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原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「メゾン原」にて、またまた厄介な工事が発生…

2025年07月22日 | 仕事・就職
 我が家がJR山手線沿線の駅から程近い場所に、「メゾン原」と称する賃貸物件を所有している件に関しては、バックナンバーにて幾度か公開している。


 この物件、何も無ければまさに安定した家賃収入が稼げる優れた所有物ではあるのだが。
 一旦不具合等々が発生すると、その費用は当然ながら所有者である我が家の負担になる。


 この度、その不具合が発生してしまった。😱 😭 

 発生場所は下水施設であり、その流れが悪くなっているとの住人の方からの訴えのようだ。
 不動産仲介業者の仲介により、一旦その下水の場所(4か所に及ぶらしいが、そのうちの3か所)の清掃が実施され、流れが良くなったらしいのだが。

 問題は下水の場所がもう一箇所あり、その場所に雑草が茂っていてその存在が分からず、清掃作業が成されていないとのこと。

 加えて、その下水が通っている場所が(原の所有ではない)私道に設置されていること。

 以上のような複雑な事情があり、未だにその工事の負担が何処にあるのかが不明の状態だ。


 今回はとにかく、「メゾン原」にお住まいの特に一番下水排水場所に近い場所に部屋がある1軒の住人の方が、下水のつまりの被害に遭われて困惑されているとの訴えだ。

 これはオーナーの立場としては、急いで工事を実施して下水の不具合を解消したいものだが。


 とにかくオーナーとしては、不動産仲介会社に連絡してその旨を伝えた。


 そうしたところ、面白い話なのだが。

 「メゾン原」に程近い場所の下水工事を、(おそらく区の下水道工事担当班と思しき)工事団体が、下水修繕工事を実施していたのだと言う。

 それを発見した仲介会社担当者が、急いでその工事担当者をひっ捕まえて、「こちらの下水の調子も悪いからついでにみて欲しい」と嘆願して下さったらしいのだ。
 そしたら早速その工事担当者がやって来て、高圧装置か何かを下水口に入れてその不具合を治して下さったらしい。
 その費用たるや、無料にて実施して頂いたとの事だ。😜 

 それは良かった半面、肝心のメゾン原内に存在する「下水道口」が雑草に覆われていたがためにその存在に気が付かずに、放置されてしまったとの結末だ… 😫 😱 


 当該メゾン原内の下水道工事に関しては、我が家の費用負担にて実施せねばならず、本日その件で仲介会社と話し合ったとの成り行きだ。

 
 不動産賃貸業も、何も無ければ“楽して儲かる商売”なのかもしれないが。

 一旦、不具合が発生したりのトラブルがあると。
 その対応に難義して時間を取られ、出費がかさむ生業であることに気付かされる。😖 

 まあそれでも、「メゾン原」は我が家にとっては副収入源としての貴重な存在であると言えよう。


私は「頑張る!」タイプの人間かもしれないが、それを周囲に「認めろ」と言ったことは無い

2025年06月14日 | 仕事・就職
 本日のエッセイは、2025.06.07付朝日新聞「耕論 『頑張る と言う前に』」より 社会学者 大川清丈氏による「能力平等観 報われぬ社会」から題材を得よう。


 それでは早速、当該記事を以下に要約引用しよう。

 「頑張る」との辞書的な意味は、忍耐と努力の要素がある。 ここに誰でもやればできるという「能力平等観」が関係している。 生まれつきの能力はあまり違わないという見方だ。 差があっても後から挽回でき、結果は「頑張り」次第、となる。 (中略)
 平等も、「頑張り」を生む一つの条件になる。 不平等だとあまり頑張る気がしないが、平等だと頑張る気になる。  (中略)
 そんな「頑張り」は高度成長期に浸透していく。 会社のために頑張ればそれだけ年収が増える時代だった。 その流れが変わったのはバブル期だろう。濡れ手にあわのようにかね儲けができると、まじめに働いても馬鹿を見ると感じる。  さらにバブル期崩壊後、今度は頑張っても報われなくなった。 いわゆる格差社会だ。 ますます「頑張り」の基盤が掘り崩されていく。
 1995年の阪神・淡路大震災では「がんばろう神戸」が合言葉となったが、被災者に「頑張れ」は心無い言葉だ、と言われるようになった。 97年頃から、金融機関が破綻する中、「頑張らない」というスローガンが出て来る。
2000年には著書「がんばらない」もヒットした。 当時の「スローライフ」、令和の「親ガチャ」にも通じる流れだろう。
 とはいえ、「頑張り」という言葉は、今でもしぶとく残っていると思う。 「頑張ります」など、皆があいさつのように言い、一種の空気を読むような言葉として使われ続けている。 これだけ価値観が多様化しても、社会を辛うじてつなぎとめる言葉の一つと考えられるかもしれない。

 (以上、朝日新聞「耕論」より一部を引用したもの。)



 原左都子の私事に入ろう。

 私の場合 学校現場ではともかく、職場に置いて「頑張り競争」を強いられたことがほとんどなかったような記憶がある。
 と言うのも、私が就いた職種が「医学」であり「教育」であったことが功を奏したとも考え得る。
 両者共々その業務をこなすに当たり、「国家資格」や「免許制度」によりその専門資格・免許を取得していることが条件であったために、当然ながらそれらをゲットしての就業だった故だ。
 まあそれでも当然ながら、その職務能力とは個々人間で多少の差があるものだが。  最低限その仕事を成就できない人材は資格ゲットがままならないであろうし、その業務に就けないのが常識的である職種ばかりだった故に 特段何らの違和感なく、私は日々仕事に励めたものだ。

 特に40代半ば頃になって医学業務を単独でこなす立場の仕事に就いた暁には、まさに私の独壇場として仕事に日々励めたお陰で。 
 何らの障壁も無く、自身の専門の能力が活かせる日々だった。

 特にそのような、専門力を要する業務を「単独」でこなす日々を送るべくの医学業務の日々の中で。
 当然ながら、その業務は「頑張る!」に決まっているが。
 表題の如く、その能力を周囲に「認めろ!」などと要求する必要がまるでないというのか。
 その仕事が単独で完璧に出来て当然との「採用条件」の元にこの私が採用され、日々その業務をこなす訳であり。

 そのような勤務実態が、この私に大いにマッチしていて。
 よくぞまあ私をこの仕事に採用してもらえたものだと、感謝の日々でもあった。


 
 結論を書くと。

 とにかく何の職種であれ自身の専門能力をとことん磨いて(特に国家資格等が必要な職種の場合はそれを必ずやゲットした上で、)その業務に臨んだならば。

 自身の仕事の「頑張り力」を、周囲に認めてもらう事を焦る必要など何ら無く。

 自身の「業務達成の実態」が自ずと表面化して。

 日々、自身の仕事に集中できるのではあるまいか?!??
 

「メゾン原」、  新たな入居者が決定しました!

2025年06月10日 | 仕事・就職
  我が亭主の母(私にとっては義母)がこの2月に94歳にて亡くなり 3月までに「葬儀」「墓入れ」を終えたことに関しては、既に当エッセイ集にて公開している。


 それに伴い それまで義母が運営していた賃貸物件「メゾン原」の管理・運営を、我が亭主が全面的に引き継いだ。
 (参考だが、「メゾン原」の税務(青色)申告に関しては、義母高齢につき「経営法学修士」を取得しているこの私が15年程前より専任で毎年担当している。)

 この「メゾン原」は、JR山手線沿線の某駅より徒歩10分程の利便性が高い地に存在するのだが。 その割には周辺環境が優れていて静かに暮らせる場所でもあり、以前より入居希望者がすぐに見つかり 空室で放置することが無い恵まれようだ。

 
 その一室がしばらく空室となっていたのだが。
 この度、入居者が決定した。

 メゾン原は、JR山手線 某駅からメトロ南北線で「東大前」駅(最近殺傷事件が発症した駅だが)まで行ける場所にあるため。
 以前より「東大生」の借り手が多い。 実際に現在既に1名の東大生が入居されている。
 そして今回もまたもや、東大生(この春、工学部に入学されたばかりの男子学生さんのようだが)とそのご家族の入居が決定した。

 どうやら裕福なご家庭の様子だが。
 現在都内別の地にそのご家庭が住むお宅を建築中で、その間この「メゾン原」に住んで下さると言う。
 (私の希望的観測では、息子さんが東大を卒業されるまで4年間 あるいは修士課程2年間で6年間、さらに博士課程まで進学されるすると、その後もこの「メゾン原」に住み続けて下さるのでは無かろうか?? と“捕らぬ狸の皮算用”をしている。)😝 



 この原左都子も亭主と結婚直後期に、半年程この「メゾン原」の一室に住まわせてもらっている。
 そのため、「メゾン原」の住み心地の良さは十分に心得ているのだが。
 まあ亭主と私の場合は貸主の息子とその妻の立場だったため。 
 大家である当時一階に住んでいた亭主の父母におんぶに抱っこ状態で、食事などご馳走になる機会が多かったなあ。😜  

 ただ、亭主の母が「息子夫婦(我々夫婦の事だが)との同居」を嫌がり、既に我々夫婦に別の場所にタワーマンションを購入してくれていて。 
 私の第一子妊娠及び高校教諭退職と同時に、そこに亭主と2人で引越した。


 原家に嫁いで以降、この私は“美味しい思い”ばかりさせて頂きつつ年月が流れ。
 今となっては、原家の父母も亭主の姉も他界し、「メゾン原」との財産のみ残して下さった形になるが。
 (参考だが 亭主の姉に一人息子がいて、都内別の場所の大邸宅に住んでいる。 この甥も人格的に優れていて、義母の葬儀や墓入れの際に久々に再開したら依然と同様の良き人物で、お墓に飾る花や線香等も持参してくれていた。 この仕事、私がやるべきだったなあ、と手ぶらで行ったことを後で反省しきりだった…


 話題を、「メゾン原」に戻そう。

 ここのファミリー物件に入居して下さるご家族だが。
 上に記載した通り 親御さんは新居が落成し次第、そこに転居されることだろう。
 東大生の息子さんが今後大学院に進学して更に博士課程を修了されるまで、どうか末永くここに住んで東大まで通われるよう、希望しております!


 P.S.
 個人情報保護観点から、写真は削除させて頂きました。


転職癖がついた貴方、「専門職」を目指してみては如何ですか??

2025年06月07日 | 仕事・就職
 本日のエッセイの題材は、2025.06.07付朝日新聞「悩みのるつぼ」 30代女性による「転職癖のついた私、どうすれば」から得よう。

 
 早速、以下に要約引用しよう。

 私は大学を卒業してから、これまでに転職を7回している。 今は新しい就職先が決まり、その準備をすすめているところだ。
 これまでの転職を考えると、退職理由としては小さなことでいえば沢山あるが、一つ共通して言えることは「自分の存在意義」がわからなくなっているのだ。
 今いる職場で私は役に立てているのか。
 会社の業績に貢献出来ているのか。
 いただく給与に見合った仕事はできているのか。
 考えれば考える程思い悩み、最終的には退職に至ってしまった。 自尊心の低い性格も影響していると思う。
 退職してからも、私は何をしても続かない、継続できないダメな私と否定的になってしまい、なかなか前に進むことが難しかった。
 同じ会社で長い期間働くには、ネガティブな考えに行きそうなとき、どう気持ちを持って行けば良いか、また自分に自信をつけるにはどうすれば良いか、アドバイスを頂けますと幸いです。

 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」の相談を要約したもの。)


 
 この相談内容を読んだ直後の、原左都子の感想を述べよう。

 この相談女性が一体全体如何なる「職種」にて就業され、転職を7回も繰り返しておられるのかが相談内容からは全く不明だ。
 それが分かると、ある程度相談に乗れる気もするが…

 私の想像ではおそらく「専門職」では無いのだろうと推測する。
 もちろん「専門職」に就いていても転職することはあり得るが、短い期間に7回もの転職を繰り返すことはあり得ないと言い切れる。

 私自身が「専門職」の経験しかない(「医学」と「教育」分野だが)身にして。
 短期間に7回も転職せざるを得ない「職種」がどうしても分からない…

 相談女性が「自分の存在意義が分からない」と書かれているのを分析するに。 自身の日々の業務において達成感等々の仕事による満足感が全く得られていないと捉えていいのだろう。

 逆に言えば、今現在は若手労働者の人材不足が激しいらしく、何処の企業も人手不足を強いられている状況下にあるため。
 この女性も短期間に7回転職して尚、就業先があるとのことだろう。

 それならそれでそんな労働者不足の社会の実態を利用して、今後も何度も転職しつつ日々の暮らしを支えていかれたらそれでいいのか、とも言いたくなるが…

 ただ この相談者は相談内容の中で、「自分の存在意義がわからなくなってくる」と書かれている。
 だとすれば 30代の今現在まだまだ遅くないから、思い切って今から何らかの“専門能力”を身に付けその分野の資格を取得する等々の努力をされてはどうだろう。


 
 (原左都子自身の職歴に関してはバックナンバーにて散々語っているため、今更この場で繰り返すことは控えるが。)

 「資格」とは身を助けてくれるのは絶対的に確かだ。
 そして その資格を活かせる業務に日々励む事実とは、実に達成感が得られることにも間違いない! (しかも、報酬も高い!!)

 この相談女性が 次回の転職までにじっくりと「資格取得」を考慮され、それを実行するという方策もあるが。 それにはある程度の時間と資金が必要となるであろう。

 今現在は若き人材の求人が活況の様子なので、とにかく何処でもいいから次なる転職先をゲットして職にありつくとの方策もあるだろう。

 この相談女性が、もしも後者を選択するとして。
 やはり、何らかのご自身の仕事に対する「ポリシー」(例えば自分はこの種の仕事は得意だから頑張れるぞ!)等々の程を自身の内面に確立しておかないことには。

 残念ながら、今後も「転職癖」を引きずるような悪い予感もする…


2025春の大卒就職率が2年連続98%だった中、「安易に決定」した学生が多発しているらしい…

2025年06月01日 | 仕事・就職
 冒頭から、2025.05.24付朝日新聞記事「大卒就職率 2年連続98%台『売り手市場』続く」 の一部を、以下に引用しよう。


 厚労省と文科省は23日、2025年春に卒業した大学生の就職率が98,0%で、調査を開始した1997年卒以降で過去2番目の高さだったと発表した。 求人が求職を上回る「売り手市場」が続く中、安易に就職先を決定し、企業との相互理解が深まらずに退職するー という課題も指摘されている。
 厚労省と文科省による共同調査。 今春の水準は、過去最高だった24年卒よりもわずかに下がったものの初めて2年連続で98%となった。
 一方、「売り手市場」ならではの課題も出てきている。 リクルートの「就職白書2025」によると「小食先を安易に決めてしまった」と感じる学生は43.6%に上った。
 「安易決定」と回答した学生は、入社予定企業でどのくらい働きたいのかの期間が短くなる傾向があり、「3年未満」が14,2%で、「安易決定」と答えなかった学生の4,9%と比べると高くなった。
 調査を担当した某上席主任研究員は、「学生有意な状況の中で、自己分析などを深めきれないままに、内定を獲得する学生もいる。 企業側も採用充足させたいと言う気持ちが強い」と分析。  「相互理解が十分に深まっていないまま入社することになるとミスマッチが起こりやすい。 企業側も相互理解を深める対話を通じて内定を出すことを意識する必要がある」と指摘した。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 ここで原左都子の私事に入っても、おそらく内容が“”嫌味ったらし”くなることは承知だが。 それでも書かせて頂くと。

 私の場合、我が人生に置いて大きく分類すると「医学」と「教育」分野の業務をこなしてきているのだが。

 その一つ目の「医学」だが。
 これに関しては、国立大学医学部にて「臨床検査技師」の国家資格を取得しての就職だった。
 私がその資格を取得したのは、その資格制度が出来て間もない頃(大学にて当該医学分野の新コースが誕生した直後期の3期生だったのだが。
 とにかく求人希望がとてつもなく多く、学生1名に20の求人が押し寄せるとの“引く手あまた”状態だった。
 要するに国家資格を取得していれば、自分の思いのままの就職先が“より取り見取り”だったとの訳だ。

 そんな中、私は医学部卒業後は上京を志していたため、その夢をかなえるために東京の医学企業に就職を決定した。
 参考だがその医学企業の成長力が目覚ましく、あれよあれよという間に大企業への道程を辿ったのだが。それに比例してこの私も“ボーナス年間10カ月!!”なる報酬を手にすることが叶い、30歳独身時点で首都圏に私が一人で済むマンション物件を自力で購入することが叶った! (この話を何度もして恐縮だが…)😜 
 その後、私は一旦医学業務から離れ「高校教諭」免許を取得し、その分野でもしばらく活躍した。

 とにかく人よりも長い独身時代に私は大いに働き、大いに稼いで身を立てつつ、華やかな生活を堪能したものだった。



 「2025年春に卒業した大学生の就職率が98,0%」との話題に戻ろう。

 上記引用文中にも書かれている通り。
 その大学生たちの就職率の高さと、大学生本人の職業満足度がまるで一致していない現象が起こっているところが、大いに気がかりだ。
 それが証拠に、せっかく入社した企業をすぐに退職する人材が多発している様子だ。

 この現象に関して、私見を述べさせていただくと。
 要するに、自身が本気でやりたかった仕事に若き人材がありつけていない状態というのか。
 企業側が欲する「職業能力」を新卒者がほとんど身に着けないままに。  単に現在は「人員不足」のために就職先が見つかってしまい。 そのまま安易に就職してしまっているとの現象であろう。

 いや、中には偶然その会社から提供される職種にマッチして活躍できる新卒者も存在する事だろう。
 何と言うのか、(失礼な表現かもしれないが)特に「文系」の人材とは高度な専門能力の欠片も身に着けずして就職出来ている、と言う事では無かろうか??

 それでもとにかく「頑張り力」がある人材は、その職場で成功を収めることは可能であうと推測する。


 結論にならないが。 

 自分に合わない、等々の理由ですぐに退社を選択するよりも。

 とにかくせっかく就職した(雇い入れてくれた)職業現場で、若き人材である新入社員個々人が最大限の努力を重ねて精進されては如何か?

 そうすることによりいずれその職場のエキスパートの地位を得て、長年勤務が可能となることだろう。