原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

惑いの夏に、秋を待ち侘びて…

2019年08月31日 | 自己実現
 (写真は、7月上旬に旅したウィーンの宿泊ホテルからホテル中庭を撮影したもの。)



 今年の夏出かけたウィーン個人旅行が7月上旬と夏未だ早い時期だったせいか。

 その後の夏が嫌になる程長かった事…。

 けだるい今夏の猛暑の日々を何とか身体と心を奮い立たせつつ、自分の心を誤魔化して過ごしてきた感がある。


 ウィーン旅行までは、嫌でも多忙かつ充実した日々だった。

 今年の夏は娘の仕事の都合でどうしてもその時期にしか休暇がとれず、しかも日本が3連休時のため旅行代金も割高だったにもかかわらず、早期のウィーン旅行決行だった。

 帰国後すぐに日本では猛暑が襲い掛かり、そのまま8月末を迎える形となってしまった。


 こんなうだる暑さの中にも何とか私なりの達成感を得ようと、果敢にもランニング練習に出かけたりもした。 (普段の夏は、熱中症予防のため猛暑時にはランニングを控えているのだが。)

 他の手段を思いつかない程に、我が脳内活動が低下していたとも言えよう。

 ランニング練習がそんな我が精神を、確かに奮い立たせてくれた。

 昨日もランニングに出かけたのだが、お陰で本日は少し頭が冴え、私らしさの欠片を自分で感じる事が可能だ。



 何だかんだと言いながらも、早いもので明日から9月。



 秋になると、私はまた一つ年齢を重ねる。

 少しは、大人になろうか?

 それとも、このまま少女のハートを貫こうか??



再掲載 「『できる子』って、誰のこと?」

2019年08月29日 | 教育・学校
 (写真は、娘が中3時の夏季自由研究レポートとして、サリバンの私が1人で仕上げた課題。 今読んでも興味深い内容のため、機会があればこれをテーマとしていつかエッセイを書こう。) 


 学校の夏休みもそろそろ終わりだ。

 児童・生徒の皆さんは、宿題出来たかな?
 今現在、駆け込みダッシュで宿題を仕上げている子供達も多い事だろう。

 かく言う私だが。

 今だから正直に言うが、我が娘の夏季休暇中の宿題のほぼすべてをこのサリバンの私が仕上げたと言って過言ではない。
 何分、我が娘の指導とは一筋縄にはいかない。 サリバンが優先順位をつけ、優先度が低い課題に関してはそれを私が代行してやらない事には、娘の負担が大き過ぎるのだ。 例えば中学受験、大学受験期などは特に、それを最優先に娘に頑張って貰わねば娘の将来が無い。
 夏休みの宿題などとの二の次でよい“余分”な労力を、娘に課す訳にはいかなかったものだ。

 娘の成長度合いを観察しつつ、それに添うようにサリバンの私が頑張ったものだ。

 
 さて、今回は子供の教育関連エッセイだ。
 2011.01.06公開の「『できる子』って、誰のこと?」を、以下に再掲載させていただこう。

 この表題は、(2011年)1月4日付朝日新聞一面トップ記事 「できる子 伸ばせ」 の題名を一見して抱いた“一種の嫌悪感”と共に、原左都子の脳裏に浮かんだ疑問をそのまま表現したものである。

 もう少し詳細に私の“嫌悪感”を説明すると、「できる子」と一言で言っても何ができるのかが問題であるはずだ。 全国紙である朝日新聞たるものが、国民の誤解を生みそうなこんな軽薄な表現の表題を一面トップに掲げて教育を語ってよいものなのか!? と言ったところである。

 これはあくまでも本文記事を読んでいない段階での私の感想なのだが、新年早々教育関連記事を名立たる新聞が一面トップに持ってくること自体にそもそも意表をつかれる思いだ。 まさかとは思うが新政権の文科省が本年の学校教育課題として“「できる子」を伸ばす”ことを第一義に掲げ、それを新年早々国民に吹聴するようメディアに裏で指示でもしているのであろうか?? 
 そう言えば近頃の義務教育においては、既に「ゆとり教育」が見直される方向にあると言われて以降何年か経過している。
 一例として東京都杉並区立和田中学ではもう3年も前の時点で民間企業出身の校長の指揮の下で、公立中学の立場にありながら学校が身勝手に選出した(?)一部の「できる子」とやらを対象に「夜スペ」と銘打って一種の“英才教育”を施し世間の物議を醸したものである。

 確かに私が子どもの頃とは、「できる子」なる言葉が大手を振ってまかり通っていた時代だった。
 「原左都子エッセイ集」開設直後2007年9月のバックナンバー 「横並び教育の所産」 においても既述しているが、私の小学生時代には学校の物事のすべてが「できる子」中心に執り行われていた。
 この場合の「できる子」の意味合いとは至って単純で“お勉強のできる子”という馬鹿さ加減なのだが、要するにたかが小学校レベルでの学習習熟度の高い子ども達が、学校におけるあらゆる活動において重宝されていたのである。 実はこの原左都子も一応「できる子」に分類されていたようで、子供心に多方面で“いい思い”をしてきてた記憶があるのは事実だ。

 ところが当時(“もやは戦後ではない”と言われた昭和30年代頃)の学校教育とは、単に学校現場の(失礼ながら教員たる資質が疑われるような)教員どもが自分が“使い易い”「できる子」に頼りつつ日々の教育を取り仕切るという、至って安直な発想から生じた生徒に対する評価で身勝手に「できる子」を選定しているに過ぎなかったものだ。 それはまた、今後将来に向けて育ち行くすべての子ども達の人権や将来性を否定するべく歪んだ産物に他ならなかったのである。

 その後学校教育も時代が巡りめぐり、結果として経済力も教育力も低迷を続けざるを得ない程に国力が衰退した現在のこの国が、今後の国家発展のために学校教育において 「できる子」 を育成したい気持ちは分からなくもない。 だが決して国政たるもの過去の学校教育における思慮不足の過ちを繰り返さないで欲しいと祈りつつ、朝日新聞記事に目を通した原左都子である。

 そうしたところ、上記1月4日付朝日新聞トップ記事を読んだ後に、今回の朝日新聞記事を綴った記者が言わんとしている趣旨は原左都子なりに一応理解できたのである。
 それでも私がこの記事の担当であるならば「できる子 伸ばせ」ではなく、「未来の科学者を育てよう!」 と題したであろう。 その方がよほど世の共感を得たであろうし、学校教育現場で本気で子どもの将来を考慮している人材からの反発を食らわずに済んだのではなかろうか。

 要するに今回の記事は、「国際生物学オリンピック」で日本初の金メダルを受賞した高校生グループを取り上げ、賞賛するのが趣旨の記事なのだ。
 朝日新聞トップ記事及び3面記事の内容の一部をここで紹介しよう。
 戦後、日本の教育は全体の底上げに重きが置かれ「できる子」は逆に放っておかれた。 それが「ゆとり教育」や学力低下が問題となったのを機に「できる子」の才能を伸ばす試みへのタブー視は薄まりつつある。 文科省は高度な理数教育をする高校を全国で100校以上指定している。
 (以下3面記事)  数学五輪メダリスト達は進路を聞かれると「東大に行きたい」と言う。 ところがその多くは医学部志望だという。 なぜならば親が数学では食っていかれないと言うからだそうだ。 (中略)  個々の研究室が極めて狭い領域の指導に偏り組織的な教育がなされていない現状だ。 米国ハーバード大学の試みによると、分野を問わず多様性のあるクラス編成をした方が「毎日が刺激的!」と答え活性化する学生が増えることが実証されている。科学分野の研究とは一つの見方やアプローチだけでは行き詰る。異分野の研究者と交じり合い新鮮な視点や手法があってこそ活性化する。

 上記朝日新聞記事要約の前半部分に関しては、尚、異議申し立てしたい原左都子である。
 戦後の日本の義務教育においては決して「底上げ」に重きが置かれてはいなかったと、その時代に児童生徒だった私は言い切れる思いだ。 かと言って「できる子」は学校がそれをうまく利用するだけで決してその才能を伸ばす教育も成されていなかったというのが、厳しい私論であるが日本の昭和の時代の貧弱な教育の実態だったのではなかろうか。(結局は家庭環境が豊かな子どものみが、その家庭力によってある程度の教育を受けられたというだけの話に過ぎないであろう。)
 平成に入って文科省が「ゆとり教育」を全面に打ち出した時には、当時教員を退職し我が子を産んでまもない時期の原左都子にとって、どれ程我が国の教育行政の“進化”に感激したことであろう。 それも束の間、我が国の学校教育の現状は彷徨い続けるばかりである…

 朝日新聞記事の後半部分に関しては、私も大いに同意する。(おそらく、前半部分と3面の後半部分を担当した記者が異なる人物なのであろう。)
 結局は子ども本人が科学に興味を示しているにもかかわらず、世間知らずの親の立場としては「せっかく東大に入るならば偏差値が高い医学部に入った方が世間の聞こえもいいし、あなたも将来高収入を得られるじゃないの」とアドバイスすることになるのだろう。 そこには一切、親としての子どもの適性や夢に関する展望が欠落している。
 そんな中、ハーバード大学の分野を超えた多様性のあるクラス編成の試みは実にすばらしい!と言えよう。

 原左都子なりの結論を述べよう。

 「できる子」とは一体誰なのか?
 それは決して小中高でお勉強が出来て国際教科オリンピックで金メダルを取れるという、表面的な現象に満足する子ではない。
 そうではなく、視野が狭く軽薄な親どもや周囲の下手な干渉にもめげず、自分の意思を貫きつつ自分らしい人生を送れる潜在パワーを育成してきている子なのである。 
           「子ども達よ、がんばれ!!」

 (以上、本エッセイ集2011年1月バックナンバーを再掲載したもの。)


 2019年8月現時点に戻ろう。

 表題に掲げた娘の夏季自由研究レポートを今読んでも面白いため、それに関して少しだけ述べよう。
 共同研究者に母の私の氏名が書かれているが、実際は私一人で仕上げた“自由研究”である。 
 この種の研究課題は、我が過去の医学経験故にお手の物である。 論文作成の方法論を十分心得ているため、スムーズに着手出来たものだ。

 テーマの選定のみは娘と話し合い、当然娘の合意を得た。 過去に二人で観賞したプラネタリウムにヒントを得たものだ。

 何れの研究も同様だが、まずはテーマに関する参考文献収集から着手する。
 当時は既にネット時代へ変遷していたため、それが実に容易だった。 (参考だが、私が修士論文を作成した時代は未だネット時代では無かったがために、図書館へ足繁く通い詰めるはめとなったものだ。)

 サリバンの私一人で仕上げたとは言えども、必ずや娘に正書・熟読させ内容を完璧に理解させる指導は欠かさなかった。
 
 この自由研究は提出後学校で高く評価されたようだが、所詮中学校現場の話だ。
 そんな事は二の次としても。

 結論としては、我が子を如何なる分野であれ“できる子”に育て上げるのはやはり最終的には親の責任と私は判断し実行して来た。
 
 夏休み中の子供の宿題を手伝う課程とて、その一環になるかもしれないとの結論だが。

再掲載 「面倒臭い奴」

2019年08月28日 | 自己実現
 日々、当該gooブログにかかわっている立場の原左都子としても、「面倒臭い奴」と出くわす機会が今尚ある。


 それでは早速、表題に掲げた 「面倒臭い奴」とはどういう奴かに関して、早速2015.01.12付バックナンバーより再掲載しよう。

 冒頭から「面倒臭い奴」に関して解説しよう。

 例えば職場で飲み会が開催されるとする。 それに参加したくはないが誘って欲しい。
 それでとりあえず誘いのお声が掛かるのを待つ。 ところが誘いが来ないと腹を立てる。
 ラッキーにも誘いがあった場合、とりあえず断る。 その時相手に「そうですか」と簡単に引き下がられるとまた腹を立てる。
 結局行きたくないから飲み会には出席しなかったところ、翌日職場で昨夜の飲み会の様子を周囲に楽しそうに談話されるとまたもや腹を立てる。
 あるいは嫌々ながら飲み会に出席したとする。 自分の居場所が無く隅っこでうじうじしているのに誰も気付かず、そんな自分を無視して盛り上がっているのにも腹を立てる。 仕方がないから先に帰ろうとするのを誰も引き止めない事にも腹を立てる。
 こういう人物を 「面倒臭い奴」 と世間では言うそうだ。 

 早速、原左都子の私見だが、これ確かに周囲にとっては「面倒臭い」事には間違いないが、要するに本人自身は単に周囲に甘えたいのに加えて、自分をおだてて欲しいだけの幼稚な人間とのことだよねえ~~??

 上記「面倒臭い人間」に関する談話を、私は先週放送された民放テレビ番組にて視聴した。

 自分こそが「面倒臭い人間」だと、昼間の時間帯に放映されている民放テレビにて公開したのは、劇作家・脚本家・映画監督であられる三谷幸喜氏だ。
 この人の事を、私も知っている。 裏舞台で活躍する立場の職種にしてはテレビの表舞台にも登場して、まるでタレントのごとく私事をよく語っている人物だ。 朝日新聞にも長年コラム欄を担当している事も承知している。
 それ故に三谷幸喜氏の人柄に触れる機会が無きにしも非ずなのだが、私の印象としては、三谷氏が「面倒臭い奴」である事を以前より承知していた感覚だ。  
 三谷氏には大変失礼かつ申し訳ないのだが、「この人、“小心者”にして、随分と活躍している人だなあ。」との印象を私は持ち続けていた。

 そうしたところ、先週の民放テレビにての「自分は面倒くさい人間である」との談話により、その人物像が私の脳裏で繋がった。
 やっぱりそうだよねえ。 この人、結局周囲に甘えつつあくまでも自分を“他力本願に”盛り立てて欲しい人物に間違いなさそうだ。
 天下の地位を築いている三谷幸喜氏にして、何も自分から「飲み会」を開催して僕(しもべ)の皆を誘い、「自分が大将だ!」と宣言すれば済むものを…

 既に世の成功を勝ち取っておられる人物が、何故に僕からの盛り立てに期待しているのかを分析したく思い、私は三谷氏に関する情報をウキペディアを通して検索した。 以下のその一部を紹介しよう。
 三谷 幸喜(みたに こうき、1961年7月8日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、俳優、映画監督。
 東京都世田谷区出身。世田谷学園高等学校を経て、日本大学藝術学部演劇学科卒業。 大学在学中の1983年、劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成。初期には「一橋壮太朗」の芸名で自ら役者も務めていた。この時期には、テレビ朝日の深夜番組『ウソップランド』で視聴者からの映像作品を募集する「チャレンジビデオコーナー」へ自ら制作した作品を投稿し、それが採用されて放送されたこともあった。 演劇学科の3年後輩の太田光は、「三谷さんは学生の頃から、すごい人気者だった。日本大学のヒーローだった。」 (以下、略。)

 原左都子の私事及び私論を記そう。
 なるほど、分かる気がする。
 三谷幸喜氏とは、日本大学芸術学部との(たかが学生時代に)既に人気者であり、(狭き世界である)日大のヒーローだったとの記述に私は納得した。
 若き時代に自分を肯定してくれる周囲環境を経験すると、その評価が高ければ高い程に、それこそが自分に対する「一生に渡る評価」と勘違いしてしまう事実を、我が過去の人生に於いても経験したような気がする。

 ただ私の場合は幸いな事にその記憶が脳裏に刻ま込まれてしまう事実を冷静に捉えられるべく、後々学問に励み、我が脳内を整理し直せたように振り返る。
 それに加えて、自分の意思は自助努力でコントロールするべきとの感覚も自分自身で繋いで来れたのがよかったと振り返る。

 出たくもない「飲み会」になど出ない!と最初から宣言するのが一番である事には間違いない。
 何故、三谷氏が“それでも”出たくない飲み会に周囲から誘って欲しいのかと考察するならば、その我が儘が通用する恵まれた環境下に現在地位を築いておられるからに他ならないであろう。

 今後一生に渡り三谷幸喜氏が(近き周辺人物から見て)「面倒臭い人間」としての人生を欲し、それが叶い続ける自信がおありならば、それで十分との話だ。

 (以上、2015年1月公開のバックナンバーを再掲載したもの。)


 2019年8月時点での我が私見を語るならば。

 ブログなど、ネットとの“限られた環境下”に於ける人々の交流に過ぎない世界である事には間違いない。
 そんな“至って人の意思が限定された世界”に於いて他者と如何に関わるのかなど、これぞ自由が保障された世の中で人それぞれが“成せる業”であろう。

 そんなバーチャル環境下で人と交わる事に異論を唱えても致し方無い、との結論に至りそうだが…

 この原左都子など、今現在自己分析しても現実世界に於いて究極「面倒臭い奴」であろう事を当の昔から自覚出来ている。 (いえいえ、嫌な飲み会や同窓会になど絶対出席しない!という点では全く面倒臭くないのだが、人間としての神髄部分で一筋縄では行かない面倒臭いところがある事は認める。)

 ならば尚更、所詮ネット上で知り合った相手に “あんた何様だよ、面倒臭いよ!” などと、いちゃもんをつけられるはずも無い。

 要するに、所詮そういうことだ。

 と気付いたところで、今回のエッセイは終焉に持ち込もう。
 

再掲載 「80年代後半バブル期にあなたは何をしてた??」

2019年08月27日 | 時事論評
 (写真は、1990年頃撮影した原左都子が30代後半頃の写真。 過去に於いて当該gooブログ左欄上部のプロフィール写真として掲載していた時期があるため、ご記憶の方々もいらっしゃるだろう。 左欄フォトチャンネルにても公開しています。)


 80年代後半バブル期と言えば、我が人生に於いて一番“華”の煌びやかな時代だったものだ。
 当時未だ独身だった私は仕事に学業に超多忙な時期ではあったが、実に自由奔放かつ充実した日々を送っていた。

  
 それでは、2013.06.06公開の上記表題バックナンバーを、以下に再掲載させていただこう。

 自民党政権が実行しているいわゆる「アベノミクス」経済政策を“バブル”と解釈するか否かに関しては、評価の分かれるところであろう。

 これに関する原左都子の私論は、2013年5月のバックナンバー「イージー・マネーで世を撹乱した“イージー・アベノミクス”」との表題にて既に公開している。
 少し復習させていただこう。
 「イージー・マネー」とは日本語にすると「楽に儲かるカネ」の意味合いがある。あるいは、「不正に儲けたカネ」「悪銭」「あぶく銭」「泡銭」等々…の意味合いもあるようだ……。 
 日銀黒田総裁は少し前にメディア上の記者会見に応答して、「今回の金融緩和政策は決して“バブル経済”の再来ではない!」と言い切っていた事を私はメディア画面を通して記憶している。
 私に言わせてもらうと、「イージー・マネー」を最前線に呼び込む経済政策など“バブル”でしかあり得えないにもかかわらず、何故国民相手に「イージー・マネー」の投入を煽ったのか??  これこそが、今後の「アベノミクス」経済政策の限界を示す指標と私は捉える。 
 「アベノミクス」は、日本国内に於けるほんの一部の富裕層(これとて所詮庶民の範疇であり大してリッチでない層と私は捉えるが)を煽る事による“階級制度”を末端世界で築きたいのか? 今後益々多くの国民を更に貧困層に落とし入れ不幸にしないためにも、「イージー・マネー政策」は即刻辞めにするべきだ。 バブル銭にしか頼れない財務・経済政策など、原左都子に言わせてもらうと「イージー・アベノミクス」としか表現できないよ。 (以上、本エッセイ集 バックナンバーより私論部分を引用。)

 このアベノミクスが引き起こしている株価乱高下現象を受けて、朝日新聞オピニオンページに興味深い記事が掲載されていた。
 現在のアベノミクス経済状況を“バブル”と捉えるか? この現況下において20年前のバブル期を反省する人、あるいは早めに株や土地に手を出そうとする人等々、経験者が本音を語っている。  以下に要約して紹介しよう。

 まず、「踊った人」の例から。

 ジュリアナ東京が開店した1991年にちょうど20歳だったという女性荒木氏は、そのお立ち台で羽根扇を振りながら下々の人を見下ろし、何かの教祖になった気になって踊っていたらしい。 会場の熱気の中みんながトランス状態で、欲とか虚栄心とか人間のドロドロしたものが一つの大きな「気」になってそこに存在していた、と荒木氏は言う。 バブルに気付かずお金をばかばか使う残党がいて、今振り返るとおっかしいんじゃねえの、とも思うそうだ。 それでも、荒木氏自身は当時コンパニオンもして、会期が終わったらブランド衣装も全部もらえたし、打ち上げは船上パーティ。 「節度」という言葉を忘れているような雰囲気があったと思うとも語っている。

 原左都子の私事と私論に入ろう。
 バブル期以前の70年代に、上記荒木氏と同様“ディスコ狂”とも言える青春時代を踊り狂って過ごした私だが、その時代背景が全く異なる。 
 1991年と言えば、私は既に30代後半。 学問に驀進して大学院を修了しちょうど「修士」を取得した頃である。
 趣味として音楽もダンスもずっと愛好していたが、ジュリアナ東京を訪れる機会は一度たりとてなかった。 影像で見るあの場は下劣で低俗で“馬鹿が集まる場”とのイメージしか抱けず、あえて避けて通ったとも言える。
 コンパニオン(パーコン)もアルバイトの一環として経験した私だが、確かに“バブル期”だからこその職種だったことだろう。 私の場合、会期後の「打ち上げ」になど出席している時間がもったいなくて一切参加していないが、お陰で短時間で高給が稼げ学業に励む時間が確保できた事に感謝している。 今時“コンパニオン”なる言葉自体が死語化しているとも捉えている。 

 次に「こりごりな人」の例であるが。 48年生まれの末井氏は朝日新聞紙面で以下のように語っている。

 小豆の先物取引や金、不動産にギャンブル、バブル期はいろんなものに手を出した。 ただただお金を増やす事が快感で、減ると落ち込む、それだけだった。 不動産は元より、しまいに郊外の栗林まで買ったため、結局大暴落して3億円の借金が残った。 これを競馬の大勝負で返そうと本気で考える程に、正常な思考が出来なくなっていた。 その後銀行と話し合って借金の一部をチャラにしてもらったが、今もまだ4千万円程をちょぼちょぼ返している。 といういきさつで、現在はアベノミクスに乗って一発当てようとの発想はない。

 再び原左都子の私事と私論に入ろう。
 こういう奴、一番迷惑だよなあ。 
 “バブル期”に少しばかりの小金を持っていたこの手の軽薄野郎どもが大量発生し、我が物顔で“イージーマネー”を世にバラ撒いた80年代後半の時代である。 その後バブル崩壊と共に大損失を計上した挙句の果てに、自分らの借金を銀行等との癒着でチャラになどしたからこそ、その後の不況期が長引いていることを肝に銘じさせるべきだよ。 
 軽薄志向のあんたらがチャラにした借金をその後我々庶民が血税の形で肩代わりし続けている事実に関して、現政権こそが今一度省みるべきであるし、その手の奴らには一生懺悔しながら生きるべく指導する責任があるというものだ。

 私など、バブル期直前にそれまでの定職だった医学専門職を退き自らの意思で学業に励む選択をしたがために、80年代後半のバブル期とは実に厳しい時代であった。 ただ、その時代の苦労の程が現在の我が人格を創り上げてくれたと実感出来る、貴重な“華の時代”の印象も強い。
 一番苦労させられたのは、バブル期直前に購入した自宅住居である不動産物件のローンが高金利だった事だ。 当時の我が家の住宅ローンはなんと!8%で借入れた記憶がある。 それでも、私はこのローンを独身のうちにその後7年間で単独自力完済した。

 朝日新聞記事3例目は1934年生まれの男性による 「再び(バブルを)期待する人」 とのテーマだが。 原左都子の私論としてはこの題目のみを一見して判断しても到底受け入れ難いため、割愛する事にしよう。

 80年代後半の“経済バブル時期”に、単なる偶然ではあるが私自身がちょうど次なる自己実現意欲に燃えていた事を摩訶不思議にすら感じる現在だ。

 もしも、当時私が勤務していた医学関連企業の勤務を続行していたならば、もしかしたらバブルの波に乗りその後“東証一部上場”を果している当該企業で相当の活躍ぶりを発揮していたのだろうか??

 ところが、やはりそうではないであろうと私は結論付ける。
 当時の私には私なりの確固たる夢が描けていた。
 一民間企業との営利組織内で我が人生を犠牲にし続けるよりも、まだまだ30歳手前の私には、とにもかくにも更なる学業を全うしたい!との次なる人生に繋がる明確な目標が燦然と存在したのだ。

 その我が夢を叶えてくれたのも、当時の時代が“経済バブル期”だったからこそと感謝しつつ、今回のエッセイを締めくくる事としよう。
 
 (以上、本エッセイ集より2013年6月のバックナンバーを再掲載したもの。



 2019年8月現在の我が私観を語ろう。

 上記記載の私が所属していた医学関係企業(当時、社員数2000名規模の会社だったが)を退職せんとする時に、複数の上司がそれを引き留めてくれたものだ。

 例えば、副社長。 退職直前期にこの副社長の指令により一つの仕事を単独で任され、それを私が立派に貫徹した印象が強かったのだろう。

 少人数で実施された我が送別会にわざわざ副社長が出席して私に問うには、「貴方は我が社を退社して再び大学へ入学すると言うが、一体何処の分野を専攻する気なんだ??」
 私応えて「経営学です。」 (当初の目的はそうだった。 入学後、分野が異なる「哲学」や「法学」に浮気をしまくった挙句、結果としては「経営法学」に落ち着いたのだが…
 即座に副社長が返答して、「そんなのボクが教えてやるよ。(参考だが、この副社長は大手都市銀行頭取経験者だが、我が社に引き抜かれ副社長を任されていた。) 貴女は当社に残るべきだ。 医学をそのレベルまで積み上げていながら、何で今更「経営学」になど鞍替えする必要があんるんだ! 馬鹿な事を考えていないで医学を続けなさい!」

 多少酒も入っていたのだろうがこの副社長のお言葉こそが、我が未来に向けた大きな激励ともなり最高の“贈る言葉”だったと私は判断している。

 実際私は私なりに、医学(大方が「免疫学」だが)をその時代に追いつけるべく当該企業にてやり遂げた実感があった。 だからこそ、次なる目標である学問へとスムーズに転換可能だったと振り返る。

 バブル経済とは話題がずれたが。
 
 人の人生とは、時の経済情勢とはかかわりなく“浮き沈み”するのが世の常ではなかろうか?
 そうではなく時の経済情勢(特にバブル経済)に翻弄される人生というものがあるならば、それは必ずや後に崩壊時期が訪れよう。

 今現在就職が好況と浮かれている若き世代の人々も多い事だろう。
 それは良しとしても、もしもそれが“バブル”だったのなら… 
 なる観点も見失うことなく、特に若き皆様には自らの専門を更に磨かんと精進して欲しいものだ。

再掲載 「2020五輪開催後日本が堕落・荒廃しないための提案」

2019年08月26日 | 時事論評
 現時点に於いて「福島原発後汚染水」が、如何に処理されようとしているのかご存知の国民が一体如何程おられるのであろう??

 下手をすると安倍政権のいつもながらの“安易な指示”により海に放射能汚染水を放棄せんとしている事態に、現地の漁業関係者が大反発している最中だ!

 当該gooブログを訪問させて頂いたとて、それに関し記載しているブログは実にごくごく一握りの有様だ。 

 かくいう原左都子とて、2011年3月の大震災勃発後は福島原発事故に関する私論エッセイを立て続けに公開したものの…  
 その後はこの我が国最大の失策ともいえる“福島原発事故”のその後に触れる機会が極度に少なくなっている事実を認めざるを得ないだろう。


 そこで今回は、本エッセイ集2013.09.09公開の 表題に掲げた「2020五輪開催後日本が堕落・荒廃しないための提案」と題するエッセイを再掲載させていただこう。

 たとえ「非国民」と後ろ指を指され、我がエッセイ集がバッシングにより炎上しようが、私は本日この記事を綴り公開したい。
 (いえいえ、それは大丈夫だ。 そもそも「原左都子エッセイ集」は“有名人ブログとやら”とは異なりアクセス数が少ないため、その心配は無用だろう。)

 昨日早朝にブエノスアイレスより届いた2020年五輪開催国決定の一報には、衝撃が隠せず意気消沈してしまった私だ…
 ある意味では6月末に義理姉が末期癌で壮絶死した直後よりも、我が心理が揺さぶられる程にショッキングな発表だった。

 なんで、東京???

 そんなはずは絶対ないと信じていた。 何故ならば、東日本大震災発生より2年半が経過した現在に及んで尚“福島原発事故後処理失敗による汚染水垂れ流し”との、五輪招致候補3地の中で一番致命的な危険を抱えている日本だからだ。
 それがどうしたことか、東京に決定した理由が「3候補地の中で一番安全」との発表ではないか??
 我が耳を疑うしかない。

 確かにトルコ イスタンブールはそもそもイスラム教圏、そして中東地域に接している国ではある。 ただ、国内の反政府デモの目的とは民衆がエルドアン政権より民主化を勝ち取る闘いだったと私は理解しているし、現在は消沈しているようだ。 しかも、トルコは現在戦闘が激化しているシリアからの難民を積極的に受け入れていると聞く。 更には、トルコは今回が5度目の五輪招致挑戦との報道でもある。 何故、この国の五輪開催がいつまでも認められないのか!? 
 親日国でもあるトルコから、日本へ数多くの五輪開催祝福メッセージが届いているという。 そんな報道に触れるにつけ、何故原発事故の後処理が後手後手に回るとの醜態を世界に晒している我が国が恥ずかしげも無く五輪開催などを勝ち取ったのかと、無念感が募られる思いだ。

 片やスペインのマドリードに話を移すと、五輪開催地決定直前まで当地こそが開催候補1位に位置しているとの裏情報もあった。
 原左都子の一押しはあくまで上記イスタンブールなのたが、マドリードの誘致合戦の風景を国際影像で垣間見て、この国で開催しても問題はないであろうとの感想を抱いていた。 ところがマドリード開催が敬遠されたのは、どうやら国家の財政危機が一番の理由らしい…

 話を続けるが、それを言うならば我が国 日本とて同様である。

 安倍政権は政権奪取以降、一貫してアベノミクス経済政策により国民皆に“心理操作”を施し自分が政権を奪取した事であたかも経済復興が叶い、今後我が国が財政面でも活気付くとの報道ばかりをメディアを通じて吹聴し続けている。
 こんな“目くらませ”を信じるな!と、我が「原左都子エッセイ集」にて訴え続けている。
 にもかかわらず、大方の国民は実際に自分の生活が少しも豊かになっていない事を承知の上で、明日には少しは楽な生活が叶うと騙され、またもや夏の参院選で自民党に大量の票を投入してしまった…
 またまた気をよくした安倍首相のターゲットは、2020東京五輪招致に傾いた。

 参院選後の安倍首相の行動は国民の皆さんもご存知の通りである。

 安倍首相の参院選圧勝後の次なるアベノミクスのターゲットは、2ヶ月先に迫っている東京五輪招致だったことは日の目を見るより明らかだ。
 国民の血税による貴重な国家財源をすり減らしつつ、この国の首相は内装超豪華な首相専用機を飛ばして幾度となくアジア・アフリカ地域へ旅立った。 その名目は経済支援及び国際親善目的であろうが、その実は東京五輪開催を支援するべく懇願する目的で、各国にカネをばら撒いて来たのが実態ではなかろうか。 しかも、東京五輪開催のために安倍首相は東京招致に向けて国際IOC委員達にもカネの力ではたらきかけた事が疑われるのは、私が説明するでもないであろう。

 要するに、今回の安倍政権による東京五輪誘致とは、自らが政権脱却のために打ち立てたアベノミクス経済政策の主たる財源確保“国民心理操作”の一環でしかないのだ。

 それでもそれを知ってか知らずか、日本国内の子どもや若者は2020年五輪開催地に東京が選出された事に無邪気に喜んでいる様子だ。 世間知らずの若年層が自国五輪開催を無邪気に喜ぶ実態に関して、原左都子も許容したい気はする。
 
 原左都子とてもちろん東京更には日本の一住民である限り、2020年東京五輪が成功を遂げるに越した事はないとの希望はある。 

 ただ、今回の五輪開催に関しては阿倍政権が政権スタート後にそれを焦り過ぎたきらいがあるのは確かな事実だ。 
 アベノミクスは国家レベルで考察するならば、未だ何らの業績を挙げていないのが実情であろう。 それを信じる国内の子どもや若者連中、及び底辺庶民の反応に頼り過ぎるのがアベノミクス“心理操作”の弱点ではなかろうか?

 私論でまとめるならば、 2020年東京五輪開催がIOC総会で決定してしまっている以上、「失敗」が許されるはずがない。
 五輪において何が「成功」と位置づけられるかに関しては価値観が分かれるであろうが、とにかく世界各国から参加して下さる選手、役員、そして観光客の皆さんの安全を保障できてこそ大会が成り立つと私は心得る。

 更には表題に掲げた通り、どうかどうか2020年五輪開催後に日本が急激に堕落・荒廃して若き世代に暴動を起こさせぬ東京五輪準備を、政府と東京都は後7年間で施して欲しいものだ。
 しかも、五輪開催後も我々年寄りが安全に生き延びられる程度の国家財源を残しておいて欲しいのだが、これに関しては財政危機に瀕して尚五輪招致に及んだ我が国に於いては叶わぬ願いかもしれないね……。

 (以上、本エッセイ集2013.09.09公開エッセイを差異掲載させていただいたもの。)


 話を2019年8月現在に移すが。

 皆さんも新聞報道等にて、福島第一原発の膨大な「汚染水タンク」保存状態が当の昔に既に限界を超えている現実をご存知のことだろう。
 これ本気で国民皆が、今こそこの汚染水を如何に処理するか考えねばならない時なのではなかろうか?!

 来る東京五輪のトライアスロン水泳会場が“大腸菌”汚染でトイレの匂いがして使えない事態よりも。(これもどうしてもお台場会場にこだわったとの、会場選定上の許し難き失策だが。)

 もっとずっと本気で国民が考慮するべきは、まさに福島原発事故後巨量に溜められた汚染水だ!

 安倍政権がそれを軽視(無視)し続ける現況下で、国民こそが本気でこの課題に挑む時が来ている!!