原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私は基本的に薬剤に依存しない主義を貫いている

2023年03月30日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、2023.03.25付朝日新聞「書評」ページより、バリー・マイヤー著「ペイン・キラー アメリカ全土を中毒の渦に突き落とす、悪魔の処方薬」を撮影したもの。


 本日は、当該著書に対する朝日新聞 本社論説委員・生方史郎氏による「過剰摂取で年間10万人超が死亡」と題する書評を引用する。

 以下に、その書評の要約をしよう。

 米国では2021年、薬物の過剰摂取で過去最多の10万人が亡くなったとみられ、その多くはオピオイドという麻薬性鎮痛剤が原因だ。 そう聞いても、どこかピンと来ないでいた。
 痛みから逃れるために薬に頼る気持ちはよくわかる。 でも、どうやったら処方箋がないと入手できない薬で死亡に至り、国民の平均寿命を下げるまでになるのか。 そんな疑問がようやく解消した。
 この本に登場する16歳の女子高校生の場合、別にどこかが痛かったわけでも何でもない。 彼女が住むのはかつて炭鉱でさかえた地域で、トランプ前大統領誕生の原動力にもなった「ラストベルト(さびついた工業地帯)」をどこか想像させる。
 最初に吸ったときには吐き気がしたが、すぐに筋肉が弛緩してすべての緊張が消え去ったという。 当然だが、薬が切れれば元に戻る。 いとも簡単に激しい苦痛を伴う離脱症状が起きる状態にもなり、一度も大量摂取すれば呼吸困難を起こして亡くなることもある。
 高校生が薬を入手出来てしまうのは、むろん不正な流通経路があるからだ。 地域の異変に気付いた医師らが製薬会社を相手に立ち上がり、やげて司法当局が動く。 一方、製薬会社は司法経験者や有能な弁護士を雇い入れ、議員や関連団体には献金攻勢をかける。 さならが映画のような展開だ。 (途中大幅略)
 念のために書き添えれば、癌の痛みに麻薬性鎮痛剤を使っても依存や中毒は起らない。 ただし、市販の鎮痛剤や咳止めでも依存が起きうることは知っておくべきだろう。

 (以上、朝日新聞「書評」ページより一部を引用したもの。)



 話題を大きく変えて、原左都子が左膝複雑骨折手術後に病院の薬剤師氏より処方された「鎮痛剤」の話をしよう。

          
 こちらは、8日間手術入院した後の退院時に処方されたもの。
 ただの一粒も飲まずに、引き出しの中に置き去ったままだ。
 ただし、我が主治医が理解ある医師であることに助けられた。 正直に鎮痛剤を一切服用していないことを告げると。 「痛みが無いのならそれで十分です。患者さんによれば“追加の鎮痛剤が欲しい”とおっしゃる方もいますが。」😱 

           
 こちらは、同時に薬剤師より頂いた「お薬手帳」。
 最初に「現在お使いの『お薬手帳』をお持ちですか? と尋ねて下さるので。 「過去に何度かそれを配布されたことがありますが、基本的に薬を飲まない主義ですので、いつも捨てています。」と応えた。 
 そう言ったにもかかわらず、薬と手帳を配布されてしまった、とのいきさつだ…


 冒頭の書評に記した米国の事例は、多少極端かもしれないが。

 我が国でも、病院へ行けば大量の薬剤を配布されることが常識化してしまっているように私は捉えている。

 おそらく皆さん、それらの薬剤を“素直”に“真面目”に飲んでおられるのだろう。
 その慣習が老後までずっと続いてしまったら、ご自身の身体が一体如何に変化するのかを想像したことがおありだろうか?

 我が義母の事例を挙げると。
 昔から一貫して病院から配布される「薬」を信用し切っていて、それらをすべて“飲みこなして”いる人物だ。
 亭主との晩婚直後に、その義母が私相手に配布された薬を広げつつ「私はこんなに薬を飲まなきゃいけない身体なのよ」との“自慢話”を始めるではないか!😖 😲 
 ところが、我が診断だと義母とは何らの致命的疾患や基礎疾患が無い。 にもかかわらず、身体のどこかに痛みや違和感が発生すると、せっせと病院通いをして薬のコレクションをする癖があるようだ。
 義母は早くから認知症を抱える身であり、現在91歳を過ぎて尚元気ではあるものの。 義母の認知症の原因の一つに「薬剤多用習慣」があると私は考えている。 (まあ義母の場合は、基本的に“他者依存性の強さ”や“物事に対する興味の低さ”等も認知症の原因であろうとみてはいるが。)


 我が国の場合は、冒頭の書評内に書かれているがごとくの“高校生が危険薬剤に手出しする”との事例は極少と信じたいが。

 一般人の病院処方薬依存は、幅広い世代に渡る現象なのではあるまいか?

 いやもちろん、それを処方されねば命にかかわるがごとくの病気や症状もあるため、それに関しては医師や薬剤師の指導に必ず従うべきなのだが。


 とにかく薬には副作用がつきものであるし。

 国立大学医学部パラメディカル分野出身者でもある原左都子としては。
 安易過ぎる薬の乱用は、主治医と十分に相談の上に慎まれては如何だろうか??    と、アドバイス申し上げたい。


四国各地で鉄道の木造駅舎が次々と取り壊されているらしい…

2023年03月28日 | 時事論評
 (冒頭写真は、原左都子が郷里四国の高校・大学生時代に日々利用していた無人駅・JR鳴門線 “教会前駅” の現在の光景。)


 引き続き、ネットで見つけたJR鳴門線“教会前駅”の現在の写真を以下に列挙しよう。

               
 この教会前駅は、私が郷里に住んでいた幼き頃より存在していた記憶がある。
 中学生までは、郷里の主要駅まで行く時等々にたまに利用するのみだったが。 
 私が進学した高校がその主要駅から徒歩圏内にあったため、3年間日々この教会前から乗り降りして通学した。
 郷里の大学生になって以降も、親の都合で県内別地へ引越すまで通学の際にこの教会前駅を利用した。
 いや、懐かしいなあ。 隣の駅名「たつみち」「こんぴらまえ」が昔と同一だ。 
 参考だが、何の教会が駅近にあるのかを説明するならば、駅の真ん前に広大な敷地の「天理教会」があった。 個人的には何らの縁も関係も無く、ただの一度も敷地内に立ち入ったことはない。

          
 そうそう、こんな階段を上ってホームへ行った。 当時は手すりが無かった記憶がある。
 へえ~~。 今ではホームには屋根と椅子もあるじゃないか! 私が利用していた頃には、そんなものは一切無かった。  ただただホームに突っ立って、汽車やジーゼルカーを待ったものだ。

          
 駅の前には、自転車が多数置かれているが。 そう言えば我が通学当時もこれ程多くは無かったが、自転車が駐輪していたなあ。
 それにしても、駅近隣の殺風景なこと!!
 駅の前面が田園風景だが、これは昔と何ら変わりがない。 時代が移ろいでも、開発が進まないド田舎地域である事実を実感させられる…😨 


 
 話題を変えよう。 
 
 2023.03.27付朝日新聞夕刊によれば。

 四国各地で「地域の顔」として歴史を刻んで来た木造の鉄道駅舎が次々と取り壊され、アルミ製の簡易な施設へと姿を変えているらしい。

          

 例えば、こちらは建て替えによってアルミ製の待合室だけになった阿波中島駅。
 赤字が続くJR四国がコスト削減策として進めており、既に13駅が建て替えられ、さらに61駅について自治体と協議中のようだ。
 JR四国によると、駅舎の簡素化は東日本大震災などの影響で鉄道利用客が落ち込んだ2014年に始まった。 鉄道施設の耐震化も課題となる中、開業当初からほとんど改築されていない木造駅舎を「利用実態に合わせる」ことが急務になったという。
 最大の狙いは固定費の削減。 JR四国工事課によると、老朽化した木造駅舎を維持した場合、多額の修繕費や定期検査費がかかる。 さらに耐震化すれば1千万円以上が必要。 簡素化により、これらのコスト削減が期待できるという。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 原左都子の感想を述べると。

 この私など、昭和30年代の幼き子供の頃より近くの無人駅である“教会前駅”に慣れ切っている身にして。
 別にそもそも駅舎など必要無いのでは、と自然と思えてしまうのだが…
 高校・大学と数年間、何の問題も無く「教会前駅」を利用して来た経験から「アルミ製の待合室」すら不要かとも思ってしまう。 あんな窮屈な空間で人と袖すり合わせるよりも、いっそ無人駅ホームの自分の好む場所で突っ立っている方が開放感がありそうだ。

 田舎者とは、そもそも1時間(あるいは2時間)に一本しか電車(汽車)が来ないことなど常識中の常識でもある。
 誰しも電車到着時刻を記憶(あるいは記録)していて電車到着間際に駅を訪れるため、駅舎が無くとて屋根が無くとて不都合では無いはずだ。


 そんな過去を経験している原左都子としては、JR四国のコスト削減努力をプラス評価したいものだが…
 (えっ? 今となっては大都会東京に日々暮らす身にして、勝手なことを言うな!! って???)


人間の手足交互振り歩きは “シーラカンス” が決めた!?!

2023年03月26日 | 自己実現
 私め原左都子は、小さい子供時代から“手足交互振り歩き”は自然と出来ていたが。

 時折 運動会等で、手足交互ではなく、右手と右足、左手と左足を同時に出して歩く児童がいた。 
 それを教員がたしなめても、どうしても同じ手足同時歩きをしている児童を見ることがあった。
 あれは、何らかの脳内構造や運動制御作用が私と異なるのだろうか??? などと、考えたり。
 教員は“右手右足同時歩き”の児童をたしなめるが、そんなの個人の自由で勝手ではないのか?!? と反発心を抱いたりもした。


 そんなたわいない事を思い起させてくれる内容の天声人語を2023.03.21付「朝日新聞」朝刊にて見た。
 以下に、一部を要約引用しよう。

 はて、人間はどうして、手と足を交互に動かし歩くのだろう。 そんな奇妙な問いが、頭に浮かんだ。
 「それはシーラカンスが決めたんだと思います」。 福島県いわき市になる水族館「アクアマリンふくしま」の岩田さんは、いたずらっぽく言った。 これまでに30匹もの生きているシーラカンスを見て来た専門家である。
 岩田さんがインドネシアで撮影した水中動画を見せてもらう。手足のような特徴的な太いひれを動かして。 まるで人が歩いているかのように。 この魚が私達の遠い先祖と言われる理由が分かった気がした。
 人類の歴史は数百万年に過ぎないが、シーラカンスは4億年。 競争相手の少ない深い海で、じっと静かに生息してきた。 「自分の居心地のいい場所で負担なく暮らす。それがいいのでしょう」と岩田さん。
 きのう地球温暖化をめぐる国連の報告書が公表された。 世界中で深刻な異常気象が多発している。 そのままでは多くの種が姿を消すと警告し、私達は具体的な行動を求めている。
 地球では隕石落下などが原因の異常気象で過去にも計5回、生き物が大量に絶滅し、私達に具体的な行動を求めている。
 地球では隕石落下などが原因の異常気象で過去にも計5回、生き物が大量に絶滅した。 6度目はどうか。 人類は4億年後、存在しているのか。

 (以下略すが、以上朝日新聞「天声人語」より引用したもの。)



 原左都子の私事に入ろう。

 この私が路上で激しく転んで左膝複雑骨折との大怪我をして、既に5カ月近い月日が流れている。

 お陰様で、現在では多少ぎこちなさが残るものの2㎞程の独り歩きが可能となり、階段昇降も上りは両脚で下りは片脚ずつで何とかなるまで回復している。  
 
 何度も記すが、あの激しい転倒前に私はただの一滴もアルコールを飲んでいた訳では無かったし、身体に不安定感を抱いていた訳でも無かった。
 救急隊員氏がおっしゃるには、「店舗出口のマットに躓いたのではないか?」
 もしそうだとしても、転倒と同時に脳震盪を起こして一時記憶を失う程の激しい転び方をしたのは、我が人生に於いて初めての出来事だった。
 
 もしかしたら あの時 何らかの理由(心的動揺等々)で、私は地球上で“4億年の歴史を刻んでいるシーラカンス”の歩行に逆らった歩き方をしていたのだろうか??

 未だ完治には程遠い左膝の骨折負傷を抱えている我が思い付きだが。

 左膝負傷が完治した暁には 「アクアマリンふくしま水族館」を訪れ、この世で4億年の歴史を刻んでいるシーラカンスに聞いてみたい気もする。
 

昨夜見た “高校教諭時代の鞄を無くし探し疲れた悪夢”

2023年03月25日 | 仕事・就職
 (冒頭写真は、表題の夢の中に出て来た鞄ではなく、50代頃に愛用していた別のルイヴィトン社製の鞄。) 



 昨夜、私はかなり疲れていたのだろうか???


 表題の“摩訶不思議な夢”を見た。

 そもそも夢の中に出て来た鞄とは、我が30代後半期の高校教諭時代に愛用していたものだ。
 今でもよく覚えているのだが、茶色の皮革の風合いが活きたデザインのお気に入りのビジネスバッグ(と言うのか、冒頭写真同様の四角形で教材等が入れやすい形の鞄)なのだが。


 話題を変えよう。
 
 私が高校教諭に新規採用されたのは、30歳代半ばの頃だった。(それまでは医学分野の業務に励んでいて、またその後高齢出産の娘が5歳になった時点で再び医学分野に舞い戻ったとの経歴があるが。)
 その時、同じ春に人事異動にて勤務校に転勤してきた同い年の男性教諭とすぐに仲良しになったのだが。 
 その男性教諭が通勤鞄に凝る趣味がある人物で、その影響を大きく受けた。

 教員とは一般の職種と少し異なり、勤務時に教科書や参考書、講義ノートや生徒の試験用紙等々の書類の持ち運びが常だった。
 それに適した鞄を上記男性教諭がいつも持参していたのを見て、私もあの種の鞄が欲しいとすぐに考えた。
 その後は、今まで使用していた通勤バッグは一切持たず、教員らしいバックにこだわり続けた。


 その数は数個に達しただろうか?

 それらの中で、昨夜の夢に登場したのは私が一番愛用した茶色のバッグだった。
 ある日、登校しようとするとその茶色バッグが“無い!!
 部屋中探しても、どうしても無い!!
 場面が突然電車の中に変ったり、旅行先になったりするのだが、とにかくどうしても茶バックが無い!

 夢の中を彷徨いつつ私は必至で探すのだが、やっぱり無い。
 これは道中落としたか、盗まれたか、とにかく無い…

 もう諦めかけた時に、一旦目覚めてトイレへ行った。
 その後ベッドに戻って再び寝ると、その夢がぶり返すではないか!!

 夢と薄々分かりつつも嫌気がさしつつ、私は今一度目覚めた。

 一旦起きて、部屋中を捜してみた。
 寝とぼけているせいで、内心(やっぱり無いなあ…)と思いつつ再び寝て朝目覚め、やっと夢だったことに気付いた。


 すっかり覚醒状態に戻った私は、今一度部屋中を捜しつつ思った。
 そう言えば、教員時代の愛用バッグは数個存在したはずだが、そんなもの既に処分しているに決まっていた。


 そして、見つけたのが冒頭写真のルイヴィトン社製のバッグだ。
 これは50代に購入したバッグ故に未だ健在だったが。 それでも使用せずに放置しておくと痛みが出てるなあ、と思いつつ。

 今となっては、この手のビジネスバッグには縁が無い生活(職業人をリタイアしている自身の現状)を思い知らされた との、ちょっと寂しい結末だ… 
 

東京都の最高気温が25℃を超えた本日、ウォーキングに出かけました!

2023年03月24日 | 雑記
 (冒頭写真は、ウォーキング出発前の原左都子。 自宅内で自撮りしたもの。 )



 ところが、春の天候とは激しく移り変わるもので。

 空模様が怪しいと思いつつ出かけてみたら、既に雨が降り始めていて。

 自宅近くの大規模公園に到着した時には、ある程度まとまった雨模様となった。


 桜の花見客が大勢押し寄せていた公園内の雨足が強まると同時に。

 皆さんずぶ濡れになりつつ、桟敷等々を片付け公園をそそくさと後にして去って行った。


 私は本日はウォーキング目的だったため、幸い傘を持参していたのでそれをさして雨を凌いでいたのだが。

 思ったよりも大雨になり、この私も公園を去らざるを得なかった。



 本日の東京は3月としては記録的である最高気温25℃を記録したが。

 明日はまた、冬の寒さに戻るとの天気予報だ。


 桜は既に散り始めているが、春の訪れはまだまだ先なのかもしれない。