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原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「子供に課せられる奨学金地獄 某高校現場でのその指導の実態」

2025年06月06日 | 教育・学校
 冒頭表題の教育・学校カテゴリー記事は、2019.03.05付で原左都子エッセイ集にて公開済みのエッセイだ。

 このエッセイが、6年の年月を経て本日(2025.06.06)の「原左都子エッセイ集」内で1000PVを超えるアクセスを記録していた。
 それを昼過ぎに発見した私は、その表題のマイナスインパクトの大きさに驚き すぐに読み直してみた。
 そうしたところ、やはり学校現場における「奨学金」を巡る動向は現在も変わらないかどころか、マイナス面が増大してしまっているのではないか?!? なる大いなる懸念を抱かされざるを得なかった。


 そこで 本日は当該バックナンバーを、以下に再掲載させて頂くこととした。
 それでは早速当該バックナンバーの全文を、以下にコピーして再掲載します。

 私は本エッセイ集に於いて、“奨学金”をテーマとしたエッセイを何本か綴り公開している。
 それらエッセイに於ける共通した我が信条とは、「可愛い我が子に後々まで“奨学金”なる借金を背負わせることなく、子供の学費は親こそが負担せよ!」との一言に尽きる。

 以下に、比較的最近の2019.01.08 に公開したバックナンバー「何故、可愛い我が子に“奨学金”との借金を背負わせる?」 より、私論を述べた部分を再掲載させていただこう。

 本エッセイ集にて再三“子供の学費”に関する私論を公開しているが、私は断固として「子供の学費は親こそが負担するべき!」と主張する派だ!
 その私見に関して綴ったエッセイバックナンバーが何本か存在するが、そのうち、2012.04.05バックナンバー「子どもの学費は親の責任に於いて負担するべき!」の一部を以下に再掲載させていただこう。
 私論としては子どもの学費とは親が支払って当然と考える。
 どういう訳かこの国の親どもの中には、自分の愛車を購入・維持する費用や携帯電話(現在はスマートフォンであろうか)を家族皆が持つ事こそが、子どもの教育費や義務教育過程の給食費を支払う事よりも重要との位置付けの人種が数多く存在するようだ。
 親とは決してそうではなく、愛車を売り払ってでも携帯電話を解約する等自分自身を多少犠牲にしてでも、可愛い我が子の教育費支出を最優先するべきではないのか! (との内容の記事を既に何度か公開している。)
 今回の我がエッセイに於いては、大学生の学費に関して私論を述べさせていただく事を主眼とする。
 私事になるが我が娘が今春(2011年)入学した大学に於いても、なんと!4割にも上る学生が学費を各種「奨学金」に頼る現実との大学からの説明であった。 その「奨学金」を将来返済するのは卒業した学生本人であるらしい。 すなわち“出世払い”とでも表現できよう。
 この現象とは好意に解釈するならば、学問意欲や将来の就職の安定を我が身の事として自覚できている自立心旺盛な学生達が、親の経済力などに頼らず奨学金を利用してでもその道を極めたいとの“美談”と解釈できるのかもしれない。
 この現象を大学経営者である法人側から考察するならば、学校法人経営維持発展のため入学生に「奨学金」に依存させてでも定員以上の学生数を揃えたいとの、(特に私立)大学側の差し迫った事情もあろうか?
 ところがもっと厳しい現実問題として、この奨学金の返済滞納者が増えている実態でもあるようだ。
 日本学生支援機構に於いては、現在1万人を超える滞納者登録があるとのことだ。 その滞納が9ヶ月以上に及ぶと、奨学金返済を求めて裁判所に督促を申し立てられる運命となるようだ。 
 そのような厳しい「奨学金」制度の現実を招いている諸悪の根源とは、現在の「奨学金」とは名目のみで、その実態は「教育ローン」に他ならない程の高金利を課せられる事実との報道も見聞している。
 この現状では、現行の「奨学金」とはもはや「奨学金」とは呼称できない事実であろう。 子どもの学費を「奨学金」に依存し、その返済を子どもの“出世払い”に頼る親達とは、そんな厳しいこの世の現実を理解した上でそうしているのであろうか?? ( 中略 )
 可愛い我が子を大学へ入学させたい等々、子ども達に出来得る限りの高等教育を身につけさせたい親の思いは我が身を通じて重々理解申し上げる。 そうした場合、親の役割としてはまずその「学費」こそを確保することからスタートするのが常識なのではなかろうか?
 もちろん子ども達の個性はそれぞれであろう。 自立心旺盛に育った子どもの場合「奨学金」を頼ってでも大学へ入学して学問を探究したい!と親に訴えることでもあろう。 そんな健気な我が子に親が甘えて済む話なのだろうか? 
 少なくとも、現在の各種「奨学金」制度が於かれている厳しい現実を親の立場として認識する事から始めるべきだ。 現在の親の経済力の範囲内でその奨学金の返済が将来ままならない状況下を想定できたにもかかわらず、子どもの“出世払い”で大学へ入学させたとすれば、それは一種の“子ども虐待”と私は結論付ける。
 この厳しい経済情勢の中、我が娘と同じ大学に入学した学生の4割が“出世払い”の「奨学金」に頼っている現実である。 もしかしてそれら学生達が近い将来就職難にあえがないとは限らない。 その場合、この国の「奨学金」制度とは親の責任を二の次に位置付け、現役学生達に更なる厳しい道程を歩ませるべく魂胆の上に成り立っている“弱者虐待ローン制度”との結論となろう。
 冒頭に紹介した東京都千代田区の場合、奨学金返済援助職種を “保育士と介護職員” に限定しているようだ。 これらは区側にとって必須職種であろうし、しかも厳しい労働条件下の現場で働く職員を支援せんとの意思は尊重したい。
 ただその内容を読むと、その援助金額が10年間限度で総額がたったの240万円とのこと。 単純計算すると年間24万円、月額2万円の援助だ。 この少額の学費を、どうして親が可愛い子供に出資してやれないんだ?!?  しかもこの種の親程、可愛い我が子の働き・稼ぎに自身の生活や老後を依存せんとしている軟弱さ・愚かさであることが想像出来てしまい、実にやるせなくもある…。 
 更にはこの類の親ほど、(上述のごとく)自分の愛車を購入・維持する費用やスマホを家族皆が持つ事こそが、子どもの教育費や義務教育過程の給食費を支払う事よりも重要との位置付けなのだろう。
 世の子供を持つ親達よ。
 真に我が子が可愛いならば、その子の学費負担は“最低限”親の経済力で成すべきだ!
 その手段とは世の貧富の格差にかかわらず幾らでもあるはずと、私は推測・期待する。 とにもかくにも自分が産んだ可愛い子供の教育費くらいは、親の責任として負担して当然!、と私は今後一生に渡り主張していきたい!!
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより引用したもの。)

 さて、我が「原左都子エッセイ集」を通じて応援メッセージやメールを頂いたり等々の手段で、長きお付き合いが続いている方々が全国津々浦々にいらっしゃる。
 昨日、その中のお一人であられる現役高校教師先生より、久しぶりにメールを頂戴した。
 その教師先生(以下E先生と呼ばせていただくが)が、ありがたくも我が「奨学金」に関するポリシーに同意下さったとの事だ。
 E先生は現役教師の立場で昨年「奨学金係」を担当され、そのご体験に基づいた貴重なご意見をメールに記載して下さった。

 そのご体験及びご意見を以下に転載させていただくこととしよう。(E先生より掲載許可を頂いております。)

 本校から進学する生徒の半分くらいは日本学生支援機構に申し込みます。
 勤務校は経済的に厳しい家庭が多いため仕方ないと考えていましたが、その多さには改めてびっくりしました。
 驚いた事、感じた事を挙げてみると
 ①書類を持ち帰っても保護者が内容を読み込むことが出来ない。提出書類がそろわない、記入漏れが多い。
 ②借りる金額は3~5万円くらいを想像していましたが、中には8万以上も。
 ③無利子と有利子があるが、条件さえクリアすれば希望した全員が無利子を借りることが出来た。
 ④給付型(返還不要)に申し込んだ生徒も全員通った。(校内選考をしましたが)
 ⑤親御さんの収入が想像以上に少ない中で、生徒はよく頑張っているな・・と感じました。
 ⑥機構と保護者の借金の手続きの仲介をしているようなもので、これが教員の仕事だろうか。などなど

 補足
→①記入量が多く、また色々なパターンがあり(最近転職したなど)学校へ記入方法の電話がかかってくるが、係で分からない場合機構へ電話をかけて説明してもらうが機構へはなかなかつながらず、大変でした。
→②授業料は親が出すが(一括払いなので)、生活費(仕送り)はほとんどしないのか。
→③無利子はかなり条件が厳しいと想像していたが意外でした。ただ、無利子がかりられても、無利子の上限でも足りないので、あえて有利子を希望する場合もあった。
→④昨年から始まりました。本校の枠2名を申し込んだところ、2名とも許可が出ました。高い成績と厳しい経済状況という条件はありますが、ありがたい制度です。
→⑤書類のチェックの時に、収入を係に見られることに抵抗感はないのでしょうか。
→⑥すべての保護者から質問が来ると対応しきれないでしょうから仕方がないと思いますが、学校業務とは感じられませんでした。(せめて事務室)

 まず、無利子、有利子(超低金利)でどんどん貸してくれるということはものすごくたくさん資金があるのでしょうか。返却できない人が増えているのだから、慎重に貸すべきではないのかと不思議に思いました。就職後、毎月借りた金額の4分の1くらいを返還するようになりますが、アパートでも借りて住むようになるときついでしょうね。
 よく聞くのは転職したり給与体系が変わったり、病気で仕事をやめたりしたら、とたんに返せなくなるようです。
 生徒本人が30代半ばになったころは親御さんも定年を迎えたころになるので破産の連鎖が起こるという新聞記事も印象に残りました。

 親御さんとしては、自分で返すお金だから大切に有効に使ってくれる、と期待しているのかもわかりませんが8万円も子供に借りさせる親御さんに、そのような教育はできてないでしょうね(笑)
 美容系、ネイル、声優・・・、将来の収入に不安がある進路に進む生徒が本当に心配です。

 尊敬する先輩の先生が3年の保護者の前でよく言ってました。
「保護者がお子様の進路実現のためにできることは、経済的な援助です。それが最も重要です。」
「懇談で、我が家は経済的に厳しいので国公立へ行ってもらいたい、自宅から通ってもらいたい・・・。とよく聞きますが
それは親御さんの事情でしょう、お子様に何の責任がありますか? そのためにお子様の希望進路の道を断つのですか?」
 少し過激な発言とは思いますが、その通りだと思います。

 子供に大借金を背負わせてまで進学させるのはかわいそうですね。

 奨学金とは別ですが、今メールを書きながら自分の大学時代のことを思い出しました。
 周囲に授業料全額免除、半額免除を受けている人がいました。「お前も申請出せば、半額免除なら通ると思うよ」
 それで自分としては数万円でも浮けば親の負担がなくなるかな、お小遣いが増えるかな、という安易な気持ちで、そのことを父親に相談しました。 父は特に理由は言いませんでしたが、険しい顔で「そんなことをする必要はない」と一言それだけ言いました。
 後で思いましたが、父親のプライドのようなものを傷つけたのかなと反省しました。
 
 (以上、現役高校教師E先生より頂戴したメールより転載させていただきました。)

 最後に、原左都子の私論に入ろう。
 その前に、E先生へのメッセージを記させていただこう。
 E先生、この時期学校現場は学年末の超多忙な時期であることと想像して余りあります。
 そんな大変な中、「原左都子エッセイ集」をご訪問下さり、「奨学金」に関する貴重な学校現場での実態をお伝えいただきました事、実に嬉しく存じます。
 E先生からのメールのお陰で、学校現場に於ける奨学金を巡る保護者や生徒、そして貸す側の学生援助機構の実態が手に取るように理解出来ました次第です。
 特に私が印象深いのは、生徒が自力で奨学金を借りて一体何処へ進学するのかとの記載です。
 美容系、ネイル、声優・・・、 将来の収入に於いて不確実性が高い進路に進む生徒が本当に心配、とのE先生のご記載に、私もその将来性を思い心が痛む思いです… 
 加えて、学力の無い(?)生徒に「カネが無いから国公立へ行け!」なる親の無茶ぶりに関しても、何だか我が過去を辛く思い出します。  私の場合、親にカネが無かった訳でも私に学力が無かった訳でもないのですが、「長女が大阪の大学へ進学したから、お前は過疎地の自宅に残れ!」なる親の身勝手さに付き合わされた私も未熟者だったと振り返ります… (そんな親に対するリベンジもあり、私は20代にて上京し30代に再び首都圏の大学へ学費全額自己負担にて再入学、卒業・修了しました。)
 その点、E先生の親御さんはE先生が奨学金を借りようとした時に、「その必要無し!」とE先生の面前できっぱりと言い放たれたとのこと。 その事実こそが、E先生が高校教諭として成功されておられる源であるように私は感じます。
 E先生。 今後共に高校教師としてのご活躍を応援申し上げます! 
 またお時間が取れます時に、我がエッセイ集をご訪問下さいますように。

 いやはや、今後何処かの大学や専門学校へ進学せんとしている生徒を抱える高校現場で、多大なる時間を割いて「奨学金」に関し保護者や生徒に指導せねばならない立場の教員の日頃の努力・ご苦労の程が身に染みた思いだ。
 やはり未成年である生徒よりも、その保護者こそを教育し直さねばならない感覚に駆られるが。
 現安倍政権の下劣な実態をメディアにて観察するにつれ、その実現が程遠い感覚に襲われる……

 (以上、本エッセイ集2019.03公開のバックナンバーの全文を再掲載させて頂いた。)




 上記再掲載記述時点である 2019.03から、5年以上の年月が流れている2025.06現在だが。

 果たして高校現場をはじめとする学校現場の、「奨学金」の実態とは如何に移ろいでいるのであろう。

 学校の制度自体が激変しつつあり、例えば、現在においては「高校」は私学も含めて全国すべての高校現場にて「無償化」が成立している様子だ。
 と言う事は。 現時点では、(幼稚園は除かせて頂くが)私立小中学校を除くすべての小中高校において“無償化”が成立している現実ということであろう。

 今回はこれ自体に関して議論をする目的では無いため、その実態が存在する事のみを述べさせていただいて。

 今後は「大学無償化」まで議論が進むのであろうが、これに関しても未だその制度の成立が程遠いと(原左都子は)判断するため、割愛させていただこう。

 私見だが、これ程早期に「“(私立も含めた)高校無償化政策”」が実現するであであろうとなど夢にも思っていなかった身にして、驚くばかりである。😱 
 何と言うのか、この現象を手放しで喜んでいいのか?!? なる不安感すら私にはあるのだ。😷 
 もちろんのこと、全ての子ども達に「平等(機会均等)」に教育の場が与えられるべきではあるのだが。
 私論としては、やはり小中高時点では「親の責任論」を教育に持ち込むべき、なる気持ちが大きい。
 それを“安直に”(という表現は誤っているのかもしれないが)、全ての子ども達を機会均等下において、誰でもどこの家庭に生まれようが「高校までは教育費0円で行ける!」なる制度作りが、私には乱暴すぎるような感覚がある。
 いえもちろんのこと、この制度のお陰で今まで高校進学すら困難だったご家庭でも、子どもさんを高校に通わせることが叶ったことであろう。

 さて、その先はどうだろう??
 その後、進学しようが就職しようが個々人の自由として。
 今現在の時点では「大学進学」に関しても“無償化”議論が進んでいる様子ではあるが。 私の感覚では、現在の我が国においてはその結論は大いに困難、と判断する。

 そうした場合、せっかく高校までは無償で卒業できたとして。 その後の大学進学は、今まで通りかそれ以上に困難が強いられる感覚がある。 
 例えば、貧困家庭に育った子供さんが高校は卒業したが、大学進学資金がどうしても捻出できない、なる局面に立たされる危険性が高いし。 だからと言って奨学金に依存したり、アルバイトを頑張って自己資金で大学卒業を狙わねばならなかったりする羽目になるのだろう。
 それでも頑張れる意志の強い子供たちは、それを克服可能だろうが。
 私の感覚では、その種の自身の力で頑張れる子ども達は少数派と判断してしまうのだ…

 そうなると、だ。
 高校は卒業したが、その先の子ども達本人の“身の振り方”が至って不安定にならざるを得ないと想像する。

 長くなりすぎるので、この辺で終わりにしたいが。

 とにかく、「学校無償化」制度を国家が採用したのならば。
 その先の子ども達の行く末までをも視野に入れた改革を、是非とも掲げて欲しいものだ!!


「能力主義の呪縛」

2025年05月30日 | 教育・学校
 本日朝方見たネット情報を、以下にコピーしよう。


 「私アホや」小2娘が自分で頭をポカッ 父が見た「能力主義の呪縛」

 仕事中毒で能力主義の呪縛にとらわれていた――。兵庫県立大教授の竹端寛さん(50)は、現在小学3年生の娘の子育て中にそう感じたと、著書「能力主義をケアでほぐす」(晶文社)で明かしています。能力主義の特徴は「規格化」「標準化」「序列化」で、それは子どもの世界にも潜んでいると話します。同じく小3の娘を子育て中の記者(44)が聞きました。
 ――「仕事中毒」で「生産性至上主義」だったと、著書で振り返っています。
 娘が生まれるまでは、強迫観念に駆られるように働いていました。学問の世界には「書かないなら、立ち去れ」という言葉があります。単著や編著の出版や、論文執筆に明け暮れていましたし、講演や研修の依頼も断ったことがありませんでした。
 2017年、42歳の時に娘が生まれ、そうした生活は一変。最低限の仕事以外、子育てと家事に向き合うようになりました。
 ただ、X(旧ツイッター)で、同業者が本を出したとか「マスコミで取り上げられた」とか見る度に、取り残されていく感じがありました。
 ――私も、特に子どもが乳幼児期の頃は家庭にかかり切りになることが多く、仕事から取り残されていくような感覚がありました。
 でも、1日5回の洗濯をして、ごはんを作り、夜中には子どもをあやして「きょうも何もしてへんかった」って口をついた時に、妻に言われたんです。「あんた、こんないっぱいやってるやん」って。
 そういうことを通じて、生産性があると社会から承認されたことしか「やったこと」にカウントしていない自分に気づきました。内面化された能力主義の呪縛と向き合うようになったわけです。
 ――内面化された能力主義の呪縛、ですか。
 社会の中で評価されやすいのは、自己管理や時間管理の力です。社会から求められるタスクを理解し、時間内にこなす。そんな能力です。学歴信仰がよい例でしょう。受験はこうした能力が問われますし、合格は能力の証明にもなる。だから、学歴信仰はやみません。
 一方で、子育て、つまりケアとは、ままならないものに巻き込まれることですよね。家族旅行の時に娘が体調を崩し、旅先の耳鼻科に飛び込み、予約していた温泉旅館をキャンセルしたことがありました。毎日がこんなことの繰り返しです。
 そうした時、「思い通りにならない」と感じる自分がいるわけです。でもそれは、計画通り、スムーズに事を進めるという能力主義の作法に体が慣れすぎていたから感じることでもあるのです。自分が能力主義にとらわれていたのだと痛感しました。  (途中大幅略) 
 昨年、当時小2だった娘が「算数できへん、私アホや」って、自分で自分の頭をポカポカッとたたいたんです。

 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)




 この私も、我が一人娘を38歳時(亭主41歳時)に産んでいる。

 その年齢まで何をしていたかと言えば、夫婦共々お互いの専門分野の仕事に集中する日々を送っていた。 (いやいや、私の方は“課外活動”にも積極的で、夜遊びから恋愛三昧… 仕事の合間にその他諸々も堪能してきたのだが…)😝 😱 
 どうやらお互いに「結婚」「出産」なる人が通るべき道程(?)が、まるで視野に無かった人種同士だったと言えるだろう。

 我が家の場合は、私の妊娠が判明した時点で私が一旦職場(当時高校教諭だったが)を出産退職した。 
 そして娘が5歳になるまで仕事は全面的に中止し、娘の教育・育児に専念・集中して励んだものだ。 
 その後、またもや医学分野の仕事に復帰したのだが。
 娘5歳後も娘の教育指導はこの私が仕事の合間に率先して行い、塾等々には依存せずして娘大学入学・卒業を遂げさせている。 (娘のクラシックバレエ、ピアノ、造形等の習い事はその道の専門家に委ねたが。)

 そんな経歴のある私だが。

 上記引用文中にある、「当時小2だった娘が『算数できへん、私アホや』って、自分で自分の頭をポカポカッとたたいた」 なる表現を読んで、かなりのショックを受けた。
 これ、絶対的に親の教育・指導が間違っている!!
 まさに引用文中にある、「生産性があると社会から承認されたことしかやったことにカウントしていない自分に気づきました。 内面化された能力主義の呪縛と向き合うようになったわけです。」との後からの父親の発言だが。
 その通りであろう!

 引用文中の父親の、幼き我が子に対する実に嘆かわしい教育実態だった事実をみるようだが。

 その父親もその後 自身の方針の間違いを認めている様子であるため、多少救われる思いである。
 

再掲載 「杉並区立和田中学の悪あがき」

2025年04月04日 | 教育・学校
 冒頭表題のエッセイは、当「原左都子エッセイ集」初期頃の2008.01に公開した学校・教育カテゴリーのエッセイです。

 私自身が、今尚鮮明に記憶しているエッセイであり。
 また、たくさんの反応も頂戴した「学校・教育カテゴリー」記事でした。

 この事件以降、既に17年もの年月が経過した今現在。
 まさか、当時の和田中学の真似をする学校などただの一校も存在していない事実を鑑みると。
 この事件はその主犯者であった、藤原氏とおっしゃったか???
 その人物の、一時の「悪あがき」に過ぎなかった事件として葬り去られていると解釈可能であろう。



 それでは、長くなりますが以下にエッセイ本文全文と、頂戴しましたコメント全文を以下に再掲載させていただきましょう。 
 

 杉並区立和田中学は妙なことで全国的に名を轟かせてしまったようですね。在籍する生徒、保護者(特に今回の騒動の反対派)の皆さんの複雑なご心中の程お察し申し上げます。
 この報道を当初耳にした時点から、私は何と表現してよいのか戸惑うような違和感と、あまりにも安直で短絡的な教育者たり得ない発想の貧弱さに首をかしげるばかりであった。 
 この“騒動”の詳細をご存知ない方のために復習してみよう。
 東京都杉並区にある区立和田中学校は、その名の通り公立の中学校である。この“公立”の中学が民間の大手進学塾と提携して一部の“成績上位”在校生のみを対象に学校を開放し、「夜スペ」と称する夜間塾を開講したのである。開講の趣旨は“成績上位者の学力をさらに伸ばす”ところにあるらしい。
 一公立中学のこの奇妙な行動に対し、当然ながら東京都教育委員会は「公教育の観点から疑義がある」として「待った」をかけ、いったん実施は延期された。ところが都教委も意志薄弱である。杉並区教育委員会からの「学校教育外の活動」との回答を容認したのだ。 名目上、主催者を学校ではなくボランティアでつくる「学校支援地域本部」として昨日(1月26日)の開講と相なった、といういきさつである。

 昨日の朝日新聞夕刊報道によると、この“騒動”の実質的な仕掛け人である和田中学の藤原和博校長はリクルート出身であるらしい。現在一部の公立学校で流行の民間企業出身の校長だ。 ははあ、売名行為かな? と勘ぐりたくもなる 。民間出身校長の評判は賛否両論に分かれているが、民間出身者にとって公的機関は居心地のよい職場であるとは言えないのではなかろうか。(私も短期間ではあるが、その経験者である。) 事実過去において複数の民間出身学校長の自殺者も出ているくらいである。あくまで私見であるが、そんな肩身の狭い立場におかれている中、このリクルート出身の藤原校長はご自身の居場所を作るために何とか自己PRを試みようと悪あがきしたのではなかろうか? あるいは、藤原校長とその大手進学塾との間に何らかの癒着でもあるのかとも勘ぐりたくなる。

 この「夜スペ」とやら、一応月謝は取るらしい。ただし、民間の塾の正規の授業料の半額程度であるとのことだが。
 和田中学の「夜スペ」賛同派の保護者の言い分を要約すると、「和田中の今までの活動を知りもせずに今回の開講を批判するのはやめて欲しい。成績不振者には補習等の実施により手厚い保護をしてきているのに対し、成績上位者には何の手立てもしない。そんな成績上位者のために最後の助けとして夜スペを開講したのだ。」とのことである。
 ならば、何も大手進学塾と提携せずとて和田中学の教師による「補習」でよかったんじゃないの? あるいは、ご自身の子どもさんが“成績上位者”であることを自負する保護者の方々、そんなに塾がお好きならば半額などとせせこましい事を言ってないで正規の授業料を払って、個々に子どもさんを民間の塾に入れてあげたらそれで済むのではないのか? 実際、和田中の生徒の中にもこの「夜スペ」を利用せずとも既に個人的に塾通いしている生徒は少数ではないであろう。その人たちとの公平性はどのように考えているのか? とにもかくにもこの話、外部者が聞くと腑に落ちない点が多いのだが。
 
 反対派からも様々な声があがっている。「単に塾の宣伝に利用されている。」「地域本部がやることなら何でも許されるなら、区教委はいらないのではないのか」等々…。

 昨日朝日新聞夕刊の千葉大教授の論評を紹介しよう。「学校とは本来、格差を是正するところ。学校が進学塾を認めて外部委託するなら公教育の将来はない。学校の役割と家庭や地域のやるべきことは何なのかを考えるよいチャンスだ。」

 文中でも私見は述べてきたが、さらにまとめとして私論でこの記事を締めくくろう。
 そもそも“成績上位者”“成績優秀者”って何だろう。そこから考え直すべきではなかろうか。私にとってこの議論がどうも腑に落ちないのは、“進学”という概念に社会全体がとらわれすぎているところに大きな問題があるという考え方からである。子どもにとって人間にとって“いい学校へ行くこと”がそれ程すばらしいことなのであろうか? このブログの教育・学校カテゴリーのバックナンバーをお読みいただければ一目瞭然であるが、私は偏差値偏重教育に感化され過ぎている現状の社会を嘆き続けている。人間の目的は決して“いい学校へいくこと”ではなく、心豊かに暮らすことではないのか。科学、学問、文化等に触れる中でひとりひとりがそれを生活するための糧とし(すなわち労働に結びつけ)、生きることのすばらしさを見出し、心豊かに生きていくことが人間の目標ではないのか。そのためには、子どもの頃に“学習”をすることはもちろん不可欠ではある。
 小中高における公教育の役割とは決して“優等生”の輩出ではなく、学習する意欲の育成であると私は考える。学習する意欲が身についていれば、子ども(人間)は一生に渡り自主的に知識を習得していくものである。指導者はそんな子どもを見守りつつそのサポートをするのがその役割であると私は考える。
 子どもに対し、学習に取り組ませる餌として目先にある“進学”だけを示すという貧弱な発想ではなく、もっとグローバルな視野で公教育を展開できないものなのか…。
 今回の和田中学騒動でも、結局私論の行き着くところはその辺なのである。



Comments (6)


OTTO@平成マンション物語です。

私もこの話はニュースで見ました。賛否両論いろいろあると思いますが、私は、少なくとも反対ではありません。取り組みとしては、面白いのではないかと思っています。
なぜなら、勉強をしたい子供たちにその機会を提供することは、間違いではないと思うからです。
野球だって、サッカーだって、地域のクラブに所属することもできますが、学校でもクラブ活動がありますよね。基本的には同じことかなと思います。
思いっきり勉強することも、子供達にとって、クラブで活躍することと同じぐらい大切な青春の一ページだと思います。
このところ、北京オリンピックの代表選手の選考が続いて、新聞紙上でも賑やかです。また、イチロー選手や松井選手の活躍も報道されています。
しかし、数学オリンピックの成績優秀者など全く注目を集めていません。この種目も日本の代表選手になるには、ご本人のものすごい努力が必要なのです。
スポーツだけが日本の代表ではないのですよね。
勉強の出来る子供にももっとスポットライトを当ててあげてよいのではないでしょうか?
勉強を教えるのに塾の先生を使うのはどうかという問題はあります。しかし、公立中学の先生の平均的レベル(指導方法、熱意等を含めて)は、残念ながら進学塾の先生とは比較になりません。
校長は、トップクラスの生徒さんだけを集めて授業するには、「厳しい」という判断を下したのでしょう。組合からの猛反対も当然予測されますしね。
学校の先生も塾の先生たちが如何に熱心に指導されているか、目の当たりにすれば、少しは変るのではないかと思ったりします。
また、塾の費用はとても高いです。結果の均等ではなく、機会均等という点からすれば、親にお金がなくても、半額で塾の先生に指導してもらえるならよいことだと思います。
本当にすみません。勝手な議論を展開しました。こういう反対意見も原様のブログの趣旨に合うかと思い、投稿しました。もし、合わないのであれば、消去してくださいね。
今後ともよろしくおねがいします。


私も反対ではありません (量さん)2008-01-29 10:06:42
私の住む横浜市は、公立中学校を選ぶことは難しいです。区界を超えることは実質的に不可能です。
この環境で公立中学校に特色がありすぎては正直言って面白くありません。
でももし東京都が、ある程度家庭が中学を選ぶことが可能であるならば、塾のついた中学校は私は大歓迎です。
選ばれないリスクを負っている以上、策を講じるのは当然だし、だからこそ嫌ならば来なければいい、の啖呵も切れるのです。
東京都は小学校は選べますよね。中学はどうですか?
うちは子どもの数が多いので、正直言って塾代はホトホトまいっています。兄弟割引きあるところばかりではないですし。節約で作り出せる金額ではないです。塾は基本的に斜陽産業ですから、家賃の要らない、フランチャイズや学校の夜間を利用するといった策を講じない限り単価を下げることは難しいでしょう。
また実際には横浜市でも公立中に格差は存在するので、中学校区が違えば実は家の値段が大違いだったりするのですよ。
塾に払うか、家に払うか。
安い家に住んで評判の悪い中学に入って、たかだか授業の発表で目立ったくらいのことでいじめられてハゲになるか(実話。転校が認められた)。どこまでいってもまともな道なんてありません。
一番まとも性の高い、評判の良い公立中学校は内申点では受験に不利なので、これも良し悪しです。
結果的にはこうして、非常に不健全な形で平等(・・・・?)になってるって感じです。
でも、勝利のあり得ない修羅道は人間社会の本質であり青年期に乗り越えねばならない課題でもあるから、悪ではないし、撲滅すべきものでもない。やり過ごすなり乗り越えるなりするしかないですよね。
進学それ自体に価値はないように見える、学校名それ自体にも価値はないように見える。進学しててもいい学校行っててもダメなやつっているのは確か。でも、そう結論付けていいのかしら。私は価値があると思います。
確かに人間はインプットが上手なだけではどうしようもない。教育によって技能を高め、人格を向上させ、ひと様の役に立ち人類の進歩に幾らかでも寄与することを目標とすることに喜びを感じなければいかんですよね。
たとえば人の役に立つことを、なんか損するように思っている人は結構お荷物だったりする・・・・。
高学歴でも馬鹿、と言われる人って、ほんとに頭が弱い場合もあるけど多くはこのタイプですよね。
ですが、人間は弱いものですから、所属するものとふさわしいレッテルが必要ですよ。
ちゃんと勉強している子には報いたいですよ。進学や、名誉ある学校名はその子に報いる手段としては最も安価かつ強力じゃないですか。
教育費で死にそうなわたしでも、心からそう思う。
今だから言うけど私の母親って、私の進学を望んでいなかった。私を小間使いにして、自分だけ高学歴をひけらかして、亡き父のお金を好きに使って贅沢に暮らすのがあの人の希望だった。
努力したけどどうしようもないから、母に黙って家を買って夜逃げ同然に引っ越し縁を切った。
私だけなら我慢もできる。でも子どもたちにも危険が迫ったから。
学校名それ自体に価値はない、というのはまさにこの人に言えること。
この人と同じ大学の同じ学部出た人々は、何人もの校長先生を自殺に追い込んでいる人たちです。
勿論亡き父が進学阻止を許しはしないからいやいやながら私の進学は認めたけど、家事全般私がやるのが条件だった。
私が生まれたせいで母が職を失ったからその補填、と言われ続けた。私は小学校の時から毎晩夕飯作り掃除し、週一回洗たくしてた。
塾なんていったことない。
部活もできない。
しょちゅうガッコの先生に母が変なこと(人格攻撃とか)言ったから、内申点めちゃくちゃにされもした。入試当日全科目ほぼ満点だったから何とかなったのです。
母は一日中テレビ見て、子供が読むような漫画雑誌見てたけど、私は今でも当時の流行歌一つわからない。
私は多動児だったから母も困っていたとは思う。
正常だった妹のほうが地位が上ということになっていて、彼女に殴られるなんてしょっちゅうでした。しつけする権利与えられてて。
妹が大学受験を終え、私ほどの成果が上がらなかったことをきっかけに彼らの言い分は、
「人間の価値は偏差値や学校名ではない」
に変わり、私が小間使いなのは変わらなかった。
私に「勝てない」ことをきっかけに妹は神経症になり、今やまともな状態ではありません。
私の結論は、やはり進学や学校名は素晴らしいものだと言うことです。
条件が悪い時に、これほど心の支えになるものはありません。これがあればある程度品性を保とうという気になれますし、自分にこれを与えてくれた理解者や社会に報いようという気になれます。母や妹に復讐をしようなどという外道をせずに済んだのもこれのおかげです。まあ手段は保持してあるけど。
勿論進学できず、学校名も得られずとも素晴らしい人はいますし、そういう人は尊敬しますし、わたしもそうなれたかもしれません(・・・・)。
でも、もはや借金だらけで確かな経済成長も望めず、いまだ人類が味わったことのない道を手探りで生きねばならない(先進国で生きるというのはその宿命を負うということ)わが餓鬼どもに、その道を生きろ、とは私は言えないです。
できることをできるうちにしようと考える人の割合はあまり多くはありません。親も、自治体も、民間校長も、そう考えている様子が感じられるならば私は良いと思います。こういうことってタイムリミットがありますからね。早くしないと人が減って借金ばかり増えるから。
ただ、変なことがあったらいつでも止めさせられるようにする必要はありますね。
学校を選ぶ自由があるのであればそれは保障されますから、何の問題もありませんでしょう。
長くてすみません。


Unknown (ねこまた)2008-01-29 14:29:10この騒動に対しての感想は
へぇーへんなこと思いつくねー
です。
賛成、反対は今はよくわかりません。
でも、学校の平等性について、画一の教育をすべての子供に、って言う考え方は反対です。
その子にあった教育、というのがほんとの平等だと思います。
できるコには進んだ教育を。
手助けが必要なコにはもっとゆっくり。
それが学校でできないのが問題で、どこで補うかってことですよね。
自分でお金出してやるか。
ま、いっかでほっとくか。
学校が安く外注して提供するか。
何をズルい、本来の形じゃないってみるかは
立場によるんだろーなー
人間の目的は“いい学校にいくこと”じゃないというのは大賛成!
いい学校に行ったからって、楽しく生きられるわけじゃないし…
でも、学校での普通の教育よりすすんじゃうコにもっともっと先の教育を与えることは、この考え方に、別に反してないと思いますが…


OTTOさん、量さん、ねこまたさん、貴重なご意見をありがとうございました。 (原左都子)2008-01-30 10:49:50
今回の私の記事に対し、複数の貴重なご意見をいただきましたことに感謝申し上げます。
皆さん、それぞれのご自身の生きてこられた道程や現在置かれているお立場等に基づいた理念をお持ちのことが十分伝わりました。

OTTOさんのおっしゃる「勉強のできる子にももっとスポットライトを当ててあげたい。」というご意見についてですが、私が子どもだった60年代の頃は勉強のできる子にしかスポットライトが当たらない時代でした。正直言いまして、私はずっと「勉強のできる子」のレッテルを貼ってもらい、いい思いをしてきています。その感覚は恐らく今でも私の根底に根付いているのではないかと思います。自分は“勝ち組”という心理が根強くあることは認めざるを得ません。
しかし、実社会ではそれだけではないことも様々な社会経験から学んできております。その中でも“底辺中の底辺”と言われる学校に教員として勤務した経験や、自分が産んだ子どもに出生時の事情があることなど“負け組”経験も重ね、さらにいろんな事を学びそれを乗り越えていく中で、自分の人間としての幅が広げられたと思っています。

量さん、たくさん話して下さってありがとうございます。学生時代はお互いにプライベートについてはほとんど触れませんでしたものね。量さんの思いも十分伝わりました。私は量さんと大学院で同じゼミになって、“知識が豊富ですごく頭の切れる人”のイメージを持っています。きっと家庭環境がすばらしいのだと勝手に考えておりましたが、そんなにご苦労されていたとは今回初めて知りました。人間って意外性があるものだとつくづく感じさせていただきました。

ねこまたさんは、確か私と同じくらいの子どもさんがいらっしゃいますよね。私、子どもの学校で出逢う保護者の方々と教育について語り合うことなんて皆無なんですよ。今時って、個人情報の問題もあるし、皆さん差し障りのない会話しかしませんよね。私にとってはとてもつまらなくて、今では子どもの中学が家から遠いこともあって保護者の方とはほとんどお付き合いもありません。ここまで語って下さるねこまたさんは私にとっては珍しいくらいです。また、是非ご意見を下さいね。

私の教育についての考えについては、既にバックナンバーでもさんざん好き勝手を述べていますのでここでは繰り返しませんが、今回は皆様から熱いコメントをいただけたことにお礼を申し上げたく思います。
ちっとも返答になっておらず申し訳ございません。
またのお越しをお待ち申し上げております。
 返信する

Unknown (匿名)2008-02-02 18:51:20原さん頑張れ。
私もこの学校のやり方に疑問を抱かずにはいられません。
平成マンション物語さんは何が言いたいの?
もしかしてこの塾の受講生が頭がいいとでも言いたいのですか?
なんで世界を舞台に活躍している人を持ち出すのか?
そこまで優秀な人材のための塾ですか?
成績のいい子は、そんな塾しなくても、じゅうぶん平常の学校の授業でスポットを当ててもらっています。
もう少し現実に目を向けた方がいいですよ。
この塾のせいでどれだけ現場が混乱しているか。
成績の結果、学力の高い子や、そうでない子がでてくるのは結果ですからいいですけど、結果の前に格差をつけてこのような取り組みをすることは、公立中のやることではない。返信する

匿名さん、ご賛同意見をありがとうございます。 (原左都子)2008-02-03 09:38:17匿名さん、よくお越し下さいました。貴重なご意見をありがとうございます。
大丈夫です。私の教育に対する基本的理念には何ら変わりはありません。
バックナンバーでもさんざん述べていますが、私はそもそも塾の教育力を疑問視しております。(バックナンバー学校・教育カテゴリーの「塾の教育力のレベル」等をご参照下さい。)受験に合格させる指導を「教育」とは言わないでしょう。塾は民間企業ですから、自由競争の下勝手な経営をすればいいのであってそれをとがめるつもりは毛頭ありませんが、公教育現場への出没はやはり否定されるべきです。
匿名さんは、もしかして和田中の関係者の方でいらっしゃいますか? いずれにしましても、現場の混乱は察っするに余りあります。混乱を沈めるべき立場の学校長が、自らまいた種で公教育現場をこれ程混乱させた責任は何らかの形で取るべきと私は考えています。
匿名さん、ありがとうございました。また、お立ち寄り下さい。



 以上、長くなりましたが。

 我がエッセイ集初期頃のバックナンバーより、再掲載させて頂きました。
 

「色を、奏でる」

2025年04月03日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、2025.04.02付朝日新聞夕刊記事「色を奏でる 楽譜は読めない 自閉症の10歳のピアノ」より転載したもの。


 早速当該朝日新聞記事を、以下に引用しよう。
 
 大阪市の小5 ゆりさん(10)がグランドピアノに向かう。 (中略)
 ゆりさんは楽譜は読めない。 音符に色を塗り、色彩で曲を覚える。 ドは赤、レは黄、ミは緑… 4月のリサイタルに向けて練習に励むベートーベンの「ピアノソナタ第5番」等々、十数曲に及ぶ難曲が頭に入っている。
 3歳の時、プレ保育に通い始めたゆりさんの様子は、周りの子と少し違っていた。 
 言葉はオウム返し、手洗い場でずっと水遊びをやめられない。 その様子を見た園長は、ゆりさんの母に「検査を受けては」とすすめ、自閉スペクトラム症と診断された。
 ゆりさんの小さな夢は、ピアノを弾くことだった。 自閉症の子供を教えた経験がある音楽教室の講師のもとで、ゆりさんはレッスンを受けることになった。
 最初は鍵盤に「音」があるのを理解するのも難しかった。 それでもゆりさんは、鍵盤に向かう事をやめなかった。
 5歳の頃のゆりさんは、ピアノを弾いたり、楽譜を見たり、レッスンをすることが幸せだと答えた。
 体験レッスンで、ピアノの先生が「素直な音がでています。すごく上手になると思います」と言ってくれた。
 それから5年。 ゆりさんは今も楽譜を目で追いながらピアノを弾くことはできない。  それでも、ゆりさんのピアノの先生は、言う。 「ちょっとのがんばりでできることを積み重ねることを大事にしたい。」 「障害の影に隠れて生きるのではなく、日の当たる場所で大好きなピアノを弾いて欲しい」
 ゆりさんは将来、「ピアニストになりたい」と言う夢を描いている。 
 そのまっすぐな気持ちを後押しするのが、家族の願いだ。 「小さな夢」は「大きな夢」に変った。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 原左都子が最初にこの新聞記事の「譜面」を見た時には驚いた。
 「何なんだ、この落書きだらけの譜面は!!」と。

 よーーーーく見ると、たしかに「幻想即興曲」の譜面ではないか!!
 
 そして、後で思った。
 この譜面を見ながらピアノ演奏する少女のその楽曲を是非聴かせていただきたいものだ!!

 この少女は、この色鉛筆で色を塗りたくった譜面を見てそれを暗譜して、演奏に励んでいるらしい。


 話題が大きく変わるが。
 我が一人娘も、幼き頃より「発達障害」を抱えていた。
 元々医学者であり教育者でもあったこの私が、それに気づくのは早かった。 
 すぐに 当時のそれの専門機関に相談に訪れ、娘の支援に励んだものだ。 
 ところが、未だ「発達障害」に関する世の熟知度が進んでいなかった時代背景でもあり、結果として早期に専門機関の指導は中止して。 
 その後は、母の私の教育力一本で我が娘の成長を支援してきたと言える道程だった。

 その成果があったのか。
 一応我が娘は、大学(結構世に名の知れている私立大学ですが)進学が叶い、卒業後は現在に至るまで自身の専門分野にての就業が叶っている。
 しかも自身の希望により 4年程前に家を出て、単身生活を営んでいる娘でもある。

 親馬鹿ながら、我が娘も「自身の色を奏で」ながら人生を歩めていると言えそうだ。😃 
 その意味では、我が子育てもまんざら誤ってはいなかったと結論づけられそうで、今は安堵している。


我が娘の子ども時代も何らの“授業無償化”政策は無かった…

2025年03月29日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、2025.03.26付朝日新聞・しりあがり寿氏作 漫画 「地球防衛家のヒトビト」より転載したもの。 写真が横向きになっている旨、お詫びします。)


 原左都子の娘(現在31歳です)が児童生徒・学生時代だった頃より既にかなりの年月が流れているが。
 幼稚園、小中高、大学時代をいくら振り返っても、「授業料無償」の恩恵に授かったことはただの一度も無い。
 まあそれで困惑したことも無かったため、何ら問題無かったと言えばそうなのだが。

 娘が小学生時代に、学校を管轄する役所より毎年親の年収調査紙面が配られて、それに回答して学校に提出したことを覚えている。
 あれは一種の児童生徒救済策として、年収が低いご家庭の子どもを救済する制度の一端だったことであろう。
 あの紙面を見ると、リアルに親の年収が記載されていたのを記憶している。 それを児童生徒に配り家庭に持ち帰って、親がその内容が正しいか否かを確認した記憶があるが。
 何と言うのか、そんなものを幼い児童生徒に手渡すことが安易過ぎやしないか?? なる疑問符を抱かされたものだった。

 我が家の場合は、娘中学校から私学進学を選択したためか、その後はその種の書面が配られた記憶は無い。


 
 話題を、表題に移そう。

 今現在、まさに世は「学校無償化」方向に著しく動いている。
 それは教育界の進化と認める私だが。

 実は 冒頭漫画のお母上同様の、「どうして我が子が遠い昔に卒業して後に、こんな無償化制度が出来たの??」なる多少の違和感を抱いたりもする。
 (我が家は子ども幼・小・中・高・大学とすべての授業料を親が支払う運命にあったぞ!)なる、多少せせこましい感覚に襲われたりするのが正直なところだ。😜 😖 
 
 いや、実はこの「学校無償化問題」は、それ程単純な問題ではない事実を理解出来ているにもかかわらず。



 ここで、ネットより「高校無償化」に関する一情報を以下に引用しよう。

 高校無償化とは?…公立は授業料相当額・私立は一定額を支給、新年度から所得制限撤廃 2025/02/25 22:00

 Q 高校無償化とは。

 A 高校生のいる世帯に対し、公立の場合は授業料相当額、私立の場合は一定額を支給して授業料負担を軽減する制度で、授業料全額が支給でまかなえれば実質的に無償化となる。
 民主党政権だった2010年に就学支援金制度が創設され、高校のほか、高等専門学校(高専)の1~3年や職業能力育成のための専修学校高等課程、特別支援学校高等部など、高校相当の学校も対象となっている。
 現行法では、高校生のいる年収910万円未満の世帯に、公立私立問わず年11万8800円が助成され、私立に通う低所得世帯には支援金が上乗せされている。東京都や大阪府などでは、独自に支援金をさらに上乗せしている。
 Q 自民、公明両党と日本維新の会の合意内容が実現すると、制度はどう変わるのか。
 A 25年度は、11万8800円の支給に対する所得制限が撤廃され、326万人の高校生(23年度現在)全員が対象となる。26年度からは、私立高生向けの上乗せについても所得制限が撤廃され、私立高授業料の全国平均額にあたる最大45万7000円を助成することになる。上乗せ支給の対象者は、高校生全体の約4割となる約130万人に上る見通しだ。
 Q 追加で必要となる財源は。
 A 25年度は1000億円程度が必要で、政府・与党は基金など一時的な財源を活用する方針だ。26年度以降は年4000億円程度が必要となる。
 Q 課題は。
 A 私立高向けの支援が拡充されることで、公立高離れの加速や、私立高の授業料の便乗値上げを懸念する声がある。子育て世帯の負担軽減に効果がある一方、高所得世帯も支援対象とすることへの疑問や、どこまで教育の質の向上につながるかが不透明だといった指摘もある。

 (以上、ネットより一情報を引用したもの。)



 最後に、原左都子の私見を述べよう。

 こんな「無償化制度」が皆無だった時代に、一人娘の我が子の子育てが無事に終了したことが幸運にすら思える気もする。
 娘を無事に大学まで卒業させることが出来、その娘が今尚社会で自身の専門を活かせる職場にて活躍中であるからこそ、そんなことが言える立場である事は自覚しているが。

 確かに世は、様々なご家庭が子供を産み育てておられることであろう。

 そんな多様なご家庭に生れ出た子供たちの皆が この「教育無償化制度」により、将来的に社会的活躍を遂げられるべく視点に立った制度であることを望むばかりだ。