原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

大学新入試テストは“考えるプロセス”を問えるのか?

2015年12月31日 | 教育・学校
 一週間程前の12月23日付朝日新聞に、「考えるプロセスを問う 大学入試新テスト問題例」なる記事が掲載されていた。

 早速、以下にその内容を要約して紹介しよう。
 大学入試センター試験に代わって2020年度に始まる「大学入学希望者学力評価テスト」(仮称)につき、文科省が示した問題例は、従来と違い考えるプロセスも問う記述式を盛り込んでいる。 思考力や表現力を測ると共に、出題方法を工夫して採点し易い客観性も考慮するという。
 例えば、国語。  答えが一つとは限らず多様な見方や考え方ができる題材につき、図や文章を読み解き、自分の考えをまとめる力が求められた。 選択式と記述式を組み合わせて解答する問題もある。
 次に、数学。 身近な事象について取り上げ、情報量の多い問題文の中から、解決に必要な情報や条件を見分けて考える問題だ。
 文科省が今回示した問題例について、識者らの意見は分かれている。 「受験生は正解を当てる技術を磨く傾向にあったが、論理的に筋道を立てて考え抜く力がつく。」 あるいは、「これからの時代に合った思考力を問う内容。問題としてはいいが、選抜試験に使えるかとなると難しいのでは。」 さらに、「公平な採点方法や大学の負担、実施時期の検討など課題は多い。」
 予備校生の意見として、「応用的名問題で求められる基準が高いと感じる。新テストを避けて、推薦入試などに流れる人が増えるのでは」
 (参考だが、当該問題例については、文科省のホームページにて公開されているとのことだ。 以上、朝日新聞記事より一部を要約引用。)


 原左都子の私事に入ろう。

 私自身、高校教員経験があるが、定期試験時の出題には私なりの大いなるこだわりがあった。
 それは生徒個々のオピニオンを文章にて書かせることだ。 と言うのも、私が担当していた教科が「商業」「社会」であり、両者共々日々目まぐるしく変化を遂げる社会情勢を伝えねばならない使命感があったからに他ならない。
 例えば、当時(バブル絶頂期からそれに陰りが見え始める時期だったが)政治経済等々社会全体が再編され揺れ動く激動の時代背景だった。 単に規定化された事象を伝える事ももちろん重要だが、移り変わる時代の真っ只中で今後生きて行く生徒達には、是非とも自分なりのポリシーを抱いて欲しかったのだ。
 ただし、私が勤務していたのは(大変失礼な表現をお詫びしておくが)底辺高校だ。 そうだとしても、生徒個々のポリシーは必ずやあるはずだ。 それに期待し、私は毎回の定期試験に於いて生徒達の反発をものともせずに、自由オピニオン解答を求め続けた。

 そうしたところ、これが面白い!
 文章以外の設問(要するに上記大学新テストの“選択式設問”の類)で高得点が取れる生徒が、文章題にて一切の自己オピニオンが書けない事態を発見する事と相成る。
 片や、選択式問題では冴えない生徒が、文章課題にて私の心に響くようなオピニオンを書いて来るのだ!
 教師の立場としては一応両者共々高評価を下すのだが、採点をする立場として私が感じたのは、「自己のオピニオンを表出可能な生徒にこそ輝ける未来が待っているだろう!」という事だ。
 多い時には一度に150名程の生徒のオピニオン解答を読んだと記憶しているが、私はそれら生徒が書いてくれたオピニオンに対し、必ずや全員に私なりの返答メッセージを書いた事が懐かしい。
 
 私事が長引いたが、十代の若者の「考える力」を育てるには、自己のオピニオンを自由に書かせることが一番ではないかと私は考えている。
 ただ、それの採点が困難な事は重々承知だ。 
 私の場合は、多い時でたかが150名程の採点だったため、それを一人でこなすことが十分可能だった。(ただ自宅にて真夜中まで時間を要したのが実態だが。)
 しかも、それを複数の採点者で実施するとなると、採点者による「価値観の行き違い」との事態に必ずや遭遇するとの問題が発生する事だろう。
 

 ここで大きく観点を変えよう。

 文科省が世界基準に比して日本の大学学生のレベルの低さを嘆いている事実は、私も十分に理解している。
 ところがその元凶を、文科省が大学に“入学して来る学生の質”に求めている事実に、そもそも大きな誤りがあると私は常々考えているのだ。

 ここは、その発想を原点に戻そうではないか。
 日本の大学が「学問の府」であるべき事は既に法的規定がなされている。 ならば、大学入試により優秀な学生を確保しようとの発想をそろそろ止めては如何であろうか? それよりも優先するべきは、大学自体の質を高める事だ。
 現状の日本にごまんと存在する大学の質とは千差万別であろうが、「学問の府」の名に相応しいとは到底言えない大学の設立を認可し続けている文科省の体質こそを、まずは改めるべきだろう。

 そんなみすぼらしいまでの大学の実在を文科省が認可している事実から、自ら問い直して欲しいものだ。


 原左都子から一つ提案がある。

 文科省が今やるべき事とは、入学前の17,8歳の子供を捕まえて、やれ、「考えるプロセスを問うぞ!」と脅す事である訳がない!

 そうではなく、現在日本国中に存在している大学の実情を今一度再確認して欲しいものだ。
 もしも可能ならば、2020年「大学入試新テスト」を実施する時点で、「学問の府」としての機能を果たしていない底辺大学には「新テスト」を受けさせない、との手段により斬り捨てる事を視野に入れても許されるのではなかろうか?

 大学の使命とは、まさに学生に学問を教授する場であるべきだ!
 それを文科省が大学現場に真に実行させる指導力を果たせてこそ、学生達の「考えるプロセス」が育つと私は信じる。



 P.S.

 本年も「原左都子エッセイ集」をご訪問いただきまして、誠にありがとうございました。 
 皆様、良いお年を迎えられますように!! 

病院のIT管理システムは高齢患者泣かせだよ

2015年12月29日 | 時事論評
 現在高齢者有料介護施設に入居している義母が、先週末散歩中に転倒して右腕と顎を強打した。

 施設内看護師氏の判断にて急きょ整形外科医受診したところ、右肘骨折(高齢のため全治期間は不定)との診断が出た。


 昨日3度目の病院受診に、義母の保証人である私が病院まで付き添う事と相成った。

 参考のため、義母が入居している介護施設では入居者負担有料にて介護スタッフが病院への付き添いを代行してくれるサービスがある。 それを初診及び2度目の受診時に利用したのだが、何分、介護スタッフとて日々激務をこなしておられる事を重々承知している。 いつまでもそのサービスに頼りスタッフの皆さんの激務に追い打ちをかけては、保証人の立場としても大いなる心情的負担である。
 年末のこの時期に、義母の病院受診に半日を費やすのは私にとっても大いなる時間のロスとの心痛を抱きつつ、昨日それを実行してきた。
 
 本日のエッセイでは、多少の認知症と耳の聞こえの悪さを抱えている義母を引き連れての“病院内付き添い珍道中”を綴ろうとの魂胆だ。


 さてさて義母を迎えに介護施設を訪れてみると、早速義母が私に訴えて曰く、「また補聴器を落としちゃったのよ」  (え~~、また?!?)
 と言うのも、これで義母が補聴器を落としたのは数回目の事だ。  経済力がある義母が何度補聴器を落として買い替えてもよいだろう。 が、保証人の立場としては、とにもかくにも耳の聞こえにくさが日々激化している義母の身にして片耳の補聴器を落とされては、ほとんど会話が出来ないに等しい有様だ。
 (いやはや、参ったなあ。)と思いつつ施設よりタクシーに乗せると、今度は「駅の何口に着くの?」とのご質問。 それに応えて「今日は病院へ直行しますから駅には行きません」  「あら、そうなの」と事情が分かっていない義母が返してくる。

 そうして病院に到着した。 
 今回義母が受診している整形外科が、地元総合病院内の一診療科である事に手間取る事となる。(と言うのも、私自身元医学関係者である事が一番の理由なのだが、病院受診を最小限に留め“予防医学”の観点から我が身を維持しているためだ。 その理由により、最近病院なる場所を訪れた経験に乏しいのだ。)

 早速、再診外来受診手続きをしようと志したところ、それを病院内IT管理カード方式に頼ることとなる事実は理解出来た。 その再診入力マシンを発見して、義母の受診カードを入れたのはよかったが…
 義母曰く、「主治医先生のお名前を覚えていない…」  そこで私はそれを尋ねられる受付を探したのだが、何処にそれがあるのか分からない。  直ぐ近くの人が配置している受付に直接尋ねたところ、早速義母の担当医師を検索してくれたのは良かった。  それで受付が終了したのかと思いきや我が考えが甘かった様子だ。 結局、入口の再来受付マシンに再度戻って、再び義母の受診受付を再入力させられる有様だった。

 とにかく歩行が自由とは言えない義母を椅子に座らせた後に、受付の担当者から義母の名前を呼ばれる。
 どうやら先に患部のX線撮影を実施するとのことだ。 
 放射線科にての義母のX線撮影は右肘の骨折局部であるのは当然だが、おそらく義母がそれを認識していないだろうと想像していると案の上だ。  高齢者にとってX線撮影と聞くと真っ先に「胸部撮影」を思い浮かべるのであろう。  早速上着を脱ぎ始めた義母に、大声で「今日は右肘の撮影ですから脱ぐ必要はありません!」と告げた。  更には、若き放射線技師氏からの「この椅子に座って下さい」の指示も聞き取れない義母に私から大声で椅子の座り方を伝授した後、技師氏から「付添人の方は外に出て下さい」との指南だ。 たとえ少量なりとも部外者がX線被爆を回避するべきとの配慮発言だったと心得る。
 ところがその後、既にX線撮影を終えたはずの義母が、いくら待っても出て来ない。 (ははあ、要するに若造放射線技師達の「終了しました」の声を義母が聞きとれていないのだなあ。)と想像しつつレントゲン室に入ってみるっと、まさにその通りだ。 撮影が終了したはずの義母が、未だX線撮影の椅子に腰かけて右腕をまくり上げたままの状態だった。 
 「お母さん、レントゲン撮影は終わりましたよ!!」と私が大声を張り上げると、やっと分かった様子で次なる診察に向かった。 


 さて、現在に於いては複数の診療科を抱えある程度の規模がある病院に於いては、電算システムIT化が劇的に進化した恩恵を賜りその導入を実施している事であろう。

 ところがこの進化システムが、お年寄り患者氏達にとっては大いなる障壁となっている様子だ。

 主治医診察のため、義母を診察室前で待機させるために誘導したところ…
 義母曰く、「○子さん(私の事だが)、私はどうしてもこの電光掲示板が分からないの。 今後一人でこの病院を訪れても、この電光掲示板がどうしても読めない。 だから○子さんはじめ施設の人に付き添ってもらわねばならないのが辛いの。 今日の待ち時間内でこれをマスターしたいから、教えてくれる?」
 私曰く、「分かりました! まずはお母さんの受付入力番号を把握しましょう。」  義母も必死だ。 その思いは十分に私に伝わる。 やっとこさ、自分の受付番号が「405番」との事は把握出来た様子だ。
 次に把握するべきは、義母の主治医先生の診察室の番号だ。 「それは8番です。分かりましたか?」と問う私に、「8番ねえ…」と言いつつ、既に自分の受付番号を忘れている様子だ。 どうやら後で教えた「主治医先生診察室の8番」だけは脳裏にある様子で、「○子さん、8番の診察室は後10名待たなければいけないようよ」
 「いえ、そうではなくてお母さんの受付は405番ですから、それに注目しましょう」と教授しても、どいうしても義母の記憶は最後に教えた「診察室は8番」しかない様子だ。
 その流れで、やっとこさ電光掲示板にて自身の受付番号「405番」が掲示されたとて、自分の順番が来た事を認識不能な義母だった…

 いやはや、確かに病院の電光掲示板システムは、認知症高齢者にとって無理難題課題を多く内在している事実を思い知らされた感覚だ。

 しかも、そのIT管理ナンバーシステムは会計ないし薬剤処方まで続く。
 今時の医療システムとは、病院と調剤薬局を分離状態にしているのも現状だ。
 義母が処方された“湿布薬”を購入するため病院の外に位置している調剤薬局まで引き連れるには、義母の歩行状態が伴わない。 そこで私は義母に告げた。 「私がこれから外部の薬局まで湿布剤を取りに行きますから、ここで座って居て下さい! 絶対にここから動かないで下さい。」  私の指導に従い、義母がおとなしくその席で座っていてくれたからこそ帰宅が成り立ったものの…   これが、もっと認知症が進んで徘徊癖がある事態に陥ったならば、一体全体、認知症年寄りを抱えた病院受診をどうせよと、病院側は言いたいのか!?!


 何度も言うが、私自身は過去に於いて医学教育を受けている者だ。

 そんな身にして身内に認知症状が顕在化した高齢者を抱える事態となった暁に、理解不能な事象が数多く発生する。
 その観点から考察するに、現在の病院にてのIT管理システムとは、病院経営者側の“効率最優先”原理に基づき企画されているとしか推測出来ないのだが…。

 願わくば、弱者であり多様な病状を抱え生死を彷徨っている患者氏達を主たるターゲットとした“IT管理システム開発”が、病院内でも実行されることを是非とも望みたいものだ。

自民党衆院男性議員が育休取得??ふざけんじゃないよ!

2015年12月27日 | 時事論評
 一体全体この若造自民党議員、国会議員の身分を何だと勘違いしているんだ!?!
 一般庶民労働者と国会議員とでは、訳が違うことがどうして分からないのか??

 今一度、頭を冷やして考え直してごらんなさい。 貴方は国民から貴重な一票を投じてもらって、お国の代表として選出された国会議員なのだよ。
 もしも生まれてくる我が子可愛さにどうしても自らその子を育てたいのなら、議員辞職した後にそれを実行するべきだよ。 


 だいたいねえ、国会議員若造同士で恋愛三昧の果てに職場結婚だと?
 一体貴方達何をやってるの。 その事実からして私は腹立たしいよ。
 世間知らずの若手議員の身分で、まずは議員として誠心誠意国民のために精進するべきだろ??  どうしても国会議員同士で恋愛して結婚したいのならば、国民の目に付かない水面下で、隠れてこそこそやれよ。
 たとえ子供が出来たとて、国会議員歳費特権で多額の収入を夫婦揃って血税からもらっているんだから、ベビーシッターを雇えばいいじゃないか。 そして国会開催時期でない閑散期に時間を取って子どもとかかわれば済むだろう。
 貴方達の自民党議員先輩の野田聖子議員も、(いつ、どれ程の期間行ったか知らないが)国会議員の身分で米国まで渡って、体外受精によりハーフの子どもを設けている。 要するに、国会議員とはそれを実行出来る程の時間的余裕を持て余しているという事だろう??

 まったくもって、自民党“ゲロ勝利時”の選挙戦にてたまたま幸運にも“数の論理で”議員になれたからと言って、今流行りのイクメンをやると世間を騒がせて、いい気になっているんじゃないよ。
 過去の民主党政権交代ゲロ勝利時の“小沢ガールズ”とやらの成れの果てを少し見てごらん。 みすぼらしくも、今それらの元議員どもが一体何をやっているのやら… 
 議員も一時の運に浮かれて、好き放題のじゃれ事を国民相手に吹聴している暇などないはずだ。  


 私事に入ろう。

 私自身は職場を「出産退職」した身だ。
 当時高校教員だったのだが、高齢出産を間近に控え、このまま自宅から勤務校までの片道2時間半の電車・バスを乗り継ぐ勤務を続けるか否か迷っていた時、義母が私に告げた。 (既に我々夫婦の新居をもっと遠い場所に購入していた事もあり)、「○子さんがどうしても仕事を続けたい意向ならばそれを尊重するが、高齢での出産でもあるし、無理をせず体を休めゆったりと育児に励んではどうなのか?」 
 40歳近い年齢になった今職場を退職するということは、イコール、今後の我が人生に於いてフルタイムにての仕事に従事する事をきっぱりと諦める結果となろうことは、重々想像可能だった。 
 正直なところ安定した高給を得ていた事実も捨て難く、また、それまで学業及び仕事一筋に生きて来た私が育児に専念することに、少なからずの違和感も抱いてもいた。

 ただ、現実を見ねばならないだろう。 実際問題、妊娠8カ月を過ぎた頃から片道2時間半の通勤を日々こなすのが多少苦痛となって来ていた。 
 そして、私は学校の夏季休暇中に決断を下した。 9月末までの勤務にて「出産退職」するとの。

 退職後さほどの時を経過せずして、我が子は出産時のトラブルにより若干の不具合を抱えてこの世に誕生した。
 今思い起こすに、退職を決断していたことが実にラッキーだった。 その後の私には、娘のサリバン先生として二人三脚にての育児・教育指導の厳しい怒涛の日々が待ち構えていたのだ。


 子供を育てていく事とは、実に大変な業だ。
 仕事と両立させつつ片手間に育児をこなすのではなく、理想像としては、出来得る限り親の愛情を直に注ぎつつ、日々その小さな生命を守り抜きたいものだ。

 だからこそ育児休業制度が法的に整備され、それを取得する権利が親権者に認められているのだ。
 一般労働者の皆さんが当該育児休業制度を有効活用して、たとえ1年~3年との短期間であろうと自分達が産んだ子供と直にかかわれるのならば、それは喜ばしいことであろう。

 決して育児休業制度とは、自身の議員活動をアピールして国民相手に“売名行為”する目的で法制度化されたのではない事は歴然だ!


 以下に、民主党議員らによる当該“事件”に対する反発報道を要約して紹介しよう。

 民主党の岡田克也代表は12月24日の記者会見で、自民党の宮崎謙介衆院議員が育児休暇取得を検討していることについて「多くの方からみて違和感のある話ではないか」と疑問を示した。
 宮崎氏は同党の金子恵美衆院議員と結婚しており、来年2月に第1子が誕生する予定。
 岡田氏は「一般の場合は休みを取れば給与は削減される。 国会議員もそういう法律を作るなら一案だとは思うが、今言われているのはそういう話ではないようだ」と指摘。 その上で「国会議員は大変忙しいが、ある意味でフレックスタイムみたいなところがある。やりくりしながら(育児に)対応することも可能ではないか」と語った。
 民主党の蓮舫代表代行も23日のツイッターで、「制度があっても育休すらとれない現実もある。国会議員のすべき仕事は2人そろって給与全額保証の育休を優雅に取ることではなく、現実に向き合っている人たちを法改正で守ることだ。この2人の考えを私は全く理解できない」と断じた。
 (以上、ネット情報より一部を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 自民党若手議員の宮崎氏とやらの発言は、今まで娘のサリバン先生として娘共々二人三脚で頑張って来た私にとって、大いなる背信行為とも受け取れる。

 とにかく、子供を産んでみなさいよ。 
 (大変失礼ながら)もしもその子が若干でも事情を抱えていたならば、(“育休”を男性議員の自分が取ったなら国民がなびいて自分のファンが増えるだろう)などとの我が身息災の身勝手な思惑など吹っ飛ぶというものだ。 その暁には、実際如何程のケアが我が子に対して必要となるかが最優先課題となるであろう。
 どうやら野田聖子議員も、体外受精で生まれたハーフの息子氏にベビーシッターを雇って、今現在もそのケア任務を果たしている様子だが…。

 ここは、貴方達の先輩である自民党 菅官房長官も述べているように、この議論を“超党派”に任せては如何か。
 その結果を待っても決して遅くないであろう。

 (たとえ今回の事件が国会議員夫婦で企んだ結果の同罪としても)、そんな事で現在妊娠中の奥方議員の心身を錯乱している場合ではないだろう。 
 来年2月に誕生するというご自身の子どもさんのためにも、男性である自民党宮崎議員が今優先してやるべき事とは、奥方の安産のために少しでも奥方議員の心身状態を気遣ってあげる事ではなかろうか!?!

年の瀬の我が身に降りかかる “びっくりポン!”出来事の数々

2015年12月25日 | 雑記
 (写真は、昨日 娘が1月末に出かける卒業旅行のために購入してきた新しいスーツケース。 実際の色彩はもっとエメラルド色に近い輝くばかりの美しさなのだが、我が貧弱携帯撮影では水色にしか見えないのが残念…

 
 2015年も終わりに近づいている今時になって、次々と“びっくりポン!” と叫びたくなるような難題や嬉しい出来事が、我が身に慌ただしく降りかかってくる。
 今回のエッセイは、それら私が現在経験している“びっくりポン!”出来事をまとめて披露しようとの魂胆である。


 まずは、冒頭写真のスーツケースに“びっくりポン!” から。

 何もこんな多忙な年末の時期に娘の卒業旅行を企画しなくて済んだものの、ちょうどネットにて旅検索をしていて、娘の卒業旅行に同行するに相応しい(要するに、母の私がまんまと同行して楽しめそうな)個人旅行案件を発見した。
 何分、世界的規模でIS等による過激テロが勃発を続けている世界情勢だ。 娘一人(あるいは同等の子供達)だけで海外旅行に出すには、危険性が大き過ぎる今の国際情勢である事に間違いない。
 そんな中、今のところISテロが勃発していないイタリアに私は目を付けた。 そして発見したのが、ローマ・フィレンチェ間を高速列車にて移動する旅だ。  元々集団嫌いな私だが、せっかくの娘の卒業旅行を団体旅行などには一切頼りたくない!  親の私が付き添ってでも娘には個人旅行を経験させたいものだ。 しかも娘が言うには、2月に入ると大学に行かねばならない用件があるから1月末出発に限る、との事だ。
 そして企画したのが、1月末発の上記イタリア列車移動旅だった。

 さて娘のスーツケースに目を移すと、既に8往復の海外旅行をこなしているスーツケースの鍵の不具合が心配要因だ。 これは買い替えない事には、セキュリティ上役割を果たせないと目論んだ私が、昨日娘に新しいスーツケースを買い求めるように指南した。 
 そして娘が買って来たのが、上記写真のスーツケースである。 ファッションにはうるさいサリバン母曰く、「絶対、地味なものなど買って来ぬように!」  その結果、娘が購入したのが上記写真の“エメラルド色”のスーツケースである。 
 これにはまさに“びっくりポン!” (ただ、これ程派手だとむしろ狙われるかもしれないなあ… との心配を煽られる程だ。)

 娘の卒業旅行の話のついでに、その旅行代金の振り込みに話を移すと…
 昨日、親である私がその振り込みに某銀行まで出かけた。 (と言うのも、今回の取扱い旅行会社が“クレジット決済”を一切取り扱っていない故だ。) 
 そうしたところ、まさに“びっくりポン!”や!!
 今時の金融機関は「振り込め詐欺」撃退のため特にATMからは一度に少額しか振り込めない対策を採用している事は理解していたものの…  まさか、それが10万円までとの少額とは露知らなかった私だ。   仕方がなくATM操作を幾度も繰り返し、多額の振込手数料を銀行に支払って振り込みを完了した。
 もちろん、「振り込め詐欺」を撃退したい金融機関の思惑は理解可能だ。 ところが、実はそれに便乗して「手数料収入」を得ようとまんまと企んでいる、金融機関側の魂胆にも大きな比重があると憂慮する私だ。

 
 少し日数を遡れば、12月初旬に介護旅行に連れて行った義母が、施設から散歩に出た暁に転んで右肘骨折との連絡が今週月曜日に届いた…
 (なんでこんな年末の時期に転ぶの…、“びっくりポン”や!!)との無念感が否めないものの、その通院に付き添わねばならない責務が課せられているのが、親族保証人の性(さが)である。 
 一度目、二度めの外来初診は、施設の担当者氏に(当然ながら高額有料にて)付き添いを任せたものの、保証人として、いつまでも施設担当者に依存出来ない心情的負担がある。 そして、私は来週月曜日に義母に付き添い整形外科医を訪れねばならないスケジュールとなっている。


 そんな中、私にとって嬉しいサプライズである “びっくりポン!”出来事を昨日経験した。
 自宅近くに店舗がある、某チェーン展開ドラックストアを幾度が訪れている私だ。 とは言えども、都心には数多くの同様ドラックストアが近辺にひしめいて存在しているため、特にその店舗を贔屓にしているという訳ではない。
 その店舗へは、私の記憶によると年に2、3度しか訪れていない。 しかも、いつ訪れても店員氏が入れ変わっているし、店舗に配置せねばならない薬剤師とて、複数人の日替わり勤務となっている事を承知している。
 昨日、私がその店舗を訪れた時の出来事だ。 私の方もレジに出た薬剤師氏の面影を少し記憶していた。 そうしたところ、当該薬剤師氏がレジを終えた私に告げるには、「ヘアスタイルを変えられましたか?」
 これにはまさに“びっくりポン!”である。  この方と再会したのは、まさに2、3年ぶりである。 しかも大都会にて日々大勢の人が行き交うドラックストアに於いて、ヘアスタイルを変えた私を薬剤師氏が覚えていたとは、星の数より数奇な確率ではなかろうか?!?
 「私の事を覚えて下さっていただけでも嬉しいです!」と返答する私に対し、「新しいヘアスタイルがとても素敵ですよ!」と薬剤師が返して下さる。 
 いやはや参った、と言うべき出来事だったが、私なりに少し考察するに医学関係の学業を経験している女性陣とは、(同業者として)例外なく「記憶力に優れている」(??)のではないかと再確認したものだ。??? 


 もっとあるある私の年末“びっくりポン!”の出来事。 

 その最たるものが、先だって娘が内定先企業を訪れ、代表取締役社長より伝授されてきた“有り難きお言葉”だった。 
 これに関し記していると字数が大幅に増大するため後に回し、今回はこの辺で我がエッセイ集 久々の「雑記」カテゴリー “びっくりポン!エッセイ”をお開きとしよう。

新国立競技場A案建設後の維持管理費を明示せよ

2015年12月23日 | 時事論評
 昨日の12月22日、2020東京五輪の主会場となる新国立競技場に関し、業者2チームから提案されていた設計・施行案のうち 「木と緑のスタジアム」 を主なコンセプトにした“A案”で建設する事が決定した。

 当初、新国立競技場建設を巡っては、「キールアーチ」と呼ばれる2本の巨大なアーチと流線形が特徴的だった建築家ザハ・ハディド氏による建設案が採用されかけたいきさつがある。 ところが、この建設費用が約2651億円にまで膨大する事実が世論の反発を招く事態と相成り、ハディド氏に巨額の損害賠償金を支払う形で7月に白紙撤回されるに至っている。


 さて、そんな東京五輪組織委員会の失策・醜態の後に浮上したのが、新たな建設計画案の募集だった。
 そして(私自身はその経緯を承知していないのだが)、最終選考案として“A案”“B案”二つに絞り込まれたようだ。

 元々2020東京五輪開催反対派であり、かつ私の住居地である東京都より300何十億円かの巨額血税が投入される新国立競技場建設に際しては、元より少しでも安価な案に賛同したいと考えていた。
 しかも、五輪反対派の立場としての更なる懸念は、五輪開催後に発生する施設維持管理費に他ならない。 おそらくその費用総額を、4,50年後の競技場解体後まで東京都の血税より負担するのであろう。
 どうか、最終選考に当たっては、将来的な競技場の維持管理費や更にその先の解体費用まで含めて議論がなされるべきと期待していた。

 ところがどうしたことか、昨日の報道によれば、新国立競技場最終選考基準とは“2020五輪開催時の評価のみ”でなされてしまった事に大いに失望している私である。
 例えば、「総工費」 「工費短縮の実現性」 「日本らしさへの配慮」 「暑さ対策等環境対策」 「観客席などの建築計画」 …
 これらの評価基準は、すべて2020東京五輪開催にしか焦点が当てられていないであろう事実に辟易とさせられるのだ。 (ちょっと待ってよ。この競技場に先々に渡って血税を投入させられる東京都民の身にもなってよ~、と愚痴をこぼしたくもなる。)
 しかも昨日NHKニュース報道で垣間見た、A案決定の映像にて写し出された安倍首相はじめ、東京五輪組織委員会メンバーの“糠喜び”の実態には腹立たしい気分にもさせられるというものだ!


 話題を私事に移そう。

 幾度となく我がエッセイ集にて公開しているが、原左都子の自宅マンションが現在第一回大規模修繕中だ。 建物とは建設後の定期的維持管理こそが建物を長持ちさせるために肝要である事は、皆さんご存知であろう。
 それはそうなのだが、一体その修繕に如何程の費用が発生するのかご承知であろうか? 
 我が所有物件建物の場合、30世帯程の小規模マンションなのだが、築12年に達した建物の外壁工事を実施するのに約4500万円の費用が発生している。 これを一戸当たりの負担額に割り当てると150万円/戸 程の経費負担が発生することとなる。 もちろん月々の“修繕積立金”制度により、その実施が可能なのだが、これを建物解体まで12,3年周期で繰り返す各戸の総負担額が多額に上る事実をご想像頂けることであろう。

 新国立競技場とて、同様の論理で建設後の維持管理費を賄っていく事となる。
 にもかかわらずその議論を置き去りにし、2020五輪開催のみを表ざたにして争った結果の今回の“A案”採用決定に、大いなる疑義を抱かざるを得ない。


 建設素人の私であるため、専門的な指摘など何ら出来ない事は承知の上だが…

 “A案”に関して素人なりに気になる事がある。
 それは、「木と鉄のハイブリット屋根で日本伝統的な“和”を強調した」とのフレーズだ。 如何に考察しても、木材の耐久性と鉄の耐久性とは大いなる格差があろう。それを承知の上での建設後のメンテナンス計画を立てているのであろうか?  あるいは、競技場周辺に配置した樹木の数々…。 我が所有マンションでも樹木を多く配置しているがその剪定作業に毎年少なからずの費用が発生している。 
 もちろんB案でも、周囲に純国産カラマツの柱を72本植えスタジアムを支える計画だった様子であるため、建設後の費用発生額に大差はなかったのかもしれないが…


 朝日新聞本日(2015.12,23)の記事より、「五輪後の姿 議論を」 の一部を以下に要約して紹介しよう。
 “A案”“B案”に関する9項目の審査基準のうち「工期短縮」でものをいい、A案が選ばれた。(原左都子の私論も交えるが、要するに安倍総理及び五輪組織委員会による)最優先課題とは、「五輪に間に合わせること」でしかなかった。) それにより、他の「建設計画」や「維持管理費の抑制」等5項目でB案よりも劣りながらも、A案が選ばれた理由だ。
 五輪後国内外の陸上主要大会を開くには、近くに練習用トラックがないと「不適合」となる。 五輪では仮設で整備するが、常設の練習用トラックを造る土地がない。  今後、A案競技場を有効利用するためには知恵が必要だ。 コンサート等で収益を上げねば、巨額の維持費をスポーツくじに頼ることになる。

 まったくもって、2020東京五輪を開催しさえすれば自分の政権は安泰だし成功だ!後は我関せず、と言いたげな安倍政権のやり口には呆れてものが言えない…

 東京都民の一人として無念なのは、五輪開催のために「新国立競技場」建設の血税を国家から煽られ、それを差し出した見返りが何もない事実だ。 
 それどころか、今後の未来に大きなお荷物となるのが見え透いている競技場の維持管理費を、ゆくゆく“博打(ばくち)”にその回収を頼らねばならない実態に、お先真っ暗な心情しか抱けないというものだ…