原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

税務申告終わりましたか?

2015年02月28日 | 時事論評
 日本全国の税務署が国民の確定申告を受け付けている毎年2月下旬のこの時節は、原左都子にとって一番多忙な時期である。
 と言うのも、(自分の分も含め)親族3名の税務確定申告書作成・提出を毎年担当しているからだ。

 何故、親族3名の税務申告を担当するはめになったのかについて説明すると、私が税理士免許の半分を取得してるからに他ならない。
 もっと正確に説明するなら、税理士試験とは税法諸科目のうち必修かつ自ら選択した科目、及び会計学2科目を受験する事が定められている。 ただし法的特例によりその受験が免除される場合がある。 私の場合は大学院を修了して「経営法学修士」を取得しているため(大学院修了時点の法律に準拠して受験免除制度が異なるのだが)税法3科目免除との特典を得て、既に国税庁にてその免除申請を通過している。

 ただし、それだけでは決して税務に関する実務知識など得られるはずもない。
 私の場合、一時本気で税理士免許を取得しようと志し、10年程前にその専門学校へ通った経験がある。そこで(私にとって不得意な)会計学2科目(財務諸表論及び簿記論)を学んだ後、税理士試験にチャレンジした。 結果としては「不合格」だったものの、その時学んだ知識が現在も生きているのだ。
 しかも我が家は幾度となく不動産買い替えを経験している。 その都度、私が自分の知識に基づく確定申告書を作成して税務署へ提出した経験も今現在十分に活きている。 


 それにしても親族3人分の確定申告を同時期に一度に抱え込むのも大変な作業であり、大いなる負担である事には間違いない。
 
 その一連の業務の流れを以下に披露しよう。

 まずは、自分自身の不動産賃貸に関わる確定申告。
 これに関しては我が身の事であり一番簡単なはずが、こと昨年の所得に対する税務申告は大変だった。
 と言うのも悪質賃借人に遭遇して多大なる賃貸損失を計上した挙句の果てに、我が所有不動産物件をオーナーチェンジにて売却するとの不運に苛まれた昨年だ。 通年の不動産賃貸に基づく申告のみならず、所有物件を売却した事実による損失をも計上するべきと考えていた。 そうしたところ、税務署に問い合わせてみれば不動産売却損失に関しては申告せずともよいとの回答だ。(あくまでも私のように所得金額が低い場合に限られる話であろうが…)
 それならばとの事で、通年通り不動産賃貸に係る所得のみを手書き計算の上、郵送にて提出した。

 次に、我が亭主の確定申告に関して説明しよう。
 亭主の場合は元サラリーマンだが、定年退職後は“各種年金(企業年金及び厚生年金)”に関して確定申告する必要がある。
 本人の意思もあり、退職当初より税務署に出向いての確定申告体制と相成った。 現在の税務署現場では署に直接訪れた申告者達に電子申告(eーTax というあれか?)を強制実行している。 それに従い順番待ちをした挙句、結局電子申告に同意したものとみなされその後の亭主の税務申告は毎年パソコンにての eーTax に頼っている。 
 今年私がそれを代行した立場として、年々税務制度が細かい部分で改定されている事実に気付かされる。
 例えば平成26年の特徴を言うならば、「寄付金制度」に於いて税務計算方式が改定された様子だ。 我が家は毎年娘の大学へ寄付金を納めているため、その支払った税金のフィードバックを期待している。 寄付金に関する計算方式が変更された事実を知ったのは申告が終了した後だったのだが、事前に法制度が改定された事実を国民に明示して欲しい思いだ。 

 そして、義母の青色申告。
 これぞ、我が最大の負担である。
 元々事業主にして遠い過去の時代より青色申告のお世話になっている義母一族だが、何故か(と言うより私の感想では我が亭主も含め男どもが頼りなく優柔不断な一族であるため)昔から義母のみにその申告を一任してきた家系だ。 その親族の期待を背負い、こと税務申告に関してはド素人の義母が一人で簿記を学び一手に青色申告会と対応してきた長き歴史である。
 そんな(現在多少痴呆気味の)義母が毎年私に言うセリフとは、「本当にあなたで大丈夫なの? 税務申告って大変なのよ。税務署からつつかれたら巨額の追徴税をとられるのよ! それを分かってあなたが青色申告に出かけているの!??」  応えて私曰く、「私が税理士資格を半分取得している事実は以前より説明している通りです。 決して粉飾決算などしませんからどうか安心してお任せ下さい。」
 要するに経理素人の義母が過去に於いて“粉飾決算”とまでは言えないものの、素人なりの相当の“デタラメ及びごまかし決算”を実行してそれで痛い目に遭っているとの事実であろう。  そんな過ちは、こと私に限っては一切ないと回答しても、どうしても過去の過ちが脳裏に浮かぶようだ…
 まあそれにしても以前程の事業所得が無い事が幸いして、今年もとりあえず無事に義母の青色申告を難なく終える事が叶った。


 世の中には、どうも税務署の確定申告を“怖がって”いる人物が今尚多い事実に直面する。

 それらの人々に伝えたいのだが、ご自身が真っ当に健全にこの世に生きておられる限り、現行法に準拠するなら税務署から多額の税金を搾取される事など絶対に無いはずだ。

 私は決して税務署の回し者ではないのだが、もしかして税務署から多額の追徴税を課せられる事件報道に関しての一般人からの過剰反応があるのではないかと私は想像する。 もちろん、その種の劣悪企業体が今尚この世に蔓延っているのも事実であろう。

 ただ私の義母の事例を説明するならば、過去に於いて何らの悪徳利得を得ていないにもかかわらず一時得た高額利益を税務署に正直に申告したなら、(素人考えで)その利益の大方を税務署に強制奪取されるとの恐怖心を抱かされたとの事ではあるまいか!?! それが証拠に、現在でも税務申告程怖いものはないと私に訴えてくる。
 その感覚が(痴呆が押し寄せている脳内で)今尚恐怖として義母のトラウマになっているとしたら、それこそ過去に於ける税務署の対応こそが“劣悪かつ暴力的”だった事実というものだ!

 そうだとして税務署さん、過去に於いて善良な市民を(暗に)脅した責任に今後どう対処するつもりか?!?
 あなた方の過去の過ちこそが、庶民間での“税務署嫌い(離れ)”を煽ったと私は結論付けるのだが。


 ただ我が今の感想としては、身内3人の税務申告を毎年担当している身として以前の時代と比較した場合、現在の税務署(青色申告会も含め)は国民弱者に対し相当紳士的対応が出来ていると評価申し上げる。
 国税庁管轄下の税務署が実行するべき責任とは、巨額の脱税を図る悪人どもを処罰する事であり、決して底辺に生きている弱者から更なる税金をぶんだくることではなかろう。

老後に達しては年齢+10歳-40歳の人脈作りを目指したい

2015年02月26日 | 人間関係
 テレビ(特に民放)をほとんど見ない原左都子にして、3ヶ月程前から昼間在宅している時間帯にフジテレビにて放映中の長寿番組 「ごきげんよう」 を見る習慣が始まった。

 
 それまでこの時間帯には同じくゲスト対談番組のNHK「スタジオパークからこんにちは」を視聴していたのだが、昨年頃よりNHKがどうもインパクトが貧弱なゲストを多用し番組の存在が薄っぺらくなった印象があるのだ(日により例外もあるが)。  特に若手ゲストなど一見して誰だか分からず、かつ名前も知らない人物の話を聞けと言われても、(よほどのイケメンでもない限り)それ程の暇は私にはない。 たまに知らない若手人物のトークに引き込まれる事もあるにはあるが、大抵は拍子抜けさせられ時間の無駄感が否めない日が続いた。
 そんな折テレビのチャンネルを変えてみたところ、たまたまフジテレビの「ごきげんよう」にて面白いゲスト対談が繰り広げられていた。
 こちらは複数のゲストを招いた対談形式が特徴の番組だ。 そのゲスト同士の兼ね合いも興味深くテンポ良い番組展開も面白く、最近はこちらを中心に視聴している。

 さて、その「ごきげんよう」の数日前のゲストが女優の朝加真由美氏と市毛良枝氏だった。
 朝加氏が原左都子と同年(1955年)生まれ、そして市毛氏が1950年生まれの現在65歳であられる。
 還暦を既に過ぎたか過ぎようとしている熟女(?)であられるご両人の屈託のない発言が実に痛快だったのだが、その中から私にとって印象深かった話題を( )内に原左都子の私論を交えつつ以下に紹介しよう。
 市毛氏曰く「私は60歳過ぎているが、年下男性を恋愛相手にどうかと聞かれても今時の50歳程の男って随分と老け込んでいるイメージですよね」  (これぞ至って同感! 近い過去に複数の同窓会やゼミOB会に出席した経験ある我が感想も、同級生及びそれより若い男性が何でこんなに老け込んでいるか!との絶望的場面に遭遇するのが常だ…  悲しいかな、4,50代にしてかっこいい男性になど一般社会で巡り合った事が一度とてない現実だ。
 朝加氏も曰く、「私は若い(おそらく2,30代の)男性と束の間の触れ合いを楽しめるだけで十分。 それ以上の関係は求めない方が付き合いが続行出来て嬉しい」(ニュアンスが違っている場合お詫びします。)
 更に市毛氏曰く、「60代女性にそれ以上の年齢男性との付き合いを薦められたとて、結局交際男性の今後の介護を女性側に要求されるとの厳しい結末ですよね。」 
 この市毛氏のご意見に関しては、「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて再三綴り公開している通りだ。 もしも高齢者同士で恋愛に至ったとしても、女性側が男性高齢者の介護負担を担当せねばならないなどの事態は、一切御免蒙りたい思いだ! 
 そういう意味で、近い将来もしも私が配偶者との離婚や死去の暁に至ったとして、私の年齢+10歳“以上”の男性とのお付き合いは回避するのが無難、と言うのが一つの揺るぎない結論となろう。 
 (参考のため、私側からの支援や介護を一切要しない関係でそれ以上の年齢の男性と“対等に”友達付き合いする分には今まで通り何の問題もない。) 


 今回このテーマにてエッセイを綴るきっかけを得たのは、朝日新聞2月21日付別刷「be」“はたらく気持ち”を見た事による。
 そのコラムのテーマが、 「上下20歳の人脈作りを決意」 だった。
 以下に、その一部のみを要約して紹介しよう。
 
 52歳のH氏は人材紹介会社を設立して10年目を迎えた。 これまで自分の会社を続行するに当たり、必死に人を探すというより候補者として会った人が次の人を紹介してくれるとのプラスの連鎖を採用した。 その結果、今後最低でも後10年は現役を続けられる意向でいる。
 そのH氏のポリシーとは、「一般的に人脈は自分の年齢プラスマイナス10歳の範囲で築かれる。」と言われている事に基づいているらしい。
 加えてH氏のポリシーは、その一般通念を超越して「上下20歳の幅まで広げたい。」との事だ。
 更にH氏は、そのためには見た目も感性も若々しくあらねばならない、との意気込みでストレッチ体操と玄米食事管理で体型を維持し、幅広い本を読むなど“引き出し”を増やす事にも常に心がけている(らしい)。


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 上記朝日新聞記事に対する私見を述べよう。
 (これって要するに、すべての社員をコネ採用している事実を暴露したに過ぎないとの話であろうが… ここではそれは隅に置いておいて。)  
 未だ52歳H氏の、自分の年齢プラスマイナス20歳まで今後付き合う相手を拡大しようとのご意向には同意申し上げたい。  それ自体は素晴らしい発想であろう。
 
 そんな52歳男性H氏の現状に照らし、私も今後の人生を模索する機会を得た。

 冒頭に記した通り、私としてはやはり上限を10歳年上程度にしておくのが今年還暦を迎える身にして(男女を問わず)相手に対する介護支援等の責任負担なく付き合える最大限度であろう。 
 
 片や、-(マイナス)年齢に於いては(相手の意向が合致する場合)幾らでも“高望み”してよいとも捉えられないであろうか??
 我が娘が現在21歳。 それ程の年齢の若者には幾らでも対応可能だ。
 更には私は過去に於いて高校教員経験もある。 その経験に応じた印象を語るならば、娘の年代以下の若者達とも十分付き合っていける自信があるように感じる。

 我が健全な老後を望んだ場合、年齢を超越して、特に“若い世代”と渡り合えてこその自らの活性化ではあるまいか?!
 そんな心身共に豊かな老後を目指しつつ、自分の年齢-(マイナス)40歳位までの若い世代との人脈作りを今後培いたいとの野心もある。

恋心を抱く相手とのスキンシップが嫌などあり得ない

2015年02月23日 | 恋愛・男女関係
 表題に関して冒頭から原左都子の私見を述べよう。
 もしも恋愛相手とのスキンシップが本気で嫌ならば、これ、相手に対して「恋心」を抱いて“いない”証拠と結論付ける。


 話を元に戻そう。 事の発端は朝日新聞2月21日付別刷「be」“悩みのるつぼ”を読んだことによる。 今回の相談とは、20代女性による 「男性との触れ合いが苦手」だった。
 早速、以下に相談内容を要約して紹介しよう。
 20代後半の女性だが、付き合って2年の彼氏がいる。 お互いに真剣な付き合いは初めてだ。 ところが男性とのスキンシップが大嫌いで困っている。 男性への嫌な思いなど何もなく、女家族や女友達とのボディタッチは大丈夫だ。 初キスは1年近くたってから。それまでずっと彼のそぶりをかわしてきた。 最近は頻繁に二人で泊まる機会があるが、軽く触れる程度ならともかく、それ以上は気持ち悪いとしか言いようがない。 ストップをかけたらすぐに止めてくれるし、彼が私の気持を尊重している事がはっきり伝わる。 強引な事をして私を失いたくないと思っているのかもしれない。 ずっと一緒にいられる相手だし、結婚の話も出ている。いつかは子供も欲しい。 家族も私が尊敬する女性も乗り越えてきた(スキンシップ)と思っても劣等感が募る。 彼が自制してくれているように、私も短い時間だけ我慢するしかないのか。  もっと前向きになれる心の持ち方、男女関係の解釈の仕方があれば教えて欲しい。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談より要約引用。)

 一旦、原左都子の私論に入ろう。

 上記相談事例に関して考察するなら、まず第一に(男性の年齢は不明なものの女性側は20代後半にして)“初めて”の恋愛付合い経験であることが最大のポイントとなろう。
 それ以前の相談女性の一般男性に対する“恋心”の遍歴が不明だが、女性の相談内容から推し量るにこの女性、今までただの一度も男性に対して“恋心”を抱いた経験がないものと想像する。 そんな女性が現在の恋愛男性相手に対して恋心を抱けたのか否かは不明だが、とにもかくにも初めて付き合う事となった相手男性からスキンシップを求められ、“本気で”困惑している様子こそが相談内容で述べられている事実なのだろう。

 片や相手方男性だが、こちらにとっても相談女性が人生初めて付き合う相手であり、何とかしてスキンシップを図りたいとの切実な思いと想像する。 ところが拒否され続ける。
 (私見だが)普通ならこのような事例の場合、男性側が(自分は相手から嫌われている)事を悟り、別れ話を持ち出すのが世の常ではあるまいか?  ところが男性側も何故か女性の意向に従い、相手女性を尊重するしか手立てが打てない…。

 何とも切なく悲しい二人の関係だが、もしかしたら人間関係が希薄化している今の世の中、そんな(空虚な)カップルで溢れているのかとの悲壮感すら漂う。 若き男女の健全な出会いが成就しにくくなっている現世に於いて、せっかく知り合い“一応”2年間もの長き期間付合いを続行出来る相手と何とか結婚成就せねば、今後の人生一人で寂しく生きねばならない運命か… なる、若き世代の若者達が先々の夢が描けない切実な現実社会とも考察する。


 ここで、今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる評論家 岡田斗司夫氏の回答の一部を紹介しよう。 (以下、「岡田理論」と名づけさせて頂く。)

 岡田理論によれば、相談女性は潔癖症及び対人恐怖ではないとの診断だ。
 その上で、①男性は嫌い。女性が好き。 ②セックスが怖い。 なる2肢を掲げ、相談女性の場合②に該当すると結論付けている。
 ②に該当する場合も更に細分化されるとのことで  A そういう不潔な行為が嫌  B 実はすごく興味がある自分が嫌  なる更なる2肢のうち、相談女性の場合は両者共に考えられるが、おそらく Bであろうとの結論に至っておられる。
 更に岡田理論とは、もしも相談女性がAであった場合も自分を変える必要はない、とまで結論付ける。 それでも岡田理論は、実は女性の大部分がB とも言ってのけた!  「女性とはちゃんと自分がセックスを出来るかどうか不安だから、とりあえず逃げる場合がほとんどです。」
 一体全体岡田氏は何千何万人の女性とかかわってそんな歪んだ発言が出来るまでの境地に至ったのだろう…  もしも岡田氏が統計的考察をしたいのならば、それなりの統計学的数値が必要なのだが… 


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 評論家の岡田斗司夫先生、朝日新聞記事内でそこまで女性問題に関する“性的デタラメ発言”を公開してしまって貴方の“評論家”としての将来は大丈夫なのか?!?

 実は私はつい昨夜、某別議論の場で過去に於いて世を騒がせた「ホリエモン」に関して議論相手の某氏に激論をぶちまけたばかりだ。
 (ここで岡田斗司夫氏とホリエモンを比較する必然性は何もないことは承知だが)、岡田氏とはホリエモンより以前からこの世を渡っておられると認識している。 (東大中退のホリエモンの未熟な生き様を真似た訳でもなかろうが)岡田氏は何を持って、女性のほとんどが“セックスに対して不安だから逃げる行動をとる”と結論付けられる立場にあるのか不可解極まりない。
 岡田理論によればこの相談女性が実はセックスが怖い??? 
 そうではなくもっと根本的な深層心理部分で、相談女性は男性関係を拒否し続けている事と私は結論付けたい。


 それにしても、相談女性がご自身を尊重してくれる男性に現世に於いて知り合えている事実こそが素晴らしいとも捉えられないだろうか。
 婚姻関係の行く先々とは、長年に続くのが大方だ。 既にセックスなどとっとと飽き飽きしつつ、それでも難なく続く夫婦関係が多い世の現状ではなかろうか??

 そうした場合、極端な話が恋愛相手と出会う理由など何でも良いとも結論付けられよう。 

 若き時代には恋心を抱く男性にとにかく“触れたい”感覚を(私の場合は)思い描いたものだ。(今も尚その思いは健全に続行している。)
 だがもしも現世に於いてそうではないカップルが存在するとして、そんな“触れない”関係を長く持続出来るのならそれに越した事もないような気もする。

大雪で25時間遅延した列車が咄嗟にとった粋な計らい

2015年02月21日 | その他オピニオン
 こんな旅道中でのトラブルなら喜んで体験してみたい、との感慨深い“旅情”に浸れる新聞記事に出くわした。

 それは、朝日新聞2月16日付一面上段左端に掲載された 「トワイライト 48時間の旅」 なる一つの“立派な”旅物語だ。
 元々涙もろい原左都子だが、これを読み終えた後しばらく涙が止まらない程に感涙に浸った。


 早速、上記朝日新聞記事を以下に要約して紹介しよう。
 去る2月13日14時5分に札幌駅を出発した寝台特急トワイライトエクスプレスが、同日21時20分頃青森駅に到着した直後に大雪のため足止め措置と相成った。
 車内は満員の130名を乗せ札幌駅を出発。  午後9時頃青森駅にて足止めされた時には約30人が東北新幹線に乗り換えた。  その後も、本来は通過する駅にての臨時停車を繰り返し、終着駅の大阪駅に到着したのは丸2日(48時間)後。 当然ながら、特急料金に関してはJRから返金されたとの事だ。
 乗客によれば、昼や夜には各地の名物駅弁が振る舞われ、2月15日朝には「私たちの大事なお客様へ」なるメッセージが添えられた栄養補助食品や北陸新幹線の紙風船が配られた。 サロンカーでは、車掌の呼びかけにより“じゃんけん大会”が開催され、(その勝敗により)列車のイラスト入り絵馬やポストカードなどがプレゼントされた。
 某旅客は親子3人で当該列車の個室に乗車したらしい。 その人物によれば、足止めを食らった青森駅では車外に出る事を許可され、青森産の日本酒を買い求めて個室で楽しんだとのことだ。 「2泊分車内で過ごせラッキーだった。何より乗客を退屈させないおもてなしに感心した」との感想のようだ。
 当該トワイライトエクスプレスは1989年に運行が始まったが、車両の老朽化等を理由に本年3月12日発の運行を最後に廃止される。
 (以上、朝日新聞2月16日記事より一部を要約引用したもの。) 


 話題を原左都子の私事に移そう。

 2月初旬に東北新幹線に乗車して旅に出たばかりの私だが、出発前よりこの時期故の大雪被害による遅延等のトラブルを予想懸念しての出発だった。
 ただ東北新幹線の場合、(東海道新幹線等国内に於いてさほどの雪被害が無い地域と比較して)恐らく元々最先端工学技術を駆使し、雪に強い車両構造を適用の上運行している実態であろう事と推測した。
 そうでもしないと、これ程までに地球上の異常気象化が激化の一途を辿っている国内外に於いて、豪雪地域を走らせる電車がいつまでも大雪で足止めを食らい顧客に迷惑を掛けていたのでは、鉄道会社の先々が危ぶまれるとの実態であろう。

 それにしても過去に於けるJRの対応とは、長い期間貧弱かつお粗末だった現実ではなかろうか?
 自社の運営上の理由で列車が遅延したにも関わらず、車内放送もろくろく入れず、ただただ顧客である乗客の忍耐力に任せ列車が動くまで待たせ続けるのがその慣習ではなかっただろうか??

 そんな過去の実情に比して、今回の「トワイライトエクスプレス」車内の対応は素晴らしかった。 列車が老朽化している現実にもかかわらず、乗務員氏達の咄嗟の判断力により乗客を目的地まで飽きさせる事無く「寝台列車」の使命を立派に果たせた事実を高評価申し上げたい。
 要するに、車両の老朽化に勝る程の“人的財産”を築き上げていたJRの経営実態を評価したいものだ。


 ここで大幅に話題を変えるが、私は先だっての2月19日に義母から依頼されている「青色申告」のため、当該申告所に出向いた。
 そうしたところ、申告所がなんと“ゲロ混み”状態だ!
 零細事業者の皆様が知るところの「青色申告」だが、この団体とは要するに青色申告者達の会費で成り立っている(私が推測して曰く)“国税関係元役員達の天下り団体”に他ならない。
 一般の税務署ならいざ知らず、通常例年青色申告とは会費を支払っている個人事業者にあらかじめ期日を指定して、申告を“順次順番に”スムーズに実施すべき団体であるはずだ。 その指定日に行ったにも関わらず、何でこんなに顧客を待たせるのか!! と一瞬憤った。 それに対するアルバイトと思しき女性の説明とは、「昨日まで悪天候が続いたために、本日は大変混み合いまして申し訳ございません。」 それのみだ…

 何と言っても青色申告に訪れている零細事業主とは“高齢者”が大半である。
 こんな場でNHK総合テレビを付けてろくでもない「国会中継」を垂れ流していないで、これぞ、若き女性達が時間待ちをしている高齢者達相手に「体操」や「ダンス」でも指示し「皆さん一緒に身体を動かしましょう!」などと場を和ませてもよかろうに、とも考え付いた。(もしよければ、私がそれを指南してもよかったのだが…

 結局青色申告会会場で3時間待たされ、申告を終え疲れ果てて夜7時にやっと我が家に帰宅した。


 忍耐力がある人ならともかく、元々短気な原左都子など何処の場面でも“待たされる”こと自体が我慢ならない性分だ。
 加えて「待たされる」事による時間的ロスを経済的に数値化して評価した場合、その損失額とは計り知れないものがあるとも常々捉えている。

 もしも顧客を長時間待たせる事態に至らざるを得なくなった事業体が、上記「トワイライトエクスプレス」のように手際よく“粋な計らい”で対応出来るのならば、これぞ顧客に対する究極のサービスではあるまいか。

軍事転用の危険を孕む安倍政権ODA政策転換

2015年02月18日 | 時事論評
 もう既に26年も前の話になるが、二度目に門をくぐった大学にて私は(おそらく専門選択科目として)「国際法」の授業を受講した。
 その授業の担当教官氏が年間を通して講義テーマに取り上げたのが、当時我が国が他国に対し実施していた ODA(政府開発援助。 政治資金で実施される発展途上国に対する無償援助(贈与)・技術協力・借款及び国際開発機関への出資。)の現状だった。

 大学の授業とは、担当教官氏の講義内容に対するポリシーの程が明確な程熱気付き、学生としては授業に出席し甲斐があるものだ。
 そんな中、私が受けた「国際法」のS先生(と仮に名付けさせていただこう。)は当時の自民党政権(戦後長く続いた自民党政権のうち竹下登内閣の時代だが)に対して“批判派”であられたようだ。
 当時の日本が実施していたODA政策の過ち及び今後の改善策に対して、S先生は毎時間毎時間熱弁を振るわれた記憶がある。
 特に、「環境アセスメント制度」に関する国内法が未だ存在しない状況下で、対外援助に関し環境アセスメントを如何にして法制度化していけばよいかについて、力強く私論を展開された事を鮮明に記憶している。

 上記授業の前期課題として、「我が国の開発援助に於ける環境的配慮に対する強化方策」をテーマに小論文を提出する事が受講生に課せられた。
 まだまだ政治法律学分野に於いて未熟な当時の私として荷が重い課題ではあったが、S先生の熱意に応えるべく約6000字(原稿用紙にして約15枚)の小論文の形式で拙き我が見解をまとめ提出した。 結果、評価として100点満点の90点を頂いた。

 (現在“もの書きの端くれ”を自称する私は、自己の実績として過去に記し発表・提出した書籍・論文・小論文・学会発表抄録・意見書等々類の原著を書棚に保管してあるのだが)、先ほど上記「国際法」提出小論文を探したところ見つかった!

 その未熟で拙い小論文のごく一部を、以下に要約して紹介させて頂こう。
 最近発表された外交青書によると、我が国の基本方針とは「世界に貢献する日本の推進」である。その実現のために政府は1988年からの5か年間にODA実績を500億ドルにしたいと表明している。総額にすると約6兆円の巨額にのぼる。 ところが、我が国のODAとは極めて経済的色彩が強い政策的考慮が前面に打ち出されているため、援助受入国側に対し環境破壊・原住民の生活破壊等の弊害が浮上し大きな国際問題を投げかける結果となっている。 開発援助に対する増額等金銭面での支援を表ざたにしたところで世界規模での理解が得られるはずもない。 ODAとは特に援助受入れ国側への環境的配慮との視点に立ち、開発援助の基本理念を明確にするべきだ。
 結果としては、ODAとは必ずや国際的な平和・平等の観点に立ち貧困の撲滅、構造調整に優先度を置くべきである。 ODAを展開する国側の都合ではなく援助される側の住民のための開発であるべきだ。 そのためには、いつ何時も援助国とは援助受入れ国と対等なパートナーシップの立場に立ち、受入国側の自助努力を支援する開発がなされねばならない。 
 (以上、私が33歳の頃記した小論文より一部を引用紹介させて頂いた。)


 時代を現在に戻そう。
 
 安倍政権は2015年2月10日、政府のODA基本方針を示した「開発協力大綱」を閣議決定した。
 それによると、我が国に於けるODA政策が先細りになる中、それを勧めるねらいがあるようだ。
 ODAを通して「我が国の平和と安全の維持・繁栄の実現といった国益の確保にも貢献する」と明記する事により、ODA援助に関して「国益」なる言葉を初めて使用した。 一方、他国軍への物資・技術の直接的な提供に関しては軍事転用の恐れを高めるが、それを防ぐ運用基準は盛り込まれていない。
 (以上、朝日新聞2月11日一面トップ記事より要約引用。)

 ここで原左都子の私論だが、要するに安倍政権による新たなODA政策とは将来的に「軍事転用を視野に入れている」と表現しても過言でなかろう。
  
 引き続き、朝日新聞記事より引用して紹介しよう。
 安倍内閣が閣議決定した「開発協力大綱」はODAによる他国軍への支援を解禁する等日本の海外援助の枠を広げた。 安倍政権によるイスラム国と闘う周辺各国への2億ドルもの支援の狙いも安倍政権のODAの一環だった。 更には安倍政権が援助を注いできた東南アジア地域で、現在中国の存在感が飛躍的に高まっている。 それに対抗しようとの安倍政権の東南アジア地域への巻き返しも強まっている。 今後、「国益」を重視した安倍政権の対中国をにらんだ対外支援は今後も加速しそうだ。
 (以上、再び朝日新聞2月11日記事より一部を要約引用したもの。)


 最後に原左都子の私論でまとめよう。

 26年も前に私は当時の大学の「国際法」の授業にて、当時の(長過ぎた)自民党政権によるODN政策の実態が政権による“我が身息災事業”だった事実を学んだ。
 それにもかからわず、その後、ODAに関する国家政策の実態を認識せずして時が経過してしまった事を反省する思いだ。

 ただそんな私にして、つい先ほどの2015年2月10日に発表された安倍政権による「ODA政策」とは、26年前の竹下登政権時の政策より、より強力に「国益」を主眼としている点で“悪質度”が高い思いを抱かされる。

 要するに今回発表された安倍政権による「ODA政策転換」とは、援助相手国の発展など無視して、単に我が国の近き将来に向けての「軍事転用」に他ならないと朝日新聞同様に私も結論付けたい。
 事の発端は安倍政権の主たる主張である(自分が首相である間に)「改憲」に持って行きたい思いであろう事は既に認識しているが、それにしても今回の安倍政権のやり方が極端かつ劣悪との印象を抱かざるを得ない。