原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

地産地消の “阿波会席料理”はいかが?

2014年08月30日 | 旅行記・グルメ
 (写真は、今夏郷里帰省時に宿泊したホテルで食した“阿波会席料理”の一品を撮影したもの。)


 昨夜遅く、郷里より航空便にて我が家に帰省した。
 
 今回は航空便の座席に於ける不運に遭わずに済んだ事が何よりだ。(参考のため、前回帰省時には機内座席に関してとんでもない不運に遭った事態に関して、2014.3.1バックナンバーにて公開しておりますのでご参照下さい。 参考ですが、我がエッセイ集人気バックナンバーの一つです。)

   
 ところが今回は、離陸時の不具合に遭遇するはめと相成った。
 定刻通りに空港を出発した機体だったはずが、我が郷里過疎地との混雑が一切ない空港施設内にして、「現在離陸の順番待ちをしています。」なる客室乗務員氏のアナウンスに驚かされた。 
“順番待ち”??  この過疎地空港ではあり得ない話だよなあ…。
 と不信感を募らせていたところ、案の上、航空機が離陸障害を起こした模様だ。

 「離陸体制に入りました。」との乗務員アナウンスの後、程なく航空機が急加速し始めた直後ブレーキをかけたような衝撃があり、その後再び急加速の後再度ブレーキがかかった後、機内アナウンスが入った。
 「離陸に関して危険信号が点灯したため一旦取りやめました。 現在危険信号に関して調査中ですのでしばらくお待ち下さい。」
 そのアナウンスの直後に我が脳裏に浮かんだのは、(こうやって航空機事故とは発生するのだなあ)なる悲壮的感覚である。   それ以前の楽観的視野課題として、今夜はフライトが叶わない事態を想像し、娘と共に近くのホテルにもう一泊しようとも目論んでいた。
 そうしたところ乗務員氏からのアナウンスによれば、「離陸危険信号に関して調査した結果、問題がないことが判明しましたのでこのまま離陸します。 乗客の皆様には心配をお掛けした事をお詫び申し上げます。」
 このアナウンスこそもっと怖かった。  それを信じられる人種は救われるだろうが、天邪鬼の私など一瞬死ぬ覚悟の腹をくくり、まさかの時には娘のみを助けられるべく救命器具保管場所の再確認を実行した。

 それでも、意外と航空機とは素人判断よりも持ちこたえられる様子だ。 無事に羽田空港に到着し難無きを得た親子である。
 ただ、航空機事故とはこの種のトラブル多発機体を航空会社の経営難等の事情で、更に酷使せねばならない事により発生する事態が想像できる気もするのだ。 それこそが顧客としては恐怖を煽られる元凶でもある。 (参考のため、今回我々が搭乗したのは安倍政権現在ご用達の ANA なのだが。)

 

 ここで話題をガラリと変えて、表題に掲げたテーマに戻そう。

 我ら母娘の帰省時には、必ず地元各地のホテル1,2泊宿泊後に実家に行くのがいつのもスケジュールである。
 今回私が宿泊先に指定したのは、地元主要駅前に近い老舗ホテルだった。

 何故そのホテルを指定したのかと言うと、このホテルで提供されている料理を食したいと考えたからに他ならない。
 それでは、そのホテルがネット上で公開している営業ポリシーの一部を以下に紹介しよう。

 ホテル最上階の「やまもも」では徳島近海の新鮮な魚介類を贅沢に使った会席料理、グループにはぞめき料理が好評です。 徳島の地酒も取り揃えています。
小鉢・前菜・造り・煮物・揚げ物・酢の物・茶碗蒸し・香の物・御飯・汁椀・うどん・デザート付
 栄養士(徳島大学)のアドバイスのもと、合計約520kcalのメニューをご用意しました。 徳島産の旬の野菜や魚、肉などを使い、カロリーは控えめながらも十分満足感のある内容に仕上げました。 成人病やダイエットも気にせず召し上がっていただけます。

 本日の小会席  小鉢・造り・天麩羅・焼き物・茶碗蒸し・食事・汁椀・香の物・シャーベット

 当ホテルの地産地消について
  ●米(徳島) ●お茶(徳島美郷)(桑茶とノブドウ茶(美郷)のブレンド茶)
  ●わかめ(鳴門) ●魚(鯛は鳴門海峡他徳島産、瀬戸内海、九州)
  ●野菜(主に徳島・四国)(マルシェ他農家直売の新鮮なものを取り寄せています)
  ●練りもの(徳島) ●卵(徳島) ●牛乳(徳島・淡路島)
  ●鶏肉・豚肉・牛肉(徳島)
  ●客室のミネラルウオーター(徳島)
  ●お昼のランチバイキングも、徳島の材料を使っています。
  ●12Fやまももでは、徳島の地酒を取り揃えています。
  ●料理人もみんな徳島生まれの徳島育ちです。


 冒頭の写真は、上記のホテル最上階「やまもも」にて頂いた “本日の小会席” の中から「造り」を撮影したもの。

 鳴門鯛がなんとも柔らかく美味だったのが印象的だ。
 その他の料理もすべて少量でカロリーバランスよく、現在(都心に程近い)大学にて食栄養学を修得中の娘は元より、元々小食の我々親子共々最後まで美味しく完食できたのが何よりだった。
 しかも「あっさり・さっぱり系が好み」との我が嗜好により、店長氏に選んで頂いた徳島地酒も実に美味しかった!

 まさに「ご馳走様でした!」との大いなる感謝の下、翌朝、我が実家に向かった母娘である。

物々交換が未だ生命を宿す郷里へ明日旅立ちます

2014年08月26日 | 人間関係
 朝日新聞8月23日「悩みのるつぼ」相談は、40代主婦による 「両親の不思議な近所つきあい」 だった。
 その相談文面によれば、どうやら相談者のご両親が他者と「物々交換」により関係を繋いでいるとの事だ。 ところがその関係を(相談者である娘さんの立場で裏から観察するに)必要のない物品を贈られているにもかかわらず、両親がそれを拒否出来ないまま、贈られた物品を捨て去っているとの事態だそうだ。

  
 この相談内容を読んで私の脳裏に真っ先に浮かんだのは、我が郷里に単身で暮らしている実母の生活実態である。

 我が母とは、この文明時代に於いて尚、日本の過疎地で「物々交換」なくして成り立たない人間関係を実行し続けている“化石のような”人物である。
 これが大都会で暮らす次女の私としても、実に鬱陶しい存在なのだ。

 私が郷里へ帰省する時には、必ずや実母から日頃お世話になっている親戚筋や近隣に住む人々への「お土産品」を要求される。  それを以前は羽田空港で買い求め郷里の実家に持参していた私である。 
 近年に至っては我が娘の成長と共に娘を郷里観光に誘いたい思いと同時に、ネットの発展に伴いパソコン画面から我が郷里へ「土産品」を前もって送る習慣が根付いている。


 ところが前回帰省した際に郷里の母が私に言うには、私が帰省前に送付した「土産物」の数が足りないとのことだ。 (だったら、最初から必要数を明確に伝えよ!!)との怒りを封印しつつ、帰省後母から発せられた言葉に心底衝撃を受けた。

 「あなたが送ってきた(東京からの)土産物の数が足りていない。 それ故に今日来てくれる宅食業者配達員の方に、娘のあなたはお礼を言える立場にないから今夏は帰省していないふりをして! 娘が帰省しているにもかかわらず、土産物も無くして言葉の挨拶だけするのは田舎に於いてはとてつもなくみっともない事実を理解せよ!」

 その母の発言に実に驚きながら、私は訴えた。
 「年老いたあなたのために日々夕食を作って運んで下さっている宅食業者さんに、日々の御礼を申し上げたいから、とにかく娘の私から口頭でお礼を言わせてよ!」

 ところが、実母の回答は 「No!!」 一辺倒である。
 「土産品なくして口先だけの御礼など、田舎では成り立たんのじゃ!!」

 たとえ過疎地の田舎と言えども既に全国区よりの影響を受けつつ、特に若い世代間に於いてはそのような旧態依然とした慣習は過去のもととして時代が変遷していると私は認識しているのだが…

 そうだとしても我が母の思いも受け入れてやるべきと志し、今夏は帰省に際し前もって数多くの東京土産を郷里へ送り届けた。



 明日から、上記記述のごとく古代人が嗜好した「物々交換」文化が未だ生命を宿している我が過疎地郷里へ旅立ち、我が実母を通じて古代文明の末端に触れて参ります?!?


 しばらく「原左都子エッセイ集」の執筆をお休み致しますが、その間、バックナンバーへの読者の皆様のご訪問をお待ち申し上げております! 

石破茂氏の安保相受諾拒否を評価する

2014年08月25日 | 時事論評
 私は断じて自民党支持者ではなく、あくまでも政治「無党派層」の立場を貫いている国民の一人だ。

 
 特に最近、安倍首相が「集団的自衛権」行使を認める憲法解釈の変更を“政府の権限”で可能にするとの閣議決定を強引に実行した事実が、どうしても受け入れ難い立場でもある。
 そんな安倍政権の異常とも思える程の暴走ぶりに、一国民としてこの国の将来が見通せなくなる程の落胆感を抱かされ、日々不安におののいている。


 ここで、現自民党幹事長であられる石破茂氏の「集団的自衛権」に対する考え方を朝日新聞より引用して紹介しよう。
 石破氏の場合も自民党員達の例外ではなく、「集団的自衛権」の行使を認める立場であることに関しては安倍首相と変わりはない。
 ところが、その行使の認め方の論理が安倍氏とは大幅に食い違っているようだ。 石破氏の場合、行使容認を法律で定め、行使するか否かの判断も政府任せではなく国会が責任を持つべきだ、とするのがご持論の様子だ。

 一旦、原左都子の私論に入ろう。
 私はそもそも「日本国憲法」擁護派であり、「集団的自衛権」行使自体に断固として反対している立場である。
 ただ上記自民党幹部二人の持論を比較した場合、石破氏の論理の方が理路整然としていると捉えられるのではあるまいか。


 朝日新聞8月24日朝刊一面及び3面記事を参照しながら、私論も交えつつ今回の石破氏安保相受諾拒否の報道を振り返ってみよう。

 8月23日、石破茂氏は今年9月の党内改造人事に於いて安倍首相が打診している安全保障法制担当大臣を受けないと決めた。 「集団的自衛権」の行使容認等安全保障政策面で安倍首相との隔たりが大きい事が理由だ。  石破氏は自民党の過去の国政選で公約に掲げた「国家安全保障基本法」を制定し、日本の安全保障の基本方針を定めた上で「集団的自衛権」を行使するべきとの考えであり、これが安倍首相の考えと大幅に異なったことが大臣受諾拒否の理由である。

 石破氏とは、2012年自民党総裁選の地方選でトップになるなど、来年(2015年)秋に予定されている総裁選で安倍首相の最大のライバルとなる可能性がある。
 それ程に党内で人気の高い石破氏をめぐり、自民党内で憶測が飛んでいる様子だ。 石破氏を支える議員の間でも来年9月の総裁選を睨み、「閣内に入るよりも石破氏は自由に動く方がいい」との声が大勢を占めているとのことだ。
 自民党内では安倍首相と石破氏との微妙な関係を取り沙汰されている様子でもあり、安倍氏は石破氏が安保相を断った場合、他のポストを提示してでも石破氏に入閣を求めるかどうかの判断を迫られている様子のようだ。
 

 原左都子の私論に入ろう。

 過去の自民党政権に於いては「派閥」の存在が物凄く、近年に至っては党内分裂は元より、挙句の果ての党幹部による「自民党離脱」劇が繰り広げられていた印象ばかりが強い。

 その茶番劇に辟易とさせられつつ、やっとこさ「民主党」が政権交代を叶えたと思ったのも束の間。
 これぞ「自民党末裔」の阿呆どもが“国民にカネをバラまく”との安易なマニフェストにより、得体の知れないチルドレン達を集め票を取ってしまった。  その後も、我が身息災の“政治資金問題”を復活させるやら、マニフェスト倒れを繰り返すやらで、あっけなく自民党に政権を奪い返された事実は皆さんのご記憶にも新しいであろう。


 ところが自民党政権が現政権を握って以降も、安倍首相の派手なパフォーマンスにも関わらず多くの国民の生活の質が向上しない事実を、特に末端国民達は日々実体験させられるばかりではあるまいか??
 各種経済統計資料によっても、実質上我が国の経済力の程は、安倍首相が高らかに語るほどの成長を遂げていないのが事実だ。

 原左都子の見聞かつ想像によれば、安倍晋三氏とは世襲で安倍家を代々引き継ぎつつ、祖父である岸信介氏(第56・57代内閣総理大臣)や大叔父の佐藤栄作氏(第61 - 63代内閣総理大臣)、父の安倍晋太郎氏(元外務大臣)を超越出来ないジレンマに陥っていたのではなかろうか??
 というのも安倍晋三氏とは、以前の自民党首相に(私よりも若き年齢で)就任した経験があるのだ。
 その当時の首相としての‘不甲斐無さ”に関して私は記憶に新しい世代なのだが、その時安倍晋三氏は体調を崩していたとの情報がある。

 そのリベンジ一色で今回自民党内“一番人気”の石破氏を振り切りご自身が首相となり、世襲により受け継いだ旧態依然とした過去の自民党の価値観に基づき、好き放題我がまま放題を国民の前で披露し続けているとの事態である。


 元々自民党を一切支持していない原左都子であることは、冒頭で述べた通りだ。

 それにしても、現在自民党内で世襲に恵まれ自分勝手に振る舞い暴走している安倍晋三氏に反旗を翻し、ご自身の意向を述べ、安倍首相からの安保相受諾嘆願を拒否した石破氏を大いに評価申し上げたい私だ!

原左都子が選ぶNHK連続テレビ小説“ワースト10”

2014年08月23日 | 雑記
 原左都子が昼の時間帯に再放送されるNHKドラマ「連続テレビ小説」を視聴し始めて、今年で20年程の年月が流れている。

 それ以前にも学校や仕事が休みの日にたまに見る事はあったが、このドラマシリーズをテレビの前に座って連続して見始めたのは、我が子が産まれた後家庭で過ごす時間が増えて以降の事だ。

 「原左都子エッセイ集」開設後は、ドラマの内容をテーマに論評エッセイを公開する機会が幾度があった。 おそらくドラマ1シリーズに付き多い時で4,5本、少ない時でも1本の論評をエッセイ集内で展開してきている。


 皆様もご存知のように、このドラマシリーズは若き新人女優(そうでない場合もあるが)をオーディションにて主役に抜擢し、半年に渡り女性の生き様をテーマに物語を展開するのが特徴である。

 そもそも新人若手女優が主役という限界があるためか、名脇役あってこそドラマに生命が宿るシーンが多いのはやむを得ないのであろう。 (主役の演技力1本で高視聴率を稼いだとも言える「カーネーション」等の例外もあるにはあるが)、現在放映中の「花子とアン」などは名脇役が光っている典型例と表現出来よう。
 視聴率を脇役の演技と存在感で稼いでいるに等しいこのドラマシリーズに、いわゆる“秀作”が少ないのも自然の成り行きと捉える私だ。


 さて、8月18日付朝日新聞朝刊に、このNHK「連続テレビ小説」が取り上げられていた。

 1961年に初めて放映された「娘と私」を皮切りに、現在放映中の「花子とアン」までのすべての作品の題目と主役女優名が図表にラインナップされていて、私も興味深くその記事を見た。
 さすがに国民皆の娯楽がテレビ中心だった1980年代頃までは、このドラマシリーズが視聴率50%越えを悠々とゲット出来ていた時代が懐かしい思いでもある。
 中でも1983年放送の「おしん」は最高62.9%の視聴率を記録し、現在も諸外国にても視聴され続けているとの快挙ドラマである。 (私自身を振り返ると、この頃は我が人世最大多忙期に差し掛かっていて、残念ながら「おしん」は後に再放送で視聴したのみである。)


 この辺で、話題を表題のテーマに戻そう。

 我が“天邪鬼”意地悪観点を余すところなく発揮せんとの趣旨エッセイであり、NHKには実に申し訳ない旨を最初にお詫びしておく。
 その上で、今回は私がNHK連続テレビ小説をじっくりと見始めた1995年以降の“駄作”を、原左都子の個人的観点より“ワースト10”としてピックアップしよう。

 ★ワースト1★  2004年 「天花」
 この頃我が子は既に小学校中学年に達していたと振り返る。 我が娘の「サリバン先生」として君臨していた母の私としては、ある程度娘の教育に余裕が持てるようになった頃であり、おそらく社会現象に対して我が持ち前の批判精神が復活しつつあった時代と推測する。
 そんな私の目に映ったのは、「天下」の主役女優の何とも“主役足り得ない”貧弱な姿でしかなかった。 モデル出身との女優氏は確かに外見はよいものの、まず声が聞き取れない。 そして主役としての存在感が一切ないのだ。 それでも少し努力してこのドラマを見続けようとしたのだが、どうしても主役女優氏のレベルが私の眼鏡にかなわず、早期に視聴をとりやめたものだ。

 ★ワースト2★  2013年 「あまちゃん」
 「あまちゃん」ファンの皆様には申し訳ないが、私にとっては実に、実に、くだらない低俗ドラマでしかなかったとしか表現しようがない。 その根拠を少し述べるならば、私は“AKBコンセプト”に異議を唱え続けている立場の人間だからだ。
 若き未熟な芸能界志望女子達を、大人の商業主義論理で「安く」使い切り捨てて済まされる訳がないことを、今一度商業主義に流されている大人どもが再考して欲しいものだ! 

 ★ワースト3★  2009年 「つばさ」 
 埼玉県川越市を舞台に展開されたドラマであるが、これも主役女優氏の存在感が物足りなかった。
 しかも、母親が子供を捨てて外に出ているとのシナリオも至って不自然であるのに加え、それが最後には許されるとの描き方が説得力に欠けた。 結果として、母親の「子育て放棄」など断じて許してはならないにもかかわらず、それを認めてしまったドラマストーリーと私は理解している。 

 ★ワースト4★  2003年 「てるてる家族」
 今をときめく(?)石原さとみ氏が主役に抜擢されたドラマである。 ところが未だ若き石原さとみ氏とは(申し訳ないが)足がとてつもなくぶっ太く、こんな女優を何故宝塚学校合格者としてNHKが描くのか大いなる疑義を抱かされたものである。 当時我が娘がクラシックバレエに励んでいた時期であり、バレエとは体型こそ命!である事をNHKは知らないのか!? とのマイナー印象が今尚強いドラマだ…。

 ★ワースト5★  2005年 「風のハルカ」
 このドラマに主演した若手女優氏を、私はその後一切見る事はない。
 物語は、おそらく九州の湯布院なる温泉地にて展開された記憶はある。
 私がこのドラマをワースト5に位置付けた理由を記そう。 当時、私は我が子の「サリバン先生」としての家庭内業務から少し離れられる状態になり、税理士試験勉強を再開しようと志していた時期である。 私の場合大学院にて経営法学修士を取得している身であり、後2科目のみ試験合格すれば税理士資格を取得出来る立場だった。
 そんな時に放映されたのが「風のハルカ」だった。 ハルカの母親役の真矢みき氏が、ドラマ内でいとも簡単に「公認会計士」試験に合格したのだ。 これに大いに愕然とさせられた思いは今尚忘れもしない…
 資格取得とは、そんなに安易なものではないとの感覚と共に……


 ワースト6以下は、その題目のみを年代が若い順に紹介しよう。
  2002年  「まんてん」
  2000年  「オードリー」
  1998年  「やんちゃくれ」
  1997年  「甘辛しゃん」
  1996年  「ひまわり」

 以上の、ワースト6位以下の「NHK連続テレビ小説」すべてに於いて共通項がある。
 それは、やはり主演女優氏に“存在感”が乏しかった事実である。

 ただ私の認識によれば、「まんてん」主演の宮地真緒氏や、「やんちゃくれ」主演の小西美帆氏は現在もご活躍のご様子だ。
 更には私が言うまでもなく、「ひまわり」ではさほどの存在感がなかった松嶋菜々子氏など、その後日の目をみた女優と表現して過言でないであろう。

 私は所詮、芸能界には一切興味がない人間である事は歴然だ。
 だが、もしもNHK連続テレビ小説主役に抜擢されるとの幸運に恵まれた女優氏が今後この世を生きて行くならば、類稀なその幸運を潰すことなく、是非共今後のご自身の人生の糧として利用して欲しいものだ!

広島土砂災害、政権は早急に国土地質調査を!

2014年08月21日 | 時事論評
 8月20日未明、広島市北部に広範囲に渡り甚大な被害をもたらした土砂災害は、本日昼時点で死者39名、行方不明者7名を出す大惨事となっている。

 災害発生当時山梨県にて夏季休暇中だったらしい安倍総理は、急きょ首相官邸へ戻り、広島県知事よりの陸上自衛隊派遣要請に応え、数百人の自衛隊緊急救助隊員を現地に派遣したとの昨日のニュース報道だ。

 更に本日昼のNHKニュースによれば、古屋圭司防災担当相が被災地である広島市北部へ現地入りした映像が写し出された。
 その古屋大臣曰く、「今回は自治体からの避難勧告が遅すぎた。少しでも早期にそれが出されていたらこれほどまでの犠牲者を出さずに済んだはずだ…」 (原左都子の記憶のみに頼っているため、不正確な場合お詫びするが。)

 ここで一旦、私論に入ろう。

 私は3本前の本エッセイ集に於いて、「ずさんな自治体避難命令に異議申し立てする!」 と題するバックナンバーを公開している。
 その一部を以下に要約して紹介しよう。

 (我が出身地でも今夏は豪雨や台風による甚大な被害を出しているのだが)、台風11号直撃時に郷里の母が電話で曰く、「これから自治体の指示により避難する事になった。 高齢者の私を避難所まで車で連れて行ってくれる地域担当女性が近くに住んでいて、迎えに来てくれる。」   そんな事態になっても不思議ではない事は、遠方に住む私にもテレビライブ台風映像を見れば理解可能だ。  ただ、ちょっとおかしいんじゃないの?? なる疑問符が私の脳裏をかすめる。  台風直撃による暴風雨の真最中に、何でこんな夜になって自治体は避難命令を出したのか!? これじゃあ、避難所へ移動中に暴風雨に打たれて死ね!と言ってるも同然ではないのか??
 そうこう考えている中、テレビニュースは三重県の自治体が次々と避難命令を出している報道を繰り返している。  やはり他府県でもこんな夜の時間帯に住民を避難させるのか??と驚きつつ、私はある事に気付いた。  どうも、避難命令・指示が地方自治体間で「連鎖」しているのだ。 その「連鎖」状態に避難命令発動に於ける「他力本願」性を嗅ぎ取った私だ。   要するに、「隣の自治体が避難命令を出したからうちも出すべきかなあ?」なる論理が自治体間で行き交っているとすると、そんな無責任な話はないだろうに… なる不信感が我が脳裏をもたげる。
 さて、次の日(8月11日)の各メディア報道によれば、徳島県阿南市に位置する加茂谷中学校周辺が、近くを流れる那賀川の氾濫により、一時2階部分まで浸水したとの事だ。  この報道に於いて私が一番驚かされたのは、当該公立中学校が地元住民の「避難場所」として指定されていた事態であり、実際にこの中学校に避難していた住民が少なからず存在した事実だ。  今回の場合、自治体としては“歴史的に鑑みても想定外の洪水”だったらしいのだが…。
 それにしても、“安易に”地元の公立小中学校を「避難場所」とする地方自治体の政策こそ、どうにか改善出来ないものか??
 原左都子家では我が家なりの“独自の避難所”を設定している。  それこそ、築11年にして上階に位置するマンション物件である「我が家」に他ならない。  火事以外は、まかり間違っても何処に避難するでもなく、この場に留まる事が命を繋げる最善の場であると、私は家族に教育し続けている。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用。)


 話を上記の古屋防災担当相のコメントに戻そう。

 有事の際に発動されるべき自治体よりの「避難勧告」に関して、国の大臣である古屋氏からの“安易な発言”に違和感を抱かされた私である。

 今回の広島北部土砂災害に於いても、理想的にはもちろん早期に「避難勧告発令」が出されるに越した事はなかっただろう。
 ところが、広島北部被災地で生き延びられた住民皆さんの口々から発せられるのは、「こんな災害が起きたのは、この地に何十年も住んで初めての事です。」なる驚きを伴った絶望の中、何とか命拾いした声、また声である。
 これら現地よりの声をニュース報道で見聞して私の脳裏に浮かんだのは、もしかしたら「避難勧告」を出すべき自治体の職員達も住民達と同レベルに、まさかこれ程甚大な土砂災害になるとは想像不能だったのではないかとの一種の“同情心”である。
 もちろん、市民を管轄している自治体本部体制に過ちがあっては許されないであろう。 ただ、これ程までに自然災害が急激に激化過程を辿っている現状で、国家が地方自治体に対し無責任に「完璧性」を求めたところで、国こそが何が実行可能なのかの原点に立ち戻らなければ、同じ災害が全国で繰り返されるとの大いなる懸念感を私は抱くのだ。


 今回の広島北部土砂災害の場合、「まさ土」なる脆く崩れやすい地質に問題があったとのNHKニュース報道、及びネット情報を得ている。
 以下に、ネット情報よりその内容を要約して紹介しよう。

 広島北部で発生した土砂災害は、もろく崩れやすい地質と短時間に多量の雨を降らせる気象現象が重なって引き起こされたと見られる。 防災や気象の専門家は、今回と同様の土砂災害が全国各地で発生する危険性があると指摘する。
 この地の地質を形成しているのは、花崗岩(かこうがん)が風化して出来た粒の小さい「まさ土(ど)」であるが、20日昼過ぎに現地調査に入った広島工業大の某気象学准教授も、「まさ土が広範囲に流れて、大きな岩石が家屋を壊した」と話す。
 新潟大災害・復興科学研究所の某教授(地すべり学)は「これまでの雨に加えて、短時間の集中豪雨が引き金になった」と指摘する。 広島市北部では20日未明、1時間に100ミリを超える雨量を記録。そのうえ今月上旬の台風11、12号の影響で長雨が続き、地中に大量の水分を含んでいたとみられる。
 更に、広島大の某教授(地盤工学)は「雨量のデータをみると、非常に狭い範囲で急に強い雨が降り続いているのが、被害が大きくなった原因だろう」と分析する。 雨量計のデータは誰でもネットで閲覧できるが、「このような雨の降り方だと、これまでのような警報の出し方や避難勧告は間に合わない。これまでの考え方を変える必要があるのではないか」と指摘する。
 豪雨に弱い、もろい地質は、広島市に限った話ではない。「まさ土」は神戸市や岡山県などにも多い。雨の条件さえそろえば繰り返し崩壊するという。 
 これらを含む「特殊土壌地帯」は全国で約5万8千平方キロで、国土の約15・3%を占める。鹿児島、宮崎、高知、愛媛、島根の各県の全域のほか、静岡や兵庫、広島などの各県の一部に広がっている。
 東京都大島町(伊豆大島)では昨年10月、台風の影響で溶岩の層の上に降り積もった火山灰層が薄く広く崩れて泥流となり、集落を襲った。死者・行方不明者は39人にのぼった。
 崩れやすい斜面のすぐそばまで住宅が建つようになったことも被害を大きくする要因になる。東京電機大の某教授(地盤工学)は「本当は山際まで開発しないのが合理的だが、日当たりがよかったり、水を取りやすかったりするため、人が住んで危険なところがたくさんある」と言う。
 国土交通省も「新たな宅地開発が進み、それに伴って土砂災害の発生するおそれのある危険な場所も年々増加している」と認める。これまでに都道府県が指定した土砂災害警戒区域は全国で約35万カ所に及ぶ。
 京都大防災研究所の某教授(応用地質学)は「高度成長期以前には今回のような災害は少なく、都市化がもたらしたと言える。土地の性質をよく理解した上で住まいを決めることが重要だと言う。
 (以上、ネット情報より要約引用。)


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 有事の際に発動されるべき自治体よりの「避難勧告」に関して、政権大臣である古屋氏からの“安易な指導発言”に違和感と失望感を抱かされた私である。

 ここ2,30十年に渡って我が国にこれ程までの気象異常を招いた責任は、国家こそが取るべきはずだ!
 と同時に、国が自治体の「避難勧告」の遅れを指摘する以前の問題として、国政こそが即時に気象異常対策の実行力を発揮するべきだ。

 それこそが、表題に掲げた「国土地質調査」に他ならない。
 特に「(軟質)まさ土」地域は即刻住宅開発を禁止する事は元より、今後土砂災害が勃発しそうな全国すべての地域住民の命を保障するべく、国家にはすぐさま行動して欲しいものだ。

 安倍政権には、「集団的自衛権」より何よりも至急に取り組むべく国内の課題が山積している事実に、この機会に今一度目覚めて欲しい思いである!

周囲ママ友に翻弄されるより子育てをちゃんとしようよ

2014年08月18日 | 人間関係
 私がこの世の中で一切興味が持てない対象物は数多いのだが、その最たるものが “有名人(著名人)が公開しているオフィシャルブログ” と言って過言ではない。

 私自身が「原左都子エッセイ集」をネット上に公開して既に7年近くの年月が流れている関係で、我がHP編集画面等を通じて“オフィシャルブログ”とやらと接触しそうになる機会は多々ある。
 それでも、私は7年間に渡りただの一度もそれら“オフィシャルブログ”とやらを訪問した事はない。 何故ならば冒頭に記した通り、私にとっては何らの関心が抱けない対象物だからである。


 さて、そんなオフィシャルブログに於いて、「ママ友議論」を展開した某女優氏が存在したようだ。
 これに関して私が初めて認識したのは、朝日新聞下欄の週刊誌記事広告欄に他ならない。

 その週刊誌広告記事によれば、どうやら某女優氏は子供が通う超名門小学校に於いてママ友達からいじめを受けているらしい。 そこで女優氏側が取った対応とは、ママ友から「いじめ」の被害に遭っているとの内容記事を自らが管理している“オフィシャルブログ”内で綴り公開するとの手段だったようだ。

 ところが、今時ネット情報とは万人が目を光らせている対象物であることには間違いない。
 早速、某女優氏の“オフィシャルブログ”を見た周囲のママ友達から、「某女優氏こそが我々ママ友達にいじめ行為をしている元凶だ!」との反撃が展開されたとの週刊誌記事広告内容である。


 一旦、私論に入ろう。

 天皇家の愛子ちゃん(失礼な表現をお詫びします。現在愛子様は中学生になられ立派に育たれているご様子だが。)とて、代々天皇家が学舎として選択されている国内某私立小学校に於いて、周囲からいじめに遭い一時不登校に陥った事実を国民の皆様もご記憶であろう。
 それに比し、たかが少しばかり有名との立場で一女優氏が産んだ子供を“超名門小学校”へ入学させることが叶ったとて、親の態度次第では周囲のママ友達からいじめ行為に遭う事など重々想定内と私は理解する。

 で、その女優氏は今後ご自身が如何に有りたいと言いたかったのだろうか?
 周囲ママ友たちから、一体如何なる試練に遭ったかどうかなど私が知った事ではない。 それにしても、その事実を自身が管理している“オフィシャルブログ”内で殊更取り上げ被害者ぶる事により、今のネット時代背景を考察する事もなく、ご自身こそが世間からの加護でも欲したのであろうか??

 ここで原左都子の結論を述べるならば、この勝負(そもそも下劣ではあるものの)、某女優氏が“オフィシャルブログ”内で公開した言論に反旗を翻した周囲ママ友達の「勝利」と結論付けたい。


 上記のごとく、某女優氏がご自身のオフィシャルブログ内でママ友批判記事を公開した事が、その後周囲ママ友らの反発を引き起こす展開となった恩恵により、最近我が過去のママ友関連エッセイに多数のアクセスを頂戴する事と相成った。

 その我がバックナンバーとは、2013年4月11日公開の 「庶民ママ達は“ママ友序列化”がお好き?」であるが、その一部を以下に紹介しよう。

 前政権の某首相経験者のごとく、年老いた母親から兄弟共に何百億円の生前贈与を受ける事が叶うリッチ層とは、この世において1%未満の一握りの存在であろう。
 その他99%以上の人民は皆「庶民」、と私は捉えている。  
 私自身の独身時代を振り返るならば自己実現意欲に駆られるままに突き進み、「結婚」や「子育て」にはさほどの興味を抱かずに過ごした後に、晩婚・高齢出産に至った。
 さて最近のネット情報によると、近年「ママ友カースト制度」なる新語が庶民ママ友達の間での流行り言葉となっている様子だ。
 私の場合、高齢出産したその直後より“ママ友”なる女性達との付き合いをなるべく回避するべく行動してきた母親である。 それでも、「ママ友付き合い」を回避できない場面が子を持つ私にも多々あったものだ。
 私論でまとめるが、「ママ友カースト制度」にこだわるママ達とは、私に言わせてもらうと(私も含め)社会の底辺に位置する「庶民」でしかあり得ない。  要するに「ママカースト」とはそんな庶民間で“どんぐりの背比べ”をしたいとの、せせこましいばかりの連中達の悪あがきに過ぎないのだ
 冒頭で掲げた元首相の鳩山氏がどれ程の資産を先祖から受け継いでいるのかに関しては、庶民の想像の域をはるかに超えていよう。  そんな桁外れの資産を手中に出来る人物が、庶民として生きる自分の身近に存在するはずもない事にまずは気付こう。
 その辺に着眼して、今後は狭い意識でせせこましくも「ママ友カースト制度」などにこだわる事無くもっと自由に子育てをしつつ、亭主や実家の力ではなくママ自身の努力と能力で(“腕一本の実力”を育みつつ)、子どもと共に大きな心でいろんな人との付き合いを育もうではありませんか!!
 (以上、「原左都子エッセイ集」バクナンバーより引用。)


 “オフィシャルブログ”とやらを世に蔓延らせている有名(著名)人とやらに、一言物申そう。
 貴方達はオフィシャルサイトとして管理しているそのネット媒介体を、自身の活動の拠り所として100%信頼しておられるのだろうか?
 私が推測するに、貴方達の想像を超えて世のネット依存度が急激に高まっているのが実情であろう。
 今回のように某女優氏の発言に対して反発世論が高まる事態とは、今後多々発生し得る現象だ。
 そんな世の実態を自分の力で見通せて初めて、“オフィシャルブログ”なる媒体物を自身の実力の下に公開するべきであろう。

 表題に戻すが「ママ友」云々に関しては、女優であれ誰であれ、周囲のママ友達の動向に翻弄される以前の問題として、子供を産んだ親の責任を母親自らが果たすべき視点に立ち戻ろうではないか!
 その基本に立ち返りさえすれば子どもとは健全に育つ存在であると私は実感しつつ、それを実行出来てきたと自負している。

ダウン児拒否親なる“究極エゴ”を産み出した代理出産

2014年08月16日 | 時事論評
 8月初旬頃、代理出産にて誕生した「ダウン症児」赤ちゃんの引き取りを拒否したオーストラリア人夫妻のニュースに触れ、原左都子の脳裏に真っ先に浮かんだ事がある。

 夫婦が引き取った代理出産双子のもう一人である女児を、“究極エゴ”に満ち溢れ人権感覚に極めて疎いと想像可能なこの親どもに、果たして今後育てていける資質や能力があるのか?? との大いなる疑惑感だ。


 私は本エッセイ集2010年11月9日バックナンバーに於いて、「野田聖子さん、産まれて来る子どもの人権に思いが及んでいますか?」 なるエッセイを綴り公開している。

 以下に、その一部を要約して紹介しよう。
 元々不妊治療という人工的措置を施してまで子どもを設けることに関して、私は基本的には肯定的に捉えていない。 親であるご本人が子どもを産みたい意思をあくまで押し通して体外受精(や代理出産)に踏み切る場合、自分の希望を優先する以前の問題として、必ずや生まれてくる子どもの一生に渡る人権こそに思いを馳せるべきであると強調している。
 体外受精等人工的措置を施してまで子どもを設けることにこだわる人種とは、ややもすると親本人のエゴが優先されているきらいがあることを私は懸念しつつ、親自身のエゴよりも、産まれて来る子どもの将来に渡る人権の方がはるかに尊いとの私論を展開し続けている。
 私自身が今まで身近に経験している体外受精をしてまで子供を設けることに躍起になっている人種とは、どうも自分のエゴにがんじがらめになるが故に客観的な思考能力を失ってしまい、生まれてくる子どもの人権に思いが及んでいない場合が多々あるためだ。
 野田聖子さん、あなたが自民党国会議員として活躍(?)していたがために子どもを産み遅れ、その後体外受精に14回も頼って子どもを設けようとした意図はよく理解できた。 その間、ご亭主をとっ替えて現在のご主人をパートナーとした後に米国での卵子提供体外受精妊娠により“ハーフ”の息子さんをまもなく出産しようとしていることもよく分かった。 今の時代家庭が多様化しているのだから、(国民の)皆さんこんな新バージョンの親子の姿を受け入れて欲しい、とのあなたの今の願いも分かった。
 ここで、我がエッセイの本来の趣旨に戻そう。 
 子どもを産んだ達成感など、産んだ瞬間にぶっ飛んでしまうものである。 その後の親に課せられるのは、産んだ子どもの人権を一生かけて守り抜く責任のみである。
 国会議員であれ如何なる立場であれ、子を持つ親の果すべく使命とは共通であるはずだ。  自分のDNAを受け継いでいない子どもの誕生、加えて“超高齢出産”となれば親である自身の老後に及んで尚その使命が続く訳であるが、その現状をどれ程自己責任として捉えられた上で野田氏は人工授精に及んだのか?!?
 (以上、「原左都子エッセイ集」2010.11.9 バックナンバーより一部を引用。)


 その後野田聖子氏は、上記体外受精による我が子誕生により世間を騒がせた知名度(のみ)を武器に、現自民党議員として(なんと!)党幹部の身分で活躍のご様子だ。
 一方で息子氏に関する続報に触れる機会が一切ないのだが、ネット画像によれば野田氏の我がままにより先天的障害を背負わされて誕生せざるを得なかった息子氏は、ご生存であられるようで何よりだ。

 ただ私がネット画像を見た印象によると、息子氏に寄り添う野田聖子氏の姿が「母」には程遠く、あくまでも「国会議員」としての立場で息子氏に接しているとしか映らない事実が何とももの悲しい…
 それでも国会議員であられる野田聖子氏は今後の少子化対策に向けて、「体外受精」や「代理母出産」等々の“正当性”を訴えつつ現在“陰りが激しい”安倍政権を支えている覚悟のご様子だ…。
 安倍政権が近い将来崩壊した暁に、野田聖子氏は息子氏の「母」として寄り添える資質や能力を発揮し続けられるのであろうか…。 


 ここで話題を、オーストラリア人「代理出産」に戻そう。

 朝日新聞2014.8.9付「社説」が、原左都子私論とほぼ同様の見解を展開しているため、その内容を以下に要約して記すこととしよう。
 オーストラリア夫妻のケースは、第三者の女性に受精卵を移植し妻に代わって出産させる代理出産がはらむ問題の根深さを突き付けた。  妊娠・出産にリスクはつきものだ。 代理母女性が重い後遺症を負ったり、死に至ったりすることもある。 そんな負担を他人に負わせることが許されるのかとの本質的問いがある。
 また、代理母出産の多くは報酬を伴う。 豊かな国から貧しい国へ代理母出産を求める動きとは、経済格差を背景にした搾取の性格が否めない。 
 代理母出産に於いて、日本の規制が大きく遅れている事態も深刻な課題だ。  政府は2000年以降、既に脱法的に実施されている日本人の代理出産を禁止しつつ、法案を提出出来ないまま年月が流れている。
 今後は、親の立場ではなく子の側に立つルールを求めたい。 生まれて来る子供と、(体を犠牲にする)代理母が窮地に陥らないような観点から、関係政府間で調査し対策を作って欲しい。
 (以上、朝日新聞8月9日「社説」より一部を要約引用。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 私自身は「どうしても子供が欲しい!」なる感覚をただの一度も抱くことなく、高齢出産にして自然体で一女に恵まれている立場だ。
 何故私が「我が子が是非共欲しい!」との思いを描かなかったのかに関して今考察してみるに、それはそもそも我が生まれ持っての“天邪鬼気質”に発端があったのかもしれない。

 それにしても、確かに世は理不尽だ。 
 子供が欲しい親には授からず、要らない親が人工中絶したり、究極の場合虐待によりせっかく生まれた子供を殺す親が後を絶たない現世だ。

 それがこの世の定めだとしても、今一度、人工的な手段で子を持とうとしているご夫婦に是非とも振り返って欲しい事がある。
 その子の一生に渡る「人権」を保障できる“強さ”と“愛情”そして“理性”が、自分達に本来的に備わっているのか否かを!

 参考だが、子供を産む以前は「どうしても子供が欲しい!」なる感覚が一切なかった私にして、何故現在我が子との幸せな暮らしが叶っているのかに関して説明しよう。
 手前味噌ながら、上記3条件が偶然にも私に本来的に備わっていたからに他ならないため、と考察している。

ずさんな自治体避難命令に異議申し立てする!

2014年08月13日 | 時事論評
 昨日(8月12日)より毎年恒例の「徳島阿波踊り」が始まり、我が郷里もやっと無事にお盆の時期を迎えているようだ。

 そんな故郷は今夏、幾度も繰り返す豪雨や台風の到来により歴史的大被害を経験した。
 度重なる豪雨被害により、未だ浸水した家屋が片付かず夜もろくろく眠れない地域の皆さんも多い事であろう。
 それでも、年に一度だけ郷里に於いて開催されるビッグイベント初日が、暴風雨の影響を受けて中止に追い込まれる事態とならなかった事に一応安堵している私だ。


 ところで、台風11号が四国を直撃した8月10日の夜、私は郷里の母より一本の電話を受けた。
 ちょうどNHKテレビ7時のニュースライブ映像が、高知や徳島が暴風雨で大荒れ模様を映し出したその直後の19時40分頃の事だ。

 母曰く、「これから避難する事になった。 高齢者の私を避難所まで車で連れて行ってくれる地域担当女性が近くに住んでいて、迎えに来てくれる。 今夜は避難所で寝る事になると思うから、これから家に電話をくれてもいないよ。」
  
 そんな事態になっても不思議ではない事は、遠方に住む私にもテレビライブ映像を見れば理解可能だ。
 ただ、ちょっとおかしいんじゃないの?? なる疑問符が私の脳裏をかすめる。  台風直撃による暴風雨の真最中に、何でこんな夜になって自治体は避難命令を出したのか!? これじゃあ、避難所へ移動中に暴風雨に打たれて死ね!と言ってるも同然ではないのか??

 などと思っても、母はおそらく急いでいるであろうから、ここは早めに電話を切って送り出してやるしか方策が取れないと判断した。 「気を付けて移動するのよ。」とだけ言って、とりあえず電話を切った。

 田舎暮らしの経験がない方には分かりにくいであろうから、私から追加説明をしよう。
 田舎とは大自然に溢れていて、主要道路ではない小道などアスファルト舗装されていない場所が今だ多い。 そして何故か、その小道の横に蓋の無い溝があり、昼間でも考え事などして歩くと若い世代の私でもその溝に落ちそうになる。 
 更には我が実家の近くには川縁のガードレールのない土手があり、常に強風が吹いている。 そこを通る時には、徒歩であれ車であれ細心の注意を払い慎重に通行しない事には、川に転落しかねない。 母の話によると、普段の日でもたまに人が転落するそうだ。
 母の電話では近くの女性が車で迎えに来てくれるとの事だが、その女性がまさかプロのベテランドライバーでもあるまい。 それ以前の問題として、あの横殴りの暴風雨状態では、避難グッズを抱え家の玄関から出て車に乗り込む行動すら大仕事であろう。


 そうこう考えている中、テレビニュースは三重県の自治体が次々と避難命令を出している報道を繰り返している。
 やはり他府県でもこんな夜の時間帯に住民を避難させるのか??と思いつつ、私はある事に気付いた。
 どうも、避難命令・指示が地方自治体間で「連鎖」しているのだ。 その「連鎖」状態に避難命令発動に於ける「他力本願」性を嗅ぎ取った私だ。
 要するに、「隣の自治体が避難命令を出したからうちも出すべきかなあ?」なる論理が自治体間で行き交っているとすると、そんな無責任な話はないだろうに… なる不信感が我が脳裏をもたげる。


 話題を、郷里の我が母に戻そう。

 次の日の朝10時頃、母が住む実家に電話をかけてみた。
 そうしたところ、母が電話に出るではないか!
 「えっ。もう避難所から帰って来たの?」と問う私に対し、母が言うのには「避難するのをやめた。」との事だ。 (さすがに、この娘にしてこの母ありを実感だが。
 母曰く、その後自宅周辺を自ら確認出来る範囲で確認したとの事だ。 そうしたところ、特に近くの小川が氾濫している様子もないし、明朝には台風が抜けるとの事だし、今までの経験からだと家に留まった方が安全と判断したとの回答だ。
 そして母は早速役所に電話を入れたらしい。「今回は全員が避難せねばならないのか?」と。 そうしたところ役所から返って来た返答は「安全が確保できるならば自宅に留まってもよい。 ただ、避難する気になったら(一人暮らし高齢者の場合)役所から迎えに行くので今一度お電話下さい。」との事だったようだ。

 その我が母と役所とのやり取りを聞いて私が思ったのは、我が母は意外と未だしっかりいているとの感覚だ。 と言うのも、私の判断でも今回の場合は自宅に留まるべきと考えたからだ。
 それにしても、さすがに私も母に一言付け加えた。 「避難せずに自宅に留まる場合も細心の注意を払い、諸準備を施す事に超したことはない。 水害を想定し食料と水と携帯電話を持って2階で一夜を明かすべき。」と。 


 さて、次の日(8月11日)の各メディア報道によれば、徳島県阿南市に位置する加茂谷中学校周辺が、近くを流れる那賀川の氾濫により、一時2階部分まで浸水したとの事だ。

 この報道に於いて私が一番驚かされたのは、当該公立中学校が地元住民の「避難場所」として指定されていた事態であり、実際にこの中学校に避難していた住民が少なからず存在した事実だ。
 今回の場合、自治体としては“歴史的に鑑みても想定外の洪水”だったらしいのだが…。

 それにしても、“安易に”地元の公立小中学校を「避難場所」とする地方自治体の政策こそ、どうにか改善出来ないものか??
 原左都子の私事を述べると、管轄自治体が設定した都心の我が家の「避難所」も近くの公立小学校と定められている。
 ところがこの公立小学校の現状を語るなら、築年数が古いし正直言って今にも倒壊しそうな外見だ…。

 それだからこそ、我が家では我が家なりの“独自の避難所”を設定している。 
 それこそ、築11年にして上階に位置するマンション物件である「我が家」に他ならない。
 火事以外は、まかり間違っても何処に避難するでもなく、この場に留まる事が命を繋げる最善の場であると、私は家族に教育し続けている。

何を心の拠り所として生きているのか理解に苦しむ相手

2014年08月11日 | 人間関係
 人間も還暦近くまで生き延び世を渡っていると、多様な人間の様々な人生模様が我が「心理眼」を通して見えて来て感慨深い思いだ。

 ところが人間観察力が鋭い原左都子にして、最初のご対面から縁が切れる最後の最後まで「この人の心の拠り所とは一体何だったのだろう?!?」、なる不可思議感を抱かされる相手に対峙させられる運命に最近遭った。


 今回のエッセイは、前回のエッセイ 「『腹が立つ』感情とは世の進化のきっかけともなり得る」 の続編の形となる。

 前回綴ったエッセイ内で、私は以下の記述をした。
 切羽詰まって私自身が穏やかに生きたい! と志ざさねば我が身が持たない程の非情な運命に陥ったのは、自己所有不動産物件の「賃借人選択」において大失敗をしでかしたからに他ならない……  6カ月間で150万円に上る損失を計上した挙句、手塩にかけて育てて来た我が賃貸物件を売りに出し、不動産貸付業廃業に追い込まれた私にとっては、相手に対して「腹が立つ」云々よりも……
 (以上、当エッセイ集バックナンバーより最後の部分を引用。)

 実は上記の後、私が本心から記したかった文章を以下に再現するならば……
 「相手に対して腹が立つより何よりも、相手人物の人生観の程がどうしても理解し難い。」と言うことだ。
 
 この人物とはたった6カ月間の付き合いだったのに加え、そもそも「賃貸借物件の賃貸側と賃借側」とのあくまでも“法的な上下関係”のみであるはずだった。
 ところが仲介不動産会社の力不足にもよるのだが、どういう訳か賃貸人の立場である私が直接この人物と6カ月間に渡り、対峙せねば事が運ばない運命と相成った。

 
 (個人情報保護法に準拠し、言葉を選びつつの公開だが。)
 相手方賃借人女性が入居当初、不動産仲介会社を通じてオーナーである私に要求していきたのは、「風呂の排水が悪いのでそれを修理して欲しい」との依頼だった。 これに関しては前回退室した賃借人氏よりも情報を得ていたため、当然ながらオーナーの私としては前賃借人退室後のリフォーム時に私なりのその対策を最大限取った。
 その旨を仲介会社を通じて伝えたにもかかわらず、新賃借人氏から入居直後にクレームがついたのだ。 
 新賃借人氏曰く、「こんな老朽化した物件を賃借人に貸した責任を、オーナーがどうとるのか!?」
 (嫌ならとっとと出て行けよ! あるいはもっと高い賃貸料払って築年数が新しい物件に住めば済む話だろ?こんな古マンションにしか住めない身で偉そうに難ぐせ付けて来るなよ!)と喉元まで出かかっているのを抑えつつ、そんな賃借人の苦情に応じ、私はなけなしの金を叩いて修繕工事及び工事中のホテル補償等々の金銭補償を法律に基づき実行し続けた。 
 (その一方、どうやら今回の賃借人とは「金を積めば」静かになるタイプの人物像である事を、私が早期に把握出来たのがその後の打つ手の明るい兆しだった事には間違いないのだが……)

 そんな賃借人氏の(歪んだ)人物像に触れる過程で、オーナー側の私が結論を出したのは、我が所有賃貸物件を売却するとの決断だった。
 今後このまま現賃借人氏と下手にかかわり続けたとて、ますます増額すると予想される“理不尽な”修繕費用や補償額に耐え続けるよりも、我が身の安全を確保する目的で“とっとと物件を売却して”賃借人氏と縁を切るに限る!との思い切った方策だった。
 そして売却最終段階である引き渡し決済を、一昨日実行したとの事だ。


 それにしても未だに理解し兼ねるのが、我が賃貸所有物件入居者氏とは、私とほぼ年齢が変わらぬ還暦近い一女性だったことだ。
 離婚経験がある方のようだが、現在は単身の身で正社員として民間企業に勤務されつつ、我が賃貸マンションに程近い場所にお住まいのお母上様の面倒も見たいとのご意向で、この地に引っ越されたらしい。

 我が身に置き換えて考察するに、私と同じくらいの年代で年老いた親の面倒も見ているのならば、ここは自分の借り住まいである住居に関して問題を起こさず静かに暮らした方が、親御さんも安心かとも考えるのだが…
 あるいは(ご自身曰く)正社員期間が長いらしいが、それならば相応の蓄えがあっておかしくないはずだ。 賃貸物件のオーナーに難ぐせつけてせせこましく金を巻き上げるよりも、その蓄えを有効活用して、老後に入る前に新たに自己所有物件を買い求める方が法的によほど自由な身が保障されるし、ずっと得策ではなかろうか!?

 ところが、我が所有物件賃借人氏の行動はまったく違った。
 入居後6ヶ月間に渡りオーナーである私にクレームをつけ続け、(自分はここに住み続ける!)との賃借人とての権利を主張し果てた。

 それに耐えきれず、賃貸借物件オーナーである私が(表向き)「敗北」した事実に、この賃借人氏は心底満足しているのであろうか?? 
 (何だかそうではなく、この人、今後一体如何にこの世を生き延びるのかに関して他人事ながら“もの悲しい”孤独感が漂う中、入居人共々物件を売却した私なのだが……)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 この世で展開する人間関係は、まさに多種多様だ。
 そんな人間関係を実行する上で理想的なのは、お互いに法的利害関係など何もない場面でその関係を大事に育成していくことであろう。
 
 ただ不運にも、当初より法的利害関係者同士として知わねばならない運命を背負った人生場面を抱える場面も、この世には多い事とも推察する。 たとえその場面でも、人間関係の基本とはお互いに対等な人間同志との意識の下にこの世を渡るべきと考えるのだ。

 自分が法的弱者である事をとことん利用しようと目論む人生の、その後の発展性など皆無ではなかろうか??

 如何なる場面に於いても人間関係を存続する上で理想的なのは、お互いに“1対1の立場で対等”に渡り合うとの意識の下に、その関係を大切に紡いていくことに間違いないであろう。

「腹が立つ」感情とは、世の進化のきっかけともなり得る

2014年08月09日 | 自己実現
 少し古くなるが7月19日付朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談題目だけを見て、一瞬仰天させられた原左都子だ!

 あれっ、私、いつ朝日新聞に自分の事を相談したんだっけ!?! と…
 その題目とは、 「いつも腹を立てている私」 である。  

 世の中には必ずや同類人種がいるものだと妙に感心しつつ、以下に61歳女性による“悩みのるつぼ”への相談内容を要約して紹介しよう。
 
 私はいつも掃除をしていても、歩いていても誰かに腹を立てていて、自分でもうんざりする。
 例えば私は20年前に病気で息子を亡くしているが、その事象と自分の息子が結婚して遠い所に行った事で悲しんでいる事を対比した場合、どっちが辛いかすら分別がつかない友人に腹が立つ。
 両親にも腹を立てている。 両親共に子供に対する愛情が希薄だったと思う。 父は私が思春期の頃胸を触ったりお風呂を覗いたりした。 母は自己中心人物で、どちらもずっと嫌いだった。
 不用意な事を言う友人とはもう会わないし、母も亡くなり、父は独り暮らしで弱り仕方なく姉と交代で帰省し世話をしている。 それでも、会わなくなったり亡くなったり別人のように弱くなった相手への腹立ちを、繰り返し頭の中に再現する自分に疲れる。 
 他にも、何度指摘しても同じ過ちを繰り返すボランティア仲間や、車のアイドリングを執拗に繰り返す近所の人のも腹が立つ。
 後20年くらいの人生をもっと明るく穏やかに生きたいのだが、どうすればよいか?
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談内容より要約引用したもの。)


 ここで一旦、原左都子の私事と私論に入ろう。

 私も相談者同様に、生まれ持っての「笑い上戸」「泣き上戸」、そして「怒り上戸」を日夜ド派手に繰り返しつつこの世を生き延びている事には間違いない。(自分に都合よく表現するならば “感情豊かな人間” とのことだが…) 
 ただ私の場合は必ずや自己の感情を表出する以前の問題として、私自身の身の安全は元より我が家族達や現在の私の生活圏に於けるすべての安泰を願うがばかりに、特に“怒りの対象”に対して「客観的視野と判断」なる考察が計算高く入り混ざる現実なのだが…


 7月19日“悩みのるつぼ”回答者は、社会学者 上野千鶴子氏であられた。

 その回答内容が原左都子の私論とほぼ一致するため、以下に要約して紹介しよう。
 心無い友人に腹を立てるあなた。 思春期の娘にセクハラまがいのふるまいをした父と自己中の母に、今でも腹を立てているあなた。 腹を立てるのはそれだけの理由があるからでもっともだ。
 ただ、あなたは腹を立てた相手にその場でオトシマエをつけなかった悔いがあるのではなかろうか。
 そういうあなたの良いところは、怒りが外に向かいあなた自身には向かわなかったこと、要するに自己肯定感をちゃんと持っている人とのことだ。 要するにあなたはエネルギーを持っている人だが、そのエネルギーがネガティブな感情である事は悲しい。 
 ただそれがあなたの持ち味であるのだから、「穏やかに」生きようなどと、らしくない事を思わない事だ。  姑息な政治家がいたら、怒りの声を上げ怒りっぽくてうるさいおばさんでいるべきだ。
 怒りが気になるのは、今のあなたが現状に満足していないからだ。 怒りと同様かそれ以上の喜びやうれしさを味わえば、帳尻はプラスになりますよ。
 (以上、“悩みのるつぼ” 相談者であられる社会学者 上野千鶴子氏の回答を要約して引用。)


 再び、原左都子の私事と私論に入らせて頂こう。

 おそらく上に記されている上野千鶴子先生の回答に関しては、既に同等の感覚を持ちつつ私は世を渡っていると認識している。

 それでも類稀なる事例であろうが、この客観力が売り物の私に“歯向かって来る”人種を、最近我が所有賃貸不動産物件関係に於ける法的立場に於いて経験した。 (個人情報保護法に抵触するためその詳細を披露する事は今回避けるが。)
 たとえ庶民とて法的場面に於いて相手と利害対立関係に立った場合、どうしても法律上の弱者に対し物件所有者である強者側のこちらが配慮するしか方策が取れない事態に、無念の思いだ…

 話を戻すが、上野氏がご回答されている事案は“世間の普通のおばさん”の“お怒り”に対するご指導であることは理解申し上げている。

 
 最後に、原左都子の私論を述べよう。

 色々な人間がこの世に存在するものだ。
 私自身もいつも「普通のおばさん」の立場でこの世を渡っていかれるならば、まさに上野氏が書かれているご回答を参照しつつ、穏やかに生きようなどとの“らしくない”選択を避ければ済む話なのだろう。

 ところが、切羽詰まって私自身が穏やかに生きたい! と志ざさねば我が身が持たない程の非情な運命に陥ったのは、今回自己所有不動産物件の「賃借人選択」において大失敗をしでかしたからに他ならない……
 6カ月間で150万円に上る損失を計上した挙句、手塩にかけて育てて来た我が賃貸物件を売りに出し、不動産貸付業廃業に追い込まれた私にとっては、相手に対して「腹が立つ」云々よりも…

 今となっては、その損失と失敗を今後の我が発展のきっかけとする事で、せめても我が身ひいては世の「進化」に繋げたい思いが切実だ… 

大学教官氏達よ、学生を静かにさせるのは貴方達の使命だ!

2014年08月07日 | 教育・学校
 「原左都子エッセイ集」の一つのカテゴリーとして、 「左都子の市民講座」なる記述が存在する。

 これは、「原左都子エッセイ集」開設直後期の今から遡ること約6年半前頃に、我が高校教員時代に「商業法規」や「現代社会」の授業にて使用した「授業ノート」を参照しつつ、(おそらく法律素人にも分かり易く)綴った“法学基礎講座”の位置付けにある。

 ところがどうしたことか、この“バックナンバー群”にはエッセイ公開から7年近くの年月を経た今尚、(特に大学の試験やレポート提出時期に合わせて?)閲覧が殺到する現象が起きている。
 この現象を考察するに、“法学基礎講座”とは時代の変遷にかかわりなく、ある程度の普遍性があるものと推測する。
 現世は劇的に移り行くものの、法解釈や法適用に於いては時代の変遷を超越した「力」があるものと元法学経験者としても信じたいのが実情だ。
 (無断転載はお断りします。 転載・引用する際には必ず「原左都子エッセイ集より転載・引用」の一文を明記して下さい。)


 前置きが長引いてしまい恐縮だが、今回のエッセイは朝日新聞7月26日”悩みのるつぼ”から取り上げよう。
 30代 大学講師氏からの相談によると、「学生がひどく講義できません」 との事だ。
 早速、その内容を要約して以下に記そう。

 30代後半の女性だが、大学で講師を始めて5年ほど経っている。 自分の専門分野について講義をするのは楽しく、やりがいも感じている。 しかし意欲・興味を持っている受講生は1割程度の事も。 多くの学生は私語やスマホ、内職ばかりで、注意しても改善されない。  私の方針としては「出席しなくても試験の基準に達していれば単位を与える」と学生に指導しているし、大学とはそもそも基本的には自由な場であるのだから、私の講義を聞きたくなければもっと楽で興味がある講義を取ればいいとも指導している。
 ところが、私の考えがどうしても学生達に通じない。 講師の目の前の席で化粧、イヤホン、居眠りも日常茶飯事…。 自分自身が感情的にならず、講義に集中するにはどうしたらいいのか?


 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。 

 なるほどねえ。 30代との人生経験では、大学講師にして確かにそのレベルでしか学生達に対応するしか手立てが打てないかもしれない。
 原左都子から少しだけ相談者にアドバイスしよう。
 貴方自身のやりがいよりも何よりも、今一度大学の教壇に立てる地位を得ている自分自身が置かれている身を、その責任の所在から振り返るべきである。
 ここは今一度、貴方の講義を聞かされる学生達の身になって物事を考え直しては如何なのか? と言うことだ。


 さてさて、7月26日“悩みのるつぼ”回答者であられる 評論家 岡田斗司夫氏のご回答も、何とも生ぬるい。
 以下に、岡田斗司夫氏の回答の一部を紹介しよう。

 私も大学の教員だが、学生に聞くと授業中にスマホや私語をするのは当然の権利だそうだ。
 教員の立場としては「やる気がない奴は講義に来るな」はダメ。 入試をパスして授業料を払っているからには大学側は学生を選ぶ権利はない。 今やほとんどの大学は大衆化してファミレス状態だ。 もしも相談者が現状に不満なら、高級大学に転職するしかない。 貴方に選べるのは「マシな転職しかない」。
 でも私(岡田氏)は転職しない。 大衆大学にも「ちゃんとした教育」を渇望している学生がいるからだ。 我々大学教員とは、今後「お客さま」な若者を一人でも多く「学生」に育てる義務がある。 これを諦めるのが「教育の敗北」だ。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”回答者岡田斗司夫氏よりの回答を要約引用。)


 原左都子の反論を展開しよう。

 岡田斗司夫先生、ちょっと待って欲しい。
 貴方が現在勤務されている大学のレベルの程を私は少しも掌握していないのだが、そもそも「大学」とはいかなる学府であるべきかを貴方は理解されているのだろうか!??
  
 大学とは現在の法律上「学問の府」であることを認識した上で議論を展開して欲しい思いだ。
 その「学問の府」に於いて、それを伝授する立場にある教員たるものは必ずや現行法に従って学生を指導するべきなのだ。
 原左都子の私論としては、教官氏が培ってきた「学問実力のみ」によって、学生達を授業に集中させて欲しい思いに偽りがない!
 
 それでも、現行法に準拠出来ずにあえぎつつ我が国に存在する“下部大学”が今尚少なからず存在する事実に関しても、私は把握している。 そうだとしても、現在に於いては国内大学が国公立私立問わず自然淘汰されている現状に於いて、その存命を各大学毎に必死で切磋琢磨している現実ではなかろうか?

 ここで、大学を支えて立つはずの教員達が切磋琢磨せずしてどうするの?  岡田斗司夫先生!?!
 “本気”の教官には必ずや学生達は心打たれるものだ。 単位も点数も何も要らない。 教官の知名度や人気度などにも一切興味がなかった私だ。  ただただ本気で自らの専門学問を貫いている教官達をどこまでも追っかける覚悟で、私は大学及び大学院を全うした。

 貴方は評論家としての地位を既に築いていらっしゃるので、今後ご自身が所属している大学の未来など二の次であられることだろう。
 ただ、今回“悩みのるつぼ”に相談を寄せた女性講師は、おそらくしばらく大学講師として世を渡る覚悟と私は見る。

 朝日新聞“悩みのるつぼ”相談とは、回答者である著名人の今現在の近況を知らせる場ではないだろうに…
 そうではなく、一庶民の切実な「真の悩み」に誠実に寄り添って欲しい思いだ。

笹井副センター長自殺はSTAP不正を証明したも同然

2014年08月05日 | 時事論評
 本日(8月5日)正午のNHKニュースのトップ報道には仰天させられた。

 以下にそのトップニュースの内容について、ネット情報より引用しよう。

 5日午前8時40分ごろ、神戸市中央区の先端医療センター内で、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB、同区)の笹井芳樹副センター長(52)が首をつっているのを職員が発見した。 笹井氏は市内の病院に運ばれたが、死亡が確認された。 笹井氏はSTAP(スタップ)細胞論文の共著者の一人で、関係者に宛てた複数の遺書が残されていた。 自殺とみられる。
 笹井氏はCDBの小保方晴子研究ユニットリーダーが英科学誌ネイチャーにSTAP細胞を発表した際、論文執筆を主導。 理研の調査委員会は重大な責任があったと指摘していた。
 兵庫県警によると、笹井氏が発見されたのはCDBに隣接する医療センター研究棟の4、5階の間の踊り場。 ひものようなもので首をつっていた。 半袖シャツにスラックス姿で、靴は脱いでいた。かばんの中に遺書があったという。理研によると、笹井氏の研究室にも遺書のようなものがあり、秘書の机の上に置かれていた。
 STAP細胞の論文問題で、理研調査委は小保方氏が実験画像の捏造(ねつぞう)や改ざんを行ったとして不正行為を認定。 笹井氏の不正は認めなかったが、論文投稿前に実験データを確認しておらず、「立場や経験などからしても、責任は重大」と指摘していた。
 1月末にネイチャーに発表した論文は、7月2日に撤回され、科学的成果としてのSTAP細胞は白紙に戻った。理研は懲戒委員会で小保方氏や笹井氏の処分を検討していたが、論文疑惑の追加調査を理由に中断。外部の有識者でつくる改革委員会はCDBの解体と笹井氏ら幹部の更迭を要求していた。 

 笹井氏はSTAP論文を執筆した理研の小保方研究ユニットリーダーの指導役で、再生医療研究の第一人者。 STAP細胞の有無を確かめる検証実験が続いているが、論文に関係する主要研究者の1人が亡くなったことで真相究明への影響も懸念される。
 (以上、ネット情報より引用。)


 ここで顰蹙ではあるが、上記ネット情報内に記されている “笹井氏が(首を吊った状態で)発見された理研研究棟階段の踊り場” に関して原左都子の記憶にある私事を述べよう。

 私は過去にアルバイトの身分だが、(関東地方に位置する)理研某研究所へ勤務した経験がある。
 その時の私にとっての理研とは、(たかが“アルバイト”との職務範囲を限定されている立場だった事が第一の理由で)何とも居心地の悪い職場であった。
 例えば正職員の立場であれば実験の待ち時間等の合間に、当然ながら自分の研究課題である参考論文等のチェックが可能だ。 ところがこれが一旦アルバイトともなると、研究機密等の理由があるためやむを得ないのだが自由に閲覧させてもらえない立場だ。  そのため実験待ち時間を如何に過ごすかと言うと、(自らの元科学者としてのプライドを押し殺し)研究室内のゴミ集めをしたり、実験器具の洗い物をこなしたり……。  ところがその作業専門に雇われているアルバイト氏が存在するため、私が勝手に手出しし過ぎるとそれらアルバイト氏達の業務妨害ともなり得る事態だ。
 そんなこんなで、元々客観力のある私は実験の空き時間を如何に過ごすかに関して、知恵を振り絞ったものだ。 ある時はトイレで時間を稼いだりもしたが、これとて時間制限がある。

 そんな時我が脳裏にひらめいたのは、理研研究棟階段の昇降を繰り返す事によりストレッチ運動して過ごす事だった!
 と言うのも理研研究棟の階段とは薄暗く、普段“誰も使用していない”状態なのだ。 そもそも理研研究棟とは人口密度が低いのに加えて職員の皆さん“エレベーター派”だった様子で、ここを通行する人間が皆無状態である事を私は見抜いていた!  そんなこんなで、私はこの階段を自らの実験の空き時間に“ストレッチ運動場”として利用出来たのである… 

 だからこそ、理解できるのだ。  何故笹井氏が「理研研究棟の階段踊り場」を自分の“死に場所”に選んだのかを…
 冗談抜きで訴えたいのだが、もしも理研研究棟の階段がもっと人が通行する場として機能していたならば、笹井氏はそこで自殺する必然性など無かったのではないかと!

 一旦私論だが、どうも理研とは様々な意味合いで「閉鎖的要因」が大きいのではなかろうか? 
 「アルバイト」には研究機密保持目的で、すべての情報収集を禁止する??
 はたまた理研は研究員等の健康目的でも、もっと研究棟の階段使用を奨励するべきであろう。


 話題を、表題に掲げたテーマに戻そう。

 「原左都子エッセイ集」2014年7月29日バックナンバー 「小保方氏はもはや不正疑惑から逃れなれない」 に於いて、私は本日自殺した笹井氏に関する記述をしている。 
 その内容を以下に振り返らせて頂こう。
 NHKの取材は、小保方晴子氏を大々的に取り上げ世に売り込んだとも言える笹井氏にも及んでいた。 笹井氏なる人物こそが、若き小保方氏を利用して自らの利益(例えば将来の「ノーベル賞」受賞等)を得ようと企んだ張本人ではなかろうかと、私も以前より感づいていた。  
 NHKの取材によると、笹井氏とはES細胞分野で名を挙げている科学者にして“マルチタレント性”があるとの事だ。  そこで小保方STAP研究にその“力量”を発揮して、ネイチャー論文として仕立て上げ、自分こそが「STAP特許」でも取ってその後「ノーベル賞」に発展させれば、今後国家からの理研への膨大な資金援助にもつながると企んだとの原左都子の理解でもある。
 NHK報道によると、笹井氏とは国家から「プロジェクトマネー」が取れる類まれな人物として、理研神戸センター長である竹市氏らからも大いなる期待を寄せられているらしい。  その理研神戸センター長の立場としては今後も事件解決を先送りして、神戸センターの存続を望みたいとのNHKの報道だが…。


 最後に私論でまとめよう。
 
 この時期に笹井副センター長に自殺されて一番頭が痛いのは、CDBセンター長の竹市氏であり、また理研総長氏であり、更には理研に巨額な財源を提供しようと目論んでいた安倍政権であろう。

 ただ庶民の立場としては、どうしても根拠無き科学研究に血税を投入する過ちを国政には繰り返して欲しくないのだ!
 今回の笹井氏の自殺とは、表題に示した通りSTAP不正を証明したに過ぎないと私論は捉える。

 せめても、笹井氏を崇拝していたらしき周囲研究者や上司達の心理面でのケアを望みたいものだ……

絵むすび(朝日新聞2014.8.2編)

2014年08月03日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2014年8月2日別刷「be」に掲載されたパズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)


 今回の「絵むすび」レベル4は、難易度が高かったですね!


 四角の4隅すべてが空欄だった設問は、今回が初めてだったと記憶しています。
 
 解答のポイントとしては、4隅それぞれにどの絵を通すか? 
 

 そして、私が一番注目したのは、右から3列目に4つの絵が縦に並んでいる点でした。

 特に後者の、4つ並んだ「風鈴」「なす」「かき氷」「うちわ」の結び方を工夫したところ、後は簡単に解答が叶いました!

       

集団で実施する「命の教育」など、教委の気休めに過ぎない

2014年08月02日 | 時事論評
 級友の命を奪ってまでも「人体解剖」を実行したいとの内面から湧き出る欲求を、自己コントロールし切れない一少女がこの世に存在し得る事実を、我々は如何に捉えるべきか?

 原左都子の観点から正直に述べると、そういう人物がこの世に存在しても不思議ではない感覚を、私は過去の経験から一部承知している。


 例えば医学部の学生達とは、必ずや「人体解剖」実習を通過せずして医師免許状が取得出来ない運命だ。
 医学部学生の中には、元々「人体解剖」に興味があった人種もいるだろう。
 あるいは、そうではなく医師免許を取得するためやむを得ず「人体解剖」を義務として何とかこなした人物も存在するであろう。
 もしかしたら「人体解剖」がどうしても受け入れられずに、医学部を中途退学した人材もいるかもしれない……。

 私自身の医学部経験を述べると、私の専攻が“パラメディカル分野”であったがために、「人体解剖」に関しては医進者(医師を志す学生達)による「人体解剖」場面を見学しさえすれば、授業単位が取れる立場にあった。
 それでも見学途中で“吐き気”を訴え、その場から退室し実際に吐いた女子学生が存在した。
 私自身に関しても、大学病院内科実習に於いて生前の姿を認識している患者氏の死後直後の解剖実習場面は見学するに忍びなかった思い出がある。 生前病室で「具合はいかがですか?」などと質問すると、病状の悪化にかかわらずいつも丁寧に応えて下さる患者さんだった。 生前病室にいつも付き添っていた奥方氏の無念と共に、若気の至りの我が身にしては実に辛い「解剖実習」だったものだ。

 要するに私自身は「人体解剖」の場で吐き気に耐えられない程の拒絶感はなく、自分が置かれている立場を客観視して冷静に振る舞う事により、何とか理性で持ちこたえられた人種なのであろう。

 そのように私自身を考察した場合、自己コントロール力を完全に失ってまで級友相手に「人体解剖」がしたかったとの佐世保事件加害者女性とは、精神構造を異にすると自己分析する。 
 そういう意味で佐世保事件の加害者女子には、せめてもう少し自己コントロールが可能なまでに成長した暁に、大学医学部にでも進学させて「人体解剖」を正当な手段で実施して欲しかった思いだ。
 極論ではあろうが、この女子の育て方を誤らなければそのような人生を導いてやることも可能だったのではなかろうかと、悔やまれるのだ……。
 
 各種続報を見ると、当該少女は経済面や社会的地位に於いて恵まれた家庭に育っているようだ。
 その傍ら、少女は幼き頃よりいわゆる“猟奇趣味”の片鱗がみられたとの報道もある。 せっかく恵まれた家庭に生まれ育っていながら、その特異性に気付き真剣に対処出来る人物が家庭内に存在しなかったのだろうか?? 

 しかもこの少女の不運は、1年ほど前に母を“膵臓癌”で亡くした事で加速したとも受け取れる。
 少女の成長を一番に見守っていたはず(?)の母の死がもたらしたショックにより、おそらく少女の“猟奇趣味”に火が付いたことであろう。 更に追い討ちをかけたのが、その直後に父親が愛人を作り少女を家から追い出して「ワンルームマンション」を与えるとの(一般家庭に於いては信じ難い)事実でもあろう。


 我が国に於いては、過去にも同様の“猟奇趣味的事件”が複数発生している。
 その一つは、既に死刑が実行されこの世にはいない宮崎勤による、幼女連続殺害事件だった。
 1997年に神戸市で発生した(通称)「酒鬼薔薇事件」に於いても、幼い子供が複数犠牲になっている。
 上記両事件と、今回の佐世保高1女子事件との間に共通項が多いと私も認識している。


 それにしても、その後の佐世保市教委の対応が混乱状態かつ貧弱極まりないのだ。

 今回の事故後の佐世保市教委の対応に関するネット情報を以下に紹介しよう。
 佐世保市で県立高校1年の女子生徒(15)が殺害され、同級生の少女(16)が逮捕された事件を受け、市議会文教厚生委員会は29日、市教育委員会から事件への対応について報告を受ける会合を開いた。少女が小学生のときに給食に異物を混入した事案が取り上げられ、当時の市教委の対応をただす声が上がった。 県教委によると、少女は小学6年生のとき、家から漂白剤や洗剤を持ちだし、学校の給食に混ぜて大きな問題になった。 会合で市教委は、当時の対応について「学校から混入事件に関する報告があり、県にも報告した。心のケアなどもさせていただいた」と説明。「市議会に報告しなかった点は反省したいと考えている。その後の県教委の対応については知らない」と話した。 永元太郎・市教育長は「(児童や生徒の情報の)引き継ぎ対応システムが県側とつながっていない」などと釈明。 市議からは「県教委と市教委の連携がどうなのかと以前から疑問に思っていた」などの意見が相次いだ。


 皆様もご存知の通り、佐世保市は過去にも市立小学校に於いて小6女子同級生同士の間で殺傷事件を経験している。
 この事件を受けて、佐世保市教委はその後「命の教育」とやらを公立小中学校で定期的に実施しているらしい。
 ところが、佐世保市によるこの「命の教育」とやらをテレビ報道で一見した私は、大いなる失望感を募らされたのだ。

 全校生徒を猛暑の体育館に強制的に座らせ校長から“下手な訓辞”をしたとて、何らかの思いが生徒達に伝わるとでも思っているのか!?
 生徒一人を“犬死”させるとのこんな非常事態に直面した時にこそ、子供の教育とは如何にあるべきかを振り返る絶好の機会であるのに、何故教委の年寄達は未だ子供達を体育館に集合させてろくでもない訓辞を述べたいのか!?


 最後に私論に入ろう。
 
 ここは是非共専門家氏に、個々の生徒一人一人のカウンセラー力を頼って欲しい。 
 このような事件があった暁に、学校現場で下手な全体集会を開催したところで、個々の生徒の精神面での負担を募るばかりであり無意味な結末となろう。
 今の時代に於いては、地域教委長や学校長が専門力無き無駄な訓辞をせずして、必ずや個々の子供の成長に寄り添える専門力あるカウンセラー氏が存在するはずだ。
 
 どうか教委や学校には自分らのプライドより何より民間力に頼ってでも、本気で個性ある子供達一人一人と直に対面する事により、子供達の将来を守って欲しい思いだ。