原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

暮れなずむ晦日に“三浦半島めぐり旅”に出ます

2016年12月28日 | 自己実現
 今年も残り少なくなりましたが、皆様にとって2016年はどのような年でしたか?


 原左都子の2016年を一言で表現するならば、「疲労」した1年間だったと振り返る。

 
 サリバンの立場で手塩に掛けて育てている娘の新卒社会人としてのスタート。
 義母と実母の介護保証人としての責任。
 それらの世話や心配の重責に耐えつつ、陰から見守り続ける1年だった。 疲労感がストレスとなり、慢性的な下痢等腹部不具合を繰り返し、何度も歯痛に苛まれ発熱する始末…

 娘はまだまだ未熟故に職場の諸先輩方に迷惑を掛けつつも、仕事を1日も休むこと無く弱音の一言も吐かずに頑張ってくれている。
 片や、実母を郷里の高齢者施設へ入居させるのも今年1年を掛けた大仕事だった。 その集大成である10月の施設への引越作業を終えた後、私は体調を大幅に崩し歯痛と発熱に苛まれた。 それでも今、実母が電話で「〇子(私の事)が郷里へ来て頑張ってくれたお陰で良い施設に入れて良かった」と伝えるその素直な声に、感無量だ。
 義母の認知力低下症状が日々進むのも、保証人にとっては深刻な課題だ。 現在抱えている義母の生命保険(個人年金)本人確認対応課題に関しては、義母の保険会社担当者氏が誠意的に相談に乗って下さる現状に安堵する。 昨日も我が家に電話を寄越し「家族登録制度を利用するのがベストと考えます。」とのアドバイスだ。 今後その方向で動く事を伝えた。


 もう一つ、思い出すのは。

 今年私にとって大きなダメージ(と言うよりも恐怖)だった事件は、当該「原左都子エッセイ集」が夏頃“言論統制”対象とされ、大手検索エンジンから抹消措置を受けた事実だ。 それは夏の参院選直前に、当エッセイ集内で安倍政権の施策を強力にバッシングした直後の出来事だった。
 「エッセイ集」で検索するといつもならトップ画面上部に位置している我がエッセイ集が、2ページ目、3ページ目をめくっても見当たらない。 画面下には「一部の検索先が削除されています。」との文言…。(いや、中途半端に2ページ目や3ページ目で検索出来るより、すっぱりと削除してくれる事を私は好むのだが。) 
 この状態が解除され、我がエッセイ集が検索画面トップページに復活したのは秋も深まってからの事だった。 

 いえいえ、「原左都子エッセイ集」を開設後既に10年近くの年月が流れている身の私は、現在に至っては(このgooブログも含め)SNSの利用に際して慎重の上に慎重を期している。 そのため当該エッセイ集のコメント欄は数年前より閉鎖したままであるし、ネット上の読者登録の利用に関しても厳選の上に最小限に留めている。
 そんな私にとって言論統制を受け検索画面から抹消される措置とは、好意に解釈するならば、たかが庶民が公開しているブログに対し、検索主体がむしろ安全策を施してくれたのか?とも受け取れる。 

 ここで話題が大幅にズレるが、現在、筑波大からフランスの大学に留学している某若き女性が消息を絶つとの事件が発生している。
 どうやら、当該女性はSNS上で知り合った外国人男性と留学前より懇親だった様子で、その付き合いがフランス留学後も続き頻繁に行動を共にしていたようだ。  地元警察は誘拐、監禁を含む犯罪行為に女性が巻き込まれた可能性が高いとして、写真を公開し関連情報の提供を求めている、との事。
 同じくFacebookを利用している私も、過去に於いて複数の見知らぬ外国人男性より「友達申請」が届いている。 あくまでも私の推測だが、Facebook文面に英文を記載すると、その事実がピックアップされ外国人が接触し易くなるように感じる。 現在に至っては既にそれら見知らぬ外国人男性達からの「友達申請」があちらから取り消されている状態だ。 (参考のため、現在原左都子がFacebook友達登録中の外国人の皆様は、現実世界での知人の方々のみです。)
 何と申しましょうか。 消息を絶っている女性の身の安全を祈ると共に、老婆心ながら、SNS上の付き合いはくれぐれも慎重にと、特に若き女性達にアドバイスしたいものだ。

 とにもかくにも、この年末にして心が疲労する事件が多発している現状に、更なる疲労感を煽られる。


 さて、明日から私は「三浦半島めぐり旅」に出ます。

 何故、この年の瀬に??   何故「三浦半島」? とお思いの事でしょう。

 答えは簡単! 
 明日から我が最愛の娘が、年末年始休暇に入ります。 力足らずで未熟なりにも4月から頑張り続けている娘に、美味しいものでも食べさせて慰労してやりたいがためです。 (参考ですが、三浦半島はグルメスポットが盛沢山です!! )

 何故行先が三浦半島かと言いますと、11月にその地へ行きそびれてしまった故です。
 我が30代に大学院修了までの6年間通い2度目の学業に励んだ大学が、三浦半島上部「金沢八景」に位置しています。 卒業後キャンパス内に「シーガルセンター」なるパーティ会場が完成し、去る11月にそこで久々のゼミ同窓会総会が開催されたのですが、あいにく実母の引越手伝い疲労による歯痛・発熱のためやむなく欠席した次第です。
 何年かぶりに訪ねるはずだった三浦半島の金沢八景に行きそびれた私が、年末旅行先として真っ先に選んだ地が三浦半島だったという訳です。

 年内には自宅に戻るスケジュールです。
 その後お正月は自宅で迎え、三が日中に再び娘と共に別の地へ小旅行に出る予定です。

 帰宅しましたら旅行記を綴り公開する予定ですが、皆様、良きお年を迎えられますように!

我が娘が “クリスマスの飾りつけ” をせがんだ頃

2016年12月25日 | 雑記
 (写真は、2011.12.24「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて公開した我が家のクリスマスイルミネーションを、再掲載したもの。 これを最後に、我が家にてクリスマスの飾りつけを実行していない。)


 クリスマスねえ。
 ここのところ私が住む東京地方は温かい晴天続きだし、そういう気分に一切なれないこの3連休なのだが…。 (記録的豪雪が続いているらしき北海道の皆様には、申し訳ない話題である事をお詫びするが。)

 そう言えば近頃、大都会都心のクリスマスイルミネーションもすっかり地味になった。
 クリスマス商戦も以前程に派手さはなく沈静化し、「クリスマス」なる言葉を発する事も気が引けるような世の光景だ。

 
 クリスマスと聞いて私が思い出すのは、遠い昔の私の幼少時代(1960年代頃)、決まって親がクリスマスケーキを買って来たことだ。
 (我が郷里過疎地特有の現象だったのかもしれないが)、そのケーキが何年経ってもまったく同じ味と形態。 スポンジの周囲にバタークリームをたっぷり塗りたくった上にイチゴとサンタクロースろうそくがトッピングされている簡易クリスマスケーキだ。
 まだまだ天邪鬼気質が芽生えていなかった幼少の私にとって、それを親が買って来てくれた事自体は嬉しかった… 
 「早く食べたい!」とせがむものの元々さほどの甘党ではなかった私は、親が切って与えてくれたそのケーキの一片を食べている途中でいつも頭が痛くなるのだ。(後に考察するに、急激に血糖値が上昇したか!?!)  結果としていつもケーキの一片すら食べ切れない私は、泣きながら「もう要らない」との発言を毎年繰り返したものだ。 
 ただ、姉は違った。 どうやら私よりも血糖値上昇に関してDNA抵抗力があったのか??、そのクリスマスケーキを何片も食べていた事を思い出す。  その後、姉が大人になった暁にも「現在のケーキ屋は何故生クリームにこだわり続けているのか?! バタークリームの方がよほど美味しいのに!!」と本気で怒っていた事も印象的だ。  (そんな姉は今尚、私に増してスリム体型を維持しているのだが… )


 さて、表題に移ろう。

 私自身は幼少の頃より長き独身時代を経過し晩婚に至った後も、「クリスマス」に関してはずっと関心が薄い人生を歩んで来るべく価値観を育成した人種と言えよう。

 そんな私も娘を出産し(その後サリバン先生となる以前より)、この世に生まれ出た娘が喜びそうな行事を家庭内で率先して取り入れて来ている。
 その最たるものが、「クリスマスイルミネーション」だった。
 娘0歳時よりその飾りつけを開始し、世の「クリスマス商戦活性化」に合わせるがごとく娘の成長と共に我が家のクリスマスイルミネーションも規模が大きく移ろっていった。 
 一番派手な演出をした時など、玄関先から廊下、そして各部屋、ベランダ…。 リビングルームは当然の事、当時未だ高額だったLED電源イルミネーションも買い入れて飾り付けたものだ。

 その原動力とは、もちろんの事、娘がそのイルミネーションに喜び活性化してくれる事実だ。
 娘が喜んでくれるうちは、その家庭内イルミネーションを拡大していった。

 
 時が過ぎ、娘も大人へと成長した。
 上記に掲げた写真は、娘が高校3年時のクリスマスに飾った我が家最後の“地味め”のクリスマスツリーだ。

 その後5年が経過した現在、娘からクリスマスイルミネーションを飾って欲しいとの要望は出ない。
 ただ、もしかしたらこの子、未だに自宅にクリスマスイルミネーションを母親のサリバンが装飾してくれる事を願っているのかと思うふしもある。

 そうだとして、それを私に告げなくなった事実こそが我が娘の真の成長と考え、今年も我が家のクリスマス装飾を敢えて実行しなかった。 

「成年後見制度」と認知症者の未来

2016年12月23日 | 時事論評
 クリスマス連休のこの時期に相も変わらず「高齢者介護」の話題で恐縮だが、私にとっては義母に関し現在抱えている課題を片付けねば、気持ちよくこの年を越せない状況だ。

 と言う訳で、3本立て続けに認知症状がある義母の世話・介護に関するエッセイを綴らせて頂く事をお詫びする。


 さて、義母の施設より持ち帰った「生命保険(個人年金)」封書に関し、昨日その保険会社コールセンターに義母に替わって私が手続きを代行可能かどうか問い合わせた。
 そうしたところ案の定、その解答はきっぱり “No!" だ。  どうしても本人が記入して提出せねば受付けない、との回答だ。 過去にこれに困り果てた他保険会社の前例もあり、恐らくそうであろうと予測していたものの…。
 それにしても何故、これ程までに保険会社等金融機関が「本人確認」に関して意固地なのか!? 個々の事例に応じて柔軟対応が出来ぬものか!?!   高齢認知症者を身内に抱える身としては、まるで“弱者いじめ”に遭っているような気分になり、とことん嫌気がさす。

 それでも今回救われたのは、個人年金保険の場合、年金加入者一人ひとりに担当者が付いている事だ。 (私自身が個人年金保険に加入し現在年金受取り中故に、我が家にも定期的に担当者が訪問してくるためそれを心得ていたのだが。)
 コールセンターより連絡を受けたらしき義母の担当者氏が、その後我が家へ電話をくれた。 そして、その対応策をいろいろと伝授して下さる。
 例えば「家族登録制度」の利用。 ただ、これを利用する場合も、結局その手続きをするために保険会社と義母が直接関わらねばならないため、その処理にこれまた保証人が同席せねば立ち行かないし、さほどのメリットもなさそうだ。

 あれやこれやと対策を話し合った後、担当者氏が最後に提案したのが、「成年後見制度」の利用だ。 ところが、これに関しても既に他保険会社よりその提案がなされた経験がある。
 保証人(特に私)の考えとしては、この制度を利用する場合、義母の法的権利能力が制限される懸念があるためその利用は出来得る限り避けたい、と考えている。 その思いを伝えたところ、担当者氏にご理解頂けた。

 結果としては、義母の保険会社登録住所を保証人の我が家に変更するとの案が採用された。 ところがこれを実施するにも、まず義母から保険会社へ「変更願い書」を郵送して欲しい旨電話で伝えねばならない。 義母一人でこの種の案件を電話でこなすのは既に不能なため、保証人が一度施設へ行ってその電話の補佐をせねばならない。 そして、住所変更届書が届いた後に再び施設へ行って、それに義母自らが記入する補佐をするとの二重の負担となる。
 それでも現在結論を出すならばこれを実行するしかないと判断した私は、この案を採用する旨を担当者氏に伝え、今後の義母に関する保険会社とのやり取りの決着を得た。


 さてその「成年後見制度」だが、私自身が過去に於いて2度目の学業を志し「経営法学修士」を36歳時に取得している関係で、民法に規定されているその制度に関しても集中的に学習した経験がある。
 あれから20数年の年月が経過した間に民法改正が実施され、当該制度も時代の変遷と共に移り変わっていることだろう。

 今後も義母(及び実母)の保証人として介護最終責任を取るであろう我が身として将来展望をした場合、改正民法の下に実施されている「成年後見制度」を今一度学習し直す必要があろう。

 その学習の一環として、以下にウィキペディア情報より「成年後見制度」に関する記述のごく一部を引用する。
 (あくまでも原左都子自身の再学習目的のため、ご興味がない方々は一切無視して下されば幸いです。)

 成年後見制度(せいねんこうけんせいど)とは、広義にはその意思能力にある継続的な衰えが認められる場合に、その衰えを補い、その者を法律的に支援する(成年後見)ための制度をいう。 1999年の民法改正で従来の禁治産制度に代わって制定され、翌2000年4月1日に施行された。 民法に基づく法定後見と、任意後見契約に関する法律に基づく任意後見とがある(広義の成年後見制度には任意後見を含む)。
 狭義には法定後見のみを指す。 法定後見は民法の規定に従い、意思能力が十分でない者の行為能力を制限し(代理権の付与のみが行われている補助の場合を除く)、その者を保護するとともに取引の円滑を図る制度をいう。
 最狭義には法定後見(後見、保佐、補助)の3類型のうち民法親族編第5章「後見」に規定される類型のみを指す。
 本制度はドイツの世話法、イギリスの持続的代理権授与法を参考にして2000年4月、旧来の禁治産・準禁治産制度にかわって設けられた。 従来の禁治産・準禁治産制度には、差別的であるなどの批判が多かった。 こうした中で1995年に法務省内に成年後見問題研究会が発足して以来、成年後見制度導入の検討が重ねられてきたが従来の制度への批判とともに、制度導入時期決定の契機となったのが介護保険制度の発足である。 高齢者の介護サービスについては2000年から介護保険制度の下で利用者とサービス提供事業者の間の契約によるものとされることとなったが、認知症高齢者は契約当事者としての能力が欠如していることから契約という法律行為を支援する方策の制定が急務であった。
 そこで、厚生労働省における介護保険法の制定準備と並行して法務省は1999年法案を提出。 その後、政省令の制定を経て2000年4月1日、介護保険法と同時に施行されることとなった。 こうした経緯から、介護保険制度と成年後見制度はしばしば「車の両輪」といわれる。
 禁治産・準禁治産制度への批判に関して。  制度が作られたのは明治(大日本帝国憲法)時代であり、本人の保護・家財産の保護は強調されても本人の自己決定権の尊重や身上配慮など、本人の基本的人権は、必ずしも重視されていなかった。 家制度が廃止された日本国憲法下での民法(親族・相続法)に合致しない。 また、国家権力により私有財産の処分を禁ぜられ、無能力者とされること、 また禁治産・準禁治産が戸籍に記載されることが、人格的な否定等の差別的な印象を与えがちであった。これらにより、禁治産制度の利用に抵抗が示されやすかった。 そういった経緯があり、本人の保護と自己決定権の尊重との調和をより重視し、禁治産という用語を廃止し、代わりに後見登記制度が新設された。
 成年後見人の義務。  成年後見人は、成年被後見人の生活・療養看護・財産管理事務を行うにあたり、成年被後見人の意思を尊重し、かつ、その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない(858条)。
 以上のように民法改正により、後見人の担い手は広がりつつある。 が、一方で家族が後見人となり財産管理をする傍らで本人の財産を侵奪したり悪徳リフォーム業者が認知症高齢者の任意後見人になり高額の契約を結んだりする等の事例があるのも事実である。 
 (以上、ウィキペディア情報よりごく一部を引用したもの。)

 
 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 私が過去に民法を学んだ時代から、社会的弱者に関する権利能力に対する規定が大幅に改善されている事実には一応安堵する。

 ただその裏側で、弱者を支えねばならない立場の後見人も弱者である事実が悲しい。 そんな世の中の現実下に於いて、この制度を悪用せんとするのも必然的であろう感も抱かされる。 
 民法を改正したところで社会保障システムがその改正についていけない現状に於いて、制度を悪用する事例が発生するのも必然だろう。

 このように歪み切った時代背景に於いて「成年後見制度」活用により認知症高齢者等々社会的弱者に真の未来が訪れる事を、国家政権は本気で保障出来るのであろうか??

認知症は伝染する??

2016年12月21日 | 医学・医療・介護
 いや、決してそんな訳はないのだが、認知症状のある人物と1対1で半日も付き合うと、思考回路がその人物と同一化するような錯覚に陥る。
 それもそのはず、認知症者に合わせてその深層心理を探りつつ、言動を共にするのが介護者の役割である事をわきまえている故だ。


 昨日、義母の眼科受診付添い等々の役割を果たして来た。

 その前に義母が暮らす高齢者施設へ行き、保証人としてやるべき任務をこなす。

 まずは、「漏水事件」。
 義母が施設自室で漏水事件を起こして以降、私が施設を訪れるのは昨日が最初だ。 真っ先に加害者である義母と階下の被害者氏の仲介に入り事件を一件落着して下さった施設長にお詫びの言葉を述べるべきだが、残念ながら不在。
 事件の実際の後処理をしていただいたケアマネージャー氏がちょうど事務室におられた。 保証人としてお詫びが大幅に遅れた事を謝罪し、事件の詳細を再確認した。
 やはり、想像以上にその後始末が大変な作業だったようだ。 しかも下階の被害者氏の怒りの程も長引いたとのお話。 室内の水が渇いた時点で、やっとお怒りが収まったとのこと。 ただ日数が経過し現在に至っては被害者氏の認知症状のお陰で既に事件の事を忘れ去っている故に、(施設長発言同様)事件の記憶をぶり返さないためにも、もう終わった事にして欲しいとのご意向だ。 そのため持参した菓子折はケアマネ氏に手渡しつつ、保証人の立場で最終確認をした。 「電気系統等に支障は出ていないですか? もし、損害賠償負担が発生するようでしたらお伝え下さい。」 それに応えてケアマネ氏曰く、「まったくその必要なございません。大丈夫です!」 
 そのやり取りを傍で見聞していた(とは言ってもおそらく内容は聞こえていないであろうし、理解出来てもいないだろう)義母だが、二人が笑顔で話し終えた事に心底安堵したようだ。 これで、義母も「漏水事件」から真に解放されることと信じたい。

 そして、生命保険(個人年金)の件。
 これに関しては、既に5回程同内容の電話が義母からあったが、またもや同じ話の繰り返しだ。
 一通りの話を6回目もじっくりと聞いた後、「分かりました! 私が家に持ち帰って処理します。お任せ下さい。 そして来年からは、その通知を保証人の我が家へ送付してくれるように依頼します。」(それが叶えば、こちらとしても義母の“訳の分からん”繰り返し話を数回聞かされるよりもずっと楽だ。)
 封書4通を鞄に入れた私を見て、母がどれ程安堵したことか。 

 いよいよ、眼科受診。
 総合病院内の眼科受診のため、まず受診カードを「再診マシン」に入れる。 いつもの事だが、義母の「私も覚えなきゃ」との要望に沿って、混雑していないのを良き事にマシンの使い方をゆっくりと伝授する。 ただ我が感覚としては、現在の義母にとってその作業のハードルが高過ぎる事は承知だが…  それでも、覚えようとするその気持ちには応えたい。 
 次に2階に位置する眼科前で診察順番を待つ。 電光掲示板に表示される順番待ち番号を義母も見るのだが、どうしてもそのシステムが理解出来ない。 それでもいつもその説明を根気良く丁寧にする私に、義母は「やっぱり私には無理みたい…」と少し悲しそうな表情を浮かべる。

 この診察待ち時間は、またとない義母と私とのコミュニケーションタイムだ。 普段施設では、1対1で入居者と職員氏が対応して下さる時間はほんの短時間であろう。 そんな義母にとって、自分と1対1で他者が長時間かかわってくれる機会など、まさに私との病院受診に限られるのではあるまいか? 
 そんな義母は、いつも待合室で洪水のごとく自らの内面から湧き出てくる思いを私に伝える。 それは現在抱えている不満や不安であったり、過去の出来事であったり、……
 待ち時間が3,4時間に及ぶと、義母の口から繰り返される「戯言」(と言っては失礼だが)を受け止めるのが限界に達する私だが、これが1,2時間程度ならば許容範囲だ。 (何せ、我が娘のサリバン業を既に23年間の長き年月に渡り全うしている身だし。

 あくまでも聞き役に徹し、「そうですか」「それは大変でしたね」等々と相槌を打っていると、義母が未だ認知力を失っていない一昔前の義母として蘇るかの錯覚に陥ることを、幾度か経験している。
 これぞ介護のあるべき姿かと(介護分野素人にして)、私は実感させられたりもする。
 そういう義母心理思考同調対応をすると、義母が決まって優しくなるのだ。 昨日も診察が終了した後に、「〇子さん(私の事)にいつも病院受診に付き添ってもらうのは心苦しいから、今度から私一人で受診する」と明瞭に言い張る義母だ。 「いえいえ、大した労力でもないですから私が付き添いますよ」と返答するものの…
 ただ、その後日時が経過し、義母から“訳の分からん” 電話が幾度も繰り返されるのはいつもの事だ。
 こういう風に、義母と保証人である私の関係は今後も続いていくのだろう……


 さて病院受診後タクシーに乗車し、義母を施設へ送った後、私も自宅へ帰る段取りとなる。
 今回捕まえたタクシー運転手氏が、認知症高齢者に理解があった事に助けられた。

 ひとまず義母を施設の玄関口で降ろし、引き続きタクシーにて我が自宅へ帰ろうとしたところ……
 義母がタクシー後部席に乗っている私に“バイバイ”をしつつ、いつまでもタクシーから離れないのだ。
 これに気付いたタクシー運転手氏が後部座席の窓を開けてくれ、義母の行為を受け入れて下さる。
 義母は、まだタクシーから去ろうとしない。
 義母の認知症がすっかり伝染した私は、そんな義母の姿が不憫でもの悲しくて、涙が溢れ出る……
 それでも、私はタクシー運転手氏に伝えた。 「もう切がありませんから、タクシーを発車して下さい。」

 お義母さん、必ずや貴方の介護責任は私が全うしますから、今後もどうか安心してこの世を生き抜いて下さいね……

高齢者介護に於ける “スクラップ・アンド・ビルド”

2016年12月19日 | 医学・医療・介護
 最初に、今回エッセイの表題は12月17日に放映されたNHKドラマ 羽田圭介原作「スクラップ・アンド・ビルド」ドラマ化  ~「青年と祖父の奇妙な攻防・彼は未来を見いだせるか」 より引用した事をお断りしておく。

 更に、“スクラップ・アンド・ビルド” の意味をネット コトバンクより以下に引用紹介するとー。

 もともとは石炭産業の合理化(1955年以降)に際していわれた言葉で,能率の悪い設備(機械や建屋)を廃棄し(スクラップscrap),これを高能率の設備に置き換える(ビルドbuild)こと。 個々の企業で起こりうるが,一般に,業界全体の規模で統一的な意識のもとに,旧設備の廃棄と新鋭設備の導入が行われる場合に,この言葉が使われる。 たとえば,日本の繊維産業が発展途上国の追上げ(途上国のほうが賃金がかなり低いため,同じような設備では日本より安価な製品を生産できる)によって苦境に陥ったとき,繊維業界がまとまって政府の支援を得て,旧設備を廃棄するとともに自動化の進んだ労働生産性の高い新鋭設備を導入して,競争力の回復をはかったことがある。


 冒頭より私事を記させていただこう。

 今朝方、高齢者有料介護施設に暮らす義母より電話が入った。 (  )内は私の内心の思いを綴ったもの。
 義母曰く、「あのね、急な用があるから今日か明日、施設まで来てくれない?」 
 (えっ、3日前に義母から電話があって、明日火曜日に眼科の付き添いを頼まれ、私が施設へ迎えに行くことは承知しているはずなのに、もうすっかり忘れているのかなあ…)
 私応えて曰く、「明日眼科の付き添いのため施設へ行きますから、その時にその急用も一緒にすませましょう。」
 驚いて義母曰く、「えっ? 私、明日眼科へ行かなきゃいけないの!??」
 (ああ、やっぱりすっかり忘れてたのね…。 認知症状の悪化に加えて耳も悪く電話では状況説明が困難。 ここは義母から3日前に付き添いを頼まれた事は伏せて、とにかく明日施設へ迎えに行く事だけを強調しておこう。) 「ええそうなんです。お義母さんは明日眼科受診ですので、午後お迎えに行きます。 で、急な用って何ですか?」 
 きつねにつままれつつ義母応えて曰く、「あらそう、どうしても眼科へ行かなきゃいけないのね。 用件だけど、私ねえ、施設で水の事故を起こしたのよ。 (知ってるし、それで周囲の皆が大迷惑したよ。 それにしても、漏水事故の件を覚えていたのね!) そのお詫びを貴方達夫婦保証人にお願いしたはずのに、まだお詫びに来てくれなくて肩身が狭いのよ。 明日、菓子折を持って来てくれる?」
 (あちゃー!!😵  漏水事故の事は覚えていたけど、それに関して施設長が仲介に入ってくれ一件落着した後日談はすっかり忘れたのね。 施設長氏から認知能力が低下している加害者・被害者共々事件をぶり返さぬためにも我々保証人は来ないで欲しい、と注意された事実は義母の記憶からすっ飛んだ、って訳か… いやはや困ったなあ。) 
 と考えつつも、その詳細を電話で義母に伝えるのは困難な業だ。 とりあえず明日午後施設へ行って話そう、と考えた私は、「それでは、明日午後菓子折を持って施設へ行きます。 その時にまたお話しましょう。」とだけ告げて電話を切ろうとすると、
 義母曰く、「あのねえ、住友生命(正確には三井生命)から来ている封筒の内容が分からなくて困っているの。 これも見て欲しいのよ。」
 (この話題は既に数回目だ。 個人年金受取のために住民票が必要でそれを既に保証人である私が取得していて、明日その封書を義母から受け取り保証人の私が必要事項を記載して提出する段取りになっている、と話は進展しているはずなのに、いつも母の頭は原点に戻ってしまう。 それでも、認知症状が悪化している義母にその事実を告げる訳にもいかない。 義母の脳内認知力に合わせ、こちらも原点に戻って演技をするしかない。)
 「分かりました。 住友生命(敢えて義母の会話に合わせる)の件も、明日施設へ伺った時に私がその内容を確認しますので、安心して下さい。」
 分かったようで分からない、聞こえたようで聞こえていない風の義母の心細さは電話から重々伝わるが、これ以上電話会話を続けたところで増々埒が明かないし、こちらの生活もある。
 せいぜい明日施設で母と直接会った時点で、正確な情報を出来る限り伝える事としよう。 (電話よりも直接会う方が義母も安心するし、笑顔に加えてアイコンタクトや身振り手振りにて会話すると、義母もずっと理解し易く合意が得られ易いのはいつもの事だ。) 


 さて、この辺で冒頭に紹介したNHKドラマ 「スクラップ・アンド・ビルド」に話題を移そう。

 と言っても、実はこのドラマを夕餉の酒の余韻を残しつつ視聴した私は、失礼ながらその詳細部分は承知していない。
 ただ、介護を要する高齢者を自宅にて抱えているドラマ家族(特に高齢者本人と孫)の心情の程は、(義母と実母を高齢者施設に入れつつもその保証人の立場として日々接している身にして)痛い程通じたつもりだ。 (原作を読んでいないし、読む気も無い立場で評論する事は控えるべきだろうが…)

 何と言っても、俳優 柄本佑氏と山谷初男氏の演技力の程が素晴らしかった。

 ドラマ内では、柄本佑氏演ずる高齢者の孫が、祖父の介護に際し、“スクラップ・アンド・ビルト”思想を取り入れ、あえて祖父に対し“これ見よか!”的な大袈裟な介護を施し、早期に祖父をこの世から抹殺せんと志す。
 それに気付いていた被介護者である山谷初男氏演ずる祖父も、可愛い孫の行為に合わせて敢えて老化現象を増長するかの演技を孫の前で見せる。
 ところが実際は、祖父の老いぼれぶりは孫が想像したよりもずっと軽度だったのだ。 
 最後の場面では、祖父・孫のご両人が実はお互いに愛し合っていた家族として描かれた。


 最後に、原左都子の私論に移ろう。

 結局、今回のNHKドラマ「スクラップ・アンド・ビルド」は ハッピーエンドで結末を迎えている。
 実際の身内介護に於いては、それほど甘い対応で済まされないことは歴然だ。
 そんな厳しい家庭内(あるいは身内間)介護環境に於いて、介護者は如何なる対応を高齢被介護者に施せば良いのだろうか?

 芥川賞受賞作家氏が、高齢者問題を「スクラップ・アンド・ビルド」に照らした事が評価され賞を受賞したらしい。??
 繰り返すが、「スクラップ・アンド・ビルド」とは、効率の悪い設備(機械や建屋)を廃棄し(スクラップscrap),これを高能率の設備に置き換える(ビルドbuild)こと。 個々の企業で起こりうるが,一般に,業界全体の規模で統一的な意識のもとに,旧設備の廃棄と新鋭設備の導入が行われる場合に,この言葉が使われる。 との事。
 それを利用して自分の著作に結び付け、この言語フレーズで高齢者介護の実態を如何に捉えたのかは(この著書を読もうとも思わない)私の知ったところではない。

 それよりも、明日義母に会わねばならぬ我が保証人としてのノルマこそが、実際重圧の私だなあ…