原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

昔は“手紙魔”だった私

2021年03月23日 | 人間関係
 (冒頭写真は、おそらく上京後より2017.05頃に至るまで私が収集した便箋類。)


 昨日のPopular entries top 10に、「左都子コレクション ー便せん編 ー」と題する2017.05.24公開のバックナンバーがランクインしていた。


 以下に、本文を要約引用させていただこう。

 私はかつては “手紙魔” だったかもしれない。
 思い起こせば子供の頃より文章を書く事をまったく厭わなかった私は、小学校低学年の頃より女の子友達と“手紙交換ごっこ”をしていたような記憶がある。
 その頃より文房具店に行けば、女子が喜びそうな絵柄の封筒便箋類が販売されていた。 
 一体何をテーマに手紙を書いたのかの記憶はないのだが、相手から返事が届きまたそれに応えて手紙を綴る行為が、とても嬉しかった思い出がある。

 中高生時代に「文通」を始めた私は、元々の手紙好きに更に拍車がかかる。
 特に中学校から高校にかけて文通をしていた大阪に住む某男子との文通は、4,5年間続いただろうか。 高校生になった時、実際に会おうとの話になり、最初相手が友達を連れて我が郷里までフェリーに乗ってやって来て我が友と4人で会った。 手紙の文面そのままの真面目な好男子だった。 そして高2の夏には今度は私が大阪へ行き、2度めのご対面を果たしエキスポランドで無邪気に遊んだ。(これに関しては、既にバックナンバーにても紹介している。)
 この好男子とどういうきっかけで文通をやめたのかに関してまったく記憶がないのだが、もしも現在まで文通が続いていたとして、やはりあの文通相手は今でも好男子ではないかと年月を超えて尚確信を持って思える。 
 それ程に成長途上期に手紙との形で1対1の文章のやり取りを4,5年もの期間続行出来た事とは、類稀な奇跡だったのかもしれない。

 上京した後は、まさに郷里の友達や旧彼(?)等々と手紙のやりとり三昧だ。
 仕事にもプライベートにも超多忙な身の私にして、手紙を書く事が億劫だと感じた事など一度も無い。 常にお好みのレターセットを買い求めては、1通に付き4枚程の手紙をしたためては投函していた。 しかも必ずや相手も返信をくれる。 
 一体如何程の手紙を書き、どれだけの返信を貰った事だろう。 溢れる程の返信手紙を保存しては、引越の都度整理して始末したものだ。
 おそらくそれが叶ったのは、今の電子メールとは異なり手紙の往復には日数を要した故だろう。 直筆で綴る手紙とはいえ、たとえ相手が複数いたとしても、数日に一通の返信程度軽くこなせた事を今になって納得させられる。

 その後も、私は“手紙三昧”の日々を送った。
 特に高校教員を出産退職した後、私のファン(?)であってくれた女子生徒達より、何通もの手紙を頂いた。 今尚それらの一部を保管してあるのだが、中には“人生相談”のような内容の手紙もあった。 それに誠意を持って彼女達との手紙のやり取りに応えつつ、年月の経過と共にどうしても音信不通とならざるを得ない。 それは電子メールの発展故であり、何よりも彼女らが成長して立派な大人になった証拠であろうと私は信じている。 (中略)

 悲しいかな、時代は変遷してしまった。
 今となっては“手紙を綴る”という文化が、この世から消え失せ果てている。
 かく言うこの私とて、日々キーボードタイピングにて当該「原左都子エッセイ集」で愚痴をばら撒いている始末だ… 
 もしも「手紙文化」が未だ生命を保っていたならば、人々の間を過ぎゆく時間間隔に余裕が持て、自分にとって大事な人とじっくり向き合える機会を取り戻せたのだろうか、と思ったりもする……

 (以上、2017.05バックナンバーより一部を要約引用したもの。)



 まさに、上記バックナンバーに記した通りの現実世界であろう。

 私の場合、ネット上の他者との交流は “メール”と当該ブログにコメントを記載させて頂くことに限定している。(これもごく一部の特定ブロガー氏に限定して実施しているのが現状だが。)
 今現在個人情報上の問題が発生しているらしきLINEはそもそも一切使用しておらず、SNSに関してもFacebookを極度限定的に利用しているのみだ。

 昨夜も某ブロガー氏宛にブログコメントを発信させていただいた。 原左都子としては、95%程の我が思いを伝ることが叶ったと自己評価している。 
 (我がブログコメント記載に対する姿勢とは、決して“挨拶程度”で終わらせず、必ずや自己のポリシーや相手に伝えたいことを伝えることをモットーとしているのだが。 それ故、ついつい長文になってしまいますことをこの場でお詫び申し上げます。)

 そういう意味では原左都子の場合、ネット上のお付き合いとて十分に自己の思いを相手に伝える手段として有効利用活用出来ている、と評価可能なのであろう。


 「手紙文化」は、既に過去の所産となってしまった。

 それでも、やはり人とは自分の思いを伝えたい相手に伝えたい!と欲する生き物ではなかろうか。

 ネットとて、その役割を担ってこの世に存在しているはずだ。