原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

高齢者医療漬け、適切な指導が出来ぬものか?!

2016年09月28日 | 医学・医療・介護
 昨日朝の事だ。
 いつものようにルーチンワークに励んでいると、8時半頃、高齢者施設に住む義母より電話がかかって来た。
 「足が痛いから整形外科へ行きたい。」と、病院付き添い依頼だ。

 う~~~ん。 (今日は午後、予定があるのに参ったなあ……。)と内心困惑しつつ、一応症状を確認した。 義母曰く、「夕べから右足にしびれるような痛みが出てそれが左足まで広がり、我慢できないから施設の看護師さんに看てもらって湿布薬を貼ってもらったの。その後も痛みが続くのだけど、朝は看護師さんがいなくて、それで〇子さん(私の事)に電話したの。」
 「分かりました。それでは今日病院へ行きましょう」と返答する以外に保証人が取るべき道は無い。

 そして午後の予定を明日に回す段取りを付けていると、再び義母より電話だ。
 「あのね、さっき〇子さんに電話で聞いてもらったら、何だか足の痛みが治って来たのよ。 だから今日の病院受診は辞める。」
 これもいつもの事だ。 要するに、誰かに自分の痛みを聴いてもらうことによって一旦安堵するようだ。
 それでも私は、整形外科受診を決行する旨を義母に伝えた。 一度病院へ連れて行っておかないことには、後にまた痛みを訴え始めるのが常だ。 行く、行かない、また行くと義母の主体性の無さに翻弄されたのでは、私の日々の生活が成り立たない。

 そんなこんなで午後になって義母が住む施設へ行ってみると、な、な、なんと今度は「今日は整形外科はやめて眼科へ行く」と言い始める。
 (年寄りはまったく訳が分からんな~~~)と内心呆れつつ、何故整形外科ではなく眼科へ行きたいのか確認した。 そうしたところ義母曰く、「今まで行っていた眼科が遠いから施設の近くの眼科へ移ろうと思って、前の眼科に“紹介状”を書いてもらっているのよ。それを思い出したの。早めに行かないと紹介状が無駄になると思って… どうのこうの……)
 で、足のしびれは治ったのかどうかを確認すると、「なんだかね、〇子さんが来てくれると聞いた後、急によくなったのよ。だから今日は眼科へ行く。」
 と言う訳で、昨日はあくまでも義母の意向を尊重して、眼科受診と相成った。


 さてその義母だが、これまでの生涯を通して「医療依存」を一貫して来ている人物だ。
 義母と知り合った23年程前以前よりずっと、あらゆる診療科を受信し山程の投薬を受けていることを私は承知している。  それは我が亭主も同様だ。 そういう家庭に育つと、何か少しでも異常があると直ぐに病院へ行くことが習慣となるのは必然だろう。 
 そして医師の指示を真に受け、自分で思考する事を一切放棄し、言われるがままにその診断を信じ処方された薬を飲むと治ると単純に考えている。 それがたとえ薬の副作用であろうが新たな病気にかかったと思い込み、またもや別の診療科を受診する。 そして堂々巡りに投薬を増やし、体調の悪さを増長している。


 そんな義母の保証人を任されたのは5年程前の事だ。 
 保証人初期の頃、施設の義母担当ケアマネジャー氏と、この義母の「医療漬け・検査漬け・投薬漬け」の現状に関して話し合いを持ったことがある。
 私自身が医学の心得があることをあらかじめ伝え、今後の対策を議論したのだ。

 その時にケアマネジャー氏は以下のように発言された。
 「義母さんのみならず、ほぼ全員の入居高齢者の皆さんが同じように“医療漬け”の人生を歩まれ、そのままの形で施設へ入居して来ています。 今更ながら“医療漬け”の現状を解除するべく指導するのは困難と考えています。 私どもが出来るのは、これ以上の投薬を増やさない事と承知していますが、何分ご本人の希望もありますしこれまた困難です。 ただ、保証人様の立場でご要望がおありでしたらそれに従いますので、何なりと申し出て下さい。」

 この発言は、私も十分に理解可能だ。
 まさにホメオスタシス(体内の恒常性)の問題もあるし、今まで常用していた薬を突然やめるのは危険性を伴うことは承知している。 確かにケアマネ氏がおっしゃる通り、これ以上投薬を制限するしか手立てが打てないのかもしれない。
 ところが、これすら困難だ。 身体に異常が出ればすぐに医者にかかり薬をもらう事を「常識中の常識」として生涯に渡り実行している高齢者に、それをやめてまずは自分の頭で思考しませんか、と指導したところで誰も聞きやしないだろう。
 義母とて同様だ。 “医者に行けば治る”なる哲学をずっと素直に貫き、時が流れ認知症状も出ている今更、若輩者の嫁の私が何を言おうが耳を傾けるはずもない。 義母にとっては“お医者様”程に偉い人は他に存在しないのだ。 「今日病院へ行きたいから付き添って」と嘆願されれば、「はい、行きましょう」と応える以外に方策が取れないのが現実だ。


 そんな私は、実母には少しその教育をしている。
 はやり実母には、ものが言い易いからだ。
 「貴方も病院にばかり行ってるけど、結局大した病気じゃないでしょ?  病院へ行けば必ず検査するし投薬するし、それを信じて言われるままにしてりゃ救われると信じたいのだろうけど、もうちょっと自分の頭で世の中の実情等を考えてごらんなさい。 政界と医療・製薬業の癒着等々にも目を向ければ、そう易々と他力本願に医療に依存出来ないはずだよ。 後期高齢者医療保険は自己負担分が少ないからと安易に医療依存していると、その保険料負担分が若い世代にのしかかって来るんだよ。 世の中全体の動向も視野に入れてもっと理知的に行動したらどうなの?!」
 実母も黙ってはいない。
 「貴方の言いたい事は分かるけど、年老いて一人で田舎に暮らしている身にもなってごらん。 身体が痛いと辛いものだよ。 私のかかりつけのお医者さんは優しいし、私はこれからも病院へ行くよ。」


 最後に、私論でまとめよう。

 その前に昨日義母を引き連れて総合病院へ行った感想を述べよう。
 例えば規模の大きな総合病院に、「高齢者医療相談窓口科」のような医療科を設けてはどうだろう。
(既にその種の医療科を設営している病院もあるかもしれないが。)
 そのような医療科があれば、例えば昨日の義母のように、数多くの医療科に受診している身にして今日はどの医療科を優先受診するべきかと迷った場合(今回は整形外科と眼科だったが)、その優先度合いを指導可能であろう。
 あるいは、薬局へ行くと必ず「お義母さんのお薬手帳ありますか?」との質問をされる。 「それは手元にはありませんが大量の劇薬を飲まされていることは確かです」といつも応える私だ。 これに関しても、上記「高齢者医療相談窓口科」に於いて投薬の是非を判断すれば、不必要あるいは危険性のある投薬処方を回避可能であろう。

 とにもかくにも国家や医療界は、この “野放図な医療依存” の現状にもっと本気で危機感を持つべきだ。
 この現状を放置していることとは、私など、イコール 高齢者などどんどん劇薬盛って寝たきりにさせ病院へぶち込んで保険点数で末期医療を施せば、病院は経営難に陥らずに済むぞ! と言っているに等しい思いすら抱く。

 現在、横浜市にて寝たきり高齢者の点滴に界面活性剤が入れられ死に至る事件が発生している。
 気の毒な事件ではあるが、今後類似の事件が多発しそうな嫌な予感すらする……

 とにかく、人間幾つになっても「自己の尊厳」を失いたくないものだ。
 高齢者に限らず若い世代の皆様も、今から “医療依存” を回避するべく行動しませんか?

保健室通いをする児童・生徒の心理

2016年09月26日 | 教育・学校
 私自身、小学校から高校までの12年間に渡る児童・生徒時代に、ただの一度だけ保健室へ行った事がある。

 あれは高校3年生の時だっただろうか。
 その日、体育の授業に於いてグループごとの「ダンス発表」が予定されていた。 
 元々大の集団嫌いの私にとって、この“グループ活動”とやらがとてつもなく苦手だった。 元々音楽・ダンス好きの私だ。 もしもこれを一人でやらせてくれるならば自由に好きなダンスを創作して踊るのに、何で“グループ”なの?? との恨みにも似た感情を抑えつつの活動だった。 
 そんな私が、グループに協力的な訳がない。 そもそもこの種のグループ活動とは、集団内でしゃしゃり出たい少数の生徒が勝手に(下手くそな)創作をして、それを全員に強制するものだ。 しかも、不運には音楽を自分で選べなかったと記憶している。 好きな音楽ならばやむを得ずそれに従っただろうが、そうではなく下手な振付のダンスを皆の前でさせられる屈辱感に耐えられないままにずっと体育の時間を過ごしていた。

 発表当日のあの日、重い足を引きずりながら学校へ行った私は朝から胃腸の調子が悪かった。 
 体育の時間が近づくにつれ、体調が悪化する。 ついに私は担任に保健室へ行くことを申し出た。 その許可が下り、保健室へ行った直後の風景を今尚鮮明に記憶している。
 初めて行った高校の保健室には大部屋に6つ程のベッドが並べて配置されていて、一つを除き満杯だった。 (へえ、こんなに保健室を利用する生徒は多いんだ!)などと妙な感想を内心抱いていると、50代程のおばさん(失礼! 養護教員)が、「貴方は一体どうしたの? どうせ仮病でしょ!」といきなり怒ってかかって来る。 しどろもどろに「お腹が痛いんですが…」と応えると、「しょうがないわねえ。そのベッドに寝なさい!」と相変わらず怒っている。
 (後の考察だが、この対応で昔の保健室は成り立っていたのだと、医学関係者の立場として空恐ろしい思いを抱く。) 
 その後ベッドに寝て、おばさん(失礼!養護教員)の他生徒に対する同様の冷遇対応を見ていると、ますます体調が悪化する。 こんなところで寝ていられない、と判断した私は保健室を退室し、担任に早退を申し出て家へ帰った。 あの時、私の早退現場を見た国語のイケメン先生が、「どうしたの?大丈夫か?」と声を掛けてくれたのが唯一の救いだったものだ。
 で、まあ、結果としては、体育の「グループダンス発表」は出ずに済んだという話だが…。
 ただ後に考察するに、あの時それをサボタージュする少しの勇気があったからこそ、後々私はダンス愛好を今現在に至って尚続行出来ていられるとプラス評価している。


 時代を十数年程手前に変遷させ、我が高校教員時代の「保健室」の風景をレポートしよう。

 と言ったところで私自身が養護教員ではなかったため、あくまでも教室にて授業中に「保健室」へ行きたいと申し出る生徒達の観察に基づくレポートとなる。
 その頃(バブル経済全盛~崩壊期直前頃)の学校の保健室とは、どうやら生徒達のオアシスであったようだ。 おそらくその時代の「保健室」とは、私が高校時代にお世話になった頃より医学面で進化を遂げていた事であろう。 養護教員の専門力や生徒対応力も、昔と比較して格段に上がっていたのではあるまいか。
 当時、保健室内で如何なる対応がなされていたのかは私は露知らない。  だが、養護の先生に「教室へ戻れ!」と言われ仕方なく返って来る生徒が大多数だった。 まあ、真っ当な指導であろう。 が、保健室から返されたその後、それら生徒は教室内で寝る事と相成るのは自然の成り行きだったのだろう。
 保健室から教室へ戻された生徒の中で、真に具合が悪そうな女子生徒に私から声を掛けた事がある。 「大丈夫かな? 本当に具合が悪かったら私に言って。」 そうしたところ、その女子生徒が授業後に職員室まで私に御礼を言うためやって来た。 「先生ありがとう。バイト等で本当に疲れていたんだ。でも先生が声を掛けてくれて元気になったよ!」  この女子生徒は後に私が出産退職後、我が家に“出産祝い”を持参して遠路はるばるやって来てくれた、との後日談もある。


 さて、少し古くなるが朝日新聞2016.9.10 別刷「be」“悩みのるつぼ” の相談は、30代 現役公立中学教師による 「保健室に通うやっかいな子」 だった。
 その内容を端折って説明するならば、この現役公立中学教師は自分のクラスの生徒が保健室通いをする事態を完全否定した挙句、「しょせんよその子」なる思想に陥り、自分にはかかわりのないこの子の事で悩んでも仕方ない。 それでもイライラさせられるのが許し難い。 とまでの結論に達しているようだ。

 まさに、教員失格者とはコイツのことだ。 何でこんな奴が教員になろうとしたのか!?! と私がイラついていたところ、社会学者であられる上野千鶴子氏が我が私論と同様の見解にて、この相談者を一蹴されている事実に胸がすく思いだ! 

 それでは、上野千鶴子氏による回答結論部分を以下に要約して紹介しよう。 
 担任教員と養護教員が、責任をなすりつけ合うのが今の学校なのかと暗澹たる思いだ。 これじゃ、生徒にも保護者にも信頼されそうにない。
 大事なのは「話せばわかる」ことではなく「聴いてあげること」。 子供は大人に聴かれていない。 私自身が学生から「センセイ、ボクの言うこと聴いていない」と言われドキンとしたことがある。
 問題の生徒さんは学校へ来ているのだから、引っ張り出す手間が要らない。 じっくり話を聴いてあげるべきだ。 手のかからない「普通の子」より、きっとやりがいを感じるだろう。
 (以上、“悩みのるつぼ” 上野千鶴子氏による回答より一部を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 現在の学校教育現場に於ける「保健室」の位置付けとは如何なるものなのだろう?
 既に我が娘が今年の春に大学を卒業している親の身としては、その情報に触れる機会もない。
 ただその娘から最後に聞いた情報によれば、「大学にての健診結果に保護者の立場でご意見がある場合、直接大学の保健室まで申し出て下されば対応する」なる文書が届けられたことを記憶している。

 ただもしも、現在尚特に小中高校現場に於いて「保健室」へ通う児童生徒が数多い実態であるとした場合、その対応を軽視しない対応力を、学校現場は整えるべきではなかろうか。

 その対応策として、例えば非常勤の元医学関係者を学校に配置する等、幾らでも対策が採れるはずだ。
 なのに何故、学校現場がその種の対応を採用しないのかに関しても、私は教員経験者として熟知している。
 要するに学校現場の頂点である “狭い空間内の「先生」の立場” として、自分達の“聖域”である教育現場との狭い世界内で、自らの命を繋いでいる実態を守りたいのであろう。
 そして数だけは多い教育者としてのプライドを保ちたい閉鎖空間で働いている教員達自身が、他分野から教育現場に踏み込まれ、その現実を見直すべく指南される事態を忌み嫌っているとの貧弱な理由により、自らの狭い世界を死守せんとしているのではあるまいか?? 

メダカ飼育歴8年、最後の一匹が天寿全うしました

2016年09月24日 | 自己実現
 (写真は、2013年3月に公開した当時の我が家のメダカ飼育風景。)


 冒頭から、当エッセイ集 2013.3.6 バックナンバー 「原左都子のメダカ飼育実績がギネス級!??」より、現在までの我が家のメダカ飼育経歴を紹介しよう。 

 私がメダカを飼育し始めたのは未だ残暑厳しい9月初旬頃だったのは記憶にあるが、それが果たして何年前なのか、思い出せない程に我が家にメダカが存在する風景が板についている。
 先だっての3月1日、例年より相当遅ればせながら東京に春一番が吹いた暖かい日の翌朝、今春初の赤ちゃんメダカが2匹誕生した! (写真手前の小瓶の中で元気に生きています。)
 それを発見した私が家族に報告すると、何があっても絶対に私を褒めない身内が、「おーー。今年も産まれたか! 〇子(私のこと)のメダカ飼育力はギネスものだね!」 と讃え始めるではないか!
 身内ならずとも、確かに我が家を訪問した人達(親族、あるいはガス水道工事の方々にかかわりなく)が台所のカウンターの上で飼育されているメダカ一族を見ると例外なく驚いて下さる。  「これ、どうしたの!?」 「どうやって飼っているのですか?」 「何で瓶を小分けしているの???」  等々の質問攻めだ。
 ここで私がメダカを飼い始めた当初、当エッセイ集にて公開した 「生命体が共存する風景」 と題するバックナンバーを紹介しよう。   9月に入り子どもの夏休みが空けて昼間一人で過ごす時間が増えた私は、秋の訪れと共に何だか“生命体”が恋しい気分になり、近くのJA園芸センターで「クリームメダカ」(全身の色が淡いクリーム色のため、この名が付けられたと思われる)3匹を仕入れてきた。  係員氏の「育て方の詳細は私も知らないが、それが良かったら長生きすると思う。」との言葉を信じ、マイペットとして購入した。
 ところで、我が家では娘の誕生以降ずっと熱帯魚と金魚を飼育してきていた。  メダカ位の大きさのネオンテトラや、各種金魚に関しては私が育て親として長生きさせてきている実績がある。  エンゼルフィッシュ等の少し大きめの熱帯魚は飼育が難しく概して短命で、3匹に5000円程の高額をはたいたのに数日で全匹に死なれた時には、その出費と共に実に悲しかったものだ…
 上記熱帯魚及び金魚飼育経験がある私だから故に、今回JAで購入してきたクリームメダカに関しても、“女手ひとつで”育てていく自信はあった。   ところが、私が購入して来たクリームメダカを一見した生物物理学が専門の身内が、無常にも冷たく言い放つ… 「(メダカなど)1週間で死ぬよ」
 こうなったら、私も意地だ!  何とかメダカを生かし続けようとメダカの生態系を想像しつつ、水質やその適温や酸素量、エサの量等を試行錯誤しながら、我が“母なる愛情”を注ぐ日々である。  何はともあれ、身近に“生命体”のいる風景はやっぱりいいなあ~~ 
 生物体の飼育の基本原則に関しては、3年半経った後も変化がないことを自分が綴ったバックナンバーから実感させられる思いだ。   要するに、メダカの生態系を想像しつつ 基本事項である「水」「酸素」「温度」「栄養」を適度に維持することがまずは鉄則である。 ただし一旦“繁殖”を視野に入れた場合、飼育者が更なる努力を施さない事には今後の種の繁栄が成り立たないのは自明の理でもあろう。
 そこで原左都子が考案したのが、上記写真のごとくの 「メダカの大きさによるクラス別水槽飼育方式」 である。
 当初は「産まれ順によるクラス別」方式を導入していた。 ところがメダカの発育も生命体の例外ではなく、(特に雌の)体が大きい程産卵数が多いとの我が観察結果となった。 そこで採用したのが上記の「体の大きさ別クラス分け方式」だった。  2年目夏には「近親交配」を避けるためDNA異種メダカを3匹混合した後には、育て親である私自身がどの母体の子メダカがいつ誕生したのかも判別が困難なまま、この「大きさ別クラス分け方式」に頼り現在に至っている。  
 そうは言いつつ我が家のメダカ飼育空間の制限もあった。 DNA異種メダカの追加により60匹近くまで繁殖した一昨年夏には、これ以上増殖されては我が家及び私の飼育力が限界に達するであろう事態も身勝手ながら想像した。   そこで私が取った対策とは、今までのように雌メダカが産んだ卵を別瓶に仕分けする作業をあえて“サボる”事だった。  水槽内でそのまま放置しておくと、親メダカが自ら産んだ卵を狭い飼育空間内で自分で食するとの底辺脊椎動物の生理も重々学習済みである。 そんな厳しい水槽環境内で産卵された卵の中でこの世に生命を繋げない個体には、実に申し訳ないが親のエサになってもらうことも宿命かと判断するしかない。
 そんなこんなで、現在我が家に生息しているメダカの総数は私が判断する適正数である40数匹に保っている。  ギネス登録レベルは敢えて放棄して、その適正数をわきまえながら原左都子一家が自宅で愛でる事を目的に今後もメダカを飼育し続けよう!
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用。)


 メダカ飼育歴のその後を以下に記そう。

 我がメダカ飼育歴に於いて、大きな打撃事件に2度遭遇している。

 その1度目は、2011年3月に勃発した「東日本大震災」だ。

 (我が記憶によると)3月14日に福島原発メルトダウンにより漏出した大量の放射能が3月16日に東京まで届き、東京の上水道貯蔵施設の水道水がその放射能に汚染されるとの被害を受けた。(当時の報道ではその詳細情報が不明あるいは隠ぺいされていた)が、数年経過した後にその水道水汚染被害が深刻だったことが判明しようやく公開された。
 我が家のメダカはずっと水道水を利用して飼育している。 ちょうど原発事故による水道水汚染の直後頃より動きが異様になったり鈍くなるメダカが増え始め、3月末頃に一匹が死に至った後、夏頃までにかけて8匹のメダカが次々と死亡した。 
 この事態を“放射能の影響”と結論付けた私は、その旨バックナンバーに公開したところ、反論等の世の論議を呼んだ。 ただ、私自身はそれまでのメダカ飼育実績から推測してやはり突発的外的要因が大きく、その外的要因とは“放射能汚染”以外に考えられないと結論付けている。

 そして、2度目の打撃とは。

 結論から言うと、これぞ飼育者である私の重過失による事件だ。

 その日ちょうど、水道管工事のために午前中断水が予定されていた。
 ところがこれが運悪く、3日に一度のメダカ水槽水交換日と重なった。 ならば翌日にその作業を持ち越せばよかったものの、自分のスケジュールの都合で私は水交換を開始してしまった。 いつもの断水なら午前中との記述があってもほんの数分間で水が出始めるのに、その時に限って何時間待っても水道水が出ない。 既に一番大きいメダカを入れている水槽の水を廃棄してしまっている。 イラついていた私は、断水が終わると同時に濁った水をその水槽に入れてしまったのだ。
 濁り水に大打撃を受けたメダカが1匹、2匹と死んでいく。 焦った私はすぐさま小さいメダカの瓶に残ったメダカを移し替えたのだが、時既に遅しだったようだ。
 その後、上記放射能汚染同様に濁り水汚染の影響を受けたメダカ達は次々と死を遂げた……
 不運だったのは、濁り水の打撃を受けたメダカの中に、“女王メダカ”が存在したことだ。
 上記バックナンバーでも記しているが、結局体が桁外れに特別大きい(原左都子名付けて)“女王メダカ”が産んだ卵から孵化したメダカこそが次世代を繋いでいるとの我が観測による推論が当たっていると判断した。
 残されたメスメダカが産卵して一応孵化もするものの、どうしても成魚となるまで成長せずして死に至るのだ。

 その後私は我が上記重過失によるメダカ飼育の大いなる失敗をもって、自身のメダカ飼育力の無さを思い知った。
 と同時に、義母及び実母の高齢化に伴う介護保証人責任を負う立場となり、今後しばらくの自分の生き様に於いて何を優先するべきかを問い直した。
 メダカ飼育に関しても、今後は産卵・孵化は一切諦め、残されたメダカの天寿全う責任を果たす事にきっぱりと飼育目的を切り替えた。

 2年前程の事だろうか、残り2匹となった時点で私は2匹ともメスであることに気付いた。  私はこの2匹のメスメダカの残りの人生を見定めようと覚悟を決め、水交換を5,6日に一回に減らし、餌の量も極力少量にした。
 先月8月の台北旅行から帰宅した時だっただろうか。 一匹の大きい方のメスメダカが既に餌を食べなくなっていた。 その後、しばらくして昇天した。 

 そしてついに昨日の朝、最後の最後まで残された少し体が小さめだったメスメダカが、水槽の中で(我が推測でおそらく数年の)天寿を全うしているのを発見した…… 

公的年金運用に関し、リスクに挑まない事がリスクと釈明するが…

2016年09月20日 | 時事論評
 7月に自民政権が圧勝した参院選を控えた頃の 2016.7.2 バックナンバーに於いて、私は 「許し難き公的年金積立金5兆円損失計上の失策」 なる表題のエッセイを綴り公開している。

 これが何と! 直後にネット上にて言論統制措置を受け、当時しばらく国内検索元より「原左都子エッセイ集」が全面的に検索不能になるとの被害を受けている。


 その余波が未だ一部解消していない中、私は昨日(9月19日)民放テレビにて “公的年金積立金5兆円損失問題” に関して、専門筋と名乗る人物達が論述し合っている場面に偶然出くわした。
 彼ら専門筋(?)らの主張とは、私なりに要約するなら 「今や資金運用に於いて安全策を取る事こそがハイリスク。 そんな事は投資界では常識中の常識。 それを知らない素人は従来の固定金利等の金融安全運用こそが安泰と捉えているようだが、今やその(陳腐な)考えこそがハイリスク。 故に、安倍政権が公的年金を投資資金として運用し5兆円(今年の更なる積算で10兆円)の損失は投資家筋からみると安全政策範囲内、ナンタラカンタラ……」
 これを聞いていた民放出演者であるタレントどもが 「なるほどそうか‥…」と同意するのだ。
 その直後、経営法学を心得ている私としてはその“勘違いぶり”が腹立たしくてテレビの電源を切った。


 そこで今回のエッセイでは、国家が公的年金運用に於いて投資活動をした挙句10兆円の損失を計上している事実が、真に正当か否かを今一度問う事を主眼とする。
 要するに、またもや言論統制を受ける事をものともせず、果敢にも政権の公的年金投資損失の失策を私なりに突こうとする趣旨だ。

 その前に、私が2016.7.2に公開した冒頭エッセイの一部を、今一度以下に要約して紹介しよう。

 皆様も既にご存知の通り、昨日(7月1日) 公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の2015年度の運用損失が、5兆円台に達したことが判明した。  この事実自体が、月々とても少額とは言えない公的年金保険料を強制的に支払わされ続けている(続けた)庶民にとっては、貴重な年金財源を一瞬にして“あぶく銭”にされ身を斬られる思いだ。
 こういう事を書くと、プロの投資家達は口を揃えて次のように反論するであろう事は想像が付く。「素人はこれだから困る。 そもそも資金運用とは経済変動により上下動する性質のものだ。 それを弁えて長い目で見てものを言うべきだ。 一時の損失実態のみを捉えて『責任を取れ!』と叫ぶのは慎むべきだ。」
 更に許し難いのは、自民党政権がこの巨額損失計上の事実を7月10日に実施される参議院選挙の “後に” 「正式発表」すると言う。   これでは、野党から「損失隠しだ!」と批判されて当然だろうし、私自身も、その「票取り」の見え透いた手口に唖然とさせられるばかりだ。
 ここで、朝日新聞7月1日一面トップ 「年金運用損5兆円超」 と題する記事より、その内容を以下に要約して紹介しよう。   GPIFは国民年金及び厚生年金積立金約140兆円を運用している行政独立法人だが、非公式で15年度の財務諸表を報告した結果、運用損は総額で5兆円以上に上ったという。 当組織は、14年10月に国内債券の比率を下げ、その代わりに株式比率を50%に倍増。 安倍政権はこれを成長戦略として位置付けたのだが、それがために株価の影響を受け易くなった。  GPIFの運用基準をめぐる議論も再燃しそうだ。  単年度の運用損がすぐに年金の支給に影響する状況ではないが、もしも今後長期に渡って損失が続くようだと将来の年金財源が苦しくなる。
 年金制度に詳しい専門家は、「与党はGPIFの運用基準を変える時、積立金オーナーである国民に十分な事前説明をしなかった。 野党も運用損で上げ足を取って国民の不安を煽るのはよくない」と指摘した上で、「積立金は国民のもの。財務諸表で年度の運用成績が分かるなら、速報値として開示するべきだ」と求めた。   (以上、朝日新聞7月1日付トップ記事より要約引用。)
 私自身、安倍政権がアベノミクス経済政策の主要な一環として「公的年金運用」をギャンブルとも表現可能な「株価操作」にその財源の50%をも依存したとの事実を知ったのは、ずっと後の事だ。  一応「経営法学修士」を取得している身にして、当然ながら今の世が世界の株式情勢や為替変動により揺れ動く経済体制である事も十分に把握している。 それだからこそ、より慎重に個人の財産を健全に管理保護したいとの観点に立っているのだ。
 安倍政権の一番の誤りとは、“公的年金積立金をギャンブル株価操作に50%も依存する”なる発表を、国民に対してただの一度も正式公表していない事実だ。  年金財源を管理しているはずの国家の組織が、その貴重な年金保険料を「株式運用」して今年5兆円を超過する損失を計上したとの許し難き事実を、まずは直視しよう。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約引用。)


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 確かに何がリスクで何が安全かと問われると、これは困難な課題だ。
 例えば 「登山家」を例に挙げよう。 (私の知人にも少なからずの素人登山家が存在するが。)
 彼ら(特にプロの登山家)は、リスク承知で山に登っている。 いやむしろ“リスク”をその技の極みと位置付けているのかもしれない。
 (御嶽山噴火等の自然災害を除き)、もしかしたらプロ登山家達とは “命がけ”  で山に登っているのではなかろうか?  そして、例え死に至ってもおそらくその「捜索費用」も自己負担で賄えるからこそ、自らの夢を追い求め山の頂上を目指すのであろう。

 片や、国家の公的年金運用。
 これぞ決して、登山家や一部の投資家の趣味と一緒にする過ちを犯してはならない事は歴然だ。
 
 昨日、民放テレビ番組にて論評をしていた著名(?)投資専門家達にもの申したい。
 確かに貴方達が言いたい事は、私も重々理解可能だ。 ただ、その思想とは現時点での経済情勢を正当化してこそ成り立つ論理に他ならない。 真に現実の経済情勢を真っ当と捉えているのか!??  そんなの、時代の趨勢に翻弄されているだけの話だろう。
 確かに資本主義社会に於いては勝てるものが勝つのだろうが、真なる勝者とは後々判明するものだ。 何を持って投資勝者と捉えるのか、私など結論を未来に先送りしつつ現状を冷淡視し、ものを言っているつもりだが……。

 ましてや、安倍政権は決して個人投資家ではない。 1億2千万国民の命を預かっている。 この観点を決して忘れないで欲しい。
 故に安倍政権関係者でもない限り、民放テレビを通して素人国民相手に中途半端な投資活動の善悪を吹聴することは控えるべきだ。

 では今後安倍政権は、今後国民に対して何を成すべきか。
 その答えは歴然だ。 民放テレビ等に下手に依存・迎合するのではなく、自らが「公的年金運用に於いて現在10兆円の損失を計上している事実」をとりあえず国民皆に公表するべきだ。
 原左都子自身は、近い過去にNHKテレビ報道にてそれを“一度だけ”見聞しているが、これでは全国民が周知したとはとても思えない。
 
 とにかく国民から多額の血税や年金保険料を没収している国家の立場として、安倍政権の投資行動による現在の損失も含めた 「公的年金運用実績及び今後の見通し」全般 を “もっと分かり易い伝達法” により全国民に公開するべく努力するのが再スタートであろう。 

“聞き上手” の基本的心得

2016年09月19日 | 人間関係
 当該「原左都子エッセイ集」に於いては言いたい放題の辛口論評公開を主眼としている私だが、その実、本名にて暮らす現実世界では、意外や意外 “聞き上手” をモットーとしていると言って過言でない。


 その事実をバックナンバーに於いて幾度となく綴り公開しているのだが、私自身がそれらタイトルを忘れてしまっている。

 一つ思い出すのは、2014.3.24 公開 「『原左都子って何者?』なるご質問にお答えします」である。
 早速当該バックナンバーより、私が“聞き上手”(か否かは不明だが、とにかく他者の話を聞く事を重視している)である事を綴った箇所を、ピックアップして以下に紹介しよう。

 ここでほんの少しであるが、「原左都子」本体である “私自身” の日常を紹介しよう。
 つい最近人が大勢集まる会合に出席する機会があったのだが、どうやら私は“周囲を和ませ明るくさせる”キャラと評価されてしまうようだ。 「あなたには初めてお会いした気がしない」 「お友達が多いでしょ!」 等々のプラス評価が我が身に降り注いで返って来る。  それ自体は嬉しい。  ただ、実はそれら評価とは180度異なる人格の持ち主と私自身は自己分析している。 
 その思いを少しだけ訴えた。 「私は友達は少ない方ですよ」 「確かに私にも明るい側面はありますが…」   その後私として続けたかったのは、「でもこういう会合に於いては第一に場を読むべきですよね。 面識が少ない者同志の関係に於いて周囲環境を意識せずして人間関係など成り立たないでしょう? 私はそれを実行しているのみですが…。」 そんなこと、言える訳もないし…。
 現在の時代背景とはこれが現実であろう。 そんな場に際して、特に年長者や(誤解を恐れず言わせて頂くならば)学識経験者とは有名無名にかかわらず、自分が言いたい事をありのまま無責任に発信できる訳などないのが現実ではなかろうか!?  だからこそ私は複数の人間が集まる場では、真っ先に周囲への配慮に回る習慣が身に付いてしまっているのだ。 恐らく今後も現実世界に於いては、ひとまず自己を抑えてその役割を果たすべくの我が人生が続くのであろう。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより、その一部を引用したもの。)


 さて、先だってネット情報にて今回のテーマである “聞き上手” 関連の記述を発見した。

 興味深い内容だったため、その一部を原左都子なりにアレンジしつつ以下に要約引用しよう。

 今年6月に実際に起きた事件。
 財布を落とした女性がJR小倉駅に取りに行った時のことだ。 30代の男性職員が財布を返却してくる際、「お金が抜き取られています」と言った。 財布には6万円が残っている。 「なぜ、お金が抜き取られているのが職員にわかるのか?」 不審に思った落とし主の女性が警察に通報し、男性職員は8万円を盗んだ業務上横領の疑いで福岡県警に逮捕されたという内容だった。  「お金が抜き取られている」などという不用意な一言で、窃盗行為がばれてしまったわけだ。 このような間抜けケースは詐欺においても起こる。  (以下、中略。)
 上手に相手の「言葉の尻」をとって話を転がす、なる名言がある。 
 画廊にての会話だが、(途中大幅に略して) そんな会話をしながら画廊を見回ると、女性は「どの絵が気に入りましたか?」と尋ねてきた。 ある1枚のリトグラフを指差すと、その前に椅子が置かれて、商談態勢に入ることになった。 しかしこの女性はあまり話術にたけておらず、「この絵を選ぶなんて、お目が高い」といういささか手垢のついた言葉ばかりを連呼する。 そして言葉に詰まると沈黙する。 この繰り返しに私はしだいに眠くなってきた。 とにかく、すべての話がブチブチと切れていて発展しないのだ。 本来なら、私の職業が「営業職」ということであれば、「どんな営業なのか?」「会社の場所はどこ?」「社内での人間関係はどうですか?」など、いろいろ聞けるはずなのだが、彼女はそれをしなかった。
 そのうちにベテランと思しき女性がやってきた。 まず「この絵のどこか良かったのですか?」と聞いてきたので、相手の力量を図るため、わざと絵の本体ではなく「背景部分がいいですね」と意地悪な答えをしてみた。 けれど女性はひるむこともなく、私の返答を受けて会話をつなげる。 「なるほど、背景のクリーム色の感じが好きなのですね。ということは、性格は穏やかな方ではないですか」
 (中略) 私がひとり暮らしだと知ると、「もし、この絵を飾るならどこがいいですかね?」と言いながら、詳細な部屋の間取りを確認して、「右の壁には何が張ってありますか?」と尋ねてくる。そこにカレンダーなどが張ってあることを伝えると、その反対側には、何があるかを聞いてくる。そして、左の壁に何もないことを知ると、「ここには、この絵を飾れそうですね」と話をつなげていく。 とにかく話が巧みな人は、こちら側の話を最後までしっかり聞き、話題を展開させていくのがうまい。 話術の巧みな勧誘員は、いわば、しりとりをしながら物事を考える。 (以下、大幅に略。)


 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。

 要するに上記引用ネット情報とは、現実世界で営業を担当させられている社会人に“ビジネストーク”を指南せんとする意図で当該文章を公開したのであろう。

 たまたま上記引用ネット文章中に「画廊にての絵画購入例」が挙げられていたため、これに関して考察してみよう。
 実は私も娘が美大受験を目指し(その後挫折して大幅専攻転換)ていた頃、幾度か画廊にて開催中の美術展を訪れ絵画を購入している。
 その立場から物申すならば、むしろ営業担当者氏には黙っていて欲しい気すらする。 自分が気に入った絵画を発見・選定しそれを購入したい意思を伝えた段階で、「この絵画は素晴らしいんですよ!」と後押ししてくれるだけで必要十分だ。
 何だって? 貴方の部屋にはこちらが似合う??  そんな事を販売員が言い始めたものならば、私ならば「もう要らないです!」とその場を後にしたであろう。

 原左都子の私論としては、今の時代、これぞ営業マンが心得るべき会話術ではなかろうか。
 ヘボい“お勧めトーク”など一切無用だ。  どっちが専門に通じているか否かも不明な関係に於いて、素人考えでセールスしてくる輩が如何なる業界にも蔓延っている事実には、日常茶飯事的に遭遇している。
 営利企業の営業マンが果たすべく役割とは、顧客との“しりとり”へったくれではないことは自明の理だ。
 そうではなく、とにもかくにも真っ先に顧客の要望を聞き出し、その要望に沿うのが営業マンの真の役割であろう。
 要するに、とりあえず「黙っている」事こそが最大最善の営業マンサービスと、私は結論付ける。


 さて、最後に日常会話に話を戻そう。

 まさに原左都子の日常会話の秘訣とは、こちら側は挨拶とニコニコ微笑みを返し「黙っている」ことである。 その挨拶の後に相手が何か言い始めたら、こちらは相手が言いたい事を十分聞き取る。 これが基本だ。
 教員時代も生徒全員に対してこれを鉄則として実行して来たが、その後この世に生まれ出た“言葉少ない”我が娘との関係もその対応で22年間成り立っている。
 現在社会人として頑張っている娘に対しても、日々帰宅する都度玄関にて出迎え、決してこちらが多言を吐かずして娘が発する言葉を誘導している。

 人の話を中断せず、とにかく “黙って聞く” 体制を自ら積極的に整える。
 これぞ、“聞き上手”の極意と私は心得ている。