原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

東京でも今夜から雪が降るらしい…

2019年01月31日 | 雑記
 (写真は、1年程前の2018.01.22に東京で降った大雪の日に自宅のベランダから写した小学生が下校する風景。)


 南国生まれの私の場合、本格的な大雪を経験したのは上京後の事だった。
 (とは言ってもたかが30㎝程の積雪であり、雪国の皆さんには何とも申し訳無い話だが…。)

 雪対策に全く無知な私は、大雪が降っても必ずやハイヒールにて職場へ通勤しその道中に何度も転び怪我をして痛い思いをした、とのくだらない雪の思い出しかない。


 そんな中、印象に残っている雪の思い出光景を綴った 2018.01.22 公開の「大雪とハイヒールと白いボアぐつ」と題する、ちょうど1年前程のエッセイの一部を以下に反復させていただこう。

 (2018.01.22の)朝方から降り始めた雪は正午頃より急に激しくなり、冒頭写真の通り東京23区内に位置する我が家の周辺でも既に5㎝程の積雪が観測可能だ。 
 気象情報によれば、大雪は今夜にかけて更に激しさを増すとのことだ。 明日朝までの積雪量を予想するに、大都心にして記録的積雪量となることに間違いない。
 話題を変えるが。
 大雪と聞いて思い出すのは、上京後の我が大雪時の大失態だ。
 上京以前は南の地方に位置する郷里に生まれ暮らしていた私だが。 そんな私にとっては、大雪と言えどもせいぜい5㎝程度の積雪の記憶しかない。 それも子供時代の話であり、ハイヒールを履く年齢に達して以降大雪を経験していない身でもあった。
 上京後は、我が“お洒落感覚”に更に拍車がかかる。
 そんな私は、(今思えば)愚かにも大雪時にハイヒールを履いて通勤したものだ。 ただし少しばかり危険に対する配慮もあり、いつもは10㎝程のヒールなのだが積雪時には5㎝程のヒールで出かけた。
 それでも転ぶ。 また転ぶ。  それを職場の同僚に訴えても、皆から「積雪時にヒール靴は非常識だ!」との指摘しか返って来ない。
 ただ、今思えば当時の私は若かった。 転んでも大した怪我をしないため、やはり“安全よりお洒落感覚”優先だ。 これは絶対譲れなかった。
 そんな私が20代後半期に差し掛かった頃、冬場に郷里帰省した際たまたま雪が降った。
 大した積雪量ではないのだが、東京の積雪時にハイヒールを履いてよく転ぶ事実を母に話すなり。
 母がすぐさま取った行動とは、私を靴屋に連行することだった。 そして、雪道を歩けるシューズを買うから好きなのを選べ、と言う。 そんなもの要らないのが本音だが、そこまで母が言うならと、私は内面ボアの白い長靴を買い求めた。
 郷里を離れる頃には既に雪が止んでいたため、私はハイヒールにて東京へ戻った。 その後、母がすぐにその白い長靴を東京まで宅配してくれた。
 東京に戻って後の事だ。 これまた大雪に見舞われた。 それが運悪く、知り合って日が経たない彼氏とデートの約束があった日だ。  ハイヒールで出かけようにも、物凄い大雪でとてもじゃないが不能だ。
 私も覚悟を決めた。 母が郷里で買ってくれた白い長靴を履いて行こうと!
 そして彼氏に会った直後に告げた。 「今日は大雪だから、こんな長靴で来てしまったのだけど…」
 それに応えて彼氏曰く、「十分、可愛いよ」
 当時はそんな一言にほだされる年代だったのも、包み隠さぬ事実だが…。
 そうだとせよ、未だによく覚えている一言だ。  その後、私は本気で「適材適所」のファッションが可能となった気もする。
 (以上、我がエッセイ集バックナンバーの一部を要約引用したもの。)


 ここで、こっそりその“後日談”をお話しよう。

 この彼氏と知り合ったのは、私が次なる目標を設定してその夢が叶い、春には医学関係の職場を退職して、新たに2度目の大学へ入学せんとしている “怒涛の変革時期”だった。
 我が年齢が既に30歳。 そんな私の果敢なる冒険を理解してくれた上での交際だった。
 いやいや、絶対的に高身長のイケメンだったし、IT技術者として安定した職業人でもあった。
 この人について行けば、私は“ラクして” 大学・大学院を修了し、その後の夢も叶えられる!なる憶測も内心あったのが事実だ。
 そして春になり、この彼氏は私の2度目の大学の入学式会場まで快くマイカーで送ってくれた。

 ただ、その時我が脳裏に「これは違う!」なる“過ち感”が脳裏をかすめていた。
 その後2度目の大学にて学業に励むにつれ、その我が“過ち感”が増大してきたのだ。
 そして私はその彼氏との別れをこちらから告げた。 彼氏側もその我が思いを受け入れてくれて…。
 その後私は6年間の年月に渡り独り身で収入を得ながら二度めの大学及び大学院にて学び通し、「経営法学修士」を単身自力でゲットした!!
 この経験こそが、高齢域に差し掛かろうとしている現在の我が“常に自力で前進したい!”とのポリシーを支えてくれているものと実感する。
 (え~~~。嘘放けよ、お前の2度目の在学中に自分も支えてやったよ! なる反論が複数の男性より届きそうだが……。

 
 さてさて、今夜は東京に雪が降るのかどうか??
 以下に、ネット情報より引用しよう。

 本州の太平洋岸を東に進む南岸低気圧の影響で、きょうは昼過ぎから夜にかけて雪が降り山間部を中心に平地でも積雪になる見込みだ。
 毎年大雪に悩まされる北国や日本海側の地方の住民から見れば、数センチの雪くらいで交通機関がマヒする首都圏がいかに脆弱に見えるが、それには理由がある。 というのも、本州の太平洋側に雪を降らせる南岸低気圧は気象予報官泣かせの予測が難しい雲だからだ。(途中大幅略)
 南岸低気圧は、関東の南の海上にある低気圧や前線から、雨を降らせる雲が北寄りのコースをとるか、南寄りになるかで、陸上に雨や雪を降らせるかが変化する。仮に同じ位置を通っても、雲の広がりが予想より小さい場合は降らない場合もあるため、南岸低気圧に伴う予測は、低気圧のコースと雲の広がりの両方を正確に予測しなければならない。 さらに雲の中で作られる氷の粒が、そのまま地上に届けば雪になるし、解けてしまえば雨になる。これを左右するのは、地上から上空までの気温の分布予想がカギを握るため、気象予報官がギリギリまで頭を悩ませることになる。
 (以上、ネット情報より大幅省略しつつ引用したもの。)


 今夜、東京に雪が降るか否か?

 大都会に住む東京人にとって、切なる重要課題である事には間違いないであろう。
 それにしても、大都会の大雪がもたらす出来事が吉と出るかそうでないかに関しては、個々人の経験則により計り知れないのかもしれないね?? 

「シュガーラッシュオンライン」“ネット友達被害”がテーマの映画だね。

2019年01月30日 | 人間関係
(写真は、1月中旬頃まで上映されていた映画「シュガーラッシュオンライン」のネット上画像をパソコン画面にて撮影したもの。 いつもの事ながら、見辛い映像で失礼申し上げます。)


 何故この原左都子が“子供だまし”の映画なぞを年末から立て続けに観賞しているかに関しては、理由がある。
 前回見た「くるみ割り人形…」(映画版)を見るに際し、自宅から歩いて行ける距離の映画館の“会員登録”をしたのだ。

 これが、かなりお得!
 年間会費がたったの¥500-也で、様々な特典がある。
 そもそも私の場合、「映画1本観賞 60歳以上一律1000円」の特典を利用すれば、1本見ただけで既に入会費を回収出来てお釣りが来ることになる。(参考だが、現在の2D映画観賞料金は、大人¥1800-のようだが。)
 更には、会員更新時には更新費¥500-分の映画館内購買チケットがおまけで付いて来る。


 そんなこんなで昨日(1月2日だったが)、年末年始休暇中の娘を誘って「シュガーラッシュオンラインを見に行ったと言う訳だ。

 まあ何と、映画館内がゲロ混みだこと!!
 特に昨日見た「シュガーラッシュオンライン」は冬休み中の子供連れ家族で満杯だ。
 ただこの映画、小さい子供が見るには多少難易度が高かったかもしれない。 近くの座席から「ちっとも面白くない」なる子供のつぶやき声が聞こえて来た。

 大人の私にとっても、大して面白くはないのだが…


 近頃の映画とは、概して面白くない。 
 特に私にとっては、今の日本映画を見ようの発想がまったくない。
 これどうしたんだ?? と言いたい事には、若き主演女優が何故か(大変失礼ながら)“チビブス”ばかりだ。 (例えば現在上映中の「バナナがナンタラ……」。 これに主演している若手女優はNHK連ドラにても過去に主演していたが、とにかくそのブス度に辟易とさせられ続けた。
 ストーリーは二の次でよいが、せめて大スクリーンにアップで映し出す主演女優くらいは美女であるべきだろう!?? 違うか??

 と言う訳で、結果としてアニメ系の映画を見る機会が多いのだが。
 昨日見た「シュガーラッシュオンライン」に登場するのが、主役を除き全て美女ばかりだ! アニメの美女を見て喜んでもしょうがないのだろうが、それにしてもその描写力が物凄い!と私は感動した。  特にカーレーサー役の準主役女性が、活動的なとてつもない美女として描かれていた事に惚れ惚れした。


 最後に表題に掲げたテーマに戻ろう。
 この映画の主題が「友達」だったことには間違いないだろう。

 場面の最後の方に、主役に対し執拗に「友達」でいることを迫る“怪物”が登場して街中を破壊しつつ暴れるシーンがある。

 このシーンを見た私の脳裏にかすんだのは、現在のネット上の「友達」登録の実態である。
 SNSやブログ等々、今や「友達登録制度」を採用していないネット媒体は皆無であろう。 そんなネット媒体に登録して「友達」の数を競っている登録者が少なくない現状のようだ。
 当該gooブログの場合は、どうやら「友達(読者)登録」を300名程度に制限しているらしいが(?)。 片やFacebookに目を移すと、何千人との「友達登録」を誇っている(?)会員が少なくない現実だ。

 まさにその巨大な「友達登録数」こそが、昨日映画で見た “執拗に「友達」でいることを迫る怪物”の姿であろうかと、私の目にはダブって映った。
 いや私の場合は「友達登録」(と言うより当方からの「読者登録」)を最小限(2020.03現在4名)に絞り込み、その少数の方々と実直・誠実なネット付合いをすることを望んでいる。 それ故に私の場合はネット上で、“執拗に「友達」でいることを迫る怪物”に遭遇する機会は後にも先にも無いであろう。
  
 いえいえ、物凄い数のネット友達とスマートに渡り合っている“ネット達人”もおられることでもあろうが。
 
 この映画の趣旨はもっと別のところにあったのかもしれない。
 ただあくまでも我が感想として、“執拗に「友達」でいることを迫る怪物” の不気味な存在こそが、現代社会のネット上の最大の“落とし穴”であるように、この映画を振り返る。



 P.S.
 題名だけ少し変更したつもりが、最新記事として再び公開された事実をお詫び致します。
 この映画、実に「ネット上の友達登録」の“虚しさ”に関して描きたかった映画だったと、私は“怖い程”に実感致しました。
 物凄い数の友達をネット上で単にその「数」のみを競っている人程、実は現実世界で寂しい思いをしているのではないか?? と懸念する私です…… (2019.01.30記)

“リンゴほっぺスターくん”の作品、なかなかなものです!

2019年01月29日 | 芸術
 (写真は、昨日ギャラリー「つぎのカーブ」にて撮影した“リンゴほっぺスター”くんの作品等。)


 本エッセイは、先程公開したエッセイの続編の形となります。


 最初にお断りしておきますが、今時、一エッセイに1枚の写真しか掲載不能な我が貧弱能力に付き、冒頭写真ではリンゴほっぺスターくんの作品のみの紹介である事をお詫び申し上げます。

 染谷知孝氏の作品に関しては、前回のエッセイ冒頭写真の左下に少し映っているのに加えて、午前中に公開した我がFacebook写真よりの転載(左欄にあります)にてもご覧いただけます…。)


 ギャラリー「つぎのカーブ」にて、染谷知孝氏の作品が販売されていたことをラッキー!として購入させて頂きました!
 その作品名は「歩いていこう」なのだが。

 この作品は、染谷氏のブログにて最初に拝見した時から印象に残っている。  
 何せ、インパクトある作品だ。
 人を描いた図柄なのだが、その表情の強烈さや身体の細さ、そして色彩の派手さに特徴がある。
 染谷氏がこの作品に如何なるメッセージを込められたのかが昨日伺えなくて、残念でもあった…。
 ただ直筆の染谷氏の作品を我が手にゲットできただけでも、私は実に幸運だった。


 さて、息子氏であるリンゴほっぺスターくんの作品に関してだが。

 これについては、ギャラリーオーナーの都守氏よりの解説を現地で伺った。
 私自身も染谷氏のブログにて、既に少しその裏情報を読ませて頂いていたが。
 上記写真下欄中程に撮影したのが息子氏であるリンゴほっぺスターくんの作品だが、消防車を描いた作品のようだ。
 年齢的にその対象物に興味を持つことは必然とも言えるだろう。

 美術素人の我が感想として、リンゴほっぺスターくんのキャンバス(今回の場合は「はがき」だが)の空間の使い方に興味を抱いた。
 その「空間」の配置感覚が絶妙なのだ!
 いえいえ幼い子供の場合、それを自身が意識している訳ではないだろう。 何となく、“ここ”に絵を描きたい”なる本能で描いた事であろう。
 
 参考だが、上記写真の左側「赤一色の作品」は都守氏によると、“消防車が消火活動をしている風景”らしい。
 この絵に関しては、キャンバス全面に絵が描かれている。
 
 一方、右側に描かれた消防車の絵に於いては、主題である消防車が左下に配置されその他が「空間」として残されている。
 更に私は、リンゴほっぺスターくんの後一枚の絵も拝見したが、その絵に於いては消防車がキャンバスの右中央に描かれ、その他の部分がすべて「空間」となっていた。

 これらの「空間」の存在こそが、リンゴほっぺスターくんの“天才性”を物語っているように感じた私こそが、美術素人である故か??


 それでも私は、我が幼稚園時代や小学校時代の貧弱な「図画工作授業」を思い起こしてしまうのだ…。
 
 キャンバス(と言ってもただの画用紙に過ぎないが)の片隅に絵を描こうとすると、愚かな教員どもより決まって「全体に描きなさい!」なる統一指導が成された。

 実際、私の好きにさせて欲しかったものが。
 そんな大きな絵など描きたくないからそうしているのに、どうして自由にさせてくれないのだろう??? なる疑問符だらけで公教育を通り過ぎ、「図画・工作」嫌いに拍車をかけられ続けた…。


 今現在の公教育に於ける「図画・工作」授業は少しは進化を遂げ、子どもが「空間」を意識した絵を描いても許してもらえる時代背景へと移ろいでいるのだろうか??
  
 今回、リンゴほっぺスターくんが描いた素晴らしい作品を拝見して。
 邪道ではある事は承知しているが、そんな公教育現場の過去に於ける“芸術教育の過ち”に視点を写してしまった原左都子でもある。


 染谷さん、結びが我が本業の一つ「教育論」に発展してしまい申し訳ございませんでした。
 これも、染谷さんのリンゴほっぺスターくんへの芸術教育の素晴らしさに感動させていただいているからこそに他ならないことを、最後に付け加えさせて頂きます。

「世界で一番入りにくいギャラリー」?? へ昨日伺いました!

2019年01月29日 | 芸術
 (写真は、昨日伺った新宿御苑前駅から徒歩1分のギャラリー「つぎのカーブ」にて私が撮影したギャラリーオーナー 都守太朗氏の写真。 ご本人にブログ掲載許可を頂いています。)


  ギャラリー「つぎのカーブ」のオーナー都守氏が、何故ご自身のギャラリーを「世界で一番入りにくいギャラリー」と卑下されるのかに関しては、その場を初めて訪れてみると確かに実感出来る気もするのだ。

 東京メトロ丸の内線の新宿御苑前駅と言えば、都心の鉄道網に於ける主要駅の一つである。
 そこから徒歩1分と、目と鼻の先に存在するギャラリーだが。
 新宿通りを左折した後、ギャラリーの場所を探すのが確かに困難だ。 都守氏のブログより地図を印刷して持参したにもかかわらず、ギャラリーが見当たらない!
 訳が分からずその通りをずっと直進したのだが、どうしてもギャラリーが入っているビルを発見出来ず、近くの店舗にて地図を見せて尋ねた。
 その店舗の人達も分かりにくいようだが、「おそらくこのビルの中ではないか?」なるアドバイスを頂き、そのビルを目指した。

 やっとそのビルの玄関口で、「つぎのカーブ」の看板を発見した。 この建物の3階に存在するようだ!
 ところが、ビル内に入ると階段しかない。
 とにかくこの階段を3階まで上ろうとしたものの、手摺すら無い階段だ。 年寄り(私の事だが)の身としては手摺が欲しい…
 
 そして、発見しました!
 必ずや「つぎのカーブ」はそこに存在していました!!


 今回私がギャラリー「つぎのカーブ」を訪れたのには理由がある。

 当gooブログで読者登録を頂いている美術家の染谷知孝氏とその息子さんであるリンゴほっぺスターくんが、このギャラリーにて現在開催中の「Posting Exhibition」に作品を出展しておられるとの情報を、染谷氏著の「少年と金魚とビートルズ」と題するブログより入手していたのだ。
 以前より染谷氏のブログを時折訪問させて頂き、現在4歳になられているリンゴほっぺスターくんの成長ぶりをずっと楽しみに拝見申し上げていた。
 さすがに、“血は争えない”というか、“カエルの子はカエル”と申し上げるべきか、染谷氏の影響を受けてリンゴほっぺスターくんが絵を描いたり作品を制作する場面を垣間見させていただいては、他人の立場ながら勝手に“目を細めさせて”頂いていた。

 そのお二人の作品が自宅から比較的近い場所で観賞させていただけると聞けば、この私が出掛けない訳が無いではないか! 


 残念ながら、昨日染谷氏と息子氏はギャラリーには来ていらっしゃらなかったものの。

 「つぎのカーブ」オーナーの都守氏のご対応が何とも洗練されておられる事!
 何でも都守氏おっしゃるには、「このギャラリーは“世界一入りにくいギャラリー”なんですよ。それで、その欠陥をカバーするべく、せめてもオーナーの私が来客の皆さんに決して失礼の無いように接しています。」
 その対応の洗練ぶりが素晴らしい!
 来客一人一人の個性(例えば美術経験の有無等々)を直ぐに掴み取り、それに合わせて会話を進めて下さる。
 私が染谷氏とはブログ上の知り合いだと説明しつつ我がブログ名刺を差し出すと、直ぐにそれに話題を変えて下さったり。 また、染谷氏とオーナー氏ご自身との交信関係についても語って頂けたお陰で、私は今までブログで知り得た以上に染谷氏にも近づけた感覚を抱く事が叶った。
 次回の染谷氏個展が今年10月に開催される事実も伝えて下さり、その時にまた伺うとの約束も取り付けた。

 いやはや、「つぎのカーブ」が“世界一入りにくいギャラリー”であるのはほんの一瞬だ。
 その「関門」を通過すると、素晴らしいまでに来客に対するご配慮あるオーナーの都守氏が出迎えて下さる、暖かいギャラリーであることに間違いない!


 引き続き、染谷氏とリンゴほっぺスターくんの作品に関するエッセイを綴ります。
 (本日午前中に、我がミスにより誤ってリンゴほっぺスターくんの作品写真のみを一瞬「公開」」してしまいました事、お詫び申し上げます。 後に公開するのが正式な記事です。)

「会社法改正」、 法が法としての機能を果たすには…

2019年01月27日 | 時事論評
 前回の本エッセイ集に於いて、私は「商法」に関する学説研究記事を公開した。

 実にタイムリーに、本日2019.01.27付朝日新聞「社説」が「会社法改正」に関する内容だった。


 早速、「会社法改正 『外の目』を生かすには」と題する当該社説を以下に要約引用しよう。

 法制審議会の部会が先日、会社法の開設要綱案をまとめた。 来月にも法相に答申される。
 上場企業や非上場企業でも、一定規模以上の大企業に社外取締役を置くのを義務付けることが主柱となっている。 義務化は5年前の改正時にも課題にあがったが見送られ、改めて検討された昨年2月の部会中間試案でも両案併記にとどまっていた。
 経済界の一部の反対を受けたものだが、取締役会内部にあって独立した立場で経営をチェックする存在は欠かせない。 東証上場企業の大部分は既に採用しており、さらに進んで今や「2人以上」が標準になっている。 「義務」に踏み込んだ今回の要綱案は妥当で、むしろ遅すぎたと言うべきだ。
 一方で、相次ぐ企業不祥事は社外取締役をただ置けばよいのではなく、有効に機能する態勢をどう築くかを真剣に考える必要性を示している。
 ゴーン前会長の摘発で揺れる日産の場合、17年まで社外取締役は1人だけで、しかもゴーン氏が会長兼最高経営責任者の仏ルノー出身だった。 また複数社外取締役がいても、不正会計を見ぬけなかった東芝などの例もある。 
 「生え抜き」とは異なる視点から直言できる人材を迎え入れる。 十分な情報を提供し、適切な判断を下せる環境を作る。 そんな取り組みが欠かせない。 
 とはいえ、経営監視の役割を果たせる知識と経験を備えた人材は決して多くないのが現状だ。 担い手をどう育てていくか。 法制度とは別に社会全体に課せられた大きな宿題といえよう。
 要綱案はまた日産事件で注目された役員報酬についても、報酬の概要や基本的な考え方を取締役会で決め株主らにより詳しく説明させるなど、透明化を図る方策を打ち出した。 日産では権限がゴーン前会長に集中し、報酬決定過程がブラックボックス化していた。 社外取締役を中心とする報酬委員会も設けられていなかった。
 東証は企業統治指針を昨年改め、この委員会の設置を明示的に求めるようになった。 金融庁もこの3月決算から役員報酬の決定方法を有価証券報告書で開示するよう義務付けた。
 ルールに形式的に従うのではなく、「外部の目」を主体的に生かして企業価値の向上につなげようという通底する趣旨をくみ取り実践する。 それが今、各企業に問われている。
 (以上、朝日新聞本日の「社説」より、要約引用したもの。)


 昨日公開した我がエッセイ 「“商法”の対象論 学説研究」内で、私は以下の記述をいている。

 現代(30年程前時点)の企業を鑑みた場合、利益の等質性、立場の相互交換性のような性質は既に失われており、従来の伝統的商法には企業の実態に合わなくなってきている。 商法典が基本ではあるが、独禁法、証取法等すべて含めて、新しい企業法として研究していく必要性がある。 新しい企業観に基づき企業の社会的責任を追及し、意思決定への市民の参加、情報の開示、また、集団企業の法規制、多国籍企業の法規制等も商法に加える必要がある。(以上、私が30年程前に大学の定期試験用に作成した講義ノート内記述を引用したもの。)
 ここで私見だが。
 あれから30年との年月が経過した現在、「商法」を取り巻く企業・経済社会環境が世界規模で大々的に移ろい行き目まぐるしい程の革新の一途を辿った。 その間に我が国でも「商法改正」が実施され、現在の「商法」の“あり方”議論も大幅に移ろいだ事であろう。
 (以上、前回エッセイより私見部分を引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 私が大学院にて法律(「商法」特に「会社法」中心だったが)を学び「経営法学修士」を取得した時代より30年近くの年月が経過し、企業を取り巻く経済社会実態が世界規模で大々的に移ろいだ今尚。 

 上記朝日新聞「社説」内に記されているように、未だ“法”と企業上層部現場での経営実態との間に大いなる齟齬があることに落胆させられる。

 例えば、我が国の巨大自動車企業の一つである“日産”に於いて、現在発生中のゴーン前会長摘発問題だが。 社外取締役ゴーン氏一人にそれ程までの絶大な権限を与えたきりそれに一任し、取締役会や監査役等々は一体如何なる経営思想に基づき行動した挙句、何故ゴーン氏独裁を放置したままにしておいたのか?! (実際現在まだ続くゴーン氏拘留措置に関しては、諸外国よりバッシングを受けている実態だが…)
 東芝の例とて驚かされる。 複数の社外取締役を配備しておきながら何らの不正会計を見ぬけなかった取締役会や監査役は、一体何をしていたのか?

 要するに外見のみは「法」に従ったとしてもその内部実態がずさんであれば、これら大企業の例のごとく、企業とは破綻の道を歩まないとも限らない運命下にあるのが実情だろう。


 我が国「日本」は成文法国家であるため、“法改正”を滅多やたらと実施したものならば法基盤が揺らぐ、と私は過去に於いて学んだ。
 それ故、法と現実の隙間を埋めるのが「法解釈論」であるとも学習した。

 それと今回のテーマとはまったく別問題である事は把握しているとしても‥。

 何故、これ程までに“法”と現実社会の実態が乖離しているんだ?!?  と、今回の「会社法改正」に関する朝日新聞社説を取り上げてみて、改めてゲンナリせざるを得ない私だ……