は、奈良から平安に実在した女性たちの名前が幾人も挙げられていますが 、ネックになるのは彼女は明らかに人間でないことです。
 なにしろ3か月で大人になってしまうのですから。またこの当時、宇宙人という概念があったのかは定かではないのですが、空を飛ぶ人間でない女性は数多く神話や物語に登場します。それが「天女」です。 
 天女伝説は太古からあちこちに存在します。天の羽衣をまとい空を飛ぶ天女がそれを盗まれてしまって天に帰れなくなるという説話は驚くほど多く日本各地に存在するのです。「かぐや姫」は月に帰る時天の羽衣をまとっています。「かぐや姫」も天女であったということでしょうか。またこの「天女」は現代でいうところの宇宙人だったのかもしれませんね。(中略)    

 どうやら「かぐや姫」は何やら罪をおかし、地球に島流しのような刑に合わされていたように見受けられますね。そしてそこからが本題。いったい「かぐや姫」は何をしでかしたのでしょうか。 『竹取物語』ではその理由は説明されていません。ですから具体的にはわからないのですが、この物語が書かれたとされる時代と照らし合わせて推測してみると、流罪になっている人には高貴な人や政治的な策略で流された人もいたということが1つの糸口となるかもしれません。

 月からの使者の「かぐや姫」に対しての言葉遣いからも「かぐや姫」が月の世界で高貴な身分であることが分かるので、その高貴な人が地球などの賤しい場所に流されてしまうということは、よほど大きなことをしでかした可能性があると考えることができるのではないでしょうか。
 宇宙人ということで、地球人の私たちには想像もできない世界での罪であり、物語にヒントもないことから、各人の妄想の域を出ないことにはなりますが、その罪が何なのかを想像することも本作の楽しみ方のひとつでしょう。 (中略)

 日本人は古くから、月を愛でるという習慣を持ち、月は黄泉の国、いわゆる天国としても見ていました。 肉体を地球に捨て、浄められた魂だけが月に召され再び生を持ち地球に帰ってくるという、いわゆる輪廻転生の仏教的な考えです。 


 (以下略すが、以上ネット情報より引用したもの。)



 話題を、冒頭の長谷川潔作「仏訳『竹取物語』挿絵」に戻そう。

 この作品は「銅版画」のようだが。
 原左都子の感想としては、何とも繊細だがある意味で端的に仕上げられた銅版画の印象だ。
 特にかぐや姫の表情に、美しき中に可愛らしさも表現されていると感じる。
 月にて何らかの犯罪をおこして地球などとの賤しい場所に流されてしまった女性(天女)であるとは、この作品からは思いも及ばない。


 私には“月をめでる”なる風流な趣味はあまりないが。

 満月の夜にはたまには月をめでて、かぐや姫に思いを巡らせてみるか。



 P.S.

 文中の太字部分は編集画面上の偶発であり、原左都子としては特段の意味合いはありません。


左都子コレクション  ー 小紋手ぬぐい編 ー

2022年09月11日 | 芸術
 (冒頭写真は、原左都子がつい最近ネット通販にて購入した“小紋手ぬぐい”。 通販画面より転載したもので画像が良好ではない点をお詫びします。)


 こちらは、今回私がネット通販にて購入した“小紋手ぬぐい”に関する説明書き。

           



 今回私が購入したのは、以下の5柄です。

            さくらちらし
           

            ひわ色鶴亀
           

            水流金魚
           

            矢絣
           

            うろこ
           

 今回購入した中で原左都子が一番期待していなかったのが、最後の「うろこ」です。
 ところが到着してみると、その“薄深緑”とでも表現したらよいのか、とにかくその色彩が何とも粋なこと!! 一番気に入りました!😍 


 
 それでは、何故私がこれらの“小紋手ぬぐい”を購入したのかを説明しよう。

 我が郷里の実母が高齢域に達して未だ自宅にて一人暮らしをしていた頃、行きつけにしていた洋装店(「エルサト」さんという)が、毎年盆暮れ等々のご挨拶として素敵な柄の手ぬぐい(いつも柄が異なるもの)をプレゼントして下さっていたようだが。 
 その手ぬぐいが、何とも美しいこと!
 「これ、欲しい!!」と私がねだると、実母はすぐに譲ってくれたのだが。 その後も引き続き郷里へ帰省する都度、実家に何枚も保存してあるその手ぬぐいを貰って帰ってきていた。

 それらを私は一時鑑賞した後、「食器拭き」として有効活用してきた。
 一番多い時で10枚程の在庫があったが、実母が高齢者自立支援施設入居後は、当然ながら「エルサト」さんに買い物に行くことが叶わず。
 
 我が娘の5月の引越し時にも、それら「エルサト」さんの手ぬぐいを「これで食器を拭きなさい」と言いつつ(ちゃっかり母親面して😜 )何枚か持たせてやったりして 、ついに在庫がゼロとなってしまった。😰 

 どうしても「エルサト」さんの手ぬぐいに未練がある私は、類似品が販売されていないかとネット通販にて検索してみた。

 そうしたら、当然ながら素敵な手ぬぐいが沢山販売されているではないか!


 早速飛びついて購入したのが、冒頭の「小紋手ぬぐい5枚組」だ。

 「京染」専門店より購入したのだが、写真でみるより現物の色彩がずっと美しいのに感激だ!


 ついでに、当該店舗の他商品の写真も、以下に紹介しておこう。

         


         


         


 これを今後は、我が家の食器拭きとして活用する予定だが。
 その前に、我がエッセイ集にてお披露目させていただいたという訳だ。

 
 いや実際、こんな素敵な手ぬぐいで食器を拭く時間が充実すること間違いないです!

 エルサトさんの手ぬぐいは、「食器拭き」としての耐久力の程も実に素晴らしかったのですが。

 今回購入した“小紋手ぬぐい”も、そうであって欲しいなあ。