原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

親とは、教育費等々の経済的投資をほとんどしていない子どもに老後を依存したいものなのか??

2024年08月16日 | 人間関係
 本日のエッセイは、昨日公開の「郷里の実母からの“両脚が動かなくなった”との電話」の続編の形となるが。


 我が家の場合 実母は自身が地方公務員を定年まで勤めた関係で、老後資金を次世代の娘等々に依存するとのことは無い。(これに関しては、よく出来た母親であることを娘として認めている。)

  ただ、ここで言っておきたいことがある。
 我が家の場合、実母の夫であった父親が69歳時点で急死したのに伴い、実家(この私はその家には住んだことはないが)を売却した際の相続金の全てを実母が“独り占め”したとの経歴がある。 
 これに関しては、経営法学修士を取得している次女の私は、当然ながら姉と共にその相続権があることを熟知していた。
 ところが、実母が執った行動とは。
 その家屋の売却金の全てを、娘たちには何の相談も承諾も無く“自分のもの”としたのだ!! (参考だが、米国暮らしの長女である姉はそういう事象にはまるで無頓着と言うのか、早い話が無能のため、何らの反論も届かなかったようだ。)

 これが判明したのは、実母が家屋売却に当たり利用した不動産会社経理担当者より、「相続放棄に関する手続き書」が我が手元に届けられた故だ。
 その書面を見ながら、(実母も一言、娘にその旨言ってくれていたら良かったのになあ…)と感じつつ、黙ってそれに署名捺印した。
 その後も実母に直接会う機会が何度かあれども、何らの一言も無い!

 これに関して、以前から仲良くしている実母の妹である私の叔母のさっちゃんと、電話で話したものだ。
 さっちゃんが私からその話を聞いて、驚き果てて曰く、「えーー。〇ちゃん(私の事)お父さんの一銭の相続金も受け取って無いの!!!」😱 😵 

 ただ、この件に関しては、私も「それでいい」と妥協した事実をさっちゃんに話した。
 それを聞いたさっちゃん曰く、「我が家など、全ての相続を長男・次男に平等に実施して法律の定め通りの相続金を手渡したのよ。」

 さっちゃんは、そもそも頭が良いし勉強家だし、その手の業務を完璧にやり遂げる能力を備えた人材だ。
 それに比し…
 我が家の実母。  食っちゃ寝て体重ばかり増やしている割には、何らの努力もせず、事ある毎に「私は公務員じゃ!」とえばり腐るばかりで…  
 そもそも さっちゃんと比して、姉妹と言えども元々備わっている頭の良さ、性格、人格の程がかけ離れている存在だ…

 まあこの私だって、よく言えばさっちゃんタイプだし。😷  
 とにかく自身の稼ぎが多い人生を歩んで来て、食いっぱぐれることも無いし。
 という訳で、実母の“しうち”を知らぬふりして受け入れる決断を下したものだ。


 それにしても。

 実母は、そうやって父親の遺産を独り占めした事実が、次女である私にバレているとは思ってもいないのか??
 あるいは、あの子だって自身でいい稼ぎしつつ生きてるし、更には良家に嫁いで良き暮らしをしているのだから、実母の金銭的面倒をみて当然!!、との思考なのか???

 未だに、一言も自宅売却益を独り占めした話題を決して持ち出さない実母である…

 しかもだ。 
 米国の姉が人格的に扱いにくい人間であることを一番熟知している実母は、決して(金銭面も含め)姉の世話になろうとはかけらも考えていない様子だ。


 最後に、次女の私に言わせてもらうならば。

 米国暮らしの姉の“人間性の欠如”を十分に把握している実母は、上述の如く決して今後 長女である姉の世話になろうとはしていない。

 そのため、昨日のように自分の身体が持たない(昨日の電話によると両脚共々瑕疵が発生して歩行困難事態)となると、依存してくるのは次女の私だ!
 さすがにこの私も実母の魂胆をわきまえていて、前回の如く「腰椎骨折したから今直ぐ来い!」なる手には絶対に乗らなかったのだが。

 とにかく実母は施設入居の身にして、まずは施設の専門家に相談するべき、なる我がアドバイスを聴き入れたのか。

 本日は何らの連絡も無い事実に、安堵し清々している次女の私だ。
 

今夏も郷里・観音寺のマチ子さんより「梨(豊水)」をお届けいただきました!!

2024年08月13日 | 人間関係
 (冒頭写真は、本日郷里・観音寺のマチ子さんよりお届けいただいた梨(豊水))


 我が郷里・徳島では、今現在真夏の祭典「阿波踊り」期間の真っ最中の様子だが。

 そんな折に 本日午前中、郷里観音寺・マチ子さんより冒頭の「梨(豊水)」を我が家にお届け頂いた。


 このマチ子さんの話題でエッセイ執筆するのは久しぶりのため、その人物像を少しだけ再紹介しておこう。

 我が郷里の国立大学医学部出身の原左都子だが、マチ子さんは当時医学部にてご指導いただいた医師・大学教授のN先生の奥様でいらっしゃる。
 そんなマチ子さんと私が仲良しになったきっかけとは、N先生が80代前半にお亡くなりになった際に、マチ子さんがN先生の医学業績論文をまとめられた冊子を作成されてお届け頂いた事に遡る。
 その「業績集」の内容が素晴らしかったのに感激させていただき、私は早速便箋数枚にその感想等々と共に御礼をしたためた手紙を送らせて頂いたところ。
 奥様でいらっしゃるマチ子さんより、これまた直筆にての素晴らしいご返答を頂戴したのだ!

 そんなこんなが重なり、数年前の郷里帰省時に我が一人娘も引き連れて、マチ子さんが暮らされている郷里の「観音寺」を図々しくも訪問させていただいた。
 そうしたところ予想以上にマチ子さんと意気投合させて頂くことが叶い。😃  その後も引き続き、郷里帰省時には必ずや観音寺に立ち寄らせて頂き、マチ子さんにお会いできることが叶っている。


 何度伺ってもマチ子さんが喜んで歓待して下さることに甘え、もう既に数年の年月が経過した。

 直近では、昨年の11月に郷里医学部同窓会出席のため帰省した際に観音寺まで伺い、再会させていただいていた。



 あれから11か月が経過した本日、マチ子さんより冒頭の「梨・豊水」をお届け頂いた。
 
 その御礼を申し上げようと、久々に電話をかけさせていただいたところ。
 マチ子さんが喜んで下さって、会話が弾んだものだ。

 その電話での内容で、気になったのは。
 マチ子さんが、「南海トラフ地震」を予想以上にご心配されていた事実だ!
 確かに、まさか起こるとは思ってもいなかった「南海トラフ地震」が九州地方にて勃発してしまっている! 四国は直ぐ近くだ。 
 マチ子さんの困惑をお聞きしつつ、何らの力にもなれない我が身としか言いようが無い…
 
 話題が変わって。
 今現在、わが郷里では夏恒例の「阿波踊り」開催中である。 それはおいておいて…
 このお盆の時期、世の中で一番多忙なのはもしかしたら「お寺」ではあるまいか!?!
 マチ子さん曰く、「観音寺の住職を継がれているご次男が、このお盆は檀家を訪問せねばならず猛暑の中日々檀家に伺っているが、とにかくこの猛暑にて疲労を重ねているのが心配…」
 実は このご長男が小学生頃に、私は郷里医学部内にてお会いしたことがある!  あれは土曜日の実習中だったと記憶しているが、我々学生が医学研究発表に備えて写真暗室にて写真現像の実習現場に、N先生の息子さんが現れたた! 当時未だ小学3年生頃の息子氏が興味深そうに我々の実習を見学していた思い出がある。
 (その後、医学者になったかな?? と思っていたら、ご長男にして観音寺住職を継がれたとのこと。 ⦅参考だが、このご長男「薬剤師」免許を取得されている》 そして医師を継承されたのはご次男だった、とのいきさつだ。)



 久々のマチ子さんとの電話にての会話だったが。

 やはりマチ子さんとお話しすることとは、イコール、必ずや我が医学部時代の記憶が鮮明に蘇る貴重な機会である。

 マチ子さん、今夏も郷里の「梨(豊水)」をお送りいただきまして 誠にありがとうございました!
  
 どうか今後も長生きされて、いつまでも我が医学部恩師の思い出等々を語って下さいますように!!
 

“喋らない夫”?? 私など理想的だけど…

2024年08月03日 | 人間関係
 2024.08.03付朝日新聞別刷「悩みのるつぼ」の相談は、60代男性による「妻が『喋らない』と非難」だった。


 早速、相談内容を以下に要約引用しよう。

 妻は50代、私は60代。 私が確かにあまりしゃべらないほうではあるが、妻から「しゃべらないのでつらい。避けられている」と言われ、困っている。
 自分としては妻を避けていることはなく、またできる範囲で会話をしているつもりだ。 ところが妻曰く、「食事中に会話が無い。外食でも黙っている」「食事が終るとそそくさと何処かへ行く。そのようなしぐさも嫌だ」とのこと。 普段は問題ないが、何かのきっかけで爆発し、「なんでしゃべらないの。何で避けてるの」と私への非難が始まる。
 私(相談者)が感じるところでは、むしろ私自身はしゃべっているが、妻からの反応が少ないような気がしている。 また、食事の片づけなどがあって席を立つのはしょうがないとも思っている。
 妻の父はよくしゃべる人だったので、それを望んでいるのかもしれない。 ただ、会話能力は人それぞれ違うので、それを望むのはどうなのかと…。 また妻には受け身ではなく、自分から喋るようになって欲しいが、それも難しそう。 どうすれば良いか分からない。

 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」相談内容を要約引用したもの。)



 原左都子の私事に入ろう。

 この私の子ども時代は、「大人しい(要するに“口数が少ない”)子」と周囲から評価を受けることが多い子供だった。

 確かに、自分自身もそれを認めるのだが。 その要因は、おそらく父親にあったのではないかと分析する。
 とにかく我が父親(69歳にて死去)が、静寂を好む人間だった。 それ故にそれが幼少の我が子であろうが、はしゃいだり、暴れたり、大声を出したり、口数が多っかたりする事態を嫌っていて。 それを家庭内で少しでもすると必ずや叱咤され、静かにするように指導されたものだ。 
 (そんな家庭内で育った私も、実はその時の習慣が我が体内に根付いてしまっているのか、周囲が意味なく騒いだり、暴れたりする環境を嫌って育ったと言える。 今尚その習慣が我が根底に残っていて、例えば、うるさいテレビ番組や喧騒をとことん嫌う性分だ!!)

 この私の現在の生活を省みるに、良き亭主や娘に恵まれていると好評価できそうだ。
 見合い・晩婚にて知り合った亭主だが、とにかく現在に至るまで、会話の相性に関しては何の不自由も違和感も無いと言える。 何と申しますか、これおそらく「見合い晩婚」がもたらした最高のメリットではないだろうか!?!?!
 とにかく、晩婚当初から会話の話題のズレがまるで皆無なのだ!! 
 お互いの専門は異なる(私の専門は「医学」「教育」方面、亭主の専門は「物理学」)なのであるが、それに行き着く過程に励んだ学問(「哲学」「数学」等々)の経験が一致していると言えよう。

 我が一人娘に関しても、おそらくそんな両親の学術環境下で育ったことがプラスとなったと私は判断するが。 
 3人で暮らしていた時の3者間での違和感も何ら無かったと結論づけられそうだ。 
 (と言いつつ娘は一人暮らしを始めて2年が経過したが、今尚定期的に我が家を自主的に訪れるため、問題は無いと判断可能だろう。)



 朝日新聞「悩みのるつぼ」に話題を戻そう。

 相談者である夫氏も 60代にもなって妻から「しゃべらない」と非難される実態は、さぞやお辛いことであろう。
 相談内容を読むと、妻が言うには「なんでしゃべらないの? なんで避けてるの?」と責められるとの実態…

 これ、もしも原左都子が逆の立場であり、年老いた夫側から「なんでお前はしゃべらないのだ!」と日々責められたとして…
 実際、現在に至っては日々(夫婦共通の有用な発言を!)喋りまくっている我が身にして、それは全くあり得ない話だなあ。


 「悩みのるつぼ」相談者の妻の如くの相手を結婚対象としなかった事実こそを幸せと感じてしまう。 
 としか言いようが無い相談内容だ… 😱 😭 


「くだらな話」を聞かされるのと「上面カスる付き合い」は時間の無駄!!

2024年08月02日 | 人間関係
 4年に一度開催されるオリンピックも、当然ながら人により競技の好みもあるだろうし。
 さすがに開催中盤期ともなると、誰しも多少飽きが来るものではなかろうか??

 
 という訳で。
 本日は 話題を大幅に変えて、表題の通り「人付き合い」の有り様について考察してみよう。

 昨日の「原左都子エッセイ集」トップ50内に、2014.11.15付「上面カスって満足するより自分の脳で思考し直そうよ」と題するバックナンバーがランクインしていた。

 早速、その一部を以下に引用させていただこう。 

 他人の事などどうでもいいのが本音だが、12時間にも及びくだらぬ戯れ話を一方的に聞かされ続けたのでは、原左都子としては爆発して反撃に出たくもなる!
 冒頭より私が何に憤慨しているのやら分からないであろうが、今回のエッセイは前回の「旅道中はおしゃべり止めて静かに車窓を眺めませんか」の続編の形となろうか。
 とにもかくにも先週末のバス旅行は娘とスケジュール調整して事前に予約し、多忙な中参加したにもかかわらず。  後部座席のご婦人2名の「おしゃべり」大被害に遭いせっかくの休日を台無しにされたのだ。 
 バス団体旅行とは観光地を訪れる時間以外は、ほとんど移動のために窮屈なバス内で過ごさねばならない宿命にある。 その時間帯は車窓を眺めるか、疲れた体を癒すために睡眠をして過ごしたいものだ。
 私など普段は滅多にこれだけの長時間睡眠時間を確保できる機会がないため、バス旅行とは“寝だめ”のチャンスでもある。  私にとってのバス旅行の一番の効用とは、運転手氏に命を任せて、まさに“グータラ寝て過ごせる”またとはない機会ということだ。

 ところがどっこい先だってのバス旅行における後部座席ご婦人達の一番の目的は、バス内座席での“井戸端会議”にあったようだ。
 その会話内容とは、自分らのご亭主や稼業、はたまた趣味等に徹していたのが特徴である。 その間ツアーコンダクターの話を聞くでもなく、同乗した他の客と交流するでもなく、12時間に及び“2人の閉ざされた空間”でひたすら個人的私話を“大きな声”で繰り返していたのが、私にとってはとてつもなく迷惑だったのだ!

 我が記憶が新しいうちに、これら後部座席ご婦人達の会話内容をエッセイに綴って紹介しておこうとするのが、せっかくの“寝だめ”の機会を妨害された原左都子なりの彼女達に対するせめてもの“復讐行為”である!

 お二人は7対3の比率で12時間中喋くりまくったのであるが、その主犯である7割喋った女性をAさん、3割喋った女性をBさんと名付けよう。
 ご両人共に、50代前半の年齢であるようだ。 何処でご両人が知り合ったのかは不明なものの、知り合ってからさほどの時が流れていない様子である。 両人共に東京都内に居住地があるようだが、その場所が遠距離であるため、(私の推測によれば)今回のバスツアーを利用して合流し、バス内座席で“井戸端会議”をしようかとの事で意見が一致したと捉える。(と言うのも、現在の都内発バスツアーは地元出発便を数多く提供していて、自宅の近くからバスに乗車可能なのが“売り”なのだ。)

 特にAさんの声が大きいのだが、とにかく直ぐ前の座席に座っている私としては、聞きたくもないのにすべての会話を暴力的に聞かされざるを得ない運命下だ。
 とりあえず乗車直後の会話で判明したのは、ご両人共に個人自営業を営んでいるとの事である。  更にはご両人の共通項として、老後の年金及び自営業による収入に関する“不確実性”に話が及ぶ。
 それでもご両人がバス内で一番主張したい論点とは、とにかく自分らは現在経営している自営業がある程度上手く機能しているお陰で、旅行を趣味と出来る程に恵まれているとの事のようだ。 既に数々の国内外旅行をこなしている事実を周囲に吹聴しまくっていた。 (原左都子のとりあえずの感想としては、確かに個人経営の自営業とは自分が好きな時に旅行に出かけられるメリットがあるとの意味では、多少羨ましくはある。)
 お二人の共通点は、50歳前半にして既に子供さん達が社会人になっている事である。 それ故に当の昔に子育て期間を終了し、まさに50歳前半の若さで既に“老後”の心配に及んでいるのだ。
 これに関しては現在まだ“現役母親”として大学生の娘の自立未来を模索している私にとっては、信じられない程早期の“老後対策”ではなかろうかとの印象しか抱けなかったのが事実だ。

 ここで話が飛ぶがたまに同窓会に出席すると、周囲の女性達が後部座席のお二人同様に信じられない程に(外見・内面共々)老け込んでいる事実に愕然とさせられる。 これとはまさに上記お二人の会話内容のごとく、既に子育てを終えたご婦人達とは概して人生の目的を失い、老後の世界を如何に生きようかとの発想しか浮かばないのが実情とも捉えられそうだ。 (それ故に商業主義に踊らされ、“めくら滅法”既成の旅にでも出る事を実行しないと身が持たないのではあるまいか??)
 私自身は高齢出産で産んだ娘を大学卒業後自立させた暁には、我が欲する人生をこれからこそ貫きたい野望に溢れている。 還暦間近い現在に於いてその種の夢を描けるのは高齢出産故のメリットかもしれないと、むしろ今後の夢をもらえた気分でもある。

 後部座席のAさん、Bさん間の会話に於いて、二人の意見が交錯する場面があった。
 主たる会話主であるAさんに対し、Bさんが異論を唱えたのが興味深かった。  Bさん曰く、「あなたは旦那さんの話をするのが好きなのね。私自身の普段の交流関係では旦那の話題が出る事は稀なのだけど。」
 Aさんがこれに対して何と答えたかは記憶にないのだが、とにかくAさんとは自分のご亭主の事を「旦那さん」と呼んでいた事実に私も驚かされていた。 おそらくAさんとは自営業の「旦那さん」あっての人生を結婚後数十年に渡り歩み続けて来ているのであろう。
 確かに自営業とは、堅苦しい世界である事が想像可能だ。 自営業を営む“旦那さん”に嫁いだ限り生涯に渡りその稼業に専念せざるを得ないのが嫁としての宿命と心得る。
 
 そうした場合、Aさんのバス内での12時間に及ぶ自分本位の自慢話の根源が理解できる気にもなる。 特にAさんの場合“旦那さん”との二人の個人経営自営業事務所内で日々が明け暮れる中、私には図り知れないストレスを抱え込んでいるのであろう。
 それが証拠にBさんが先にバスから降りる際、まさにAさんが放った言葉とは「今日は本当にありがとう。日頃のストレスが発散できた!」との言葉だったのだ。
 これにBさんが如何なる返答をしたのかを聞かないまま、我々親子も最初にバスが停留した地元バス昇降場に降りた。
 Bさんの後ろ姿を見ながら自宅への帰路についた我々母娘だが、Bさんの疲れ果てた姿がマイナス面で印象的だ…。
 おそらくAさんとの会話に於いて3割しか話せなかったBさんにとって、12時間のバス旅行は苦痛だったのではあるまいか?
 
 私論を述べよう。
 上面カスった付きあいをしたい場合、それを自覚して実行するべきだ。 12時間にも及び面識が浅い相手と“上面カスる”付き合いを強行する事自体が破滅行為だ。 
 特にAさん、まだまだお若い事ですし今後は少し自分の脳を鍛え直して、実りある人間関係を主体的に築くべく努力し直そうではありませんか?

 (以上、原左都子エッセイ集2014.11公開のバックナンバーの一部を再掲載させていただいたもの。)



 このエッセイを執筆・公開して後、既に10年以上の年月が経過している。

 そうか、その頃60代手前だった原左都子は、高齢出産でこの世に産んで未だ大学生だった一人娘を誘ってはバス旅に出ていたんだなあ。
 ただ、この事件後はバス旅をした記憶が無い。 
 おそらくこの時に後部座席Aさん、Bさんの“くだらなさの極み”ともいえる会話の迷惑度にほとほと嫌気がさして、それをきっぱり卒業したのだろう。

 いや、その後もおばさん連中の“くだらなさの極み”会話に付き合わされた経験はある。 例えば、自宅近くのスポーツジムに通っていた際には、私よりも年上の女性に掴まって、くだらな話の聞き役をさせられたりもした。 その際も、その時間の無駄さ加減がほとほと嫌になり、とっととジムを退所したものだ。


 極めつけは、「コロナ禍」だった。

 この「コロナ禍」こそが、我が周辺の女性集団における「くだらな話」や「上面カスる付き合い」をきっぱりと終焉に持ち込んでくれた源であったと結論づけらるであろう。

 その後は今に至って尚、女性に限らず集団が集う場(同窓会は例外として)には全く縁が無くなっていて、自ずとその種の私が嫌う付き合いをせずに事が済んでいる。

 それはラッキーである反面。
 この私も、当然ながら今後益々年齢を重ねていくのは自明の理だ。
 
 今後の(特に女性陣との)付き合いに関しても、表題に掲げた項目は私としては是が非でも回避したいものだが。
 それを主張する程に、相手女性達が私から遠ざかっていくであろう現実を受け入れねばならないのだろうなあ。


再掲載「誰にでもついて行く女」

2024年07月22日 | 人間関係
「原左都子エッセイ集」4本前の2014.5.16バックナンバーに於いて、「“みんな主義派 V.S “人間関係こだわり派”」と題するエッセイを綴り公開した。

 上記エッセイは、私がペンネーム「原左都子」名で登録しているFacebook上の友達(通称)mito氏とのチャットやり取りをエッセイにまとめて公開した内容である。
 mito氏が当該エッセイをFacebook上でリンクして下さったお陰で、このバックナンバーにはその後数多くのアクセスを頂戴している。 その現象に、この世には人間関係で苦悩する市民の数多さを再確認させられる思いでもある。
(参考のためここでmito氏の略歴を述べるならば、東大ご出身、現役大学教授であられる。)


 さてその後、Facebook上でmito氏及び当該エッセイにコメントを頂いたmito氏のご友人との間で、チャットはまだ続いた。
 この内容こそが今回のエッセイを綴るきっかけとなったため、以下にその一部を紹介させていただこう。

 原左都子
 mitoさんと原左都子との関係とは実におもしろい♪のです。 そもそも知り合ったきっかけキーワードが「70年代ディスコサウンド」であり、お互い実際にディスコダンスを踊り合ったのが最初の出会いでした。 私にとってはこの突拍子もない出会いが最高だったとも言えます。 その後Facebookに場を移して後は、お互いに自由議論が成り立っていると私は解釈しております。

 mitoさん
ネットの醍醐味ですね。
ぼくは、ディスコダンスを教えてあげるつもりで、
たまたま見つけた原さんのディスコ音楽のブログ書き込みに、
某ディスコ大会へのお誘いをレスしました。
本当に来てくださいました。
と、その前に、ディスコについては、
彼女はクィーンであることを身に知らされました。
ほんと、かっこよかったです。
ぼくは昔から、ステップを教えるのは上手なんですが、
自分が踊るのは下手くそなんです。
ぼくらの若い頃は、
ディスコで上手に踊ってる女の子は、
みんなかっこ良くて、
高嶺の花でした。
それよりは若い世代ですが、
原さんはそういう女性だったのです。
僕らが淡く憧れていた不良少女だったかどうかは、
まだ聞いておりません。(笑)

 原左都子
 mitoさんは私より少し早く70年代ディスコデビューされたようですが、好きなディスコナンバーがかぶっていて都内某所では何曲も一緒に踊りました!
 mitoさん、私が不良少女だったかどうかは不明(と言うよりヒ・ミ・ツ)ですが、長い独身時代を通じてずっと主体的に「自由人」を貫いたのは確かです。♪♪
 (以上、Facebook上でのmito氏とのやり取りのうち、原左都子にとって“都合のいい部分”のみをちゃっかり引用したもの)


 さて、今回のエッセイ本題に入ろう。

 「恋愛・男女カテゴリー」に位置付けた本エッセイに於いては、要するに、mitoさんよりの上記Facebookご質問に回答するべく、原左都子がこと“男関係”に於いて、「不良少女」だったか否かに関して自ら論評せんとするものである。

 結論から言うと、上記mitoさん宛の返答内でも述べているように、(私自身の解釈では)あくまでも独身時代は「自由人」を貫いただけの話で、決して「不良少女」ではなかったと自己分析している。


 ここから、原左都子若かりし時代の私事を語ろう。

 新卒入社で東京に本社を有する民間会社(参考のため現在東証一部上場企業)に、私は医学専門社員として勤務していた。
 その当初まさに時代が70年代後半期であり、私は週末には新宿・六本木等々のディスコへ会社の女性友人らと共に通い詰めていたとも表現できるであろう。 
 元々ダンス好きの私はディスコの最前列にしゃしゃり出て、得意のダンスを披露したものだ♪ そんな私に目を付ける男性ディスコ客が多かったのも事実だ。  ただし、元々客観力が取り柄の私としては、必ずや声をかけてきた男性と十分なる会話の上に虎視眈々と相手の“人となり”を見極める作業は欠かさなかった。(酒に強かった我が身体的条件にも助けられたのだが。)

 我が20代前半頃の民間会社内に私事を移そう。
 勤務先に於いても、20代前半の“うら若き”私に「お誘い」を寄越す男性は少なくなかった。(このシチュエーションの場合、ディスコで知り合う相手と比較すると、おそらく学業・職業的バックグラウンドとしてはある程度一致していると考察して間違いないであろう。) 片やそれら男性どもに対しても当然ながら私なりの好みはある。 第一関門としてまずは「外見」で切り捨て、それをクリアした男性に関して私は「面談」方式を採用したのだ。
 ところが、私が当時採用した「面談方式」が社内同年代女性社員よりバッシングされる運命だった!
 彼女らが言うには、「あの人(私の事だが)、『誰にでもついていく』タイプね」
 ところが、時代は未だ「適齢期」なる俗語が蔓延っていた頃である。 その言葉で私を蔑んだ彼女らはさっさと結婚・出産して会社を去って行った…。 


 原左都子の私論に入ろう。

 我が20代前半期に、私を「誰にでもついていく女」と蔑んだ彼女らの思いも十分理解可能だ。
 要するに70年代後半期に民間企業に勤務していた彼女達は、“適齢期”に狭き社内で“寿退社”を狙い結婚相手を模索するのに血眼状態だったのだろう。

 ところが我が理想は遥か遠いところにあった。 結婚などしている場合ではないとの。
 自己実現意欲に燃え続けていた私にとっての男の存在とは、自分の夢に付き合ってくれるキャパ無くして成り立たないのだ。 そんな男を追い求め、近づいてくる男の「面談」を実施するため会合を持っただけの話である。  
 要するに、決して誘いをかけてくる男に受け身で「ついて行った」のではない。 独身を貫きたい私側として、それを理解出来るキャパある男を私側から選別するべく積極的に対応しただけの話なのだ。


 で、それがいつも成功したか、ですって?
 いやいや我が若かりし時代には、相手男の「外見」にこだわり過ぎての失敗もあったことは事実だ。

 そんな原左都子20代前半期の恋愛失敗談に関しては、2008.5.22「傘を返して欲しい」、2008.6.13「別れて下さい」 等々バックナンバーでも公開しておりますので、そちらをご覧頂けますように。 
 (不謹慎ながらも、私自身が今読み直しても結構面白い内容ですよ~~♪♪) 


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 2024.07現在、残念ながらmitoさんとはその後疎遠になっている。

 当時より、さすが東大ご出身の大学教授だけあって 頭の切れる方だったものだ。

 それにしても、趣味が「ディスコダンス」と原左都子との共通項があったが故に、お知り合いになれたのだが…

 私よりも少し年上の方だったが、未だ大学教授職を続行されているのだろうか??
 そして、女子大学生を中心に、今でもご自身の趣味である「ディスコダンス」を享受されているのかもしれないなあ…


 mitoさん、この原左都子など、未だに毎晩自宅にて「ダンスエクササイズ」を実行する程のディスコダンスマニアを、バリバリ続行していますよ!!!😁 😱