原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

商売人と顧客との関係のあり方

2011年08月31日 | 人間関係
 ここのところ立て続けに私が契約者としてかかわった商品売買契約やサービス提供商取引契約において不快感を抱かされるトラブルが相次ぎ、イラついている原左都子である。


 その1件は、先だってネット上の楽天ショップ通販において激安インクを買い求める売買契約を締結した事に端を発する。
 我が家には現在3台のプリンターがあるが、そのすべてのメーカーが異なる。 私自身が普段使用しているプリンターはエプソンのインク6色タイプなのだが、年賀状の作成や写真のプリント等も頻繁に行っているためインクの使用料が一番多い。 このエプソンインクに関しては家電量販店等で純正品を買い求めたり、あるいは楽天ネット市場で純正品の半額程度の互換インクを発注して用を足している。 
 この“半額互換インク”に関しては純正品とほぼ同様の品質であると私は評価し、もう4、5年の年月に渡り純正品と平行してネットより発注し続けている。

 今回トラブルに巻き込まれたのは、娘のパソコンに接続しているHP(ヒューレット・パッカード)社プリンターのインクに関してだ。
 特にネットで注文する場合、プリンターの型番とインクの型番が合致していないことにはどうしようもないため、それを入念に調べた上で発注するのが常識である事ぐらいは当然私もわきまえている。
 ところが、今回の失敗はインクの“激安店”に私が飛びついてしまったことである。 この激安店のインクはな、な、なんと純正品の1/5程度の激安なのだ! 元々失敗も覚悟の上での購入だったのだが、案の定、届いた商品は純正品とは形態がまったく異なり娘のプリンターに設置することが出来ない。 その激安インクには英文の取扱い説明書が同封されていて、相当手の込んだ改造をした後にプリンターに設置する仕組みとなっているようだ。

 それは一応理解した上で、何故この種の“まがい物”が公然と商取引されているのかに関して大いなる疑義を抱いた私は、楽天市場のインク激安ショップに対して直接その旨をメールにて申し出た。
 早速店長と名乗る人物よりメールにて返答が届き、届いたインク商品の写真撮影をする等の負担も強いられ、私の方からまたメールを送り返したり等々のやり取りが何度が続いた。
 このメールのやり取りを何日間か繰り返した私は、そのメールのやり取り行為自体に疲労感と無駄な時間の喪失感故の虚しさを感じ、更なる疑義を抱かされるはめとなった。
 結果として届いたショップからの返答とは、「送った商品は正当な商品であり、もしもあなたがインクの改造の仕方が分からないのならば教えるからメールにて今一度連絡するように」との旨である。 ここで、既に疲れ果てていた私は「改造の仕方など教えてもらわなくてよい。今後貴社とは一切取引はしない。」旨を言葉丁寧に記したお断りメールを発信した。 
 その後このインク激安ショップから最後のメール返信があり、若干のお詫びと共に、インクの改造のし方に関する簡単なマニュアルを記したメールが送信されてきた。
 既に激安インク店のインクは未使用状態で廃棄処分とし、娘のHP社プリンターの純正インクを量販店で買い直し使用している我が家であるが、このメールにやっと“一件落着”の開放感を得た思いであった。

 ネット通販による商取引とはネット利用が使命であるため、その後のトラブル対応もメール等のネットに依存せざるを得ないのであろうが、ネットでのやり取りとは相手の心情が伝わりにくい事を実感させられるものである。
 今回私が経験した激安インクの場合、結果として何とか“一件落着”に漕ぎつけられたから良かったようなものの、ネット通販とは通販業者と顧客との行き違いが多発しているであろうことを実感させれられる事件であった。


 そして、商売人と顧客とのあり方に関して原左都子がイラつかされた契約のもう一つとは、本エッセイ集2011年7月バックナンバー「喧嘩売らずに身を引くべきか?」で公開したスポーツジムに於ける係員とのトラブルによる退会騒動である。
 
 その後私は自由にダンスが楽しめる某スタジオを発見し、既にそこで十分に自主ダンスを楽しんでいる現在だ。

 上記「喧嘩売らずに…」の記事には、当エッセイ集の長年の常連でいらっしゃるドカドンさんとおっしゃる方から私も納得できるコメントをいただいた。
 それを以下に要約して少し紹介させていただくことにしよう。
 「続ける人間関係もあるが、客と店員は変わるのがいい。(例えば)クルマのディーラーもサービスのメンバーが変わったり営業マンが変わったりだ。銀行も3年くらいで転勤させている。 組織の活性化にとって新人の採用やメンバーチェンジは重要だ。 新天地を求めて原さんが変わるのがいいということでしょうか?」

 私はこのコメントに勇気付けられ後押ししてもらえたお陰で、2年余りの期間通い続けた自宅に程近いスポーツジムを退会する決断が出来たとも言えるのだ。

 その後通っているスタジオに関しては、もう少し時が経過し私自身が実態を十分に把握できた後にこのエッセイ集で紹介したく考えている。
 今現在言えることは、以前通っていたチェーン展開のスポーツジムとは係員の対応様式がまったく異なるというのが最大の特徴であり、今現在私にとっては居心地がいいということである。


 商売人と顧客との関係のあり方に関しては、当然ながら時代の変遷と共に移り変わるべく性質のものであろう。
 人間関係が希薄化した現在においては、上記の我がエッセイ集の読者であられるドカドンさんがおっしゃるように、その関係を短期間でリセットするべく商売人が経営展開するのが正解なのであろう。
 私が以前通っていたジムなど、(平日昼間の)顧客層はいわゆる“旧人類”が多数派であったようだが、商売人である経営者側のスタッフが責任者も含めて皆“若い世代”というアンバランス関係の下、日々の経営がなされたいたと私は記憶認識している。 そうした場合“旧人類”である私など、若い世代スタッフの視点からは、ちょっとした行き違いでリセット対象となるのは当然の成り行きだったとも考察できよう。

 今の時代とはそんな若い世代の商売人側が発する空気も感じつつ、今後この世の契約社会の中で生き延びるためには、たとえ顧客という立場であろうと経営者側から容易にリセットされる事も想定しておかねばならないことを実感させられる思いである。
 「お客様は神様です」「長らくのご愛顧ありがとう」なる商売姿勢は既に過去の所産と化し、「気に食わない客は切り捨てます」という時代のようだ。

 人間が年を取る責任とは、本来は法的に対等であるべく「商取引契約」に際してもついて回るものであると認識しつつ、若い世代を尊重し奉る意識がなければ良き余生を送れないというものなのだろうか…??

 などと言いながら本来天邪鬼が取り得の原左都子など、今後も世間一般の商取引契約において疑義を感じた場合には、たとえその相手が若造が経営する商業主体であろうと、必ずや一度は異議申し立てをするつもりであるぞ!!
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野田氏が民主党新代表でこの国は大丈夫なのか?!

2011年08月29日 | 時事論評
 本日(8月29日)実施された民主党の代表選挙は、海江田万里氏と野田佳彦氏の決戦投票にもつれ込んだ結果、野田氏が新代表として選出されるという結果となった。

 実は本日午後この記事を綴り始めた段階で、私は海江田氏が決戦投票で勝利するものと予測してそれに沿ったエッセイを書き進めていた。
 先程午後3時のNHKニュースを見聞して野田氏が勝利した事を知り、その意外性に驚いた私である。 (即刻綴ったエッセイを削除して、今一度書き直すはめとなったのだが…。)


 民主党の黒幕親分である小沢一郎氏の退陣消滅を願う原左都子にして、何故海江田氏が勝利すると予想したかについてはそれなりの理由がある。

 海江田氏には小沢氏の息がかかっていることは私も重々承知している。 そして、今回の党首選においては党内最大派閥である小沢グループ及びそれに迎合している鳩山グループ等が、元環境省大臣である小沢ナンタラ氏の立候補を断念させてまでも海江田氏の支持を表明した。
 どうやら、これが海江田氏にとってはあだとなったのか?
 確かに海江田氏は党首選に臨むにあたり、その公約骨子として黒幕小沢氏が提唱して票を勝ち取った2009年総選挙のマニフェストの理念を充実させ達成することを挙げている。“子ども手当て”に関しても、来年度からの廃止に対して憂慮し存続させるべく発言をしているのを私もニュース報道で見聞した。 一方海江田氏は原発に関してはその依存度を減らす方向で、原発新規建設に関しては原則凍結との公約であった。

 黒幕小沢氏の退陣引退を一貫して願う私であるが、海江田氏に対してはある程度の期待感があったことは確かだ。
 と言うのも単に私の推測の域を超えていなかったのだが、今回の民主党代表選挙においては前原氏と海江田氏の一騎打ちになるであろうと私は予想していたのだ。
 その場合、元より民主党支持派ではなく特に一貫して反小沢派である原左都子としては、前原氏の勝利を願うのが筋道であろう。 ところが、前原氏は東日本大震災勃発の前に不祥事により外務大臣を自らそそくさと辞任している。 この人物は東日本大震災の復興に向けて国民のために何一つ尽力していないことが明らかである以上、今回のポスト菅党首選挙において菅さんが退陣させられた経緯を鑑みると、常識的に考えて前原氏が勝利する事は困難なのかとも推測していた。
 
 一方海江田氏に話を戻すと、氏が菅政権の下経済産業大臣に任命された後、ニュースや国会中継等で閣僚としての氏の言動を見聞できる機会が増えた。 メディアを通じて垣間見る、汗をかき涙を流す(国家の閣僚たる者、国民の面前での“お涙頂戴”は顰蹙であろうが…)海江田氏の姿に実直な人物像を垣間見た思いの私である。
 東日本大震災勃発直後の3月11日の夜中にも、海江田氏は菅総理と共に体を張って一睡もせずに対応した様子を後に私はNHKテレビの特集番組で見聞している。 そして本日の代表選挙直前の演説においても、海江田氏は汗まみれになりつつ東日本大震災の被害者と共に歩みたい意向のメッセージを実直に伝えておられた。


 やっと、本日民主党党首に選出された野田佳彦氏の話に移ることにしよう。

 原左都子は、どうもこの手の人物を好まない。 
 54歳と言えば私よりも若いが、どうしたのだこのメタボ体型は!と言いたくなるほどに野田氏のメタボの現状は否めないであろう。 自分の体型を自分自身で管理不能な人間が、国家を統率できるとは到底考えられないぞ!

 それは辛うじて許すとしても、野田氏は治療ミスにより死者を出した事で世間の物議を醸した東京都に位置するいかがわしき美容整形外科医院より政治献金を得ているという話もある。 それをどのように始末して今回党首選に臨んだのであろうか??

 極めつけは現職財務大臣の地位にありながら、現在の経済不況の元凶である円高対策を未だかつて実行出来ないでいる事である。 メディアの会見に際しても誠心誠意応えるでもなく、「世界の動向ですから」だとか「たかが民間の評価基準に反応するのは愚かだ」等々、逃げてばかりだ。 一大臣の立場でこれ程実行力のない人物が、国家を牛耳れるはずもないと考えるのが原左都子の野田氏不支持の第一の理由である。

 本日昼間の党首選挙の直前に行われた候補者演説に於いても然りであった。
 海江田氏は額に汗を流しつつ、震災地の人々を守りたい、総理官邸は一般国民にも開放するから来て欲しい等々、自らの率直な訴えを全面に出していた。
 これに対して、野田氏は相も変わらず(私に言わせてもらうと)煮え切らない小声でボソボソと、自分の過去の武勇伝や家族の話が長引いたのだ。(こんなメタボおじさんのプライバシーなど聞きたくもないのにねえ…)
 党首選挙というこんな場で自分の身内に関する視野の狭い話を展開するなど、男にしての野田氏の小国民さを原左都子など蹴り飛ばしてやりたい思いだ!  
 それから、野田さんは政治家になるために過去において確かに苦労したのかもしれないが、今この時東日本被災地の皆さんのご苦労を慮ることが出来るのならば、テレビ生放映がなされているこの場でちっぽけな我が身の苦労談を展開する事の意義を検証してみろ! とも言いたい私である。  ここは海江田さんのごとく少しは大人になって、党首選の行方を見守っている被災地の皆さんに思いを馳せてみてはどうなのかと言う事である。


 結果としては、こんな未熟で小粒な野田氏との政治家が民主党党首に選出されたという厳しい現実を突きつけられた国民の我々である。

 まあ原左都子としては、とりあえず黒幕親分小沢氏を排除できるのかな、という意味合いにおいては賛同すべきかとも思うのであるが……

 それにしても相変わらず大震災復興は叶いそうもないし、引き続き政権短命が予想される我が国の国政でもあるよね~~。
              
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左都子のサリー体験記

2011年08月27日 | 雑記
 (写真は、東京池袋にある 古代オリエント博物館 に於いて開催中の「古代インド にぎやかアート」展の会場でサリー体験をした私。 携帯カメラにて鏡に映った私を自ら撮影しているため、左右が反転しています。)


 昨日(8月26日)の午後関東地方はゲリラ豪雨に見舞われ各地で洪水・浸水等の被害が発生したのだが、私が古代オリエント美術館に向かって自宅を出た時はまだ空模様が怪しくなりかけた頃だった。
 ところがメトロ東池袋駅に到着してB1階に出た時には、一転してゲリラ豪雨が襲って来ていて大雨状態だ。 傘を持たぬ人は当然のことならが持つ人までもが豪雨の中を歩く事を躊躇しているのか、地上出口で大勢の人溜まりが出来ている。 幸いな事に古代オリエント博物館があるサンシャインビルへ行くにはビルの中を抜ける地下道があるため、私は豪雨に打たれることなく目的地に着く事ができた。


 さて、今回の特別展「古代インド にぎやかアート」を私が観たいと思ったのは、3年程前にインドの地を旅しているからに他ならない。 
 3年前のインド旅行の第一目的とは知人の美術家氏の国際ビエンナーレ授賞式に同行する事であったが、ついでに観て来たインドの大地やその地に生を営む人々の印象とは、先進国旅行では到底感じることが出来ないであろう強烈な記憶があるのだ。
 その一片を懐古したい目的で、昨日私はこの展覧会の会場に足を運んだのである。

 今回の「古代インド…」特別展は、インダス文明とそれに影響を及ぼした西アジア、エジプト、中国との連結も含めた、まさにオリエント古代文明を伝えるべく趣旨で開催されているようだ。 先史時代の土器及びそれに描かれている文様や、ガンダーラ仏教美術に施された多様な彫刻など、多様でにぎやかなアートに触れることができるのか「古代インド…」特別展の特徴である。
 
 展覧会の入口から入場してまもない展示室に、古代の住居室内を再現したような空間があった。(私の記憶違いで“古代”ではなかったのかもしれない点をお詫びするが)
 これを一見した時私が感じたのは、現在のインドにおいてはもっと貧困にあえいでいる人民が多いのではないかとのことである。 展示のような空間に居住できるのならまだしも幸いで、私がインドの地で見てきたのはその種の空間すらなく道端にただただ佇んでその日暮らしをする人民の多さであった。
 古代文明こそ素晴らしかったものの、その後歴史を超えて歪んだ発展を遂げつつ巨大に膨らみゆく人口を抱えざるを得ないインドにおいて貧富の格差が拡大していったのであろう。 その現実を3年前に目の当たりにしてきた私に言わせてもらうと、ある意味では古代栄えた文明の時代よりも、悲しい事に今の方がむしろ貧しい生活を受け入れねばならない人民が多いのではないかということである。
 (インド旅行記に関しては、本エッセイ集の旅行記バックナンバーに於いて綴っておりますのでご参照下さい。)

 私自身はインダス文明発祥の地であるインダス川下流地方には残念ながら旅していないのだが、それでも展示物を見ていると、デリーやアグラやボパール等々の地で見たインドの風景や美術品や物品が、今回の展示物と重複して何とも言えぬ懐かしさを感じたものである。


 そして極め付けが、上記写真の“サリー体験”であったという訳だ。

 展示場の出口付近にサリー等インドの民族衣装が展示してあり、その場の担当女性が「もしよろしかったらサリーをお召しになりませんか?」 と私に勧誘してくれるではないか!
 このような公営ではない美術館において試着等の体験をする場合、当然ながら別料金が発生するのが世の常というものであろう。 それを承知している私は咄嗟に「代金はいくらですか?」と尋ねた。 そうしたところ「無料で体験できます」との返答だ! 即刻、この無料体験に飛びついた私である。

 と言うのも、これには原左都子なりの理由があるのだ。
 私は3年前のインド旅行でサリー(ある程度の高級品なのだが)を買い求めてきている。 ところがこの“着付け”が未だかつて一向に出来ないため現在和ダンスに“お蔵入り”状態と化している。 解説書付でもあるし、ブログを通じて知人よりサリーの着付けを伝授してもらった経験もある。それにもかかわらず、それらの文面を読んで実行してみてもどうしても妙な着付けしかできない私だったのだ。
 その失敗談を係員の女性に話すと、「それでは今日こそはサリーの着付けを憶えて帰って下さい」とのことで、ラッキーな事に実体験でサリーの着付けを伝授してもらえた私だった。
 
 やはり実体験とは素晴らいものだ。 頭が老化途上のこの私にも、今回の博物館特別展に於けるサリー着付け体験は重々成果があったのだ。
 早速自宅に帰った夜に、我が娘をモデルにして3年前にインドで買い求めたサリーを“着付け”してみたのだが、これがスイスイできることに感動である!
 博物館の女性係員氏の指導こそが素晴らしかったのかもしれないが、要点をわきまえられるとサリーの着付けとは実に簡単なのである。 ここで少し原左都子なりにその着付けを伝授したい思いだが、やはり“百聞は一見にしかず”の原理でそれはやめておこう。

 それにしても私の感想とは、サリーは今尚インドの女性達に愛好され日々それを着て暮らす生活着として絶大な存在力で君臨していることが理解できる思いがする。 広げれば一枚の布のサリーであるが、これは素材によっては洗濯が簡単であろうかと洗濯好きな私など推測する。
 それから何と言っても帯を締めねばならない日本の着物に比べると、気候が暑い地方であるインドにおいてはサリーは着心地が涼しい感覚もある。 上記のごとく着付けを一旦憶えてしまえば脱ぎ着も至って簡単であるし、日本の着物に比して大胆に身体を動かすことが可能でもありそうだ。
 このようにサリーとは機能性に優れているからこそ、今尚インドの女性に愛好される普段着の地位を揺ぎなく築いていることを今回のサリー体験で実感した私である。


 それからこのサリーとは日本の着物と比較して正しい着付けを施した場合、そのアシメトリーで流れるような全体のデザイン面でも、女性の身体ラインが綺麗に表現できる優れた衣料であるとも考察できないだろうか?
 (いえいえ、決して冒頭の原左都子の写真をもう一度見ろとは言ってないですよ。  冒頭の私の写真はフレアーワンピースを着た上にサリーをまとっているため、ある程度ふくよかな印象があるのかなとも感じるのが事実です。 現実の私は上記写真の印象よりもずっとスリムなのですが…。  皆さんは豊満ボディに似合いそうなサリーがお好みですか? あるいはスリムな私でも着こなせそうな和服がやはりお好みでしょうか???) 
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金沢そぞろ歩きの旅 -その2- 寛げる旅の提案

2011年08月25日 | 旅行・グルメ
 (写真は、金沢近江町近辺で見つけた古い家屋。 ここは現在も調剤薬局として営業中のようだ。 金沢市街をそぞろ歩いていると、至る所で写真のような古い家屋を目にする事ができる。)

 今回の記事では、前半で前回の「芸術の都金沢そぞろ歩きの旅」の続きを少し端折って紹介した後、後半においては原左都子なりの「寛げる旅」のあり方について検証してみることにしよう。


 金沢はとにもかくにも美術工芸文化が多分野において発展している都である。
 その一例を挙げると、加賀友禅、九谷焼をはじめとする陶芸、金箔、漆器、仏壇、菓子木型、水引細工、和紙、和傘、提灯、毛針、茶の湯釜、三弦・琴や太鼓等の和楽器、桐工芸、竹工芸、和ろうそく……
 そして能楽等の伝統芸能や、音楽も盛んな金沢の街であるようだ。

 突然私事になるが、我が娘が以前美術分野の大学進学を志望していたためその分野の情報に多少詳しいのだが、日本の国公立大学の美術分野に於いて燦然と輝ける頂点に揺ぎ無く君臨しているのは 東京藝術大学 であろう。
 では、学生の偏差値や就職率、大学の研究実績等々において美術分野第2位の国公立大学がどこであるかご存知であろうか?  これぞ、金沢美術工芸大学であるそうだ。(娘が通っていた美大予備校より得た情報であるが。) 
 これだけの美術工芸文化の歴史と環境に恵まれている都に創設された美大の学生は、確かにその研究素材や就職先が豊富であろうと実感したのも今回の旅の感想の一つである。 (今となっては既に志望の進路先を鞍替えしている我が娘が、今後金沢の地で学業に励むことはないのであろうが…)

 話がずれたが、それら美術工芸品の展示をはじめとして制作の工程等を影像で紹介する美術工芸館や、能楽堂、音楽の野外ライブ施設等々が金沢の街には数多く点在していた。

 そんな中で我々親子が今回訪れたのは、「金沢能楽美術館」「県立伝統産業工芸館」「泉鏡花記念館」「市立安江金箔工芸館」「金沢蓄音器館」等々である。
 この中で「県立伝統産業工芸館」においては、フラッシュを使用しない条件で展示物の写真撮影が可能とのことだった。 (左欄「最新フォトチャンネル」欄に“七尾和ろうそく”の写真を掲示しておりますので、よろしければご覧下さい。 ついでに兼六園及び泉鏡花記念館の写真も掲載しています。)

 昨日の記事で麦焼酎“能登ちょんがりぶし”について触れたが、飲兵衛にとっての旅行の一番の醍醐味とは何と言っても昼間そぞろ歩いた後に楽しむ 酒 であるのが正直なところではあるまいか?! 
 金沢の都そぞろ歩きの後の私の興味は、昨日少しだけ試飲した“能登ちょんがりぶし”が堪能できそうな居酒屋にしか向いていないというものだ。 
 ホテルへの帰り道、その居酒屋を我が宿泊ホテルロビーの真横に発見した! 結局は金沢駅の構内にある我が宿泊ホテルビル内の“八兆屋 駅の蔵”との居酒屋でそれを堪能することと相成った。 (えっ? 未成年の娘を連れて酒を堪能するとはそれでも母親か! ですって。 おっしゃることはごもっともですが、原左都子はいつも自分の酒の適量をわきまえているつもりです。
 この居酒屋では“金時草とカニの酢の物”なる一品料理も注文したのであるが、この金時草(“きんじそう”と読むようです)とは北陸地方において夏に食することができる地域特産の野菜であるようだ。 一見若布か?と見紛うようなこの金時草は食感がコリコリしていてなかなかの美味であった。
 “能登ちょんがりぶし”のロックを2杯お替りした私であるが、女2人で店員さんを何度も呼びつけるのはやはり気が引ける。 そこで今度は“青竹冷酒”300mlを注文し、娘の食事の進み具合を観察しつつそれを完飲した後、わずか1時間足らずでこの居酒屋を後にすることとなる。 
 まだ飲み足りない私は、金沢駅のコンビニ“Heart-in"で焼酎かのかの水割り缶を買い求め、ホテルの客室でひとり酒と相成った。


 真正飲兵衛の原左都子としては酒の話ならいくらでも書けそうだが、ここで記事の話題を後半編に移そう。

 人が旅する目的とは一体何なのであろう。
 それは旅人により多様であるのは当然の事だ。

 私自身は決してそもそも旅好き人種ではないと分析している。 それが証拠に我が長き独身の頃には友人や彼氏に誘われない限り、郷里への帰省や米国在住の姉を尋ねる以外は自分から計画してまで旅に出ることは皆無であったと言える。

 そんな私が、頻繁(とは言ってもせいぜい年に1~3度位の頻度だが)に旅に出たいと思い始めたのは結婚後の事である。 
 どうも主婦業、特に料理が嫌いな私にとっては、日々“飯炊き女”を強要される負荷がどうしても耐え難いのだ。 この負荷ストレスから脱出する手段として、旅に出ることを私から家族に提案したのが我が一家の旅遍歴の始まりであった。
 それに快く応じてくれた我が身内と娘と共に十数年間に渡り身内の長期休暇毎に国内外へ旅に出た我が家であったが、近年体調を崩して旅行に出るのが億劫になっている身内である。 それでも私が我が娘を連れて旅に出ることに関しては快諾してくれる身内に感謝しつつ、ここ何年かは2人で旅行を楽しむ私と娘だ。

 元々集団嫌いな私にとって我慢ならないのが、旅の全日程をバスで巡る“パックツアー”である。 それでも特に海外の発展途上国などに行く旅行の場合、これに頼らざるを得ない。  過去におけるエジプト方面旅行はこれを利用したが、18名の小規模パックツアーでもストレスを溜め込んだ私は体調を激しく崩し、二度とこの手の“パックツアー”を利用しない決意を固めたものだ。
 
 海外はともかく、国内の旅行などそれこそ自分の好き放題のプランを楽しめるところが嬉しい。 
 そうは言っても、日本の過疎地に旅する場合は交通機関に苦慮する事も視野に入れねばならない。 レンタカーでも借りて回ればいいのだろうが、これに関しては車の運転が苦手な私にとってはかえってストレスが溜まるというものだ。 その場合地元の交通網を利用するしか手立てがないのだが、我が郷里の田舎のように1時間に1本以下程度しか公的交通手段がない過疎地など、移動手段をタクシーに頼った場合少しの距離で多額の出費とならざるを得ない。

 今や“航空券と宿泊のみの個人旅行格安パック”はネットを検索すればごまんと存在する時代である。
 後の懸念材料は、私のように現地でレンタカーを利用せず地元の交通網に頼りたい個人旅行客の対策ではなかろうか?
 今回の金沢旅行の場合、都会であるが故に土日祝日のバス運行がわずか“100円!”との恩恵があり十分に散策が楽しめた。 日本の過疎観光地に於いてもそれに準ずる交通網制度が確立できたならば、団体客のみならず個人旅行客も動員でき、今後観光収入が増えるということではあるまいか?

 とにかく個人旅行を楽しみたい原左都子に言わせてもらうと“団体さん”ほど旅先において目障りで鬱陶しい存在はないのだ。(金沢でもこの団体さんグループに出会って実に鬱陶しかったのだけどね…)

 旅行企画会社にとっては、団体企画旅行とは航空会社や宿泊施設さらには土産店との癒着縁故ノルマを達成できる“ドル箱”であろうことは把握している。
 ただ時代の流れも勘案しつつ、今後はこの手の団体さんを呼び込み収益を上げる観光事業など既に過去の所産と認識して、価値観が多様な個々人が真に寛げる旅行を展開しては如何か?
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芸術の都 金沢 そぞろ歩きの旅 -その1-

2011年08月23日 | 旅行・グルメ
 (写真は、金沢21世紀美術館の前庭にあるカラフルな色彩のオブジェ)

 私が今回北陸の地に旅しようと志したきっかけとは、この写真のオブジェが展示されている金沢21世紀美術館をテレビで見たことに端を発する。

 2、3ヶ月程前のことであろうか、NHKテレビ昼の旅番組「昼ブラ」において上記の金沢21世紀美術館が取り上げられた。 ゲストのタレントはしのえみ氏がアナウンサー氏と2人で当該美術館を観賞して回ったその空間影像が実に美しかったのだ。
 「これは必見! いつかはこの美術館を観賞する旅にでるぞ!」と心密かに決断した私である。

 この3月には東日本大震災直後に予定していた郷里への帰省が、余震や放射能の影響により航空会社よりキャンセル奨励扱いとなり帰省を断念した。 郷里の母には夏に帰ると言っておきながら、実は私の心はこのテレビ番組を見た時から金沢に向いていた。 親不孝者の私の言い訳とは、娘の大学推薦入試を秋に控えているからそれが終了した時点で帰省すると母をごまかし、娘と共に北陸の地に旅立ったといういきさつである。

 加えてお盆の時期とは家庭内で長期休暇の身内を抱え、主婦の身としては日々“飯炊き女”の負荷の重圧に耐えかねるのが現実でもある。 身内の世話に耐えた後さらに田舎の年寄りの長話に付き合わされたのでは我が身が持たないというものだ。 ここは身内と年老いた親には申し訳ないが、物静かで従順な我が娘を引き連れて現実逃避旅行に出かけるのが一番の方策というのが、主婦の身である私としては正直なところである。


 さてさて前置きが長引いたが、いよいよ芸術の都そぞろ歩きの旅に話を移そう。

 出発直前にネットを検索しつつ娘と旅のプランをいろいろと話し合った。 娘にとっては初めての訪問地である北陸にせっかく旅立つのだから、輪島等能登半島までも足を伸ばそうかとの案も出た。 だが結局は上記のごとく私自身が寛ぎたいのが今回の旅行の主たる目的であるため、ハードスケジュールとなる遠出は控えて2人でのんびりと金沢散策を楽しもうとの結論となった。

 小松空港到着後、金沢駅行き直行バスに乗る。
 車窓からは日本海が見える。娘にとっては初めて目にする日本海である。 天候も良く、穏やかな日本海が広がっているのを娘はカメラに納めたようだ。 そんな娘曰く、「北陸も四国(我が郷里)と似ているね」 
確かにそうだ。 海が間近に存在し、山あり川あり田畑ありの北陸の風景は我が郷里と似ていると私も感じた。

 宿は金沢駅構内にあるホテルを予約していたのだが、これは都会暮らしが長い女2人旅にとっては好都合であった。
 金沢とは首都圏、阪神、福岡等に次ぐ日本における繁華街であるようだが、都会暮らしに慣れきっている我々にとっては何ら違和感や不都合がないのだ。 (こんな事を書くと“旅の神髄とはたとえ不便をしようが当地の生活文化に触れることである!”との反論を頂戴しそうだ。 これに関しては、既にエジプトやインドで重々不便を経験した私でもある。 今回の小旅行の目的は“寛ぎ”であることに鑑みてどうか我がままをお許し下さいますように…。

 当日の夜は娘の希望により、イタリアンレストランにて夕食と相成る。
 ここで飲兵衛の私としてはとりあえずはワインのハーフボトルを注文したのであるが、北陸の地ならではの地酒を試飲したいものだ。 そんな私が発見したのが“能登ちょんがりぶし”との麦焼酎である。 これをロックで注文したところ、なんと私の好みの柔らかテイスト端麗で美味なのである! 最初からワインはやめてこれにしとけばよかった…と悔やみつつ、明日は別の居酒屋でこれを堪能するぞ!と心を固めながらも、未成年者の娘の前ではしらふのふりをして淡々と時を過ごす私である。(毎晩のことで、慣れてるしね~~)

 さて翌日は朝からバスに乗って、いよいよ今回の旅の主たる目的地である金沢21世紀美術館へと向かう。
 金沢はさすが観光客が多数訪れる観光地であり都会でもあるという市政運営上の条件に恵まれているのであろうが、バス運行のサービスも徹底していた。 土日祝日に限っては、観光地方面を運行するバスはわずか“100円”で観光地を巡れるのである!
 この恩恵を受けつつ我々親子は金沢市街の各地の芸術施設を堪能したのだ。


 そして到着したのが、第一目的地の金沢21世紀美術館である。

 真っ先に目に付いたのは、やはり美術館前庭にある上記写真のカラフルオブジェであった。 ただし、私の印象ではNHKテレビ映像で見た印象よりかなり小さく感じた。 そういった理由もあるのか、このオブジェの存在すら認識せずして美術館の中に入る観客が多いようだ。
 それから、NHKテレビにおいては前庭にあるラッパ状のオブジェについても解説していた。 それによるとそのラッパ状のオブジェは他の外庭にあるラッパオブジェと連結されていて、それを通してまるで“糸でんわ”のごとく会話が出来るとのことである。 ところが、これに関しても入場者の誰も認識していない様子でこれを楽しむ観客が皆無だったことも残念である。
 (どうやら主宰者の宣伝不足のようだが、上記のオブジェは美術館に入場せずして利用できるようですので、是非共観客の皆さんこれらのオブジェを楽しまれますように! )

 この21世紀美術館は現代美術の展覧会場であるようだ。
 そこに展示されている作品は常設展よりも特別展が多数なのであろうか?
 今回初めて訪れた私にとってはそれさえも分かりにくかったのだが、確かにこれが上記のNHKにて放映されていた常設展かと思しき展示もあった。 例えば観客が自転車を漕ぐ人力エネルギーにより形を変える電球オブジェ、 上から見るとまるでプールの底に人がうごめいているがごとく見えるオブジェ、あるいは多数の鏡が回転している中を鑑賞者が歩くことができその中での感覚を体験できるオブジェ、……
 とにかく、この美術館の展示とは広い部屋に一つのオブジェの展示が原則であるようだ。 この展示室の広さが開放感を誘っていることは事実であろう。
 ただしどうなのだろうか。 現代美術とは素人にとっては分かりにくいのが特徴であるが、もしもこの美術館が金沢に訪れた観光客の来館を煽る目的で単に“奇をてらった展示”を展開して入場料収入に頼っているとするならば多少残念な気もする。 と言うのも、この美術館は金沢に多数存在する美術館等芸術施設に比して入場料が格段に高いのだ。 (いえいえ、単に芸術素人の原左都子がその価値の程が理解できないだけの話なのだろう。)
 
 観賞料無料コーナーにピーターマクドナルドの絵画「ディスコ」なる広々とした展示場があったが、あのコーナーなど可能ならば実際にディスコサウンド音声を発して観客が短時間でも踊れるスペースにするならば、展示と鑑賞者がさらに一体化できる空間となるのではないかとの素人考えが浮かんだ私でもある。(出品作品を傷付ける恐れがあるため無理なのか??)

 等々の理由によりテレビ映像で見るのと実際にその場で観賞するのとでは残念ながら食い違いがあることを実感しつつ、21世紀美術館を去った我々である。


 (金沢そぞろ歩きの旅の話は、次回に続きます。)
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