原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

赤プリ 有終の美のイルミネーション

2010年12月29日 | 時事論評
 12月24日クリスマスイブの日の朝日新聞社会面の目立たない場所に、“赤プリ”に関するちょっぴりセンチメンタルな記事を見つけた。

 おそらく今回の記事が「原左都子エッセイ集」本年のラストエッセイとなることを予想して、今年はセンチメンタル気分も兼ね備えつつ静かに我がエッセイ集の“有終の美”を飾ることにしよう。
 今日(12月29日)あたりから既に年末年始の帰省ラッシュが始まっているというニュースを見聞する年の瀬に、今さらながらクリスマスの話を持ち出す原左都子の“旬感覚のズレ具合”を何卒お許しいただきたいものである。


 今年のクリスマスも私は娘を引き連れて、東京五反田ゆうぽうとホールへ松山バレエ団による「くるみ割り人形」公演を観賞に出かけた。
 例年通り松山バレエ団の「くるみ割り人形」の舞台は絢爛豪華この上ない。
 松山バレエ団は2008年に創立60周年を迎えている。 現在60歳を超えて尚現役プリマドンナとして舞台に立たれている“看板バレリーナ”の森下洋子氏を筆頭として、全国にバレエ教室を展開し大規模組織で若手ダンサーを育成しつつ60年超の長きに渡り日本のバレエ文化を先導しながら発展を続ける松山バレエ団の底力を、今年もこの「くるみ割り人形」の舞台で十分に実感できた思いだ。


 そんな松山バレエ団の歴史の重さを刻むがごとくの絢爛豪華な舞台を観て帰宅した後に目にした上記朝日新聞“赤プリ”の記事は、実に切ないものとして原左都子の心に染み入ったのである……

 以下に、朝日新聞に小さく掲載されていた 「最後まで 赤プリは赤プリらしく」 と題した記事を要約して紹介しよう。
 東京都心に輝く高さ100メートルのクリスマスツリー。ホテル丸ごと客室を使って描く聖夜の象徴。 3年前まで「赤坂プリンスホテル」だった現在のグランドプリンスホテルは来年3月に閉館する。巨大ツリーも今年で見納めだ。  「クリスマスには赤プリ」 それが若者の憧れの時代があった。客室係である平間氏は当時熱に浮かされたようなバブル期である1983年にオープン仕立ての赤プリ新館に入社した。 だがバブル景気後ホテル業界の状況は変わり名門ホテルですら値引き競争を余儀なくされ、外資系超高級ホテルが都心にそびえ立った。 そんな中、赤プリは02年に巨大ツリーを始めた。プライドを守り抜く心意地だったのかもしれない。 平間氏は客室灯をつけて回る従業員の指揮をし続けて来たのだが、仕事を終えた帰宅時に近くの駅から「○号室の明かりが消えている」とチェックし続けてきた。 そんな平間氏が今年はツリーをじっと眺めた。「子どもの最後のおめかしだから」と…。 平間氏もこの冬、定年を迎えた。 


 “赤プリ”(旧 赤坂プリンスホテル 現 グランドプリンスホテル)が、丹下健三氏設計による超高層40階建てホテルの新館建設後わずか28年!という短期間にして来年の3月に取り崩され閉館することに関しては、「原左都子エッセイ集」2010年4月の時事論評バックナンバー 「赤プリの落日」 においても既述している。 (参考のため、歴史的建造物である赤プリ旧館に関しては一部保存されるとのことであるが。) そして新赤プリ亡き跡地である都心の赤坂紀尾井町一等地には、新たに複合施設のビル群が建造されるとのことだ。

 “赤プリ”とはまさに我が独身貴族時代真っ盛りの頃に新館が建設され、その後バブル期の象徴のごとく東京の都心一等地に全面ガラスの建物が煌びやかに存在を誇っていたものである。 
 当時はおそらく全室満室時代であったが故に新館全客室を使用してのクリスマスイルミネーションは不可能だったのだろうが、バブル期の若者のトレンディスポットとして最大限の脚光を浴び続けていたものだ。
 その後30代で再び大学生になった私が昼間学問に集中するため夜間短時間で稼ぐ手段として当時は高給だったラウンジコンパニオンを目指したのは、もしかしたらその直前に新赤プリ最上階の「トップオブアカサカ」等に客として何度か訪れて、そこで気品よく優雅に働くコンパニオンを見たから故かもしれないのだ。 そういう面でも、原左都子のその後にとって“赤プリ”とは影響力があったと言えるのだ。

 新“赤プリ”が開館後わずか28年にして閉館・取り崩しの運命にあるとは信じ難い話であるが、要するに今後の維持管理のメンテナンスに莫大な資金投入を要するからそれを回避した方が得策との理由によるのであろう。  都心のホテル経営の競争激化により“赤プリ”の経営が芳しくない現状を考慮した場合いっそ綺麗さっぱり取り崩して土地を売却し新たな跡地利用計画を展開した方が得策との意図で、今後のプリンスホテルグループが生残りをかけて経営収支を見越した結果であろう。


 それにしても世の中には時代を超えて生き残る文化芸術がある一方で、短期間で姿を消さざるを得ない巨大文化建造物もあることを実感させられる思いである。

 バレエのごとくの文化芸術とは“人”が第一の資本であるためその“人”を育成することに尽力できたなら後々存続発展し易い分野であるのだろうか?  片や建造物のごとくの物的存在物とはその建設のための費用が膨大であろうし、また後のメンテナンスにかかる費用も多大となるが故に経済面において後々存在しにくい分野なのであろうか? 
 
 いずれにせよその収支バランスの判断においてよりグローバルな観点から今後の世の動向を見極めることこそが、この国の真の経済文化存続発展に繋がるものと原左都子は考察するのだ。 


 最後になりますが、本年も変わりなく「原左都子エッセイ集」にご訪問下さった読者の皆様に心より感謝申し上げます。

 60余年の年月を経て今尚生き残る文化芸術団体組織もあれば、他方では著名な建築家の建造物にして30年足らずの短命で消え去る建築文化もある今の時代の趨勢を実感しつつ、来年も我が「原左都子エッセイ集」が目指すべく道を力強く精進して参る所存です。

 皆様、良いお年をお迎え下さいますように!  
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配偶者控除、必要ないでしょう。

2010年12月26日 | 時事論評
 去る12月11日、政府は11年度税制改正で高所得者の配偶者控除の廃止を見送る方針を固めた。
 子ども手当上積みのための財源として政府税制調査会が廃止を検討してきたが、来春の統一地方選を前に民主党内に慎重論が強く、来年度の配偶者控除廃止の見直しは断念した。 子ども手当上積みには給与所得控除の見直しなどによる増税分を充てる方向である。
 財務相や厚生労働相ら関係閣僚の協議では、配偶者控除を受けられる上限を給与所得1000万円(年収1231万円)として財源を捻出することでほぼ一致し、一時は最終調整に入っていた。
 約1100億円が確保できるとされていた配偶者控除の見直しができなくなったため、子ども手当上積みに代わる財源が必要になる。
 (以上、毎日新聞記事より子ども手当と配偶者控除との関連部分を抜粋引用)

 
 昨年夏の衆院選における民主党の“看板公約”としてマニフェストに掲げられた子ども手当であるが、選挙戦当初より“手当てバラ撒き”と抱き合わせに語られていたのが表題の“配偶者控除の廃止”であった。
 元々民主党政権の“カネのバラ撒き”政策に断じて反対!の立場を貫いている原左都子であるが、選挙戦当初は票取り目的でしかない“カネのバラ撒き”のために配偶者控除を廃止する政策とは、発想として短絡的過ぎるとの印象を抱いていた。 (私事になるが、原左都子も一応外因的には専業主婦なのだが、税務上の“不労所得”が現在発生しているため「配偶者控除」の対象者ではない。)


 ここで参考のために「配偶者控除」について簡単に説明しておこう。
 「配偶者控除」とは配偶者(一般的には妻)の年収が103万円以下であれば、納税者(一般的には夫)の所得税等が減額される制度である。
 この制度が導入されたのは1961年であるのだが、当時の我が国はまさに高度経済成長を目指そうとしていた時期であった。 日本企業が世界的な発展を遂げようとする中“企業戦士”として日夜働く亭主を主婦が家庭で支えつつ、家庭内では子どもを少しでも“いい学校に入学させ、いい企業に入社させる”べく精進し始めた時代である。 その頃には、確かに“内助の功”なる言葉がまだ息づいていた。


 さて、話が変わって昨日(12月25日)の朝日新聞別刷「be」“between"のテーマは「配偶者控除は必要ですか?」であった。
 読者アンケートによる回答結果は「はい」が73%「いいえ」が27%と、予想通り「はい」回答が多数派であるようだ。
 
 このテーマに対する原左都子の回答を先に発表すると、表題に記した通り少数派の「いいえ」に軍配を挙げたい思いである。
 何故ならば私は若かりし頃より“婚姻”という家庭の形態にさほど興味がなかった人間であり、長い期間独身を貫き「配偶者手当」などと言う甘い恩恵を被る世界とは遠く離れた世界に生きて、独力で国家や地方自治体に多額の税金を納めてきた人種だからである。  要するに「配偶者控除」なる税制上の優遇措置世界とは無縁の人生を歩み続けているため、その種の控除を死守しようとする“配偶者”であられる主婦の方々の痛みが自身の事として心底理解できていないのが実情と言えるのだ。

 それでも上に記したごとく、民主党政権が票取り目的で「配偶者控除」を廃止する手段をとってでも“子ども手当”をバラ撒く!と公言した時には、 とんでもない! と憤慨したのは事実である。
 皆さんもご承知のごとく、今の時代誰が弱者なのか混沌としているからだ。
 来年度の高所得者「配偶者控除」廃止が見送られたとは言え、再来年度には“子ども手当て”バラ撒きの財源として配偶者控除分を財源に充てることを現政権は公言しているのである。


 結局この議論の行き着くところとは、現実社会で国政の“子育て支援”に平行して“配偶者”たる者の社会に置ける位置付けが今後どう推移するのかを見定めることに尽きるのではなかろうか。

 今の時代男性が草食化しているらしいが、経済力のある肉食女性が婚姻という形でその男性を扶養するごとくの家庭形態も既に存在すると見聞している。 その種の現在特有の事情を勘案した場合、今後は女性が産んだ子どもをその配偶者である男性が“イクメン”として育児する事例も増殖することであろう。 この場合も現政権の制度によると来年は「配偶者控除」は当然ながら適用対象となるということである。 子どもを産む性である女性の日々の過酷な労働の苦労は報われて当然である反面、“産む性”ではなくその痛みを知らない男どもが、いつまでもその恩恵を受ける草食であって許されるのだろうか??

 何故に原左都子が今回の記事においてこのような極論を持ち出すのかと言うと、「配偶者控除」と言えば、いつも女性のライフスタイルの多様化ばかりが議論の対象として持ち出されるからである。
 何が言いたかったのかと言えば、女性のライフスタイルどうのこうのを議論することはもう既に時代遅れではないのかということである。 それよりも、今現在の男性の草食化等世の移り変わりの激動に政権や世間に着目して欲しいのだ。 それ程、原左都子の実体験の感覚によれば世は移り変わっていると言える。

 そんな中“子ども手当制度”とは“産む性”でない草食男を含めたニートやパラサイト人種が家庭に篭ることを増進する制度であるとも捉えられるし、社会人として働きたくない男どもが「配偶者控除」の恩恵を受けることを正当化しようとしているのではないかとも懸念するのだ。
 議論が飛躍したようだが今の若い世代の男の軟弱化を考慮した場合、女性のライフスタイルの変化に着眼して「配偶者控除」は廃止だどうだと論じるよりも、現代の厳しい時代を生き切れず軟弱化している若き男どもが嘆かわしい程に生活力を失って弱体化している実態も直視考慮して、政権は法制度を改革するべきかと言いたかったのが今回の記事の一つの趣旨でもあるのだけど… 

 そうした場合「配偶者控除」廃止存続如何を論ずる以前の問題として、男女を問わずまずは雇用の安定を図ることが先決問題であり、“子ども手当”をバラ撒くより何よりもそれこそが少子化対策の第一歩となろう。

 そして社会的弱者が多様化した時代においては、一体どの種の如何なる弱者を税制面で保護するのが最善かを総合的に議論し直した上で制度改革がなされるべきである。 少なくとも、支給された手当の4割が貯蓄に回されているのが実態の“財源無き子ども手当”の支給をこのままの形、あるいはさらなる弱者を創り出す手段で続行することほど愚かな政策はないのだ。


 今の世の中、「配偶者控除」対象者と言えば肉食女房の扶養者たる“イクメン”ご亭主か?? と本気で世間が言い始める時代が直ぐそこに訪れているのではなかろうか!!? 
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書きゃいいじゃん。

2010年12月23日 | 自己実現
 いきなり私論の結論を表題としたため、何の話なのかお分かりいただけないことであろう。
 
 そこで順を追って説明することにしよう。
 12月18日朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談の題名は「小説が書きたいです」だった。
 その題名だけ見て咄嗟に出た私の感想が、上記の「書きゃいいじゃん。」なのである。

 ところがこの相談をよく読むと、どうやら相談者の悩みの本質が「小説が書きたい」との題名とは別のところにありそうだ。

 そこで、まずは71歳年金生活者(おそらく女性)による上記相談内容を要約して紹介することにしよう。
 わずかな年金をいただいて感謝しつつ暮らしている71歳だが、あれもこれも知りたい病で困っている。 起きてまず新聞を読むが出かけることも多く、新聞を読めない日がとてもつらい。 「婦人公論」も読むし、友人と詩を書いて年1度同人誌として発行している。 だが、本当は小説が書きたい。 2年前に看護師の仕事を終え、俳句、お茶、ウォーキング、老人会と役目が増えてしまった。 年を取る程に物事に興味がわいてきてしまうのは病気の一種だろうか。 子どもの図鑑も眺めるし、大学公開講座も聴きに行く。縄文文化や宇宙、動植物にも興味は尽きない。 でも本当にしたいのは小説を書くことだ。 同居人の娘も私をそそのかすばかりで何も言わない。もう少し年を取ると書けるようになるのだろうか。


 いきなり私論に入ろう。

 やはり私の結論は、つべこべ言ってないで本気で小説を書きたいならとっとと「書きゃいいじゃん!」 それのみである。
 それはおそらく相談者の同居人である娘さんも同じ思いなのであろう。 一番の近親者である娘さんとて“そそのかすのみで何も言わない”のは、「書きゃいいじゃん」以外に答えようがなく、たとえ自分の親と言えどもそれ以上の答を要求されても鬱陶しいだけだからであろう。

 で、一体この71歳年金生活者は如何なる答を欲しているのかが、この相談に応えるキーポイントとなろう。
 相談者の気持ちは分からなくない。 69歳まで看護師の仕事を全うし退職して現在は年金で賄える範囲内の事象を見つけてはあれこれやってみるが、おそらく“これぞ我がライフワーク!”と納得できる程のビッグな対象に出会えないでいるのであろう。 これも違う、あれも物足りないと内心欲求不満を募らせつつ 「本当は私は小説が書きたいんだ!」 と信じ込むことで自分の今の存在を正当化したいのであろう。
 ところが、実は小説を書くことにはさほど興味がないことにご本人が気付いておられないようだ。 何とか他者に後押しして欲しいとの他力本願思想に走りつつ、その思いを家族や周囲に話してみても誰一人として「いろんな物事に興味がある貴方には小説家はうってつけ!」などとまかり間違ってもおだててくれる人がいない。 周囲の反応とは結局私論のごとく、せいぜい「書きゃいいじゃん」程度なのであろう。
 どうしてもそのような身近な反応が物足りなくて欲求不満状態に陥った相談者が、新聞投書に打って出たといういきさつと受け止める。 

 この相談者の場合医療専門職の看護師だったこともあるのだろうが、この就職難の時代に69歳までご自身の専門である仕事に恵まれ、それをやり遂げられただけでも幸せな人生に恵まれていると言えるのではないのだろうか? 
 私も相談者とは職種は違えども元々医学分野の国家資格を取得し専門職に付いていた。 同種の仕事に就いたかつての学生仲間も、ほとんどの人が今尚現役バリバリで医療現場で活躍している。 おそらく定年過ぎて尚仕事を続行する人も多いことであろう。 (途中で身勝手にもその専門を放り投げたとも言える私にとって、何十年もその道一筋に生きている仲間の現在の活躍談を見聞するとぶっちゃけて正直なところ羨ましくもあるのだ。
 おそらくこの相談者の場合も2年前まで現役で活躍したご自身の看護師時代と比し、現在の年金生活は大いに物足りないことであろう。 何をやってみても職業人としてあれだけ頑張り患者さん等皆に感謝された時代がプレイバックされない…   そんな欲求不満を解消しようとして「小説が書きたい」と言ってみるものの、誰も後押ししてくれない… 
 職業人として長年頑張って来られたばかりに、退職後の現在の欲求不満が倍増する思いは原左都子も重々理解できるのである。


 ここで今回の“悩みのるつぼ”回答者である作家 車谷長吉氏の回答の一部を紹介しよう。
 人の頭脳は4種類に分けられる。 頭のいい人、頭の悪い人、頭の強い人、頭の弱い人。 この中で絶対に小説を書くことが出来ないのは「頭のいい人」である。 一番向いているのが「頭の強い人」だ。
     (中略)     相談者の場合あれもこれもと願い、多くのことに手を出している。趣味ならいいが、作家になるには書くこと以外のすべてを捨てる必要がある。これは絶対必要条件だ。それは苦痛を伴うが苦痛を感じれば人は真剣になる。心に血がにじむからだ。

 元教育者でもある原左都子の場合、人間の頭脳を単純に4分割して表現することは立場上避けたいのだが、作家であられる車谷氏の理論は分からないでもない。
 余談であるが、もしかしたら原左都子は車谷氏のおっしゃるところの「頭の強い人」に分類されるのかもしれない。 なぜならば、車谷氏の理論に従うと「頭の強い人」とは偽、悪、醜について考えても頭が痛くならない人種だそうなのだが、社会でそういう対象を見つけるとこの「原左都子エッセイ集」でぶった斬ってやろうとの闘志がメラメラ湧き出るからである。 


 最後になるが、この“悩みのるつぼ”の71歳の相談者は車谷氏がアドバイスされているごとくの“プロの小説家”を目指しているのではなく、ご自身が納得のいくライフワークを欲しておられるのであろうと文面より受け止める。
 この相談者が69歳までもの長期間看護師を貫かれたことを、職種は違えども同じ医学分野に従事した原左都子としては十分に褒め称えて差し上げたいのは、上に記した通りである。

 その上で相談者が本心から小説を書きたいのであれば、今の時代、拙い「原左都子エッセイ集」のごとくのブログのような形でも、いくらでもその思いを発信できることをお伝えしたいのだ。
 今さら世に名を売ることを目指さずそして一銭の収入にならずともよいのであれば、ブログとはいつからでも始めることが可能な媒体である。 公開したブログがネット上で発信力を持てば自ずとアクセスして下さる読者に恵まれ、自分にとってライフワークとも言える程の価値が付随して人生が楽しくなる事を、弱輩者である原左都子からアドバイス申し上げます!

 だからこそやっぱり 「書きゃいいじゃん!」 なのですよ!! 
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原左都子が選ぶ “レコ大受賞曲” トップ10

2010年12月20日 | 音楽
 今回の記事は12月18日付朝日新聞 別刷 「be」 “beランキング” の記事  「あなたが選ぶレコ大受賞曲No.1」 の形式をそのままパクらせていただいていることを、あらかじめお断りしておきます。


 日本歌謡界における最もメジャーな賞が1959年に発足した“レコード大賞”であるとも言える歌謡曲全盛の昭和の時代もあった。
 レコードがCD等のメディア媒体に移り替わり、国民の音楽嗜好が多様化し始めた後現在に至るまで“レコード大賞”の名は不滅である。 だが、さすがに平成(1990年代)に入った頃よりこの賞の存在価値そのものが低下の一途を辿っているとも考察できよう。
 
 まず最初に、上記朝日新聞“beランキング”読者調査による“レコ大受賞曲”トップ10を、原左都子が選ぶ“レコ大トップ10”に先立って以下に紹介してみることにしよう。

    1位  ルビーの指環  (寺尾聰)          
    2位  喝采  (ちあきなおみ)
    3位  また逢う日まで  (尾崎き紀世彦)      
    4位  シクラメンのかほり  (布施明)
    5位  TSUNAMI  (サザンオールスターズ)  
    6位  勝手にしやがれ  (沢田研二) 
    7位  魅せられて   (ジュディ・オング)     
    8位  黒い花びら  (水原弘)
    9位  ブルー・シャトウ  (ブルー・コメッツ)  
   10位  北の宿から  (都はるみ)    


 元々大の音楽ファンである原左都子だが、歌謡曲とてその例外ではない。 それが証拠に今尚カラオケファンでもあり、マイクを握らせてもらえると往年の名曲を何曲でも披露できる。
 それ故に、1980年代頃までは毎年年末になると民放による“レコード大賞”の発表を心待ちにしていたものだ。

 いよいよ、そんな原左都子が選ぶ“レコ大受賞曲トップ10”を以下に発表することにしよう。 

 選抜基準として、その5割は自ずと個人的好みによることをご了承願いたい。 その他5割は楽曲の完成度や歌手の歌唱力を含めた大賞にふさわしいスケールの大きさ、そしてその時々の時代の世相の反映度合や当時の世間の反応も思い起こしつつの我が“トップ10”決定である。
 (申し訳ないのですが、子育て等の事情により90年代以降は日本歌謡・ポップス界とは自ずと疎遠となっておりまして、それ以前の受賞曲に偏っていることをあらかじめお詫び致します。)

 1位  喝采 (ちあきなおみ) 
 1972年当時私は高校生だった。 思春期も終わりに近い頃、歌手のちあきなおみ氏が舞台俳優のごとくの演技力と歌唱力をもって歌い上げたこの楽曲をその後忘れることはない。 これ程スケールの大きい歌謡曲には未だかつて出会っていないとも言える程の存在観を誇っている名曲であると、私は分析する。

 2位  また逢う日まで (尾崎紀世彦)
 71年の名曲であるが、やはり楽曲のスケールの大きさに今尚唸る思いである。尾崎紀世彦氏は新人にしての大賞受賞だったと記憶している。 カラオケで男性達がこれをハモってくれると聴き入ってしまう私である。 

 3位  愛は勝つ (KAN)
 これは原左都子としては珍しく1990年代のヒット曲からの抜粋である。 歌手のKAN氏にとって“一発ヒット”の楽曲だったことであろうが、その完成度の高さとスケールの大きさを私は十分評価している。 今尚カラオケで皆で合唱したい名曲である。

 4位  こんにちは赤ちゃん (梓みちよ)
 63年、私が小学校低学年の頃のヒット曲である。 ママが産んだ子どもに語りかけるこの曲で“もはや戦後は終わった”時代に高度経済成長を目指そうと当時の国政から尻を叩かれ続けた国民は、この歌が表現した“母の優しさ”にどれ程癒されたことであろう。

 5位  黒い花びら (水原弘)
 59年、まさに“レコード大賞”発足初年度の大賞受賞曲である。 まだ幼稚園児であった私だが、水原弘氏のニヒルな雰囲気そして洋風の楽曲をよく憶えている。

 6位  CAN YOU CELEBRATE? (安室奈美恵)
 詐欺事件で有罪判決を受けて今尚謹慎中の小室哲也氏による97年の楽曲である。特別両人のファンという訳ではないのだが、この楽曲のスケールの大きさを好む私である。 カラオケで熱唱しようとして歌唱力不足故にどうしても歌いこなせないでいるのだが…

 7位  ブルー・シャトウ (ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)
 67年当時中学生になったばかりの原左都子はまさに“グループサウンズ”適齢期だった。 当時一番人気のタイガースの楽曲もすばらしかったが、レコ大の大賞に選ばれたのは国民の幅広い年齢層から支持を得たこの楽曲だった。

 8位  勝手にしやがれ (沢田研二)
 上記のグループサウンズ全盛期より後にソロ歌手の第一人者として生き残ったのは、やはりタイガースメインボーカルの沢田研二氏であった。 ジュリーはその後も多くのヒット曲を残しているが原左都子がジュリーのヒット曲の中で一番好むのは、この大賞受賞曲よりも実は “ボーギー、ボーギー、あんたの時代はよかった♪” と劇場バージョンのごとく歌って演じた“カサブランカ・ダンディ”である。

 9位  いつでも夢を (橋幸夫・吉永小百合)
 この楽曲も今尚スタンダードとして歌い継がれている名曲ではなかろうか。

 10位  DESIRE (中森明菜)
 スミマセン。 これは原左都子のカラオケのバリバリ持ち歌です! 今でも踊りながら歌えるのですが、ここで歌ってさしあげましょうか?? 


 皆さんは如何でしょう? どんな楽曲に思い入れがありますか??

 ミーハー音楽好きな原左都子にとって、往年の名曲が聴ける年末は楽しいひと時でもありますよ。 
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迷走を続ける“子ども手当”

2010年12月18日 | 時事論評
 対象家庭に支給された“子ども手当”の約4割が「貯蓄」に回されているという調査結果が、先日メディアにて報道された。

 我家も現在高2の娘を抱えており、“高校無償化”の対象世帯となっている。
 我家の場合、中高6年間分の授業料概算総額を私立中高入学当初に授業料引き落とし口座に入金済みである。 そのため本年度より対象となっている“高校無償化”の授業料からの減額分は、結果として預金口座の残額として残る形となる。(ゆくゆくは娘の大学の授業料の“ごく一部”に充填されることとなろうが。)


 先だっての朝日新聞「声」欄に、やはり2人の子供に支給されている“子ども手当”の全額が貯蓄に回っているらしき、40代の父親による興味深い投書があった。
 以下に要約して紹介しよう。
 妻から「銀行口座に10万4千円が振り込まれた」と報告があった。それは我が子2人分の“子ども手当”であるが、(国家)財源がなく半額支給となったもののその額の大きさに驚きを隠せない。 社会全体で子育てを支援しようと提唱する民主党の理念にもろ手を挙げて賛同するが、その具体策がぼやけそれを受け入れる社会基盤もままならない現状で、どう使えば子どものためになるのか困惑するのが事実だ。 一律支給では児童手当より減額世帯が出るため、3歳未満は増額等さらなる財政出動をもくろむ民主党だが、どこまで思いを巡らせているのか不思議だ。 借金まみれの財政状況を考えると将来子どもが払う税金の足しにしようかとも考える。 “子ども手当”とは国からの「預かり金」の気がしてならない。

 ここで一旦私論であるが、元々“子ども手当”に頼らずとも健全な子育てが可能なレベルの経済力がある家庭にとっては、まさに新政権の“財源無きばら撒き政策”の一つである“子ども手当”とは、我が子のための「預かり金」の意味合い以外の何物でもないことであろう。


 話が変わって、去る12月9日に民主党の“表向き看板大臣”である蓮舫氏が東京杉並区立和田中学校にゲストとして招かれ、生徒の視点に立って「事業仕分け」を行ったらしい。 (この区立和田中学校に関してはご記憶の方も多いことと察するが、民間企業であるリクルート出身の藤原何タラとの校長が“夜スペ”と名付けて一部の優秀な生徒対象に民間塾講師を学校に招いて安価で受験指導をするという公立義務教育学校にあるまじき差別施策を施し、一時世の物議を醸した“お騒がせ学校”である。 どうも、体質的に今尚目立つ行動を好む公立中学校のようだ。)
 この時の議論のテーマが“子ども手当は必要か”であったらしく、生徒からは“必要ではない”との反対意見が多数派を占めたとのことである。 それに応えてゲストの蓮舫氏は「お金の使われ方に感心を持って。それが政治を変える力になる」と熱弁を振るったとの新聞報道である。

 この蓮舫氏の区立和田中学での発言を、そのまま民主党政権にお返ししたい思いの原左都子である。
 昨年夏の衆院選の看板公約だった“子ども手当”であるが、マニフェスト遵守を優先するあまり“財源無きカネのバラ撒き”を決行し、未だにその財源確保がままならないまま各方面との軋轢を産み議論が混沌とするばかりである。 そんな渦中に政権大臣の立場にある蓮舫氏が国民に対して「お金の使われ方に感心を持って」などと無責任に発言できる資格など何一つないであろうに、よくもまあ相手が年端もいかない中学生であることをいい事に、いけしゃーしゃーとこの期に及んで政権のマニフェストの正当化を計ったものである。

 「お金の使われ方」に感心を持つべきは政権側であろう。
 現在支給している“子ども手当”の4割が貯蓄に回される実態を重々想定内で、国民一律にバラ撒いているのであろうか? そして富裕層には子どもが育った暁に増税収入として課し、それを回収して将来の国家財源確保の手段とすることを策略しているのであろうか?

 しかも“子ども手当”の財源確保が一向にままならない民主党政権は何を焦り狂ったのか、地方自治体の増収分を当てにして国家の財源として吸収しようとしているのだ。 当然ながら地方自治体はこれに大いに反発している。
 そもそも民主党政権は「地方主権改革」を目玉政策としてマニフェストの一つに掲げたはずである。 国と地方の上下関係を築いてきた補助金を廃止して、交付金を自治体がもっと自由に使えるようにする趣旨の公約であったはずだ。 ところが自分の懐具合が乏しいとなると、地方に泣きつくこのお寒い実態はどうしたことか? “溺れる者、藁をも摑む”とはまさにこの事であろう。


 原左都子は、昨年9月に民主党が政権を取る以前から“子ども手当”等のカネのバラ巻き政策に対して反対の立場を貫き通している。 それはもしかしたら、もらった“手当”を貯蓄に回す4割の国民の例外でない故なのかもしれない。

 民主党にとって看板の選挙対策でしかなかった“子ども手当”であるが、財源確保がどうしても出来ない今、思い切った見直しをせずしてこの制度が今後堂々と立ち行くはずもないのだ。
 日本の経済力の急激な衰退下において雇用も落ち込んだままの厳しい社会情勢の中今後生き抜きつつ大人になる我が子に、将来税収入の強化や年金の減額等で今以上に過酷な負担をかけることのみは断じて避けて欲しい思いが親として切実である。

 民主党政権さん、どうか我が身息災この上ない短絡的な“票取りマニフェスト”に基づくカネのバラ撒き政策を、今後大人になる子ども達の将来のためにこそ早急に見直して欲しい思いである。
                  
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