原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

大学新入試テストは“考えるプロセス”を問えるのか?

2015年12月31日 | 教育・学校
 一週間程前の12月23日付朝日新聞に、「考えるプロセスを問う 大学入試新テスト問題例」なる記事が掲載されていた。

 早速、以下にその内容を要約して紹介しよう。
 大学入試センター試験に代わって2020年度に始まる「大学入学希望者学力評価テスト」(仮称)につき、文科省が示した問題例は、従来と違い考えるプロセスも問う記述式を盛り込んでいる。 思考力や表現力を測ると共に、出題方法を工夫して採点し易い客観性も考慮するという。
 例えば、国語。  答えが一つとは限らず多様な見方や考え方ができる題材につき、図や文章を読み解き、自分の考えをまとめる力が求められた。 選択式と記述式を組み合わせて解答する問題もある。
 次に、数学。 身近な事象について取り上げ、情報量の多い問題文の中から、解決に必要な情報や条件を見分けて考える問題だ。
 文科省が今回示した問題例について、識者らの意見は分かれている。 「受験生は正解を当てる技術を磨く傾向にあったが、論理的に筋道を立てて考え抜く力がつく。」 あるいは、「これからの時代に合った思考力を問う内容。問題としてはいいが、選抜試験に使えるかとなると難しいのでは。」 さらに、「公平な採点方法や大学の負担、実施時期の検討など課題は多い。」
 予備校生の意見として、「応用的名問題で求められる基準が高いと感じる。新テストを避けて、推薦入試などに流れる人が増えるのでは」
 (参考だが、当該問題例については、文科省のホームページにて公開されているとのことだ。 以上、朝日新聞記事より一部を要約引用。)


 原左都子の私事に入ろう。

 私自身、高校教員経験があるが、定期試験時の出題には私なりの大いなるこだわりがあった。
 それは生徒個々のオピニオンを文章にて書かせることだ。 と言うのも、私が担当していた教科が「商業」「社会」であり、両者共々日々目まぐるしく変化を遂げる社会情勢を伝えねばならない使命感があったからに他ならない。
 例えば、当時(バブル絶頂期からそれに陰りが見え始める時期だったが)政治経済等々社会全体が再編され揺れ動く激動の時代背景だった。 単に規定化された事象を伝える事ももちろん重要だが、移り変わる時代の真っ只中で今後生きて行く生徒達には、是非とも自分なりのポリシーを抱いて欲しかったのだ。
 ただし、私が勤務していたのは(大変失礼な表現をお詫びしておくが)底辺高校だ。 そうだとしても、生徒個々のポリシーは必ずやあるはずだ。 それに期待し、私は毎回の定期試験に於いて生徒達の反発をものともせずに、自由オピニオン解答を求め続けた。

 そうしたところ、これが面白い!
 文章以外の設問(要するに上記大学新テストの“選択式設問”の類)で高得点が取れる生徒が、文章題にて一切の自己オピニオンが書けない事態を発見する事と相成る。
 片や、選択式問題では冴えない生徒が、文章課題にて私の心に響くようなオピニオンを書いて来るのだ!
 教師の立場としては一応両者共々高評価を下すのだが、採点をする立場として私が感じたのは、「自己のオピニオンを表出可能な生徒にこそ輝ける未来が待っているだろう!」という事だ。
 多い時には一度に150名程の生徒のオピニオン解答を読んだと記憶しているが、私はそれら生徒が書いてくれたオピニオンに対し、必ずや全員に私なりの返答メッセージを書いた事が懐かしい。
 
 私事が長引いたが、十代の若者の「考える力」を育てるには、自己のオピニオンを自由に書かせることが一番ではないかと私は考えている。
 ただ、それの採点が困難な事は重々承知だ。 
 私の場合は、多い時でたかが150名程の採点だったため、それを一人でこなすことが十分可能だった。(ただ自宅にて真夜中まで時間を要したのが実態だが。)
 しかも、それを複数の採点者で実施するとなると、採点者による「価値観の行き違い」との事態に必ずや遭遇するとの問題が発生する事だろう。
 

 ここで大きく観点を変えよう。

 文科省が世界基準に比して日本の大学学生のレベルの低さを嘆いている事実は、私も十分に理解している。
 ところがその元凶を、文科省が大学に“入学して来る学生の質”に求めている事実に、そもそも大きな誤りがあると私は常々考えているのだ。

 ここは、その発想を原点に戻そうではないか。
 日本の大学が「学問の府」であるべき事は既に法的規定がなされている。 ならば、大学入試により優秀な学生を確保しようとの発想をそろそろ止めては如何であろうか? それよりも優先するべきは、大学自体の質を高める事だ。
 現状の日本にごまんと存在する大学の質とは千差万別であろうが、「学問の府」の名に相応しいとは到底言えない大学の設立を認可し続けている文科省の体質こそを、まずは改めるべきだろう。

 そんなみすぼらしいまでの大学の実在を文科省が認可している事実から、自ら問い直して欲しいものだ。


 原左都子から一つ提案がある。

 文科省が今やるべき事とは、入学前の17,8歳の子供を捕まえて、やれ、「考えるプロセスを問うぞ!」と脅す事である訳がない!

 そうではなく、現在日本国中に存在している大学の実情を今一度再確認して欲しいものだ。
 もしも可能ならば、2020年「大学入試新テスト」を実施する時点で、「学問の府」としての機能を果たしていない底辺大学には「新テスト」を受けさせない、との手段により斬り捨てる事を視野に入れても許されるのではなかろうか?

 大学の使命とは、まさに学生に学問を教授する場であるべきだ!
 それを文科省が大学現場に真に実行させる指導力を果たせてこそ、学生達の「考えるプロセス」が育つと私は信じる。



 P.S.

 本年も「原左都子エッセイ集」をご訪問いただきまして、誠にありがとうございました。 
 皆様、良いお年を迎えられますように!! 

病院のIT管理システムは高齢患者泣かせだよ

2015年12月29日 | 時事論評
 現在高齢者有料介護施設に入居している義母が、先週末散歩中に転倒して右腕と顎を強打した。

 施設内看護師氏の判断にて急きょ整形外科医受診したところ、右肘骨折(高齢のため全治期間は不定)との診断が出た。


 昨日3度目の病院受診に、義母の保証人である私が病院まで付き添う事と相成った。

 参考のため、義母が入居している介護施設では入居者負担有料にて介護スタッフが病院への付き添いを代行してくれるサービスがある。 それを初診及び2度目の受診時に利用したのだが、何分、介護スタッフとて日々激務をこなしておられる事を重々承知している。 いつまでもそのサービスに頼りスタッフの皆さんの激務に追い打ちをかけては、保証人の立場としても大いなる心情的負担である。
 年末のこの時期に、義母の病院受診に半日を費やすのは私にとっても大いなる時間のロスとの心痛を抱きつつ、昨日それを実行してきた。
 
 本日のエッセイでは、多少の認知症と耳の聞こえの悪さを抱えている義母を引き連れての“病院内付き添い珍道中”を綴ろうとの魂胆だ。


 さてさて義母を迎えに介護施設を訪れてみると、早速義母が私に訴えて曰く、「また補聴器を落としちゃったのよ」  (え~~、また?!?)
 と言うのも、これで義母が補聴器を落としたのは数回目の事だ。  経済力がある義母が何度補聴器を落として買い替えてもよいだろう。 が、保証人の立場としては、とにもかくにも耳の聞こえにくさが日々激化している義母の身にして片耳の補聴器を落とされては、ほとんど会話が出来ないに等しい有様だ。
 (いやはや、参ったなあ。)と思いつつ施設よりタクシーに乗せると、今度は「駅の何口に着くの?」とのご質問。 それに応えて「今日は病院へ直行しますから駅には行きません」  「あら、そうなの」と事情が分かっていない義母が返してくる。

 そうして病院に到着した。 
 今回義母が受診している整形外科が、地元総合病院内の一診療科である事に手間取る事となる。(と言うのも、私自身元医学関係者である事が一番の理由なのだが、病院受診を最小限に留め“予防医学”の観点から我が身を維持しているためだ。 その理由により、最近病院なる場所を訪れた経験に乏しいのだ。)

 早速、再診外来受診手続きをしようと志したところ、それを病院内IT管理カード方式に頼ることとなる事実は理解出来た。 その再診入力マシンを発見して、義母の受診カードを入れたのはよかったが…
 義母曰く、「主治医先生のお名前を覚えていない…」  そこで私はそれを尋ねられる受付を探したのだが、何処にそれがあるのか分からない。  直ぐ近くの人が配置している受付に直接尋ねたところ、早速義母の担当医師を検索してくれたのは良かった。  それで受付が終了したのかと思いきや我が考えが甘かった様子だ。 結局、入口の再来受付マシンに再度戻って、再び義母の受診受付を再入力させられる有様だった。

 とにかく歩行が自由とは言えない義母を椅子に座らせた後に、受付の担当者から義母の名前を呼ばれる。
 どうやら先に患部のX線撮影を実施するとのことだ。 
 放射線科にての義母のX線撮影は右肘の骨折局部であるのは当然だが、おそらく義母がそれを認識していないだろうと想像していると案の上だ。  高齢者にとってX線撮影と聞くと真っ先に「胸部撮影」を思い浮かべるのであろう。  早速上着を脱ぎ始めた義母に、大声で「今日は右肘の撮影ですから脱ぐ必要はありません!」と告げた。  更には、若き放射線技師氏からの「この椅子に座って下さい」の指示も聞き取れない義母に私から大声で椅子の座り方を伝授した後、技師氏から「付添人の方は外に出て下さい」との指南だ。 たとえ少量なりとも部外者がX線被爆を回避するべきとの配慮発言だったと心得る。
 ところがその後、既にX線撮影を終えたはずの義母が、いくら待っても出て来ない。 (ははあ、要するに若造放射線技師達の「終了しました」の声を義母が聞きとれていないのだなあ。)と想像しつつレントゲン室に入ってみるっと、まさにその通りだ。 撮影が終了したはずの義母が、未だX線撮影の椅子に腰かけて右腕をまくり上げたままの状態だった。 
 「お母さん、レントゲン撮影は終わりましたよ!!」と私が大声を張り上げると、やっと分かった様子で次なる診察に向かった。 


 さて、現在に於いては複数の診療科を抱えある程度の規模がある病院に於いては、電算システムIT化が劇的に進化した恩恵を賜りその導入を実施している事であろう。

 ところがこの進化システムが、お年寄り患者氏達にとっては大いなる障壁となっている様子だ。

 主治医診察のため、義母を診察室前で待機させるために誘導したところ…
 義母曰く、「○子さん(私の事だが)、私はどうしてもこの電光掲示板が分からないの。 今後一人でこの病院を訪れても、この電光掲示板がどうしても読めない。 だから○子さんはじめ施設の人に付き添ってもらわねばならないのが辛いの。 今日の待ち時間内でこれをマスターしたいから、教えてくれる?」
 私曰く、「分かりました! まずはお母さんの受付入力番号を把握しましょう。」  義母も必死だ。 その思いは十分に私に伝わる。 やっとこさ、自分の受付番号が「405番」との事は把握出来た様子だ。
 次に把握するべきは、義母の主治医先生の診察室の番号だ。 「それは8番です。分かりましたか?」と問う私に、「8番ねえ…」と言いつつ、既に自分の受付番号を忘れている様子だ。 どうやら後で教えた「主治医先生診察室の8番」だけは脳裏にある様子で、「○子さん、8番の診察室は後10名待たなければいけないようよ」
 「いえ、そうではなくてお母さんの受付は405番ですから、それに注目しましょう」と教授しても、どいうしても義母の記憶は最後に教えた「診察室は8番」しかない様子だ。
 その流れで、やっとこさ電光掲示板にて自身の受付番号「405番」が掲示されたとて、自分の順番が来た事を認識不能な義母だった…

 いやはや、確かに病院の電光掲示板システムは、認知症高齢者にとって無理難題課題を多く内在している事実を思い知らされた感覚だ。

 しかも、そのIT管理ナンバーシステムは会計ないし薬剤処方まで続く。
 今時の医療システムとは、病院と調剤薬局を分離状態にしているのも現状だ。
 義母が処方された“湿布薬”を購入するため病院の外に位置している調剤薬局まで引き連れるには、義母の歩行状態が伴わない。 そこで私は義母に告げた。 「私がこれから外部の薬局まで湿布剤を取りに行きますから、ここで座って居て下さい! 絶対にここから動かないで下さい。」  私の指導に従い、義母がおとなしくその席で座っていてくれたからこそ帰宅が成り立ったものの…   これが、もっと認知症が進んで徘徊癖がある事態に陥ったならば、一体全体、認知症年寄りを抱えた病院受診をどうせよと、病院側は言いたいのか!?!


 何度も言うが、私自身は過去に於いて医学教育を受けている者だ。

 そんな身にして身内に認知症状が顕在化した高齢者を抱える事態となった暁に、理解不能な事象が数多く発生する。
 その観点から考察するに、現在の病院にてのIT管理システムとは、病院経営者側の“効率最優先”原理に基づき企画されているとしか推測出来ないのだが…。

 願わくば、弱者であり多様な病状を抱え生死を彷徨っている患者氏達を主たるターゲットとした“IT管理システム開発”が、病院内でも実行されることを是非とも望みたいものだ。

自民党衆院男性議員が育休取得??ふざけんじゃないよ!

2015年12月27日 | 時事論評
 一体全体この若造自民党議員、国会議員の身分を何だと勘違いしているんだ!?!
 一般庶民労働者と国会議員とでは、訳が違うことがどうして分からないのか??

 今一度、頭を冷やして考え直してごらんなさい。 貴方は国民から貴重な一票を投じてもらって、お国の代表として選出された国会議員なのだよ。
 もしも生まれてくる我が子可愛さにどうしても自らその子を育てたいのなら、議員辞職した後にそれを実行するべきだよ。 


 だいたいねえ、国会議員若造同士で恋愛三昧の果てに職場結婚だと?
 一体貴方達何をやってるの。 その事実からして私は腹立たしいよ。
 世間知らずの若手議員の身分で、まずは議員として誠心誠意国民のために精進するべきだろ??  どうしても国会議員同士で恋愛して結婚したいのならば、国民の目に付かない水面下で、隠れてこそこそやれよ。
 たとえ子供が出来たとて、国会議員歳費特権で多額の収入を夫婦揃って血税からもらっているんだから、ベビーシッターを雇えばいいじゃないか。 そして国会開催時期でない閑散期に時間を取って子どもとかかわれば済むだろう。
 貴方達の自民党議員先輩の野田聖子議員も、(いつ、どれ程の期間行ったか知らないが)国会議員の身分で米国まで渡って、体外受精によりハーフの子どもを設けている。 要するに、国会議員とはそれを実行出来る程の時間的余裕を持て余しているという事だろう??

 まったくもって、自民党“ゲロ勝利時”の選挙戦にてたまたま幸運にも“数の論理で”議員になれたからと言って、今流行りのイクメンをやると世間を騒がせて、いい気になっているんじゃないよ。
 過去の民主党政権交代ゲロ勝利時の“小沢ガールズ”とやらの成れの果てを少し見てごらん。 みすぼらしくも、今それらの元議員どもが一体何をやっているのやら… 
 議員も一時の運に浮かれて、好き放題のじゃれ事を国民相手に吹聴している暇などないはずだ。  


 私事に入ろう。

 私自身は職場を「出産退職」した身だ。
 当時高校教員だったのだが、高齢出産を間近に控え、このまま自宅から勤務校までの片道2時間半の電車・バスを乗り継ぐ勤務を続けるか否か迷っていた時、義母が私に告げた。 (既に我々夫婦の新居をもっと遠い場所に購入していた事もあり)、「○子さんがどうしても仕事を続けたい意向ならばそれを尊重するが、高齢での出産でもあるし、無理をせず体を休めゆったりと育児に励んではどうなのか?」 
 40歳近い年齢になった今職場を退職するということは、イコール、今後の我が人生に於いてフルタイムにての仕事に従事する事をきっぱりと諦める結果となろうことは、重々想像可能だった。 
 正直なところ安定した高給を得ていた事実も捨て難く、また、それまで学業及び仕事一筋に生きて来た私が育児に専念することに、少なからずの違和感も抱いてもいた。

 ただ、現実を見ねばならないだろう。 実際問題、妊娠8カ月を過ぎた頃から片道2時間半の通勤を日々こなすのが多少苦痛となって来ていた。 
 そして、私は学校の夏季休暇中に決断を下した。 9月末までの勤務にて「出産退職」するとの。

 退職後さほどの時を経過せずして、我が子は出産時のトラブルにより若干の不具合を抱えてこの世に誕生した。
 今思い起こすに、退職を決断していたことが実にラッキーだった。 その後の私には、娘のサリバン先生として二人三脚にての育児・教育指導の厳しい怒涛の日々が待ち構えていたのだ。


 子供を育てていく事とは、実に大変な業だ。
 仕事と両立させつつ片手間に育児をこなすのではなく、理想像としては、出来得る限り親の愛情を直に注ぎつつ、日々その小さな生命を守り抜きたいものだ。

 だからこそ育児休業制度が法的に整備され、それを取得する権利が親権者に認められているのだ。
 一般労働者の皆さんが当該育児休業制度を有効活用して、たとえ1年~3年との短期間であろうと自分達が産んだ子供と直にかかわれるのならば、それは喜ばしいことであろう。

 決して育児休業制度とは、自身の議員活動をアピールして国民相手に“売名行為”する目的で法制度化されたのではない事は歴然だ!


 以下に、民主党議員らによる当該“事件”に対する反発報道を要約して紹介しよう。

 民主党の岡田克也代表は12月24日の記者会見で、自民党の宮崎謙介衆院議員が育児休暇取得を検討していることについて「多くの方からみて違和感のある話ではないか」と疑問を示した。
 宮崎氏は同党の金子恵美衆院議員と結婚しており、来年2月に第1子が誕生する予定。
 岡田氏は「一般の場合は休みを取れば給与は削減される。 国会議員もそういう法律を作るなら一案だとは思うが、今言われているのはそういう話ではないようだ」と指摘。 その上で「国会議員は大変忙しいが、ある意味でフレックスタイムみたいなところがある。やりくりしながら(育児に)対応することも可能ではないか」と語った。
 民主党の蓮舫代表代行も23日のツイッターで、「制度があっても育休すらとれない現実もある。国会議員のすべき仕事は2人そろって給与全額保証の育休を優雅に取ることではなく、現実に向き合っている人たちを法改正で守ることだ。この2人の考えを私は全く理解できない」と断じた。
 (以上、ネット情報より一部を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 自民党若手議員の宮崎氏とやらの発言は、今まで娘のサリバン先生として娘共々二人三脚で頑張って来た私にとって、大いなる背信行為とも受け取れる。

 とにかく、子供を産んでみなさいよ。 
 (大変失礼ながら)もしもその子が若干でも事情を抱えていたならば、(“育休”を男性議員の自分が取ったなら国民がなびいて自分のファンが増えるだろう)などとの我が身息災の身勝手な思惑など吹っ飛ぶというものだ。 その暁には、実際如何程のケアが我が子に対して必要となるかが最優先課題となるであろう。
 どうやら野田聖子議員も、体外受精で生まれたハーフの息子氏にベビーシッターを雇って、今現在もそのケア任務を果たしている様子だが…。

 ここは、貴方達の先輩である自民党 菅官房長官も述べているように、この議論を“超党派”に任せては如何か。
 その結果を待っても決して遅くないであろう。

 (たとえ今回の事件が国会議員夫婦で企んだ結果の同罪としても)、そんな事で現在妊娠中の奥方議員の心身を錯乱している場合ではないだろう。 
 来年2月に誕生するというご自身の子どもさんのためにも、男性である自民党宮崎議員が今優先してやるべき事とは、奥方の安産のために少しでも奥方議員の心身状態を気遣ってあげる事ではなかろうか!?!

年の瀬の我が身に降りかかる “びっくりポン!”出来事の数々

2015年12月25日 | 雑記
 (写真は、昨日 娘が1月末に出かける卒業旅行のために購入してきた新しいスーツケース。 実際の色彩はもっとエメラルド色に近い輝くばかりの美しさなのだが、我が貧弱携帯撮影では水色にしか見えないのが残念…

 
 2015年も終わりに近づいている今時になって、次々と“びっくりポン!” と叫びたくなるような難題や嬉しい出来事が、我が身に慌ただしく降りかかってくる。
 今回のエッセイは、それら私が現在経験している“びっくりポン!”出来事をまとめて披露しようとの魂胆である。


 まずは、冒頭写真のスーツケースに“びっくりポン!” から。

 何もこんな多忙な年末の時期に娘の卒業旅行を企画しなくて済んだものの、ちょうどネットにて旅検索をしていて、娘の卒業旅行に同行するに相応しい(要するに、母の私がまんまと同行して楽しめそうな)個人旅行案件を発見した。
 何分、世界的規模でIS等による過激テロが勃発を続けている世界情勢だ。 娘一人(あるいは同等の子供達)だけで海外旅行に出すには、危険性が大き過ぎる今の国際情勢である事に間違いない。
 そんな中、今のところISテロが勃発していないイタリアに私は目を付けた。 そして発見したのが、ローマ・フィレンチェ間を高速列車にて移動する旅だ。  元々集団嫌いな私だが、せっかくの娘の卒業旅行を団体旅行などには一切頼りたくない!  親の私が付き添ってでも娘には個人旅行を経験させたいものだ。 しかも娘が言うには、2月に入ると大学に行かねばならない用件があるから1月末出発に限る、との事だ。
 そして企画したのが、1月末発の上記イタリア列車移動旅だった。

 さて娘のスーツケースに目を移すと、既に8往復の海外旅行をこなしているスーツケースの鍵の不具合が心配要因だ。 これは買い替えない事には、セキュリティ上役割を果たせないと目論んだ私が、昨日娘に新しいスーツケースを買い求めるように指南した。 
 そして娘が買って来たのが、上記写真のスーツケースである。 ファッションにはうるさいサリバン母曰く、「絶対、地味なものなど買って来ぬように!」  その結果、娘が購入したのが上記写真の“エメラルド色”のスーツケースである。 
 これにはまさに“びっくりポン!” (ただ、これ程派手だとむしろ狙われるかもしれないなあ… との心配を煽られる程だ。)

 娘の卒業旅行の話のついでに、その旅行代金の振り込みに話を移すと…
 昨日、親である私がその振り込みに某銀行まで出かけた。 (と言うのも、今回の取扱い旅行会社が“クレジット決済”を一切取り扱っていない故だ。) 
 そうしたところ、まさに“びっくりポン!”や!!
 今時の金融機関は「振り込め詐欺」撃退のため特にATMからは一度に少額しか振り込めない対策を採用している事は理解していたものの…  まさか、それが10万円までとの少額とは露知らなかった私だ。   仕方がなくATM操作を幾度も繰り返し、多額の振込手数料を銀行に支払って振り込みを完了した。
 もちろん、「振り込め詐欺」を撃退したい金融機関の思惑は理解可能だ。 ところが、実はそれに便乗して「手数料収入」を得ようとまんまと企んでいる、金融機関側の魂胆にも大きな比重があると憂慮する私だ。

 
 少し日数を遡れば、12月初旬に介護旅行に連れて行った義母が、施設から散歩に出た暁に転んで右肘骨折との連絡が今週月曜日に届いた…
 (なんでこんな年末の時期に転ぶの…、“びっくりポン”や!!)との無念感が否めないものの、その通院に付き添わねばならない責務が課せられているのが、親族保証人の性(さが)である。 
 一度目、二度めの外来初診は、施設の担当者氏に(当然ながら高額有料にて)付き添いを任せたものの、保証人として、いつまでも施設担当者に依存出来ない心情的負担がある。 そして、私は来週月曜日に義母に付き添い整形外科医を訪れねばならないスケジュールとなっている。


 そんな中、私にとって嬉しいサプライズである “びっくりポン!”出来事を昨日経験した。
 自宅近くに店舗がある、某チェーン展開ドラックストアを幾度が訪れている私だ。 とは言えども、都心には数多くの同様ドラックストアが近辺にひしめいて存在しているため、特にその店舗を贔屓にしているという訳ではない。
 その店舗へは、私の記憶によると年に2、3度しか訪れていない。 しかも、いつ訪れても店員氏が入れ変わっているし、店舗に配置せねばならない薬剤師とて、複数人の日替わり勤務となっている事を承知している。
 昨日、私がその店舗を訪れた時の出来事だ。 私の方もレジに出た薬剤師氏の面影を少し記憶していた。 そうしたところ、当該薬剤師氏がレジを終えた私に告げるには、「ヘアスタイルを変えられましたか?」
 これにはまさに“びっくりポン!”である。  この方と再会したのは、まさに2、3年ぶりである。 しかも大都会にて日々大勢の人が行き交うドラックストアに於いて、ヘアスタイルを変えた私を薬剤師氏が覚えていたとは、星の数より数奇な確率ではなかろうか?!?
 「私の事を覚えて下さっていただけでも嬉しいです!」と返答する私に対し、「新しいヘアスタイルがとても素敵ですよ!」と薬剤師が返して下さる。 
 いやはや参った、と言うべき出来事だったが、私なりに少し考察するに医学関係の学業を経験している女性陣とは、(同業者として)例外なく「記憶力に優れている」(??)のではないかと再確認したものだ。??? 


 もっとあるある私の年末“びっくりポン!”の出来事。 

 その最たるものが、先だって娘が内定先企業を訪れ、代表取締役社長より伝授されてきた“有り難きお言葉”だった。 
 これに関し記していると字数が大幅に増大するため後に回し、今回はこの辺で我がエッセイ集 久々の「雑記」カテゴリー “びっくりポン!エッセイ”をお開きとしよう。

新国立競技場A案建設後の維持管理費を明示せよ

2015年12月23日 | 時事論評
 昨日の12月22日、2020東京五輪の主会場となる新国立競技場に関し、業者2チームから提案されていた設計・施行案のうち 「木と緑のスタジアム」 を主なコンセプトにした“A案”で建設する事が決定した。

 当初、新国立競技場建設を巡っては、「キールアーチ」と呼ばれる2本の巨大なアーチと流線形が特徴的だった建築家ザハ・ハディド氏による建設案が採用されかけたいきさつがある。 ところが、この建設費用が約2651億円にまで膨大する事実が世論の反発を招く事態と相成り、ハディド氏に巨額の損害賠償金を支払う形で7月に白紙撤回されるに至っている。


 さて、そんな東京五輪組織委員会の失策・醜態の後に浮上したのが、新たな建設計画案の募集だった。
 そして(私自身はその経緯を承知していないのだが)、最終選考案として“A案”“B案”二つに絞り込まれたようだ。

 元々2020東京五輪開催反対派であり、かつ私の住居地である東京都より300何十億円かの巨額血税が投入される新国立競技場建設に際しては、元より少しでも安価な案に賛同したいと考えていた。
 しかも、五輪反対派の立場としての更なる懸念は、五輪開催後に発生する施設維持管理費に他ならない。 おそらくその費用総額を、4,50年後の競技場解体後まで東京都の血税より負担するのであろう。
 どうか、最終選考に当たっては、将来的な競技場の維持管理費や更にその先の解体費用まで含めて議論がなされるべきと期待していた。

 ところがどうしたことか、昨日の報道によれば、新国立競技場最終選考基準とは“2020五輪開催時の評価のみ”でなされてしまった事に大いに失望している私である。
 例えば、「総工費」 「工費短縮の実現性」 「日本らしさへの配慮」 「暑さ対策等環境対策」 「観客席などの建築計画」 …
 これらの評価基準は、すべて2020東京五輪開催にしか焦点が当てられていないであろう事実に辟易とさせられるのだ。 (ちょっと待ってよ。この競技場に先々に渡って血税を投入させられる東京都民の身にもなってよ~、と愚痴をこぼしたくもなる。)
 しかも昨日NHKニュース報道で垣間見た、A案決定の映像にて写し出された安倍首相はじめ、東京五輪組織委員会メンバーの“糠喜び”の実態には腹立たしい気分にもさせられるというものだ!


 話題を私事に移そう。

 幾度となく我がエッセイ集にて公開しているが、原左都子の自宅マンションが現在第一回大規模修繕中だ。 建物とは建設後の定期的維持管理こそが建物を長持ちさせるために肝要である事は、皆さんご存知であろう。
 それはそうなのだが、一体その修繕に如何程の費用が発生するのかご承知であろうか? 
 我が所有物件建物の場合、30世帯程の小規模マンションなのだが、築12年に達した建物の外壁工事を実施するのに約4500万円の費用が発生している。 これを一戸当たりの負担額に割り当てると150万円/戸 程の経費負担が発生することとなる。 もちろん月々の“修繕積立金”制度により、その実施が可能なのだが、これを建物解体まで12,3年周期で繰り返す各戸の総負担額が多額に上る事実をご想像頂けることであろう。

 新国立競技場とて、同様の論理で建設後の維持管理費を賄っていく事となる。
 にもかかわらずその議論を置き去りにし、2020五輪開催のみを表ざたにして争った結果の今回の“A案”採用決定に、大いなる疑義を抱かざるを得ない。


 建設素人の私であるため、専門的な指摘など何ら出来ない事は承知の上だが…

 “A案”に関して素人なりに気になる事がある。
 それは、「木と鉄のハイブリット屋根で日本伝統的な“和”を強調した」とのフレーズだ。 如何に考察しても、木材の耐久性と鉄の耐久性とは大いなる格差があろう。それを承知の上での建設後のメンテナンス計画を立てているのであろうか?  あるいは、競技場周辺に配置した樹木の数々…。 我が所有マンションでも樹木を多く配置しているがその剪定作業に毎年少なからずの費用が発生している。 
 もちろんB案でも、周囲に純国産カラマツの柱を72本植えスタジアムを支える計画だった様子であるため、建設後の費用発生額に大差はなかったのかもしれないが…


 朝日新聞本日(2015.12,23)の記事より、「五輪後の姿 議論を」 の一部を以下に要約して紹介しよう。
 “A案”“B案”に関する9項目の審査基準のうち「工期短縮」でものをいい、A案が選ばれた。(原左都子の私論も交えるが、要するに安倍総理及び五輪組織委員会による)最優先課題とは、「五輪に間に合わせること」でしかなかった。) それにより、他の「建設計画」や「維持管理費の抑制」等5項目でB案よりも劣りながらも、A案が選ばれた理由だ。
 五輪後国内外の陸上主要大会を開くには、近くに練習用トラックがないと「不適合」となる。 五輪では仮設で整備するが、常設の練習用トラックを造る土地がない。  今後、A案競技場を有効利用するためには知恵が必要だ。 コンサート等で収益を上げねば、巨額の維持費をスポーツくじに頼ることになる。

 まったくもって、2020東京五輪を開催しさえすれば自分の政権は安泰だし成功だ!後は我関せず、と言いたげな安倍政権のやり口には呆れてものが言えない…

 東京都民の一人として無念なのは、五輪開催のために「新国立競技場」建設の血税を国家から煽られ、それを差し出した見返りが何もない事実だ。 
 それどころか、今後の未来に大きなお荷物となるのが見え透いている競技場の維持管理費を、ゆくゆく“博打(ばくち)”にその回収を頼らねばならない実態に、お先真っ暗な心情しか抱けないというものだ…

就活内定結果に劣等感?? 何でそんな企業受けたの?

2015年12月21日 | 仕事・就職
 現在大学4年生の我が娘が10月初旬に就活内定を勝ち取ってから、早くも2ヶ月半が過ぎ去った。

 その間、12月初旬に開催された大学主催の「一般公開卒論最終発表会」を無難に通過し、現在は卒論提出の最終まとめ作業に入っている。 これを1月に提出し審査に合格すれば、娘もいよいよ晴れて大学卒業だ。

 今の時代は何処の企業も同様であろうが、内定を出し4月に入社予定の学生に対し、入社に先立ちあらかじめ課題を課す事業所が多いようだ。(?)
 特に我が娘の入社予定企業の場合、新卒入社者が少ないせいか、その課題指導が随分と懇切丁寧な様子である。 新卒指導担当社員氏より娘宛に随時パソコン課題が送付され、娘が提出した課題解答に対し、メールや携帯電話にてその内容や結果に関するやり取りを頻繁に行っている様子である。

 娘は内定ゲット以降の2ヶ月半の間、卒論への取り組みと内定企業から課せられた課題を精力的にこなし、充実した日々を送っているようだ。

 そんな折、この年末になって、内定企業の代表取締役社長が直々に新入社予定の学生達の面談をしてくれると言う。  どこの馬の骨とも分からぬ、しかも、どれ程の働きが期待出来るのかも未知数の“未熟学生”に社長自ら直接会って、一体何を伝授してくれるのか不明である。 が、よくぞまあ、そこまで新卒学生達を大事にしてくれる企業姿勢に親としては喜ばない訳もない。
 いや、それは単に“親の欲目”故の勘違いに過ぎず、その実は、社長から「貴方の課題の出来が悪い!4月までにもっと精進せよ」との説諭があるのかと少し怖い気もするが…。
 いずれにせよ娘は明日、内定企業へ社長面談に出かける予定となっている。 4月入社に向けて、それが娘にとって更なる励みとなればよいのだが。


 そんな折、朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”にて、21歳女性による「内定結果に劣等感いっぱいで」なる題名の相談を見つけた。
 まったく我が娘と同じ年齢しかも同じ環境下にある相談者が、如何に内定結果に悩んでいるのかと興味深々で相談内容を読んでみると… 

 以下に、その相談内容を要約して紹介しよう。
 21歳の女性だが、第一希望の企業に最終面接で落ちた。 最終まで残ったのは奇跡といえるくらいの倍率だった。 その後内定した先は、社員が50人ほどの規模の小さい会社だ。 良い点は土日が休みの事くらいで、社長がワンマンであるなど他に良いことがないようだ。 介護職か事務職かで迷ったが、やりがいの面では介護職と思っていた。 事務職は何年も勤めるとマンネリ化し、仕事以外にしか楽しみが見出せないと思ったからだ。 ただ福祉施設で職場体験をした時、排泄介助を生理的に受け入れられず、認知症の人との意思疎通の難しさから、自分には無理と感じた。 夜勤も含め、体力面でも介護は諦め、嫌だと思っていた事務職に決めた。  
 世の中、大半は妥協をしつつ就職するかと思うが、納得いくまで就活を続けるつもりだ。 だが、納得できる企業から内定をもらえる保証はない。 プライドの高い私は、小さい企業の事務職への就職が受け入れられない。 劣等感を抱いたまま、来春を迎えたくない。 前向きに考えられるアドバイスが欲しい。 (以上、“悩みのるつぼ”相談より要約引用したもの。)


 原左都子の私論に入ろう。

 この相談者である21歳の娘さんは、おそらく“大卒”にて就活をしたのではなさそうだ。
 決して別段それに問題がある訳ではないのだが、どうも、今までの21年間の人生の経験値が極端に少ないように私は感じてしまう。
 自身の専門の程が相談内容から把握し難いのも事実だが、21歳との年齢に照らして考えると「介護」分野の専門学校を来春卒業するのであろうか?  そうだとして、それには自身が感情移入不能。 だから、やむなく事務職の内定を取ったが、それも気に食わない。 どうしてかと言うと、自分はプライドが高いのにそのプライドに内定先が見合っていない。…… 

 相談に応じる側の立場として、困惑させられる一方、一番論破し易い相談内容と分析可能であろう。

 おそらく、介護分野の専門学校を2~3年程通った女性と推測する。
 私の場合高校教員経験があるが、“商業高校”に教員として勤めていた身として思い出すのは、17、8歳にして既に物凄い専門力を身に付けて卒業する生徒が存在したことだ。 例えば、簿記1級検定に合格するなど序の口、もっと凄い他校の事例は、高校生にして超難関の“公認会計士”試験に合格する生徒も存在したと見聞している。
 それくらいの専門力を身に付けるべく、必死で物事に取り組まない事には自分の未来はないのではなかろうか? それ程の努力をして後に、自身のプライドを高くしても何も遅くはないだろう。

 それから相談女性にもう一つ助言しておきたいのは、たとえ企業の最終選考まで残ったと言えども、結局不採用にされた事実とは、結果として「敗北」でしかないとの事だ。 
 そんな事にいつまでも自分のプライドの置き場を求めるから、貴方は劣等感を払拭出来ないと私は結論付ける。 敗北は敗北と認めよう。
 そして、そんな貴女を事務職員として採用してくれた小規模企業にて精一杯の努力を続ければ、少しづつ明るい未来が見えてくるのではなかろうか。 


 あ~~~。 それにしても話題を我が家の娘に戻すと、明日の内定後の面談で、一体全体、内定先企業の社長氏より何を指摘されるのだろうか?!?

 まったくもって、他人事じゃないなあ… 

高齢実母が “企んだ” 策略の魂胆が悲しい…

2015年12月19日 | 人間関係
 先週前半、現在高齢者介護施設に住む義母を引き連れて介護旅行に出かけ、束の間だが義母と寝食を共にした。

 日頃介護施設スタッフの皆さんに義母の日常生活すべてを全面的にお世話になっている訳だが、保証人の立場として介護現場が置かれている厳しい実態に関し、あくまで「理屈」としては理解出来ているつもりでいた。

 ところが、理屈と実践との間には大きな隔たりがあるものだ。
 遅ればせながら、我が身を犠牲にして義母介護旅行に出るとの貴重な実体験により、予想以上の義母の認知症進み具合に愕然とさせられるはめと相成った。 それにより、認知症高齢者介護実態の厳しさを我が身をもって思い知らされた話題は、先だっての我がエッセイ集にて綴り公開している。

 旅行から帰宅後しばらくはこちらの頭が混乱し放心状態に陥る程の疲労困憊感に苛まれ、私らしく主体的な思考を取り戻せるまでに幾日かの日数を要した。

 何とか自分らしいステージに戻ろうと思える精神状態がやっと再開可能と思ったら…


 今度は我が郷里にて一人暮らしの実母より毎年依頼されている、「年賀状作成」パソコン作業が待ち構えている。
 これに関して、郷里の実母に私から毎年指導し続けている事がある。
 「お年寄り、特に過疎地にて一人暮らしの高齢者である貴方にとって毎年新年に届けられる“年賀状”が一つの心の支えになっている事実は私も多少は理解可能だ。 ただその作成を全面的に娘の私に頼り、パソコンにて機械的に印刷された年賀状を貴方が一切見ずして東京から投函したものを毎年相手に届け、それで貴方の気が済むのか??  もしも少し余裕があるならば、本当に年賀状を出したい相手を貴方自身が吟味厳選して、“手書き”にて届けるのが最善だと思うよ。」

 どうも、この私のアドバイスが実母は以前より気に入らない様子だ。 それは数年前より感じていた。
 善意に解釈すれば、それ程までに“筆記力”における能力低下を母自身が水面下で自覚しているのであろう。 ならば尚更、その実態を自分で受け入れる事が今後の“ボケ防止”として肝心とアドバイスしつつ、「自分で書ける範囲で年賀状を書く作業こそが、今後の認知症防止に向けて有効だよ」との実娘からのアドバイスを、どうしても受け入れない実母だったのだが…。

 先だっての義母の旅行前に、私は実母に告げた。
 「12月初旬より義母の介護旅行に出かけるから、貴方の年賀状作成はその帰宅後になる。 毎年指導している通り、その年齢になって自分の年賀状をどうしても娘のパソコン作成に一存するなら、本気で枚数を減らすべきだと思う。 それはともかく例年通り、今年の貴方の必要枚数70枚の年賀葉書を送付するように。」 (参考だが、実母はいつも私のパソコン年賀状作成への一応の“謝礼”として自分が必要な枚数のみ我が家に送り付けてくる習慣となっている。)  十年程前までは、自分が必要な年賀状枚数に加え、私への謝礼金も送って来ていたのだが、その習慣は実母が80歳を過ぎた頃より、どういう訳かなくなっている…。 
 私の推測だが、パソコン扱いの実態を露知らない実母は、パソコンを使用しさえすれば年賀状などいとも簡単に無料で作成可能と信じているようだ。 これに関して、決してそうではなく特にパソコンやプリンターを買い替えた暁には一から学習し直しだし、インク代金も馬鹿にならないと説明している。 しかも、今時のコスト観点とは実際にかかる経費よりも“人件費”こそが高額だと何度も言い含めているにもかかわらず、それを母に告げる娘の私こそが“業突く張り女”だと頭から疑ってかかっている様子だ。
 実際問題、私にとって何の利益にもなりゃしない実母の年賀状作成作業を、もうそろそろ勘弁して欲しいのが正直な気持ちなのだが…。 


 さてさて義母の介護旅行を何とか通り過ぎ、やっとこさ次なる実母の年賀状作成を実行する気になってみると…。
 あれ、枚数が足りないぞ。
 実母からは70枚の年賀状作成依頼だったのに、何故か60枚しか届いていない。
 これ、一体どうしたんだろう??? と疑問符を浮かべつつも、足りないものはこちらが購入してくるしかない。 仕方なくそれを購入して来て実母の年賀状作成を滞りなく終え投函した。

 義母の介護旅行に出かけたばかりで想像以上の義母の認知力低下ぶりに愕然とした私として、嫌な予感が脳裏に過る。
 もしかして、郷里の実母も既に認知症状が悪化しているのだろうか…  これは電話にて確認するしか方策がないであろう。 そして、私は実母に電話をかけ年賀状の枚数が足りていない実態を訴えた。
 
 それに対する実母よりの返答が“しどろもどろ”だった事が実の娘として悲しく辛い…

 結論から言うと、どうやら実母の 「確信犯」 の模様だ。
 私が以前より指導している“年賀状虚礼廃止せよ”の文言がずっと癪に障っている様子に加え、どうしても自分で年賀状を手書きする気力及び能力が当の昔に消え失せている風だ。  それでも、年頭に皆さんより頂く年賀状の“数の多さ”を周囲に誇りたく、私の年賀状作成に期待しているとの事であろう。
 ならば、その旨正直に訴えればよいものの、娘の私としては、どうも過疎地ド田舎に一人暮らす実母の認知力低下の実態のみが浮き彫りとなったと、余計な心配をさせられる思いだ。


 今回の事件、実母にしてみれば今現在の能力内で実娘に対して出来得る限りの“仕返し”だったのであろう。

 それにしても、たかだか年賀葉書10枚(わずか500数十円)を減らす事が、実娘に対する“仕返し”策略として通用すると魂胆した実母の老いぼれ度合いに、またもや心痛を患わされている私だ…

 40年近くも前に親元離れ上京して自立し、遠方に暮らしている実娘相手にせせこましい策略練っていないで、地元でパソコンの出来る彼氏でも作ってその人に年賀状作成してもらえばどうなのよ!?   
 それも能力のうちだよ!、と捨てゼリフひとつも吐きたくなるというものだ。

営利組織は商品・サービス価格設定根拠を消費者に明示せよ

2015年12月16日 | 時事論評
 私の住まいである集合住宅物件が現在第一回大規模修繕中である事は、バックナンバーにても公開している。
 その修繕工事に先立ち、我が家のバルコニーに個人的に設置しているタイルを除去する必要がある事を管理会社から聞き、その取扱いに関し“オプション(別料金)”にて除去及び再設置を実施する段取りと相成った。
 当該工事が完了した後に管理会社側が通達して来た「工事代金」が、予定額と食い違い安価となっている。
 それは喜ぶべきものの、私としては合点がいかない。 何故予定額より安価になったのかの説明責任が工事提供業者(長谷工だが)にはあるはずだ。 もしもその説明責任が果たせない場合、元より“どんぶり勘定”にての工事予定額を提示したものとの結論になろう。 大手企業にそんな事をさせてなるまい!との我が意気込みで、自宅まで集金に来た現場監督氏に質問をした。
 そうしたところ、現場監督氏より即時に明確な返答が来た。 「今回の工事に関しては下請け会社に依頼しましたが、元々予定していた時間より再設置作業が早く終了しました。 そのため低額となりました。」 私としては重々納得だ。 特に再設置作業は時間を要するであろうと考えていたところ、職人氏の素晴らしきプロ技により、予定より短時間で終了した事実を私も室内から見定めていた。


 話題を変えよう。

 先だって、義母の介護旅行に出かけた私だが、その際に購入するJR新幹線のチケット代金設定の多様性にも不信感を抱かされた。
 パソコンにてネット検索していると、ネットから購入すれば“格安”となるシステム(“駅ネット”とやら)を発見したのだ!  それはよしとして、そんな事は私にとっては単なる偶然に過ぎない話だ。
 しかも、それを利用可能な人物とは限定されるであろう事が歴然だ。 要するにパソコンを自由に操れるとの“少しばかりの乏しい能力”があれば、格安チケットを発券するとのシステムと考察出来よう。
 確かに、それを実行可能な顧客がそのルートでチケットを入手してくれたならば、駅員氏達の労力が多少は軽減する事だろう。
 ただこのシステムが社会的に容認されるのか否かに関して、私は大いなる疑義を抱いている。
 救うべく国民はむしろ“パソコン扱い”に手慣れていない弱者人民達ではなかろうか!?!


 冒頭に掲げたテーマに戻そう。

 本日(2015.12.16)のNHK昼のニュースによると、今まで不透明感が強かった携帯電話利用料金に関して、新たな料金体系を求める報告を総務省の有識者会議が取りまとめたとの事だ。
 以下に、その内容を要約して紹介しよう。
 上記有識者会議によれば、多額のキャッシュバックを行って新たに契約する利用者を優遇している今の販売方法を見直すことなどで、多くの利用者の通信料金の値下げにつながる新たな料金体系を求める報告をした。  この中では、大手通信各社に対して、通信の利用量が少ない人を対象に割安な料金プランを設けるよう求めている。 また他社からの乗り換えを促すため、スマートフォンの端末の価格を実質0円としたり、商品券などを提供して多い場合で十数万円に上るキャッシュバックを行ったりする、今の販売方法は著しく不公平だとして、多くの利用者の通信料金の値下げにつながるよう新たな料金体系を作ることを求めている。 さらに、割安な通信プランを提供するいわゆる「格安スマホ」の利用者を増やす対策や、中古のスマートフォンの市場拡大が必要だとすることなどが盛り込まれた。
 総務省はこの報告を受けて、電気通信事業法に基づくガイドラインを作る方針だ。

 自民党政権も何を今頃になって、庶民からの選挙票取り作戦に出たのか!、時既に遅しだよ…、  との感が否めない私であるが…。
 しかもスマホが主流化した現在に於いては、いわゆる旧式携帯電話使用者(原左都子もその一人だが)は“ゴミ扱い”されていると言って過言でない程に、携帯会社より虐待を受けている感が否めない。
 最近その“ゴミ扱い”に拍車がかかった印象がある。 どうやら今年1月頃よりEメール着信時の通信料金も徴収し始めた様子なのだ。 今までは発信時のみの通信料金徴収だったのに、何故か 1月から大幅にパケット料金が増大しているのだ。 私の場合、Eメールは発信よりも着信の方が格段に多い。(と言うのも、携帯の文字入力が未だ苦手で、発信のすべてをパソコンからのタッチタイピングで行っている実態故だ。)

 そんな“スマホ出遅れ”人種の一人である原左都子が、ほぼ6年前 2009.8.18 に綴ったバックナンバーエッセイ 「携帯の料金体系を明瞭化せよ!」の一部を以下に要約して紹介しよう。

 先だって、月々の携帯料金をより格安なプランに変更する目的で携帯電話を買い換えた私だが、この料金体系が“煙に巻かれる”ごとくに不明瞭だ。
 新しい契約内容に納得した上で契約変更に臨みたい私は、新契約プランの料金システムについて携帯ショップの係員の説明を耳の穴をかっぽじって聞き、重々質問もした上で契約変更に踏み切った。
 自宅に持ち帰った「登録内容確認書」の内容を再確認して契約約款の必要箇所も熟読し、さらにその後3度携帯ショップに足を運んで不明瞭な点を確認したのだが、今尚料金体系について“煙に巻かれている”感が否めずにいる。 (中略)
 日々脳が老化の一途を辿っている私ではあるが、今現在はまだ我が消費生活においてほとんど興味も実益も乏しい存在である携帯電話に関しても、ある程度の情報把握力は有している。
 携帯業者にお願いしたいのだが、携帯電話の本来の機能に立ち戻った場合、お年寄りをはじめとする社会的弱者こそがその恩恵に与って欲しいものである。 加えて未成年者等世間を未だ知りもしない若者が携帯を利用する事により被る被害に関しても少しは思いを馳せて、未成年者の健全な育成のために携帯使用制限に業者自ら乗り込んで欲しいものでもある。
 大企業たるもの、弱者を守るべく社会的責任も多少はあろうに、現在の携帯電話の契約における法的手続において、顧客が明らかに不利と解釈できるアンバランスさが否めない歪んだ契約を顧客に押し付けて平気な顔を貫いているとは一体どうしたことか??
 携帯会社とは今の時代膨大な営利を享受していることであろう。 が、「殿様商売」に安穏として企業倫理を置き去りにするのではなく、どうか初心に立ち戻って上記のような弱者保護の観点も忘れずに、携帯料金体系においても利用者誰もに平等で分かり易く、しかも家計の管理もし易いシステムの構築をお願いしたいものだ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」2009.8.18 バックナンバーより一部を引用。) 


 まさに営利法人団体とは、全国民に対して自社が提供している商品・サービス価格設定の根拠を明確に提示し続けるべきである。

 今時は消費者側が価格根拠を追及しない時代となった事実をよしとして、商品やサービスが“低価”であったならばそれで消費者が安易になびくものと信じる社会風潮なのだろうか??
 その消費者側の乏しい消費行動実態に決して甘んじる(あるいは“調子に乗る”)こと無く、経営者側には初心に戻って根拠ある商品・サービス価額設定をし、その価格根拠こそを消費者に明示して欲しいものだ。

“ブラック企業” は所詮崩壊する運命にあろう

2015年12月13日 | 時事論評
 私が義母の介護旅行に出かけている間の12月8日に、ワタミグループ居酒屋が2008年に起こした過労死事件の決着がようやくついたようだ。

 偶然だが、我が義母が現在入居している高齢者有料介護施設も実は元々ワタミグループ経営だった。 
 つい最近、損保ジャパングループがワタミより介護部門全般を経営買収する事となり、先だっての施設保証人懇親会にてその事実が発表されたばかりだ。
 我々保証人としては、これぞ吉報だ。 “ブラック企業”として悪名高いワタミが経営主であるより、大規模企業組織の損保ジャパンの傘下になった方が、今後の経営が格段に安定するに決まっている。

 ただ、ワタミの経営下にある高齢者施設運営の実態を既に3年間に渡り保証人の立場で観察してきた感想を述べるならば、こと「介護部門」に関しては“ブラック色”はなかったと判断する。 入居一時金や入居後の諸費用が高額であるのは何処の民間有料施設も同様で致し方ないとして、介護職員の質も高く、それに見合う介護実績を挙げていたと我が家は判断している。
 周囲の反応も同様の様子だ。  要するに今回の損保ジャパンへの経営売却劇は、ワタミグループが上記過労死事件を起こした事による“ブラック色”「風評」の影響を受け、経営トップである渡辺美樹氏が英断を下したものと察する。
 それにしても、当該高齢者施設に義母を入居させている身内の立場として、早期に介護部門を大手企業団体へ売却してくれた渡辺氏の判断に安堵している現在だ。


 早速、ネット情報より 「ワタミグループ過労自殺訴訟が和解 会社側が責任を認める」と題する報道の一部を以下に紹介しよう。
 
 ワタミグループの居酒屋「和民」で起きた過労自殺の遺族が、ワタミや創業者で当時代表取締役だった渡辺美樹参院議員(自民党)らを訴えていた訴訟が8日、東京地裁で和解した。 渡辺氏らは法的責任(安全配慮義務違反など)を認め謝罪し、1億3千万円超を連帯して支払う。 若者を酷使する「ブラック企業」批判にさらされたワタミの責任を問う裁判は、今の働く場が抱える問題を浮き彫りにした。
 過労自殺被害者である美菜さんは、2008年4月、ワタミ子会社のワタミフードサービスに入社し店に配属された。 同年6月に社宅近くで自殺。 月141時間の残業があったとして12年2月に労働災害に認定された。  遺族は、渡辺氏の経営理念が過酷な長時間労働を強いるワタミの体制をつくったとして、渡辺氏個人の責任を追及。 裁判で渡辺氏は「道義的責任はあるが、法的責任はない」と争う姿勢を示していた。 和解で渡辺氏は「自らの経営理念が過重労働を強いた」「最も重大な損害賠償責任がある」と認めた。
 ワタミ側は、労働時間を正確に記録することなどの過重労働対策にも同意。 これらの内容をワタミと渡辺氏のホームページに1年間掲載する。
 和解内容には、研修会への参加や課題リポート作成に必要だった時間を労働時間と認めて残業代を支払う、給与から天引きしていた書籍代や服代を返金する――などの内容も盛り込まれた。 美菜さんと同時期の新入社員にも、未払い残業代として1人につき2万4714円(08~12年度入社、約800人分)、天引き分として1人につき2万4675円(08~15年度入社、約1千人分)を支払う。
 遺族は、逸失利益などに過酷な労働を強いたことに対する約7千万円の「懲罰的慰謝料」を加えた約1億5300万円を求めていた。 遺族代理人の玉木一成弁護士は「広範な過重労働対策を認めさせた。判決を得る以上の成果があった」と述べた。
 (以上、ネット報道より一部を要約引用したもの。)


 原左都子エッセイ集  2013.8.3 バックナンバー 「やはり“ブラック色”が強い渡辺美樹氏創業のワタミ」 に於いて、当該事件に関する私論を述べている。 以下に要約引用させて頂こう。

 2013年7月21日に実施された参議院選挙に自民党より立候補し、“辛くも”当選を果した渡辺美樹氏は、言わずと知れた「外食チェーン ワタミ」の創業者である。  2011年の東京都知事選では都議会民主党の支援を受けたものの落選。 そして今回は自民党より出馬要請を受け、ワタミの役職をすべて退いての渡辺氏の参院選立候補だったらしい。
 それにしても、短期間で民主党から自民党へ鞍替え?? 企業創業者としての渡辺氏の手腕の程はともかく、政治家としての氏のポリシーの程が何とも理解し辛い…。
 さて、今回の参院選は想像を超える逆風だった。 それもそのはず、マスコミや一部の政党からワタミが「ブラック企業」批判の標的となった故だ。  5年前に一人のワタミ新入社員が労災により自殺したことは事実だ。  労災での過労自殺の原因とは、なぜ(そんな事で自殺する奴を)採用したのか、なぜ入社1ヶ月の研修中に適正、不適正を見極められなかったのか、なぜ寄り添えなかったのかであり、本当に命がけの反省をしている。    
 最後に「国会議員は365日24時間死ぬまで働かないといけないのか?」との朝日新聞の質問に渡辺美樹氏答えて曰く、「その通り、国民のために。」
 (以上、朝日新聞8月2日渡辺美樹氏インタビュー記事より一部を要約引用)
 私論を述べる前に、現在ネット上で非難囂囂(ごうごう)との部分を上記インタビュー記事内から紹介しよう。
 それは、ワタミ社員労災での過労自殺の原因を問われての渡辺氏の言及箇所である。 <なぜ(そんな事で自殺する奴を)採用したのか、なぜ入社1ヶ月の研修中に適正、不適正を見極められなかったのか。>
 この渡辺氏の言及が元社員に適性がなかったために自殺に追い込まれたとも読める内容だったことから、「命を軽く扱うな!」「苦しい言い訳がたくさん」との厳しい意見・反感がネット上で飛び交っているようだ。
 原左都子もネットの意見・反感にまったく同感である。
 加えて渡辺美樹氏とは参院議員と成り果てたこの期に及んで尚、ワタミ創業者・経営者としての独裁的体質から脱出し切れず、あくまでも自分こそが“創業者”との立場にすがり、この世を生き延びようとしている事を垣間見るような気もする。
 もしも渡辺氏がワタミを創業して一企業のトップとなった時点で、入社してくる社員の力を結集して真に強い企業を創設していこうと志したのならば、社員の労災自殺者など一人として出していないはずだ。 
 一下っ端社員の心情に一切向き合えていない創業者など、企業のトップであり得ない! 民間営利企業とは「ヒト」「モノ」「カネ」の総合力で成り立っている集合体である事を、渡辺氏はどれだけ認識出来ていたのであろうか?
 それよりも私にとって上記渡辺美樹氏の朝日新聞インタビュー言及内でもっと辛いのは、以下の箇所である。
 <ワタミ社内冊子に「365日24時間死ぬまで働け」と書いているのも事実だが、その前後を読んで欲しい。 仕事というのは時間とお金のやりとりをしちゃダメ。 仕事は生き様であり仕事を通して生きがいとか成長がある。だから365日24時間という気構えでやろうという事だ。 その時に大切なのは、みんなで助け合いながら一人ひとりの成長に寄り添っていこう、という話だ。>
 これ、明らかに労働基準法違反だよ。
 しかも渡辺氏の理論によると、「仕事とは時間とお金のやり取りをしちゃダメ」??
 う~~ん、確かにワタミなる企業は“飲食業”であるが故に、創業者がそう言ってそれになびく人種が社員になりたいとワタミに集結するのであろうか??   ところがこれが専門職となると事情が一変するのだ。 自分が提供する仕事能力とそれに対する報酬を計りにかけてこそ成り立つ経営者と労働者の契約締結なのである。 私に言わせてもらうと、その“天秤能力”無くして、イッパシの人間として経営者側と対等な立場で世を渡っていける訳がないのだ。
 <仕事は生き様であり仕事を通して生きがいとか成長がある> との渡辺氏の言及部分は私も理解可能として、その後の、<だからこそ365日24時間という気構えでやろう> との論理が、やはり原左都子には絶対的に理解不能だ。 馬鹿な事言ってくれるなよ。 人とは自分のプライベート時間を充実して紡げてこそ、仕事に我が命が吹き込めるというものだよ。
 加えて、<その時に大切なのは、みんなで助け合いながら一人ひとりの成長に寄り添っていく事>、との渡辺氏の“嘘臭い”言葉こそに、“一匹狼”タイプで生き抜いている原左都子は反吐が出そうな嫌悪感を抱かされ、何が何でも拒絶したい部分である。
 原左都子の私論としては、“経営者側等トップに立つ者こそが365日24時間働くべき”との渡辺氏のご持論には賛同する。 渡辺美樹氏ご本人が好きなだけ働けば良いだろう。
 (以上、長過ぎたことをお詫びするが、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより引用。)


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。
 
 ワタミ創業者の渡辺美樹さん、よくぞまあ今回の訴訟に於いて自身が創設者として君臨している企業の“ブラック色”、要するに「過失(or重過失?)責任」を認めてくれたものだ。
 我が国の新鋭企業(いやいや、東芝や旭化成等々の“巨大老舗企業”も含め)他にも数多くの“ブラック企業”が恥ずかしくも先進国(??)と銘打つこの国に存在する実態だ。

 とにかく法治国家である我が国に於いて事業を展開せんとするに際しては、ひとまず法制度に従おうではないか。 その前提として最低限それしきの学問をわきまえて後に創業して欲しいものだ。

 私事に入るが、生まれ持って“出来の悪い”我が娘なりにも来春には某民間企業に就職出来る段取りとなっている。
 私の目が届く範囲で確認・分析するに、おそらく娘の就職先は“ブラック企業”ではないと判断している。  ただ、もしも親の私の判断が誤っていたとして…。
 そこまで親の憶測・苦労を煽るのも、法制度や世の常識をわきまえず人の上に立つべく創業者かつ経営者である貴方達が羞恥心なく“ブラック企業”をこの世に展開してしまったのが元凶だ!
  
 “ブラック企業”ごときに、娘の命を奪われてなるものか!!

原左都子の認知症高齢者密着介護旅行記

2015年12月10日 | 時事論評
 先月11月末頃、義母が住む高齢者有料介護施設のケアマネジャー氏より我が家に電話が入った。

 当該施設の場合、入居高齢者の介護は施設のケアマネジャー氏及びケアスタッフ等職員の皆さんが一任して担当下さっている。
 日頃の介護実務に於いて別段問題がない場合は、入居者の身元引受人(保証人)はほとんど手を煩わされる事はない。  一方、入居者が一旦施設内(外)で何らかの問題を起こしたり保証人に相談するべき事項が発生した際には、担当ケアマネジャー氏よりその旨の連絡が保証人宛に来るシステムとなっている。

 先月末の電話内容が、まさに義母に関して「憂慮するべき問題が発生した」との連絡だった。
 ケアマネジャー氏よりの用件を要約するに、ここのところ義母の認知度が極端に低下した様子を露呈するがごとくの事件が複数発生しているため、一度保証人に伝えておきたいとの事だ。

 (義母のプライバシー保護に配慮しつつ)以下にその内容の一部のみを紹介しよう。

 義母の場合歩く速度は極端に遅いものの未だ一人歩行が可能なため、しばしば一人で施設近くの店舗に買い物に出かける様子だが、その店舗から施設へ連絡が入ったとの内容によれば…  
 義母のレジでの会計能力が低下して一人で財布から必要支払額が取り出せず、レジ担当者に財布を渡し取り出してもらう事が多い様子だ。 
 あるいは、レジ会計中に別の買い物を思い出しそそくさとその売り場に行ってしまい、レジ会計実行中である事実を忘れてしまう事態。 
 更には、一旦会計を済ませ店舗を去ったのに「買い忘れた品がある」と言いながら舞い戻って来て、先程購入したのと同じ商品を再び買おうとする。 これに気付いた店員氏が、ご親切にも「先ほども購入されましたよ」と言って下さるのも無視して、「これが欲しいんです!」と怒って再購入する始末の様子だ。
 はたまた、(上記の義母が買い忘れた商品とは“ファンデーション”なのだが)それを幾日にも渡り何度も買いに来るらしいのだ。
 それらの情報を店舗から得たケアマネジャー氏が、即刻義母の留守中に部屋へ入り義母が幾つも買い求めたらしき“ファンデーション”を義母が一体如何に使用(始末)しているかに関して、極秘で調査して下さったらしい。 その結果が一切不明(要するに幾つも購入したはずのファンデーションが一つもない)との事だ。

 ケアマネジャー氏の電話連絡に大いに心当たりのある私は、こちらからの情報も伝えた。
 (義母の家系は代々事業を執り行っていた資産家で、義母の代にも多額の自己資金を蓄積した人物である事は既に伝えているが)、その自己蓄積資金内で年老いた義母が散財する分には、保証人の立場としては好きにすればよいと考えている。 ファンデーションを幾つ購入しようが、義母が過去の現役時代に稼いだ金額に照らすと少額であろうから我々保証人は一切構わない。 ただ、ケア施設側の介護責任や秩序維持の観点からご迷惑をお掛けしている事は重々お察しする、との既に伝えた情報を繰り返した。
 加えて、ちょうど12月初旬に義母を引き連れ、義母と嫁の私そして孫である娘の3人で旅行に出る予定がある事。 及びその旅行中に義母の行動観察を十分にして来た後に、施設のケアマネジャー氏との話し合いを持つべく私から申し出たとのいきさつだ。


 そして、今週初めから当該義母を引き連れて介護旅行に出かけた私と娘だ。

 まさに私の場合、介護分野に於いても過去の医学職業経験が活きるであろう事実は、義母の介護施設入居のずっと以前より考察していた。
 それがその通りで義母の嫁である私は、例えば、過去に於いて(今は亡き)義父が自宅トイレ内で転んで胸を強打して痛がっている、と義母から電話にて聞いた暁には、「肋骨を骨折している危険性があるので直ぐに外科医受診するべきです!」と返答したものだ。 義母はすぐさまそれに応じて義父を外科医に連れて行き、実際肋骨2本骨折していた事が判明し、その後義父は適切な医療的措置が受けられたものだ。
 悲しいことにその事実をすぐさま義母は忘れ去っていた。 今尚私に伝えるのは「あの時は、私だけが大変な思いをした」だ。 そりゃそうだろう、実際に一番大変なのは身近な介護者であるのは歴然だ…

 義母が施設入居以前より、我が医学方面の実力をずっと発揮しているつもりなのだが、残念ながら義母としては息子である亭主の自慢はいつまでも繰り広げるものの、今となっては私の専門力などまったく認識していない様子である。
 まあ、それでも「○子さんは学があるから、我が息子と吊り合って見合い結婚したのね」と言ってくれるだけでも許せる事としよう。


 義母との介護旅行記を綴ろうとしていたのだが、“嫁”としての愚痴の展開になってしまっているようだ。
 それでも義母を引き連れての介護旅行を実行した身として、私なりに考察可能な事象がある。

 認知症と人が生まれ持ったDNA及び幼い時期からの生育環境は、切り離せないのではなかろうかとの我が私論だ。

 例えは現在身近に観察可能な義母に関してだが、彼女の現在の“認知症行動”とはその生まれ持った性質や生育環境の延長線上にあるのかとも分析可能な事実である。
 義母の買い物行動とは今に始まった事ではなかろう。 元々買い物好きな義母は、それこそ昔は名立たる百貨店やブランド店で好き放題買い物を楽しんだ事だろう。 その当時は、店員氏が彼女に付きまといその買い物を煽った事と想像する。
 今現在に至って義母が置かれている認知症下で、もしかしたら当時の買い物風景が脳裏にカムバックしているのではあるまいか?
 現在暮らしている高齢者施設より徒歩で通える小規模店舗でも、当時のごとく義母に付き添って買い物を煽ってくれる店員氏が存在すると信じ、悲しいことにそれを自己の妄想内で実行しているのかもしれないとも考察するのだ。

 そんな義母にとっては嫁の立場の私など、いつまでも他人に過ぎない事だろう。

 もしそうだとしても、当然ながら義母が現在置かれている介護施設内での被介護人としてのあるべき身分状況を、身元保証人から伝えねばならない。
 それが今後如何程叶うのかが不透明である事は致し方無いとして、とにもかくにも今回の旅行により介護施設が我が家に訴えて来た迷惑と苦悩の事実にいたく同感すると共に、日頃のケアに改めて感謝また感謝の私である。

 いやはや認知症高齢者を引き連れての旅行とは、過酷な重労働である事を身を持って実感だ。 四六時中一時とて目を離せず、介護人一人では実行不能な事を思い知らされた。 今回の旅行では、娘のフォローが大いに役立ったものだ。
 こちらの頭がおかしくなりそうな程に精根尽き果てた状態での本エッセイ執筆だったため、方向性の定まらない内容となっている事をお詫びする。

女ひとり身でこの世を渡り切るには

2015年12月06日 | 自己実現
 「原左都子エッセイ集」4年程前のバックナンバーに 「孤独を貫いても守りたい事がある。」 と題するエッセイを公開している。

 どこのどなたがお読み下さったのか承知していないのだが、当該バックナンバーがここ2,3日我がエッセイ集の “Populer Entries トップ10”内にランクインしている。
 
 この類の題名エッセイを綴った記憶はあれども、一体如何なる内容だったのか自分でも思い出せないため、筆者である私自身が今一度何度か読み返してみた。

 4年程前と言えば、ちょうど我が娘が大学公募制推薦合格をゲットした時期だ。 
 娘幼少の頃より娘のサリバン先生を一身に担当して来た母親の私としては、18年来に渡るその激務から一旦解放され、子育て段階の“大きな一山を超えた”との安堵的心境だったのだろう。 
 今想像するに、娘と共に二人三脚で歩んで来たサリバン指導の歴史に一段落ついた私の脳裏に、本来の自分を取り戻せる感覚が一瞬過ったのではないかと想像する。


 ここで、2011.11.28 公開の「孤独を貫いても守りたい事がある。」と題する我がエッセイの一部を、今一度以下に要約して紹介させていただこう。

 私自身は 「孤独」 という言葉とはさほど縁の無い人生を送っているのかもしれない。  長い独身一人暮らし時代を歩んで来た私だが、何分その頃は超多忙な日々を送っていたため「孤独」と向き合う時間すら取れなかった故であろう。  それでもそんな私なりに、これぞ「孤独」と表現するべきか? との心理状態に苛まれた経験はある。
 独身時代に年に一度程郷里に帰省していた私だが、おそらく30歳を迎えようとしていた頃のある時、郷里から大都会の我が一人住まいの住居地に戻る航空機の中で“孤独感”らしきものに苛まれたのだ。  田舎で数日間のんびり過ごした事が、我が心理状態を一時かき乱したものと分析する。
 当時さしあたって結婚願望がなかった私は、このまま大都会の喧騒の中で今後も一人身で生きていかねばならない現実だった。 周辺には近しい恋人や複数の友人や職場の同僚等々、日常的にかかわる相手がいるにはいたのだが、日々流れ行く浮世の中で人間関係とははかなく移り変わるのがこの世の常という事も承知していた。 いつか私の周辺に、私と係わりを持つ人間が一人としていなくなる日が訪れても何ら不思議ではない。 その時、私はその孤独に耐えられるのだろうか???
 郷里よりの飛行機の中で突然襲われたこの “来たるべく孤独想定恐怖感” は、私にとっては結構切実だったものだ。
 ところが当時はやはりまだまだ若気の至りだった事に救われた。 帰省した翌日から、またもや我が身には多忙な日々が押し寄せてくる。 “孤独想定恐怖感”など何処かに吹っ飛んでしまったようで、その後の我が心理状態の記憶はない。   (中略)
 そんな私も自分が好まない集団会合に出席すると、その場で孤独感に苛まれる事を幾度も経験している。 おそらく、そもそも集団を好む人種とは元々個々人が築き上げる深い人間関係における心の営みなど二の次なのであろう。 傍観者としてのメンバーを集め、自己存在をアピールしたいのみではないのかと私は結論付けている。  それ故に、原左都子にとっては“集団”とは「孤独感」が苛まれる虚しい場でしかないのだ。  結局私が集団嫌いである根本原理とは、対等であるべき人間が多く集まった場で、周囲に配慮するでもなく自己アピールだけをしたい人物の背後で、鬱陶しい思いばかりが募ってしまい何の収穫もない故である。
 「孤独」がテーマだったのに、話が“集団嫌い”の原左都子の持論に偏向してしまい恐縮だが…。  
 まだまだ今後の人生が末永く続く私であるが、表題に記した通り私には 「孤独を貫いても守りたい事がある。」 ことは確かな事実だ。
 とにかく安易に他者には迎合したくない私である。  今後年齢を重ねるにつれ、私のような“強情張り”の人間はこの世に生き辛いであろうことも想像がついている。
 “孤高”とまで言える境地には決して到達しないであろうが、今のところはとりあえず自分自身の信念を貫きながら一種の 「孤独」 を肯定しつつ、我が人生を歩み続けたいと欲している。
 (以上、「原左都子エッセイ集」より要約引用。)


 ここで話題を変えよう。

 朝日新聞2015.11.28 別刷“悩みのるつぼ”は、43歳女性による 「女ひとり生きるには何が必要か?」だった。
 以下に、相談内容を要約して紹介しよう。
 43歳独身女性だが、一度たりとて恋人がいた事が無い。 その状態が当たり前になり、特に寂しくもなく、楽しんで生きている。 そんな私にも悩みはある。 この分だと、この先もずっと女ひとりで生きてゆかなくてはならないのに、さらに、いろいろな問題が重なってくる。 母は既に亡くなっているが、父の介護問題が出てくるであろう。 それを抱えつつ、女がひとりで暮らしていくために絶対必要なもの、大切なものとは何なのだろう。 今の年齢から将来のために備えた方がいいものは何かあるか?

 上記、43歳女性の相談に対して、社会学者の上野千鶴子氏が的確な回答をしておられる。 その内容に関しては新聞紙上でお読み下さるとよいであろう。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 申し訳ないが、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談者であられる43歳女性の相談内容を読んだ私の感想とは、「あまりにも寂しい…」  そうとしか表現しようがない…
 
 まず、相談女性が何故に今までの人生に於いて一人として「恋人」がいなかったのかに関してだが…。
 それを何らかの理由(例えば同性愛嗜好等)で女性が主体的に貫いておられたならば、私としては何らの指摘が出来る訳もないのだが…
 次なる、「親の介護」に関して。  これぞ、ご本人自らが現在の実生活の中で日々“幸せ感”や“達成感”を紡げてこそ、自分にとってはどうしても“二の次”とならざるを得ない親の介護にも心豊かにかかわって行けるというものだ。
 相談女性については申し訳ないが、私としては上記両者共に不安感を抱かざるを得ないのだ…。
 当該女性が43歳にして自分の将来を主体的に見つめ直せる能力を内在していて、かつ自己再生可能な人物ならばよいのだが…  相談内容から想像するに、それら能力に欠けているのではないかと多少心配する。 特に女ひとり身で生きて行くために必要なものや大切なものなど、自ら主体的に見出すべきだろう。
 

 そういう私は昨日娘の大学へ出向き、「卒業論文発表会」を傍聴してきた。

 発表に関しては、娘が現在までに育成して(サリバンが育成させて)来た能力にしてまずまずの内容だった。 これで娘も来年3月には大学を無事に卒業出来よう。
 血縁関係にある親子と言えども、能力開花には個性も格差もあるのが現実だろう。 娘は娘なりの最大限の努力を4年間成し遂げられた姿を垣間見せてもらえただけでも、十二分の親孝行だ。 

 この先まだまだ我がサリバン力を持続するつもりであるが、少しだけ自分自身の未来に向かって再び「孤独感」を味わえる日も近いのかと、薄々期待したりもするのだ…



 P.S.
 今週半ばまで旅に出ます。   その間「原左都子エッセイ集」バックナンバーをご訪問頂けましたなら嬉しく存じます。 

建設作業員達のプロ技と体力に感動!

2015年12月04日 | 仕事・就職
 (写真は、自宅住居マンション物件の第一回大規模修繕工事が終了し、足場解体に取りかかった建設作業員氏達の作業風景を、高層階に位置する我が家室内より撮影したもの。  参考だが、写真左側付近から直線距離約6km地点に東京西新宿超高層ビル群が展望可能。)


 私の場合、残念ながら親しい間柄の人物に建設業に従事する方々が存在せず、それらの人物との交流がほとんどないまま現在に至っている。

 ほんの少し経験しているのは、私が過去に勤務していた公立高校での話だ。
 マンション物件管理工事現場にてアルバイト職員として働いている男子生徒との雑談の中で、作業現場の話を聞いた事がある。
 男子生徒曰く、「僕は時々マンションビルの排水管高圧洗浄の仕事に行くんだけど、その仕事って凄いんだよ。 自分は補助の立場だけど、高圧洗浄の仕事はとても大変なんだ。 少しその扱いを誤るととんでもない事になる。 それを傍で見つつ先輩達は凄い仕事をしてるなと思いながら、僕も頑張っているよ。」
 目をキラキラ輝かせながらそんな話を私相手にしてくれる男子生徒に直面して、この私がウルウルと感激しない訳もない。
 「へえ~、凄い仕事を頑張っているんだね。 私が住んでるマンションも定期的にその排水管高圧洗浄のお世話になっているけど、作業をしてもらった後の排水の流れが気持ちいい程素晴らしいのにいつも感動しているよ。 ホントに世の中の役に立つ仕事だよね。 ○君は卒業したらその分野のプロを目指すのかな? 応援しているよ!」 などと返答したと記憶している。 


 さて、我が住まいであるマンション物件が現在大規模修繕工事中である事に関しては、当エッセイ集バックナンバーにても公開している。
 そもそも我が家は今回の第一回大規模修繕工事着工に対し、管理組合を通して反対(先送り)の立場を貫いていた。  と言うのも、民間マンションの大規模修繕事業とは建設会社の子会社(あるいは系列会社)の主たる収益目的”との事実が歴然としている故だ。  建設企業側としては、管理会社に毎月チマチマと管理費のみを稼がせていたのではその運営が成り立たたない事など、素人考えでも理解可能だ。 十数年に一度大規模修繕工事を施す事により一挙に多額の収益を上げ、月々の修繕積立金を値上げしない事には継続的経営が成り立たないのだ。
 しかも、現在に於いてはこのマンション大規模修繕事業が、おそらく国家と建設業者との癒着により法制度化され、何年間に1度の割合で強制実施している事実を私は把握している。 
 それでも、私としては国家と民間企業との癒着体勢にどうしても素直に従う訳には行かない!  当初はあくまでも「管理組合」の決定に反発したのだが、マンション住民の総意である「管理組合」の工事着工の決定にいつまでも反発していたのでは、先々この集合住宅内で暮らしにくくなる事が歴然だ。
 痛恨の念であったが、最終的には管理組合の“工事着工”合意に同意せざるを得なかった。


 そうして、9月から12月までのスケジュールで、我が住居であるマンション物件の大規模修繕工事が開始した。
 未だ残暑が厳しかった9月の工事着工当初は、その工事騒音を聞かされるだけで、工事反対派だった私は居てもたってもいられない程の不快感を感じざるを得なかった。 
 ところが今回の工事に関して「反対派」が居住している事実を周知しているマンション建設会社が、住民に留意するとの粋な計らいをするでないか。  「ご意見をいつでも承ります」なるポストを設け、修繕中の不都合・不具合や不平不満に関して事細かに対応する体制を整えた様子だ。 これに私も幾度となく意見書を投稿した。 建設会社側はそれに忠実に応えたと評価出来よう。 (ただ、費用対効果に対する考察は当然ながらまだ先の課題だ!)


 それはともかく、実際に修繕工事現場で作業している作業員氏達のプロ技の程は物凄いのだ!
 
 例えば、冒頭写真に掲げた「足場解体工事」に関する “原左都子詳細レポート”をここで紹介しよう。

 右側の青年が手作業にて足場を少しづつ解体しながら、左側にいる青年に解体した部品を運び、それをロープで階下に降ろす作業を実施している写真だ。 元々、足場とはマンション物件に固定されている。 ところが解体作業に際してはその固定部分が最初に取り外される運命にある。 そうした場合、特に上階の足場は風がなくとも作業員の重みでゆらゆら揺れるのは必然だ。 しかも解体作業に於いてまず両側の手摺から取り外されていく。 そうなると右側の青年は、結果として幅30㎝程の揺れる床面にて重そうな“床面”を取り外すなる、とてつもなく危険な作業に挑むしかない運命に晒されるのだ!

 更に驚かされるのは、解体する順番を一つでも間違えたものなら取り返しがつかなくなるとの切羽詰まった状況にもかかわらず…
 私の目に映る作業員氏達とは、過去に於いて高校教員をしていた時期に出会った高校生達とさほど年齢が変わらないようなあどけない外見風貌でもある。 にもかかわらず、青年達の仕事ぶりとはまさに“プロ技”なのだ。
 一つの手順も間違えず、体力勝負で、しかも短時間内に危険度が高い解体作業をスピーディにやり遂げた作業員氏達に大きな拍手を贈りたい。 
 

 まさに、この種の究極“プロ技”を間近で目の当たりにすると、自分自身の“無力さ”ばかりが浮き彫りになり自己嫌悪に陥ると言うものだ。

 にもかかわらず、世の中には未だ意味不明の“職業ピラミッド階級”が存在するのが現実であろう。

 職業ピラミッド頂点に君臨し、自分こそが世を牛耳っていると自覚している恥知らず人種どもも、たまにはピラミット底辺(?)にいる職業人達の働きの素晴らしさを見学してみるとよい。

 必ずやその高度プロ技に感動し、自分の能力の無さを恥じ反省させられる事であろう。

近年の「流行語大賞」のお粗末さに辟易とする…

2015年12月02日 | 時事論評
 毎年この年末の時期になると、メディアにて発表されるのが「今年の流行語大賞」とやらだ。

 昨日(12月1日)これに関する報道をNHK夜7時のニュースにて見聞したのだが、どうしたことか、聞かされる方が恥ずかしいがごとく俗人も好まないような、ろくでもない言葉や表現ばかりが羅列されているではないか…。


 「流行語」と称するからには、私としてはその年に発生した事件・世論や世俗・世相を“その一言で的確に反映した言葉”を選出して欲しいものだ。
 にもかかわらず、ここのところそれらとは一切無関係の、くだらないお笑いタレントの醜態を取り上げたものがランクインしている事実に、ウンザリとさせられてばかりいる。

 もしも私が流行語大賞選出審査員であったならば、今年の大賞としては 是非とも「安保法案強行採決絶対反対!」をまず最初に選出したかったものだ。
 安倍政権による当該法案強行採決に際し、9月には東京・永田町の国会議事堂前でそれに対し抗議の声を上げる人たちが集結した。 「いますぐ廃案!」、「絶対反対!」のプラカードを掲げた約1万5千人が参加した。 残念ながらアンチ自民党政権派としては望まぬ結果となってしまったが、この反対運動こそ我が今年の世論の盛り上がりの確固たる1位!として推薦したかったのだが…

 あるいは沖縄県知事 翁長氏が今年1年間に渡り国政に対決して訴え続けた 「イデオロギーよりアイデンティティー」(この言葉自体は昨年翁長氏が選挙戦にて発表したものだが)も推奨したかったものだ。 自らの身の危険も顧みず、翁長知事が沖縄県民のアイデンティティを取り戻そうと、「辺野古移転阻止」に向け国政相手に果敢に闘い続けたその勇気ある姿勢に拍手を贈りたい。


 昨日発表された、「流行語」の中で、私も同意できる言葉が二つあった。

 その一つは 「五郎丸」 である。
 何せ、今年開催されたラグビーワールドカップでの 五郎丸歩選手 の活躍の程は、ラグビーをほとんど知らない私の目にも確かに素晴らしかった。 
 しかも五郎丸選手の場合、外見もいけてる!  強い男が外見的魅力も兼ね備えているとなると、女として惚れない訳もない。 
 ただ原左都子が一点思うに、もしも五郎丸氏の苗字が「鈴木さん」や「佐藤さん」だった場合、これ程までに国民の間で人気を博しただろうか?? とふと思ったりもするのだ。  稀にみるご本人のラグビー能力と偶然にしての“印象的な苗字”が絶妙にマッチして、国民の人気をさらったものと解釈している。

 あるいは、マイナスイメージから 「エンブレム」。
 今年は2020東京五輪準備段階にして、2020東京五輪組織委員会は大きな墓穴を二つも掘ってしまった。  その一つが競技場建設に於ける幾度にも渡る費用の見直しであり、そして五輪エンブレムデザインに関する不祥事である。
 これらに関しては、東京を住居地としここに今後も住み続けようと志している我が身にとって、他人事でないけしからぬ失態と今でも捉えている。
 特に「新国立競技場」建設に関してこの度政権と都知事の間でその経費負担の合意を見た様子との報道だが、一体全体、舛添知事は十分な議論を展開出来た上で国との合意に至ったのか?との疑問を今尚抱いている。 


 ところで、この「流行語大賞」とは、1984年に創始されメディアを通して発表されるようになったらしい。
 以下にそれに関する情報をウィキペディアより引用しよう。

 候補となる言葉は『現代用語の基礎知識』(自由国民社・刊)の読者アンケートによってノミネートされ、その中から新語・流行語大賞選考委員会(選考委員7名)によってトップテンと年間大賞が選定される。
 創始当初は、新語部門と流行語部門に分かれて、それぞれ金賞を筆頭として各賞が選ばれていたが、8回目の1991年(平成3年)からは年間大賞が設けられ、11回目の1994年(平成6年)からは両部門を合わせて選定されるようになった。 2003年(平成15年)には株式会社ユーキャンと提携し、翌2004年(平成16年)より現代用語の基礎知識選『ユーキャン新語・流行語大賞』に改称された。 日本漢字能力検定協会の『今年の漢字』、第一生命の『サラリーマン川柳』、住友生命の『創作四字熟語』、東洋大学の『現代学生百人一首』と並んで、現代の世相を反映する一つの指標として取り上げられている。
 選考委員に関してだが、(おそらく現在の選考委員は) 姜尚中(作家・聖学院大学学長)、俵万智(歌人)、鳥越俊太郎(ジャーナリスト)、室井滋(女優・エッセイスト)、やくみつる(漫画家)、箭内道彦(クリエイティブ・ディレクター)、清水均(『現代用語の基礎知識』編集長)の7名からなる選考委員会によって選出されが、選考委員が左翼系文化人に偏っているとの批判がある。
 (以上、ウィキペディア情報より一部を引用。)


 最後に、私論でまとめよう。

 何もこの私が、世間が欲する娯楽の一端でメディアが報道している「流行語大賞」に異論を呈する必要もないとの事実など重々認識している。

 まさにこの種のメディア情報とは、「娯楽」範疇以外の何でもないのだろう。

 ただ、過去に於ける「流行語大賞」の中には、世界の動向をも揺るがした言葉が存在するのだ。
 例えば1988年に発表された 「ペレストロイカ」など…

 今後の日本国内の「流行語大賞」の発展を目論んだ場合、初心に戻って世界を意識してもよいのではないかとも考察する。
 安倍政権が勝手な「安保法案」を成立させたとは言えども、何分、日本が現在置かれている世界規模での存在力の程は、80年代と比して低下の一途を辿っていると私は認識かつ懸念している。

 「流行語大賞」という一種の単なる“娯楽”が、もしも若者世代の感覚をくすぐる“働き”を果たす役割を期待しているとしたならば…。
 むしろ、今後は世界に通用するグローバル観点からの引用用語を、80年代のごとく復活させる事を奨励したいものだ。