原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人は何を優先するべきか

2008年09月30日 | その他オピニオン
 先週末から不覚にも体調を崩している。この年齢になると多少体調を崩すことは特に珍しいことではないのだが、今回は歯痛を伴っていてこれがこたえる。今日は痛みが耳にまで及び、顔面にピリピリと神経痛も来る。

 こういう時には“何を優先するべきか”というと、ゆっくりと休養するべきなのであろうが、どうもじっとしていると痛みが増幅して身に沁みる。そのため普段通りに過ごし、この通りブログ記事の更新もしようとしている。
 しかもこんな日に限って「人は何を優先するべきか」などとテーマが難儀だ。臨機応変に軽めのテーマに変更すればよさそうなものであるが、頭が働かず別のテーマが浮かばないため、今回はこのテーマで強行する。


 朝日新聞9月26日(金)夕刊「悩みのレッスン」の今回の相談は女子高校生による“学校がつらい”ことに関する内容である。
 今回の回答者は哲学者の永井均氏であるが、“どうしても嫌ならやめよう”という趣旨であった。
 
 私も本ブログの教育・学校カテゴリーバックナンバー「不登校という選択肢」において詳細に綴っているのだが、学校がどうしても嫌なら不登校、登校拒否という選択肢もある、との永井氏の見解に準ずる立場を以前より貫いている。

 「不登校」のテーマに関しては既に上記の記事で私論を展開しているので、そちらを参照していただくことにしよう。
 今回の記事では、永井氏の回答内容を紹介し、「人は何を優先するべきか」の私論を展開してみたい。


 では、永井氏の回答を以下に要約する。
 われわれは皆子どもの頃からずっと、大人から人生の道徳的な捉え方を教えられて育つ。その基本は嫌なことでもすべきことがある、というものだ。これを教えないと例えば「お酒を飲んだら車の運転をしない」といった必要な社会規範が守られないからである。だが、守られねばならない規範など実はそんなに多くはない。なのに、教えられた道徳的な捉え方が癖になって、嫌でも頑張ることそれ自体に価値があると思い込んでしまいがちだ。頑張る根性が将来役立つこともあろうが、そんなものにそれ自体で価値がある訳ではない。どんな時も、今現在を楽しむことをないがしろにしてはならない。これは時に忘れがちな、道徳的な教えとは正反対の、人が「すべきこと」である。自他に甚大な損害を与えない限り、どうしても嫌になったら思い切ってやめる、というのはとてもよいことだ。

 (こう述べて、永井氏はこのコラムの回答者としての仕事に今回で自らピリオドを打たれた。
 この相談コーナーの特徴は、思春期の若者からの相談に対し直接的な回答は避け、同様に悩む若者達をはじめ一般読者に、直面している事態に対する解決策を自ら思考して見出せるような、物事のある程度普遍的な“考え方”を示唆するところにあると私は捉えている。
 この私も回答者諸氏の回答に同感し勉強させていただいているので、永井氏の今回の退陣は大変残念である。 )


 さて、人間は何を優先するべきか。

 社会規範の種類も様々ではあるが、自他共に甚大な損害を与える恐れのある事柄に対する規範に関しては皆が遵守するべきである。それは社会で生きる人間にとって最低限の約束事であろう。ただ永井氏が述べられているように、そういった社会規範は実は世の中にそう多くは存在しない。
 世間で“規範”とされている事柄には、価値観が分かれたり選択の余地があるものの方がずっと多い。そのような選択可能な“規範”に直面した時に、周囲に流されたり惑わされることなく、自分自身が何を優先するべきかを判断できる能力や柔軟な思考が人間には要求される。永井氏の言われるように“今現在を楽しむことをないがしろにしない”という観点も人間にとって大変重要な選択肢であろう。

 今日の私は休養よりもブログ更新の強行の方を優先して正解だ。記事作成に没頭した間、一時歯痛を忘れることができた。 
Comments (9)

人気(にんき)なんか要らない

2008年09月28日 | 自己実現
 朝日新聞9月26日(金)夕刊「be」eveningページに、今年60歳を迎えたミュージシャンSI氏の対談記事があった。
 私は普段特にSI氏に関心を寄せているという訳ではないのだが、この対談記事から、60歳にしてまだ失っていない“ツッパリ心”を伴った生き様に私自身との共通性を少し感じ取らせていただいた。

 そこで今回の記事ではこの対談を取り上げて、自分自身に置き換え考察してみることにする。


 SI氏曰く、「人気なんかいらねえよ。めんどくせえよ。売れて大物になっても、やりたいことをやる自由がなくなったらみっともねえだろ」「若いやつにウケたいなんて、ヤラしいことも考えたよ。でもそんな風に新しさを狙ってもいい曲はできなかった。そもそも人間の根源的な性格や愛情ってのは変わらないし。自分の得意なところ、つまり内省や反芻に戻ろうという気持ちにようやくなれた」「いつまでも大人げなく、わがままで。でも人の痛みのわかる表現者でいたいな」


 私の場合は芸能人でも政治家でも何でもない“ただの人”であるので、大衆から「人気」を得る必要は元々何らない。そこで、この「人気」を周囲からの“受け”や“ちやほや”されることに置き換えて考察してみよう。

 若かりし頃は、そういう願望が確かにあった。学校や職場という集団内において隅っこで目立たぬ存在であるよりも、自分の何らかの能力や特質等の持ち味が周囲に“受け”て認められ“ちやほや”されることにより、受動的に自分の存在を自分自身で確認したい願望があったことは否定できない。

 「人気」を得ることは、確かに一種の快感ではある。だか「人気」とは実は実体のない虚像とも捉えられる。肯定的な概念ではあるが、移ろいだりすぐに消え去るはかなさもある。例えば芸能人の場合、昨日はファンだった人に今日はもう飽きられている、ということはよくあることだ。
 そして通常は、年齢を重ね経験を積み上げて能力や特質等の自分の持ち味が確固たるものになってゆくにつれ、他者の評価は相対的に二の次でよくなるのが自然な成り行でもある。
 こうなってくると、「人気」とは「面倒臭い」ものになるというSI氏の談話は実感である。いつまでも、「人気」という虚像ともいえる快感に頼り過ぎることは「やりたいことをやる自由をなくすこと」に繋がり、自分を見失い、みっともない結果となろう。

 よく一世を風靡した芸能人が何十年かの年月を経てカムバックするのを見かける。新しい芸を磨きビッグになって再登場した事例は少なく、昔と同じ事をただ繰り返すのみのカムバックが多い。話題性だけはあり、一時「人気」を博するのだが、またすぐさま消え去っていく。
 カムバックには様々な事情はあろう。生計を立てるため、あるいはマスメディアの商業主義にただ利用されていたり。 そんな中で、一世風靡した頃の「人気」の快感が一種の中毒症状となっていて、それにただすがっているような心理も読み取れてしまう場合も多く、少し哀れさも漂うのが見ていて辛い。


 年齢を重ね人生経験を積み上げて来ても、SI氏のおっしゃるように人間の根源的な性格や愛情とは変わらないものである。むしろ様々な経験を重ね自分を磨いて来ると、「人気」などという主体性のない概念から解放され心がフリーになれるような気さえする。
 そして本来の自分に戻れて、いい意味で“我がまま”になれるような気もする。

 「人気」があってももちろんよいのだが、それを意識し過ぎず、今後共自分なりに“ツッパリ”つつ、人の痛みがわかる人生の表現者でいたいと私も思う。 
Comments (8)

すれ違いの恋

2008年09月26日 | 恋愛・男女関係
 30歳代半ばの独身時代の話であるが、某職場に研修のため2週間程お邪魔したことがある。

 私の研修のために何人かの職員が指導に当たってくれたのであるが、その中のひとりにT氏がいた。
 T氏は同年代の独身なのだが、見た目がマッチョ系のスポーツマンタイプでいかにも女性にモテそうな雰囲気の男性である。私としては研修をお世話になる立場でもあるし真面目に研修に励んでいたため、T氏に対して特別“下心”を抱くということではなかった。

 2週間の研修の終了時に、お世話になった職員の方々が居酒屋で私の「送別会」を催してくれた。T氏を含めて7、8名の職員の方々が出席してくれたのであるが、その中にM氏もいた。
 M氏は私の研修とは直接かかわりのない部署の職員であるため、少し見かける程度だった。中肉中背の男性で外見的には特に目立つタイプではない。M氏はT氏と親しいため、この「送別会」に便乗出席してくれたようだ。

 当然ながら、まずは研修で直接お世話になったT氏を含む職員の人たち何人かと盛り上がって話をしていた。
 会合も半ばを過ぎ、皆が席を立って自由に移動し始めた時、M氏が私の横にやってきた。そして私に語りかける。「あなたが準備室で勉強をしているのをよく見かけた。」と。そうなのだ。研修の空き時間に、某準備室が空いているのを発見してそこで一人でよく自習に励んでいた。その時にM氏が何度か通りかかったのを、私の方も透明硝子のドア越しに見たけたことがある。M氏は「その時のあなたのロングヘアが印象的だった。」とも言ってくれた。
 M氏との談話が続くのだが、このM氏が何とも味わい深い人物なのだ。私はどんどんM氏の世界に引き込まれて二人で語り合っていると、M氏から、思春期で感受性が強い高校生の時に母を亡くした話が出た。人生において何よりも辛い思い出であることを語るM氏の情感深さが決定打となって、この時私はM氏に対して一線を越えた感情を抱いてしまった。

 そして1次会はお開きとなり次は2次会なのであるが、私とT氏と職場長そしてM氏も参加した。職場長は年齢も立場も別格であるためちょっと隅に置いといて、当然のごとく後の独身3人で盛り上がった。この時に気付いたのだが、どうもT氏は私に感心を持っていたようなのだ。お酒の勢いも借りてずい分と積極的にモーションをかけてくる。私としてはT氏ではなくM氏ともっと語り合いたいのだが、直接お世話になったT氏を無視する訳にもいかない。

 2次会の終了時に、私とT氏、M氏の三人で近々また飲みに行く約束をした。

 その後もやはり、味わい深い人格の少し“はかなげ”なM氏の印象が私の脳裏から離れない。これはもはや恋愛感情である。早くM氏に会いたい思いばかりが募る。

 そして間もなく三人で再開したのだが、こうなると申し訳ないが私にとってはT氏は“お邪魔”な存在でしかない。
 ところが、やはりT氏が私に対して積極的なのだ。私としては何とかM氏とツーショットで話したいのだが、T氏のモーションに圧倒される。M氏もT氏の私に対する心情に気付いている様子で遠慮気味だ。これが仕事抜きで知り合った関係ならば、私としても自分の気持ちに素直にきっぱりとした態度がとれるのだが、何分T氏とは仕事上お世話になった間柄でもあり、私の方も中途半端な対応になってしまう…。

 そんな私にとって何とも中途半端で欲求不満が募る飲み会も3次会を経て、時は既に夜中である。朝の電車の始発まで最寄のT氏の家で3人で仮眠することになった。
 2DKの部屋の一室に男性2人、もう一室に私が寝ることになって横になっていると、T氏が部屋に入ってきて私の体を求めてくる。もう30代も半ばで恋愛経験も海千山千の私にとっては想定内とも言える出来事だった。
(私を求めて欲しいのはあなたじゃなくて、M氏なのに…)と本当に口に出して言えばよかった…。
 やはりお世話になった遠慮から言えずに、ただただ拒否した。ここでT氏に体を許す訳にはどうしてもいかない。拒否を押し通したのではあるが、二人ですったもんだしているのに、隣室のM氏が気付かない訳がない。

 M氏と一つ屋根の下で取り返しのつかない醜態を晒してしまった私はどうしても涙が止まらず、ひとり部屋で泣き続けた。
 電車の始発の時間になり、私はT氏に「帰ります」と一言だけ告げて、一人でひっそりと部屋を出た。M氏は最後まで寝ているふりをしてくれていた。
 始発電車に乗って乗客がまばらな中、私の目からは涙が止めどなく溢れ出る。

 一言M氏に私の思いを伝えたかった…。 すれ違いの切ない恋の思い出である。 
Comments (8)

先に笑う?後で笑う?

2008年09月24日 | お金
 どうやら、今の時代は風俗嬢も“財テク”をして将来に備えているらしい。

 日刊ゲンダイ9月20日の記事によると、例えば、六本木の高級キャバクラ嬢のSチャン(25歳)は「不景気が続きそうだし、今さらOLもできないし、年金も不安だから財テク。でも私バカだし面倒臭いから、取引は投資信託のETFオンリー…」だそうである。 一方、五反田のデリヘル嬢のMさん(30歳)は「都内の駅徒歩3分の中古マンションを1000万円で買って、半額を貯金で払い、残りは10年ローンで月の返済は5万円チョイ。家賃収入は9万円だから差し引きを年利換算すると約5%!美味しいでしょ。来年にはもう1件買って今の家賃収入を新しい物件のローン返済に回す。」そうである。

 おお、そうか、そうか、皆頑張ってるじゃん。


 人間、“先に笑う”タイプと“後で笑う”タイプに大きく二分されそうだ。これ、お金の使い方の話であるが、おそらく一生ずっと笑い続けられる人はごく少数であろう。

 かくいう私は、“後で笑う”タイプである。既に本ブログのお金カテゴリーバックナンバーで披露しているが、若かりし頃から外見や行動の派手さとは裏腹に、お金に関しては一貫して石橋をたたいて渡る堅実派である。

 上のキャバクラ嬢のSチャンのように、私も20歳代半ば頃から将来に備えてお金を貯めねば、という発想が確固としてあった。
 私のお金の増やし方のモットーは昔も今も「一攫千金」ではなく「着実に」である。加えて、当時はまだバブル期前で「財テク」という言葉がなかった時代でもあるし、預貯金が高金利だったため、ハイリスクハイリターン商品は避けて、元金保証の金融商品を狙って着実に増やす手段を私は選択した。

 そして30歳の時に、上のデリヘル嬢のMさん同様、私も築年数が新しい2DKの中古マンション物件を単独で購入した。ただし、これも「財テク」目的ではなく自己居住目的だったのだが。そしてやはり約半額を預貯金より支払い残金はローンを組み、結果として7年間でローンを完済した。現在、賃貸物件として運用中である。
 経験者の立場からMさんに関して少し考察すると、まずMさんの場合自宅の住居費はどうなっているのかと懸念する。自宅の住居費の家賃、あるいはローンを支払いつつの不動産物件の財テク運用はそう甘くはないのではないかと察する。しかも、賃貸運用は不確実性が高い。賃借人がずっと継続して入居してくれる保証もなければ、退出入時の修繕費等の臨時出費が大きい。資産家でもない個人が不動産物件を「財テク」目的で賃貸運用する場合、ローンは完済していることが必須条件かと、石橋を叩く私は考える。

  私の場合結婚願望がさほどなかったため、老後まで“一人暮らし”を前提に将来の資産設計を立てていた。
 そんな私は35歳の時に個人年金保険に加入した。ちょうど教員をしていた時期で、当時国内最高の保障額を誇っていた「教育公務員共済会」の個人年金保険に加入した。加入当時の試算で老後月々6万円程度の年金が手元に届くはずだった。公的年金と両方で、私の老後の一人暮らしを十分に遂行できる金額が届くはずだった。
 ところがバブル崩壊後の長引く不況の中、保険会社の相次ぐ経営破綻の一角で「教公保険」を扱っていた保険会社も経営破綻した。外資系保険会社が経営を引き継いだ後保障額が大幅見直しとなった。現時点の試算では、年金額は月々1万円に満たない。平均寿命を大幅に越してよほど長生きしなければ元が取れない。今解約しても大損なため、こんなわずかな年金を手にするために60歳まで保険料を支払い続けるしかない。これは私としては大失敗例である。保険などあてにせず、堅実に預貯金に回すべきだったと悔やまれる。


 結婚後、独り身でなくなってからは資産設計も私一人の思い通りにはいかない。
 住居の度重なる買換えによる大損失の計上(ざっと計算して4500万円也)等の失敗もあれば、ここにきて身内が体調を崩してくれたり、はたまた高齢出産の子どもの教育費が老後まで発生する。
 “後で笑う”にはまだまだ多難な道程になりそうだ…。  


P.S.
(既に一部の方より別便でコメントを頂戴しておりますが、我が家の場合、今後一家で食べていける経済力は一応ございますので、どうかご心配なきように…。お気遣いの程、誠にありがとうございます。)
Comments (2)

高い空からの視点

2008年09月22日 | その他オピニオン
 さて、今回は久しぶりに、私がファンであり尊敬申し上げている創作家の明川哲也氏にご登場いただこう。


 朝日新聞9月19日(金)夕刊こころのページ「悩みのレッスン」において、17歳の予備校生男性からの相談に対し、創作家の明川氏が“高い空からの視点ももって”と題して回答されていた。

 相談者の相談内容を簡単にまとめてみよう。
 秋葉原事件の犯人のように、自分もイライラが蓄積されていつかは「爆発」するのではないかと不安だ。現に親に乱暴な言葉でイライラをぶつける自分がいてそんな自分が嫌で、そうなると他人を見ても嫌な部分しか見えなくなる。こんな気持ちでいるのは僕だけなのか、皆がどう思っているのか知りたい。こんな気持ちを明かしたらけげんな目で見られるだけなのか。

 これに対する明川氏の回答“高い空からの視点をもって”を以下に要約する。
 ぼくがカラスの子だったら、嵐の夜は本当に怖いだろう。ひどく揺れる梢の巣で、いつ終わるとも知れぬ暴風に身を震わせる。あるいは終わらないかもしれないと思い、この世を恨むだろう。でもぼくは人間の子であるから、幸いにもそれが果てることを知っている。そう長い間悩むことではないことを知っている。
 人間の心は世界と同じ広さだ。その世界のすべてを見て歩くのがぼくらの人生で、心の旅なのだと思う。イラつく日々が続くこともあれば、飢餓感に襲われる日々もある。それも風景のひとつで、気長に旅を続けているとまた違った風景へと繋がっていくはずだ。砂漠と海、嵐と凪、ぼくらの心の正体は一色ではない。善でも悪でもない。矛盾でもない。ただ世界と同じ要素がそこにあるだけだ。一つの場所だけを心だと思わず、高い空からの視点ももって世界を旅して下さい。


 私論に入ろう。

 心を病む人々が激増している世の中である。 
 そんな中、今の私には頭さえボケない限り、おそらく今後一生心を病まない自信が少しだけある。それは決して私が感情の乏しい人間だからでも、心臓に毛が生えているからでもない。むしろどちらかと言えば感情の起伏が激しく、繊細なハートの持ち主である(??)と自己分析している。
 それなのになぜ心を病まない自信があるのかというと、明川氏がおっしゃる“高い空からの視点”が持てるからである。すなわち、ある程度の長さ大きさの時間的空間的スパンにおける自己の存在を客観視できる能力が既に備わっているからである。何らかの事情でたとえ今どん底に陥っているとしても、風景は常に移り行くことを経験則で学んできているのだ。
 それは決して昨日今日の短時間で学べたということではない。長い年月をかけて様々な経験をひとつひとつ積み重ねる事により、視点が徐々に高くなって行ったのである。

 それが証拠に私も若かりし頃にこの予備校生のような心理状態を経験している。私の場合は“イライラ”を自分自身の内面に向けてしまい、自分の体を攻撃した。
 今で言う“過食症”的症状を経験している。(当時はまだそういう言葉がない時代だった。)一度にパンを一斤食べてみたり、ポテトチップスを一気に3袋位食べたりして無意識のうちに自分の体を痛めつけることにより“イライラ”を解消した時期があった。毎日毎日それを繰り返していた。やはり17歳頃の大学受験のストレスが溜まっていた時期の話である。幸い受験の終了と共に症状は自然に消え去って行ったが。
 その後心がフリーになり、明川氏のおっしゃる人生という私にとっての世界の旅が本格的に始まる。


 この相談者の予備校生も既に自身を十分に客観視できているし、また周囲に対する配慮の心も伺える。何も心配はないどころか、おそらく予備校生という“半端”な時期を過ぎ去れば、自分らしい人生の旅が待ち構えていることであろう。

 人生における経験値が高い程、自らを見渡す視点も高くなるものだ。
 人生の旅人達よ、良い旅を。 
Comments (5)

突然訪ねてきた男友達

2008年09月20日 | 雑記
 何ヶ月かぶりに雑記カテゴリー記事を綴ってみよう。


 私は長い独身時代を通じて基本的にずっと女の一人暮らしだったのだが、時々彼氏以外の男性が自宅に一人で訪ねてくることがあった。特に20歳代前半の若かりし頃にそういう機会が何度かあった。
 
 例えば水道がポタポタ水漏れしたりする。そういう話を職場ですると、「じゃあ、今日の帰りに寄ってパッキンを替えてあげよう。」と親切な男性が助け舟を出してくれる。
 ある時はオーディオの接続に困惑している話になると、音楽関係の同趣味の友人男性がそれの接続に来てくれる。
 多少迷惑な話では、夜遅い時間に酔っ払って私の部屋のドアをたたく職場の先輩男性もいた。これは即刻お引き取り願ったが、次の日「酔っていたとは言え申し訳ない!」と平謝りだった。


 そんな中で、あの訪問の意図は一体何だったのだろうと未だに不可解で不思議に思う男友達の突然の訪問があった。20歳代前半の頃の話である。

 休日前の夜9時頃のことであった。一人で部屋でくつろいでいると、職場の同年代の同僚男性が突然一人でやってきた。
 その男性は、普段から何人かのグループで飲みに行ったりカラオケに行ったりドライブに行ったりと、比較的仲良くしている友人の一人だった。フィアンセのいる男性でこちらとしても恋愛感情は全くないのだが、人柄も人当たりも良く“癒し系”といった感じの好感を持てる人物である。
 その男性を「Aさん」と呼ぶことにする。

 誰かがドアをノックするので出てみると、Aさんだった。Aさんとは上記のごとく普段よりある程度仲良しであるため、突然我が家を訪ねて来てもさほど違和感はないといった感覚である。そして「近くで用があったから寄った。」と言って、別に酔っ払っている様子でもなくいつものAさんだ。「じゃあ、どうぞ。」ということで部屋に入れた。
 おそらくお茶でも飲みながら、まったくいつものようにあれやこれやと結構楽しく話をした。Aさんのフィアンセの話も出た。(昔は人と人とが実によく語り合ったものである。)何分もう夜遅い時間であるため、そのうち帰るだろうと思っていたところ、Aさんの口から意表をつく言葉が発せられた。

 「泊まっていってもいい?」 
 “妙齢”の独身女性の私としては当然一瞬たじろぐ…。
 ただ、若い頃から“場”や“相手の心情”を読み取れる力のある私の直感ではAさんには“下心”はないと判断した。どうも、純粋にもっと談話を続けたい様子だ。多少躊躇はしたが、当時おそらくたまたま彼氏がいなかった私はAさんの宿泊を許可することにした。
 6畳一間とキッチンしかない部屋であるため、6畳の部屋で布団を並べて寝ることになる。来客用の布団というのを特に用意していなかったので、夏布団から冬布団まですべて引っ張り出して適当に二つに分けて敷いた。(人が宿泊する時はいつもそうしていたのだが。)
 そして、二人で別々に布団に入ってまだ談話は続いた。特にこれといった話の“テーマ”はないのだが、話はずっと途切れずに続き、そのうち二人共寝たのであろう。
 朝になって、私はサンドイッチを作りコーヒーを入れた。そして、二人で朝食を食べた後、Aさんは“一夜”のお礼を言って帰っていった。


 未だにAさんの突然の夜の訪問の目的が何であったのか不可解なのだが、ひとつ手探りで思うのは、あの時Aさんは何らかの理由で“寂しかった”のではないか、ということだ。純粋に誰かと朝までの時間を共有したかったのではなかろうか。
 人間関係が希薄ではなかった、若かりし青春時代の“一夜”の出来事である。
Comments (15)

「H&M」は日本に根付けるか?

2008年09月18日 | 時事論評
(写真は昨日の私。「H&M」で購入した衣料ではありません。)

 先週の9月13日の土曜日、東京の銀座に衣料専門店「H&M(ヘネス・アンド・モーリッツ)」が開店した。
 この「H&M」は47年にスウェーデンで創業し、世界に約1600店を展開している売上高世界第3位を誇る世界規模の大型チェーン衣料品専門店である。
 “高いファッション性と品質を備えた衣服を最良の価格で提供する”ことを歌い文句に、日本での第1号店となる銀座店を皮切りに日本全国への店舗展開を予定しているとのことである。
 デニムパンツやニットという定番商品のみならず、流行の色や素材を使用したワンピースやドレス等も品揃えしているのが強みで、カジュアル衣料チェーン店には珍しくカラフルな色彩の商品が目立つとのことである。
 日本の衣料市場は不振が続く中、「H&M」の最高経営責任者は世界への出展の経験から大いに強気であるらしい。

 これに対し警戒感を抱くのは、「ユニクロ」等の国内カジュアル衣料大手企業だ。 商品価格帯がほとんど重なるのに加え、「ユニクロ」は現在女性向け商品強化の方針を採っているためである。
(以上、朝日新聞9月12日朝刊経済面記事より引用、要約)


 私はまだこの「H&M」へは出かけていない。少しほとぼりが冷めた頃にでも、一度銀座まで見学に行ってみようとは考えている。

 私はどうも「ユニクロ」のような大型衣料チェーン店を好まない。大量生産の同じデザイン、形、色の商品が何十枚も売られていて、まるで“制服屋”のようであるからだ。
 10年程前に「ユニクロ」がオープンした時に、ひとつの社会現象のごとくブームになった。周囲の皆が「ユニクロ」に行き、皆が「ユニクロ」の商品を着たとも言える時代があった。当時、あまりにも周囲が「ユニクロ」「ユニクロ」と騒ぐので私も試しに出かけてみた。第一印象は失礼ながら“体操服と寝巻きを扱っている店なのか!?”という感覚だった。「ユニクロ」はホームウェアが主力商品であるため言わばその通りなのであろうが、たとえ家で過ごす時でも人と同じものを着せられるのは勘弁願いたいものだ。
 品質の良さとリーズナブルな価格が売りらしいが、価格感受性の高い私に言わせていただくと、決して安価とは言えない。第一、皆と同じ“制服”を着て街を歩く気には到底なれない。未だかつて「ユニクロ」では1枚たりとて洋服を購入したことはない。

 独身の頃はお気に入りのブティックが何店かあり、洋服はそういう店で購入していた。私は決して若かりし頃からブランド志向ではなく、既に価格感受性も強かった。知名度や価格さえ高ければ満足という単細胞消費者では決してなく、私なりの洋服に対するこだわりがあった。コストパフォーマンスが重要なのだ。満足度と価格はバランスが取れている必要がある。そういう観点からお気に入りのブティックを何店か探して通っていた。 
 近頃はお気に入りのブティックをやっと見つけても、直ぐにテナントが入れ替わる。夏に流行っていた店が冬にはもう潰れているということをよく経験する。そのため、近年の洋服の買い物は行き当たりばったり傾向にならざるを得ないのだが、近頃は店員が客にまとわり付き押し売り状態になることは滅多にないので、買い物がし易いと言える。


 景気の後退に加えて、ここのところの物価の急激な上昇で消費行動は今後ますます陰りが見えてくることであろう。
 衣料業界においても苦戦を強いられている大手企業が多い中での「H&M」の日本上陸であるが、果たして「H&M」は日本に根付くことが出来るのであろうか。
 とりあえずは、世相に流されずいつの時代もバランス感覚のある消費者であることを自負する私の目にかなう店であるのかどうか、一度覗きに行ってみることにしよう。 
Comments (11)

不妊症の友

2008年09月16日 | その他オピニオン
 私は長い独身時代に不妊症の女性何人かと縁があった。

 多くの不妊症の女性にとって何よりも辛いのが子どもの話題であるようだ。子どものある女性との付き合いにおいては、どうしても子どもの話題が中心となる。それを避けるため、当時の私のような子どものいない独身者との付き合いを好む傾向にあるようで、あちらから私に接近して来るのだ。

 私自身は結婚に関しても子どもに関してもどうあるべきといったこだわりはなく、両者共にどうしてもどちらかでなければならない(結婚はするべきだとか、子どもは産むべきだとか)というような固定観念は一切なかった。決してポリシーがない人間という訳ではないのだが、自己の人格形成と自立を常に最優先に考えていた結果、それらの優先順位が相対的に二の次となっていた。

 二者のうち、結婚に関しては事は比較的簡単だ。結婚とは単なる法的手続きに過ぎないため、たとえ結婚しても解消しようと思えば相手の合意を得て離婚という法的手続きを取りさえすればいつでも独身に戻れる。一端結婚に踏み切ったところで後の融通はいくらでもきくと言える。
 ところが子どもに関してはそうはいかない。産んでしまった以上一生母親としての人生が待ち構えている。死ぬまで子どもの母親であることを解消することはできない。女性にとって子どもを設けることは、人生における最も重大な意思決定と言えるであろう。(男性にとっても子どもの父親の立場として同様であろうが、世間を見渡すと、どうも子どもに対する責任感は母親の方が強いように見受けられる。)


 不妊症の方々の苦悩は推し量って余りある。不妊症の女性にとっての大前提は子どもを設けることである。ところが、この人生において最大とも言える意思決定が自分の意のままにならないのだ。子どもを設ける意思決定を下しているにもかかわらず、神のいたずらでそれが叶わない。これは何とも不条理な事態だ。

 そういう心情を理解した上での不妊症女性とのかかわりであったのだが、正直言って独身の私にとっても“腫れ物に触る”ように神経を使う付き合いだった。
 そもそも基本的な生き方がまったく異なる。子どもがいないという点では確かに共通しているのだが、あちらは精神的に経済的にご亭主に依存しながら何年も暮らしている人達である。(もちろんそうでない方もいるが。)独り身ですべての事を独力で執り行っている私とは、バックグラウンドもライフスタイルもまったく異なる。どうしても話の接点が探りにくい。
 その上、子どもの話は厳禁である。私の場合、決して将来的に子どもを設けないという意思決定を下していた訳ではない。子どもを持つ夢を思い描くこともあったのだ。そういう話題には決して触れられない。心情を理解しつつも気苦労の多いぎこちないお付き合いであった。
 私は晩婚だったとはいえ子供を授かるのは早かった。私に子どもが授かったことが判明するや否や、不妊症の女性達は皆一斉に私から遠ざかって行った。「(私が)子どもを産もうと考えていたとは思っていなかった…」と言い残して…。私の配慮心から子どもの話題に一切触れなかったため、子どもに興味がないものと捉えていたのであろう。どうやら裏切られたような感覚があったようだ。その後、その女性達の誰からも一切連絡はない。

 感動する話もある。職場で短期間だが一緒だった女性がやはり不妊症だった。その方は十年の不妊期間を経た後、(ご本人の表現によると)神から一子を授かった。
 その女性はそもそも根っからの子ども好きで、自身が不妊症であるにもかかわらず子どもの話は禁句どころか、分け隔てなく他人の子どもを積極的に可愛がる人だった。そして不妊症も10年にさしかかろうとしていた頃、知人の可愛い赤ちゃんのためにベビードールを編んでプレゼントしようと、心ゆったりと編んでいた時のことだそうだ。なぜか妊娠しそうな不思議な感覚に包まれたそうである。その感覚はさまに現実となり、まもなく妊娠が判明したという話だ。知人の赤ちゃんのためにベビードールを編む彼女の純粋な愛情、ゆったりとした精神が彼女に赤ちゃんをもたらしたのかもしれない。 現在は子ども思いの母の鏡のようなお母様でいらっしゃる。


 先だっての朝日新聞の報道によると、現在各種医療機関において「不妊カウンセラー」の認定を行い、不妊症女性の様々な精神的ストレスを解消するべくカウンセリングを実施しているそうである。
 女性にとって人生最大の意思決定である「子どもを持つ」という選択肢の入り口で苦悩する女性達…。
 う~ん、「子ども」に対してさほどの執着がなかった私が議論に加われる立場にもないのだが、「子ども」とはかけがえのない存在である反面、持ったら持ったで親としての責任は地球よりも重く、苦悩の連続の日々でもあるのだが…。
     
Comments (14)

敬老の心得

2008年09月14日 | 健康・医療・介護
 身内に“後期高齢者”が二人いる。

 私の母と義母であるが、共にそれぞれ現在一人暮らし中である。体の痛みや生活上の不自由さ等を二人が時々電話等で訴えてはくるが、幸いな事に二人とも辛うじて介護を要する体ではない。

 このうち、私の母は遠隔地の田舎での一人暮らしである。定年まで公務員を全うした元々社会派で行動的な母である。今尚気丈で負けん気が強い。
 片や義母も、会社経営を亡義父の裏で実質的に牛耳ってきた凄腕女実業家であるのだが、数年前に亡義父の介護鬱症を患ってからは意気消沈気味である。 

 二人とも経済的には十二分に自立し、孫の各種お祝い事には一般常識より二桁多い“大金”を祝儀(祝儀というより贈与に近いが)として手渡してくれるような何とも有難くて美味しい存在である。(不謹慎な私です…
 義母も意気消沈しているとは言え自立心は失っていない。こちらは都内に在住しているのだが、よくレストランを予約して我々一家を食事に誘ってご馳走してくれる。
 このように、普段はほとんど手間のかからない子孝行な親二人である。


 という訳で、この二人の身内の“後期高齢者”に対する私の普段の敬老の主たる仕事は、専ら電話で話を聞くことである。
 これが“長い”。そして、同じ事を何度も繰り返して訴えてくるのが共通の特徴である。決して痴呆症という訳ではないのだが、お年寄りの特徴であるようだ。

 そのうち、母とは血縁のある親子でもあり遠慮がないため聞いている私は堪忍袋の緒をよく切らす。一応身内と子どもには遠慮しているらしく、大抵私が一人で家事に励んでいる平日午前中に電話をかけてくる。この長電話の相手をしていると掃除もできないし洗濯物も干せやしない。それでも、重要な用件でもある場合は中断して聞くのだが、そういう訳ではないのだ。この前も聞いた重要性の低い話をまた繰り返す。
 年に一度、田舎に帰省すると大変だ。私が着替えをしていても荷物の片付けをしていても横にやって来て、この長話を機関銃のごとく浴びせてくる。長話も度を過ぎると暴力に近い。2泊程しかしないのだが、私の堪忍袋の緒が切れて必ず大喧嘩となる。一人暮らしの日常で積もる話があるのは理解できるが、年寄りの話し相手は忍耐力を要する重労働である。

 一方、義母の方は一応わきまえてくれている。亡義父介護中はよく取り乱して電話をかけてきたのだが、事情を察して余りあるため誠意を持って対応した。義父が亡くなった後は多少不安定ながら落ち着きを取り戻し、まだ子育て中の私に遠慮し配慮しつつ電話をかけてくる。
 この義母が美人で淑女なのである。もう80歳に近いのだが、たかが近場で私達身内に会う時でも、いつも綺麗にお化粧をしてドレスアップしてハイヒールを履いて颯爽としている。そして会うといつも開口一番娘と私に「○○ちゃん(娘)はどんどん美人になっていくわね。△子さん(私)はいつも綺麗ね。」とリップサービスしてくれる。自身の方が数段美しいにもかかわらず…。これにはいつも頭が下がる思いだ。私も80歳にしてそうありたいものだ。 
 
 二人に共通しているのは、将来不安である。今は何とか一人で暮らしていける体であるが、いつ要介護の身となるやら測り知れない。二人とも異口同音に口にするのは「ポックリ逝きたい。」という言葉だ。元気とは言えずとも何とか一人で生きられる体を維持して、ある日突然倒れそのままあの世に行くのが理想だといつも言う。気持ちはわかるし、介護をする子の立場としては正直なところそうあってくれたら本当に子孝行であるとも思う。


 我が身にとってもそう遠い未来ではない「老後」であるが、身近に“後期高齢者”が2人存在するお陰で、私自身が「老後」に向けて進むべき道程を展望するにあたり、この2人の生き方が大いに参考になる。
 二人に共通しているのは“自立心”である。奇しくも私の身近な両高齢女性はご両人が生きて来た男尊女卑等の時代的背景にもかかわらず、若い頃から自立心が旺盛であったようだ。その延長線上に今があると私は捉える。
 そんな母に育てられた私も“自立心”旺盛な人間であると自負するため、老後は意外と明るいかもしれないなあ、などと敬老の日を前に根拠なく安心する私である。       
Comments (6)

お茶しよう!

2008年09月12日 | 人間関係
 昔、“お茶をする”という文化があった。
 この“お茶をする”というのは、喫茶店で人と会って珈琲でも飲みながらゆったりと談話することである。

 現在は、この“お茶をする”文化がすっかり陰を潜めてしまっている。そもそも、“正統派”の喫茶店をほとんど見かけない。見かけるのは「スターバックス」等の、飲料をセルフサービスで提供され、軽く腰掛けて短時間で飲むような外食チェーン店ばかりである。そこには“語りの場”はないのが特徴である。


 私がまだ田舎で暮らしていた頃の学生時代に、この喫茶店がよく流行っていた。9月7日の朝日新聞別刷の「喫茶店」の記事の中でも取り上げられていたが、ちょうどフォークグループ「ガロ」の“学生街の喫茶店”が流行った頃だ。“君とよくこの店に来たものさ、訳もなくお茶を飲み話したよ♪” まさにその通りで特にこれといった理由もないのだが、女友達とダベる時も、彼氏とデートをする時も、どういう訳がとりあえず喫茶店なのだ。

 そのうち、女友達と喫茶店に行く時は飲み物だけでなくデザートや軽食などの食べ物にもこだわった。
 当時、田舎においてさえ喫茶店は多くの店が競合していて、各店が様々な工夫を凝らしていた。珈琲等の飲料のみならず、パフェの美味しいお店があれば、ホットケーキは絶品の店もある。夏ならばフラッペ(かき氷)がたまらない。またピザならお任せのお店やら、ドリアならこのお店に限る等々、より取り見取りなのである。次々と新しい喫茶店を開拓しては、日替わりで色々な喫茶店に通ったものである。
 女友達とは学校で1日中話しているのに、どういう訳かいつも帰りの時間になると「サテンに寄ってから帰ろう!」という話になるのだ。(“サテン”とは茶店、すなわち喫茶店の略語であるが。) そして喫茶店で美味しいデザートや軽食を食べて珈琲を飲みながら、1、2時間はくっちゃべる。一体何をそんなに話すことがあったのだろうかと今になっては不思議に思うのだが、きっとお互いに好きな男の子の話でもして盛り上がったのであろう。

 一方、彼氏と“サテン”に行く場合は、珈琲専門の純喫茶や、ジャズ喫茶、ロック喫茶などが多かったように記憶している。あるいは、ドライブがてらドライブインの喫茶店にもよく行った。当時、珈琲にこだわっている男の子は多かった。私など珈琲と言えば“ブレンド”しか注文しないのだが、彼氏の方は、ブルマン、キリマン、モカ、等々、彼女の前でカッコつけたい年頃だ。そしてブレンドを注文しようとする私にも勧めてくれる。“ガテマラ”は学生時代に彼氏に教えてもらって初めて知った銘柄だ。
 そしてやはり1、2時間は語り合う。一体何をそんなに語り合ったのだろう。お互いの将来の夢でも語り合ったのだろうか、記憶にないなあ。

 喫茶店には音楽がつきものである。ジャズ喫茶やロック喫茶等の音楽専門喫茶店でなくとも、必ず音楽が流れている。洋楽であったり、歌謡曲であったり…。 喫茶店で流れていた音楽が、その時喫茶店で話し合った内容や自分の心情と交錯するのだ。
 この喫茶店での音楽に関して、今尚忘れ得ぬ思い出がある。私が上京する直前の3月のことであったが、彼氏と喫茶店で珈琲を飲んでいた。既に二人の関係はギクシャクしていて、私の上京と共に別れが訪れることは特に取り決めを交わさずとも二人共暗黙の了解だった。
 そんな別れを目前に、それでもなお未練を引きずって向かい合っている二人の空間に流れたのが「甲斐バンド」の“裏切りの街角”であった。 “わかったよ、どこでも行けばいい♪”“プラットホーム…”“切符を握りしめ…”“あの人は見えなくなった…♪” 未練を引きずる私の壊れかかった心に、これらの歌詞がグサリ、グサリと突き刺さる…
 そして数日後、彼氏を郷里に残して私は一人で東京に旅立った。


 “お茶をする”文化とは“語り合う”文化でもある。珈琲を味わいながら気の合う相手とゆったりと語り合う…、何とも贅沢な文化である。あの頃は人々の心にはまだ、そういう時間や空間を人と共有できる余裕が持てる時代だったのであろう。

 セルフサービスのチェーン店では、人は順番待ちをして飲み物を注文し高椅子に腰掛け一人で短時間を過ごした後、そそくさと席を立ち喧騒の街の中へと消え去っていく。現在は、そんな風景を日々見慣れる時代にすっかり移り変わっている。
Comments (24)

エゴなエコ

2008年09月10日 | 時事論評
 地球温暖化問題への関心の高まりと共に、世の中が“エコブーム”である。

 この“エコブーム”であるが、私に言わせてもらうとどうも胡散臭さが否めない。“似非(えせ)エコ”とでも表現すればよいのであろうか、事態の深刻性の本質を真に理解した上で、我らが地球が破滅へと陥る事と把握してエコ活動に励んでいる人は世の中に一握りしか存在しないように私の目には映るのだ。

 そうしたところ、折りしも朝日新聞8月31日朝刊「耕論」のページにおいて“どうみるエコブーム”と題して各界の有識者のオピニオンが掲載された。
 このうち、東大名誉教授の養老孟司氏とコラムニストの中野翠氏のオピニオンが私の見解とほぼ一致していて我が意を得たりの思いであるため、以下に紹介することにしよう。

 特に私論と一致している部分を抜き出し、要約する。

 まずは、養老孟司氏の見解「国民に道徳を押しつけるな」から。
 エコがブームになっている最近の状況を見て気になるのは、官僚や政治家が国民に対し「もっと省エネを」「環境のために我慢を」などと道徳を強調している点だ。政府の温暖化会議の委員であった時、委員自らが削減に協力をとのことで、ハイブリッド車に乗り換え、屋根に太陽光発電装置を付けることを勧められたが、なぜそこまで企業に奉仕しなければならないのか。そもそも買換えを勧めることが環境に優しいのか。  温暖化の責任を消費者にかぶせる風潮も問題だ。オイルショックの時に人々はつつましく生き、省エネの社会に変わるチャンスだったのに、その後石油が安くなると国全体が経済成長と便利な暮らしを目指しエネルギー消費が増えてしまった。それなのに今になって「国民の努力が足りない」と言い出してエコキャンペーンに必死になるのは責任逃れに他ならない。リーダーたちは消費抑制という自分達にとって楽な手法に逃げ込み、国民に自己規制させるという道徳を押し付けている。これが今のエコブームである。

 次に、中野翠氏の見解「はやりに流されず、迷いたい」を要約しよう。
 エコブームは基本的にはよいことだが、その一方でイヤな感じも抱く。いやらしい言い方であるが特に芸能人や文化人の中に「エコ自慢」がドッと出てきた。海外セレブやファッション界も旗振りし、国民がエコのオシャレ感に目をくらまされて一歩引いて考えることをできなくしている。エコの実効性についての議論や検証が深まらないままのブームは危険だ。地球環境をいじくり回して経済的な豊かさを達成した国々が、先行きの不安と後ろめたさに駆られてエコを叫び出したという側面もある。「豊かさ」「便利さ」を至上価値として突っ走ってきた国が、それらを犠牲にしてまでエコを実現しようとする覚悟が私たちにあるのか。


 さて私論に入ろう。

 昨年の出来事だったと思うが、某ブランド企業が買い物用の「エコバック」を数量限定販売したところ、これに購買者が殺到し整理券販売となり即刻売り切れになったことがある。あの騒動には、どうして世の中こうも軽薄者ばかりかと私は呆れ果てたものだ。(購入した方、軽薄者呼ばわりしてごめんなさい。) 購入した人種は、これをエコ活動だと本気で考えての行動であろうか。 まさに中野氏のおっしゃる通りファッション界が旗振りしたオシャレ感、すなわち商業主義に乗せられ流されているだけであることに気付かないのか…。新しい商品を開発して売り出すためには、養老氏のおっしゃるように新たなエネルギーが消費されることに少しでも思いを馳せないのか…。
 政府が発案した「クールビズ」にしてもそうだ。これを目当てに衣料業界がクールビズ商品開発に乗り出し販売し始めた。
 エコブームの行く先々に商業主義がついて回る。もしかして政府と衣料業界との癒着か、利権がらみか、と勘ぐりたくなる。

 養老氏のおっしゃるように、この国はオイルショック時に省エネ型社会に変わるチャンスがあった。それなのに、その後「豊かさ」「便利さ」を至上価値として突っ走りエネルギーを消費し続けた挙句の果てに国民に省エネ道徳を押し付けてくる。
 道徳を押し付けられた“同調圧力”の強い国民は、深い考えもないまま単純に商業主義の“ブーム”に乗せられ流される。


 まさに今の“エコブーム”は、エコを指導する官僚や政治家側も、エコ道徳を押し付けられた国民側も、地球環境保護に関する深い思慮もないままに“エゴなエコ”活動にさまよっているとしか私の目には映らない…。
Comments (16)

恋人それとも愛人?

2008年09月08日 | 恋愛・男女関係
 (今回は少々不謹慎な記事を綴りますので、読者の皆さん、読まなかったことにして見逃して下さいね。

 私が長~い独身時代を謳歌し、数々の恋愛遍歴を辿ってきていることに関してはバックナンバーで何度か触れている。
 決して好き好んで恋愛の“数”をこなす“淫乱女”という訳ではないのだが、結婚願望がさほどなかったため一人の男性に何が何でも執着する必要がないという心理が潜在していたようだ。ちょっとした行き違い等でどうしても別れが早く訪れてしまい、次の出逢いへと移行するのである。

 その中で、お相手の男性に妻子がいらっしゃることが何回かあった。
 決して、その事情をあらかじめ知りつつ恋に堕ちたという訳ではない。“不倫”とは何かと面倒なものであることは自明の理であるため、独身の身としては避けるに越したことはない。そこで、元々相手に妻子がいることを知っている場合はもちろん交際はお断りする。ところが知り合った時にこれを公表しない相手がいるのだ。若い時ほど特にそうだった。そして、関係が深まってきた時にやっと妻帯者であることが判明したりする。(これを“騙された”と言うならば、そういう事なのであろう。こちらも実は既に気付いているのであるが、もはや恋愛関係が後戻りできなくなってしまっている。)

 ただ、私の場合は上記のごとく結婚願望がさほどなかったため、相手が既婚者であっても外観的要因においてはお付き合い上際立った支障はないのである。(もちろん、内面的要因すなわち心理面においては大きな支障はありますよ。)
 少なくとも“妻子と別れて私と結婚して欲しい!”などと取り乱して相手にしがみ付いたりすることは私の場合あり得なかったのである。いや、相手が妻子と別れたいというのは自由だが、私の方はその人と交際は続けても、だからと言って結婚を積極的に考えるということには繋がらないことははっきりと伝えた。
 加えて、私は経済的にも十分に自立していた。妻子にお金がかかる相手よりもむしろ独身貴族である私の方が裕福な程だ。貢いでもらう必要など一切ない。 相手が私の自己所有のマンションに時々転がり込めば済む。相手にとってはさぞや都合の良い不倫相手であったことであろう。


 ここで、“恋人”と“愛人”の違いについて少し分析してみよう。

 男性の立場から女性の不倫相手のことを“愛人”という言葉で表現するのを耳にすることがある。この“愛人”という言葉には“所有物”的なニュアンスがあり私は好まない。おそらく、不倫関係において女性が男性に心理的にも経済的にも依存している場合“愛人”という表現が当てはまるのかと分析する。同様に、女性がうら若き男性に入れ込み、養っているような場合も“愛人”という言葉が適切であるように思う。(私と同年代の某日本人女性作家が韓国の若い男性に入れ込み養っているという記事を新聞で読んだことがある。私もそんなうら若き男性の“愛人”を囲ってみたいようで、何だか羨ましいような…)
 私の不倫経験の場合このような依存関係は一切ないため、自分が“愛人”であることを自覚したことはない。あくまでも対等な“恋人”関係であった。(ちっとも自慢にならないけどね。)


 本ブログの恋愛・男女関係バックナンバー「サンバクラブリーゼンシー」で綴った出逢いは実は“不倫”だった。あれは私の不倫初体験の時の出逢いの話である。まだ20歳代半ばのことであった。 結婚願望がさほどないとはいえ、まだ若気の至りの私には辛い辛い不倫だった。
 当時結婚経験がまだない私にとっては、相手に妻子があること自体がまず耐え難い事実であった。相手の、奥様に対する恋愛感情が既に冷めていることは私にも伝わる。だが、どういう訳か不倫をする男は子煩悩なのだ。(私が経験した範囲では。)子どもに対する愛情が言動の端々から伝わってくる。(実際に定期券入れに子どもの写真を入れているのを発見することもある。)
 そして不倫相手である私に対しても無意識のうちに時々父親の愛情で接してくるのだ。通常の恋愛では経験できないレベルの、恋愛を超越しているとも言える包容力のある愛情に絆されてしまう一方で、そんな感情と背中合わせにそのような愛情表現が耐えられなく辛いのだ。誰に対するのか自分でも分析不能な嫉妬心に潰されそうになるのである。
 揚句の果てに、結局は相手はいつも家族の元へ帰って行く。所詮手に入らない“愛”であるのが不倫というものである。


 勝手なことを綴って参りましたが、妻子の皆様、その節は大変ご迷惑をお掛け致しました。私の場合、ご家族の方々に気付かれぬことを鉄則とし、決して経済的負担もお掛けしておりませんが、ここで改めてお詫び申し上げます。 
Comments (18)

アニバーサリー 1 (鮫のごとく)

2008年09月06日 | 自己実現
 本日9月6日で、本ブログ「原左都子エッセイ集」がちょうど1周年を迎える。
 そこで今回の記事では、私の1年間のブログ生活を振り返り、今後の展望をすることにしよう。

 いきなり話が飛ぶが、昨日のNHKの対談番組にミュージカル俳優の市村正親氏が出演したのだが、私はこの対談にのめりこんでしまい一時テレビに見入ることになった。単なる対談番組であるのに始終エンターテイメント性が半端ではない程プロ意識の旺盛な市村氏であるのだが、この対談によると市村氏の舞台活動は凄まじいものがあるのだ。出演する舞台と舞台の期間の合間もとらず、舞台本番最中の楽屋で次の舞台の台詞を頭にインプットするぐらいのハードスケジュールをご自身が好んでこなしていらっしゃると言う。(私もバレエ講演観賞等の趣味があるため、それがどれほど過酷なスケジュールであるかは想像できる。)

 そんな市村氏をある演出家が「鮫のような俳優」と表現したとのことである。“鮫”とはすなわち、泳ぎを休んだら死んでしまう魚であるため泳ぎ続けて生きてゆくという話はよく聞くが、市村氏ご自身もまったく同様に何十年間一時も休むことなく舞台人生に身を捧げていることをこの言葉は表現している。

 僭越ながら、私にも同様の習性があることを以前より自覚している。ただし子どもを持つ親の身である現在は、私が「私」としてその習性を表に出せる機会が激減し、慢性的な欲求不満を抱えざるを得ない現状ではあるのだが…。
 休みなど一切要らない、ずっと何かをしていないと落ち着かない感覚がこの私にも本能的にあることを、私は今尚認めている。 私が独身を長く続けて休む暇もなくあれやこれやと試行錯誤をしたのは、市村氏と同様の習性を持つためと再確認させていただけた対談であった。


 さて私のブログに話を移すが、私はこのブログを“ひとつの趣味”として捉えていることに関しては当ブログでも何度か記述しているが、位置づけとしてはそれには間違いはない。
 ところが、たとえ趣味とはいえ何事にも半端なことが許されない私の性分としては、ブログに関しても“鮫的習性”が陰を潜めていることに私自身が気付いている。

 ブログの執筆に関しては、既に私なりの法則を確立している。ご覧の通り、ほぼ一日置きのペースで1記事2000字(原稿用紙5枚)を目途に綴っている。この法則に関しては、私のブログを開設初期の頃からお読み下さっているあるブロガーの方からいただいた心強いアドバイスによるところが大きい。経済界の某大物が2000字の文章を毎日綴り続けていらっしゃるそうだ。その話に触発された私は、毎日は無理にしてもそれに少しでもあやかりたく考え、現行の法則を確立したという訳だ。このように執筆に関しては、たまにネタ切れで苦しむ時もあるが、1年間ほぼ順調にノルマは達成して来れたと言える。

 私のブログの趣旨は“自己のオピニオンの公開”にあるのだが、その公開性に関して頭を悩ませる機会が増えてきた。ご覧のように本ブログは記事に関するコメントを広く受付け、それに対して必ず返答をして更なる議論を展開するという形を採り、ブログの公開性を全うしようとしている訳である。この作業の日々の精神的、時間的な負担が正直なところ尋常ではないのだ。
 常に“鮫的習性”を発揮し続ける私としては、この作業を難なくこなしているかのごとくの外見を創出してはいるが、その舞台裏では夜も寝られず悩み込むこともよくあり、日常生活に差し障ることさえある。そこにはブログに振り回されてしまっている私が存在するのだ。こうなると、単なる趣味とは言えなくなってしまう。

 あくまでも生活の中の一趣味の位置づけとして何とか自分なりに整合性を採りたいと、現在思案中なのである。

 とは言え、コメントやメッセージという形で記事に対する直接的な反応を頂くことはやはりうれしいものだ。もしもコメントやメッセージを一切頂けなくなった時に、果たして私は“一人芝居”で1日置きに2000字を綴り続けられるのか自信はない。そのように考えると、やはり皆様から頂くコメントやメッセージに支えられて私のブログは成り立っていることが裏付けられるのである。

 悩みながらも、皆様からのコメント、メッセージという確かな反応に支えられつつ、やはり私は今後もひとつの趣味であるブログを“鮫のごとく”綴り続けていくのであろう。
Comments (20)

子どもの安全の見守り方

2008年09月04日 | 教育・学校
 私が住んでいる地方自治体で、この9月1日より“子どもの下校時の見守り放送”とでも名付ければよいのか、そういう趣旨の「防災放送」が始まった。
 毎日14時30分になると、大音量で“ピンポンポンポ~ン♪ (子どもの声で)間もなく私たちが下校する時間となります。地域の皆さん、下校時の見守りをお願いします。(以上を2度繰り返し)ピンポンピンポ~ン♪”と防災スピーカーががなり立てる訳である。

 9月1日にこの「防災放送」が突如として流された時には、私は“防災の日”だからか? と一瞬考えたのであるが、その放送の内容から私は嫌な予感がした。嫌な予感とは当たるもので、これが毎日なのである。

 趣旨は理解できなくはないが、これは明らかに“騒音公害”としか言いようがない。 何に集中していても中断せざるを得ないし、昼寝をしていてもたたき起こされる。


 決して、学童の登下校時の安全管理を疎かにしようと主張する訳ではない。それどころか、私は本ブログのバックナンバーにおいて学校内外における子どもの“危機管理”の充実に関して再三訴えてきている。(教育・学校カテゴリーバックナンバー「学校における危機管理」「正しい携帯電話の持たせ方」「安易についていかない教育が肝要」等を参照下さい。)

 再度、子どもの危機管理に関して私論を展開させていただくが、学校外(登下校時も含めて)の子どもの安全管理は親(保護者)が主体となって責任を持って行なうべきである。
 このような私論を述べると、仕事があるから、忙しいから出来ない…、という類の反論が保護者からよく来る。
 親がいつもいつも子どもについて歩け、と私は言っている訳ではない。まず取り組むべきは、普段の子どもに対する安全教育である。交通安全、不審者対策、等緊急時の身の守り方、親(保護者)への連絡の仕方等を再三再四子どもに伝えることが肝要である。その前提として生命の尊さの教育も肝要であるし、何よりも親子の絆、信頼関係がその根底にあるべきなのは言うまでもない。

 学校の通学路に関して言うと、たまに親子で実際に歩いてみるとよい。私個人の経験であるが、子どもの転校後の小学校が指定してきた通学路に危険性があるのだ。信号のない道を横切る必要があるし、人通りも少なく、しかもずい分と遠回りの道程なのである。なぜあえて遠回りをさせてまで、危険な道を通学路として指定しているのか不可解に思った私は学校へ訴えた。そして、信号もあり人通りも多く安全で最短距離である道を代替案として提示した。運良く話のわかる校長で、基本的には学校指定の通学路を使用するのが原則ではある(有事の際の障害保障の問題が絡むとのことである。)が、私が提示した通学路代替案の安全性を認めた校長は例外的に許可して下さった。我が子はその安全な道を卒業まで通った。
 
 登下校に関しては「集団登校」の安全性の是非の問題もある。我が子の場合は、小学校に関して転校前は集団登校であり、転校後は個別登校であった。
 私は個人的には「集団登校」反対派である。“みんなで行けば怖くない”的な他力本願思想を元々好まないのが第一の理由であるし、上記のごとく、子どもの安全管理は各家庭で個別に責任を持って行なわれるべき事柄であると考えるためである。
 実際問題、登下校中の「集団登校」にたまに出会うと、子ども達がじゃれあったりふざけあったり走ったりする姿を良く見かけ、安全確認が疎かになっている風景によく出くわす。安全確認は子ども一人ひとりが自分で責任をもって確実に行なうような教育が小さい頃からなされるべきである。
 近年多いのが集団登校中の子どもの列に車が飛び込む事故である。犠牲者を多数出さないためにも個別登校の方がより合理的でもあろう。
 もちろん、「集団登校」における地域差的な背景は大きいものがあろうことは把握している。


 さて、話を冒頭の自治体による“子どもの下校時の安全見守り放送”に戻そう。

 これは明らかに行き過ぎとしか思えない。あの防災放送は、「区民の皆さん、こんなに子どもの安全管理に取り組んでいますよ~」と言いたげな自治体のパフォーマンスにしか私には聞こえない。

 政府も自治体も地域、地域とうるさいが、現在は特に都会においては地域がコミュニティとしてまったく機能していない時代である。隣に誰が住んでいるのかも知らないのが実情である。そんな空虚化した“地域”に子どもの安全の責任をなすりつけるのは政府、自治体の責任逃れでしかない。

 来る日も来る日も騒音公害を区中に撒き散らして、人々の集中力を削ぎ、昼寝の幼児や老人をたたき起こし、労働生産性を低下させるのではなく、真の子どもの危機管理にもっと本気で真剣に取り組んではいかがか。
Comments (4)

残暑の中の市場調査

2008年09月02日 | 仕事・就職
 9月に入って尚残暑が厳しい今日のようなけだるい日の午後には、私の脳裏に、ある外回りの仕事の記憶が蘇る。

 私が30歳代にして再び学業の道を志し勤労学生をした経験があることに関しては、本ブログのバックナンバーで再三既述している。
 当時、私は学業の合間に様々な職種の仕事に励んだものであるが、その中に医学関係の市場調査を人材派遣の身分で依頼されたことがある。この仕事は“外回り”の市場調査だったのだが、後にも先にも私にとって“外回り”の仕事経験はこれのみである。

 この仕事について簡単に説明すると、某一部上場大手化学関連企業が医療機器分野に新規参入するにあたり、その顧客である中小開業医の要望等を聞いて回る事前のマーケティング調査という内容で、1ヶ月間限定の仕事だった。 大学の夏季休暇後半の8月中旬頃から9月中旬頃まで、私はこの仕事に挑んだという訳だ。
 私にとって“外回り”の仕事は初体験であり、自由度の高さに期待していたのだが、そのような甘っちょろい期待は初日からはかなく崩れ去るのである。

 これが大変な激務であった。なぜならば電車と徒歩での外回りなのだが、とにかく時期的に暑さが尋常でない。 妙齢というにはもう図々しい年齢ではあったが、とにかく独身女性がハイヒールを履いて来る日も来る日も猛暑の中を1日中歩くのは厳しい。
 しかも、当然ながらノルマがある。訪問病院数をこなさなければならない。 そして、何よりも調査内容の専門性が高い。暑さでへばっていたのでは、顧客である医師相手に対等に渡り合えないのである。
 最悪なのは、猛暑の中やっと病院までたどり着くと、事前にアポイントメントをとってあるにもかかわらず、急患等の急用を理由に調査を拒否される門前払いのパターンが何とまあ多かった事だ。 これにはがっかりで暑さのみが身にしみる。
 時には、患者が少なく暇そうにしている病院に行くと、医師の雑談の相手である。中には妙齢の(?)女性である私を相手に1時間も2時間も四方山話をするご年配のお医者さんもいらっしゃる。これなどは可愛げがあるので私など喜んでお付き合いするのだが、肝心の調査情報は得られずじまいで時間ばかりが過ぎ去っている。

 そんな中、大変熱心に調査に応えて下さる医師もいらっしゃる。これには頭が下がる思いだ。ちょうどそういう医療機器が開発されるのを待っていたとおっしゃって、ご自身の医療現場の有意義な情報を提供して下さる。 後で調査書に1件1件の調査内容をまとめるのも仕事のひとつなのだが、用紙に書ききれず別紙で数枚にまとめて報告した程である。こういう調査に協力的な顧客はリストアップして、継続的に調査に協力いただくことになる。

 人間相手であるため嫌な思いも当然する。 ある病院では、調査に応じてくれたのはいいのだが、開口一番「女のあなたに何がわかるんだ!」とくる。一応、名刺を持たせてもらっているので、それを差し出し医学関係の肩書き等よりその道の専門性があることを提示するだが、専門的な話は一切させてもらえず、意地悪な質問ばかりを投げかけてくる。 そもそも調査に応える気がないのなら、門前払いをしてくれた方がましだが、どういう訳か人をつかまえて自身の憂さ晴らしをする人種がいらっしゃるようだ。 これにうまく対応するのも仕事のひとつである。

(ここで補足説明をしておきますと、この市場調査の仕事は人材派遣としては通常の“時給制”であり“達成ノルマ制”ではなかったため、報酬としては当時の私にとって相当高い仕事ではありました。)


 この仕事において一番印象深い出来事は、実は仕事そのものではない。
 9月に入って今日よりも数段暑い最高気温が35℃位の日のことである。 いつものように、うだる暑さの中汗を拭き拭きけだるく目的の病院を探して歩いていたのだが、その病院が風俗街を通り過ぎた所にあるため必然的に風俗街を通ることになる。 これがアッと驚きだ。 真昼から“ソープ嬢”のスカウトに遭うわ遭うわ… なのだ。 本当に腕を掴んでお店の中に引っ張りこもうとさえする。すると、隣のお店も負けじと私の腕を引っ張りにくる。 もちろん断るのだが、とにかく店内で話だけでも、と皆さんおっしゃって離してくれない。 何とか難を逃れつつ、(こんな残暑厳しい中での外回りの仕事も大変だし、涼しい室内で“ソープ嬢”でもやる方が楽かなあ)、との思いが少し私の頭を巡る…。
 ちょうどバブル期最盛期の話である。 “ソープ嬢”も求人難の時代だったのであろう。

 長々と市場調査の話について書いてきたが、こんな残暑厳しい9月の午後に私の脳裏をよぎるのは、“ソープ嬢”としてスカウトされそうになった“バブル”の日の思い出なのである。  
Comments (10)