原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

遊び心と春の風

2008年02月28日 | その他オピニオン
 春風が花粉を運んでくる季節が訪れてしまった。この時期がつらい人は多いことと察するが、私もそのひとりである。病院へは家族の付き添い以外は行かない、薬は飲まない主義の私は5月の連休が終わる頃までくしゃみと鼻水と目の痒さとそれによる睡眠不足との戦いである。ティッシュの箱が下手をすると一日一箱なくなる。化粧は剥げるし、鼻の皮は剥けてヒリヒリするし散々な目にあう。

 前書きはさておき、実はこの記事は花粉症とは何ら関係のない“遊び心”がテーマである。


 本ブログの記事本文やコメントの返答の中で何箇所か“遊び心”について触れているのだが、私は一見真面目そうに見えて(???)その実“遊び心”の旺盛な人間なのである。わかりやすく表現すると“ちょい悪”であるかもしれない。若かりし頃からこの“遊び心”をとても大切に生きてきている人間なのだ。 春風が吹かずとも、年中遊び心満載である。

 中学生の頃、既にこの“遊び心”があった。小さい頃から真面目人間のレッテルを貼られていた私であるが、第二次反抗期を過ぎた頃からこの“遊び心”が表出し始めていた。
 例えば、授業中にちょっといたずらをしたくなる。今なら机の下で携帯でこっそりメール交換でもするのであろうが、当時は携帯はない替わりにこっそり手紙を回すという手段があった。これが大好きで率先して仲間に加わっていた。先生は私がそんなことに積極的に加担しているとは露も知らず、申し訳ないことに周りの友人ばかりが叱られていた。(ごめんなさい…)
 ある時には、授業に遅れることを私から積極的に仲間にそそのかしたこともある。この時には当然ながら遅れた全員が廊下に立たされたのであるが、先生は真面目で通っている私が仲間にそそのかされたと勘違いし、私に同情してくれたものだ。(そうじゃなかったのよ、先生。私が主犯だったの。仲間のみんな、ほんとにごめんなさい。)
 だが子どもが“遊び心”を発揮するのは心が開放されている証拠であると私は思うのだ。大学受験を目指して心が閉鎖的であった高校時代には“遊び心”が表出する機会は一切なく、ほとほとつまらない高校時代であった。

 さて大人になってから、しかも一人暮らしを始めて何ら“足かせ”がなくなった後は“遊び心”のオンパレードである。(誤解のないように言っておくが、仕事、学業、大事な人間関係等々、自分の主たる生活要素をすべて完璧にこなした上での話ですよ。)

 私はこの“遊び心”のお陰で長~い独身時代を心底堪能した。実に充実した独身時代であった。(当ブログの“酒”“雑記”カテゴリー等のバックナンバーをとくとご欄下さい。)

 “遊び心”にも自己責任が伴うべきである。中学生の頃はまだ私も人間が未熟で、結果として“遊び心”の罪を仲間になすり付けることになってしまったようで申し訳なかったと思う。
 自立した大人であるならば、自己管理力と周囲の信頼の下“遊び心”を発揮するべきである。自己管理力と信頼のバックグラウンドもなく“遊び心”を実行に移す人がいるならば、それは単なる“遊び人”あるいは“馬鹿”に過ぎない。

 例えば、“不倫”を例にとってみよう。(突拍子もない例で不謹慎であるのは承知だが…) 不倫をするにも当然ながら自己責任の下行うべきである。マナーが必要だ。大手を振ってしてはいけない。後ろめたさを頭の片隅に忘れずに、隠れてこそこそとやるべき事柄である。最低限、周囲の人間を決して不幸にしてはいけない。これがこなせるキャパシティも配慮もなく安易に深みにはまる人は不倫をする資格はない。

 
 花粉症で鼻水タラタラで不倫も色気もあったものではないが、暖かい春風の中、少し“遊び心”を楽しんでみましょうか。 ハックショ~ン!!
 
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大学院への道程

2008年02月26日 | 自己実現
 先週末より国公立大学の2次試験が始まり、今年の中高大学受験もいよいよ終盤を迎えている。
 この国公立大学の2次試験が始まると、マスメディアでは毎年示し合わせたかのように必ず東京本郷にあるT大学からの中継受験生インタビュー映像を放映する。他大学からの中継でもよさそうなものだがあれはどういう魂胆なのか、毎年首をかしげる私であるが…。
 
 さて、かく言うこの私もその東京本郷の国立T大学を目指したことがある。ただし私が目指したのは、T大学大学院の方であるが。


 私は大学院修士課程を修了し、「経営法学修士」を取得している。 大学院へ進学したのが34歳の時、修了して修士号を取得したのが36歳の時の話である。

 そもそもなぜ大学院進学を志したのかというと、(おこがましい話なので小さい声で言うが)学者志望であったためだ。勉強好きな人間なもので…。今となってはその夢は跡形もなくはかなく消え去っているが…。

 第一志望は東京都国立(くにたち)市にある国立(こくりつ)H大学大学院法学研究科であった。そして、上記の国立T大学大学院法学研究科にもチャレンジしようと企て、願書も入手し、T大学の大学生協で大学院入試の過去問も仕入れてきていた。 加えて、安全パイとして在籍公立大学の大学院も受験した。(誤解のないように言っておくが、国公立にこだわったのは、勤労学生の身として学費負担を少しでも少なく抑えたいためである。現在では国公立と私立の学費の格差は縮まってきているが、当時はまだ2~3倍の格差があった。)

 結果だけを先に言うと、悪戦苦闘し疲労困憊した割には、合格して進学したのは在籍公立大学の大学院である。

 現在では大学院の社会人入試が一般的であるが、私は30歳代半ばにして一般入試での大学院チャレンジであった。一般入試であるからには当然ながら専門学科数科目の論述試験と専門英語の試験がある。これらの勉強量たるや膨大なものである。
 前回の記事では資格取得について記述したが、私は入学試験、資格試験、就職試験等々、我が人生においておびただしい数の試験を受験してきている。 その中で、この大学院一般入試の受験が最高にハードだったように思う。30歳代半ばという年齢的な事情もあったのに加え、単身の勤労学生と言う立場、それに大学在学中のため卒論とも平行しての受験勉強でもあるし…。 加えて、大学院ばかりはどうしても現役合格しなければやる気が萎えてしまい再受験は考えられないことは予測でき、もう大学院の門をくぐることは一生ないであろうことを見通して、一発合格に賭けていたからである。
  
 あらかじめ言うが、結局T大学大学院法学研究科の受験は断念した。なぜならば、ここは専門学科試験の一科目として“民事訴訟法”が必修であったためだ。元々私は民事訴訟法の学習が手薄であった。これ一科目のためにその他科目の勉強時間のロスを回避するための受験断念であった。 ただ、後で得た情報であるがT大学大学院は他大学院より入学定員が多いため、意外と入りやすいという噂もある。受験だけでもしておけばよかったかな、と多少悔やまれる。

 さて、まずは第一志望の国立H大学大学院法学研究科の受験だ。
 専門科目が民法(総則、物件、債権)から2題、商法(総則、商行為、会社法、手形小切手法)から2題、そして法学専門英語の試験であった。すべて論述式である。民法、商法に関しては山が当たればある程度点数が取れると見込んでいた。その山は当たらずとも遠からじであるのだが、B4用紙が埋まらない…。何とか難儀して8割くらい書ける問題とどうしても5割程しか埋まらない問題と…。手ごたえがつかめない。 英語ははっきり言ってボロボロ状態…。これでは合格する訳がないのだが、 案の定、 落ちた。

 となると、残っているのは在籍大学大学院のみである。元々、在籍大学の大学院への進学は有利であると言われている。なぜならば、試験問題作成委員が大学教官であるため、その教官の授業を履修しているからだ。講義ノートをチェックしておくだけでもある程度点数が取れる。在籍大学大学院は経営学研究科の経営法学コースであったため、専門試験科目は経営学と商法、それに専門英語であった。今だから言うが、経営学と商法は山が大当たりでおそらく満点に近い解答ができたと思う。これに対し、英語はどういう訳か難易度がH大学よりもさらに高くこれまたボロボロの出来だったので、英語で落ちたかと冷や汗ものだった。何とか合格はゲットした。(後で聞いたのだが、英語は受験生の誰一人として出来ていなかったらしい。)

 という訳で、半年後には在籍大学の大学院へ晴れて入学できたといういきさつである。 

 (大学院での学業や修士論文の制作活動については、またの機会に触れることにしよう。) 
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資格は取りゃいいってもんでもないが…

2008年02月24日 | 自己実現
 今日(2月24日)、この寒風吹き荒れる中、中学生の娘が英検の2次試験に出かけたので思いついたのだが、私が取得してきた資格の話でもしてみよう。

 表題の通り、資格は取りゃいいってもんでもないのだが、私は現在までにおびただしい数の資格を取得してきている。
 履歴書記載時にはいつも苦労する。ワープロで打つ場合は自由書式にできるためさほど問題はないのだが、市販の履歴書に記載する場合は資格欄が5行程しかない書式が多く、これではごく一部しか書けない。そこで、提出目的に合わせて記載する資格を絞り込むしかないのだが、私という人間をトータル評価してもらうためには本当は全部記入したいため、どうしても欲求不満が残る。
 
 決して資格マニアという訳ではなく、仕事上の必要性に迫られたり、また、仕事や学業や趣味に勤しむ過程で得た知識や技術を形にして残そうと考えた結果である。

 それでは、今までに私が取得してきた資格を分野別にざっと振り返ってみよう。

 まずは、医学関連から。
 私は20歳代前半に新卒で医学関係の民間企業に入社したことについては既にバックナンバーで記載しているが、資格としては「臨床検査技師」国家資格を取得しての入社であった。そして、その医学関係の仕事上の要請で「臨床病理技術士“血液学”」と「同“血清学”」を取得した。 これら医学関係の専門資格は職業と直接結びつき、“食いぶち”として私の今までの人生に一番貢献してくれている。

 次に教職関係。
 2度目の大学卒業と同時に教職免許「中学・高校一種“社会”」「高校一種“商業”」を取得。その後、大学院修了と同時に教職免許「高校専修“商業”」を取得した。  後だから言うが教員を職業にするつもりは全然なかった。専門性が決して高くはない職業だし、大卒で取れる資格はこれ位しかないのでとりあえず取っておいただけのことで…。(現職教員の方々、はっきり申し上げて誠に申し訳けございません。) それでも、これを取得しておいたお陰で教職を体験できたことは、私にとってはまたとなく貴重な歴史の一部である。

 そして、英語関係。
 英検2級を取得したのは30歳を超えてからのことであった。2度目の大学受験勉強で頑張った英語力を形にして残そうと考えての英検受験であった。
 英文タイプ2級も取得している。これは医学関係の仕事においてコンピュータのプログラミングをする機会があったのだが、FORTRUNはともかくCOBOLはプログラムの入力文字数が多いのに難儀したのがきっかけで、キーボードのJIS配列をマスターしたいがために取得したものだ。お陰でブラインドタッチが難なく出来るのであるが、これは取得後25年ほど経過した今でも日常生活上大変重宝する資格である。
 ついでに言うと、プログラミング力の資格である第二種情報処理技術者試験にもチャレンジしたのであるが、これは惜しくも落ちた。
 
 学位関係では、大学院修士課程を修了し「経営法学修士」を取得している。
 これに伴い、税理士試験税法3科目免除申請を通過し、バックナンバーでも既に述べているが、残りの税理士試験会計2科目は現在受験中である。(先の見えない軟弱受験者ではあるが…)

 まだある。
 普通自動車運転免許は19歳の時に取得している。
 それから、趣味でエレクトーンを習っていた時期があるのだが、ヤマハの「エレクトーン演奏グレード9級」から受け始め、「同グレード6級」まで取得している。20歳代後半の頃の話だ。  
 
 取得資格が多すぎると、しかもその取得資格が私のように中途半端なものばかりだと、私という人物を知らない相手からはかえってポリシーのない人間であるように誤解されたり、ややもすると軽はずみな人格なのかと疑われかねない。 特に社会的に権力のある立派な資格(いったいどんな?)を取得されていらっしゃる方々からは??
 自己弁護になるかもしれないが、どのような資格試験であれそれに合格する努力は並大抵のものではない。そして、合格により得られる達成感は合格した者にしか味わえないものであろう。たとえそれが自己満足の域を超えていないとしても…。 そして、どの資格も自分の長い人生において、不思議と何らかの形で大なり小なり役に立つものだ。

 確かに、資格なんて取りゃいいってもんでもないんですけどね…。
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安易について行かない教育が肝要

2008年02月21日 | 教育・学校
 朝日新聞2月17日(日)朝刊社会面に「被害少女は悪くない」と題した記事が掲載された。 これは先だって沖縄で起きた米兵による女子中学生暴行事件に反応した“ついてゆく方も悪い”との被害少女への社会からの一部の批判に対し、被害少女を“一応弁護したように見せかける”朝日新聞記者の反論記事である。

 まずは、この朝日新聞の反論記事の一部を以下に要約しよう。
 今回、被害にあったのは14歳の女子中学生であるが、彼女はアイスクリーム店を出てきたところを米兵に声をかけられた。街に出れば米兵と行き会うのは日常のこと。同世代の子たちは「繁華街に出かけると、米兵にプリクラや携帯電話の番号を交換しようと話しかけられることも多い」と言う。「米兵の友達を作ることが悪いんじゃなくて、悪いのは性犯罪をする人でしょ?」(繁華街でたむろする女の子達の言い分である。)

 以上が朝日新聞記者、山田菜の花氏の反論記事からの、被害少女の当日の行動に関連する部分の要約である。

 申し訳ないが朝日新聞記者の山田菜の花さん、あなたの記事は少しも被害少女を弁護できていませんよ。これじゃ、この被害少女の墓穴を掘っただけじゃないですか。 もしかしたら、どうせ新聞の読者なんて記事の見出しだけ見て詳細は読まないと見込んだ上で手抜き記事を書いているんじゃないですか? それはとんでもない話ですよ。 この種の反論記事で読者に訴えたいならば、被害少女周辺をもっと念入りに取材した上で理路整然と弁護しなきゃ!


 さて、私論に入ろう。

 結局この少女が米兵について行ってしまったことについては間違いないようだ。その事実は残念ではあるが認めざるを得ない。事実は事実として認めた上で、まだ未成年しかも義務教育過程のこの14歳の少女を責めることなく救うためには如何なる理論武装をするべきか。
 米兵について行った被害少女に落ち度があったとして安易に片付けてしまうのではなく、周囲の大人が冷静にこの問題を議論しないと、残念ではあるが今後同様の事件は続く恐れがあり、道は開けないのではなかろうか。

 性犯罪をする側が悪いのは自明の理であり、この米兵は当然ながら法的に然るべき処罰を受けることになろう。

 そこで、今回議論の対象とするべきはやはり被害少女の行動及びその心理的背景であると私は考える。
 そもそも米兵と出会う確率が高い繁華街を女子中学生がたむろすることについても、社会では賛否両論あることと察する。
 これに関しては、私は容認派である。異性(特に米兵という特殊な異性)の存在は思春期に入ったばかりで好奇心旺盛な少女たちにとっては魅力的な対象なのであろう。そんな異性に誘われたい“下心”で繁華街をうろつくことに関しては、ある意味自然な欲求なのではなかろうか。 この私にだっていい年をして未だに下心はある。“下心”というのは一種の文化の土台となる重要なエネルギー源であるとも考える。加えて、法的にも内心の自由は尊重されるべきである。(話がずれたが…)
 少女達のそんな“下心”は認めた上で、忘れてはならないことがあるのだ。この“下心”を生かすも殺すも自分次第なのである。
 結論から言うと、キーワードは“自己管理力”である。これを大人は子供達に早いうちから身に付けさせなければいけない。“自己管理力”と言ってしまうと範囲が広くて大袈裟であるならば、この事件の場合、“危機予知力”でもいい。とにかく、知らない異性に誘われたいという“下心”を行動に移す場合“下心”だけではダメなのだ。頭の片隅に必ず“危機予知力”のアンテナを張り巡らせておくべきなのである。それなくしてこのような行動に出る資格はない。それははっきりと子どもに伝えよう。
 
 それでは、その“危機予知力”ひいては“自己管理力”を子どもに身につけさせるためには大人、特に親は何をすればよいのか? 頭ごなしに「こういうことをしてはいけない!」と言っても子ども(特に思春期を過ぎた子ども)が聞く訳はない。反発をくらうだけだ。
 教育の基本は“共感力”なのだ。子どもと同じ目線で共感する力が子どもを育てると、私は日々実感している。例えば今回のような事件を報道で見聞きして、親である私が「つらいな、悲しいな、何でついて行っちゃったのかな。」と心を痛めていると、傍らにいる我が子も必ず感じるものはあるようだ。子どもが小さい頃からこれの繰り返し、積み重ねなのである。“危機予知力”などと言うものは一朝一夕に育つものではない。

 私事で恐縮であるが、私の娘もちょうど14歳である。そろそろ少しは色気でも出してみたらどうなの、と端で見ていてまどろっこしいくらい、このような事件とは無縁の世界に生きている中学生である。ただ、恋愛小説を読んだりしている様子を垣間見ると異性にまったく興味がない訳でもなさそうである。 こういう子が何かの拍子にたがが外れると危険だとも世間ではよく言う。それはそれで、親として見守り受け入れていきたいと考えている。

 とにかく、子どもの安全はやはり大人、特に親が見守りませんか。


追記: 当事件の発生時刻は夜間であったとのことだ。中学生の夜間の繁華街たむ
     ろは、やはり許すべきではない。(2月22日記)  
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同姓同名物語

2008年02月19日 | 雑記
 当ブログにおいて私はペンネーム「原左都子」を使用しているが、私の本名は実はある有名人と同姓同名なのである。

 詳細を語ると本名がバレるのでほんのちょっとだけ話すが、その有名人が、な、な、なんと超美人!!なのである。既に現役を引退している人物のため若い世代の方々には馴染みはないであろうが、ある年齢以上の世代の方々にとってはその名前を知らない日本人はいない程、一世を風靡した人物である。

 当ブログを立ち上げるにあたって私は散々迷った。このまたとない光栄な本名を使用した方が得策か、はたまたペンネームを使うべきか…。結果としてあえてこの映えある本名をはずしてペンネームを使用した理由は、第一に個人情報保護及びプライバシー保護の観点、そして当該有名人ご本人との混乱を避けるため、加えて、その人物の美しさや知名度にあやからず自分のエッセイの実力で勝負したいと目論んだためである。 もしかしたら超美人の有名人と同姓同名の本名を使用した方がアクセス数は何倍も増えていたのかもしれない。 だが、私、“原左都子”はやはりこのペンネームを使用して正解だったと判断している。有名人と勘違いのアクセスが増えることにはさほど意味がないためである。先だっての記事でも書いた通り、ブログ開設から半年も経過しない間に私が望んだ以上の「原左都子エッセイ集」に対する反響をいただいていることに、今は感謝するばかりである。

 私が光栄な本名をゲットしたのは結婚をして姓が変わったことによる。実は私の旧姓も現在の本名と大差のない氏名であったのだが。 昔、親から聞いた話によると、私の名前自体は親の考えがあって名付けたらしいのだが、苗字との釣り合いも考慮し、やはりその有名人も意識しての命名であったらしい。
 私は結婚に当たり、こんなすばらしい氏名は二度とゲットできないとほくそ笑んだものである。 それで職場等での結婚の報告にあたりよく以下のように挨拶したものだ。「結婚相手は苗字で決めました!」と。この新姓がとにかく受けるし、すぐに覚えてもらえるしで大成功であった。 今後、もしも離婚するようなことがあっても改名はせず、現在の氏名を一生使い続けたいと考えている。

 さて、私はこの本名のお陰で引き続き日頃大変得をしている。
 まず、とにかくどこへ行ってもすぐに憶えてもらえる。 そして、話題性がある。この氏名のお陰で大抵は話がはずむのだ。その有名人は超美人であることに加えて清純なイメージを押し通したまま引退したらしく、いつまでもすこぶる評判の良い人物なのである。この有名人を嫌いだと言う人は一人としておらず、皆さん肯定的に捉え大抵の人(特に男性)は絶賛する。そのお陰で同姓同名の私までそれにあやかりすこぶるイメージアップなのである。
 この同姓同名のお陰で世間の反応も面白い。これが楽しめるのだ。例えば、病院や役所、銀行等の公共機関で順番待ちをしていて氏名を呼ばれる場面がよくあるが、「○○○さ~ん」とお声がかかると、周囲のほぼ全員が一斉に私に注目するのだ。目立ちたがり屋の私はこれが“快感”なのである。近頃は個人情報保護の観点からこのような場面が番号制に移行して公の場で氏名を呼ばれる機会が減少しつつあり、私としては少し物足りない思いだ。

 この氏名のデメリットと言えば、たまに「本名ですか?」と確認されることがある程度だ。


 さて、この氏名に恥じぬよう今後共美しさ(???)に磨きをかけることとするか! 
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