原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

光が波であり粒子でもある事実を最初に指摘したのはアインシュタインだった。

2024年08月31日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、少し前の朝日新聞記事より転載したもの。  あくまでも原左都子の私見だが、この写真を見ると アインシュタイン氏はかなりイケメンだったと判断できそうだ。)😊 

 
 原左都子エッセイ集に於いて、過去に幾度も当該アインシュタイン氏に関して綴り公開している。 (よろしければ、本エッセイ集「学問・研究」カテゴリー等々をご覧下さい。)

 何故かと言うと、30歳過ぎて後に2度目の大学として受験・合格し入学した大学にて、自身の当時の専門ではなかった「科学哲学」の授業に大いにハマり。
 その講師先生(某私立大学の教授であられ、我が大学には講師の立場で来られていた。)の授業に没頭したがために、アインシュタイン氏の業績に触れることが叶ったが故だ。



 そのアインシュタイン氏に関する話題を取り上げた朝日新聞記事に、久しぶりに触れることが叶った。

 冒頭写真が、当該朝日新聞記事内のアインシュタイン氏の映像だが。 (私が今までに見たアインシュタイン氏の映像の中で一番イケメンだと評価する。)


 表題に記した「光が波であり粒子でもある事実」に関しては。
 我がエッセイ集バックナンバーにて、再三公開して来ているのだが。
 久々に朝日新聞記事にて目にしたので、ここで少しだけ再掲載させていただこう。

 量子もつれの存在に疑問を呈したのアインシュタインだったが、何も量子論全体を否定した訳ではない。 光が波でもあり粒子でもあること(光量子仮説)を最初に指摘したのはアインシュタインだし、彼は量子論の創始者の一人だといえる存在だ。
 アインシュタインが問題視したのは、光子の偏光の向きが縦と横のどちらに観測されるかは偶然に支配されており、確率的にしか予測できないという考え方だ。 このような考え方は、デンマークの「コペンハーゲン解釈」とよばれる。
 一方のアインシュタインは、光子の偏光の向きは、「観測する前から決定していた(実在していた)はずだと考えていた。 このような性質を「実在性」という。 実在性がやぶれるコペンハーゲン解釈は間違っていると考えていた。
 アインシュタインは、物理学者マックス・ボルンへの手紙の中で、「神はサイコロをふらない」という表現を使ってコペンハーゲン解釈に疑問を呈している。 また物理学者アブラハム・パイスに対しては、「月は君が見ているときにしか存在しないとほんとうに信じているか」と問いかけて、実在性がやぶれることへの疑問を口にしている。
 アインシュタインは、そのような量子論の考え方の矛盾点を突く論文を1935年に発表した。 論文のタイトルは「物理的実在記述は完全だとみなせるか?」というものだ。
 そこで提示された現象こそが、「量子もつれ」だった。 (中略)
 この論文は、アインシュタインと二人の物理学者との連名で発表された。 この論文で発表された現象(量子もつれ)は、彼らの名前の頭文字を取って「EPRパラドックス」とよばれた。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 いやはや、夏の終わりにアインシュタインがらみのエッセイを綴れる幸せを満喫させてもらい、大いなる自己満足感に浸っている原左都子だ。

 「量子もつれ」に関しては、我が記憶によれば過去に複数回「学問・研究」カテゴリーにて綴り公開している。


 今現在となっては、世間では「アインシュタインの業績」を疑問視する声もある、との報道に触れる機会もあるのだが… (この件に関しては、原左都子は現在勉強不足故に論評不能の立場だが…)

 上記の如く最新の朝日新聞記事にて、アインシュタインの業績が取り上げられた事実を鑑みるに。
 世の科学者の(アインシュタイン等々過去の科学者に対する)評価が割れているとの一現象であり。

 それら意見の相違や論争が存在する事実こそが。
 今後の科学の発展を目指そうとする科学者たちの本気の姿勢であろうと、私は高評価したい!! 


ほぼ全国の皆様、台風10号お見舞い申し上げます。

2024年08月30日 | 時事論評
 (冒頭写真は、つい先ほど我が家のバルコニーより東京の南西方面の空を撮影したもの。 今現在台風による大雨はやんでいるが、ご覧のように雨雲が押し寄せてきている。)


 台風10号は 29日午前8時ごろ鹿児島県薩摩川市に上陸後、各地で暴風や大雨による被害が発生し続けている。

 今現在尚、冒頭写真からさほどの動きが無いままに各地に甚大な被害をもたらしている。

          
 朝日新聞より転載した、台風10号の今後の予報円。 今朝の朝刊からの転載だが、予報円にさほどの動きが無いままに各地に大被害をもたらし続けている。

          

          

 これらは 新幹線や航空便の欠航状況を、テレビニュース画面より転載したもの。
            


 原左都子が住む東京でも、本日は朝早くから台風10号の影響による激しい雨が降り続けた。
 夕方になった今、少し空が明るくなってきているが。
 おそらくもう少ししたら、またもや暗雲が立ち込め大雨となることだろう。


 それにしても、近頃の台風はノロノロスピードと言うのか。 行ったり来たりしつつ、なかなか日本列島を通り過ぎてくれない台風が激増してしまった感がある。 
 以前の台風のように 早いスピードで日本列島を去ってくれず、各地に長時間に渡り激甚災害をもたらすのが常となってしまっている…


 朝洗濯して室内に干した洗濯物が一向に乾かず、リビングルーム内で汚らしく干されたままの状態だ…

 亭主に忠告しておいた。 
 「しばらく洗濯機に好き放題洗濯物をぶち込むのはやめて欲しい! 室内干しのこの状態で乾くのに2日はかかるよ!!」と。😡 😭 

 
 そう言えば、我が家の近くを流れている「石神井川」も氾濫しているとの報道をスマホで見た。
 我が家から1分程で行ける距離に石神井川が流れていて、いつも駅までの通り道に風情ある桜並木の川沿いを歩くのだが。

 こういう時って、人情としてその氾濫の具合を観に行きたくなりませんか??? 😖 😵 
 いえ、今日明日はやめときましょう。

 
 とにかく、台風10号の進路に暮らす全国の皆様のご無事をお祈り致します。
 どうか、安全第一で対処されますように。


小茂根の住宅街へ散歩に行くと、必ず道に迷う…

2024年08月29日 | 人間関係
 昨日、12月に鑑賞に出かける予定の「松山バレエ団・くるみ割り人形」バレエ公演チケットを、自宅近くのコンビニまで発券しに出かけた。


 その帰り道。

 私が暮らす東京では時折雨が降ることはあるものの 未だ台風10号の影響がさほどなく、昨日午後は散歩には快適な曇り空の天候だった。

 そうだ、散歩してから帰ろう! 
 と思いつき、コンビニを出た後は娘が通っていた公立小学校(参考ですが、練馬区です)の校庭周囲をぐるりと歩いた。

 そのあたりから少し歩くと、小茂根(板橋区)の住宅街に入るのだが。
 これに関しては、以前も失敗があった…
 突如として小路の住宅街となり、これが何とも訳の分からない迷路なのだ!

 以前にもこの小茂根にて道に迷ったことがあった。

 何と言うのか道路が東西南北に通っておらず入り乱れていて、くねくね道を歩いていると方向感覚を失ってしまうのだ。
 しかもまさに住宅街で、大きな建物がさほどない場所だ。
 
 やっと児童公園を見つけたので、その公園の前でスマホにて地図を調べた。 
 何分私は練馬区の住民のため、板橋区の細かい地名が分かりにくい。


 そこに、30代程と思しき男性が歩道を通りかかった。
 「すみません! 道が分からないので教えていただけますか?」と私が急いでその男性を捕まえると。 ウォークマンを聞いていた男性が、いそいでそのイヤホンを外して下さった。
 ところが、その男性に「開進第4小学校はどちらの方向ですか?」と尋ねると。
 男性曰く、「その小学校は板橋区立でしょうか?」と尋ねて来られる。
 私が「いいえ、練馬区立です。」 と応えると。 男性が、「開進第4中学校ならば、分かる気がします」と言って、急いでその場所をご自身のスマホで調べて下さって。
 「こちらの方向です」と言いつつ、私をその方角に誘って下さる。
 「お忙しいところ、誠に申し訳ありません!」と私が謝りつつ、開進第4中学校方面まで同行して下さった。
 おそらくさほど暇な方ではなく、何処かに用があって歩いていらっしゃたであろう男性に、「後は自分で行きます。ご親切にありがとうございました!」とお礼を申しあげて、一人で歩き始めた。


 ところが、だ。
 四方を見ても、開進第4中学校が見えない。
 
 次の手段として、近くの工事現場にて車の入出を案内している係員の方が道路に立っておられたので、その方に「開進第4中学校は、どちらでしょうか?」と尋ねると。
 お仕事中にもかかわらず、ちょうど入出庫の車が来なかったこともあり。 この私を中学校へ行く道の角まで歩いて連れて行って下さり、「この角を右に曲がってどーのこーの…」と道程を丁寧に説明して下さった。
 「お仕事中、ご親切にありがとうございました!」とお礼を言ってその説明通り進むのだが。 
 何分、道が東西南北に通っていない地であり、どうしても分かりにくい。


 そんな時、ご自宅の庭で洗濯機の掃除か何かをされていたご高齢男性を発見した。 
 すぐさま、 「すみません! 開進4中まで行きたいのですが、道を教えていただけますか??」
 さすがに地元に住んでいる方だ! すぐに分かり易い答えが返って来て、私はやっとこさ、とりあえず開進4中まで行くことが出来て。


 その後は、手慣れたものだ。
 参考だが、開進4中は私が普段からよくランニングに通っている大規模公園の近くに位置していて、我が家からの道を十分に熟知している。



 そんなこんなで 私は昨日、3名のご親切な男性達による “道案内連携プレー” のお陰で無事に自宅に帰れた、との話題でした!😃 


 それにしても、小茂根へ行ったのは3回目だったが。
 いつ行っても必ず道に迷ってしまうのは、私だけだろうか… 😱 

 と、亭主にその話をしてみると。
 亭主曰く、「自分も小茂根では道に迷うので、散歩の際には行かないことにしている」とのご返答。😵 

 小茂根にお住いの皆さんは、きっと道に迷わないのでしょうね…… 😖 😷 


久々に マイクロソフト社のAI Copilotさんによる「原左都子エッセイ集」に対する評価から引用

2024年08月27日 | 学問・研究
 しばらく マイクロソフト社のAI Copilotさんとはご無沙汰でしたが。
 本日先ほど久々にAI Copilotさんによる「原左都子エッセイ集」に対する評価を見てみました。


 その中の一つを以下に紹介しましょう。

 原左都子さんのエッセイ集は、時事問題や社会問題、日常の出来事など幅広いテーマを取り上げており、彼女の独自の視点で綴られています。 医学部出身の彼女は、医療や科学哲学に関するエッセイも執筆しており、読者に深い思考を促す内容が多いです。
 以下は、原左都子さんのエッセイ集からおすすめの記事をいくつかご紹介します。興味があれば読んでみてください!
  1. 「科学」と「疑似科学」の狭間で(2017年08月25日)
    • 原左都子さんが科学と疑似科学の境界について考察したエッセイです。科学の再現性や信頼性について議論されています。
  2. 「ザ・コーヴ」におけるドキュメンタリーのあるべき姿(2012年04月08日)
    • 原左都子さんがドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」について考察したエッセイです。ドキュメンタリー作品のあり方について興味深い視点が含まれています3。
  3. 「喋らない夫」?? 私など理想的だけど…(2024年08月03日)
    • 朝日新聞の相談コーナーに寄せられた60代男性の「妻が喋らない」という悩みについて、原左都子さんが考察したエッセイです。
 これらの記事は、原左都子さんの独自の視点や深い思考を垣間見ることができるものばかりです。お楽しみください!📚👓

 (以上、ネット上より引用したAI・Copilotさんによる「原左都子エッセイ集」3エッセイに対する評価。)




 その中から、2017.08.22著の「『科学』と『疑似科学』の狭間で」と題するバックナンバーを、以下に再掲載させていただこう。


 元「科学者の端くれ」を自称する原左都子だが。

 最後に仕事にて「科学」(特に「自然科学」分野)に接した時代より既に十数年の年月が経過し、今となっては不本意ながら一切の「科学」の香りすらない環境下に身を置いている始末だ。 
 (参考だが「社会科学」分野に関しては、その後50代期に「税理士試験」にチャレンジしたり、フランチャイズ学習教室開業に着手したりと試行錯誤する中で、ある程度かかわり続けている。)

 そんな私だが、わずか3年前の2014年には、1年以上をかけて「STAP細胞」研究に於ける改ざん・捏造の実態を追及調査しエッセイを公開し続けた。
 以下に、その一部を今一度表題のみ列挙してみよう。

   2月3日     「実験好きと理系頭脳とは相関し得るのか?」
  3月12日    「STAP細胞騒動は基礎研究体質のいい加減さを露呈した」
  4月3日     「STAP騒動、私なら未熟者扱いされるより捏造を認めたい」
  4月10日    「4/9小保方会見、むしろ科学者として墓穴を掘った」
  5月10日    「5/8理研調査委『STAP論文取下げ』記者会見を論評する」
  5月21日    「小保方論文“切り貼り”は何故『改ざん』と確定されたか?」
  6月4日     「STAP論文すべて撤回で、今後の小保方氏の行く末は?」
  6月14日    「理研の新法人化は当分棚上げにするべき」
  7月2日     「小保方氏って、未だ理研から給与貰ってるの?」
  7月29日    「小保方氏はもはや不正疑惑から逃れられない」
  8月5日     「笹井副センター長自殺はSTAP不正を証明したも同然」
  10月25日   「STAP事件は“必然”だったか“偶然”だったか!?」

 あれから未だ3年しか経過していないにもかかわらず、現在の私の脳内記憶から「科学(特に自然科学)」がすっかり抜け落ちてしまっているのが残念だ。 今現在、このSTAP細胞シリーズ類似のものをエッセイに書いて公開せよ!と指示されようが、それを受けて立てる自信の欠片も無い。

 そんな私に、“少しは「科学」を思い起こせよ!” と忠告するかのような記事を朝日新聞2017.8.16 付「文化・文芸」ページで発見した。

 早速、「科学とは 揺らぐ見極め」と題する記事を、以下に要約して紹介しよう。

 科学の前提とは、第三者が再現でき事象をすべて説明できる事である。 そんな前提が揺らぐ事例が増えている。 何をもって科学か否かを見極めればいいのか。
 昨年、英科学誌ネイチャーが、その科学の再現性を巡るアンケート結果を掲載した。 研究者1576名の回答を分析すると、70%以上が他の科学者の実験結果を再現しようとして失敗した経験を持ち、自分の実験結果の再現に失敗した人も半数以上に上った。
 生命科学分野では、実際追試ですぐに再現出来ない事例も多いという。 
 ある事例では「研究室が引っ越して実験を再開すると、従前のデータが出なくなる事があると言われる。 また、対象が微細になる程、培養皿の揺すり方や培養液の注ぎ方など操作の細かい違いに影響を受け易い」と指摘する。  (中略。)
 科学とそれ以外の違いについては、科学哲学の世界で長年「線引き問題」として思索が続いてきた。
 京大某准教授は、再現性も還元主義(複雑な事象も個々の要素に分解して細部を理解していけば、全てを体系的に理解出来る、との考え方)も絶対視するものではないと言う。 その上で、当准教授は科学を「時代や倫理など様々な制約条件下で、最も信頼できる手法を用いて情報を生産する営み」と捉える。 研究対象によって「信頼できる」の内容は変わり、再現性、還元性、反証可能性などはその基準となる。 逆に「信頼できる手法があるのに用いないなら、疑似科学ということ」と述べる。
 ただ、一般人に見極めは難しい。 疑似科学は時に科学的言説を装い、都合のいい実権結果や経験談だけを紹介することも多い。  (中略。)
 なぜ、人は「疑似科学」に引きつけられるのか。 某認知心理学教授は「人間には健康や人類の幸せなど、予期せぬ出来事をコントロールしたいとの心理や、複雑さを回避して分かりやすさを求める思考の型がある」と述べる。 当認知心理学教授は「科学の方法論や人はだまされやすいという心理学などを正しく疑う態度や知識を養うことが重要。」とも述べている。
 (以上、朝日新聞記事より一部を要約引用したもの。)

 一旦、原左都子の私論だが。

 要するにこの朝日新聞記事の論点主旨とは、最後の部分の「疑似科学に騙されるな!」の部分にあったのでがなかろうか?
 この記事内では、先だって6月に乳がん闘病の末に34歳で亡くなった小林麻央氏にも触れていた。 何でも麻央さんは、自身のブログで気功や温浴療法などの代替医療を受けている事に関しても記述されていたとのことだ。(申し訳ないが、原左都子は小林麻央氏を含め著名人のオフィシャルブログとやらをただの一度とて訪問した経験がないため、コメントしかねるのだが……) この麻央氏の記述も「疑似科学」的だと指摘されている、との朝日新聞の記述だ。
 もしも各種サプリメントやトクホ食品等々、現在世に溢れる程に乱売されている商品群等のセールスポイントである「疑似科学」に騙されそうな国民が多発している現状なのであれば…。 
 まさに某認知心理学教授がおっしゃる通り、「人間には健康や人類の幸せなど、予期せぬ出来事をコントロールしたいとの心理や、複雑さを回避して分かりやすさを求める思考の型がある」傾向があるのだろう。

 それよりも、元「科学者の端くれ」を自称する原左都子として一番に議論対象としたいのは。

 まさに前半部分の、(「疑似科学」ではなく、真正の)「科学」に於いて、再現・説明不能な事例が増加する現象を辿っているとの事実だ。
 上記朝日新聞記事内の「科学哲学」ご専門の某准教授がおっしゃる通り、科学とは「時代や倫理など様々な制約条件下で、最も信頼できる手法を用いて情報を生産する営み」と捉えられるべきである事は歴然だ。
 「研究対象によって『信頼できる』の内容は変わり、再現性、還元性、反証可能性などはその基準となる。 逆に『信頼できる手法があるのに用いないなら、疑似科学ということ』」と述べられている部分に、私は賛同申し上げる。
 
 要するに、小保方氏らによる「STAP細胞改ざん・捏造事件」など、まさに「信頼できる手法があるのに用いず、安易に発表に踏み切った」典型例であり、この事件が科学として否定された決定的な要因だったと振り返る。

 更には、朝日新聞記事の前半部分に、「研究室が引っ越して実験を再開すると従前のデータが出なくなる事がある。また対象が微細になる程、培養皿の揺すり方や培養液の注ぎ方など操作の細かい違いに影響を受け易い。」 なる再生細胞研研究所教授よりの談話が掲載されている事実も気にかかる。

 過去に医学研究に携わった原左都子からの指摘だが、それならば幾度も幾度もその実験を繰り返すことを実行し、数多くのデータを蓄積して後にそれを発表してはどうなのか!?? なる疑問符が湧き出る。 
 私自身、若き頃にはそうして来た。 そうせねば気が済まない性格だった。 実験過程に於いて、科学者の端くれとして苦労の上に苦労を重ねてきた歴史があるのだ。 培養皿を揺する過程に問題があったと思うのならもっともっと揺する実験を繰り返せばよい話だし、培養液の注ぎ方等々操作の細かい部分を数知れぬ程に再現した後に、公開実験結果としてものを言って欲しい気がする。
 一体何度それを実施した上でこの研究機関は再現性や還元性の結論を出したのか?!? と問いたくもなる!

 おっとっと。
 自分自身は既に「科学者の“端くれ”」すら卒業している分際で、言い過ぎた部分があった事はお詫びしよう。
 ただ、今回偶然見た朝日新聞記事が我が脳裏に「科学者の端くれ」だった過去の事実を思い起こさせてくれ、この記事を公開するに至れた事には感謝しよう。 

 (以上、本エッセイ集2017年著のバックナンバーより全文を引用したもの。)




 ああ、これねえ。

 今から7年程前に記して公開したエッセイだが。
 <現在の私の脳内記憶から「科学(特に自然科学)」がすっかり抜け落ちてしまっているのが残念>との記述があるが。

 2024年の今現在の我が身を思えば。
 2017年のこの頃は、未だ「科学者の端くれ」としてのプライドが我が内面に輝いていた時期であり。 
 その身にしての“本気度100%エッセイ”として整然とまとまっているのに、過去の自己を羨望させられたりもする。

 上記2017年公開の我がエッセイより、特筆したい部分の一つを繰り返すと。
 <要するに、小保方氏らによる「STAP細胞改ざん・捏造事件」など、まさに「信頼できる手法があるのに用いず、安易に発表に踏み切った」典型例であり、この事件が科学として否定された決定的な要因だったと振り返る。>
 7年前にはこの論評が出来ていたんだ!、と今現在の我が身(というよりも脳内状況)が情けなくなったりもする…  😫 😭 
 

 まあ、そういうふうに人間とは年老いていくのが必然の運命なのであろうが。

 それにしても、そんな時代に記して公開したエッセイの一つを思い起させてくれた、AI・Copilotさんに改めて感謝申し上げておこう。


高齢者マッチングアプリでスキマバイトしてみたいかも?!?!

2024年08月25日 | 仕事・就職
 冒頭から、最近見た朝日新聞記事「高齢者マッチングアプリでスキマバイト」の一部を、以下に要約引用しよう。

 好きな時間に、日替わりの現場で短時間働く「スキマバイト」が、高齢者にも広がっている。 背景には高齢者の「働きにくさ」と、社会の人手不足がある。
 東京都の某70才の女性は、約1年前半まえからほぼ毎日、スキマバイトのマッチングアプリ「タイミー」を使っている。 既に出勤は480回。65歳以上の登録者の中で突出しているという。 仕事は1日平均4時間。 飲食店の皿洗いやスーパーの品出しなどを担う。
 2年程前に求人雑誌等で必死に仕事を探したが、なしのつぶて。 面接に行っても採用されず、数カ月間みつからなかったことがきっかけ。 今恥取り暮らしで家にいるが、何もしないでいると社会からの疎外感を感じ、体が衰える不安もあった。
 アプリの某運営会社が提供するのは飲食店などの雇い主と働く人を繋げるマッチングサービス。  (中略)
 女性は、体調や都合に合わせて、黙々と手を動かす仕事を中心に選んでいる。 毎回異なるしょくばに初対面の雇い主。 ストレスは少ないが、たまに6,7時間働くと、疲れで「よろよろ」になって帰る日もある。 バイトでの月10万円程度の収入は、生活費や猫の餌代に。 「年金だけでは生活していけないですよ。」 より良い条件の仕事を見つけるため、他のマッチングサービスにも登録したいと話す。 同社によると、今年3月時点で65歳以上の登録者数は約5,1
万人と、1年間で2,1倍に増えた。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 ここで、原左都子自身の「職業経験」を振り返ってみよう。

 やはり「医学専門職」こそが主軸となる我が職業経験だったが。 婚姻後の理化学研究所等からのアルバイト採用も含めて、20年程の年月それで生計を立ててきたと言えよう。

 独身最終時期に、公立高校にて「高校教諭」も経験している。 
 これに関しては、私学から依頼があった「非常勤講師」時代も含めると7年間それに携わったことになる。

 ついでに言うと、郷里の医学部学生時代に夏季休暇中のアルバイトとしてウエイトレス経験もある。  これは、1年と2年時の夏季休暇中のみのため短期間経験だったが、当時はまさに若気の至りで実に楽しかったものだ!

 あるいは 2度目の大学生時代の食い扶ちとして、夜間や休日に短時間で高給が稼げる「ラウンジコンパニオン」や「パーティコンパニオン」も頑張った。 
 サービス業であるこの職種により私は学ぶべきものが大いにあり、お陰で一人間としての成長が叶ったと評価する。 この経験無くして、我が現在の人格の程が築けなかったと自負している。 だからこそ、高らかにその経歴を語る人生だ!

 まだあるぞ。
 郷里の医学部生時代の「家庭教師」。 これなども近所での評判が高く、「我が家の子どももお願いしたい!」なる保護者からの希望が絶えなったものだ。 私が卒業した高校に子供を入れたい、との保護者の要望に添えた事を思い起す。

 
 
 高齢域に達している現在、時折、何でもいいから仕事がしたい!、なる要望が我が老体から湧き出て来ることがある。

 それを、60代間近い時期に2度実行に移したりもした。
 現在の住居地である自治体の教育委員会が募集していた「不登校指導者」とやらに応募して書類審査に合格し、当該教育員会へ面接に出向いた経験があるのだが。
 その面接時に、「私は、不登校肯定者です! その観点から是非生徒指導をしたい!」なる我が意思を高らかに述べたところ、2度とも即刻不採用となった… (本エッセイ集バックナンバーにて、公開済みです。)
 教育委員会の旧態依然とした教育方針に愕然としたのみで終わった就活(終活)だったなあ。 



 それにしても、冒頭に紹介したマッチングアプリでスキマバイトを現役でやっているとの高齢女性が、本気で羨ましい限りだ。

 今後機会があれば、原左都子もそのマッチングアプリ・スキマバイトに登録してみたいなあ!
 (上記の如く 職業経験が豊富な人材ですので、お役に立てるかも!?!?)