原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

枝野氏の「安倍氏は憲法を一から学び直すべき!」発言に賛同

2018年10月30日 | 時事論評
 冒頭より、昨日2018.10.29に開催された衆院本会議にての安倍首相の所信表明に対する枝野氏の痛烈批判に関して、ネット情報より引用しよう。


 立憲民主党の枝野幸男代表は29日、衆院本会議で行われた安倍晋三首相の所信表明に対する代表質問で、首相の憲法観について、「学び直し」の必要性を求めた皮肉を交えながら痛烈に批判した。
 首相が所信表明で「国の理想を語るものは憲法」と述べたことに反論し、「憲法は総理の理想を実現するための手段ではない。 憲法の本質は理想を語るものではない。 本質は、国民の生活を守るため、国家権力を縛ることにある」と指摘した。
 その上で「総理の勘違いは今に始まったことではないが、憲法とは何か、一から学び直してください」と、、憲法の学び直しを要求。 「縛られる側の首相が先頭に立って旗を振るのは論外です」とも指摘した。
 答弁に立った首相は、枝野氏の「学び直し」要求には、何も答えなかった。 別の質疑の中で、憲法9条に自衛隊を明記する改憲案について「今を生きる政治家の責任だ。明確化は国防の根幹に関わる」と、あらためて意欲を示した。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 引き続き、当エッセイ集にて今年の憲法記念日2018.05.03に公開した我がエッセイ「日本国憲法の基本原理に関する一考察」の全文を、以下に反復させていただこう。

 表題に提示した「日本国憲法の基本原理」に関して、我が1986年頃に学んだ学生時代の講義ノートより一部を引用しよう。
 
 日本国憲法の基本原理 
 1、平和主義  (憲法9条)
 2、国民主義   天皇制
 3、基本的人権の尊重  

  (これらすべてに関する事項が、憲法前文に記載されている。)

 これらは、明治憲法(大日本帝国憲法)には一切無かった原理である。 

 それでは、現在の日本国憲法は、良いのか、悪いのか?? 
 一論として現日本国憲法は、世界的に妥当し得る 一般的、常識的憲法であるとの評価も定着している。

 上記のうち、平和主義を取り上げよう。
  平和憲法(憲法第9条)とは。
  戦力放棄に関する条文だが。

 これに関しても、学説内での解釈議論が存在する。
 
 〇 自衛隊を合憲とする政府見解
    A.  第9条は自衛のための戦力保持をも認めない、とする見解。
       自衛と戦略との区別が困難。 軍隊=弱者国民(弱者)
       正義との後ろ盾をもって戦争を肯定し得る?
       自衛権の行使は戦略行為につながる。

       自衛隊はその「戦力」にはあたらない。
       そもそも「戦力」とは、近代戦争遂行に達したもの。
       自衛隊は、そこまでは達していない。
       従って、自衛隊は憲法第9条に違反していない。
                (以上は、昭和30年頃までの解釈。)

    B. 昭和60年頃の政府解釈
       第9条は、国の自衛権を否定するものではない。

 法解釈として。
 自衛隊は憲法に違反するか?  2通りの解釈が存在する。

 しかし、実際は。
 解釈者の政治的意図 及び 主観的判断 をして解釈に至らしめている。
 その点で、解釈するものの責任論が問われる。
 この現象は、憲法第9条に於いて、典型的に表れる。
 
 ほんの少しだが、原左都子が過去(1980年代後半期)に学んだ大学に於ける「憲法」授業よりその講義ノートの一部を紹介した。

 この「憲法」授業を担当されていた教官氏に関しては、鮮明に記憶している。
 関西地方の他大学から任命され、我が大学の助教授として「憲法」を受け持っておられたが、その授業内容が濃厚だった事実が印象深い。 当時既に30代だった私とさほど年齢が変わらない世代の教官であられたが、いつも関西弁で熱弁されていた事を懐かしく思い起こす。
 上記に紹介した「憲法第9条」に関しても、授業の最終章では。
 上記のごとく、解釈者の政治的意図 及び 主観的判断 をして、解釈に至らしめている。 その点で解釈するものの責任論が問われる。 この現象は、憲法第9条に於いて、典型的に表れる。
 と結ばれている事実に、現在尚同感申し上げる。

 (以上、「原左都子エッセイ集」内の「憲法」に関するバックナンバーより引用したもの。 参考だが、上記内容はすべて指導教官氏口述講義の我が聞き取り書きのため、学術的誤りがある場合お詫びする。)


 一旦、私見だが。

 いやはや、懐かしいなあ。
 学生とは、まさに指導教官の影響を大きく受けるものだ。
 当時の私の専攻は「経営法学」(「民法」「商法」等々)であり、決して「憲法」ではなかった。 にもかかわらず、講義を担当しておられた若き世代の「憲法」助教授氏の「憲法」に対する熱い思いが十分に伝わる授業内容だった。

 「憲法」とは学問の府である大学に於いて、全大学生の“必修科目”と私は理解している。
 そりゃそうだ。 「学問の府」である大学にて国家の最高規範である「憲法」を必修とせずして、若輩者である学生を世に送り出す訳にはいかない事だろう。

 冒頭にて紹介した枝野氏も、安倍氏も「法学部」のご出身のようだ。
 枝野氏は東北大学法学部のご出身、そして、安倍氏は私立成蹊大学法学部のご出身とのこと。
 ただ、同じ法学部出身としても、お二人の生い立ちもその後も人生の歩みも随分と異なるようである。
 枝野氏はその後、弁護士資格を取得し活躍される等、法律に精通されている人物だ。
 片や安倍氏の方は、そもそも小中高と成蹊にて過ごした後に、ストレートで成蹊大学法学部に内部進学されたようだ。

 やはり、ご両人の「憲法」「法学」に関する現在の認識度の格差とは、その学歴・経歴が物語っているのではあるまいか?
 枝野氏からの「安倍氏は憲法を一から学び直すべき!」との素晴らしい指摘に対し、安倍氏は何らの即答も不能だったとの事実こそが、その格差を証明したようなものであろう。


 最後に私論でまとめよう。

 まったくもって、枝野氏のおっしゃる通りだ。
 特に、「憲法の本質は理想を語るものではない。 本質は国民の生活を守るため、国家権力を縛ることにある」と指摘し、「(憲法に)縛られる側の首相が先頭に立って旗を振るのは論外です」とまで演説した枝野氏の「憲法」熟知素養とその勇敢さに、私は大いなる拍手を贈りたい!!

 それにも懲りずに、安倍氏側は。
 憲法9条に自衛隊を明記する改憲案について「今を生きる政治家の責任だ。明確化は国防の根幹に関わる」と、まるで「憲法」に関して何ら学んだ事も無い“素人”のごとくの歪んだ意欲を示した、とのようだが……

 安倍さん、貴方を支持する国民は相変わらず少なくない様子が私には絶対的にアンビリーバブルだが…。
 それに甘んじて法解釈論としての「憲法」無知度を国民に晒し続けるより…  
 枝野氏の指摘通り、巨額の国税を無駄に食い潰す昭恵夫人と貴方の外遊チャーター便の中ででも、「憲法」を一から学び直しては如何でしょうかねえ??

醜男が美女を連れているのはよく見かけるが…

2018年10月28日 | 恋愛・男女関係
 いや、近年はそうとは言えないかも。
 意外や意外、逆パターンも珍しく無くなった時代かもしれない。


と言うのも、確実に世相は多様化・進化している。
「美男」「美女」「醜男」「ブス」と一言で言ってみたところで、人の好みは実に千差万別だ。  
 加えて、一昔前と比較して“外見的要因”のみで人の魅力を判定するとの愚かな時代でも無くなっている。 外見だけの魅力など、実際3日で飽きるものだ。
 では、人は相手の何に惹かれるのかと言えば。
 それは相手人物が織りなす人柄であり何気なく漂う雰囲気(昔の言葉を使うと“フィーリング”というやつか??)であり、会話力であり、はたまた二人の「相性」でもあろう。

 と言う訳で、今に至っては誰と誰がくっつこうが他人の知った事でもなく、まさに多種多様なカップルがこの世で連れ合っていることであろう。


 さて今回もまた、エッセイのテーマを朝日新聞“悩みのるつぼ”より拝借しよう。

 昨日2018.10.27“悩みのるつぼ” 相談は70代女性からの「波立つハンサムな夫との老後」だった。
 早速、相談内容を要約して以下に紹介しよう。

 70代夫婦の二人暮らしだが。 私の生き甲斐は畑で、真っ黒になりながら働いている。 夫は理系高学歴で退職後も自主勉業に励み、健康にも気遣って近くの公園で朝5時にラジオ体操に参加している。
 私は不細工だが、夫は今も昔もハンサムだといわれている。 夫自身も女好きな方だと思う。 クラス会に行き、気に入った人に文通を申し込んだ事もある。 2年程前からはラジオ体操で出会った独身女性の話をよくするようになった。 感情をあまり出さない夫が鼻歌まで歌い、忘れていた青春を取り戻したようで、最初は微笑ましく思っていた。
 ところが先日、夫と外食をしている時その女性が現れ、「一緒に食べない?」と話しかけてきてビックリ! スーパーで会った際にも夫にタッチしてくるなど、私と夫が一緒にいるとエキサイトする様子だ。 さらには「近くまで来たから」と直接家にまでやって来たのだ!  私が嫌がると、夫は「嫉妬深いバーサンだ。 嫌なら彼女に直接言えばいい。」と言う。
 静かで順調だった老後の生活が波立っている。 この状況をどう考えればよいか、アドバイスをお願いしたい。
 (以上、“悩みのるつぼ” 相談より要約引用したもの。)


 一旦、私見に入ろう。

 この相談者である70代女性は、そもそも人が良過ぎるのではあるまいか?
 片や、(女性曰くハンサムだとの)夫側は、(そのハンサム度合いを私が知るすべもないが)、意外や意外女性経験がさほどなく、要するに“プレイボーイタイプ” では無さそうだ。 しかも相談女性である女房に一存して来た一生を物語るかの相談内容と、私は推測する。

 いやはや、男女の出会いのルーツとは他人には分かりにくいものだが、このご夫婦が一体全体如何なる状況下で知り合ったのかの想像が全く付かない。  ただ、それがどうであろうが、私はこのご夫婦が出合って以降大した波風も無く、両者間で上手く機能して来ているような印象を受ける。

 もう一人の登場人物である、ラジオ体操にて“ハンサム夫”が知り合ったとの独身女性に関してだが。
 この人物に関しては、おそらくその“ハンサム夫”に対し確かに恋心を抱いているのであろう。
 さて、このハンサム男が如何なる女性と添い遂げているのか、もしも自分が「勝っているなら」自分にもチャンスがあるかもしれない、との愚かな発想に基づき虎視眈々と狙った上でのストーカー行動とも想像が付く。  そして探りを入れてみると相手妻は不細工、これは私に勝ち目があるかも! と現在密かに勘違いの勝利感を抱いているやもしれない。
 ただ、長年連れ添った老夫婦の仲を裂くのは、そう甘くはないねえ。 独身女性側に離婚経験でもあればその想像も付くだろうが、どうやら根からの独身のようだ。 
 私の判断では、元々この勝負は相談女性の勝利であろう。


 我がエッセイ集(特に初期頃)内で、過去に於いて複数回「不倫」に関する私論を述べている。
 その内容を反復するのは避けるが、要するに「不倫とは“陰で隠れて”コソコソやるものだ! 不倫中の自分と相手が不幸のどん底に落ちるのは勝手だが、決して家族を不幸に落とし入れるな!!」 との結論を導いている。
 
 その観点から上記相談を分析するに、相談者の“ハンサム夫”氏は、今後も相談女性と添い遂げるつもりである事には間違いないだろう。 学際色はありそうだが、そもそも女性経験少なき多少愚かな亭主のようで、浮気(?)相手女性の操り方をまったく心得ていないところが大きな問題ではあるが…。

 むしろ一番困るのは、ラジオ体操現場で“ハンサム夫”と知り合った挙句、その後当該夫と妻を“ストーカー”している危険性もある独身女性だ。
 まさにこの行為、ストーカーと私は捉える。
 今後もさらにエスカレートするならば、相談女性は警察に被害届を提出するとよかろう。


 今回の“悩みのるつぼ”回答者は評論家の岡田斗司夫氏だが。 
 その相談回答が、我が上記回答と交錯する部分もありそうだが。
 それを敢えて非公開とするのには、原左都子なりの理由がある。

 長年連れ添った夫婦間での感情とは、それが相手の「不倫・浮気」行為に対するものだとしても。
 岡田氏が指摘されている「嫉妬」なる言葉とはまったく別モノと私は感じるのだ。

 要するに長年連れ添った夫婦間を繋ぐ糧とは「嫉妬」などとの低レベルでは言い表せない、もっと普遍的な感情によるものではなかろうか?! 
 たとえば、夫婦とはそもそも「同志」との感覚もあるのだが…??

 いえいえ私の場合晩婚のため、婚姻後たかだかさほどの年月が経過していない立場にしての戯言に過ぎないが……。

大宮鉄道博物館、見応え十分でした!!

2018年10月27日 | 旅行・グルメ
2018.10 大宮鉄道博物館


 (上記フォトチャンネルは、一昨日の2018.10.25に当博物館を訪れた際に撮影した写真をまとめたもの。)


 前回のエッセイにて予告した通り、私は10月25日、現在受給中の個人年金契約元である「日本教育公務員弘済会」“友の会”のイベントに参加した。
 そのイベントの目的地が、大宮鉄道博物館見学だったという訳だ。

 現地集合のイベントだったのだが。 東京メトロ沿線に住む我が家からは何と!電車5本(東京メトロ線、東武東上線、JR武蔵野線、JR埼京線、埼玉新都市交通ニューシャトル線)の乗り換えを要し、隣県である埼玉県の距離的・感覚的遠さを改めて思い知らされたものだ。


 さて、集合場所の埼玉新都市交通 鉄道博物館駅に到着してみると。
 そこに集まっていたのは案の定、と言うより予想をはるかに上回ってじーさん・ばーさん(失礼!)ばかりだった。  一組だけお婆ちゃんが娘さんとお孫さんを連れていらっしゃったのを除くと、確実に私が飛びぬけて最年少だ!
 しかも参加者が少なく、見学先の特質のせいか男性が圧倒的に多い。 これ、私の好むタイプだ。 何と言っても女性が多いと要らぬお喋りがかしましく、落ち着いて見学出来ない恐れもある故だ。


 さて鉄道博物館に入場して直ぐに、説明係員氏(元国鉄職員とのこと)が1時間程かけて、主たる展示場である1階の車両展示場を一覧しつつ十分な解説をして下さった。 
 参加者が少人数であることも幸運で、特段「鉄道ファン」ではない鉄道素人の私にも十分に分かり易かった。


 ここで一旦私事だが。

 参加者中最年少(?)のこの私も、出身過疎地にてSLが煙を吐きつつ走っている姿を見た事がある。 
 高校時代は汽車(正確に言えばディーゼルカー)通学をした経験もあり、博物館に展示されている車両に郷愁を感じた程だ。 冒頭のフォトチャンネル内にそれらの複数の写真を掲示したが、まさにその車内など当時の通学風景を思い起こすものであった。

 オレンジ色の中央線車両も展示されていたが、我が上京後に普通に利用していたものだ。 これなど郷愁どころか、つい最近まで乗っていた感覚だ。

 特急「あずさ」も懐かしいというよりも、歌手デュオ狩人の「あずさ2号」を聞いてどうしても乗りたくなり、まさに展示車両にて旅をしたものでもある。
 現在博物館では、この「あずさ」車両は“食事処”の役割を果たしている。 博物館内にある駅弁屋にて買い求めた駅弁を、この「あずさ」車両に乗って楽しむことが可能だ。

 1964年東京五輪に合わせて開通した初代「新幹線」も私にとっては懐かしいというよりも、未だに我が新幹線のイメージは“この旧型”でしかない。
 上京直後に私は、先端の鼻が丸いこの新幹線に乗って過疎地郷里まで帰省した記憶がある。 

 そして「あさかぜ」。
 私はこれの「二段ベッド」版に乗りその「二段ベッド」を指定し、友人と旅をした経験がある。
 さすがに「三段ベッド」版の経験は無いが、博物館でこれを見学して当時の様子をなまめかしく思い起こしたものだ。
 当時”妙齢”年齢にして、派手な服装・派手ないでたちでよくぞ無事に旅を終えられたものと振り返る。 今現在あの寝台ベッド列車が存在するならば、確実に「セクハラ」を訴える女性が量産している事であろう。


 最後に、大宮鉄道博物館見学の我が感想をまとめよう。

 鉄道ファン、そして子ども達にとって、実に興味深い「鉄道博物館」であろうと想像する。
 片や、長年生きて来ている(私も含めた)高齢者にとっても、「あー、これ乗ったなあ」なる郷愁を呼び起こしてくれるという意味で、実に興味深い博物館であることに間違いない。

 鉄道が歩んだ道程とは、人間や貨物を運ぶとの産業・文化実績として賞賛され続けるべきはずだ。

 今現在「鉄道ファン」に “異様な程に” もてはやされている鉄道だが。

 もしもそのブームが去った暁にも、「鉄道」の存在を人類が忘れないような役割を「鉄道博物館」が果たし続けることに期待したい。
 

我が年金受給生活も4年目に突入した今

2018年10月24日 | 自己実現
 先日、我が年金受給口座を開設している某金融機関支店長氏が、私の誕生日祝いのため我が家を訪れて下さったようだ。
 “ようだ”と表現するのは、残念ながらタイミング悪く私が留守にしていたからに他ならない。

 留守中、私の代わりに対応してくれた亭主が言うには、「ご丁寧に誕生祝いを述べられた上に、祝い品を置いて帰られたよ。 さすが支店長だけあってとてもしっかりした人物との印象を受けた。」との事だ。

 当該金融機関支店口座を我が年金(公的年金だが。 個人年金に関しては別金融機関の受取りとしている。)の受給口座としたきっかけは、59歳時に年金係氏が我が家を訪れてくれたからに他ならない。
 当時の私は不動産賃貸を実施していた等々の関係で、数カ所の金融機関口座を所有していた。 その中で、何処の金融機関を年金受取口座とするか迷っていた時期だった。

 そんな中、いち早く我が家にやって来たのが、現在受取口座としている金融機関だ。

 これ、やはり “早いもん勝ち” だろう。 しかも、年金担当者氏の誠意の程も十分に受け取らせていただけた。
 その時の様子を当該「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて公開した記憶があるが。
 年金担当者氏が余談として披露して下さった話題に惹きつけられた、との理由も大きい。 (何分、我が本名が昭和の某大女優と同姓同名である事実は、当エッセイ集開設初期からのファンの皆様はご存知だろうが。) 何と、その担当者男性がお若い世代であるにもかかわらず昭和時代の映画ファンとのことで、当該女優氏に精通されているのだ! その事実に驚かされると共に、その後も頻繁に我が家を訪れ、当該女優氏(故人)や昭和映画を語って下さるその精通ぶりに感服申し上げている。

 参考だが、次に我が家を訪れた大手金融機関は「個人年金受取口座」に指定したが、その後ただの一度も担当者が我が家にやって来たためしもない。 
 やはり公的年金受取口座をゲットする事実とは、その後口座開設者が死ぬまで確実入金が続く!との意味合いで、金融機関にとっては“ドル箱”の値打ちがあるのだろう。


 そんな3年間の我が年金受給生活を振り返ってみるならば。
 (正確に言うならば、個人年金受給は誕生月より半年後の開始だったし、一年分まとめての入金でもあるため未だ3度のみの受取りだが。)

 何分、被雇用者立場での労働力による賃金収入は50代前半期にて終了している。
 ただ私の場合、独身時代に単独で購入・ローン完済していたマンション物件を婚姻後賃貸運営した関係で、その賃貸収入を婚姻後20年間ほど得ていた。
 その賃貸物件に関し、58歳時に不運(と言うよりも今思えば、結果としては不動産貸付人である私側の大失策だったのだろうが…)にも悪質賃借人の被害に遭い、リノベーション物件として売却せざるを得ない羽目と相成った。

 当初の我が計画としては、65歳時から開始する国民年金も含めた公的年金受給時までそのマンション賃貸業を続ける予定だったのだが…。
 何と言っても私の場合、60歳受給開始の「厚生年金」受取額が微細だ… 
 しかも個人年金受取に関しても、バブル経済崩壊後に数多くの金融機関や保険会社の経営破綻の影響をもろに受けて、我が個人年金を担当していた保険会社も経営破たんの道程を辿ってしまった… 今となっては外資系保険会社がその経営を引き継いでいるものの、その受取金額とは。 バブル期の約束だった月額の7分の一のみすぼらしさだ……。
 それでも解約するよりは、自分自身が長生き出来たらならば元を取れると考え、現在もその保険会社との契約は生かしている。


 そうだなあ。
 年金(今現在は厚生年金と個人年金受給に過ぎないが)受取開始してより3年余りの年月が経過した今の我が心情を述べるならば。

 とりあえず今現在私が受け取っている年金とは、そのすべてが我が独身時代に成し遂げた労働力や資金計画力により成立している事実に安堵する。 (これに関しては、私一人が自由にして誰とて何らの文句も無いだろう。)
 本当のところは、不動産貸付にて悪質入居者に出遭わなければ、もっと高収入を得られたのかもしれないとの感覚も無きにしもあらずだ。  ただそれも自分の実力不足が成した結果だろう、と今は静観可能だ。

 後2年が経過して私が65歳になれば「国民年金」部分が加算され、私が受け取れる年金額が増大する。
 何分、私の年金受給が開始して以降、我が夫婦間では「公的年金独立採算」を貫いている。
 晩婚後は亭主の働きにおんぶして国民年金支払いを亭主の会社に依存した時期があるため、たとえ私が娘のサリバンを全うしたと言えども、65歳以降は我が国民年金の一部を亭主に依存する形となる事実が何だか悔しいなあ…

 65歳以降は私の年金からも少々は家計負担するとして… 


 あっ、そうそう。
 明日私は我が個人年金契約元である「日本教育公務員弘済会」“友の会”のイベントに参加して、日帰り小旅行を楽しんで来ます!
 個人年金受給3年経過後初めての参加なのだが、その実態とは参加者が“じーさん・ばーさん”ばかりなのだろうか、とも予想するが…… 
 

生徒が物静かで悩み相談なければ放置するとの学校側の論理か!??

2018年10月21日 | 教育・学校
 “ボーっと学校運営してんじゃねーよ!” 
 と、加害者少年の所属している学校に対する我が怒りが爆発しそうだ。 


 冒頭から、2018.10.18に発生した、中学生男子による祖父母殺傷事件に関するネット情報を2本続けて引用しよう。

 まずは、埼玉新聞社による「夫婦死傷、逮捕の孫通う中学校ショック 事件直前は変わった様子なく下校 物静かで悩み相談なし」と題する報道より。

 18日午後7時25分ごろ、埼玉県和光市のマンション一室で、男女2人が血を流して倒れていると119番があった。 この部屋に住む無職男性(87)はその場で死亡が確認され、妻(82)は重傷を負った。 県警は19日、妻に対する殺人未遂容疑で、同じマンションに住む孫で中学3年の少年(15)を逮捕。 現場の状況などから男性を殺害した疑いもあるとみて、詳しい動機や経緯を調べている。 司法解剖の結果、男性の死因は上腹部の刺し傷による出血性ショック死だった。
 「あのような事件と対極にいる生徒」「彼に限って、何かの間違いではないか」。 少年が通う県内の中学校には驚きとショックが広がった。
 教頭によると、少年は物静かでおとなしく、休み時間など1人でいることも見受けられたという。 科学部に所属し、パソコンでコンピューターグラフィクスなどを楽しんでいた。 本人は落ち着いた学校生活を送っていたという。
 18日は通常通り登校し、6時間授業を終えて午後4時ごろ学校を出た。 特に変わった様子はなかったという。 少年や保護者が学校生活、家庭についての悩みを学校に相談したことはなかった。
 県警から18日午後10時ごろ少年が所在不明との連絡が学校にあり、19日朝には少年の母親から「ご迷惑をお掛けします」などと電話があったという。 少年の行方が分からなくなったことを知った一部の生徒に対し、教職員が19日朝には動揺が広がらないよう応対に務めた。
 教頭は「ほかの生徒や保護者も含め、今後何らかのケアをする必要がある。ただ、彼が事件を起こすなど思い当たる節がなく、どう説明すればいいのか…」と言葉少なだった。

 引き続き、本日発見した別ネット報道より引用しよう。

 埼玉県和光市のマンションの一室で80代夫婦が殺傷され、同市に住む孫の中学3年の少年(15)が祖母への殺人未遂容疑で逮捕された事件で、祖母が「トイレに行きたい」と求め、少年が応じていたことが、捜査関係者への取材でわかった。 祖母はトイレ内から少年の母である娘に電話して来宅を求め、事件発覚につながったという。
 また捜査関係者によると、少年が「学校に許せない生徒がいて殺そうと思っていた。家族に迷惑をかけたくないと思い、まず家族を全員殺してからにしようと思った」という趣旨の供述をしているという。 少年が通う私立中学校は友人関係のトラブルはなかったと説明しているが、県警は少年が祖母の求めに応じていることも含め、動機が祖父母への直接的な恨みなどではなかった可能性があるとみて慎重に調べている。
 捜査関係者によると、祖父母が刃物で切りつけられた際、祖母が少年に「死ぬ前にトイレに行きたい」と告げた。少年は求めに応じ、祖母は午後6時50分ごろ、トイレの中から少年の母親である娘に「早く来て」と留守番電話を入れたという。
 (以上、ネット情報より2本を続けて引用したもの。)


 私事に入ろう。

 実は現在の住所に転居する一つ前の我が家の住居地が、上記殺傷事件発生マンションに程近い場所に存在した。
 加害少年が生まれる少し前頃に、現在の地に引っ越した計算になるようだが…。
 殺傷現場であるマンションは和光市駅にほど近い場所に存在する大規模マンション群であり、その広大な敷地内に大きめの公園やちょっとした森などもあれば、また大型スーパーマーケットもあり、子育て中の我が母娘には好都合な遊び場かつショッピング処でもあった関係で、娘と共に頻繁に出掛けていた。
 しかもそのマンション群には知り合いも少なからず住んでいたこともあり…
 何だか他人事ではない感覚で、この事件報道を注視している。

 更に参考だが。 この大規模マンション群は現在に至ってはかなり建物が老朽化しているだろうが、当時は“比較的リッチな人種が住んでいる”との好評判もあった事を記憶している。


 加害少年に対する第一報、少年が所属する私立中学校からのコメントにまず愕然とさせられた元教育者の私だ。
 何だって?? 少年は物静かで大人しく、一度とて学校側に相談を持ち掛ける事が無かったのだって?
それを良き事として、学校側は少年をずっと「放置」していたって!?!
  
 実際、それこそが昨今を問わず学校現場の実態だろう。
 生徒がおとなしくしていさえすれば、教員側の誰一人として声掛けをしないのが常識化していると言えよう。
 この私も子供の頃は教員どもにとっては、その“物静か派”だった事だろう。 (いえいえ今現在は決して“物静か”などころか、執筆と言う形で毒舌吐きまくっているが。)  私の場合は第二次反抗期頃より“学校嫌い・教員嫌い”に目覚めたものだ。 その後も高校卒業まで、学校のセンコーに迎合する軟弱生徒どもを水面下で蔑み続けていたものだ。 

 話題を我が娘に移すと。 私とは本質的に性質が大幅に異なる我が娘が、主体的に教員を嫌う訳はないのだが。 やはりもの静かな娘は、大学卒業までずっと教員達に無視し続けられて今に至っている。  ただ、生来的に人との会話が苦手な娘の場合、本人自身の結果としてはそれで“助かった”との感覚だった様子でもあるが…

 子供時代の学校現場での上記印象が強い私は。
 我が教員時代には、必ずや “物静かな生徒 ”や “教員に懐かない生徒”にこそ積極的声掛けを実行したものだ。 と言うのも、そうでは無い生徒達とは放っておいても教員とのコミュニケーションをあちらから取りに来る故でもあった。 
 “物静かな子”達に関しては、比較的「声かけ」が容易だったような記憶もある。 要するに、性質として出しゃばりではないが実は内面的に話題は豊富であり、それが一致した場合むしろ仲良くなれた思い出もある。 この子達のその後の未来はヘボ教員(私の事だが)が慮らずして、輝かしいものである事だろう。
 これに対し、“教員に懐かないタイプの生徒” 対応は多少難儀した。(これぞ過去の私と同一だろうが…) ただ彼らには何らかのポリシーがあると信じた私は、コミュニケーションを取る事を頑張った。 その成果があったか否かは未だに不明だが、その子達の事こそ一番印象的に覚えている。 きっと、社会で成功を遂げ活躍していることだろうと信じたい。 


 話題を今回の事件の加害者少年に戻そう。

 私の推測では、もしかしたらこの少年は直ぐ上に掲げた“教員に懐かない生徒”なのではかなろうか? それを“物静かな生徒”と勘違いした(あるいはそれで片付けたい)学校現場で、誰一人として当該生徒に話しかける事無いまま、事件が勃発してしまった…
 それに困惑した私立高校現場が、何を勘違いしたのか、この現状を事件発生直後にメディアに発表するとの大失策をやらかした。
 その発言で責任逃れが出来るはずも無いにもかかわらず…

 いや今回の事件に関しては、もちろん最終的には家庭の責任に終結する事であろう。
 ただ、もしかしたら家庭内でも少年の“異常心理”に気付いていつつ、その分野の専門力皆無の学校に相談するなどとんでもない! なる切なる思いがあったのかもしれない。
 この私こそも、生来的な事情を抱える我が娘に関する相談を、娘小学校高学年以降は何らの医学専門力無き学校のセンコーになど、一切持ち出していない故の発言だ。 

 いずれにせよ学校現場は、メディアの取材を受けた際に専門力無き無責任発言は絶対的に慎むべきだ!

 今回の事件の場合、学校内での何らかのトラブルがきっかけとなり加害少年が自身の祖父母を殺傷に至った事実が嘆かわしい。 
 今後はどうか加害少年が通っていた学校現場は、根拠なき無責任発言を改め、真摯に対応して欲しいものだ。