昨夜のNHKの「ニュースハイライト」を見ていて(正確には聞いていて)思ったのだが、この国はいつから“頭を下げりゃ済む”と勘違いし始めたのであろうか。
謝罪会見のオンパレードである。年金問題、食品内容物及び消費期限偽造問題、前次官の汚職問題、薬害C型肝炎訴訟問題…。
そもそもこの国には、つい最近まで“謝らない”国民性がはびこっていたように私は認識している。政治家を筆頭に、どんな悪戯をはたらいても決して自分の非を認めず、秘書や贈賄側等に責任をなすりつけるのが得意技だったと私は記憶しているのだが。
それが裏を返したように、ご覧のごとく謝罪会見の数々である。あの頭を下げるパフォーマンスにより、事件は一件落着したと国民をはぐらかせるとでもたくらんでいるのであろうか。 あるいは、マスメディアがあの謝罪会見を仕立てているのであろうか。
謝罪会見で頭を下げるパフォーマンスをしている面々は、“謝罪”の正確な意味をご存じないものと見受けられる。“謝罪”とは、頭を下げりゃいいということでは決してない。自分の不正や非を認めその責任を取ることなのである。
国がからんでいる事件、不祥事にこの謝罪会見後の問題未解決が多い。お手盛り立法に諸悪の根源があるのではなかろうか。自分達にとって都合の良いような立法しかなされておらず、立法の監視機関も機能していない現状なのであろう。
自分の非を認めず謝らないで他人に責任をなすりつけるのも困りものだが、謝罪会見のパフォーマンスで事件が終結したかのごとく見せかけて責任逃れをするのは、考えようによってはより悪質であり、私は許し難いのである。
今後は、真に非を認め自分の行為の責任を取れる国民性の育成に期待したいものである。また国民も謝罪会見ごときに騙されることなく、常に事件、不祥事後の責任の取り方に監視の目を光らせているべきである。
さて話がガラリと変わるが、大晦日の今日私も皆さんに頭を下げよう。と言っても謝罪会見ではなく、皆さんにお礼を申し上げたいのだ。
本ブログ「原左都子エッセイ集」を開設したのは2007年9月6日、台風で荒れ狂う夜のことだった。綿密な計画の下ブログを開設した訳ではなく、どちらかと言うと突然思いついたような気まぐれに近かった。インターネットをいじっていて偶然にもgooで無料でブログを開設できることを発見したのだ。(gooにも感謝申し上げます。)よくわからないままアクセスし、その場の勢いで開設してしまったような感じだ。
既に当ブログのバックナンバーでも述べているが、高齢のため自分自身が納得できる就業は困難、そのためとりあえず自分のバックグラウンドを活かして税理士試験にチャレンジしているのであるがこれも中途挫折気味、学問研究に励み続けたい夢も中途半端…、このブログはそんな迷える子羊状態の私のひとつの逃避行動の位置づけと、自分ではとらえている。
そのように意志薄弱状態で始めた当ブログであるが、4ヶ月近くが経過した現在、多くのすばらしい読者に恵まれている。1日も欠かさず毎日別便でコメントを下さる方もいる。ご多忙にもかかわらず、まめにコメント欄にコメントを書き込んで下さる方々もいる。(はるこ先生はじめ皆様、いつもありがとうございます。)原左都子へのたくさんのメッセージもいただいている。このブログが結ぶ縁で私は多くのすばらしい方々と出逢えることができた。私にとってはこれは今年の一番大きな収穫であり、宝物である。
ブログとは通り過ぎて行くもの、いつまで続けられるか不安感を抱いた頃もあった。まだその思いは頭の片隅に少しある。そんな中、皆さんの暖かい応援に支えられつつ、「原左都子エッセイ集」も私といっしょに年を越すことができそうなことを1年の終わりに感謝申し上げたい。
皆さんありがとうございました。来年も変わらぬ応援をよろしくお願い申し上げます。
謝罪会見のオンパレードである。年金問題、食品内容物及び消費期限偽造問題、前次官の汚職問題、薬害C型肝炎訴訟問題…。
そもそもこの国には、つい最近まで“謝らない”国民性がはびこっていたように私は認識している。政治家を筆頭に、どんな悪戯をはたらいても決して自分の非を認めず、秘書や贈賄側等に責任をなすりつけるのが得意技だったと私は記憶しているのだが。
それが裏を返したように、ご覧のごとく謝罪会見の数々である。あの頭を下げるパフォーマンスにより、事件は一件落着したと国民をはぐらかせるとでもたくらんでいるのであろうか。 あるいは、マスメディアがあの謝罪会見を仕立てているのであろうか。
謝罪会見で頭を下げるパフォーマンスをしている面々は、“謝罪”の正確な意味をご存じないものと見受けられる。“謝罪”とは、頭を下げりゃいいということでは決してない。自分の不正や非を認めその責任を取ることなのである。
国がからんでいる事件、不祥事にこの謝罪会見後の問題未解決が多い。お手盛り立法に諸悪の根源があるのではなかろうか。自分達にとって都合の良いような立法しかなされておらず、立法の監視機関も機能していない現状なのであろう。
自分の非を認めず謝らないで他人に責任をなすりつけるのも困りものだが、謝罪会見のパフォーマンスで事件が終結したかのごとく見せかけて責任逃れをするのは、考えようによってはより悪質であり、私は許し難いのである。
今後は、真に非を認め自分の行為の責任を取れる国民性の育成に期待したいものである。また国民も謝罪会見ごときに騙されることなく、常に事件、不祥事後の責任の取り方に監視の目を光らせているべきである。
さて話がガラリと変わるが、大晦日の今日私も皆さんに頭を下げよう。と言っても謝罪会見ではなく、皆さんにお礼を申し上げたいのだ。
本ブログ「原左都子エッセイ集」を開設したのは2007年9月6日、台風で荒れ狂う夜のことだった。綿密な計画の下ブログを開設した訳ではなく、どちらかと言うと突然思いついたような気まぐれに近かった。インターネットをいじっていて偶然にもgooで無料でブログを開設できることを発見したのだ。(gooにも感謝申し上げます。)よくわからないままアクセスし、その場の勢いで開設してしまったような感じだ。
既に当ブログのバックナンバーでも述べているが、高齢のため自分自身が納得できる就業は困難、そのためとりあえず自分のバックグラウンドを活かして税理士試験にチャレンジしているのであるがこれも中途挫折気味、学問研究に励み続けたい夢も中途半端…、このブログはそんな迷える子羊状態の私のひとつの逃避行動の位置づけと、自分ではとらえている。
そのように意志薄弱状態で始めた当ブログであるが、4ヶ月近くが経過した現在、多くのすばらしい読者に恵まれている。1日も欠かさず毎日別便でコメントを下さる方もいる。ご多忙にもかかわらず、まめにコメント欄にコメントを書き込んで下さる方々もいる。(はるこ先生はじめ皆様、いつもありがとうございます。)原左都子へのたくさんのメッセージもいただいている。このブログが結ぶ縁で私は多くのすばらしい方々と出逢えることができた。私にとってはこれは今年の一番大きな収穫であり、宝物である。
ブログとは通り過ぎて行くもの、いつまで続けられるか不安感を抱いた頃もあった。まだその思いは頭の片隅に少しある。そんな中、皆さんの暖かい応援に支えられつつ、「原左都子エッセイ集」も私といっしょに年を越すことができそうなことを1年の終わりに感謝申し上げたい。
皆さんありがとうございました。来年も変わらぬ応援をよろしくお願い申し上げます。